公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第50巻 p.258-259(DK500043k) ページ画像
昭和4年6月22日(1929年)
是日栄一、丸ノ内一丁目当行本店新築工事場ニ於ケル定礎式ニ臨ム。
竜門雑誌 第四九〇号・第七三頁昭和四年七月 青淵先生動静大要(DK500043k-0001)
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竜門雑誌 第四九〇号・第七三頁昭和四年七月
青淵先生動静大要
六月中
廿二日 第一銀行定礎式(丸ノ内一丁目同銀行建築場)
集会控 自大正一五年一一月二六日至昭和四年六月三〇日(DK500043k-0002)
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集会控 自大正一五年一一月二六日至昭和四年六月三〇日 (渋沢子爵家所蔵)
○昭和四年
六月二十二日 (土) 後三 第一銀行定礎式 丸の内
第一銀行史 同行八十年史編纂室編 下巻・第一二八―一三一頁昭和三三年七月刊(DK500043k-0003)
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第一銀行史 同行八十年史編纂室編 下巻・第一二八―一三一頁昭和三三年七月刊
○第四篇 第二章 金解禁及び世界恐慌と当行(昭和五年―昭和六年)
余録 丸ノ内本店の建物について
丸ノ内に本店新築のため敷地を購入したのは震災の翌年、大正十三年であつたが、此地には電気局のバラツクが建ててあり、立退きが捗らなかつたため着工が遅延して、地鎮祭が行われたのは昭和三年一月十六日、工事が進められて竣工したのは五年十月であつた。翌十一月支店長会議に佐々木頭取は詳細にわたつて説明している。
扨テ当行ガ此処ニ本店ヲ建築スルコトニ定メマシタノハ、大正十二年大震災ニテ兜町ノ本店ガ火災ニ罹リマシタ際、一時有楽町ノ三菱ノ家屋ヲ古河電気工業会社ヨリ復借リシテ、仮営業所ト致シテ居リマシタガ、其間時折リ日本橋ノ大通リヲ越ユルト、何カ深川ヘデモ行ツタ様ノ感ジガシタノデアリマス、且其頃ヨリ丸ノ内ニハ大会社ノ建築ガ続々出来ルノデ、兜町ハ本行発祥ノ地デハアリマスケレドモ、土地ハ借地デモアリマスカラ、寧ロ丸ノ内ニ地ヲ卜シテ新築スル方ガ将来ノ為メニ利益ト考ヘ、三菱会社ヘ相談シタル所、第一銀行ガ建築スルナラバ相当ノ土地ヲ譲渡シテモ宜シイト云フコトデアリマシタカラ、早速協議ノ上、此土地ヲ約千坪程譲受ケ、新築ノ考ヲ決定シタノデアリマス。然ルニ其後ニ至リ区劃整理ノ為メ、此場所ハ大手町通リノ丸ノ内一丁目一番地トナリマシタカラ、当銀行ノ本店所在地トシテハ場所ト云ヒ町名ト云ヒ誠ニ申分ナキ最好ノ土地ヲ得タ訳デアリマス。併シ、此場所ハ電気局ノ「バラツク」ノ家屋ガ建テヽアリマシテ、容易ニ立退イテ呉レナイ為メ、自然建築ノ着手ガ後レタ訳デアリマス。
○中略
初めは構造計算並びに製図を昭和二年十一月中に終り、翌三年一月
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工事に着手する予定のところ、実際の着工は稍それよりおくれたが、昭和五年十月に竣工した。
○中略
定礎式は四年六月二十二日であつたが、正面玄関左側の大柱下に左記のものが蔵められた。
一、新築概要一部
一、新築平面図十一葉
一、第一銀行五十年小史一冊
一、営業報告書一部
一、行員名簿一部
一、斎主祝詞
一、定礎式銘
一、新聞紙三種(朝日新聞・時事新報・中外商業新報)
これらを銀の筥に納め、更に錫の箱に入れて礎石の中に埋めた。相談役渋沢栄一はこの式に臨み自ら鏝を執つた。○下略
○右ハ刊行ニ当リテ追補ス。