デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
1款 東洋生命保険株式会社
■綱文

第51巻 p.219-220(DK510057k) ページ画像

明治44年10月28日(1911年)

是日、築地精養軒ニ於テ、当会社契約高一千万円祝賀会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第二八二号・第五九頁明治四四年一一月 ○東洋生命保険会社の祝宴(DK510057k-0001)
第51巻 p.219 ページ画像

竜門雑誌  第二八二号・第五九頁明治四四年一一月
○東洋生命保険会社の祝宴 昨年七月青淵先生始め第一銀行の佐々木勇之助氏、第百銀行の高田小次郎氏其他の有力者数十名、新に株主となりて全然組織の更革を為したる東洋生命保険株式会社は、社長たる本社会員尾高次郎氏以下社員一同戮力協同奮励の結果、僅々一年有余の期間に於て、既に一千万円以上の新契約を獲得して其基礎確立せるより、十月二十八日を卜し、采女町精養軒に於て祝宴を開き、紳士百五十余名を招待せられたるが、青淵先生にも招待に応し出席の上、尾高社長の挨拶に対し来賓総代として一場の演説○次掲を試みられたり。


(東洋生命保険株式会社) 社報 第五五号・第三八―三九頁大正六年八月 回顧七年(DK510057k-0002)
第51巻 p.219-220 ページ画像

(東洋生命保険株式会社) 社報  第五五号・第三八―三九頁大正六年八月
    回顧七年
○上略
明治四十四年十月二十八日本社の契約高一千万円祝賀会に於て
 (前略)社長の唯今の御演説は第一に御同様集つた諸君に対しての感謝の意と、又此会社の既往に於ける経営の報告と並に一歩進んで
 - 第51巻 p.220 -ページ画像 
は此営業の広告的の意味も含んだか、更に少し皮肉に申したら多少自負を加味した御演説の如くにも解せられました、併し是は株主諸君などは此自負されることを別に不足とするには及ばぬ、他に向つては如何にも然り、我れ善良なる社長を得たりと仰しやる方が宜からうと思ひます、其申述べられたことは何れにも致せ、私共も実に短い歳月に左程大なる犠牲を払はず、先づ当初の目的を達し得たといふことは、社長は勿論のこと当局諸君及御従事の社員其他が実に容易ならぬ御勤労の結果として、深く感謝の辞を述べねばならぬと存じます、(中略)唯今社長は此会社の改革に付て二つの要素を述べられました、即ち財産状態を堅固にするのと業務の方法組織を変へて十分精励するといふことを社長が述べられましたが、私○栄一は最も其宜しきを得たといふことを賞讚して已まぬのでございます、如何に社会が同情を表しても、如何に時代が要求しても、競争の多い仕事に対しては、自然社会は他の働くものに赴いて来るといふことは争はれぬのでございます、然らば則ち信用が厚く取扱が親切でなかつたならば、必ず其業の繁昌は期せられぬであらう、畢竟一年有余の間に先づ当初の目的を達したといふのは、信用といふ土台を造つて勉強といふ家を建てた、即ち大要宜しきを得たからであると斯う申上げて宜からうと思ひます、誠に第一着としてはお芽出度い訳であるが、併し是は謂ゆる初歩であつて、若し人の寿命で言ふならば未だ初老になつたとも云へないでございませう、是から五十、六十、七十、八十、九十、百何十までも進まれる、謂ゆる前途は遼遠と思はねばならぬ、百里を行く者は九十里を半ばとすといふ言葉がある、前途を強く考へるは古人の戒めでございます、又漢学者流の戒めに「名を成すは毎に窮苦の日、事を破るは多く得意の時」といふ辞もございます、寧ろ最初の窮苦の間に基礎が出来て却て得意の日になつて事が破れるやうなことが無いとも申されませぬ、決して社長の御自負かと思ふ其お言葉に反対するではございませぬが、事実さういふことが無いことを期せられぬものでございますから、呉呉も当局者、又是に御従事の諸君が、其御意念を常に念頭に留められてお忘れないことを私は深く望み上げるのでございます。(後略)