デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.538-541(DK500125k) ページ画像

大正4年1月(1915年)

栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『本年の経済界に対する予の希望』ト題スル論文ヲ寄稿ス。


■資料

銀行通信録 第五九巻第三五一号・第九―一二頁大正四年一月 ○本年の経済界に対する予の希望 男爵渋沢栄一(DK500125k-0001)
第50巻 p.538-541 ページ画像

銀行通信録  第五九巻第三五一号・第九―一二頁大正四年一月
    ○本年の経済界に対する予の希望
                   男爵渋沢栄一
歳月流るゝ如く又今年も例に依りて通信録に、本年の経済界に対する私の意見を申述べよといふ請求を受くるやうになりました、宗之問と云ふ人の古詩に「年々歳々花相似、歳々年々人不同」といふて世の推移して人の変遷の多いのを、樹木のいつも変らぬ有様に比較して支那流に文雅の詞を以て言表はした句があります、尚其次に「寄言全盛紅顔子、須憐半死白頭翁、此翁白頭真可憐、伊昔紅顔美少年」と若い人も直に老人になることを歎じてありますが、私とてもやがてその「人不同」の仲間入りをするのであらうと思ふけれども、今日は花と同じやうに当年の経済界に対する希望を言ひ得るを喜ぶのであります
実は大正三年に於ては経済界は大に改革される企望を持つて居つた、日露の戦役以後世の事物が俄に拡大され、政治に軍備に随て此実業界も其分量が権衡を失したものと見えて、始終穏健な発達が為し得られなかつた、殊更政治と軍備に力を張り過ぎた結果、数年間の事物の進歩が装飾的文明に傾いて、生産的には比較的暢び方が乏しかつたと思ふ、例を申せば軽便鉄道が延長したとか、各都市に電車が出来たとか電灯が沢山点いたとか云ふやうなことは、日露戦争前と比べると俄に面目を改めたやうである、現に東京市内の電灯などは亜米利加の大都府にも見ない程の光を放つて居るが、されば其生産力はどうであるか富の力は如何であるかと云ふと、決して電灯の光るほどに光つて居らぬやうに思はれる、詰り装飾的文明が進んで実質的文明は之に適せぬと云ふのが実際であらう、殊に政治と軍備の両方面に手が張り過ぎて国の富力を増すと云ふ方には力が欠けるやうに思ふ、随て財政はいつも堅実と云ひ難い、経済界にも絶えず不平の声が聞える、税制を整理して呉れねばいかぬ、殊に営業税の如きは商売に大害を与へるの制で
 - 第50巻 p.539 -ページ画像 
ある、又多数の人に係る所の通行税若くは塩の専売税、単に是等一・二を指していふのではないけれども、さう云ふ課税は是非とも改正したいと云ふことは、始終論じ来つて居るけれども実際には行はれぬ、内外の公債とても明治四十一年桂内閣の時には、向後二十七年で必ず償還し了ると云ふ目的は立つたけれども、唯々目的ばかりで事実は少しも行はれない為に、内外とも信用を損じて公債の価が段々低落しつつある、之に反して政費は愈々増して来る、軍費は益々太つて来る、故に数代の内閣が之を節約しやうと云ふことが問題となつて、屡々論ぜられ来つたのであるが、或は之に着手しても遂げない、又は漸く功が半ばになつた其内閣が壊れた、西園寺侯の時にも行けなかつたし、山本伯の時にも成功しない、殊に山本伯の内閣の時などは大に其節約が出来たけれども、其出来た節約の分は悉く海軍に用ゐると云ふことから、大に反対の声が高くなつたと云ふのが一昨年から昨春にかけての有様である、そこで大隈伯が起つて新内閣を組織し、今度は必ず従来の弊風を改革して口ばかりでなく事実に示す、所謂重きを財政経済に置いて真正なる改善を行ふと云ふことを標榜され、又実際もそれに力を尽され、剰余金も一億数千万円と算へられる程に此八月頃までは聞えた、故に斯の如き順序で行くならば必ず減税も出来るであらうし国債の償還も五千万に加へて償却高を増すと云ふやうになつて、所謂国本培養、富力増進と云ふことになると、大に嘱望して居つたのであります、所が意外にも欧羅巴の戦乱が起つて為に経済界に強い打撃を与へられた、就中輸出品の大宗とも云ふべき生糸の価格の俄に低落したことは、殆んど是迄生糸業の開けて以来無いと云つても宜い有様である、其他紡績も織布も其売行きを減じ、銅の如きは絶て輸出が無くなると云ふやうな訳で、商工業界に大層な困難を惹起し、更に国際上大に憂慮すべきことは、即ち東洋の安寧を維持し日英同盟の効果を益益強からしむる為に、独逸に向つて最後の通牒を送ると云ふことに成つて、それまでは遠方の火事だと思ふて居つたのが、近所に飛火がして己れ自身が火掛りをせねばならぬと云ふ場合になつて来た、吾々が此事を聞いたのは丁度八月十六日であつた、実に晴天の霹靂であつたけれども併し已むことを得ぬと思つた、如何となれば若し青島が独逸の根拠地であつて、其艦隊が東洋に勝手次第に暴れられた日には貿易の安全を見ることは出来ぬ、況や我同盟国の英吉利が必死の力を以て輸贏を決すると云ふ場合になつた以上は、同盟の義を重んずる帝国の務としても外交上如何なる交渉があつたのか、其細かいことは吾々知らぬけれども、元来此度の欧羅巴の戦乱は詰り自由主義と併呑主義との争とも言ふべきものであつて、若しも併呑主義の独逸が全欧羅巴を残らず征服したならば、其余威は更に東洋に向つて厳しい圧迫を及ぼして来るに相違ない、是は帝国として堪つたものでないから、此際英国に力を添へて玆に東洋の平和を保つに努めると云ふことは適当なる政策と思つたのである、故に吾々も経済界に取つては此上もない打撃であるけれども、それ等の苦情を申しては居られぬと思ふて、所謂挙国一致の態度を以て、政治に軍事に経済に相俟ち相助けて、此困難に打勝つやうにせなければならぬと思ふたのである
 - 第50巻 p.540 -ページ画像 
右様な訳だから私は玆に断言する、我邦の経済界ほど不運なものは無い、之に引換へて軍事界ほど幸運なものは無い、若しも社会が平和で干戈を動かす等のことがなく、換言すれば欧羅巴の戦乱が生ぜずして帝国が軍事に参加すると云ふやうな必要が無かつたならば、前に申す如く大に実力培養に力を入れらるべくあつたのが、単に其御蔭を蒙むることが出来ぬのみならず、反対に大変な妨害を受けて、有価証券の価は低落する、諸物価も随て大変に暴落した、過日手形交換所の会合にて若槻大蔵大臣の演説に、今日増税をせぬのは商工業者に取りては仕合と思へと云ふことを以てして、吾々はそれに対して御礼を言はねばならぬやうな不幸な有様であつた、故に此経済界にもしも意識があつたならば、嘸軍事界を羨むであらうと言ふて愚痴を述べたのである昨年の帝国議会へ政府の提出された予算も吾々経済界を援助するの価あるものは甚だ少なくして、二箇師団増設案も遂に予算となつて現はれたやうな次第である、但し政府は此時局に付ては相当なる救済法を為さねばならぬと云ふ考から米穀と生糸の価格維持方法に付て二箇の法案を提出されたが、是等も議会解散の為に総て画餠となり了つた
斯くの如き状態で遂に大正四年を迎へるやうに成つたのである、故に我経済界は前にも申す如く斯る多忙の際に又一年を加へる訳であるから、余程覚悟して此新年の経過を図らなくてはならぬ、さりながら私は斯の如き不運を決して悲観すべきものではなからうと思ふ、古人の聯句に「成名毎在窮苦日、敗事多因得意時」と云ふてある、人は困難の場合に却て其本能を発揮する、得意な時には多く事物の破壊を胚胎するものである、前にも申す如く日露戦役以後一等国になつたと云ふやうな得意よりして軍備と政治とに力を伸ばし過ぎたからして、実業界にも其弊風が感染して、装飾的文明が進んで質実な気風が段々と銷却して来たと云ふのは覆ふべからざる事実である、されば欧羅巴の戦乱の有無に拘らず、今日は厳霜とか堅氷とか云ふやうなる人の気骨に針でも刺すやうな有様に大改革をせねばならぬ時期であつた、故に恰も天が欧羅巴の戦乱を以て吾々に大いなる艱難を与へて、玆に一般の気風を改善すべき機会を作つて呉れたものでは無いかと思ふ、昨年吾吾が力を入れた国産奨励会の如きも、唯だ単に貿易の権衡が悪いから成るべく輸入品を減じたい、品物を日本で造りたいと云ふが如き浅はかな意念でなく、従来の摸倣的観念を廃して帝国物産の独立精神を注入したい、此覚悟から国産が奨励されなければならぬ、勿論外国品でも必要のもの又原料品は沢山輸入すべきである、単に輸入品を防遏すると云ふ如き狭い考で決して此経済界の発達を期待することの出来る訳のものでは無い、今日の困難は前に申す如く少し浮れて居る気風を引締めて根本から革新するものである、又革新せねばならぬと思ふ、果してそうなつたならば夫れこそ禍を転じて福とする訳であるから、玆に初めて経済界も本当の回春を見るであらうと思ふ、但し此経済界の鞏固は単に経済界自身の力のみで行けるものでは無い、政治の働が経済に向つて大なる助を与へ、又大なる妨害を与へる、現内閣の如きは今日の経済界に対して根本から改良すべしと云ふ主義を、大隈総理大臣も若槻大蔵大臣も抱持されて居るやうに承知して居るから、仮令
 - 第50巻 p.541 -ページ画像 
二個師団提出の如き吾々の予ての希望に背いた事のありとは申しながら、経済界を余所にして唯軍事――若しくは外面の装飾にのみ力を入れることは無からうと私は信ずるからして、其事は已むを得ぬとしても、必ずや経済界に向つて根本培養に力を添へて呉れるであらうと思ふ、現に大隈伯は昨年の銀行通信録に何と言はれたか、試に昨年の通信録を見ると吾々の言論以上に、帝国の経済界に就て憂慮せられて居る、朝にある大隈伯も野にある大隈伯も大隈伯に変りはないと思ふからして、吾々が禍を転じて福とするには此艱難に堪へるに在りと云ふと同時に、政治家の観念も左様であると確信せざるを得ぬのである