デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第51巻 p.56-62(DK510012k) ページ画像

大正14年2月(1925年)

栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『思想界の趨向を憂ひて』ト題スル一文ヲ寄稿ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一四年(DK510012k-0001)
第51巻 p.56-57 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年       (渋沢子爵家所蔵)
一月十六日 曇 寒
○上略
銀行集会所井口百太郎、速記者友野同行来リテ銀行通信録ニ記載スヘキ予ノ意見ヲ徴セラル、依テ現下ノ世態ニ対シテ予ノ憂慮スル諸点ヲ演説ス、速記ハ予ノ当地○湯河原天野屋旅館 滞在中送越スヘキ旨ナリ
○下略
  ○中略。
一月二十二日 快晴 寒
○上略
銀行集会所井口氏ヨリ寄セ来リタル通信録記載ノ記事原稿ハ、今日ヨリ修正ニ努ム○下略
一月二十三日 晴 寒
 - 第51巻 p.57 -ページ画像 
午前八時起床、入浴朝飧例ノ如クシテ後、井口氏寄送ノ通信録記事ノ修正ニ尽力シ、午後ニ抵リテ之ヲ成ス○下略


銀行通信録 第七九巻第四六九号・第二五―三〇頁大正一四年二月 思想界の趨向を憂ひて 子爵渋沢栄一(DK510012k-0002)
第51巻 p.57-62 ページ画像

銀行通信録  第七九巻第四六九号・第二五―三〇頁大正一四年二月
    ○思想界の趨向を憂ひて
                   子爵 渋沢栄一
 記者曰く、毎年一月の通信録には渋沢子爵の説話を掲ぐるを例とせるが、本年は偶々子爵微恙の為め早春に談話を調ふを得ず、漸く一月十六日静養地湯河原岫雲楼に於て之を聴くを得たる次第なれば、本号に之を掲載することとせり、当時子爵は本年年頭の感なりとて二篇の詩を記者に示されたれば、左に之を写載せん
   養痾寓此白雲荘
   客裏襟懐引興長
   最喜野梅無世態
   東風先送旧時香
   老去笑吾猶惜陰
   毎逢佳節感殊深
   任他処世少成績
   但信忠誠報国心
 乙丑元旦在湯河原客舎書感 時馬齢八秩又加六  青淵逸人
年々の例として年の始の銀行通信録に私の意見を徴されるのは、私一身として頗る名誉であつて、それを見る人が渋沢の考へて居ることを理解し翫味して、之を尤として呉れたならば此位嬉しい事は無いのみならず、幾分世間を裨補する事にもならうと考へますので、毎年の例を追うて一言を致さうと思ひます。唯々旧臘から私は病気で殆ど二タ月近く引込んで居ります、大した事ではないけれども、持病の喘息を少し押した為に熱を起して、其熱が高まつて来た所から主治医が是は肺炎にでもなるといかぬと云ふので、ひどく注意を与へられ、丁度十一月の二十日頃から十二月末まで引籠つて居りましたが、熱はすつかり解けたに依つて、唯々喘息の余勢と且つ熱のあつた疲労とが今の所では残つて居るので、転地したが宜からうと言はれて、年末に此処へ来て最早二十日ばかり居ります。さなきだに実務に遠くなつて居る私が、今のやうな病気をして社会の事物に遠ざかるどころではない、殆ど絶交同様の有様になつて居つて、唯々新聞に依つて或は議会の用意がどうであるとか、外国の模様がどうであるとか申すことを切れ切れに承知する位であり、又政府に於ても頻に財政経済に就ては力を入れられて居るやうであるけれども、是等は順序立つて丁寧に其報告を見て研究すると云ふ迄の丹誠が私にありませぬから、別にそれ等に就て纏つた考を申述べることも出来ないのであります。
経済界の有様が欧羅巴大戦以後一時調子の好かつたに馴れて、悪く言へば官も民も吾が力を計らずに無暗に手を延ばして、何時もこんなものだと勢に乗つたのが一般の間違であつて、今日は其反響を受けて居ると言つて宜いでせう。而して其受けた反響中に単り経済上のみなら
 - 第51巻 p.58 -ページ画像 
ず、一般の気持に付て大分強い害毒を受けて居る様に見える。併しそれは唯々単に此欧羅巴戦乱の結果ばかりではない。もう一つ遡つて考察すると、全体我邦の人情が斯う行き走つて来た其原因が何れにあるかと研究したならば、従来の政治若くは教育の指導誘掖が知識を進める点には宜かつたか知らぬが、其精神を教養する為には寧ろ其効どころではない害になつたと迄言ひたいのであります。是等の点になると教育上の問題になりますからして、教育家でない私が今日の実際に就て斯くしたら宜からうと細かな事を言ひ能ひませぬが、之を要するに智育のみに走つて精神教育が甚だ欠けて居る、之がどうも今日の思想界の混乱、経済界の不統一、或は政治上にも質実の態度を欠く原因であるやうに思はれる。景気の好い時には其弊害がそんなに現れて来ないけれども悪くなると余計に其害が現れて来る。而して日本の師匠とも云ふべき欧米には、多少悪い事もあり弊害も其中に混るだらうけれども、良い質の物が沢山ある為に其弊害のみに陥らぬ。所が欧米の有様を学んだお弟子の我邦は、良い組織は段々失つてしまつて悪い弊害だけを保存して、さうして得々として人を誹り、自己の発達とか利益とか云ふことにのみ努めると云ふのが、今日比々皆然りと言ふ有様である。政治なり経済なり総て其場限りの間に合せを考へて、さうして権利は自己の都合の好いやうに論ずるけれども、義務は些とも自省しない。報恩とか犠牲的観念とか云ふやうなことになると、偶々さう云ふことを言ふ者は寧ろ愚昧だ流行後れだと言はんばかりになつたやうに思ふのです。それが政治にも勿論害をなすが、独りそれ許りでなく経済界に其害が大変強くなつて居はしないかと思ふ。例へば日本の雑貨抔が欧羅巴の戦乱中南洋又は印度に沢山売れた、其盛に売れたと云ふても、自己の利益のみを主として、品物の精選とか取引の親切とか云ふことを考へないから、直に得意から飽きられる。況や戦争の為に欧羅巴から品物が来なかつたから、拠どころなしに日本の物を買ふたけれども、良い物が他方から安く来れば、親切の欠けて居る我邦の品物は誰も買はぬと云ふことになる。蓋し我が輸出貿易の段々減少するのが、皆それに原因するとは言はぬけれども、さう云ふ所に存することも少からぬやうに思ふ。丁度二十年余り前、私が東京商業会議所の会頭をして居る時分に、欧羅巴に行くに就て全国商業会議所の聯合会が開かれてどうしても、もう少し欧米殊に英吉利と親みを厚くして取引をしなければいかぬと云ふ意見が多数の実業家にあつたので、其事を徹底せしめたい、幸に渋沢は東京商業会議所の会頭であり又大銀行の頭取でもあり、経済界のことを能く知つて居るから、商業会議所聯合会の意見を齎らして海外各国に意思疎通のことを託したいと云ふことを決議され、私は其代表の資格で先づ亜米利加に、続いて英仏其他欧羅巴の各国に宣伝をして歩いた事がありました。其時に私は英吉利で大に面目を損したことがあります。それは明治三十五年だから今から二十四年の昔の事である。殊に日英同盟が締結された年であるから英吉利に向つては成べく親切に取引を進めるやうにしたいと思つた。其頃もさう思つたが今は其時よりも尚疎遠になつて居りますから、是等を実業界の友人に頻に勧誘して一昨年も団体を組織して英吉利訪問
 - 第51巻 p.59 -ページ画像 
の事があつた。団・大橋・串田・中島其他十数人が行かれたのは即ち経済上の訪英使節でありました。私が訪英の時は単に私一人であつたけれども、前述の趣意を齎して参つたのです。其時の倫敦の商業会議所の会頭は旅行不在中でありましたが、副会頭は日本に度々渡来したケスウェッキと云ふ人で、横浜では英一番と称して居りました。其副会頭と私は知合の間柄でありましたから、打解けた話をした、殊に英吉利に対しては日本が海外と貿易を始めるに当りて、一番初めに取引をした国であつて又金融上の援助を受けたのも英吉利が一番初めである、例へば京浜鉄道抔も英吉利から借款を起して明治四年頃に手が著いたと云ふやうな事である。爾来其取引は親密であつたけれども、近頃は段々減少して来るやうな傾があるから、成べくさうで無いやうにしたいものだ、就ては御互に腹蔵のない意志を交換して善いこと悪いこと、充分に話合がしたいものだと此方の注文を申込んだに依て先方も大変喜んで、倫敦なる商業会議所では部局が幾つもにも分れて居りますが、其中の貿易部局の会員が其日にどの位参つたか概略四・五十人も居りましたらう、そこで副会頭のケスウェッキ氏が前記の趣意を述べて私を紹介した。別に私からも大層な演説ではなかつたけれども貿易の開けて以来は国と国との政治上の親善も必要であるけれども、相互の商売関係が密接に進んで行くのが両国の国交に重要な基礎を為すのである、英国の同業者も其考を持たれるであらうが、日本にも商業会議所と云ふものが各都市に出来て居つて、此事に就て深く注意して、私が此度の欧洲旅行に就て特に聯合会を開いて斯う云ふ議決をしたのである、即ち私は其意思を疏通する為めに代表の意味で参つたのである、而して其事は既に書面も貴会議所に出して居るのだから、是より諸君の御注文を御遠慮なく話して貰ひ、お互に胸襟を披いて話合つてこそ意思も疏通する訳になるからと云ふやうな趣意を述べた。当然の事であるから、各位意見があつたらお述べなさいと其日の議長から会合の連中に伝へた。すると其会員の一人が起つて、私は日本と始終取引をして居る何の某と云ふ者だ、日本に向つて大に注意して貰ひたいと思ふ事がある。今日代表的に来られた渋沢と云ふ人は立派な位置に居る人で主なる銀行の頭取でもあり、永く東京商業会議所の会頭も勤め政府の役人もした人だと聞く。斯かる名誉ある人より今のやうな報告を受けたのは実に喜ばしい。それに就て斯く申すのは甚だ失礼の如くであるけれども、遠慮なく言はなければ実情が分らないからと云ふ前置きで、二つの箇条を提議した。其一つは、どうも日本人は他に対しての約束が甚だ堅くない、所謂信用が堅固でない。例へば景気が好くて売れさうだと思ふと注文品を早く引取るが、之に反して売れさうもないと注文品を早く引取らない。日常の取引であるから、一々契約書を以てする訳にはいかない、予め手紙の上或は電報の引合に依つて送つてやる。品物を自分に都合が好いと引取るが、都合の悪いときは愚図々々言うて引取らない。是は殆ど日本人の習慣と言つて宜い私ばかりではない何処の商人も皆困つて居る。一体日本人は信用と云ふものを重んじて居らない。之を直して呉れぬと従来の取引を更に進めると云ふことは六かしいやうに思ふ。次には少し言ふを憚る事であ
 - 第51巻 p.60 -ページ画像 
るが「エンボイス」を二重に書けと言はれる、事実の「エンボイス」と、それよりもつと安価なる「エンボイス」とを書かせる、其原因は税を免れやうと云ふのである。そんな偽を言ふのはいやだと云ふと、取引を断ると云ふので、余儀なく其要求に応ずる人も間々あるけれども、是等の行為は誠に心苦しい。斯かる悪弊は是非渋沢などの力に依つて矯正して貰ひたいものだ、さすれば貿易は益々繁昌すると言はれました。私は此提議には少し迷惑した。直に之を是認して恐入つたと云ふのも厭だし、さればと云ふてそんな事は嘘だと駁撃する訳にもいかない。意思を疏通する為めに遠慮なく言うて呉れと此方から誘出した訳だから、大に困つた事になつたと思つて、即答に躊躇して居つたら、丁度「サミユル・サミユル」商会のミッチェルと云ふ人が其会員中に居つて、此人は前から横浜にも滞在して私の知人であつたが、単に私の為めに弁解したでもなからうが、提議者の言分が余り露骨すぎたと考へたものと見えて、直ぐさま起つて只今の某氏の述べられた日本との貿易上に対する非難の二点は、兎角売買の取引上に間々あることで、それが日本の商人のみにあるやうに某氏は考へて居るやうであるが若しそれならば穏当でない、英吉利の商売人にも矢張ある、誰々とは今言ふ必要もないけれど、何処の国にもあることだ、勿論将来之を矯正したいけれども、現下日本だけにあると云ふて直ちに其匡救策を要求するのは甚だ穏当でない、私は決して渋沢君に遠慮して申す訳ではないが、今の発言は少し言過ぎであらうと思ふ、それ故に要求として申出されたことは取消されて向後相互の注意を要することにしたいと、斯う言つて極く仲裁的の親切なる説を述べて呉れた。私はそれを聴いて大に仕合せと思つたから、却て之を打消して今お答せんとするときにミッチェル君のお説があつたから、暫く控えて居つたが、只今の御注文は御尤である、商売人は兎角自己の都合を図る為に、甚しきは其処にまで弊害が及んで行くのだけれども、それは独り日本人ばかりではない、欧羅巴・亜米利加にもさう云ふ人が無いとは言はれぬそれが商業道徳の頽廃と云ふものである。商業道徳を進めて行くには日本であれ、英吉利であれ、亜米利加であれ、成るべく只今のやうな陋習を矯正して行かなければならぬ、今ミッチェル君の云はれた言葉は誠に穏当である、日本も直しますが余所の国も直すが好い。詰り国際上の取引に商業道徳の向上を図ると云ふ趣意を、御互に考究したら宜からうと云ふ弁解で、其時の意思疏通談は済みました。蓋しこれは唯々一例を挙げたのであるけれども、二十幾年経つた今日でも前陳の弊害は進むとも退かないと云ふのは、兎角に人は自己の都合を先きにする所から、信義とか道理とか云ふものを段々に疎外するやうになるからだと思ひます。
個人を主とする欧米主義、又宗教がそれであるから、東洋道徳とは根本に違ふ所はあるけれども、私は英吉利人とは余り親しくないが亜米利加には屡々行つた為に米人とは懇親も厚く、重立つたお人と家庭的親類同様に交際つた人が幾人もありますが、其実際に於ては東洋の道徳と些とも違はぬやうに思ふ。家庭の教訓などは実に美しく道理正しい。例へば紐育府のヴヮンダーリップ、ピッツブルグ市のハインヅ、
 - 第51巻 p.61 -ページ画像 
費府のジョン・ワナメーカー、是等の人々の家庭を見ても細事にも道徳を重んずる所、父子夫婦の情愛の極く親密にして質実なる所が、決して唯々利己主義を主とするものではない。然るに日本で学ぶ所は、其善い方は些とも採用せずに悪い方だけを見習ふやうである、殊に今日は其弊が益々増長して来るやうに思はれる。畢竟是は教育上から本当に直して来なければいけないものではないか。風俗が頽敗したとか思想界の混乱が困るとか誰も彼も頻に言ふけれども、其困る事は何に原因するか、是は頗る重要問題だらうと思ひます。殊に此弊害を助長したのは、私から云ふとどうも政治界が余計に其手本を世に示したやうに思ふ。政治は一つの術数だ、力があればそれで宜いのだと云ふことを公言して恬として恥ぢぬ。極言すれば多数であれば白いものも黒くなるとして真正の善悪を考慮せぬと云ふ有様が時々見えるやうである。此悪弊がどうしても一般の気風をして益々利己主義に陥らしむるやうな傾を為して来る。故に私は常に実業上の道徳論を主張して居りますけれども、独り実業界ばかりではない、政治界が道徳なりとならなければ、決して完全なる質実剛健の気風にはならない。仮令如何なる大詔が渙発されても、そこに達することは難いだらうと考へて居ります。私は当初銀行者になる時に自己の考を余程練つた積りである。初めには微力ながらも今日の封建政治は完全なものでない、外国に対して是から日本が対抗して進んで行かなければならぬのだ、其時代に斯かる世官世禄の制度はいかぬと云ふ意見を持つて、敢て政治家にならうと云ふ程の考ではなかつたが、此現状を打破せねばならぬと云ふのが私共同志の祈念する所であつて、其中でも私は最も過激派であつた。色々の変化から遂に政治界に顔を出して見たけれども、蓋しそれは本意でなく、丁度幕府の倒れると同時に慶喜公に対する情義と共に一つには自己の不能に顧みて、寧ろ実業界に力を尽したら宜からうと思ふて、即ち経済界の人となつたのである。昔を顧みると、斯う云ふ観念で斯う云ふ行為をしたならば多少世の裨補ともならうかと思ふたのが、種々変化して後に所謂経済主義で生産殖利を考究すべき位置に立つた。而して此生産殖利は第一に得失を先とするから動もすると道理を誤り、徳義を滅すると云ふことが多い。得失から目が眩むと云ふことは普通あり勝である。是は何か一つの厳守するものを定めて其趣旨は必ず動かさぬと云ふ心を以て実業界に立つたならば、得失によりて道義を滅する様なる過ちはなからう。即ち道徳に依つて実業を進めて行きたい。就ては誠に浅薄の学問ではあつたけれども、論語と云ふ書物は修身斉家は勿論、人に対し事を処するに細大となく応用し得る基礎と為すに足るものである。詰り孔夫子の教旨とする論語に依つて実業界に立ち、銀行を経営して見たいと云ふのが私の理想で、爾来此覚悟を以て進んだのであります。悲し哉私の力の乏しい為め此主義に応じて来る実業家が比較的少ない。反対に前にも述べた政治界の通弊に倣うて政治は力なりと同じやうに、商業は金力なりと云ふ風に傾くので、私は心苦しく感じて居るのであります。
去りながら是は独り日本ばかりではない、世界を通じて大に考慮せねばならぬ。要するに人間万事次第に進んで行くと云ふことは、実は私
 - 第51巻 p.62 -ページ画像 
抔にはまだ正確に未来を想察しきれませぬが、詰り人類が追々に向上すべきものであるならば、随て道理も段々に拡大発展して行かねばならぬ筈である。
若し又さうでないならば人類は終に相争い相食みて暗黒世界に陥つてしまふ。是は独り一国に限るのでなく国際上も同じ様に道徳で立つて行けさうなものと私は思うたけれども、現在の所では国際上は別として道理情義の関係よりは力と云ふものを重んずる弊が見えるやうであります。蓋しまだ仁義道徳の力が此世界を本当に感化する迄に行かぬのか、愈々其望がないのであるか、又は其道程にあつて是から追々に其処まで進むものであるか、此極度に至ると私抔にはどうも予言が出来ませぬ。併し私の独断では世界と云ふものは進みつゝあると思ふ。反対に段々に退歩すると言ふ人もあるが、是は開闢以来の歴史を見ても明かに分る。但しそれとても国に依りますけれども事実から見ても次第に進化し行くことは間違ない。独り一国ばかりでなく国際上も亦然りと言ひ得る。甚しきは年毎に少々づゝでも変つて行く。之を十年百年千年の昔に較べて見ると其進歩の程度は実に驚くべきものであると思ふ。其進歩の跡を見ると或る人慾が時々邪魔をするけれども、追追にそれが減ずるやうになつて来るのは疑のない事と思ひます。故に私の考案する所では、未だ其処迄に至らぬけれども今にさうなるだらうと深く希望もする、又信頼もして居るのであります。斯く考へて見ると今日の有様も矢張進歩の道程にあるのだと思返すことが出来る。私が生れて物心を覚えてから既に七十余年、農民を辞して我が家を出てから丁度六十二年、社会的の人となつてからも幸に身体も比較的に健康である(但し時々種々なる病気は有たけれども)而して社会の事物に当りましたのは世間の一般の人から比較すると各方面の接触が多かつたと思ひます。而して今世事に対して種々なる苦情は言ふものゝ之を往時に顧みて其進歩は実に著しいものである。故に其点から考察しても喜ばしいやうにも思はれる。さらばと云ふて遠慮なく自己の希望を言ふならば、今少しく人が道義観念を強く維持して呉れさうなものだとも思はれる、是は私自身に接近して其範囲内に在る第一銀行とか何会社とか、朝夕意見を交換して極く親しくする人々は大抵同じ色であるから別に苦情はないけれども、他の方面は決してさうは言はれませぬ。想ふに私の徳化の鈍いのか又は力の足らぬのか、それとも人類の進歩が遅々たるのか、抑々亦私の考が間違つて種々の疑惑が起るのか、けれども私は妄信する。人類は結局進歩するであらう、遂には黄金の世界に達するものであると斯う期念して居るのであります。