デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2023.3.3

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 株式会社第一銀行
■綱文

第50巻 p.218-228(DK500037k) ページ画像

大正6年―昭和6年(1917-1931年)

栄一、当行頭取辞任以後、歿年ニ至ルマデ、相談役トシテ、努メテ当行ノ年賀式及ビ株主総会等ニ出席シテ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一五年(DK500037k-0001)
第50巻 p.218 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一五年        (渋沢子爵家所蔵)
一月一日 快晴 軽寒
○上略 十一時第一銀行ニ抵リ、年始ノ賀莚ニ列ス、祝盃ヲ受クル行員総計四百余人ナリト云フ、畢テ一場ノ感想談ニ類スル祝辞ヲ演説ス、朝来揮毫ノ新年ノ作ハ事務所ト銀行トニ掲テ一同ニ示ス○下略


竜門雑誌 第四四八号・巻頭コロタイプ大正一五年一月 青淵先生元旦試筆(DK500037k-0002)
第50巻 p.218 ページ画像

竜門雑誌  第四四八号・巻頭コロタイプ大正一五年一月
    青淵先生元旦試筆
瞻仰旭旗高聳空。喜迎八十七春風。笑吾人事銷磨後。猶剰丹心報国忠。
  丙寅元旦書感           青淵未定稿 


(増田明六)日誌 大正一五年(DK500037k-0003)
第50巻 p.218 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一五年     (増田正純氏所蔵)
大正十五年一月
一日 金 晴
○上略
子爵ハ毎年元旦詩作を例とせらるゝが、本年の御作は左記の如くニして、之を二枚揮毫せられ、其一を第一銀行ニ、其一を渋沢事務処ニ与へられたれは、何れも之を室内ニ掲け、来賀者ニ観賞せしめたり
  ○詩文ノ記載ナシ。
○中略
十一時より第一銀行ニ至り年賀式ニ参列せられ、式後行員一同ニ対し仍例訓示を試ミ、佐々木頭取の之ニ対する答辞あり○下略


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK500037k-0004)
第50巻 p.218-219 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一五年      (渋沢子爵家所蔵)
一月五日 曇 寒
○上略
石井健吾氏来訪、第一銀行ノ重役問題ニ付、内情ヲ縷述セラル○下略
一月六日 快晴 寒
○上略 第一銀行ニ抵リ、佐々木頭取ニ面会シテ昨日石井トノ談話ヲ告ケ其了解ヲ乞フ○下略
  ○中略。
 - 第50巻 p.219 -ページ画像 
一月十八日 晴 寒
○上略 明石照男氏来リ、第一銀行五十年小史序文ノ件ヲ談ス○下略
  ○中略。
一月二十六日 晴 寒
○上略 二時銀行倶楽部ニ抵リ、第一銀行株主総会ニ出席ス、議事終了ノ後、頭取ノ依頼ニ応シテ株主ニ対シテ一場ノ演説ヲ試ム、先ツ人ノ世ニ処スル勤勉、歳月ヲ徒費スヘカラサルヲ説キ、自己ノ日常ヲ示シ、且各人其健康ヲ保ツニハ活動・自制・平和ノ三点ニ注意セサルヘカラサルヲ、英人スミスノ説ニ拠リテ詳説シ、末段ニ現在ノ人情世態ニ論及シ、切ニ道徳経済合一論ヲ主張シ、且青年輩ニ対シテ特ニ権利義務ノ関係ヲ詳説シテ演説ヲ畢リタリ○下略


(増田明六)日誌 大正一五年(DK500037k-0005)
第50巻 p.219 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一五年      (増田正純氏所蔵)
二十六日○一月 火 晴
○上略
後二時東京銀行集会所ニ於ける第一銀行株主総会ニ出席す、席上渋沢子爵の演説ありたり


竜門雑誌 第四四九号・第九七頁大正一五年二月 青淵先生動静大要(DK500037k-0006)
第50巻 p.219 ページ画像

竜門雑誌  第四四九号・第九七頁大正一五年二月
    青淵先生動静大要
      一月中
一日 年賀式(兜町事務処及第一銀行)
  ○中略。
廿六日 第一銀行定時株主総会(東京銀行倶楽部)


竜門雑誌 第四四九号・第一―八頁大正一五年二月 ○巻頭言 活動と自制と満足(第一銀行定時株主総会に於て) 青淵先生(DK500037k-0007)
第50巻 p.219-224 ページ画像

竜門雑誌  第四四九号・第一―八頁大正一五年二月
 ○巻頭言
    活動と自制と満足
        (第一銀行定時株主総会に於て)
                      青淵先生
 新年早々本総会に於て多数の皆様にお目に掛りますことを、洵に此の上もなく愉快に存じます。昨年は始終病気勝で、七月の総会には参上が出来ませなんだやうに記憶致しますが、為に山本君から御見舞の言葉を総会に御諮り下さつたことも拝承して、私をお忘れ下さらぬことを深く有難く感謝致します。本年は幸にして此処に出席して、お目に掛ることを得たのを実に嬉しく思ふのでございますが、唯今本行の事業成績に付て佐々木君から精しく拝承し、且つ其の成績も例に依つて宜しく、配当も是までの通りといふことで、かく立派な経営をされるといふことは、洵に財界不況世間不景気といふ時代に於て、御同様大に喜ばねばならぬことゝ思ふのでございます。況や更に増株をしたら宜からうといふ声が、株主の皆さんから発せられるといふことは、銀行としては此の上もなき名誉と申して宜からうと思ひます、定めし当局者たる重役諸君もお欣びなさるでございませう。但し其の実施如何に就ては、亦それぞれのお考がありませうけれども、満場の株主が
 - 第50巻 p.220 -ページ画像 
成るべく資本を増せと仰しやることは、当局者の経営其の宜しきを得苦心の上にも苦心して居るといふことを証明されるのでございます。
 私は丁度取締役を辞しまして以来、十一年目になると記憶します。大正五年に辞しましたやうに思ひますが、十年も殆ど経済界の事に関係致しませぬと、朝に晩に新聞など見ては居りますけれども、どうも実際の事に甚だ疎くなりまして、況や眼も悪し細かい数字を見ることは最も大儀に思ひますので、さういふ点に対して意見を申上げて、諸君を益することの出来ぬのを深く恐縮に存じます。去りながら元来経済界に育つて、今は経済界の浪人になつた人間で、他に余り自信もありませぬから、直接関係はなくとも経済界には興味を有て居ります。日常どういふ風に暮すかとのお尋ねを蒙ると、矢張俗事に没頭して居ると御答する外はございませぬので、多少は経済界の事情も窺知しつつはありますが、手に取つて取扱ふといふことでございませぬ、で或る事柄に就て仲裁するとか、調停するとか申すやうなこと、社会事業と申すやうな事柄が、老後の私一身の仕事でございますので、生活上に大きな利益を得る所のものは、余り持つて居りませぬ。
 併し私は常に『人は月日を努めて無駄に費さぬやうにしなければいかぬ』といふことを、殆ど自分一身の、それこそ今の流行言葉で謂ふモツトーにして居るのでございます。其の点から考へると、一年の経過が、皆さんの割合と私の割合とを比べると、私のは大変に率が低いのです。あなた方のお齢の平均はお幾つであるか知らぬが、大抵四十かそこいらでございませう。さうすると四十のお方の一年は、八十七歳の者の一年よりはちよつと倍の率になる、八十七では半分の率にしかならぬ訳で、私の方が余程割合が悪いのです。あなた方は百分の二ぐらゐの利廻りになるけれども、私のは百分の一ぐらゐにしかならぬといふことを御承知下すつて、私を憐んで下すつても宜しいのです。
 其の私が今此の僅かの月日をどう使ふかといふことを、こゝに諸君に申上げたいと思ひますが、成程昨年は患ひましたから、贅沢にも転地したり、宅に居つても人を使つたりなんかしましたけれども、私は今日も尚ほ必ず朝は七時に起きまして、先づ来書だとか新聞だとか云ふやうなものを、一通りは眼を通します。尤も其の前に入浴するとか食事をするとか、さう云ふやうな雑事が色々とある訳でございますけれども。で先づ都合のつく限りは大抵自分の事務所に出まして、或は其の際に於ける用向をきゝまして、それは右せい、是は左せい、といふことを仮へ意思が十分に徹底しませぬにも拘らず努めて居ります。且つ朝の間に少くも三名や五名の来客がありますから、お出の方に対しては必ずお目に掛かる。さうして我が思ふだけの事を十分お話するといふことを、自身の殆どせねばならぬ勤めと思うて居りまするが、併し其の中には余り感服せぬことが、屹度無いとも申せませぬけれども、併しマアそれはそれとして、能はぬ事は能はぬと御答せざるを得ませぬから、さう致しますが、兎に角全く我が真実を以て御答する。又其の間には或は斯々の関係で、何の会社と何の会社とを併合させなければならぬ。或は何の会社に斯ういふ困難があるとか、或る社会事業に斯ういふ事柄がある。或は亜米利加の関係が斯様であるとか、支
 - 第50巻 p.221 -ページ画像 
那の行先は斯うなつて居るとか、チヤンと取極まつた一身の勤めではございませぬけれども、併しやりかゝれば、矢張り一つの責任として之を処理して行かなければ相済まぬものと思ひ、月日を無駄にせぬといふ意思を以て、生活を致して居る積りでございます。どうしても此の『人は歳月を銘々皆が浪費せぬやうにする』といふことは、私は国家の富強を増すの原因であらうと思ふ。但し私としては大に学問があるとか、智慧があるとかいふことは申上げ兼ねますから、左様に拮据黽勉した所が、其の得る所幾何ぞといふことになれば、自己の為でなく世の中の為にも、左ほどの効果は無いかも知れませぬけれども、人たるの本分は斯くして初て尽すを得る、と斯う私は始終思うて居るのでございます。
 右様なことから致して見ると、丁度今申上げた通り、自分の既往に比して、今日の所では得る月日が段々に割合が悪くなつて来ますからどうも齢を取つて居る者は楽をするが宜いといふことには反対に、齢を取る者は取る程余計に働かぬと利廻りが別して悪くなるから、頻に歳月を無駄にせぬといふことに、苦心して居るのでございます。甚だどうも今日銀行の寄合にお出になつて、配当の多いのをお望みなさる皆さん方に、御勉強なさいませといふやうな余分な御忠告は、そんな事を聴きに来たのではないと、皆さんは仰しやるか知らぬけれども、併し諸君の御勉強が、此の世の中に、少くも我が生活に対して、どれ程効果を増すかといふことを御考になつたならば、必ずや此の歳月を無駄にせぬやうにといふ私の申上げることが、或は銀行の配当を御取りなさつたよりは、尚ほ大なる効果があるかも知れぬと思ふのでございます。
 以上は唯々時を空しうせぬやうにといふことを申上げたに過ぎませぬが、元来躯を健康にするといふことは、是亦人として非常に大切なことでございます。私は当年八十七になります。左様に若い者ぢやございませぬ。併しまだ今日の所ではそれ程老衰したとは思はない。但し記憶を大分悪くしました。それだけは甚だお恥かしうございます。それから身体がどうも極く自由でなくて、試に此の二階に上るのにも矢張り若い者に腕を持たれぬと……持たれないでも上りますが、併ながらヒヨイと躓いて倒れでもすると、洵に見つともないことですから寧ろ我が生命を大事にするといふ点からで、甚だ残念ではあるが、老人は老人らしく若い人に手を引かれて上るのでございます。で元来人の健康を維持するといふことに就ては、古来日本の学者も色々と述べて居りますし、貝原益軒先生の如きも始終健康法に就ては、説を述べて居るのでありますが、私は英吉利のラプーソン・スミスといふ人の健康方法を聞いて居ります。是は甚だ注意すべきことゝ思ひますので此処にお集りの皆さんの中には七十になるお方は殆ど無い位だから、老人の健康法を申上げる必要はない、又そんなことに御関係は無いでございませうけれども、此のスミスの説は斯ういふのです。人は六十になると先づ老人になつたと大抵皆の者が思ふ。そこで老人は若い者を頤で使つて、俺が若い時は……と言ひたがる風があるからして、遂に老人は世間に嫌がられる。それで或る医者は、大抵六十の人には皆
 - 第50巻 p.222 -ページ画像 
薬を服ませて死なせて、若い者を出したが経済だといふやうな……是は矯激な論であるから、決して行はれないことですけれども、さういふ論までした人がある。それは余りに過激な申分だが、併し之に就ては老人にも決して過失がないとは言へない。何故なら自分で働かないで、自分の精神を萎靡さして人を使はうとするから、さういふことになる。が併し人は一体どの位まで働けるかといふと、百五十も二百も迄といふ訳には行かないが、極く分に応じてやれば、百三十幾つ迄はやつて行かれる、といふのがスミスの説であります。さうして六十歳は一向老人ぢやない、九十迄は確に働ける。九十迄は働けると言うても、併し其の働き方に対して、人々其の心の持ち方が甚だ必要だ。而して九十迄生きるといふのも、唯無為になら生きても居られるか知らぬけれども、相当なる意思を継続して、世に生き甲斐ある生存をすることは、ちよつとむづかしい。それで生き甲斐ある生存をし様と思ふならば、もう六十歳頃からチヤンと心懸けて、さうして自分自身老人に対する必要なる修養が要る。其修養はどうであるかといふと、三つの必要条件があるといふのであります。
 其の第一は活動です。齢を取つたら尚更ら活動しなければならぬ。それは身体ばかりでなく精神も共にです。身体精神共に活動しなければならぬ。此の活動といふものがなかつたならば、躯が弱くなつてしまふ。即ち精神も停頓するし身体も停頓する。さうなる時には必ず病気も起きて来るものである。されば活動して停頓なき生活をして行かなければならぬ。而して又相当なる自制がなければならぬ。例へば如何に堅牢に出来た機械でも、其の力不相応に使へば壊れるといふことがある。併し又それを唯寝かして置いて大事にするといふことが、果して良い保存法になるかどうか。否、さうして寝かして置いたら錆が来る。壊してもいけないし、錆びさしてもいけない。そこが即ち活動と自制である。どうしても此の二つを欠いては、本当の健康法とは言へない。然らば此の二つで沢山か。否、さうでない。一体人といふものは精神から身体を支配して行くものである。極く強健なる身体には良い精神が宿るといふことは、形から言へば宜いのであるけれども真実の道理はさうぢやない。良い精神が良い身体に成し得るのである。我が精神よりして身体を良くすることが出来る。だから身体が良くてそれに精神が宿るといふやうに、精神の方が客で身体の方が主だといふことは、聊か間違である。良い精神を持つて其の身体を良くして行かなければならぬ。そこで第三番目には、平和といふか、満足といふか、人は始終此の世の中の事に苦悶とか、煩悶とかいふことを有つてはいかない。其の点から言へば善惟れ命なりで、命に安んずるといふやうな考を持たなければならぬ。スミスの説では命に安んずるとは申しませぬ。満足と言ひます。総ての事に満足する。苦悶をせぬ。此の苦悶をせぬといふことは、身体の発育を大に助けることになるといふのです。故に曰く活動・自制、而して満足、此の三つを完全に調節して行けば、必ず六十以後も屹度働かれ得るものである。斯ういふのがラプーソン・スミスの説である。
 私はまだ数年前に之を見たのですから、それを以て六十から働いて
 - 第50巻 p.223 -ページ画像 
居る訳でなく、従てスミスの一番弟子ではございませぬけれども、大に御尤と思うて、近頃は此の説に始終従うて居ります。今年は八十七でございますから、今三年でスミスの九十迄に届くやうでございますが、併し斯う申しても或は来年は此の席にも出られぬかも知れませぬが、私はそれには拘らぬで、即ち活動と自制と而して満足――苦悶を持たぬといふことに、一心を注いで居やうと思ふのでございます。此の方法を私が皆さんにお勧めしても、今日お集りの皆さんはそんな御心配なく、又六十の御方も少いかも知れませぬから、そんなことはそつちのけで宜いと仰しやればそれ迄ですが、併し諸君も今に六十なり七十なりには確かになる。是だけは動かすべからざる事でございますから此のお話が又お役に立つことにならうかと思ふのでございます。洵に唯自己の健康を自慢するやうな言葉になりましたが、丁度好い折柄ですから、私がさういふ考を以て、今日まで生存して居るといふことを序ながら御披露致すのでございます。
 更に一言申添へたいのですが、今日は銀行の株主諸君のお寄合ですから、或は此の経済界の未来はどうなるかが問題になるかも知れませぬ。私は決して経済界の未来を申上げる程の善知識ではございませぬが、併し先づ今日の模様では幾らか好い方に傾きつゝあるやうでございます。で、斯う申すと或は障りがある。銀行の方には御迷惑かも知れぬけれども、私は金利の安いことを望むのである。嘗て第一銀行に向つて、高利貸だと言つて、マア私の希望を申上げたこともあるのですが、私は此の銀行の金利の下るのを望むが、併し金利ばかりが下つて宜いのではない。総ての方面に発展を望むと共に、金利が下るのを希望するのでございます。而して先づ此の姿で参りましたならば、経済界は先づ一歩好い調子に恢復されつゝあると申して宜からうと思ひますが、そこでおしなべて私は二つ注意したいことがあります。是は決して銀行者に対してのみ申上げるのでもない。故に斯かる場合に申すは無用の弁かも知れませぬけれども……私共明治六年に銀行者になつてから、四十年銀行に勤めました。それから罷めてから十年経ちましたから、最初からは殆ど六十年に近うございますが、当時に比して今日の科学的進歩、物質文明の発達は甚しいものである。物質の文明は進んだやうでございますけれども、どうも今日の有様は、さう知識の進んだ程道義が進んだかどうか、徳義がどうあるか、と顧ると、或は此の方は退歩したと言はざるを得ぬかと思ふのでございます。故に私が常に希望する所の道徳と経済といふものが、併び立つといふことがどうも少いやうでございます。此の道徳・経済の両者共に進まぬといふことは、一村にしても、一国にしても、亦広く世界にしても、此の位憂ふべきことはなからうと思ひます。段々に此の道徳・経済の両立を外れて、知識を進め富を増して行つたならば、富愈々増して争弥弥多く、知識愈々進んで闘争益々甚だしいことにならぬとも限らぬやうに思ひます。是はお互にどうしても注意せなければならぬ事と思ひます。故に私は殊に青年の人々に向つては、頻に権利といふよりは義務といふものを考へなければならぬと言ひたい。義務あつて権利があることはあるが、権利あつて義務があつたことがない。曩に実業の日
 - 第50巻 p.224 -ページ画像 
本から新年号に何か書けと言はれて、権利義務に就ての愚見を申述べて置いたのですが、是等のことも斯かる御席で申述べるのは、何だか自己を售るやうな嫌がありますが、どうしても此の世の中に於て、私は道徳経済を併び立てること、又権利義務に就ても、殊に青年に対して、深く心を用ゐなければならぬこと、斯かる考を申上げたいのでありまして、此処には青年の方は甚だ少いやうで、己れ達の聴くべきことではないと思召すか知れませぬが、どうか皆さんから十分に青年の方に御伝へ下さらむことを希望して止まぬのでございます。一言愚見を申述べた次第でございます。
           (一月廿六日第一銀行株主総会に於ける演説)
  ○右総会ハ第五十九期定時株主総会ナリ。


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK500037k-0008)
第50巻 p.224 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一五年         (渋沢子爵家所蔵)
一月二十八日 晴 寒
○上略 石井健吾氏来訪、第一銀行副頭取ヲ承認シタル旨ヲ告ク、且爾後ノ勤務及既往ノ経歴ニ付種々ノ談話ヲ為ス○下略
  ○中略。
二月三日 曇 寒
午前七時半起床、入浴、朝飧ヲ畢リテ、大沢佳郎氏ノ来訪ニ接ス、氏ハ今回第一銀行取締役ニ就任シタルニ付、謝意ヲ表スル為ニ来レルナリ、種々ノ談話ヲ交換シ、第一銀行ノ将来ニ付、余ノ婆心ヲ指示シタリ○下略
  ○中略。
二月十三日 晴 寒
○上略 朝飧後明石照男来リ、第一銀行五十年史序文《(小脱)》ノ督促アリ○下略
二月十四日 晴 寒
○上略 午飧前後ニ於テ各新聞紙ヲ一覧ス、第一銀行五十年小史序文ノ修正ヲ案ス、昨日明石来リテ、佐々木頭取ノ伝言ヲ告ケタレハナリ○下略
  ○中略。
三月一日 曇 寒
午前七時起床、入浴、朝飧ヲ畢リ○中略第一銀行豊橋支店長中間高州氏近日赴任ニ付来訪ス、面会シテ種々ノ注意ヲ与フ、且論語講義ヲ贈リテ贐ト為ス○下略
  ○中略。
三月三日 晴 寒
○上略
本日ハ曾テ委托ヲ受ケタル第一銀行創立五十年小史ノ序文及古河市兵衛氏伝記ノ序文修正ノ筈ナリシモ、腹案完ヲ得スシテ脱稿ニ至ラス
○下略


竜門雑誌 第四五三号・第八一頁大正一五年六月 青淵先生動静大要(DK500037k-0009)
第50巻 p.224 ページ画像

竜門雑誌  第四五三号・第八一頁大正一五年六月
    青淵先生動静大要
      四月中
廿三日 第一銀行支店長諸氏招待会(曖依村荘)

 - 第50巻 p.225 -ページ画像 

竜門雑誌 第四五三号・第八五―八七頁大正一五年六月 ○青淵先生説話集 近時雑感(DK500037k-0010)
第50巻 p.225-226 ページ画像

竜門雑誌  第四五三号・第八五―八七頁大正一五年六月
 ○青淵先生説話集
    近時雑感
 余は、過日第一銀行の株主総会に出席して、その創設当時の感想を語つたのであるが、自分が第一銀行を創立した動機は、明治初年、余が欧羅巴に行つて、具さに海外の状勢を見、深く感ずる処があつたからである。
 凡そ、事業の根本は、経済が基礎を為すものであつて、適当な経済的組織の下に、その発達を計らなければならぬのである。国家のことにしても財政が其の基礎を為すものであつて、政治上の諸施設にせよ軍事にせよ、此の財政が基礎とならなければ、恰も砂上楼閣を築くやうなものである。そして国家財政の基礎は、須らく之を国民の富力に依らなければならぬのである。
 処が、我が国では、何人も知れる如く、明治維新の変革に際し、俗に『鹿を追ふものは山を見ず』の譬の如く、只幕府を倒しさへすれば良いと言ふ如き有様で、国家の根本的財政の事などは、何人も本当に考へるものはなかつた。そこで余は政治家となることを断念して、財政経済の道に入らうと決心し、欧洲に参つたのであつた。そして世界の文明に接触し、彼の国の財政状態を目撃した余は、益々当時の我が国情に顧み、どうしても此の財政を立て直さなければならぬと痛感したのであつた。
 そこで、余は彼地に在る間、先づ第一に、財政方面の研究に没頭し財政上に於る公債のこと銀行業のことなど詳細に調査したのである。殊に余は仏蘭西で公債の便利なことや利殖などの実際を経験して、痛切に銀行会社の利益な事業であることを知り、帰朝後大隈・井上二代の大蔵省に仕へ、それから退官して第一銀行を創立したのであつた。
 その当時、我が国財政上の施設を見るに、一般に積極に走り、徒らに放漫に流れたのである。それで余は深く之を憂へて、二・三の人と共に、当局者に対して意見を上表したのであるが、この事は今尚ほ我国の財政上に余孽を残し、通弊に陥つて居るのは真に遺憾に堪へないのである。
 又これは余が在欧当時から痛感したことであるが、役人と実業家との関係について、彼国と我国とを比較して見るに、斯うも甚しき相違のあるものかと思はれるのである。それは彼国では、役人と実業家が恰も一体となつて互に相携へ、其の間少しの隔りもないが、我国では両者の間に非常な階級的観念があつて、役人は実業家を寄り附かせぬやうにする。その結果往々にして、役人は無理遣りに実業家を押し着けるのであるから、実業家は拠ろなく、表面は「維れ命従ふ」有様でも、裏面では私利私益を計らうとする悪弊に陥つて居たのである。そこで余は、是れではならぬと考へ、此の弊風を除去することについても、聊か努力したのである。
 而して、凡そ国民たるものは、その国家に対し心の使ひ方を過まつてはならぬのである。彼の有名な英国のラプーソン・スミス氏が言へ
 - 第50巻 p.226 -ページ画像 
る如く、世界の人類が、時間に対して、適当なる働きを完全に行へばその国は必ず発達するものである。
 即ち国家の盛衰興亡は、国民各自の働く時間を完全に費すか否やといふことに依つて岐れるのである。余が今、此の老齢に至つて、尚ほ役にも立たぬに、彼の日米のことや支那のことなどを心配し、又各種の社会事業などにも、力めて干与して居るのは、これ皆、我国運の基礎を確立したいと思ふ精神に外ならんのである。
 今や、幸にも、我が国の財政状態は、追々改善されては来たが、未だ国民の財政的根本精神に於いて、甚だ満足し得ざる点が多いのである。殊に世間一般のものが、動もすると、経済と道徳とを一致させずして、富そのものを公の富と考へずに自分の富と考へ、用途を過つて居るのは、是は個人的にも社会的にも、又世界的にも改善せなければならぬことである。処が、この傾向は知識の進むに連れて、反つて此の弊風が増すといふことは、実に遺憾に堪へないのである。それに又現時の通弊として、各人が唯々権利のみを主張して、義務を顧みないのは甚だ残念なことであつて、これは言ふ迄もなく、義務が先に立つべきもので、義務を行へば自然に権利が生じて来るものだといふことを自覚せねばならぬのである。(現代四月号所載)


竜門雑誌 第四五五号・第七二頁大正一五年八月 青淵先生動静大要(DK500037k-0011)
第50巻 p.226 ページ画像

竜門雑誌  第四五五号・第七二頁大正一五年八月
    青淵先生動静大要
      七月中
廿七日 ○上略第一銀行定時株主総会(東京銀行倶楽部)


竜門雑誌 第四五六号・第八三―八六頁大正一五年九月 ○青淵先生説話集其他 第一銀行総会に於ける演説(DK500037k-0012)
第50巻 p.226-228 ページ画像

竜門雑誌  第四五六号・第八三―八六頁大正一五年九月
 ○青淵先生説話集其他
    第一銀行総会に於ける演説
 久々で多数の株主諸君と、此の総会席上に於てお目にかゝることを此の上もなく光栄且つ愉快に思ふのでございます。生存して居る限りは、是非此の総会だけには出たいと云ふ観念を以て居りますから、もう来るなと仰しやられても参ります。私も株主の一人で出席すべき一つの資格を持つて居るとまで申上げたいのでございます。その様な理窟がましいことを申すのではございませぬ。況や皆様が兎に角老衰しても、渋沢の顔を見たいと仰しやられるのは、是ほど嬉しい事はございませぬので、粗末の顔でもお目にかけたいと、此方よりこそ希望して居るので御座います。
 当行の経営は実に年久しいことで、所謂歳月流るゝ如く五十年を経過致したのでございます。退職致してからも、最早十余年に相成ります。併し未だ幸に、老衰はしましたが総てのものが皆分らぬとまでには相成りませぬ。但し計算は甚だ疎くなりまして、どうも数字の記憶などに至つては、他に比較すると大に衰へて居りますから、甚だお恥しいことで御座いまして、私に又重役にでもなれと仰しやられても、到底お引受は出来さうもございませぬ。併しながら兎に角に世に在る限りは、所謂死ぬまで努めねばならぬのが、人類の務めだと思ふので
 - 第50巻 p.227 -ページ画像 
ございます。況や不肖ながら私の身は父母の家を相続して、其儘に存続した訳でなくて、微力ながらも幾分日本の国民として、御国の為に尽したいと云ふ観念から百姓を廃めた身でございまして、どうしても死ぬまで、仮令お役に立たぬまでも国家に尽さねばならぬと云ふことは、申さば私の責任とも思つて居るのでございます。故に十年以前から経済関係に就ては、成るべく御免を蒙つて居りますが、社交的若くは社会事業、或は国交上に就て、例へば亜米利加とか支那とか、或は仏蘭西とか印度とか云ふやうな関係に就ては、お役に立たぬながらも尚且つ努力を致しつゝ居るのでございます、願はくば今一・二年の間此の姿を継続したいと頻に自身でも健康を祈つて居るのでございますから、どうぞ諸君にも左様に御承知を願ひたうございます。
 今日の総会に左様な方面のことは、諸君にお聴きに入れる必要はございませぬけれども、実に此の五十年の昔を回顧しますと、或る場合には夢のやうな感じも致しますのでございます。本行に於て先頃から五十年になつたに就て、銀行の歴史を拵へる、精しい歴史も出来ませうが、先づ差向いて五十年小史として発兌すると云ふので、頭取及び関係の向で種々取調べられて原稿が出来ました。就て私に是非その序文を書け、創設者であり幸に現存して居るから、昔を回顧した所を以て此の序文を書けと申されて、先頃から頭取より懇切若くは一歩進んで厳格なる御催促があるのでございます。一度書いて見ましたが思ふやうに行かない。再び書いて見て或る人に相談すると、甚だ面白くないと大に非難を受けました。遂に三たび稿を更へたと云ふやうな所から、能くは出来ませぬけれ共、悪るからう遅からうで、大変な時を費しまして漸く此の程出来ましたので、実は五十年小史は早く出したいから、早く早くと云ふて日に一度、甚だしきは朝に催促されて又夕に催促されると云ふ程であつたが、漸く近頃出来ました。何れ遠からぬ中に上梓されて、小史が皆様のお手許に達するであらうと思ひますが銀行が他の事が敏捷であるに拘らず、独り五十年小史の左様に遅延致しましたのは、其の罪は頭取にも他の重役にもなくて、全く斯く申しまする渋沢の罪で御座います。故にその遅れたことを斯う云ふ機会にお申訳をするのは、決して頭取からのお頼みを受けたのでも何でもありませぬ。さう云ふ誤解をして下すつては困りますが、丁度好い機会でありますから、私が丹誠したけれども遅れたと云ふことを、玆に一言申上げて置くのでございます。而して其の序文を書くに際して、自身がその昔を顧みますると、真に或る点には面白いやうな感じがします。一寸一つの説明を其の中に加へて置きました。例へば、玆に一人の青年がある、南アルプスを踏破して見たいと志して駈出したとして御覧なさい。勢に乗じてやりかけても、其途中には河もあれば山もある。色々な困難がある。其の困難には随分弱つたに相違ない。併し兎に角其の行程を終つて顧みて見ると、或る場合には大変に恐しかつたと云ふ感想も起りませう。又或る場合には面白かつたと云ふ観念も生ずる、所謂喜悲交々至ると云ふのは此の事である。一つの旅行すら尚ほ然り。第一銀行の行程は、世界の大規模の経済界に較べれば、それは微々たるものでございますけれども、併し矢張日本の経済金融界の
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歴史の一部分でございます。従て是れあつて我国の事物の進歩を見ると云ふことであれば、唯単に一銀行の歴史とのみ見るべきものではなからうと思ふと、或は前に申す青年が、自己の好奇心に駆られて事を起した、と云ふが如き考を以て観察すべきものではなからう。依て以て国の経済を進め、国内の富を増し得た場合があつたとするならば、決して唯一銀行の小史とのみ見るべきものでないではなからうか、唯其の佐々木君の序文の中には、第一銀行の今日あるは多くは渋沢の骨折であると云ふやうな意味で書いてあります。是は少し誇張に過ぎる或は甚だ恐縮に思ふ。否、寧ろ渋沢の骨折よりは世の中の進歩が然らしめたと、斯うお考下すつた方が宜しからうと思ふ。但し其間に主唱者の位置、創設者の骨折は兎に角、私がお引受せざるを得ぬと思ふ。或は名誉から云ふても若くは責任から申しても、主唱者たり創設者たる事は、決して自ら免れる所存はございませぬ。扨さうなつて見ると更に一つ考へて見なければならぬのは、事は始めるのが困難であるけれ共、其の始めた事を都合よく、世運の進歩に後れぬやうに進めて行くと云ふことが大切である。世の中の事物は決して独りで満足に行くべきものではございませぬ、大体に前者が事を始め後者が之を延べて追々に宜しきを得ると云ふことが、事物の進歩の常道である。果して然らば私が今此の五十年の小史の序文を書くに於て、どうしても未来に希望をもたねばならぬ。未来に此の銀行を経営する人が、仮令其の初が満足でなくても、後を善くするやうにありたい。さう云ふ考を後進者に希望せざるを得ぬ。而して之を後進者に希望するに就ては、極く必要なる要件がある。何を要件とするか。勿論其の人の才能・学識一世に優れると云ふことは論を待ちませぬけれども、より以上に必要なるものがあると、私は申上げたうございます。
 私自身が左様申す程に、中正若くは勤勉であつたとまでは申上げられぬかも知れませぬが、併し私は今日に至るまで、一日たりとも其の志は忘れぬ積りでございます。否今後と雖も其心を以て、所謂斃れて後已む積りでございます。必ず第一銀行の未来に於ける重役諸君は、其の各自の学識・才能に加ふるに、只今申しまする中正の心、勤勉の働きを以て、此の銀行の為に尽して下さるであらう。此に於て大に第一銀行の未来あるものと考へて宜しからうと思ふのであります。
 序文の趣旨は右やうな趣旨で認め置きましたのでございまして、この機会に五十年小史の序文の講義を致すやうに相成つて、甚だ失礼でございますけれども、此の銀行を最もお愛し下さる諸君に対して、斯の如き事を申上げるのは、決して我が仏尊しと云ふものではなかろうと思ふのでございますから、此の申上げる言葉は、必ず諸君も御賛同下さるであらうと深く信ずるのでございます。斯かる好機会に多数皆様の前に、私の心事の一端を吐露し得ましたことは、深く愉快に且つ光栄に思ふ所でございます。
是で御免を蒙ります。         (十五年七月廿七日)
  ○右総会ハ第六十期定時株主総会ナリ。
  ○栄一ノ「第一銀行五十年小史序文」ハ本資料第四十八巻所収「栄一ノ序文跋文ヲ掲載セルモノ」ニ収ム。