デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.616(DK500145k) ページ画像

大正9年1月26日(1920年)

是日、東京銀行倶楽部第百五十六回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正九年(DK500145k-0001)
第50巻 p.616 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正九年          (渋沢子爵家所蔵)
一月二十六日 晴 寒
○上略 夕五時、銀行倶楽部ニ抵リ、晩餐会ニ出席ス、一場ノ演説ヲ為ス夜九時半散会帰宅○下略


銀行通信録 第六九巻第四一二号・第五四頁大正九年二月 ○録事 東京銀行倶楽部晩餐会(DK500145k-0002)
第50巻 p.616 ページ画像

銀行通信録  第六九巻第四一二号・第五四頁大正九年二月
 ○録事
    ○東京銀行倶楽部晩餐会
東京銀行倶楽部にては、一月二十六日午後五時三十分より新年祝賀を兼ねて第百五十六回会員晩餐会を開き、食後串田委員長の挨拶に引続き、出席名誉会員田尻子爵及渋沢男爵の演説あり、一同歓を罄して午後九時三十分散会せり


竜門雑誌 第三八一号・第五五頁大正九年二月 ○銀行倶楽部晩餐会(DK500145k-0003)
第50巻 p.616 ページ画像

竜門雑誌  第三八一号・第五五頁大正九年二月
○銀行倶楽部晩餐会 東京銀行倶楽部にては、一月二十六日午後六時より定時総会を開き、其終了後例年の通り晩餐会を開きたる由なるが食後串田委員長の挨拶あり、次いで当夜の来賓たる田尻子爵・青淵先生の演説ありて午後九時散会せる由なり。当夜青淵先生演説の梗概は左の如くなりしと云ふ。
 戦後経済界の前途は実に混沌として如何なる帰結を見るやは到底之を明言し得ざるなり、思ふに四季の順行を見るに春夏秋冬其序を変へず、霜雪に耐ゆる山桜は陽春に入り爛漫の花唇を開くべきも、現下経済界の陽春は果して何の時に来るべきか是全く想像し得ざる所なり、然れども真理の始終一貫して万古不易の光を放つ、誠に田尻子爵の述べられたるが如し、而して昨年々頭に於ては世界大戦終熄後の第一年を迎へ而かもウイルソン氏の所謂世界平和の理想実現に向ひたるを悦び、四海雲収旭日新、辛盤依例賀佳辰、残躯尚浴皇恩渥、迎得昇平八十春、の一詩を賦し平和の再来を祝福したり、然るに世界の形勢は其後益々混沌の状態を呈し、特に思想界の紛乱名状すべからずして奇矯過激の思潮日に伝播せんとす、恰も春秋戦国の世、異端邪説続出して忠孝の大道亡びんとしたるに髴髴せり、而かも余は不肖を省みず一身を世道人心の矯正に捧げんと欲するも独り歳月の流るゝが如きを憾むの感なきにあらず、即ち欲闢異端追古賢不嫌弁妄与宣伝、事多常憾歳華促、八十今朝又一年、の一詩を賦せり、念ふに経済界の前途は混沌たるも真理は長へに其光明を放つ可き也、進むに急なるものは結局其行き止まりを見るに至るを疑はず苟くも経済界の大変遷期に処し之を指導する任務を有する諸君は、刻下の時局に対し適切穏健の処置を失せられざらんことを望む