デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.617-625(DK500146k) ページ画像

大正9年1月(1920年)

栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『世界の思想変動と日本の地位』ト題スル論文ヲ寄稿ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正九年(DK500146k-0001)
第50巻 p.617 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正九年          (渋沢子爵家所蔵)
一月九日 晴 寒
○上略 銀行通信録編輯員井口氏来リ、新年ノ意見ヲ演説ス○下略
  ○中略。
一月十七日 晴 軽寒
朝来天気朗晴且風無クシテ小春ノ如シ、七時半起床洗面シテ朝飧ス、畢テ銀行通信録ニ記載スヘキ演説筆記ノ修正ニ勉ム○中略 午飧後、又演説筆記ノ修正ニ勉ム○下略
  ○栄一、一月十六日ヨリ二十日マデ大磯滞在。
一月十八日 晴 軽寒
午前七時半起床、洗面シテ朝飧ス、畢テ昨日ヨリ修正シ来リタル銀行通信録ニ記載スヘキ演説筆記ノ残務ヲ理ス、夕方ニ至リ修正畢リテ、増田明六氏ノ帰京便ニ付シテ江口原氏ヘ送付ス○下略


銀行通信録 第六九巻第四一一号・第一一―一九頁大正九年一月 ○世界の思想変動と日本の地位 男爵渋沢栄一(DK500146k-0002)
第50巻 p.617-625 ページ画像

銀行通信録  第六九巻第四一一号・第一一―一九頁大正九年一月
    ○世界の思想変動と日本の地位
                    男爵渋沢栄一
銀行通信録の新年号に愚見を述べる機会を与へられましたのを喜びます。何時も同じ言葉を繰返すやうだが、実に老人は駒隙駸々一年の歳月の経過の早きことを覚えるのみであります。去年の正月は元旦試筆と題して私は斯う云ふ詩を作つた。四海雲収旭日新、辛盤依例賀佳辰残躯尚浴皇恩渥、迎得昇平八十春。是は大正七年の十一月欧羅巴の大戦乱が休戦となりて是から全く世界の平和が確保せらるゝであらうか米国大統領ヰルソン氏が国際聯盟と云ふ大問題を提げて、殆んど黄金世界を作成するが如き有様で講和会議に臨まれ、帝国の使節も一月の十日頃西園寺侯が出発されると云ふことであつたからして、その元日は独り日本の旭日の光輝ばかりでなく世界の平和が窺はれはしないかと、迎得昇平八十春と結んで大層無事太平の世の中の如き芽出度い一絶を得たのであります。一年過ぎた今年はどう云ふ詩が出来たかと云ふと、少しく憂国の意味が表はれたのを自分でも奇異に思ひます。其詩は欲闢異端追古賢、不嫌弁妄与宣伝、事多常憾歳華促、八十今朝又一年。余りお芽出たくないやうになつた、故に昨年のは試筆としましたけれども、今年のは書感とした。どちらも甚だ悪詩であるが、兎に角所感は其通りであつて、去年と今年と僅か一年の差で私の心にそれだけ様子の違ふのは、世界の大勢に感応するのであります。さればと云うて私は世界が再び動乱を惹起すであらう、帝国も亦大に困厄の位置に立つであらうと云ふ程の憂を持つ訳ではありませぬけれども、欧米から来る波動が単に「デモクラシイ」どころでなく、更に進で過激派無政府主義抔といふものが舞込みはせぬかと思ふやうな懸念がする
 - 第50巻 p.618 -ページ画像 
のであります。殊に我思想界を混乱する中に極く我利的なる、自己さへ好ければそれで宜い、人は自己を満足させるのが天の与へた本能を尽すのであると云ふ自己本位主義が可なり多い様である。是は父母もなければ社会もないやうになる。又或は放慢なる博愛を主張して人は平等無差別のものであると云ふ説もある。蓋し愛と云ふことは私の奉ずる孔子教、所謂王道に於て専ら尊重して居るけれども、相当なる秩序が無くてはならぬ。無差別無秩序と云ふに至つては詰り君も無ければ父もなく五倫五常を棄てゝしまふ訳になる。是は孟子の所謂父なく君なきの禽獣であるから極力反対しなければならぬ、単に反対ばかりではない、斯る異端邪説は勉めて闢かなければ王道は盛になるものではない、今日の西洋伝来の説は、オイケンであるか、ベルグソンであるか、将たクロポトキンであるか、私は委しく知らぬが、切にこれを排斥弁駁して真正なる道理を押立てなくてはならぬと思ふのであります。而して此企望を完全に貫いて行くには独り私の従来関係して居つた実業界だけでは満足とは云へぬので、政治界其他の各方面にも王道が行はれ、正論が進んで行かなければならぬ。殊に此政治界にも不満足に思ふ点が少くないやうに感じられます。現に日本の近状が欧米諸国から如何に観察せられて居るかと云ふことが、私には甚だ憂慮せざるを得ぬのであります。動もすると独逸に代る侵略主義の国であると評論される。故に兎角孤立するやうになるの虞がある。講和会議に列席したる人、又は単に世界漫遊と云ふて一昨年から昨年に掛けて多人数の親友が欧米旅行から帰られて見聞の次第を種々話された。現に添田・姉崎の両博士は特に講和会議の側面を政治界でなく経済界でもなく、思想界の方面から見て来たが宜からう云ふて、私は他の同志と申合せて其方法を講じて出張して戴いた。是等の人々は講和会議の事情を見聞の後英米等の思想界をも探知して帰国された、又講和会議の表面に立つて戻つて来られた西園寺侯なり牧野男なり、実業界では近藤男なり福井君其他の人々からも段々様子を聴いて見ると、多く前に云ふ点は厚薄こそあれ帰結は一様である。想ふに講和会議の使節は、さう云ふ方面の接触が少ないから多くを聴かぬであらうが、どうも欧米諸国が日本に対して胸襟を披かぬと云ふことを一様に聴くのであります。殊に本年になつて帰国した人々の各国巡廻の模様を話される所に依ると、其想察は寧ろ前に聞込んだよりは一層悪くして、日本は野心の強い国である、世界と一致の態度を欠くやうな国になりはしないかと云ふ疑惑を持たれて居る様である。特に支那と亜米利加との国交に其形跡が多く見えると云ふやうに聞えます。抑も国交と云ふものは事物に触れねばならぬのだから、唯空想に此国は斯様彼国はどうと抽象的にのみ論ずるものではない。此事柄があるから斯うであると、事物に類推して想像若くは判断が出来るので、前に申す支那との国交の面白くないと云ふ事は日本では余程隠忍して居るけれども、それにも拘らず不都合なる仕向を支那からされるのは、何か日本に野心があるから左様にまで支那人の排日観念が強いのだと、他の国々に想像されるかと思ふのであります。私の如き黄金世界を望む平和論者からは、何ぜ左様に違却するか、何処に悪いことがあるかと云ふ疑を抱かざるを
 - 第50巻 p.619 -ページ画像 
得ぬやうになる。要するに今日迄の支那との外交が他の国々と同じやうに文武統一せぬと云ふ嫌がありはしないか、露骨に云ふと軍人外交と文官外交と二途あるからである。而して軍人外交は文官外交とは全く道行を異にする、夫故に外務大臣の声明も彼の国人は充分に信用を置かぬやうな事も生ずるのである、是は私が外交の事に無智識なる身で真の邪推であらうけれども、此邪推が必ず間違て居ると言へぬかも知れぬのであります。畢竟前に述べた外国旅行から戻つた人々の悲観に過ぎる点もあるか知らぬが、若し果して欧米諸国から常に疑惑の眼を以て見られて終に孤立するに至ると云ふことが事実とするならば由由敷大事であるから、其原因を推究して将来の施設に注意せねばならぬ。想ふに我邦の外交は維新の際に外国から侵略されると云ふことを酷く憂へた有力者が多かつた。其有力者が俄然として皆開国説に変じたけれども実は強い鎖国論者であつた。故に鎖国論者の急変した開国であつて、而して其開国を唱へる真意は国の力を強くして他国の侵略を受けぬやうにする。それには我邦ばかり孤立することは出来ぬ。又今日の有様では日本の国を富ますことも出来ないから同時に国を強くすることも出来ない。そこで知識を世界に求める外はないと即ち明治大帝の五条の御誓文も仰せ出されたのである。併し之を翼賛し上げた元老連は元来敵愾心が頗る強い。敵愾心が強いから或る場合には武断となる、是は数の免れぬ所である。それで武力と云ふものを飽迄も進めねばならぬとして武力に対しては特殊な制度が設けてあるやうに思はれる。是は止むを得ざる成行であるかは知らぬが、併し此事実からして終に領土野心のある国だ、侵略を事とする国だと云ふ疑を受くるのであります。故に此有様で推移すると、或る杞憂者の云ふ如く何処の国からも疑はれて、遂に孤立の位置に立つと云ふことが必ずしも無いとは言へぬではないか。既に世界を通じて相互的に立つて行かねばならぬ日本となつた以上は、どうしても孤立観念を脱却しなければならぬ、さらばとて国力が無くて宜いとか、国民に愛国の情が減じて宜いとか、奉公の念が薄くなつて宜いとか云ふやうな事は絶対に許さぬのである、君父に対して忠孝の道を欠くやうなことは如何に文明が進んで行つても有つてはならぬ、忠信孝悌と云ふものは仮令何千年を経るとも少しも変らぬ国民の常経であつて、益々進めて行かなければならぬのである、前にも述べた異端の説を其人名を指して云ふならば、支那周末の頃楊朱・墨翟などゝ云ふ人が出て頻に為我兼愛の説を唱へた、是は詰り君も無ければ父もないと云ふやうになつて孔子教の異端とするものである、故に孟子は無父無君是禽獣也と口を極めて弁駁して居る。さう云ふ邪説は何処迄も郤けて仁義道徳を以て世界に立て行かなければならぬ、而して孤立してはいけないのだから他国に疑はれぬ行動を取つて行かなければならぬと思ひます。斯く考慮すると今日の為政者に対して深き注意を企望せざるを得ぬのであります。今や日本は世界的の国として五大国の中にありといふとも、目下の如く国力が増進すれば益々他国の疑惑を増すといふやうでは、何時国交に違却を惹起するか、実に未来を恐れざるを得ぬのであります。故に私は思想界に対する懸念説と同時に、領分以外の政治界にまで一言を加へね
 - 第50巻 p.620 -ページ画像 
ばならぬのであります。殊に現下の支那・亜米利加に対する国交が実に寒心に堪へぬのである、私は外交軟弱とか外交無能とか党派者流の言詞を以て当局者を誹謗することは好みませぬ、実際困難なる場合だからどのやうな大智大才の人でも総て都合好いやうにのみ遣れるものではない、宜しく当局者の苦心を想察せねばならぬけれども、如何に優長に考へて見ても、両国に対する重要問題が今日の如く懸案となつて居つて何時までもその解決が出来ぬと云ふことは真に憂慮の極である。何とかして両国民に納得させるやうな道は無いか。両国の外交当局者が衝に当つて、俗に申す睨合つて居るやうに見受けられる外に手段が無いものか、要するに智者の為さるゝ事ではないと批評したいやうである。斯く考へると吾々が如何に政治外交などに関係ないとは云ひながら、国を愛する至情から何とか道が有りはせぬかと、切りに歯痒く思ふのも決して無用の事でもなからう。殊に私は亜米利加に対しては書生の時から之を識り、日米の国交に付ては常に注目し来つて居る。加之明治四十一年頃加州に在る移住民問題に就て、日米間に多少の面倒が起つたに就て国民の務め実業界の働きとして多少助力して欲しいと時の外務当局者から望まれて、加州方面若くは北部太平洋沿岸の米国人が大勢日本に来遊せられ、又日本人が米国人の招きに応じて亜米利加に旅行するとか、一の遊覧旅行ではありましたけれども実は両国国交の融和を図る為めに両国政府も助力して企てた大旅行であつた。左様な事にも始終関係して居りました、爾来亜米利加人の来る毎に成るべく交りを厚うし意見を交換して、両国民の感情融和に汲々として居るのであるから、仮令私が政治外交に無関係の人たりとも、国交上成べく疎隔を生ぜず、親善を増して行くやうに努めるのは国民として必須の事と思うて、今も猶怠らぬのでありますが、熟ら想ふに今日の儘で段々に悪い方に傾いて行つたならば、此上にも種々なる行違を惹起することが無いとも言はれぬ。又軽率なる突飛者流から両国の国交に付て更に面倒を増すべき事柄を生ぜぬとも云へぬ。さうすると益々紛糾に紛糾を重ねるやうになりはせぬかと思ふて、独り私ばかりではなく、実業界・学者界・政治界の人々、さう多数ではないけれども所謂先憂者の人々が、一会を設けて始終会合して心配をして居る。此事は杞人の憂であつて直接の効果を見ることは望まぬけれども、単に無用の憂苦をするのではないと信じて居ります。
支那に対しても同様な訳で、殊に私は従来未熟ながら漢籍を好んで孔孟の教を以て安心立命を得て居るのである。唯々外国の教旨を尊崇すると云ふ意味でなく、孔子の唱へた仁義忠孝の道が我帝国の皇道と全く一致する為めに飽迄も之を推尊し、敢て学者と云ふやうな体裁でなく、日常の処世又は事業の経営に就ても、此主義に依つて百事処理し得ると深く信じて、銀行業も論語に依つて処理し、論語と算盤とは相一致するものであると云ふのは、殆ど四十余年唱へ来つて居るのであります。而して其趣旨は詰り支那学問から起つて来るから、支那に対しての感情は自ら深からざるを得ぬので、支那の歴史も多少読過し孔孟其他の学問の伝来も幾分か研究して居る積りである。併し今日の支那の人情風俗は、私が如何に孔子教推尊の心を以てしても尊敬し兼ね
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る、良い人もあらうけれども悪い人が多い。左りながら唯彼の悪いばかりを視ずして何故に日本が斯く嫌はれて排斥されるかと云ふことに深く反省せねばならぬではないか。而して其排斥の原因は唯彼にのみありと思はぬ方が宜くはないかと思ふのであります。従来日本の支那に対する国交は政治にも経済にも圧迫的行動多くして忠恕の念至て少く、彼の信頼を欠く事は枚挙に遑ないと思ふのである、縦しや実際はどうあらう共さう考へるのが私は穏当であらうと思ふ。故に今日は成るべく彼の心を緩和する方法を以て其懸案を解決し、誤解であるか我儘であるか知らぬけれども、勉めて之を啓くやうな道を講じたく希望して居ります。
それに就ても、世の中の事物は実際が肝要であつて或る事柄に就ては政治とか学説とか云ふことが時に大に世間に持囃されるけれども、詰り其国民間の利害関係の接触が能く調和して其間に物議がなく、共に利して相頼り相助けるやうになれば疑惑も物議も自ら消除するに相違ない。故に支那に対しても亜米利加に対しても、結局は実業に当る人の注意と其方法の講究とが最も両国の国交を助けて行くものと考へなければならぬ。是を以て今日両国の国交を事実に於て進展するのは、政治家は唯其誘導に勉めて実際の働きは実業界に在ると謂はなければならぬ。斯く考へると実業界の責任が益々大であると思ふ。即ち新創の事業に対しては啓発的に経営もするし、又利益も進めて行くと同時に、決して前に云ふた為我主義ではいけない。自己さへ好ければ宜いと云ふ行為は必ず彼我衝突して終には奪はずんば飽かずとなつてしまふ。人を助け人に利益を与へると自分も幸福を得るのである。論語には己欲立而立人。己欲達而達人。と孔子は教へて居る。日本だけが利すれば宜いと云ふやうな観念でなく、日支共に等しく利すると云ふ考を以て実際に当り其心も行も其通りであつたら、決して支那人が之を嫌ふ筈はないと思ふ。今日の嫌忌は従来日本人の行動が自分さへ好ければ宜いと口に言はぬでも、事実が其処にあつたのが自然と害を為したであらうと思ふ。故に向後我邦人の支那の実業に対するは所謂忠恕の道を守りて共立聯進と云ふことを切に講じたいものと思ふ。而して結局両国は経済同盟と云ふやうに進歩したいと私は深く企望する。又それが支那の為めにも極めて都合が好いのであります。天恵の多い支那には日本に比較して鉄でも綿でも羊毛でも、人間の生活に極く必要なるものが多く産する。是等の豊富なる原料を或る方法に拠りて更に増殖せしむることは支那人の力に待なければならぬが、日本人の力を加へて其増殖した原料を加工する、斯の如く行つたならば此東洋に於ける両大国は相共に協和して併進することが出来るのを、何を苦んで些細な事に睨合つて居るか、抑々両国人は余りに小規模にして智恵の無い者だとまで言ひたいやうに私は考へる。
亜米利加と雖も其通りである、亜米利加の進歩した鉄類又は機械農産品等を大に日本へ輸入することも努めなければならぬし、又日本からも現に生糸の如き天産物と云ふか製造品と云ふか年を累ぬる程米国人の趨向に応じて、段々其価も高く其量も増して行くは誠に心嬉しい事である。之を穏健に進めて行つたならば、益々需用も増すであらう、
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随て貿易の高も加はつて来るであらう。加州方面に移住する多数の日本人が農業に働いて儲ける金を、今日の所では其働きを終ると金は日本に持つて送ると云ふが如き風であるが、それだから亜米利加人に嫌はれるのである。既に亜米利加に於て土地に依りて得たる金を亜米利加に放資して、其土地の繁昌を謀り富を進めるに力を尽したならば、米国人は嫌ひはしない。唯其土地に於て生じたる貨財を全部他方へ移して其土地の富殖を意とせぬときは、亜米利加人ならざるも喜ばぬのは当然である。往昔江戸の人が越後から来る米搗を嫌ふたと云ふ古例と同じ事である、加州方面に於ても追々に日本人の働いて得たる資本を以て地方の事業を為すと云ふ方法が必ずあるに相違ない。殊に加州方面のみならずユーターとかアイダホとかオレゴンとか云ふ各州にも農業附随の工業が沢山あらうと思ふ。如何に亜米利加が資本の豊富なる国であつても、日本人の投資する道も幾らもあらう。頃日も亜米利加人が来て日米共同の事業として缶詰業を創設したいと云うて居る、是は加州のサクラメントの住民であつて立派な人格ある人である。果して其事業が成立するや否やは分らないけれども、私は頻りに其成立を希望して居る。又ボストンの工業家が日本に於て一事業を企てゝ見たいと云うて技師同道で来られた。昨年来越中の水力にて「アルミニューム」の工業を起さうと云うて目下種々に計画して居る人もある、是はピッツバーグのデビスと云ふ事業家であつて現に其設立に尽力して居る、又紐育のジョージ・フーラーと云ふ建築会社の人が日本にも追々亜米利加式の建築が盛になると思ふに付て、一の建築会社を東京に創設して見たいと云うて居る。斯の如く一方には国交上に憂ふべき点が数々あるけれども、反対に又共同調和の気運も徐々に開けて来る是等に就ても私の常に云ふ如く仁義道徳に準拠して之を進めて行くならば、瑣細の外交上の紛糾などは経済上の有利的事実から打消してしまつて、国交は益々親善に進んで行くだらうと思ふのであります。斯様に論じ来ると前に政治上に対して悲観説を述べましたけれども、若し実業界が私の希望する如く進み行くならば、支那と亜米利加との国交をして円満ならしむることは私は至難事ではなからうかと思ふ。
以上は道徳と政治若くは経済関係に就て秩序なく有の儘に愚見を述べたのでありますが、斯る好都合を得るに至るは要するに政治界・経済界の当局者が全然其意志と行動とを改善せねば、円満なる域に達することは出来ぬのであります。
是より現在の経済事情に就て聊か希望を述べて此談話を結ばうと思ひます。昨年戦乱の終熄を見ると同時に日本の経済界の将来は如何に成行くであらうか、如何なる方針で宜からうか、第一に海運業が俄かの変化を受けて大に衰頽するやうになりはせぬか、若しさうなつたら独り船舶許りでなく海外貿易に影響するであらう、是は経済上甚だ憂慮すべき事であるから折角進めて来た造船の事も、又海運の事も此激変に動揺せずして更に歩一歩と進め得るやうにしたいのである、而して之を維持するはどうしても国家が相当なる助力を与へなくてはならぬと思ふた。故に政府は海運業及造船の事に付てはもう自力で沢山だと言はずに、余りに過度の補助でなくとも相当なる力を副へる必要があ
 - 第50巻 p.623 -ページ画像 
る。元来国家の助力に依つて進んで来たものが俄に手を放すが為めに大に衰へると云ふことがあつてはならぬと思うた。殊に各造船所で製造した船舶が使途がなくて他方へ売却されると云ふやうな事があるとならぬから、新たに大会社でも創設するが宜からうと云ふ意見を述べたことがあつた。更に進んでは、現在命令航路になつて居るものを合同して一大会社とするやうな道がありはしまいかとまで言つたのであります。幸に各造船所で出来た船舶が、国際汽船会社と云ふ名に依つて、一会社を組織されて、現にそれは多く海外航路に用ゐられて居るやうに承知します、其後此会社の経営が如何に進展するか、私は審かに予言し得ぬけれども、其船舶が日本の国旗に依つて世界を航海して居ると云ふことは、私の希望の一部が達せられたと喜んで居る。同時に鉄の事も切りに意見を述べた、蓋し此鉄事業は国家に重要のものであつて、現在の有様にては其経営頗る困難であるから、戦後の大変化によりて近頃設立の諸工場が将棋倒れになりはせぬかと思ふ。それは甚だ憂ふべきことで、さうして又他年戦争が起ると、それ鉄が大事だと云ふやうな所謂火事があると火の用心をするといふのでは、迚も焼失を免かれることは出来ぬ。故に此鉄事業にも一種の国家の力を加へ合同的方法に依つて之を維持する外ない。詰り八幡製鉄所を中心として、大聯合の製鉄会社を創設するが宜いと云ふ説を主張したのであります、明治三十三年頃に米国に「スチール・ユニォン・コンパニー」とか云ふ製鉄組合会社が出来て、ジヤァジ・ゲリー氏に拠りて経営されて居る、是は米国の事ゆゑに官業を其処へ加へなかつたけれども、日本では官民併立してやつたら宜くはないかと思ひます。此事は其後未だ事実に現はれずして昨今漸く財政経済調査会に特別委員が出来て調査されて居るのである。果してそれが成立するか、茫乎として彼岸に達することの遠いのを私は遺憾に思ふ。船舶の方は幸に私の予言が幾分実見したやうであるけれども、鉄は希望だけで事実はまだ現はれぬ。或は反対の説があるかも知らぬが、若しそれが悪いと云ふならば明かな其理由を聴きたい、又善いならば何ぜ早く進行せぬか、是は政府当局の人に対しても充分議論し得るのである。どふぞ今年は満足なる結果を見たいものである。
重要の経済機関としては銀行問題、即ち金融機関に完全の組織を見るのが甚だ必要である、現在の日本銀行の働きは先づ追々に発展して来るやうであるけれ共、或は財政に厚くして経済に力が薄いと云ふ嫌ひを世間に持たれはせぬか、現在の総裁は実地に通暁されて居る人だから決してさうでない、寧ろ財政よりは経済に重きを置くものと私は信じて居る。併ながら従来の因襲からさう云ふ嫌のある如く言ふ人もあるから、成べくさうならぬやうに心掛けて貰ひたいものである。尚ほ一般の銀行者が成るべく資本を集合したいものだ。行数を減じて資本を大きくし、各地方に対しては支店経営で仕事が出来るに相違ない、其方が基礎が鞏固になつて融通の機能が敏活になるであらうと思ふ。而して此企望も追々実現するやうになり、大銀行も段々資本を増加し殊に十五銀行と浪速銀行と合同すると云ふが如きは、最も私の理想に適合するのであつて、斯の如く数十年の歳月を経、様々の歴史を持つ
 - 第50巻 p.624 -ページ画像 
銀行が合同するに至つたのは、恰も英吉利で大きな「ロンドン・カウンティー・アンド・ウヱストミンスター」銀行と「パールス」銀行と合併し、又は「ロンドン・シティー・アンド・ミッドランド」銀行と「ロンドン・ジョイント・ストック」銀行と合併した例とも似て居るやうで、誠に近頃の快事と思うて喜んで居ります。
時勢の然らしむる所でもあらうが、近来新設会社が余り数多く出来るので、私はどうも憂慮せざるを得ぬのである、一概に悪いとも申せぬか知れぬけれども、少しく濫設の弊に陥つて居りはしないかと思ふ。殊に諸物価の暴騰か又は通貨の価格の低落か数百万円の資本を有する会社が続々と創立せられ、中には何千万円と云ふ呼高を以て新設されるが、多くは時勢に賺される嫌があるやうに思ふ。凡そ事物には終始のあるものなれば此行止りがあるべき筈と私は思ふのである。而して其底止の場合に於て全体に悲境に陥る時期が来らざるを得ないと思ふから、或るべく今日より警戒して整理するとか、縮少をするとか云ふことがありたい、私も或る事柄に就ては其新創を勧めたものもあります。即ち中央開墾会社の如きは甚だ必要と思うて現に担当者の手に拠りて設立しつゝあるから、濫設の仲間入をしたと言はれるかも知らぬが、私は是等の事業は一般のものとは其選を異にすると思ふ。
田舎の農民が頻に株式を持つのは、弊害を惹起する嫌があると云ふことは既に識者も論じて居る。頃日原総理大臣の訓示にも其意味があつた、成る程未熟の人が単に目前の利益に拘泥して株券の売買を行ふと云ふことは好いとばかりは言はれぬけれども、一方から云へば有価証券の種類は都会のみに固著して居つて、全国一般に普及せぬと云ふも亦面白からぬことであるから、地方の富むに従つて有価証券が地方に行渡ると云ふことは極く順当の仕組である、前に云ふ濫設的の新会社の株券の高価なるに馴れて、少しく買つて利益を得たから、又買増すと云ふ如き行動ならばそれは弊害に違ひない。是等は其事実の如何によりて善いとも悪いとも云へるやうに考へるが、兎に角今日の有様で此儘底止する所なく進んで行くと云ふことは、決して出来ぬものであつて、総じて事物は其勢の附いた場合には限りなく進みさうに見えるが何時かは止まるものである。其止まる場合には必ず反動を生ずると云ふことは何時の時代にも免れぬから、其時の来るのを世間の人に予想して貰いたいのである。此覚悟を以て銀行者も事業家も警戒したならば、底止の際に害の受方が少いであらうと思ふ、是は私の切に要望する所であります。
諸物価の斯の如く騰貴すると云ふことは如何にも困つたものである。是は政治上から防ぎ得られると云ふ説と、余りに干渉するのは宜くないと云ふ論との二つがある、どちらが善いか篤と講究すべき問題であると思ふ。欧米を旅行して帰つた人々の話では、英吉利や亜米利加の如き、自由を尊ぶ国々でも物価調節に就ては政府の命令から価を定めて居るから、日本でも摸倣したいと云ふが、私は政治上からさう云ふ事に立入るのは宜くないと云ふ主義であるけれども、斯う止め度なく騰上すると云ふことでは或は何か適宜の方法を講ずるの必要がありはせぬか、自分に完全なる定見はないけれども事に当つて居る人々は宜
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しく攻究して欲しいものと思ふ。近頃東京其他の地方に於て公設市場を設けて日用物品を安く売ると云ふことは、一時の便法としては宜しいけれども、併し真に騰上を防止すると云ふならば、もう少し強い制度に依つてこれを励行せざれば、真正なる防止は出来ぬやうに思ふ。果してそれが出来るものかどうか分らぬが、是は憂慮せざるを得ぬやうである。但し是は世界一般の気勢が、此大変化に際して其共通の密着して居る国であるだけに、其影響も厳しく受けるのである、詰る所此物価の暴騰は即ち通貨の価が低落したのであつて、為めに大に仕合せを得る人と、又反対に悲境に沈淪する人とを生じたから、一方から見ると大層好い景気に見えるが、他の一万から見ると堪へ難き有様である。其処へ又思想界に急激なる変化を生じて平等無差別甚しきは無政府にするのが、人類の幸福を増すかの如き暴論謬見も続出する、是等の思想が皆海外から我邦に伝来して、今日の帝国の有様は或点からは進歩せしめ、或点からは悲観せしめ、或点からは大に動揺混乱せしむると思ふ。それ故に此際はどうしても国民一般の気風を大に矯正して時態に応ずる対策が無ければならぬ。而して国民一般の気風を矯正するのは何であるかと云ふならば、私は予て主義とする仁義道徳、孝悌忠信の道を飽くまでも進めて異端邪説を排斥するのであると思ふ。それと同時に国民一般特に青年に穏健質実なる風習を是非進めて行きたいと思ふのである。而して穏健質実の実態は質素倹約である。今日の風俗は或る点から云ふと驕奢放恣に流れて居る。此驕奢放恣の後は大混乱を惹起し大苦難を発生するのは、先例明著であるから切に防止したいものである。三越なり白木屋の店へ行つても価の高い物ほど売れる。安い品物でも直段附を高くすれば直に売れると云ふに至つては沙汰の限りである。何と云ふ愚昧の人々であるか、美術と云ふものは国の品格の上から尊重しなければならぬが、私は美術に就ては知識は持つて居らぬ。併し甚しきに至りては美術の弊と云はうか三十六歌仙の画帖が何十万円だとか、茶碗一つが何万円、茶杓一本が何千円と云ふやうな事を聞く。昨年の冬或る茶席に招かれて煙草盆に添ふたる一つの火入が二万三千円と云ふことを聞いて真に驚愕した。それを好む人から云ふたら、国家にさう云ふ美術のあるは誇るべきことだ、美術なきの国は野蛮である、品格の無い人であると云ふ説を為すかも知れませぬが、其度を過ごし甚しき驕奢虚栄に陥つたならば、それこそ品格の高尚よりは其弊害の恐るべきものがある。今日の骨董品の流行などは、全体智識と勉強以外に偶然の富を為した人々が金にあかしてやる仕事であつて、品類に拘はらず無暗に値を高くする。其の他面には貧窮で苦しんで居る人があるに相違ない、斯くの如きは穏健質実の気風を打破るの強敵であるから、どうしても之れと闘はねばならぬ。是故に私は此際一の倹約組合を成立してお互に贅沢をせぬと云ふ申合せをするやうにしたい。形の上だけでもさう云ふ事は幾分か一般の気風を緊縮し得ると思ふのであります。