デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
5款 東邦火災保険株式会社
■綱文

第51巻 p.314-315(DK510085k) ページ画像

大正4年5月20日(1915年)

是ヨリ先、田健治郎等ニヨリ、東邦火災保険株式会社設立セラレタルモ、業務振ハズ。是日栄一、大株主会ニ出席シテ意見ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK510085k-0001)
第51巻 p.314 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
五月二十日 晴
○上略
午後五時東邦火災保険会社ニ抵リ、大株主会ニ出席ス、会社ノ業務不振ニシテ損毛多キニヨリ解社ノ議論アリ、依テ現重役ニ於テ充分熟慮シテ提出セラレン事ヲ要求シテ一同散会ス○下略


損害保険研究 第四巻第一号・第二三二頁昭和一三年二月 我国火災保険会社の沿革(其二) 疋田久次郎(DK510085k-0002)
第51巻 p.314-315 ページ画像

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渋沢栄一筆扁額(DK510085k-0003)
第51巻 p.315 ページ画像

渋沢栄一筆扁額        (東邦火災保険株式会社所蔵)

図表を画像で表示渋沢栄一筆扁額

      六 合 具 照              壬子元旦試筆              若宮雅兄清鑑                渋沢栄一                   □□ 



  ○右ノ額ハ東邦火災保険株式会社会議室ニアリ。


粟津清亮談話筆記(DK510085k-0004)
第51巻 p.315 ページ画像

粟津清亮談話筆記         (財団法人竜門社所蔵)
              昭和十五年九月六日、於東邦火災保険株式会社社長室
    東邦火災保険の創立に就て
東邦火災保険会社の抑々の起りは、川崎八右衛門氏の日本火災保険の再保険会社を作らうと云ふので始めたものであります、ところが日本火災は東邦火災が未だ開業しない中に外国の再保険会社と契約を始めたゝめ、東邦火災を利用する必要が無くなつた、そこで川崎さんの方から解散の話が出て、皆さんの株は若し御望みなら私の方へ引取つて差し上げても好いと云ふことでありました、此晴天の霹靂に対し発起人田健次郎・若宮正音・馬越恭平等の方々の間で色々と協議しましたが、その結果断然独立即ち元受でやらうと云ふことになり、川崎さんの方へ交渉して川崎系の株を全部買受けました、そのとき第一銀行の方へ株を大分持つて行つたのであります、そう云つたような関係で、当時第一銀行の重役であつた日下義雄さんが社長に就任されました。ところが中々事業の拡張が困難で、開業以来三・四年間株主配当が出来ぬので、解散論すら出まして、渋沢子爵には大株主会へも出て頂いて御意見も伺ひました、私は当時監査役をして居り、他方では日本傷害保険の社長でありましたが、皆さんで粟津に一度やらして見ようと云ふことになり、大正四年六月二十一日の重役会で私が常務取締役に近藤成虎氏が支配人に就任することゝなり、七月七日の総会で正式に決定致しました、渋沢子爵にはそれまでにも色々と御心配を頂いて居つたのでありますが、爾来私は会社の情況を報告旁々子爵の御指導を仰ぐために、屡々渋沢事務所へお伺ひしたことがありました。