デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.438-440(DK500092k) ページ画像

明治44年1月27日(1911年)

是日栄一、東京銀行集会所第六十一回通常総会、銀行倶楽部第十四回定時総会ニ出席シテ議事ヲ司宰シ、次イデ開カレタル、前銀行倶楽部副会長豊川良平ノ慰労会ニ臨ミテ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK500092k-0001)
第50巻 p.438 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年       (渋沢子爵家所蔵)
一月二十七日 晴 寒
○上略 五時銀行集会所ニ抵リ定会ヲ開キ、後豊川氏ニ対スル慰労宴会ヲ開キ、一場ノ食卓演説ヲ為シ、夜十一時帰宿ス、此夜会スル者頗ル多ク、無慮百二十人計ナリキ


銀行通信録 第五一巻第三〇四号・第五九―六〇頁明治四四年二月 ○録事(DK500092k-0002)
第50巻 p.438-439 ページ画像

銀行通信録 第五一巻第三〇四号・第五九―六〇頁明治四四年二月
 ○録事
    ○東京銀行集会所第六十一回通常総会
明治四十四年一月二十七日午後五時二十分開会、出席銀行四十五行、人員五十一名にして、会長男爵渋沢栄一君議長席に着き、明治四十三年下半期事務報告書、同決算及明治四十三年末財産目録は異議なく承認を得、明治四十四年上半期予算案、並に定款の適用に関し総会の承認を求むる件は原案の通り可決し、理事(会長一名、副会長二名)満期改選の件は全会一致を以て会長に渋沢栄一君の重任を請ひ、副会長
 - 第50巻 p.439 -ページ画像 
は会長の指名を以て早川千吉郎・松方巌二君を推選することゝなり、次に前任副会長豊川良平・園田孝吉二君に感謝状及紀念品を贈呈することゝし、紀念品の選定、調製及び贈呈に関する一切の件は挙て役員に一任することに決し、右にて議事を終り、午後五時四十分閉会せり
○中略
    ○銀行倶楽部第十四回定時総会
銀行倶楽部にては、一月二十七日午後五時四十五分より第十四回定時総会を開き、早川委員長病気欠席に付、渋沢男爵代りて議長席に着き明治四十三年中事務及決算報告の承認を得、委員満期改選の件は前例に依り現任委員長の指名に一任することに決し、右にて議事を終り、午後五時五十分閉会せり
○中略
    ○豊川良平氏慰労会
東京銀行集会所・東京交換所及銀行倶楽部三団体にては、一月二十七日午後六時より多年各団体の為めに尽瘁せられたる三菱合資会社管事豊川良平氏を、銀行倶楽部に招待して慰労会を開きたり、当日出席者は百十余名の多数に上り、宴酣なる頃、渋沢男爵一同を代表して挨拶を為し、之に対し豊川氏より謝辞を述べ、次に松尾日本銀行総裁の発声にて豊川氏の万歳を三唱し、終りに山本勧業銀行総裁一場の懐旧談を為し、夫より席を別室に移し一同歓談の上、午後十時散会せり


銀行通信録 第五一巻第三〇五号・第三一―三四頁明治四四年三月 ○豊川前副会長慰労会演説(一月二十七日) 渋沢男爵の演説(DK500092k-0003)
第50巻 p.439-440 ページ画像

銀行通信録 第五一巻第三〇五号・第三一―三四頁明治四四年三月
  ○豊川前副会長慰労会演説        (一月二十七日)
    ○渋沢男爵の演説
閣下並に諸君、今夕は銀行集会所・手形交換所・銀行倶楽部の三団体が申合せまして、今般御栄転から銀行の資格をお脱しになつた豊川君が、従来銀行界に容易ならぬ御尽力を下された労を慰する為に、玆に宴を開きました次第でございます、主賓たる豊川君は御用多の中にお繰合下されまして御臨場を辱う致しましたは謹んで謝する所でございます、殊に今夕の此会は打揃ふた大集会でありまして、貴賓に対する御互一同の熱誠が玆に表白し得られたやうでございます、蓋し此熱誠の表白し得られたことは我々の尽力とは申されぬで、即ち貴賓たる豊川君が是まで集会所・交換所・倶楽部に対して其功労が多かつたことは、今夕御出席の多数なるを見ても喋々を要せぬことゝ思ふのでございます、併し此席上に於て会員を代表致しまして、一言貴賓に対し謝辞を呈するは最も適当の時機と考へ、又私が此席を汚した名誉として申上げなければならぬのでございます、但し私は既に二十日に交換所のことに関して謝辞を申し、又十九日にはお招きを受けまして、日本銀行総裁のお言葉に附随して個人として従来誼を辱うした謝辞を述べましたから、幾度も同じやうなことを申上げるは聞く方々も御迷惑と考へます、然し乍ら斯の席に於て貴賓に慰労の辞を呈することは、即ち三団体を代表して申上げなければならぬと考へますから、玆に重複を顧ず一言駄弁を費さうと思ひます
私共が豊川君と交誼を辱うしましたことは、玆に二十二年でございま
 - 第50巻 p.440 -ページ画像 
す、其間は多少説を異にしたこともござりませう、又同君の御注意を賛成し事の成功を期したこともございませう、又同君が我々と説を異にしてそれではならぬと憤られたことが或は有るかも知れませぬ、人各々考の異なることは免れませぬが、併し大体の方針に於ては常に其歩調を一にして、国家の為め我帝国の金融機関をして極く穏健に極く秩序的に、時機に遅れぬ発達を図ることに於ては全く其説を同うし、殊に其事には逞しい力を以て御尽力なされたと申上げても、決して御非難はなからうと思ふのでございます、此間も豊川君に対して甚だ失礼な讚辞を呈したやうでございましたが、君は或場合には極く突飛に人を覚醒すると云ふお力を有つと同時に、極く緻密に事物に行渉ると云ふお考を持ちになる、蓋し豪放なる英雄と精密なる小心家とを合したやうなお人であると申上げた私の見解は甚だ相違は致すまい、満場の諸君も此説に御同意下さると思ふ、蓋し是れが豊川君の長い間我々と交誼を厚うして、今日斯の如く多数相集つて同君を慰労すると云ふ事実であらうと思ふのでございます、集会所に対し交換所に対し倶楽部に対し、各其方面に於て尽されたことに就て玆に諄々しく重ねて申上げると、諸君をして又大切な貴賓をして御退屈を増すと思ひますから余り喋々と申しませぬ、併ながら玆に一言申上げたいのは、斯く申すと豊川君を御送別するやうな言葉になるから、私は言ひたくないと思ふのでございます、成程豊川君は其名に於ては既に銀行部の人でないと云ふことは事実でございますが、豊川君の身柄は経済界を離れたお方ではない、我々銀行者は経済界の人であるから同じ職に居る人と云つて少しも差支ないと思ふ、是から先きも豊川君は倶楽部の会員たることは聊妨げないとしますれば、此場合に於て一部の職責に於ての御送別であつて、経済家たる御身柄に於ては決して旧と異なることはないと思ふのでございます、果して然らば今日玆に喋々と謝辞を述て御送別のことを申すのは、却て同君を経済界より葬ることになつてはならぬと思ひますから、将来に其継続を望みます為に之れを避けて申上げぬ次第でございます、玆に会員一同に代つて貴賓に一言を呈する次第でございます
   ○豊川良平・松尾男爵ノ演説略ス。
    ○渋沢男爵の演説
今夕御集りの諸君は銀行業者であつて、其事業には用意周到で進んで往きたい、向不見に往くことはお互に注意すべきことであらうと考へるのであります、併しながら今日の時代が果して明治初年以来引続いて同じ歩調を以て進んで居るか、否少し緩慢なる懸念がありはせぬかと憂ふる点もあるのでございます、即ち豊川君も此点に多少感じがあるやうで、どうも活気が乏しいではないかと云ふお話があります、老人には活気のない方が宜いか知れませぬが、山本君は今豊川君を評して老壮士と仰せられた、壮士活気なくんばあるべからず、一言御意見をお述べになるさうでありますから御謹聴あらんことを希望致します
   ○豊川良平ノ演説略ス。