デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
2款 全国手形交換所聯合会
■綱文

第51巻 p.177-180(DK510042k) ページ画像

明治43年10月23日(1910年)

是日栄一、東京銀行集会所ニ開カレタル、全国手形交換所聯合懇親会ニ出席シテ演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第五〇巻第三〇一号・第三七―四八頁明治四三年一一月 ○内国銀行要報 全国交換所聯合懇親会(DK510042k-0001)
第51巻 p.177-180 ページ画像

銀行通信録 第五〇巻第三〇一号・第三七―四八頁明治四三年一一月
 ○内国銀行要報
    ○全国交換所聯合懇親会
全国交換所聯合懇親会は十月十三日午後五時《(二十三)》より東京銀行集会所に於て開会せられたり、当夜の出席者は桂大蔵大臣・松尾日本銀行総裁を始め来賓十五名、主人側八十五名にして其氏名左の如し
      来賓(十五名)
  大蔵大臣侯爵 桂太郎     大蔵次官 若槻礼次郎
     財務官 水町袈裟六  専売局長官 浜口雄幸
    主計局長 橋本圭三郎   理財局長 勝田主計
    国債局長 塚田達二郎   主税局長 菅原通敬
     書記官 森賢吾      秘書官 長島隆二
    銀行課長 森俊六郎  予算決算課長 西野元
日本銀行総裁男爵 松尾臣善  日本銀行理事 木村清四郎
同   営業局長 土方久徴
      主人側(八十五名)○氏名略ス
斯くて開宴に先ち東京交換所委員長豊川良平氏は来賓に対する挨拶を兼ねて一場の演説を為し、次で桂大蔵大臣及松尾日本銀行総裁の演説あり、夫より一同食卓に着き宴酣なる頃豊川良平氏起て来賓の健康を祝して乾杯し、桂大蔵大臣亦杯を挙げて交換所聯合会の隆昌を祝し、終て渋沢男爵及小山健三氏の卓上演説あり、夫より更に別室に移り随意歓談の上午後十時散会せり、当夜の演説筆記左の如し
    ○豊川東京交換所委員長の演説○略ス
    ○桂大蔵大臣の演説○略ス
    ○松尾日本銀行総裁の演説○略ス
    ○渋沢男爵の演説
閣下並に諸君、本夕は例に依り全国手形交換所聯合懇親会を開きまして桂大蔵大臣閣下・松尾日本銀行総裁其他諸君の尊臨を乞ひ上げました所、御多忙中御繰合せ斯く御出席下さいましたことは吾々会員一同の深く感謝致す所でございます、謹で御礼を申上げます
今夕私の申上げんと思ひますることは、最早殆ど余蘊なく大蔵大臣閣下並に日本銀行総裁両公の御言葉で尽されて居るやうでございまするで、大に満足致しました、吾々は実に安心をしたと申すに過ぎぬのでございます、況や豊川委員長よりして初めに大蔵大臣閣下に望むに未来の財政の方針を御説明あらんことを以てして、同時に四十年来の財
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政の景況を忌憚なく詳述して吾々の企望を陳情をば致してございまする、是に対して大臣より周到に懇切に各項目に分つて財政の方針を御示し下すつたと我々は拝聴しました、斯の如く鄭重に斯の如く綿密に吾々に其趣旨のある所を御示し下すつたといふことを吾々は深く感謝致しますのです、既に委員長から申上げました通りで重複致すは頗る煩はしうございますけれども、今日の喜や既往の憂を回顧せざるを得ませぬのです、金融界の四十二年以来至つて平穏に帰し、又我が公債証書の内外に信用を回復しましたといふ今日の喜は、四十年の冬若くは四十一年の春頃に大に憂ひたりし既往を吾々をして深く回想せしむるのでございます、併し此事はもう喋々申上げる必要はございませぬで、唯吾々は此喜に対して既往大に憂ひたりしといふことを玆に諸君と共に申上げるのでございますが、一言玆に申上げ添へたいと思ふのは、兎角に世間が銀行者は財政界に特殊の勢力でも持つて居る如き誤解を受けるのを私共は甚だ迷惑と思ふのでございます、蓋し国家を憂ふるの情は政治家にあれ、教育家にあれ、吾々実業家にあれ殆ど軽重はない、而して金融界に従事する者が此財政に経済に大に憂へざるを得ぬといふことは是は理性の然らしむる所でございます
既に一昨年の春でありましたか、当時の大蔵大臣に対して凡そ物其平を得ざれば鳴る、金石の声無きも物之に触るれば鳴る、鳥を以て春に鳴り雷を以て夏に鳴ると、韓退之の孟東野を送るの序を繰返して今の言議の多いのは何れ鳴らせる源因があるであらうからして此の鳴る声を善く鳴らせて貰ひたい、悲みの声に鳴らせて貰ひたくないといふことを申上げたのであります、其後当内閣が成立致しても矢張り均しく同じ声を以て現内閣に鳴らした積りでございます、而して吾々の鳴らすや種々なる方面を以て望むは或は其宜しきを得かねはせぬか、財政に対する処置として例へば公債を整理する政策もあらう税制を整理する政策もあらう、其他尚算し来つたならば幾らもあらうけれども、成るたけ一に専らにして其の宜しきを得るやうにし後から追々に及ぼすが宜からう、二兎も三兎も逐うて一兎も獲られぬといふことを恐れるのである、而して吾々が当時見渡した所では内外に対する関係上、内外に対する信用上公債政策を是非第一に置て戴きたいと深く企図したのでございます、即ち其鳴らした声が幸に容るゝ所と相成つて、其年の秋政府の方針は斯様であるといふ確乎たる御示を此手形交換所の会同の時に頂戴したのは今尚其喜を脳裏に留めて置きますのでございます、而して今日委員長から未来に対する公債政策として伺ひました所に依れば、殆ど其当時と少しも其方針を異にせぬ、而も現に公債の整理に於ても努めて償還的方法を用ゆるといふことは頗る穏健な御処置と深く喜ぶのでございます、当時の吾々の苦衷が幸に政府の容るゝ所と相成りましたので、或は世間から誤解を来し、何か金融界に関係する者が財政上の意見に先取権でも持つが如き評論を受けまするのは、少し吾々に取つては迷惑と感ずる次第でございますが、併し其事柄が吾々の希望よりして宜しきを得るやうに進んだとすれば、此財政の整理で金融の宜しきを得るのは銀行者だから仕合せを得るといふ訳ではない、天下国家の共に喜ぶべきことでありますから、吾々は決して人
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の批評に対しては殆ど意とする所は無からうと思ふのでございます
先刻大蔵大臣閣下の各方面に付いて財政の大要を御示し下された中に最も吾々が安心を致したと存じますのは、併合されたる朝鮮に対する政費、細かいことは勿論吾々の知り得る所でございませぬけれども、既に併合の暁には、大に財政に影響を来しはせぬかと懸念致したのでございます、此懸念が杞憂となつて只聊か増すといふ場合はあるかも知れぬけれども、為に財政の鞏固を欠くといふ如き虞はないといふことは玆に明言し得られるといふ仰は洵に吾々共喜ばしう感ずるのでございます、之れ有つてこそ俗に申す案ずるより産むが易いと言ひ得らるゝので誠に満足に思ふのでございます、又海軍に対しても未来の政費に相当なる一箇条を加へると云ふことは、一等国として列強の伍伴に入つた帝国必然の名誉に伴ふ責任と考へなければならぬのでございますで勿論已むを得ぬことゝ吾々共も十分了解致して居ります、而して是は申すまでもなく国民が十分覚悟して是に応ぜんければならぬことゝ存じまする、其他水害に対し又他の事柄に対し各部に分つて財政の要領を御示し下すつたことは、吾々其施政方針の明晰なる、又吾々に御示し下さることの懇切なることを深く感謝致すのであります
日本銀行総裁の爾来の財界の景況若くは経済上の状態に於て、統計に依り実例を引きて一年乃至十数月の間の有様を歴々と指摘して御述べ下さいましたことは、私共細かに其数字を知悉致さぬために或は疑ひつゝ居つた迷夢を啓いて下すつたと申して宜からうと思ふのでございます、果して御示の如き有様とすれば即ち内にして不景気不健康と申したことは、譬へば疵を受けたる人が痛がつたと思ふために癒つた後でも尚余痛が存して居るかと疑ふ如く、経済界に沈鬱を遺して居るといふ嫌が無いとも申せぬのでございます、故に大蔵大臣の御示と申し日本銀行総裁の例に依り数字に付いて御説明下すつた事柄と申し、財政に経済に皆仰の如く良好の位地に回復しつゝあるといふことは吾々共最も欣喜雀躍致す次第でございますが、併し玆に一・二吾々共が尚ほ蜀を得、隴を望むといふことを申上げなければならぬ点があらうと思ふのでございます
蓋し吾々が一昨年頃に先づ公債政策を先にするが宜からうと申上げましたのは、税制の整理をせぬで宜いと言つた意味でないことは当時自身からも明言致した、社会も知悉して呉れたであらうと思ひます、又時の政府も決してそれを宜いとは思召さぬに相違なかつた、今や公債に付いては既に其政策の宜しきを得たとすれば、此場合税制に付いての整理といふことも希望して已まぬ所と申上げねばならぬやうでございます、而して此戦後の税制に付いては戦時中の増税の如きは決して適当なものであるといふことは、如何に大蔵大臣の御前でも私は申上げることが出来得ませぬやうに考へるのでございます
もう一つ申上げて見たいのは、今日の事物が兎角に中央に集り過ぎて地方の力が薄くなるといふ嫌がありはせぬかといふことを恐れるのでございます、蓋し是は地方に其力が乏しい、其人が少いといふことも或はあるか知りませぬなれども、中央に集権するといふことは真成にに実力を強めるといふことゝは同じ道行をせぬではないかと恐れます
 - 第51巻 p.180 -ページ画像 
る、成るべく此際為政上中央に集権しないやうに御力めあれかしと希望せざるを得ぬのでございます
日本銀行総裁の御説によりて経済上の進歩が追々に順調になるといふことは誠に喜ばしい次第でございますが、得て吾々共の経験に於ては是迄の例として其順調たるや順調に乗じて行過ぎる、行過ぎて逆境に戻るといふことは屡々繰返すのでございます、結尾に日本銀行総裁は御互に心して其覆轍を履まぬやうにといふ御忠言は最も吾々が金科玉条として伺はなければならぬことであつて、果して日本銀行総裁の御調査の如き数字で追々に進んで行くとすれば、此場合或は近い将来に事業勃興の萌しを起し為に又順をして逆たらしむるといふことが生ぜぬとも保しかねるのであります、是は為政者に望むでは無くて自ら己れが心懸けねばならぬのでありますから、日本銀行総裁を始めとして会員諸君の御注意に依つて幸に順調にして事業熱が若し高まる有様がありましたならば、之をして余り過度に進ませぬやうにするといふことは、蓋し吾々の心々に依つて相当の制裁を加へることが出来るであらうと思ふのであります
大蔵大臣に望み上げることゝして私の申上げるのは甚だ抽象的であつてこれを具体的に申上げ得られませぬ、又具体的に申上げることは殆ど不可能でございます、併し希望として幸に此財政の良好の気運に向つた今日に更に税制の整理と同時に中央にのみ集権せざらぬやうな施政に出でられんことを深く希望致しまする、玆に御懇切なる財政経済の御懇示を得ましたことを喜びまして之を謝すると同時に、更に附加へた希望を申上げ、一方には此席上の会員諸君と共に自ら省みて再び過失を重ねぬやうに致したいと存じますのでございます、之を以て御挨拶と致します
○下略


竜門雑誌 第二七〇号・第七五頁明治四三年一一月 ○手形交換所の聯合懇親会(DK510042k-0002)
第51巻 p.180 ページ画像

竜門雑誌 第二七〇号・第七五頁明治四三年一一月
    ○手形交換所の聯合懇親会
東京・大阪・名古屋・横浜・京都・神戸の手形交換所組合銀行聯合懇親会は十月二十三日午後五時東京銀行集会所に開催せられ、来賓桂首相兼蔵相以下主客併せて百十余名出席す○中略
席定まるや委員長豊川良平氏一場の挨拶をなし、次で桂蔵相より財政方針に関し、松尾日銀総裁より経済及び金融に関し夫々演説する所あり、終つて晩餐に移り乾盃の後青淵先生及び小山健三氏の演説あり、更に別室に於て主客相混じ財政経済に関する談話を交換し、和気靄々の裡に十時過ぎ散会したり○下略