デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.532-535(DK500122k) ページ画像

大正3年9月29日(1914年)

是日、帝国ホテルニ於テ銀行倶楽部第百九回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第五八巻第三四八号・第一一〇頁大正三年一〇月 ○録事 銀行倶楽部第百九回晩餐会(DK500122k-0001)
第50巻 p.532-533 ページ画像

銀行通信録  第五八巻第三四八号・第一一〇頁大正三年一〇月
 ○録事
    ○銀行倶楽部第百九回晩餐会
 - 第50巻 p.533 -ページ画像 
銀行倶楽部にては九月二十九日午後五時三十分より、帝国「ホテル」に於て第百九回会員晩餐会を開き、食後早川委員長の挨拶に続きて、小田切正金銀行取締役の支那借款に関する演説あり、之に対して渋沢男所感を述べ、終りて別室に移り、日高海軍中佐及長尾陸軍中佐の戦争談を聴取し、午後十一時散会せり


銀行通信録 第五八巻第三四八号・第三一―三三頁大正三年一〇月 ○銀行倶楽部晩餐会演説(大正三年九月二十九日) 渋沢男爵の演説(DK500122k-0002)
第50巻 p.533-535 ページ画像

銀行通信録  第五八巻第三四八号・第三一―三三頁大正三年一〇月
  ○銀行倶楽部晩餐会演説      (大正三年九月二十九日)
○上略
    ○渋沢男爵の演説
来賓閣下、会員諸君、久々で当倶楽部の晩餐会が開けましたに就て、委員長から私にも一言を述べろと云ふ御委嘱でございます、時間も大分経ちましたし、且後段に日高・長尾両君の耳新しい御講話を伺ふ筈になつて居りますから、吾々の聴かんと欲する重要の御談話を私の駄弁の為に妨げることは、諸君をして倦怠の念を生ぜしむる虞があると思ふのでございます、併ながら丁度二タ月間を隔てゝ開かれた晩餐会で所謂三日見ぬ間の桜のやうに、僅かの間に世の中が変化して玆に陸海軍のお話を聴くと云ふも、即ち此桜が咲いた為ではなからうかと思ひますると、銀行者――殊に私共老人でも、勇を鼓して此時局に当らねばなるまいと思ふのでございます、遠い欧羅巴と雖も吾々の眼中に見遁す訳には参りませぬが、況や近い隣国に対しては、吾々の目に最も能く映写せねばならぬのであります、而して此近い隣国の有様は致治上又は実業上に就て、殊に吾々の本業とする、政事もしくは経済借款に関する事は、唯今小田切君の詳細な御演説で、諸君と共に所謂痒い所に手の届くやうに拝承したのでございます、嘗て新聞に散見した事もあり、又は噂に聞いた事もあり、切々に承知して居つたことが、斯の如く詳細に数を挙げ要を摘んで説明されたのは、実に小田切君あつて始めて斯く明瞭し得たと云つて宜からうと思ひます、所謂支那通の小田切君たる所が事実に於て確められたと思ひます、斯る詳細なる御講演に附加へて申上げるではございませぬが、小田切君のお話になつた支那に於る鉄道の中に、帝国は如何なる関係があるかと云ふことは流石の支那通も言ふを憚つたやうに存じます、思ふに是は言はぬ方が宜からうと云ふ御考であらう、併し私はそれを知つて居りますから少し申上げたいのであります、即ち今小田切君が数多くお算へなすつた中に、日本の関係して居る鉄道は無いでも無い、現に一昨年上海から杭州へ行く滬杭鉄道に就て、大倉組の手で少しばかり金を貸したことがあります、併し是は直に其貸金を返されましたから今日は関係が切れたのであります、其他には江西鉄道と云ふ潯陽から南昌へ往く鉄道である、是は良い鉄道ださうで、現に東亜興業会社が関係して八十哩余の建築に向つて七百万円程の資金を供給した、今小田切君の言はれる如く、完全なる担保になつて居るか居らぬか知らぬが、相当なる契約に依つて借款が成立して居ると思ふ、是は聊かながら日本の勢力が鉄道に及で居る、それから前内閣で心配をして蒙古鉄道に関係がある、所謂姚南鉄道と称するものである、併し是は協議は調うても着手
 - 第50巻 p.534 -ページ画像 
はしてゐない、而して是は南昌鉄道と違つて、政府が経営するものと聞て居る、私の聞及んだ日本の関係する鉄道は残念ながら是だけである、或は尚此外にあるかも知れぬが私の寡聞之を知らぬのを遺憾とする、右の如き有様であると、小田切君のお話の如く他の国の力に依つて支那に鉄道が出来れば其便利に依つて自国の品物が売れると云ふて満足し得るかも知れませぬが、是は随分不安心のことである、一例を挙ぐれば其利益ある場所に就ての関係は、如何に同盟国の英吉利でも長江筋に於て日本人の事業が発達すると日本人を嫌ふと云ふことは事実である、故に日本の隣国に対する力殊に金融に対する点が他に比較し得られざる嫌あるにもせよ、斯の如き有様には吾々安ずることは出来ないと、独り私が思ふばかりではない、満堂の諸君が必ず思ふであらうと信ずるのであります、斯の如く形勢が甚だ急激に変化して、其要件が目の前に横つて来ると云ふても宜い時局に於て、現に山東鉄道の如きは此末如何に処分すべきかと、吾々大に思慮を要するのであります、故に今小田切君の御講話に対しては単に隣国の有様を申述べる大体の論理を説明すると云ふことに止めずして、実地問題として近い未来に御同様力を併せて九月二十九日の夜帝国「ホテル」の晩餐会に斯う云ふ話があつたが、愈々事実に現はれたと云ふやうにありたいと私は希望するのであります(拍手)、私は玆に支那に対する接触の事、即ち支那人との待遇に付て一の愚見を申添へて置きたいと思ふのであります、此間亜米利加のアダムスと云ふ人が拙宅に参られて、昨年の十月から支那に聘用せられ任満ちて帰国すると云ふので、支那人の性格、支那に対する処置に付て色々意見を述べられ、又私の意見も徴されたのであります、談話の末彼問ひ我答へ種々相互の意見を交換しましたが、支那人に対する待遇如何と云ふことに付ては其判断に苦む問題がある、私が本年五月支那に参つて一箇月許の経過中に、我邦より在留する人々に聴きますると、支那人に対しては商業道徳などを講じても駄目だ、仁愛の情、忠恕の心を以て臨むと云ふよりは、寧ろ卑近な言葉で云へば一方の手には拳固を持ち、一方の手には弗を持つて臨むが宜い、言換へれば恩威の二つならでは附合が出来兼るやうに思ふと云ふのが多数であつた、私は又人に対する道は唯恩威のみではない仁愛、忠恕がなければならぬ、仮令支那人が其人でないとしても、其念慮を以て接触すると云ふことが人に対する道であると思ふと答へて置きました、ところが到る処の議論が、どうもさう云ふ考で支那人に待遇すれば必ず事を誤ると云ふのが三十日間旅行中の輿論でありました、而して米国人アダムス氏に会つて其意見を聞て見ますると、支那人は事物を任せると云ふことは出来ない性質がある、併し果して恩威のみを以て接遇することが適当とは自分も思はぬ、やはり人としての待遇は最も必要であると云ふのであります、然らば如何にして宜いかと云ふまでの討論には進みませなんだが、吾々将来追々と隣国の交際が頻繁になつて来まするに付ては、お互に考慮して置かねばならぬことであらうと思ひます、所謂恩威ばかりで足るべきか、仁愛、忠恕の情を以てすべきか、私は後者を主張して居る者でありますが、事の序でに此意見を呈して諸君の御熟考を乞ふのでございます、敢て今夕の
 - 第50巻 p.535 -ページ画像 
御討論を望むのではありませぬ、漸く関係の深くなる隣国に対して斯の如き問題を申上げ置きますのは、敢て無用の弁でもなからうかと思ふのであります、殊に今小田切君の吾々一同に向つて、どうしても他の国と比較して吾々が奮励一番せねばならぬといふ御奨励に対しては仰せにや及ぶべき、吾々も既に考へて居ります、況や直接目の前に吊下つて居る事柄が大に吾々の奮発を慫慂して居るのであります、小田切君の御注意に対しては今夕の諸君が皆御同意下さるであらうと思ふのであります(拍手)、御礼の言葉が少なくて愚見が長くなつたのは甚だ失礼でございますが、委員長の御委嘱に依つて陳謝旁々一言を述べた次第であります(拍手)


竜門雑誌 第三一七号・第六八頁大正三年一〇月 東京銀行倶楽部晩餐会(DK500122k-0003)
第50巻 p.535 ページ画像

竜門雑誌  第三一七号・第六八頁大正三年一〇月
○東京銀行倶楽部晩餐会 東京銀行倶楽部は九月二十九日午後五時半より、帝国ホテルに於て晩餐会を開きたり、青淵先生、豊川・成瀬・早川・松方の諸氏を初め、七十余名の銀行家参会したるが、席上早川委員長の挨拶ありたる後、小田切万寿之助氏の支那借款に関する極めて精細なる演説あり、之に対して青淵先生には所感を述べられたる後一同別室に入りて日高海軍中佐及び長尾陸軍中佐の欧洲戦争談を聴取し、午後十時散会したりと。