デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 普通銀行 2. 株式会社六十九銀行
■綱文

第50巻 p.366-371(DK500067k) ページ画像

大正6年10月7日(1917年)

是日栄一、長岡ニ於ケル当行新築落成式ニ参列シ、祝賀ノ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三五四号・第六九―七七頁大正六年一一月 ○青淵先生北越及奥羽旅行(上) 随行員 白石喜太郎記(DK500067k-0001)
第50巻 p.366-367 ページ画像

竜門雑誌 第三五四号・第六九―七七頁大正六年一一月
    ○青淵先生北越及奥羽旅行(上)
                  随行員 白石喜太郎記
 青淵先生には六十九銀行の懇請により、令夫人御同伴、同行本店新築落成式に列せらるゝ為め、長岡市に赴かれ○中略
      日程
十月六日 午前六時四十二分王子を発し、午後七時四十分長岡に着。直ちに川上佐太郎氏邸に投宿せらる。
十月七日 午前十時半六十九銀行新築落成式に臨席せられ、午後は長岡座に於ける同行の祝宴に列せられ ○中略 午後六時半六十九銀行の招宴に列せらる。
○中略
      二 長岡
 夜来の陰雨未だ晴れず乳白色の大空低く垂れたり。朝来大橋新太郎・渋谷善作・尾高氏夫人の諸氏其他の来訪ありしが、午前十時半には川上氏邸を出でゝ六十九銀行に向はる、蓋し其新築落成式に列せられんがためにして、八十島氏と共に随従す。到れば式将に開始せられんとする処にして、日下氏・尾高氏・古田氏等は既に来着し居られたり、先生には諸氏との挨拶も其処々々にして、直ちに営業室なる式場に入られたり。かくて式は直ちに始まり、先づ松井氏より開式の挨拶あり次で小畔氏起つて工事の概要を報告し、夫より知事其他の祝辞・演説あり、最後に、青淵先生は悠然壇上にたゝれ、大要左の演説をせられたり。
  頭取及閣下並に諸君、本日当銀行の新築落成式につきまして、私も参上する光栄を有しました、老年と風邪のために長い演説は出来ませぬが、折角参上しましたこと故、格別前に述べられた諸君と変つた意見もありませぬが一言祝辞を述べます。
  私は本場に臨みますと、別けて懐旧の感に堪へない次第でありますが、悲喜の情は所謂老の繰言として御容赦に預りたい、私は当銀行の創立当時より関係しまして、先刻橋本さんの御演説及頭取の当初の御演説にあります通り、吾国の銀行創立の端緒を開きました縁故としまして、当銀行も代々の頭取と御懇意に致して参りました、
 - 第50巻 p.367 -ページ画像 
殊に第一銀行と六十九銀行とは、兄弟親子の間柄を以て四十年間を経過しました、此四十年の歳月の内に段々と堅実に、且つ隆昌に進み、玆に壮麗にして輪奐の美を備へた本店の新築落成式を行はるゝに対しては、別して嬉しい感がすると云ふことは、諸君も諒とせらるゝことゝ考へます。
  当銀行は明治十一年に資本金拾万円を以て立てられてから、歴代の頭取――関矢――山田――三島――岸――松井の諸君に対し、私は及ばずながら御世話をして参りました、別けて現頭取の松井さんは何んだか自分の弟か子供の様な気がしますので、時には苦言を呈して汗をかゝせる様なこともあります、言はゞ私は当銀行に対しては、武内宿禰とでも由してよろしからうか。
  世間の仕事は独り当行の進歩に止まらず、仮に資本金の増加を以て云ふならば、都会には五十倍・百倍に増加した会社が沢山ある、要するに銀行会社の発達は歩々に進むと云ふことが肝要であつて、世に言ふ桐の成長よりも欅の成長を尊むと云ふ覚悟であらねばならぬ。当銀行は今日迄順次発展して来たことであるによつて、私は諸君と共に慶賀する次第であります。而して六十九銀行の喜びの源泉は、歴代の当事者並に行員の労苦に依るは勿論であるが、外に当行をして今日の盛大にせしめたものは、社会である、即ち銀行の御得意先であると云ふことを忘れてはならぬ。
  私は平生からかう考へて居る、銀行と云ふものは決して自分の力で許り盛大になるものではない、其地方々々の進歩に伴つて発達するものであつて、言はゞ地方の富を写す鏡である、即ち貧乏な地方を写す鏡には醜い影が写る、然るに六十九銀行のやうな堅実な鏡のあると云ふことは、即ち長岡市の誇である、当地には他の事業のみならず、石油の如き特産物を出すことに依つて、銀行は其余慶を蒙ることが多からうと思ふのであります。之れを要するに、銀行の隆昌・繁栄は、営業者の手腕に俟つものであつて、鏡の曇を磨くものは重役・行員の配慮に依らねばならぬと思ふのであります。
  私は過去五十年の歳月を回顧すると、吾国の為めに甚だ喜ぶべきことが沢山ある、尚又此度の欧洲戦争も或点に於て吾事業界に対して喜ばしいことがあるが、一歩進んで将来の一大変化をも考へねばならぬ、常ならぬことが其常に復する場合には大なる変化を免れない、即変化に因つて生じたる事は又変化を来すと云ふことを考へて喜びの中にも大に注意を要する次第であります。
  かるが故に銀行業者は常に鏡の曇を磨き、真の影を写し、一時の幻影に浮かれて自己の本務を忘れないやうに希望致します、聊か一言述べて御祝を申した次第であります。
○下略


渋沢栄一書翰 増田明六宛(大正六年)一〇月九日(DK500067k-0002)
第50巻 p.367-368 ページ画像

渋沢栄一書翰 増田明六宛(大正六年)一〇月九日(増田正純氏所蔵)
 尚々一行旅行中、平安之事近親各家へ御伝声被下度候
拝啓 益御清適是賀矣、当方一行無異昨日新潟に到着いたし候、長岡ニ於る六九本店落成式も好都合ニ相済、越後鉄道会社之案内ニて弥彦
 - 第50巻 p.368 -ページ画像 
神社参拝、及会社経営之公園一覧、午後新潟ニ着、直ニ講演会、引続き其夜銀行会社等之歓迎会ニて、不相替雑沓致居候○中略
  十月九日新潟篠田旅館ニ於て
                      渋沢栄一
    増田明六様
        梧下
(別筆)
「大正六、十、九」


渋沢栄一書翰 佐々木勇之助宛(大正六年)一〇月一六日(DK500067k-0003)
第50巻 p.368 ページ画像

渋沢栄一書翰 佐々木勇之助宛(大正六年)一〇月一六日(佐々木勇之助氏所蔵)
爾来益御清適欣慰之至ニ候、老生も先無異旅行継続いたし居候、但出立前よりの風邪尚未た全愈せす、日夜不愉快ニ起居罷在候、北越ニ於る六十九銀行本店之落成式ハ都合能相済ミ、松井氏始一同大満足ニ有之候、其後新潟・若松・郡山・福島・米沢・山形を経過し、昨夕当市ニ到着仕候○中略
  十月十六日             秋田市客舎ニ於て
                       渋沢栄一
    佐々木勇之助様
          梧下
○下略



〔参考〕渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛(明治四三年)一〇月二〇日(DK500067k-0004)
第50巻 p.368 ページ画像

渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛(明治四三年)一〇月二〇日(松井三郎氏所蔵)
草翰拝読 益御清適奉賀候、過日御出京之節ハ乍例匆卒之拝接ニ打過き欠敬之至ニ候、其際御相談有之候六十九銀行頭取承継之一案ニ付而ハ、御帰岡後長部君始同行重役会ニ於て篤と御評議之末、東京ニ於て御内議之趣旨ニ御一決相成候由御垂示拝承、先以円満之解決と存候段慶賀此事ニ御坐候、尚不相替御懇親之程従是も拝願仕候
右ニ付而ハ愚見之要点、特ニ長部君ヘハ一書申上候方とも相考候得共余り立入候行為と存し差扣申候間、賢台より呉々宜敷御伝声可被下候又遠藤君ヘも別ニ御答不申上候ニ付、是又御申伝へ被下度候、右不取敢拝復如此坐候 匆々敬具
  十月廿日                渋沢栄一
    松井吉太郎様
          拝答
「長岡市西神田町」 松井吉太郎様 拝復親展 渋沢栄一
十月廿日



〔参考〕渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛(明治四五年)五月二日(DK500067k-0005)
第50巻 p.368-369 ページ画像

渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛(明治四五年)五月二日(松井三郎氏所蔵)
 - 第50巻 p.369 -ページ画像 
拝読 益御清適奉賀候、過日御出京之際ニハ乍例匆卒之御接待いたし欠敬此事ニ御坐候、其節御内話之件ニ付而ハ、御帰任後長部・小畔両君とも種々御相談被下、当方之意向も御申通被下候由拝承仕候、老生も其中尚佐々木氏と申談し、何か新案ニても相生し候ハヽ早々申上候様可致候、本件ニ付而ハ精々秘密を守り、新聞紙等ヘ相洩候事共無之様御注意専一と存候、当地ニても精々相慎可申と存候、右不取敢拝復如此御坐候 不宣
  五月二日                渋沢栄一
    松井盟兄 坐下
          侍史
「長岡市六十九銀行」 松井吉太郎様 拝答親展 「東京日本橋区」 渋沢栄一
五月二日



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正二年(DK500067k-0006)
第50巻 p.369 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正二年        (渋沢子爵家所蔵)
一月二十九日 雨 寒
○上略 松井吉太郎氏ノ来訪ニ接シテ、六十九銀行ノ事ヲ談ス○下略



〔参考〕渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛(大正二年)一二月二五日(DK500067k-0007)
第50巻 p.369 ページ画像

渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛(大正二年)一二月二五日(松井三郎氏所蔵)
拝読 爾来益御清適御坐可被成奉賀候、然者過日御出京之際、御内話被下候貴行資本増加之一案ニ付而ハ、其後貴地ニ於て重役諸君と御協議之処、一同賛成せられ近々実施之御運ニ可相成趣来示拝承、至極適当之御施設と奉存候、当節各地同業者間之資本増加ハ、流行とも可申勢ニ相見へ候も、是以一般事業之拡張必然之趨勢と可申候ニ付、決而世間ニ衒ひ候訳ニハ無之と存候、右拝答旁一書如此御坐候 敬具
  十二月廿五日              渋沢栄一
    松井賢台
       拝復
 尚々貴行重役諸君ヘ貴兄より宜敷御伝声被下候様頼上候也
越後国長岡市 第六十九銀行ニテ 松井吉太郎様 拝答親展 東京日本橋区 渋沢栄一
十二月廿五日

 - 第50巻 p.370 -ページ画像 


〔参考〕集会日時通知表 大正四年(DK500067k-0008)
第50巻 p.370 ページ画像

集会日時通知表 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
二月十七日 午後五時 長岡銀行渋谷善作氏ヨリ御案内(新喜楽)



〔参考〕集会日時通知表 大正五年(DK500067k-0009)
第50巻 p.370 ページ画像

集会日時通知表 大正五年        (渋沢子爵家所蔵)
九月十四日 木 午前七半 第六十九銀行重役来約(飛鳥山邸)
        午後五半 六十九銀行ヨリ御招待(トキワヤ)
九月十五日 金 午後五時半 第一銀行ヨリ第六十九銀行重役ヲ御案内(トキワヤ)



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正九年(DK500067k-0010)
第50巻 p.370 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正九年          (渋沢子爵家所蔵)
二月十二日 晴 寒
○上略 松井吉太郎氏来リテ六十九銀行ノ事ヲ談ス○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK500067k-0011)
第50巻 p.370 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一〇年         (渋沢子爵家所蔵)
一月二十四日 晴 寒
○上略 朝飧中松井吉太郎氏来訪ス、六十九銀行ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
二月十四日 晴 寒
○上略 朝食畢リテ小畔亀太郎・近藤勘次郎二氏来訪、六十九銀行ノ事ヲ談ス○下略



〔参考〕渋沢栄一書翰 佐々木勇之助宛(大正一〇年)一〇月二日(DK500067k-0012)
第50巻 p.370 ページ画像

渋沢栄一書翰 佐々木勇之助宛(大正一〇年)一〇月二日(佐々木勇之助氏所蔵)
○上略
六九銀行合併ニ関する条件ニ付、久須美氏より之提案ハ別紙之通ニて既ニ御手許ヘも差出候趣ニ候へとも、為念封入進呈仕候、御査閲可被下候
右書中可得芳意如此御座候 敬具
  十月二日                渋沢栄一
    佐々木賢台
        梧下



〔参考〕渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛 未詳年五月一九日(DK500067k-0013)
第50巻 p.370-371 ページ画像

渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛 未詳年五月一九日(松井三郎氏所蔵)
尊書拝読 然者先般御出京之際御内話有之候両銀行合併談ハ、其後久須美氏ヘ懇々申談候処、同氏ハ頗る同意之由ニて、機会を以て山口其他ニ話合、其模様可申出との事ニ有之、此程石油会社金融談ニ付、山口氏同行第一銀行ヘ被参候際内話之趣ニてハ、既ニ山口ヘも一寸通し置候得共、直ニ同意とも相答不申、条件次第といふ口振ニ付、此上ハ両行之内容ニまて立入、其合併之方法ニ見込相立相談相試候様致度と申居候、依而老生相答候ハ、右等ハ久須美氏ニ於て見込相立、老生まて内々申越候ハヽ其上ニて取計方も可有之と打合置申候、御含置可被下候
 - 第50巻 p.371 -ページ画像 
又先日ハ岸・長部両氏も出京ニ付、一夕拙宅ヘ案内し、牧口・渡辺嘉一氏抔相会し小宴相開き、其節も合併談ハ夫となく話し置候義ニ御坐候、右様之都合ニ付其中久須美氏より申出候ハヽ、早々貴案も相伺候様可仕候
右拝答まて匆々如此御坐候 不一
  五月十九日
                       渋沢栄一
    松井吉太郎様
         拝答
 尚々日本石油会社ヘ之金融談ハ、金高三拾万円利足年八歩弐ケ年間ニ割済と申事ニ相談仕候、御含まて申上候也


〔参考〕渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛 未詳年九月二六日(DK500067k-0014)
第50巻 p.371 ページ画像

渋沢栄一書翰 松井吉太郎宛 未詳年九月二六日(松井三郎氏所蔵)
○上略
六九・長岡両銀行合同談も思ふ様ニ不相運残念千万ニ御坐候、詰り山口抔ニ異論有之事と存候、其中機会も有之候ハヽ、成功せしめ《(度脱)》ものニ御坐候
○中略
  九月廿六日
                    渋沢栄一
    松井吉太郎様
         梧下
 尚々岸・小畔其他之方々ヘも御伝声頼上候也