デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第51巻 p.64-67(DK510014k) ページ画像

昭和2年6月14日(1927年)


 - 第51巻 p.65 -ページ画像 

是日、前大蔵大臣高橋是清・大蔵大臣三土忠造ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第二百二十二回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第八三巻第四九七号・第六四頁昭和二年六月 録事 東京銀行倶楽部晩餐会(DK510014k-0001)
第51巻 p.65 ページ画像

銀行通信録  第八三巻第四九七号・第六四頁昭和二年六月
 ○録事
    ○東京銀行倶楽部晩餐会
東京銀行倶楽部にては五月十八日午後五時半より、法学博士新渡戸稲造氏を招待して第二百二十一回月例晩餐会を開き、食後小野委員長の挨拶に次で、新渡戸氏の国際聯盟に就ての演説あり、午後九時盛会裡に散会せり
尚同倶楽部にては六月十四日午後五時半より、前大蔵大臣高橋是清氏並に現大蔵大臣三土忠造氏を招待して、第二百二十二回月例晩餐会を開き、食後小野委員長の挨拶に次で、前蔵相高橋是清氏の這般の銀行恐慌に際して執りたる政府の応急施設に就ての演説あり、次で三土蔵相の今回の銀行恐慌と将来の銀行方針に就ての演説あり、続いて渋沢子爵の先般の恐慌に対する銀行家の責任と功績とに就ての演説ありて午後八時半盛会裡に散会せり


銀行通信録 第八四巻第四九八号・第二四―二五頁昭和二年七月 新旧大蔵大臣招待晩餐会演説(昭和二年六月十四日東京銀行倶楽部に於て) 這般の金融界大恐慌を顧みて 子爵渋沢栄一(DK510014k-0002)
第51巻 p.65-67 ページ画像

銀行通信録  第八四巻第四九八号・第二四―二五頁昭和二年七月
  ○新旧大蔵大臣招待晩餐会演説
          (昭和二年六月十四日東京銀行倶楽部に於て)
○上略
    ○這般の金融界大恐慌を顧みて
                   子爵 渋沢栄一
委員長、高橋・三土両閣下、満堂の諸君。今夕は常例晩餐会に久々で参上致しまして特に高橋閣下、三土閣下に御陪席を致して、両閣下の御演説を拝聴致したのは、今は昔社会を去つた私も、昔御一緒に苦んだ一人として何だか現在人の如き感情を以て感謝致して居る次第でございます
実に先頃の金融界、直接に申せば銀行に色々な支障を生じ危険を起しましたことは、或る点から申すと実に御同様――と云つては私は甚だ烏滸がましいが、銀行者諸君には大に恐縮なさらねばならぬとまで申上げたい位に思ふのです。若し各銀行者が真の注意を以て事業を経営なさつたならば、斯かる事態は生ずまいと――必ず生じないとは或は言はれんかも知れぬが、さう申上げたい。多少心を許した、扱ひに放漫な廉があつたから世間に不安心を生じた。或は危懼の念を起したお人の悪いと云ふこともあるかも知れませぬが、其危懼の念を生ぜしめた銀行の経営が宜しきを失つたと言はねばならぬやうに思ひます。斯かる機会に高橋君の如き実に忠実にして且つ時宜に応ずる英断を持つてござる御方が朝に御立ち下さつて、只今御講演の如き其機宜に応ずる御処置、又同時に御集りの皆様方が早く既に注意して相当の方法を講ぜられて、即ち一方には危険を生ぜしめたことを事なきに取収めたと云ふことに付ては、銀行者それ自身も只今高橋閣下の御褒め下さる
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ことを充分に御受けなさることが出来ませうが、併し是は正しく申すと、其原因は矢張銀行者から起つたと申せば所謂功罪相償ふとでも申さなければならぬかと私は思ふのでございます。之を要するに物が進歩すると自然と其進歩に狎れる、狎れる間に弊が生ずる、其弊からして大に釁端を引起すと云ふことが総ての事物に免れぬものでございます。銀行業者も或は然らんかと申上げねばなりますまい。若し果して然らば丁度斯かる機会に自ら能く顧みて、之を新にすると云ふことは決して今日あつた事を喜ぶではございませぬけれども、必ず事業に対する一の大訓練、或は禍を転じて福とせしむることが、必ずしも出来ぬことでも無からうと思ふのでございます
只今現大蔵大臣三土君は銀行に対する種々なる御注意を下さいまして誠に御尤に感じますが、丁度今渋沢と云ふ名まで御指し下さいましたが、其初め今の制度とは違ひますけれども、国立銀行条例の発布されたのは明治五年の十一月でございます。而して第一国立銀行の出来ましたのが明治六年八月の一日でございます。現に私が其許可を得て開業を致しました一人でございます。其当時を顧みますると、私は勿論何も知らぬのでありますから、左もあるべき訳でございますけれども実に戦々兢々たる有様であつたのでございます。丁度此程お師匠さんの例の「チャーター・バンク」から傭うた英吉利のシャンドと云ふ人から手紙を送つて呉れましたが、其シャンドのことに付て私は度々想ひ起します。屡々叱られたことを今尚ほ記憶して居ります。其シャンドの検査は中々今日大蔵省のやうな浅墓な――浅墓なと申上げては相済みませぬ(笑声)どうぞ御取消を願ひますが、それは深刻なものでございました。殊に吾々は彼のやうな流儀で無かつたものですから、尚更以て赤面致したことが屡々でございます。言うたことを書いて置く。次の検査の時に又質されますと、忘れてしまふから変つたことを言ふ。すると前の書いたものを出して貴方は前には斯う言うて居りますと指摘されて、慚愧したことが二度三度あります。さう沢山では無かつた。殊に私は今も猶ほ此シャンド氏に深く敬服して居るのは、第一銀行が幾らか海外発展の心懸を持ちまして、朝鮮及支那に支店を出したいと云ふ案を立てました。其時に此シャンド氏に大に叱られたことを私は深く記憶して居ります。此国立銀行と云ふものは、亜米利加の制度に則つて内地的のものである。結局は今に統一すべき銀行も出来るであらうけれども、そこ迄は私は敢て立入つて申さぬが、之に直さま引続いて海外専業を経営すると云ふことは、お前は第一に金銀比価の有様と云ふものを知つて居るか。金と銀は異つて居るからそれは知つて居る。それだけしか知るまい。金の相場が銀に対してどう云ふ関係を持つか。西洋は金貨国で東洋は銀貨国と云ふことを知つて居るか。それは知つて居る、日本も支那も銀貨国である。それ位しか知るまい。普通の銀行と為替銀行は大変に違ふと云ふことを心得ねばならぬ。若しお前がやつてやれぬことはないかも知らぬけれども、或は恐る第一銀行は直に「パンク」してしまはぬとも限らぬ。だから切に其事はお止めなさい。斯ふ言うて其シャンド氏が止めて呉れた。其教へに従つて謹で支店を出すことを止めましたが、今日も第一銀行は其例
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を追つて居るやうに存じます。私はもう十年以上銀行の方を引いて居りますから、現況を申上げる限りではありませぬ。右のやうな訳でシャンド氏の吾々に対する厳格なことは、果してそれが其当時に於ては宜かつたか知らぬが、又未来永遠それが宜いとも言へぬでありませうが、今日の所では或は恐る、銀行が余りに暢気すぎる、と言はれることが無いとも申せぬかも知れぬ。此場合にはどうぞ大蔵大臣は、シャンド氏程でなくても宜しうございませうけれども、少々厳格に御処置なさることを、寧ろ私は御願ひ申したい位に思ひます
呉々も今日高橋・三土両閣下が御出下さつて、誠に御親切なる御誡め並に御奨励を下さつたことは、私は自己の身に接するが如く有難く感じまして、甚だ諸君に対して失礼でありますが、私が一人で叱られたか褒められたか双方背負つたやうに――決して皆様の御功労を私が横取をした訳ではありませぬけれども、私も諸君と共に此御礼を申上げて慎む考でございますから、玆に一言御礼を申上げます(拍手)