デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2023.3.3

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 株式会社第一銀行
■綱文

第50巻 p.240-246(DK500040k) ページ画像

大正6年―昭和6年(1917-1931年)

栄一、当行頭取辞任以後、歿年ニ至ルマデ、相談役トシテ、努メテ当行ノ年賀式及ビ株主総会等ニ出席シテ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 昭和四年(DK500040k-0001)
第50巻 p.240 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和四年          (渋沢子爵家所蔵)
一月一日 美晴 寒強カラス
○上略 十時頃敬三ト共ニ自働車ニテ第一銀行ニ抵ル、新年ヲ賀スルナリ先ツ頭取及其他ノ重役諸氏ト祝詞ヲ交換シ、行員一同ニ祝盃ヲ供シ、後昨日揮毫セシ己巳元旦書感ノ一絶ヲ行員一同ニ披露シ、且余ノ本年ハ九十歳ノ高齢ニ躋リタルヲ告ケ、而シテ世事意ノ如クナラス、所謂人生不満百常懐千歳憂ノ古詞ヲ歎セサルヲ得サル所以ヲ告ケ、且前途ノ奮励努力ヲ以テ一同ヲ精励ス○下略


竜門雑誌 第四八四号・巻頭コロタイプ昭和四年一月 【義利何時能両全。毎逢佳節…】(DK500040k-0002)
第50巻 p.240 ページ画像

竜門雑誌  第四八四号・巻頭コロタイプ昭和四年一月
義利何時能両全。毎逢佳節思悠然。回頭愧我少成事。流水開花九十年。
    己巳元旦書感         青淵逸人 


竜門雑誌 第四八五号・第七三頁昭和四年二月 青淵先生動静大要(DK500040k-0003)
第50巻 p.240 ページ画像

竜門雑誌  第四八五号・第七三頁昭和四年二月
    青淵先生動静大要
      一月中
廿六日 第一銀行株主総会(東京銀行倶楽部)


昭和四年一月廿六日第一銀行総会に於ける渋沢子爵演説 第一―一五頁刊(DK500040k-0004)
第50巻 p.240-243 ページ画像

昭和四年一月廿六日第一銀行総会に於ける渋沢子爵演説   第一―一五頁刊
    渋沢子爵演説
久々でお目通りを致します、先づ新年お芽出度ございます。今頭取から引続いて壮健だと云ふ御披露を戴きましたけれども、中々にさうは参りませぬ。もう僅に身体を保つて居ると云ふ位で、お恥かしい次第でございますけれども、年故に如何とも仕方がありませぬ。是だけは私が悪いのではない、年が悪いのでございます。孟子は年を咎めてはいかぬと言ひましたけれども、私は反対の意味を以て年を咎めるのでございます。段々老衰しまして、是から幾度お目に掛かれるか、前途甚だ思ひ遣られるやうでありますが、身体の続く限り当銀行の総会へは必ず出たいと斯う心で決めて居りますから、実は両三日来少し工合が悪うございますが、兎に角参上致して玆に一言のお慶びを申上げる次第でございます。
実は九十と云ふと随分老人のやうに思ふて居りましたが、さて自分でなつて見ると何でもない。併し九十のお方は此席には必ずなからうと思ひますから、是程お集りの中で一人もない所を見ると、九十はさう
 - 第50巻 p.241 -ページ画像 
易々と得られるものでないと考へても、過当ではなからうと思ふのです。況や私の一身に付て考へますと、まだ維新以前世の中の騒々しい時には、多少客気に早つて暴戻な行動まで、敢てしやうと云ふやうな考で世に立たんとしたのですから、何時死ぬか殆ど我位牌を自身で持つて駈歩いたと云ふやうな有様であつたのです。友達の中には非命に倒れた人も数々あります。明治維新の頃ほひから考が変つて、実業界に力を尽して見やうと思つて、政治界から全く身を退きまして、爾来もう六十年近くになります。銀行者となりましたのが明治六年の八月ですから、もう五十五・六年の歳月を経て居ります為に、多少危険を免れて今日の余命を保ち得たと思ふのです。是は何も銀行に効能のある話ではありませぬけれども、一身の経過を申上げた続きから左様な履歴を一言申上げたのでございます。
実業界に入りましたときの観念は、少しく皆様に向つて講釈染みた己惚れを申すやうに思召されるか知れませぬけれども、明治維新の頃ほひの農工商三民の政治界・学者界に対する有様と云ふものは、実に論外のものでした。当時の事を今此処でお話しても、何方もそれは昔の夢物語だとしてお信じなさらぬに相違ないが、殆ど是非曲直はなかつたのであります。唯命維従ふ、若し従はざれば直さま殺されると云ふ世の中であつた。お集りの皆様は大抵実業界のお方と思ひますが、此実業界のお人は、所謂人にして人に非ずと云ふ有様であつたのです。私は仏蘭西に参りまして、続いて和蘭・白耳義・瑞西・伊太利・英吉利等の国々を廻りまして、ほんの皮相の見聞ではありましたけれども色々の事物に接触して、我国の有様と比較して実に意外に感じたのです。何等学問もなし経歴も乏しいほんの駈出しの書生でありましたけれども、日本の未来は、此有様で幕府の制度、武家時代の余弊を引受けて行つたならば、どんな事になるであらうかと云ふことを、真に憂へ且つ悲みまして、帰つて来ると深く覚悟して、もう政治界などに力を入れるよりは、寧ろ実業界の下の方から進んで行つた方が宜いと云ふことを深く思ふたのでございます。と申した所が微力且つ友達もさうありませぬし、時代が政治万能の世の中でありましたから、如何に心配しても其効果は乏しかつたのでございます。此銀行が開業免状を貰つたのは明治六年八月一日であつたと思ひます。兎に角銀行は経済の中枢機関になると云ふのですから、其方面に移ることは、政治界から言ひましても、真逆に踏付けると云ふやうなことのなかつたのが、其時の模様の変りでございます。此事に付きましては昨年十月、私の米寿をお祝ひ下すつて、実業界の方々から祝賀の宴を張つて下すつた其時に、政治界の而も現総理大臣が態々お出向き下すつて、頻に私の微力の働きを称讚して、長い祝辞をお述べ下すつたので、私は人様の祝辞を下すつたのを機会に物を申すのは、少し失礼と思ひましたけれども、余り嬉しうございましたから、今申すやうに六十年前の有様は斯様であつた、其実例は斯うであつた、然るに爾来の変化に依つて、今日の有様に相成つた。玆に現総理大臣が態々お出ましになつて、他の団体をも代表されて、実業界に微力を致した一渋沢の骨折を称讚して、私の為めに祝辞を述べて下さるに依つても、如何に実業界が重ん
 - 第50巻 p.242 -ページ画像 
ぜられるやうになつたか、是は私自身が喜ばしいではない、世の中の変化でございますと、斯う申上げたのでございます。誠に斯様な席上に長々と余計な事を申上げるやうでございますけれども、併し玆に第一銀行の明治六年に開業しましたときの事を回想しますと、何やら斯う嬉しくもあり、又斯うも変るものかと云ふ感じも起りますので、つひお目に掛かると繰言を申上げるやうな次第であります。
併し事態はそんな有様で喜ばしうはございますけれども、私自身の議論としては、まだ今日の事態が是で充分満足とは申上兼るやうに思ひます。第一に政治界でも又実業界でも、利害得失だけが先に立つて、真正な道理に依ると云ふ方のことが、兎角後になりはせぬかと恐れるのでございます。所謂利と義との差別が、甚だ混雑するどころではない、所謂利を見て義を忘れると云ふのが今日の時代で、経済界も、政治界も、総ての社会がさうなつて居ると云ふ嫌ひがありは致しますまいか、謂はゞ六十年の経過が左様に実業界が重んぜられるやうになつたと云ふことは、御同様愉快でございますけれども、未だ之を以て満足だとお互に言つて居られぬではございますまいか。斯様に九十になつた老人が泣事を申せば、笑止千万と皆さん思召すかも知らぬけれども、併し私は却て之を安心とするならば、其安心する方を笑はねばなるまいかと、斯う思ふ程でございます。どうしても本当の世界の平和真正なる文明を描き出すには、経済と道徳、政治と道徳、所謂義と利の権衡が、完全に進んで行かなければならぬ。義利が合一せねば真正の文明を成し得られず、真正なる富貴も期し難いと思ふのでございます。併し此事は殆ど私の如き微力、且つ斯く老衰した者が如何に言ふても、又泣事を申すと世間から笑ひを受けるでありませうけれども、泣事でも言はぬよりは宜い、斯う私は反対に申したい位、実に此義利の弁は余程大事であらうと思ひますから、特に第一銀行の株主諸君のみに申すではございませぬけれども、斯かる機会に余談ではございますけれども、其事を申上げたいと思ふのでございます。玆に甚だ失礼なものでございますけれども、今年の元旦の所感の拙作を得ましたから、書いて持つて参りました。此席から之を朗読してお聴に達したうございます。
  義利何時能両全
  毎逢佳節思悠然
  回頭愧我少成事
  流水開花九十年
之を解釈して申上げますると、大学にもございます「此を国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すと謂ふ也」又孟子にもあります「王何ぞ必ず利を曰はん亦仁義有るのみ」即ち義利の差別を誤つてはいけない、本当の利は義から起つて来なければいかぬ。此義利が何れの時に全く双方が完全に一致するものであらうか。佳節は即ちお正月でございます。斯かる人々の喜ぶ時になると、行末を思ひやられるので思悠然です。頭を回して過ぎ来し方を考へて見ると、何等成したことが少い。水が流れたり花が咲いたりして、もう九十年の歳月を経てしまつたと云ふ、甚だ微力を歎息した意味でございます。私は毎年粗末の
 - 第50巻 p.243 -ページ画像 
詩を作ることを例として居りましたが、此二・三年は見合せて居りました。丁度本年は九十にもなつたから、拙作ながら試みましたので、今日の総会に――殊に第一銀行は、私の一生に最も懐ひ出深い、又経済界の一つの機関でございますので、丁度皆様に御披露申したいと思つて、敢て拙作を自慢らしく申すではございませぬけれども、義利の両全を期すると云ふことは、唯単に私の一家言でない、真正の富強、真正の文明を期するならば、どうしても政治を道徳化せしめ、経済を道徳化せしめねばならぬと云ふことを、申上げたいと思ふのでございます。是は決して私の一家言ではない、殆ど識者の定論と申しても宜い。唯どうもさう行かぬと云ふのは色々の故障が多いからでございます。甚だ拙作ではございますけれども、之を皆様に残らず書いて上げると云ふ訳にもなりませぬから、印刷して銀行へ出しまして、さうして銀行から皆様にお届けして貰ふやうに致したいと思ひます(拍手)。甚だお芽出度い総会で、引続き都合の好い配当を受けて、私も皆様と共に現重役のお骨折を厚く感謝致します。一割一分は私は少いどころではない結構と思ひます。どうぞそれだけは将来に成るべく之を持続し得るやうに御心配を願ひたい(拍手)、どうも経済界の有様にはとんと懸離れて居りますので、斯くしたら宜からう、此点に注意が必要だと云ふやうな事を申上げる知識は、些とも持つて居りませぬが、大体を論ずると云ふと、どうも此能率の議論より、能率の挙り方が悪いと云ふことが今日の通弊であらうと思ふのです。議論は大変多いけれども、出来栄は甚だ少い。輸出入の不権衡などは、畢竟人の働きに対して完全に能率が挙らぬ為めではないかとまで言ひたいのです。然らば何処に注意したら宜いかと云ふことは、今門外漢同様の私が効能がましく申上げることは出来ませぬ。何れ識者が御心配なさるであらうと思ひますけれども、どうも今日の有様を以て決して満足とは申せぬでございませう。併し幸に本行の如き、爾来誠に堅実を主義とされて居つて、又国家に甚だ必要なる機関であり、多数の株主が守立てゝ今日に至つたのでありますから、尚ほ引続いての総会で是非之を以て経済界の一機軸となつて進むやうに、現当局者を成るべく後押をして戴きたいのでございます。微力ながら私も其一人になりたいと思ひますから、諸君に向つても、どうぞさうありたいと云ふことを希望致すのであります。甚だ色々取込んだ事を申上げて、何等有益のお話はございませぬけれども、九十になつた機会に拙作が出来ましたから、それを御披露すると同時に、平素の思入を皆様にお聞かせ申す、と云ふよりは寧ろ私が聴いて戴きたい為に一言を申したのでございます。是で御免を蒙ります。(拍手)
  ○右総会ハ第六十五期定時総会ナリ。


集会控 自大正一五年一一月二六日至昭和四年六月三〇日(DK500040k-0005)
第50巻 p.243-244 ページ画像

集会控 自大正一五年一一月二六日至昭和四年六月三〇日   (渋沢子爵家所蔵)
 ○昭和四年
一月  一日 (火) 前 十 御年賀ノ為第一銀行ニ御出向 兜町本店
  ○中略。
一月二十六日 (土) 後 二 第一銀行株主総会 銀行クラブ
 - 第50巻 p.244 -ページ画像 
  ○中略。
五月 三十日 (木) 後三時 第一銀行佐々木頭取ヲ御訪問 同行


竜門雑誌 第四九一号・第五一頁昭和四年八月 青淵先生動静大要(DK500040k-0006)
第50巻 p.244 ページ画像

竜門雑誌  第四九一号・第五一頁昭和四年八月
    青淵先生動静大要
      七月中
廿六日 ○上略 第一銀行定時株主総会(東京銀行倶楽部)


論文其他草稿類(一) (渋沢子爵家所蔵) (表紙)昭和四年七月○二六日第一銀行定時株主総会に於ける渋沢子爵演説(DK500040k-0007)
第50巻 p.244-246 ページ画像

論文其他草稿類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(表紙)

  昭和四年七月○二六日第一銀行定時株主総会に於ける
     渋沢子爵演説

    渋沢子爵演説
当銀行の総会には生きて居る限りは是非出席したいと祈念して居ります為に、今日も特に申上げる程の話題もございませぬけれども、罷出ました次第で御座います。そして久方振りに皆様とお目に掛かる機会を得ましたことを、深く喜ぶのでございます(拍手)。
営業の報告並に利益計算等に付ては、唯今諸君と共に承りました通り充分と言ふ訳には参りませぬが、時節柄已むを得ぬことゝ思ひます。本日久々で皆様にお目に掛かつたに付て、何か一言申上げるようにと頭取から御話がありましたので、敢て特に申上げる事もございませぬが、暫時御静聴を煩はします。
一昨日英仏駐在財務官の津島寿一君が帰朝したからと云ふので来訪せられて、私の旧友であるアラン・シヤンド氏の近状や、其の伝言を話して呉れましたので、此事に関聯して少しく申述べたいと思ひます。皆様にとつては何の興味もないかと思ひますが、私はこのシヤンド氏の伝言を所謂欣躍して承つた為めに、此の喜びを皆様にお分ち申したいのでございます。
津島君の御話は大体斯様でございました。「シヤンド氏の言はれるには、渋沢は自分より三歳上のように記憶して居るが今尚健在のことを聞いて遠方ながら愉快に思ふて居る。自分も幸に丈夫で暮して居る。然し何分老人のことで最早世務に当る訳にはいかぬけれども、斯様な有様で暮して居るから其事を話して貰ひたい。自分が日本に往つて銀行の事に就て多少努力したことも、大分昔のことであるから今日記憶して居る人が尠く、恐らく渋沢ぐらゐであらう。其渋沢が私と同様丈夫だと云ふならば、帰国の上能く其事を話して呉れと頼まれた」
私は此伝言を承つて真に若返つたやうに感じました。何故かと云ふと此第一銀行の創業時代のことを彼是想起したからであります。第一国立銀行が営業の免状を貰うたのは、多分明治六年の八月一日であつたと思ひます。其頃は私も若うございました。否私ばかりではありませぬ、佐々木頭取などは一層若うございました。シヤンド氏は其時分に銀行事務の指導に関して努力せられました。私は幾らか重立つた弟子の方で、現頭取は第二・第三のお弟子であつたのです。然し私よりは
 - 第50巻 p.245 -ページ画像 
質が好かつたから、帳面の記け方などは能く上達なすつた。シヤンド氏はさう云ふ事務を教へると共に、吾々銀行者に如何なる方針を以て銀行を経営すべきかを示されました。今も尚ほ忘れることの出来ないくらゐ親切な心遣ひをして呉れたのでございます。其一例を申しますと、簿記精法と云ふ書物を著して、計算法に付て細かい雛形を示され其末文に銀行者の注意すべき廉々を書いてあります。其文章は今玆に覚えて居りませぬから、斯様であると確には申上げられませぬが、寧ろ余り穿鑿立つて彼是云ふよりは、六十年の昔の記憶のまゝに申上げるのが、或は却て興味があるかと思ひますので、其書物を穿鑿せずにシヤンド氏に教はつたことを其儘に申上げます。注意は数箇条ありましたが、其中の一つに「銀行者は丁寧と遅滞なきとに注意すべし」と云ふ意味の箇条があります。早からう悪からうと俗に申しますが、是は早からう善からうでなくてはいかぬと云ふのです。成程銀行業者と云ふものは成るべく緻密でなくてはいけませぬ、さればと言つて余り手間取つてはいけませぬ、故に丁寧と遅滞なきとに注意すべしと教へた訳で、今日現に事務を執つて居る銀行者諸君も必ず尤もだと思つて下さるであらう、現頭取などは必ずさう云ふ主義であらうと思ひますが、私は実に金言であると思つて居ります。丁寧と遅滞なきとに注意せねばならぬのは、独り銀行業ばかりでなく、世の事物の総てに付て同様の注意が必要であります。次に「銀行者は政治に没頭してはならぬ。然し政治の事態を詳かに知らねばならぬ」と云ふ意味の箇条があります。是亦至言であります。知るとどうしても這入りたくなる。這入らなければ知れない。然し這入つてはいかぬ、知らなければならぬが、没頭してはいかぬと云ふので、誠に意味深長であります。英吉利の当時の事態が、果して銀行者にかゝる注意をせねばならぬ程であつたかどうか知りませぬが、何に致せ、国も違ひ時も違ひ、人情風俗も亦違つて居るに拘らず、今日の政治界の有様を観ますと、政治に没頭してはいけないと切実に思ひます。もう一つ申上げたい箇条があります。それは「銀行者は金融の相談を受けた場合に断つても、其人と感情の阻隔をせぬやうにせねばならぬ」と云ふのであります。場合によりては断らざるを得ぬこともあるが、断つた為に其人の憤らぬやうに交情は其儘に存続するやうにせねばいかぬと云ふのであります。困難なことではあるが出来ないのではない。親切を以て断つたならば、必ずしも其為に感情を害することはないであらうと思ひます。或は先方の考へ違ひから、偶には恨みに思ふ人があるかも知らぬけれども、蓋し斯る様は極めて稀であらうと考へます。
更にもう一つ私の記憶して居る所は「銀行者は相当の重立つた取引先の金融状態に付て、常に知り得るだけの智力がなければならぬ」と云ふのであります。此の箇条も容易ではないが、極めて必要であると深く信じて居ります。尚ほ其他にも数箇条あつたやうに思ひますが、何れも必要の注意でありました。此等の注意はイングランド銀行の重役であつたギルバート氏の格言を、シヤンド氏が書いたのでありまして遉がに英吉利の銀行者である、よく色々心配して重要な実際的の廉々を指摘して居ると感服に堪えませぬ。又シヤンド氏が此等を吾々に訓
 - 第50巻 p.246 -ページ画像 
戒的に教へたのは、真に当を得た仕方であると思ひます。津島君の伝言は其辺の事には及んで居りませぬが、私は大層嬉しく承り、更に只今申上げましたやうに昔の事を懐ひ起しました。処が丁度今日当銀行の総会がある。よい機会であるから此等のことを申上げよう。第一銀行の昔は斯る有様であつた、と云ふことを申上げようと考へた次第でございます、序ながら、シヤンド氏が如何なる人であるかに付て申上げたいと思ひます。度々でもありませぬが、シヤンド氏が大蔵省の検査官として、第一銀行の検査の為に来て、初めの間ですから殊更丁寧に訊くのです「斯う云ふ新しい預金があるが、此の人は一体どう云ふ資格のある人か知つて居るか」などゝ質問します。詳しく知らぬから「其事は分らぬ」と申したのもあります、「いやそれは斯う云ふ訳である」と答へた事もありませう、さう一つ一つ事細かに聞くではありませぬが時々質される。それで或る場合に記憶に任せて答をする。それを先生帳面を持つて居つてちやんと書留めて置く。私はそんなことは知りませぬから、次の検査のときにきかれると、又記憶の儘に答へます。すると「いや貴方の言ふことは違ひます。此前には斯う云ふ答であつた。今日は斯く言はれる。何れが正しいのであるか」一本やられて大に閉口しました。(笑)
私は昔から間に合はせを云ふことが嫌ひであつたから、勿論嘘を言ふたのではなかつたけれども、シヤンド氏から詰問を受けて大に赤面したのであります。それくらゐに中々念を入れて、検査をやつて呉れました。
最後に今一つ申上げます。シヤンド氏は寄せ算をするのが大変に早いとか云ふて居りましたが、それでは算盤と何れが早いか競争しようと云ふことになり、今の頭取が算盤を以てシヤンド氏に対抗しました。其結果シヤンド氏より此方の方が早かつた。するとシヤンド氏が「算盤は早かつたけれども、私は一人でやる、お前の方は二人だから本当の勝負は分らぬ」と云ふて負惜みでもないでせうが、笑ひ話のあつたことなどもあります。
是等は物々しいお話ではありませぬが、前に申上げた四・五箇条の考へ方は、今も現頭取なり重役諸君が、御心付下さつても決して差支ない、時代が違つたからそんな必要はないと云ふことは、よも仰しやるまいと思ひます。(拍手)
何等株主諸君を裨益するお話ではありませぬが、唯六十年の昔は斯うであつたと云ふことを、一昨日津島君がシヤンド氏の伝言を齎して来られた為めに想起し、此総会を機会に、シヤンド氏のことを申上げ、古い想出を一言皆様のお耳に達したのでございます。(拍手)
  ○右総会ハ第六十六回定時株主総会ナリ。


集会控 自昭和四年七月一日(DK500040k-0008)
第50巻 p.246 ページ画像

集会控 自昭和四年七月一日 (渋沢子爵家所蔵)
 ○昭和四年
七月二十六日 (金) 後二 第一銀行定時株主総会 銀行集会所
  ○中略。
十一月 八日 (金) 前十一 第一銀行ニ御出向