デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2023.3.3

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 株式会社第一銀行
■綱文

第50巻 p.253-258(DK500042k) ページ画像

大正6年―昭和6年(1917-1931年)

栄一、当行頭取辞任以後、歿年ニ至ルマデ、相談役トシテ、努メテ当行ノ年賀式及ビ株主総会等ニ出席シテ、演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第五〇九号・第一〇三頁昭和六年二月 青淵先生動静大要(DK500042k-0001)
第50巻 p.253 ページ画像

竜門雑誌  第五〇九号・第一〇三頁昭和六年二月
    青淵先生動静大要
      一月中
廿六日 第一銀行定時株主総会(同行)


株式会社第一銀行第七十期昭和六年自一月一日至六月三十日営業報告書 第七頁刊(DK500042k-0002)
第50巻 p.253 ページ画像

株式会社第一銀行第七十期昭和六年自一月一日至六月三十日営業報告書
                          第七頁刊
    庶務要件
○上略
一、一月廿七日取締役頭取佐々木勇之助氏取締役頭取ヲ辞任シ、取締役副頭取石井健吾氏頭取ニ就任シタルニ付、同日其旨ヲ地方庁経由大蔵大臣ニ届出デタリ
一、同日佐々木勇之助氏当行相談役ニ就任シタリ
○下略


昭和六年一月廿六日於第一銀行定時株主総会 頭取佐々木勇之助氏退任挨拶・渋沢子爵並阪谷男爵挨拶 第一―一二頁刊(DK500042k-0003)
第50巻 p.253-257 ページ画像

昭和六年一月廿六日於第一銀行定時株主総会
頭取佐々木勇之助氏退任挨拶・渋沢子爵並阪谷男爵挨拶
                        第一―一二頁刊
    頭取佐々木勇之助氏辞任挨拶
本日の総会は是で相済みましたが、此機会に於て一言申上げたいことが御座います、夫れは外でもなく私一身上の事でありまして、株主総会に御詢りする事柄ではないのでありますが、私は明治六年第一国立銀行の創立当時より今日に至る迄、引続き当銀行に勤務致し、且大正五年七月よりは不肖の身を以て、渋沢子爵の後を承け、十五年間頭取の重任を辱うし、今日迄大過なく経過することを得ましたのは、一に前頭取にして当銀行の相談役たる渋沢子爵の御指導と、株主各位の御
 - 第50巻 p.254 -ページ画像 
信任と、内外各方面の御援助に依ることゝ深く感謝する所であります然るに私は本年已に七十八才の老齢に達しましたから、此際現職を辞したいと存じまして、過日其事を取締役会に申出で御諒解を得たのであります、右に就きましては、或は金解禁後僅に一ケ年経済界も未だ安定せず、世上一般不況の折柄辞職するは当を得ずとの御説があるかも知れませんが、当銀行には学識経験倶に備はりたる立派な候補者もあり、且前頭取渋沢子爵が御退職の際に言はれました通り、法人組織の会社の重役は、一人が何時迄も其席を塞いで居るものでないと思ふのであります、故に私は七十歳に達しました時、御免を蒙る積りで其事を渋沢相談役始め、同僚の方々に申出でたのでありましたが、生憎其年に東京に大震火災があり、兜町の本店を始め市内の支店も火災に罹りたるもの多く、其善後の処置に従事致しました為めに、素志を実行する能はず、其後三・四年前にも辞職の事を申出ました所、私の恩師として尊崇する所の渋沢子爵より、足下も幸に壮健であるから自分の退職したる年齢、即ち七十七歳迄は是非勤続する様にとの御懇切なる御諭しもあり、又同僚の重役諸君よりは、今本店は丸ノ内に新築することに決定して居るから、此建築が落成し其御披露を済ませる迄在職せよ、と御親切なる御勧告がありました為めに、其御厚意に従ひ今日まで勤務致した次第であります。
又経済界に就ての御懸念は御尤でありますが、昨今大分落付いて参りました様に見受けられますのみならず、当銀行は渋沢子爵の方針に依り、堅実を旨として経営致しました為めに、目覚しき発達を見る事は出来ませんでしたが、法定準備金は已に満額に達し、別途準備金も今期の分を加へますと七百六拾五万円となり、預金に対する支払準備金も常に豊富に備へ居るのみならず、所有有価証券の如き昨年来の価格暴落に遭ひましても、尚相当の余地を存すると云ふ有様でありますから、仮令経済界に如何なる事がありましても、決して御心配のことはないと信ずるのであります。
又頭取の後任に就ては取締役会にて互選する訳でありますが、現任副頭取石井君の如きは私と違ひ本筋の学問を為された方で、当銀行に勤務せらるゝこと卅有余年、知識経験に富み事務に精通し、同業者間に於ても重きを為し、現に東京銀行集会所の副会長及東京手形交換所の理事に選任せられて居る方でありますから、誠に適当と存ずるのみならず、尚ほ常務並に部長、各支店長等は皆な銀行の事務に熟達せる人でありますから、私が去りましても当銀行の営業には何等の差支へなきのみならず、益々光彩を発せらるゝことゝ信ずるのであります。
右の如き次第にて私は辞職致しますが、私は多年当銀行に勤務致し厚き御恩を蒙つて居るものでありますから、今後は一株主として皆様と共に当銀行の繁栄を計りたいと存ずるのであります。
玆に辞任に当りまして、皆様方の多年の御眷顧に対して厚く御礼を申述べ、御挨拶と致します。
永々御清聴を煩はしまして甚だ恐縮に存じます。

    阪谷男爵挨拶
 - 第50巻 p.255 -ページ画像 
私は甚だ僭越でございますが株主の一人として、只今の佐々木頭取のお言葉に対して一言御挨拶を申上げたいと思ひます。
頭取の御辞任と云ふことは誠に残念に存じまして、幾重にも御留め申上げたいのでありますが、既にそれぞれ御決心をなされて、又前頭取の七十七におやめになつたと云ふ例を追はれておやめになると云ふことでありますれば、此上御留め申す言葉もないのであります。併し既往を考へますと、明治六年以来、第一国立銀行の時代、其営業満期後第一銀行の時代を通じて六十年、其間前頭取を助けられ、最後の十五年間は頭取として此銀行の御経営に当られた訳であります。殆ど本銀行が出来ましてから百二十回の決算、悉く佐々木頭取の目を通さないものはない。又本銀行創立の最初に於きましては、当時小野組の失敗の為に弐百五拾万円の第一国立銀行の資本を百万円減じて、百五拾万円を以て経営を開始されたのでありますけれども、其以来何等の蹉跌なく、株主と致しましては誠に充分なる配当を年々頂戴致し、又或る場合には積立金を御分配下さいまして、新株の払込に充てると云ふやうなこともありまして、世間の浮沈多い会社銀行多数あるに比較致しまして、吾々は誠に此銀行の株を持つて生計をも安心して支へ得た訳であります。且つ此銀行は独り株主に対して篤きばかりではなく、国家に対しましても銀行の手本として、政府が明治六年に初て日本に此株式組織の銀行をお許可になつて、此銀行が当初百五拾万円の資本より今日は五千七百五拾万円即ち三十八倍となり、又積立金六千四百八拾五万円を資本金に加ふれば壱億弐千弐百参拾五万円即ち八十一倍からの資本増加であります。誠に政府が銀行の手本として創立を許可した其任務を能く果されたことゝ存じます。独りそれのみならず此銀行に就ては毫も不安のことなく、只今の御報告に依つても、預金に対しては充分なる準備金が用意してある、余つた金は日本銀行にも預金がしてあると云ふやうな、誠に堅実なやり方であり、又此銀行の営業は或る一部に偏することなく、信用ある人確実なる事業に対し、常に金融を平らかにすることを主義として居られますから、突然急に引締めを受けると云ふやうなことはありませぬ、実に完全なる商業銀行の模範であります。既往六十年間の資金の運転高は幾百億に上りましたらう、其高の多いだけ国家も国民も利益を得て、我邦経済上の進歩発達を大に助けて居るのである、直接間接に第一銀行に依つて成功した人も無数にある、国も富み個人も利益して居る訳であります。又独り個人の取引のみならず、或は大蔵省出納局の出納を取扱ひ、或は明治十一年我邦初ての公募公債たる起業公債千弐百五拾万円の募集に尽力し或は日清戦争、或は日露戦争の軍事公債募集に尽力し、其他事ある毎に国家の為に率先して奉公されたのであります。又朝鮮半島の金融機関として特に尽力し、其れが為に銀行としては感状をも政府から御貰ひになつて居る。政府から感状をお貰ひになつて居る銀行は、殆ど他にないと思ふ。是は前頭取の時代であつたでありませうが、現頭取其他重役諸君が当時共に御勉励下さつた其為であらうと思ふのであります。其外に地方若くは会社或は個人としての感謝状は無数にあると思ふ。実に既往を顧みますると株主として御礼を申上げるばかりではな
 - 第50巻 p.256 -ページ画像 
い、国家としても御礼を申上げて、敢て差支なからうと思ふ位に存ずる次第であります。今日の此不景気の際にも拘らず、本銀行は此の如き立派な建物も出来て、さうして前頭取は九十二歳、又現頭取は七十八歳、お二人共尚此銀行の後見をして頂くと云ふことは、世界に類のない、銀行の歴史の上に於て、此の如き目出度事は殆ど他にないと思ふのであります。今後新頭取に於ては之までの方針を継ぎて、其営業を益々堅実にせられることゝ存じます。吾々誠に株主として安心を致す次第であります。一言佐々木頭取の御退任に際しまして、私は株主として御礼を申上げて置きます。(拍手)

    渋沢子爵挨拶
かゝるお席に於て皆様にお目に懸かりますことは、此上なく愉快に且つ光栄に思ふのでございます、私はもう九十二歳になりますから、歯も無くなり声も嗄れまして、申上げる事も甚だ不徹底でございますけれども、余り心嬉しいので一言の喜びを申述べたいと思ひます。皆様には御迷惑でもどうぞお許を願ひます。(拍手)
命長ければ恥多し、と云ふことを能く世俗に申します。或る場合にはさう云ふこともないとは言はれませぬ。甚しきはまだ自分より大分年少と思ふ人の死亡のお悔みに行かなければならぬと云ふことも毎度ある。斯る場合には命の長いのが却て愁傷の原因となります。併し今日の如く此銀行が斯くまで繁昌し、尚行末長く継続して、独り株主個人の利益のみならず、大きく申せば国家社会の幸福を増すことが出来得ると思ひますると、是くらゐ嬉しい事はありませぬ。
併し事業の成否は全く人に在りて存するので、只今此席で詳細に本行前季の計算の報告をなさつた佐々木頭取は、私が此銀行を創立致しました明治六年頃から引続き勤務せられ、其初は別に銀行と云ふ名でなく三井・小野・島田といふ当時の豪商の組合で、大蔵省の出納事務を取扱ふ一局部の事務員であられた。其年齢は私が三十三・四歳の時でありましたから、まだ二十歳未満であつた。日本に於ける銀行の創設は大蔵省に於て特に心配せられ、帳簿の記載計算の仕組にまで百事西洋式にせねばならぬので、佐々木君のみならず熊谷・野間・本山・長谷川などゝ云ふ人々が一緒になつて、英吉利人のシヤンドと云ふ人を師匠にして練習をしましたので、此銀行の基礎立つた経営に相成つたのであります。而して佐々木君は其時分英書を読まれたかどうかは存じませぬが、簿記計算のことは一番早くお練習になつた。日本の算盤もお達者であつたが、西洋式の計算にも早く精通された、誠に優れた強勉家でありましたので、行末頼しき方と思うて新銀行に御迎へしたのは、回顧すれば玆に殆んど六十年、実に兄弟も啻ならぬやうな有様で懇親に交際致しました。且つ今日の如く第一銀行が堅固にして、且つ雄大に進んで参りましたのを見ますると、矢張り業務は其当初の計画も必要であるが、詰り当事者に在ると云ふことを深く感ずるのであります。只今の御演説中に当銀行の現状を詳細に御明示せられましたが、総て精確にして且注意厚き経営と、私は別して感佩致します。又是迄も辞職したいと思うた時もあつたが渋沢が反対したと云ふお言葉
 - 第50巻 p.257 -ページ画像 
がありましたが、其通りで今日も猶ほ何だかもうちつと勤続して貰ひたいやうな気が致しますけれども、さう云ふ私も実に老耄れてしまつたから、自分の身を顧みると、最早此上お引留め申す訳にも参りますまいと思ひます。且つ追々に新陳代謝して行くも亦一方からは人を進める方法でありますから、此点から見ても亦已むを得ぬものと考へて私は此度はお引留を申さずにしまつたのであります。どうぞ皆様にも左様にお考を願ひたいと思ひます。
六十年の昔を顧みますると、何だか或る場合には、大変遠いやうに思ひます、又或る場合には、昨日今日の事のやうな感じもありまして、甚だ得手勝手のものでありますが、それが即ち人情と思ふのでございます。
幸に本行も創業以来種々の変遷はありましたが、さしたる困難もなくして斯かる発達を遂げて、其初め株式組織とはどう云ふものか、株式会社と合名会社との差別すら、学問的にはつきりと解つたとは申上げられませぬ私共が、本行の如き株式会社の先達として、斯様に進んで参ることの出来ましたのは、畢竟皆様の如き好い株主の存する為であると思ひます。どうぞ末長く皆様の御後援に依りまして、本行の弥益繁盛を見るやうに致したいものと深く希望致します。佐々木君の御報告に対する御挨拶と共に、九十二歳の老人が昔を顧みて、一言皆様に未来の懇願を致す次第であります。(拍手)


集会控 自昭和四年七月一日(DK500042k-0004)
第50巻 p.257 ページ画像

集会控 自昭和四年七月一日       (渋沢子爵家所蔵)
○昭和六年
一月一日  (水) 前十 第一銀行年賀式 同行
  ○中略。
一月廿六日 (月) 後二 第一銀行定時株主総会 同行
  ○中略。
三月一日  (日) 後五 第一銀行旧新頭取送迎会 飛鳥山邸
  ○中略。
三月十四日 (土) 後三 第一銀行支店長諸氏招待会 飛鳥山邸 子爵御病気ニテ取ヤメ
  ○中略。
七月三日  (金) 後〇―一 第一銀行ヘ御出向
            牧野内府・林男・大久保侯諸氏同行ヘ出向ニツキ
  ○中略。
七月廿七日 (月) 後二 第一銀行定時株主総会 同行


竜門雑誌 第五一一号・第九三頁昭和六年四月 青淵先生動静大要(DK500042k-0005)
第50巻 p.257 ページ画像

竜門雑誌  第五一一号・第九三頁昭和六年四月
    青淵先生動静大要
      三月中
一日 第一銀行新旧頭取送迎会(曖依村荘)


竜門雑誌 第五一五号・第五九頁昭和六年八月 青淵先生動静大要(DK500042k-0006)
第50巻 p.257-258 ページ画像

竜門雑誌  第五一五号・第五九頁昭和六年八月
 - 第50巻 p.258 -ページ画像 
    青淵先生動静大要
      七月中
廿七日 第一銀行定時株主総会(同行)
  ○年賀式・株主総会等以外ノ資料ヲ次ニ掲グ。