デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.7

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

2章 交通・通信
1節 海運
1款 日本郵船株式会社
■綱文

第51巻 p.391-437(DK510101k) ページ画像

大正13年10月15日(1924年)

是ヨリ先、当会社内部ニ海員・陸員ノ反目アリテ屡々紛擾ヲ醸ス。是年九月、陸員幹部、会社ノ振起粛正ヲ社長伊東米治郎ニ要望スルヤ、夫等幹部十一名馘首ノ事アリ、陸員七百余名起チテ重役ニ辞職ヲ迫ル。是日、伊東社長辞職ス。玆ニ於テ栄一、郷誠之助・岩崎小弥太ト共ニ後任重役ノ銓衡ニ当リ、新ニ社長ニ白仁武就任シ、次イデ取締役ニ木村久寿弥太・大橋新太郎・各務鎌吉・土方久徴・原富太郎・菊池恭三就任ス。


■資料

集会日時通知表 大正一三年(DK510101k-0001)
第51巻 p.391 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
九月廿四日 水 午後五時  藤山雷太氏より御案内晩餐会(同氏邸)
○中略。
九月廿六日 金 午前八半時 山下亀三郎氏来約(飛鳥山邸)
○中略。
九月廿九日 月 午前九時  伊東米治郎氏来約(飛鳥山邸)


東京朝日新聞 第一三七六四号大正一三年九月二五日 調停運動始れる郵船騒動 紛擾調停に渋沢子乗り出さん 衆力で目的貫徹は風教問題 但し事態惹起は社長も有責 伊東社長藤山氏の調停を喜ばず(DK510101k-0002)
第51巻 p.391-394 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七六四号大正一三年九月二五日
  調停運動始れる郵船騒動
   紛擾調停に
    渋沢子乗り出さん
      衆力で目的貫徹は風教問題
      但し事態惹起は社長も有責
        伊東社長藤山氏の調停を喜ばず
郵船紛擾に対し藤山雷太氏は、二十三日午前郵船会社に伊東社長を訪問し、現下の郵船問題に対し社会風教の上よりも黙視するに忍びず、及ばず乍ら一臂の力を貸し解決に努めたき意思を披攊した、之れに対し伊東社長
 厚意の程は有難いが、元来重役対社員の問題であるから、出来得べくんば吾々自身が責任の衝に当つて解決したい
と暗に第三者の斡旋調停を辞退したが、藤山氏は同日午後麹町上二番町に郵船相談役である郷男を訪問し、午後伊東社長に述べたと同様の意見をなしたところ、郷男は一昨年下半期社内紛擾の際兜町辺の株主連から社長に舁がれた例もあるので、斯る際に調停役として飛び出す事は却つて痛くもない腹を探らるるの恐れがあるから、相談役として十分心配はするが、仲裁の陣頭に立つ事は避けるから何分然るべく頼むとの挨拶であつた。依つて藤山氏は廿四日早朝飛鳥山に渋沢子爵を訪問○中略 同日午後一時日本工業倶楽部に於て更に渋沢・藤山二氏と会
 - 第51巻 p.392 -ページ画像 
見をなし、其の結果郵船副社長黒川秋次郎氏は工業倶楽部に渋沢子を訪問し、重役側の態度を声明する処あつた、右に関し渋沢子は曰く
 私も 嘗ては郵船に関係があつたので、今回の問題に対しては窃かに事の経過を憂慮して居つたが、従来の同社紛擾は配当問題・人事問題・金銭問題等の範囲を超へなかつたが、今度の事件は社員が多数の力を以て社長を排斥しようとするのである、勿論多数の力を待つ事は場合に依つては善い事もあるが、
 今回 の郵船問題に於ては最も謹まねばならぬ事である、若し此の多数の力が目的を達したとならば、斯る思想が社会風教上甚だ穏かでない、殊に多数社員を使用して居る大会社にとりては由々敷脅威である、然しながら斯くの如き問題を惹起せしむるに至つたのは、平素社長の信望が社員に薄い事を証明するに足るので、此の点は非常に遺憾に堪へぬ、而かも此両者の間に介在して
 仲裁 なり調停なりすると云ふ事は頗る困難の事であつて、十分調査研究せねばならぬ、自分は郵船当局にも、馘首された社員の訪問にも接したが、場合に依つては敢て進んで調停役を辞しない決心である
  藤山氏も奔走
    本日渋子と共に
    黒川副社長と会見
      推測される解決条件
藤山雷太氏は、廿四日夜渋沢子と約一時間に亘り調停に就て協議する所があつたが、二十五日は午後一時工業倶楽部で黒川副社長と会見して、重役側の意見を聴取する筈で、其の上愈渋沢子同席の上両者間の妥協を取纏める手筈である、従つて余程長びくと見られた郵船紛擾も案外早く解決するに至るらしいが、結局伊東社長の退職、罷免者は一応復職して自発的に辞任する事で纏まるのではないかと推測される、尚渋沢・藤山両氏は廿四日午前は社外四重役とも会見する模様である
    藤山氏曰く
尚藤山雷太氏は昨夜自邸で語る
 『私は渋沢さんと共に此際実業界の紛紜は実業家の手で解決したいと思つて出て来た訳である、今回の事は社員が社長の進退を云為するのも可なり考へるべき問題だと思ふし、又二十数年も会社の為に努力した智識階級の社員を、まるで労働者同様に突然解職させるといふのは果してどうか、要するに我が国民性の上から言ふも、事はも少し涙ある態度でやつて貰ひたいと思ふ、中産智識階級といふものは資本家の横暴を抑へ、一方労働階級の我儘を制する極めて国家に重要な地位である
  再び社員側の弁
    勝山氏の陳述
      理想社長の条件
社員側の首脳者勝山勝司氏は二十四日午後二時から東京ステーシヨンホテルで、今回の紛擾の真相につき世間の誤解無きを求むとして縷々数百言の釈明を行ふ処あつた、同氏は終始冷静なる態度を持して曰く
 - 第51巻 p.393 -ページ画像 
 今回の不祥事の勃発は、予々郵船の営業不振を心細く思つてゐた我我社員が、会社の立直しの切要を感じ、一夕伊東社長の自邸に於て懇談的意見の開陳を試みんとして、会見を申込んだに対し、陰謀の企あるものと誤解して、突如三支店長以外に有為の青年社員数名の馘首を発表した事に端を発するのである
と同氏は強く今回の事件が何等陰謀私心に根ざさない事を高調した後今後の根本的解決の途は只一つである、夫れは強力なるボードの出現是なりとして、同氏の希望する理想的社長が左の如き条件を具備する人物なるを望むと結んだ
 一、社会的地位高く徳望ある人
 一、郵船の国家的使命を真に諒解する人
 一、パブリックマンとして飽迄パブリック・サービスをやり、公平なる裁断を持つ人
尚附言して、海陸の軋轢云々の評の如きは現在の真相に遠いもので、最近青年同窓会を代表して上京した数名が、海陸抗争当時の僅の遺物たるに過ぎ無い、海上勤務の海員の十中九人は我々と同感者であると信じて居る
    社外重役の意見
郵船騒動は重役派、社員派共文書宣伝戦より潜航艇戦に入り互に入り乱れて暗中活躍を試みて居る、社員側は元郵船重役であつた因縁を辿り中島滋太郎・林民雄・安田柾・石井徹の四氏の外、藤山雷太・大橋新太郎の二氏を訪問し、詳に紛擾の経過を述べて諒解を得る処あつたが、更に廿四日午前社員派幹部の一部は渋沢子爵を訪問する処あり、尚犬養逓相を訪問したが、逓相に差支あつたので宮崎管船局長に事の経過を報告する処あつた、是等の訪問は敢て
 調停を 依頼するとか又は後任社長に就いて意見を求むると云ふのでなく只現下の郵船紛擾の内容を述べて社員側の態度を声明すると云ふに過ぎないが、二十三日江口定条・福井菊三郎・成瀬正恭の三重役を訪問したのは、来るべき重役会議に於て若し右三重役が現社内重役の意見を承認すると云ふ事になれば、事件は已に社員側の敗北に帰するのであるから、予め是等三重役の意志を知る必要ありとし之を確かめんとしたものである、而も三重役共事重大であると取つてか口を緘して何等断案を下さなかつたが、三重役側は意見として
 社員が直接行動に依つて、伊東社長を今直ちに辞職せしむる事は稍稍穏当を欠ぐのみならず、此の例を将来に貽して結局社長が社員に依つて左右され、株主推薦の面目は殆んど丸潰れとなる変態状態を生じ、其結果今後如何なる敏腕の人を以てするも恐らく就任するものは無いから、此の案に一歩退いて考慮する必要がある
と注意を与へたるに対し
 社員側 は今直ちに伊東社長を辞職せしむる事は、面目上且つは郵船会社の威信の上より思はしくない事であるから、或る時期迄と云ふ事は已むを得ないが、元来今日迄過去五回に互り郵船会社に種々紛擾が惹起され、其都度伊東社長は機を見て辞職する意志を洩らしたが、是等は単に一時遁れの言辞に過ぎないから、今回の如きも若
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し或る時期に辞職する事として紛擾を解決すると云ふならば、全重役会合の席上に於て十分言質をとるか、然らざれば渋沢子爵・犬養逓相の両氏に依頼して調停役として解決するのが穏当である
と云つて居る、藤山・大橋氏等は勿論実業界の有力者ではあるが、郵船には何等関係がないから郵船将来の為めにも種々誤解を招く虞あるので、調停役としては、曾て郵船重役であつた
 渋沢子 と船舶の監督行政の地位にある犬養逓相を煩はしたいと云ふにある
    社内重役の意見
 郵船の紛擾に就ては時の経過と共に、辞職社員側にも事件突発当時と異なり多少意気沮喪したるものもあるから、持久戦に入る事は結束上各種の事情より不利益の形勢を生して来る、一方重役側は江口・福井・成瀬の三社外重役を初め、郷相談役、河村・山本の二監査役を歴訪して、社員同様自己の立場より事の経過を報告して
 承認を 求めて居るが、全重役の一・二名を除く外は社外より調停者を選び解決すると云ふことは絶対に避くる事を主張して居る、即ち
 今回の事件は夫婦の喧嘩でなく、子供が親を家庭より放逐せんとする所謂親子の争であるから、若し万一調停者が介在して仲裁するが如き事あるに至つては、親たる重役の威信は地に墜ちてしまふのみならず、今後重役として社員を使用し統轄する上に於ても不都合であるから、如何なる場合に於ても重役が全責任を帯びて本問題の解決に当る
と云ふ方針であるから、特別の場合に立到つて解決せねばならぬ事情のない限り、調停者の飛び入りには全然依頼せない事となるべく、只玆に一個の
 暗礁と も云ふべきは、社内に勢力を有する福井・成瀬・江口の三社外重役の立場である
 之れは昨年十一月三十日重役会議席上にて、神戸支店長より一躍本社副社長に推薦された黒川新次郎氏、並に倫敦支店長大谷登氏の専務就任事情に関するものである、即ち当時黒川氏は、支店長より副社長は余りに一足飛にして、其秩序を誤り社員の誤解を受くる事は思はしくないからとて再三固辞したるに対し、前記三重役は極力勧説し、及ばずながら将来後援ともなり相協力して会社発展に努力せんと、強いて副社長就任を承諾せしめた関係がある
従つて今回の如き事件が単に伊東社長一個の進退に終るならば兎に角然らざれば就任当時の事情関係より江口・福井・成瀬の三重役は何とかして此の点も考慮せねばならぬので、重役会の如きも早く開催して善後策を講せねばならぬのであるが、全取締役十三名・監査役三名・相談役一名中、一・二重役には現重役の処置が
 不穏当 であると主張するものあるかも知れぬと云ふので、開催以前先づ以て十分意思の疎通を計り重役会議の席上にては一致して善後策を講ずると云ふ点から、殊更に臨時重役会議を今日迄招集せなかつたのである、要するに廿六日の定例会議迄には何とか多少両者の間に具体的態度が現れる事となるであらうと

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都新聞 大正一三年九月二五日 渋沢子調停に起つ 財界の巨頭と共に(DK510101k-0003)
第51巻 p.395 ページ画像

都新聞  大正一三年九月二五日
    渋沢子調停に起つ
      財界の巨頭と共に
郵船会社の紛擾に関し廿三・四日に亘り伊東社長及び勝山氏の来訪を受け、社長側と社員側との双方から今日迄の経過及び裏面の事情を聴取した渋沢子爵は、今回の紛擾を単に郵船一個の問題としてゞはなく社会上由々しき問題なりと観て愈々調停の労を執るに決し、廿四日正午藤山氏と会見の結果、商業会議所会頭として藤山雷太氏、工業倶楽部代表として団琢磨氏、銀行側代表として串田万蔵氏若くは佐々木勇之助氏等と一両日中に協議をなし、更に事情を調査して是等の諸氏に委嘱し調停せしむることになつた、右につき渋沢子は語る
 郵船の紛擾は毎度のことで実に苦々しく感ずる、殊に今回は幹部と社員との紛争であるから、一層其の醜態を暴露してゐるわけだが、資本対労働の社会問題とすれば、労働者である社員が団体として社長に辞職を迫るが如きは余りに不穏当であらう、併し伊東社長も事務には精通してゐるが狭量で人をよく容れぬさうであるから、一概に社員側ばかりを責めることも出来まい、それに海陸問題と云ふ難物がある、此問題は単に財界のみならず社会上にも風教上にも由々しき問題であるから、何とか解決の方法をつける為め二・三日中に藤山・団・佐々木と云ふやうな財界の巨頭と協議をして、調停といふほどのことでもないが双方を集めて叱責したいと思つてゐる
○下略


中外商業新報 第一三八五〇号 大正一三年九月二五日 サツパリ動かぬ郵船騒動 必勝を期して互に豪語す 渋沢子等も形勢傍観(DK510101k-0004)
第51巻 p.395-397 ページ画像

中外商業新報  第一三八五〇号 大正一三年九月二五日
  サツパリ動かぬ郵船騒動
    必勝を期して互に豪語す
      渋沢子等も形勢傍観
郵船会社陸上社員は、本支店員全部辞表を取纏めて提出したが、行動の総てを幹部に一任して廿四日は平常通り事務を執つてゐたものゝ、依然怠業気分で社員間には
 事件の 話題で持ち切つてゐた、一方重役側は前日の密議に引続いて、同日は伊東社長が午前十時半から社長室に閉ぢこもり、黒川副社長・大谷専務と共に一切の面接を謝絶して善後策を熟議したが、会社側の方針は予定通り飽まで断乎たる処置に出て事件の解決を図る決心で、既に社長・副社長・専務の三重役は最後の手段に就て決心の臍を決めた様である、一方
 渋沢子 は郵船相談役の郷誠之助男並びに東京商業会議所会頭藤山雷太氏と同日正午重ねて会見したが、今回の郵船騒動もいはゞ内輪の喧嘩でもあり、かつ重役会においても、未だこの問題に就てどうかうと決定した訳でもなく、殊に伊東社長は自分の力で近く事件を解決せしむると言明してゐるので、この三氏が進んで調停役に立つまでに至らず、暫く形勢を傍観することゝなつた、なほ一方社員側の同交会員中に
 - 第51巻 p.396 -ページ画像 
 裏切り 者が続出したゝめ、今回の騒動が社員側の敗北となるだらうとの説が頻と行はれてゐるが、社員側としては飽までも紳士的に出で、これ以上世間を騒がさせず、穏健な手段に依つて最後の目的を貫徹する方針で、何れも社員側の勝算を期して持久戦を覚悟してゐる
    社長は誰でもかまはぬ
      社員側の態度を勝山氏語る
同交会幹部の一人で、今回馘首された社員の最高級者であつた前神戸支店長勝山勝司氏は、数日に亘る各方面への諒解やら運動を終つて、廿四日東京ステーシヨン・ホテルでかう語つた
 「今回の運動に対し世間からいろいろ誤解されてゐる点も尠くないやうだが、この点甚だ遺憾である、現状の如く各航路就航船は古くなるし、外国の競争に圧迫されて営業が困難に遭遇してゐるにも拘らず、何等積極的営業の光さへ仄見へないので、会社を根本から立直して昔のやうな立派な会社として安定せしめると共に、従業員も心持ち好く働けるやうにして欲しいと希望して、伊東社長に懇談し度いと申込んだところ、社長は石井前副社長が黒幕となつて何か陰謀を遣つてゐると誤解したのである、われわれには全然黒幕はないたゞ押しも押されぬ鞏固なボード(専任重役)を迎へたいと云ふ一事あるのみである、この鞏固なボードは敢て現在伊東社長では全然不可だと云ふ訳でなく、社長が自省されて、専心会社のため、社員のため、株主のために尽くして呉れゝば吾々は敢てそれ以上を追窮するものでない、この意味において今後も穏健な行動を執つて最初の目的を貫徹せしむべく邁進する決心である」云々
    呉越同舟の神戸
      金鞍支店長代理の不安
神戸廿四日電話=日本郵船神戸支店では二十五日の重役会議の結果を待つことゝなり、二十四日も平常の通り全社員勤務して居るが、呉越同舟の姿で何となく暗い空気がみなぎつて居る、金鞍支店長代理は午前十時八木警察部長を訪問し何事か打合せをなしたが、同交会員が二十五日限り何等の回答なき場合は同盟休業をなすとの決議に対する善後策ならんと思はるゝも、同交会神戸支部の首領佐藤副長はかかる事実なしと否認して居た、なほ同紛擾惹起と共に一般荷主は不安の念にかられ、積荷の能否を問ひ合せ来るもの多く、同支店は極力荷主の諒解を求めて居た
  海員側は社規一点張り
    全員の意見一致して
      きのふ声明書を出す
郵船騒動について海員側は徐ろに形勢の推移を見た上断然たる処置に出づることゝし、曩に東京商船学校出身者から成る青年同窓会の実行委員は
 上京し 伊東社長に面接したが、一方地方商船学校出身者で組織されてゐる郵船同志会も、青年同窓会の実行委員と神戸の本部において屡々会合協議の結果「今回の騒動が若し社規を紊乱するやうな場合は海員側は断乎たる処置を執らねばならぬ、従来郵船社内外の空気が兎
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角弛緩してゐるのに見ても、この際最も鞏固なる社規の擁護をなすの必要がある」と意見の一致を見た、そして同会実行委員の近江丸船長横田直蔵氏は廿四日午後一時大阪から上京し
 滞京中 の阪本健蔵氏と共に今後の形勢を監視することゝし廿四日午後四時左の如く声明した
 種々なる事情を綜合すると重役側と反重役側に立つてその調停者が現はれると聞く、吾人は如何なる有力なる調停と雖も、社規の紊乱と云ふことを度外視しての調停ならば絶対に反対を声明するものである、何としてもこの社規を最も権威あらしめねばならぬ、左にあらずんば吾々海員としても、船内にある船則に就て延てはこれを厳施することも絶対に出来ないことゝなる為めに、遠く海外に出づべき海員としては其不安この上もなし、要は社規を厳施して権威あらしめねばならぬ
    たゞ不思議なのは……
      中島久万吉氏談
郵船の紛擾については、来る廿六日に開かれる同社の重役会における決議を見なくては第三者の仲解も出来ないし、解決の方法についても意見を述べるわけに行かぬ、只私の感想を述ぶれは、今度馘首された多数の支店長中には穏健な思想を持つた立派な人があるのに、これらの人々が奮起したところを見れは、その間に余程複雑な事情があるらしい
  勧告なら
    いつでも
      渋沢子語る
郵船会社今回の問題は一つの労働と資本との紛争であるから、調停するといふのは両者が対等でない以上可笑しなものである、またかうして多数が団結して事に当れば何でも出来る、重役を動かすことも容易であるといふやうなことになると誠になげかはしい、私は重役側の肩を持つのではないが、勧告の程度ならば郵船の重役も部下の信望をあのやうに失つて居るのであるからしてもよいと思ふ、廿三日に解職された前支店長の人々にも会つたし、黒川副社長にも会つて事件の事情を聞いた、また藤山さんとも会つたが、どうもまだ真相は判然しないたゞ自分のやうなものでも、我国経済界の不祥事だから口をきけといふやうな事態になつて来るなら、起つて勧告をしないものでもない


渋沢栄一書翰 控 藤山雷太宛大正一三年九月二六日(DK510101k-0005)
第51巻 p.397-398 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  藤山雷太宛大正一三年九月二六日   (渋沢子爵家所蔵)
(朱書)
大正十三年九月二十六日付藤山雷太氏宛総長親書写
拝啓 過日ハ盛宴に陪し種々御馳走ニ相成感謝仕候、其際申上候郵船会社之紛議に付而ハ、爾来諸方より陳情又ハ電報等有之候ニ付、其電文之写ハ御参考まで封入差上候、聞く処によれハ今日重役会開催之由に付、何等会社之方針も相定可申、就ハ其模様ニより何卒御調停之労御任し被下候様奉願候、小生ハ明日旧里ニ用事有之一泊掛罷越候間、二十八日夜ニハ帰京可仕候ニ付貴命次第努力可致と存候、昨日海員派より之電報能々御覧被下度候、又今朝山下亀三郎氏よりも情報有之候
 - 第51巻 p.398 -ページ画像 
右等ハ拝眉之際申上候様可仕候、右一書申上置度匆々 敬具
  九月念六
                      渋沢栄一
    藤山賢台
       玉案下


日本郵船会社紛議ノ件書類(DK510101k-0006)
第51巻 p.398 ページ画像

日本郵船会社紛議ノ件書類        (渋沢子爵家所蔵)
                 (別筆書朱)
                 大正十三年九月二十五日
                  神戸市上筒井通五ノ十二
                   社団法人青年同窓会来状
粛啓
初秋ノ候御清穆ノ段奉慶賀候
陳者当社今回ノ紛擾ニ就キ本会ハ拱手坐視スルニ忍ビズ、事急ヲ要スルモノト存ジ失礼ヲモ顧ミズ別紙ノ通リ電報ヲ以テ御賢察ヲ煩シ候段不悪御了承相成度候 敬具
  大正十三年九月廿五日
                     青年同窓会
    子爵 渋沢栄一閣下
(別紙)
今回ノ郵船内紛ハ社会組織ヲ危殆ナラシムル重大問題ナレバ、此際徹底的ニ禍根ヲ一掃セラレムコトヲ望ム
若シ悪例ヲ貽スコトアラバ将来船長・機関長トシテ船務遂行上部下統御不能トナル虞アリ
右御配慮ヲ乞フ
               社団法人 青年同窓会 
  ○着信局(王子)日付印、十三年九月二十五日ノ電報原文ハ略ス。


日本郵船会社紛議ノ件書類(DK510101k-0007)
第51巻 p.398 ページ画像

日本郵船会社紛議ノ件書類         (渋沢子爵家所蔵)
  大正十三年九月二十六日返電発
 神戸市上筒井通五ノ十二
  社団法人 青年同窓会宛        東京
                      渋沢栄一
詳細ノ貴電拝見シタレドモ、老生ハ其位置ニ非ザレバ此際何分ノ御回答致シ難シ
  ○右ハ返電ノ控。


東京朝日新聞 第一三七六五号 大正一三年九月二六日 郵船紛擾問題 渋沢子爵の調停を会社は暫時謝絶 先づ本日の重役会議にかけ 其次は大株主会議の段取り(DK510101k-0008)
第51巻 p.398-399 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七六五号 大正一三年九月二六日
  郵船紛擾問題
  渋沢子爵の調停を
    会社は暫時謝絶
      先づ本日の重役会議にかけ
      其次は大株主会議の段取り
 郵船紛擾に対し渋沢・藤山二氏が調停に起たんとしつゝあることは既報の通りであるが、同社重役大多数の意嚮はその厚意と同情に対し
 - 第51巻 p.399 -ページ画像 
ては感謝するが、今日は調停を第三者に依頼すべき時期に達してゐない、即ち先づ二十六日重役会議を開き、社内重役が実行した今回の馘首問題其他を会議に於て承認し、斯る紛擾を惹起せしむるに至つたのは重役の連帯責任であるから、其責任の自覚と共に、善後策を講ずる事とし、若し万一重役会に於て円満解決を告ぐる事が出来ない場合には、大株主会を開いて株主としての立場から十分協議し、更に大株主会に於て円満解決を告ぐる事が出来ない暁には、最後の手段として渋沢子等の調停を仰ぐ事になるのであるので、現在の状態では渋沢子・藤山氏等の調停は一時保留となることになつた、何れにせよ二十六日の重役会議は、社員側にても非常な注意を払つて居るが、殊に社外重役中相当意見を有するものもあるから必ずしも楽観は許されない模様である
  後任社長が更に大問題
    本日の重役会議の成行次第
      江口定条氏談
 郵船社外重役として三菱系を代表して居る江口定条氏は紛擾の経過を憂慮しつゝ左の意味を語つた
 ◇…元来今回の問題は単に最近に起つたのでなく、其原因は既に二三年前から陰に陽に芽ざして居つたので、愈止むを得ないと云ふので勃発されたやうに思はれるから、従つて全く郵船に関係のない人が事件の紛糾を憂ひて仲裁に入るとしても、其過去に於ける依つて生ずる原因から十分調査考慮して事に当らねばならぬと思ふ、殊に辞職を申出でた社員中にも、亦馘首された社員中にも相当教養あるものもあるから、事玆に至る迄には相当覚悟をした事であらう
 ◇…只社員側は社長を排斥して郵船を改善しようといふが、然らば後任社長をどうするかと云ふ問題が排斥以上の大問題である、若し不幸にして政党関係とか又は一部野心家の専断に委するといふ事になつたら、改善処か改悪を来たし郵船の将来を危険に陥らしむる恐れがある、社内重役が臨時重役会を開かずに殊更に二十六日の定例重役会迄重役の会合をせなかつたと云ふのは、要するに成る可く社内重役が責任を以て事件の解決を計ると云ふ考へからであらうが、案外形勢不穏で収拾困難となり、渋沢翁なども黙視する事が出来ぬと云ふに至つたので、我々重役としても甚だ遺憾の事であるが、万事は二十六日の重役会に於て何とか解決の端緒を得たいと思つて居る


東京朝日新聞 第一三七六六号 大正一三年九月二七日 形勢非と見て重役会議俄に延期 不安に充ちた社長室の内外 けふ改めて開催(DK510101k-0009)
第51巻 p.399-401 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七六六号 大正一三年九月二七日
  形勢非と見て
    重役会議俄に延期
      不安に充ちた社長室の内外
      けふ改めて開催
郵船紛擾解決の大勢を決する二十六日の常例重役会議は、午後二時開会を予報せられてゐたが、定刻迄に参集せるは社内重役以外に安田・石井・水川の三重役と山本・河村の二監査役丈けで、此の間社長室前廊下は各新聞社通信社員写真班等蝟集し、之に一部社員給仕等の弥次
 - 第51巻 p.400 -ページ画像 
馬を加へて百名以上の人を以て埋め
 刻一刻 緊張の気分を高めた、四時に至つて漸く成瀬・江口・福井・永田諸氏の姿現れ、直に社長室の奥深く堅くドアーを閉鎖して密議を開始し、伊東・黒川正副社長より個別的に諒解を求むる処あつたが、全体の空気が当日会議を開くも円満なる解決を得る気運に至らなかつたので、常務重役側は更に多少の猶予を作るの有利なるを看取したものゝ如く、会議の延期を希望した為め遂に
 流会に 決し、改めて廿七日開催の事として五時前各重役は順次退散した、只永田仁助氏のみは暫く社長室に止まつて協議する処あつた
  重役の内輪割れ
    重役会議延期の真相
      協議会もお流れ
二十六日の重役会議は別項の如く延期となつたが、是れは外部の形勢穏かでなかつたのみならず、重役間中に意見の相違を来したに基因してゐる、即ち其れが為め重役会を一時中止して先づ協議会を開催する事となつたので、黒川副社長は急遽郷相談役の許にかけ付けて重役会延期の旨を告げ、引返した時は既に山本・河村二監査役及石井取締役は退出してしまつたが、永田・成瀬・福井・江口の四重役は伊東社長と社長室に密議し、他の重役は大谷専務室にて協議会の開催を待つて居つた処、協議会も結局或る事情に依り流会となつた
 或る 事情とは前記江口・福井・永田・成瀬の四重役に対し今回の問題に就いて先づ了解を得んとしたが、其席上殊に江口氏は殊に強論を吐いて譲らなかつた、江口氏の真意は必らずしも伊東社長排斥ではないが、十分其理非曲直を闡明せんとするので、伊東社長と前記四氏が一時間半に亘り密議を凝らしたが、尚円満なる解決を得るに至らなかつたので、永田氏は更に別室に於て三重役と会見何事か密議する処あつた、然るに一部重役中には是等の態度に対し少なからず差別的不満を抱くに至つたものである、即ち彼等重役は株主から推薦され、更に其重役は互選の結果正副社長・専務・常務を推薦したのであつて
  若し 今回の社内重役の態度方法に対し違法であるとか又は不穏当であると云ふならば之れは単に社内重役の責任のみでなく、之れを互選したる重役連帯の責任であるから、此の点より考ふる時は何も殊更に伊東社長が前記四氏のみに依て協議をなす必要もなく、且諒解を得る必要もない、全部の重役が連帯責任として総辞職して大株主に譲るなり、又は時局収拾の衝に当つて会社のため善処せねばならぬ、江口・福井・成瀬・永田の四氏が重役中の最重幹部である如く、又伊東社長が四氏の了解さへ得れば他の重役は自から了解し易いと思ふのは、重役を一律に取扱はず、屋上屋を架する嫌あると云ふので、伊東社長と四氏に対する一部の反感が生じて来た、殊に永田氏が一部大株主及重役に対し、紛擾を何とかして解決すべく
  仲裁 の労をとらんと云つたのに対し、重役中永田氏が連帯責任の一人であるに拘はらず仲裁と云ふ如き第三者の態度に出づるのは無責任であると云ふので、此等の点に就いて重役中意見を異にする
 - 第51巻 p.401 -ページ画像 
ものが出て来た
結局協議会も有耶無耶の内に一人去り二人去り、最後に伊東社長・黒川副社長・大谷専務のみ居残つて九時迄熟議を凝らし、黒川・大谷両氏は自動車を飛ばして某方面に出かけた、一方渡辺文書役は左の書状を同夜十時より十一時迄の間に各重役私宅に送致した
 二十七日午後二時より協議会に引続き重役会開催致すべく候に就ては、同時刻迄に御出席相成度云々
斯くて正副社長は、二十七日の協議会迄に重役全体の意嚮を一致せしめ、協議会に臨み、形勢穏かと見たる暁には直に之を重役会の形式に移し、紛擾に対する適当の決議をなして事件の解決に当らんとする意嚮である


東京朝日新聞 第一三七六七号大正一三年九月二八日 紛擾解決は社内重役一任 自信ある態度に信任して一先折れた社外重役(DK510101k-0010)
第51巻 p.401 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七六七号大正一三年九月二八日
    紛擾解決は社内重役一任
      自信ある態度に信任して
        一先折れた社外重役
注目された郵船重役会議は廿七日午後二時から、先づ協議会に入り、午後四時から正式に重役会議を開いた、午後二時には永田・福井・江口三氏を除く取締役及河村・山本両監査役も参集したが、前記三氏は先づ会議前ステーシヨンホテルに会合して凝議する所あり、午後二時四十分やつと協議会に加はつた、午後四時開会されるや先づ伊東社長から今回の紛擾の経過に就て報告する所があり、種々の質問に答へ、更に善後策に就て各重役は夫々意見を述べ、社内三重役も之に対し可なり解決に自信ある態度を持したので、安田・武田・成瀬氏等の発議で『此際社内重役を信任して、解決方法を一任したらどうか』といふ事になり、福井・江口・永田三氏も『その見込あれば、これに越した事はない』とて、こゝに全会一致を以て社内重役一任に決し、午後四時四十五分閉会した


東京朝日新聞 第一三七六八号大正一三年九月二九日 社外重役の肚 社長の進退は切離して一先づ馘首社員復活策 昨日内外両重役の協議 本日伊東氏渋沢子訪問(DK510101k-0011)
第51巻 p.401-402 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七六八号大正一三年九月二九日
  社外重役の肚
    社長の進退は切離して
      一先づ馘首社員復活策
        昨日内外両重役の協議
        本日伊東氏渋沢子訪問
郵船紛擾解決の衝に当るべき社内重役は、二十八日同社社長室に密議をなすべく、黒川・大谷二氏は午前十一時、伊東社長は同十一時半出社し、続いて永井・松田両秘書の外渡辺文書役出勤した、会社内は給仕巡視の外全然他人の出入を禁じて居つた、午後一時横浜駐在海員監督藤田未類二氏今朝社長の招電により出社急ぎ重役室に入り、社長・副社長と何事か
 打合 する処あつた、一方江口・福井・成瀬・永田の四氏は正午工業倶楽部に会合、午餐を共にしながら是亦郵船問題に就き何事か協議をなし一時散会したが、永田氏を除く前記三重役等が昨日の重役会議
 - 第51巻 p.402 -ページ画像 
に於て社内重役に一任した理由は、必ずしも社内重役に依つては時局を収拾し得らるべしと確信して一任したのでなく、寧ろ重役会議に臨む前伊東社長より懇々として
 斯かる問題を惹起するに至つたのは吾々の責任である以上、此の解決に対しても当然吾々が円満に収拾して全重役の期待に副ふやうにするから
との希望を述べたので、一先づ之れに
 同意 を表して一任したのであるが、此の解決は頗る困難な事と見做されて居るから、万一不調に終つた場合及び解決が長びくやうの時には社外重役は、再び協議会なり重役会議の開催を要求して、一日も早く平穏に帰せしむる方針であるが、前記三重役の意見としては
 七百余名の辞表提出社員は十分諒解を得て辞表を撤回せしむるは勿論、馘首された十一名中情状の軽き者に対しては是亦譴責又は或程度の罰俸位に留めて置かう
と云ふ意志で、此の点は社内重役と少しく
 意見 を異にして居るから、社内重役が是等の意志を参酌すると否とに依つて馘首社員の運命も自然決定する訳であるが、伊東社長の進退は凡ての解決以後であるから、今回は全然之れに触れず第二段に譲る事となるのであると、尚伊東社長は本二十九日午前九時飛鳥山本邸に渋沢子を訪問し、二十七日重役会議の結果を齎らして之れ迄の厚意を謝し、尚解決方法の一端も述べて意見を徴する考へであると云ふ


東京朝日新聞 第一三七六九号大正一三年九月三〇日 社外四重役の斡旋で郵船紛擾漸く収まる 七百余名社員は全部辞表撤回 けふ正式に重役会議(DK510101k-0012)
第51巻 p.402-404 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七六九号大正一三年九月三〇日
    社外四重役の斡旋で郵船紛擾漸く収まる
      七百余名社員は全部辞表撤回
        けふ正式に重役会議
 本月十九日以来紛擾を継続した郵船問題は、二十九日午後江口・福井・成瀬・永田四氏の斡旋により、結局伊東社長の進退問題及十一名の馘首支店長問題を除外し前記四重役に全部一任し、社員七百十五名の辞表は撤回の上業務に復する事となり、爰に漸く解決の曙光を見るに至つた
郵船問題の解決は既報の如く二十七日の重役会議に於て一先づ社内重役伊東・黒川正副社長、大谷専務に一任する事となつたが、紛擾の当事者たる正副社長が直接社員に対し解決に端緒を開く事は、各種の場合に於て円満を欠くのみならず且困難の点もあり、場合によつては却て紛擾を助長するの恐れがあるので、重役会議では決定したものゝ結局社外重役である江口・福井・成瀬・永田の四氏が社内重役と社員間に介在する事となり、二十七日以来頻りに両者の間に
 奔走中 であつた、二十九日も午前十一時社員側の幹部たる菅波・浅井・青池の三氏は工業倶楽部に四重役と会見したが、右会見後四重役は郵船本社に伊東・黒川・大谷三重役と打合す処あり、午後二時再び同倶楽部に菅波・浅井・勝山の三氏を招致して、四重役側より
 此際社員が事務を放擲し、社外に事務所を設けて勤め先に対する敵対行為をなす事は株主に対して忠実でないのみならず、一般社会に
 - 第51巻 p.403 -ページ画像 
対して申訳ない、延いては郵船将来の営業上にも非常な蹉跌を来す憂ひがある、仍て吾々四重役が此際諸君の意を体して斡旋したいと思ふから、諸君に於ても白紙の態度になつて努力する吾々の意を汲んで、全部を一任されたい
と申入れた処、社員側でも社外四重役に対し尚
 反対す る事は却て社員の立場を失ふのみならず、却て同情を失するに至るから此際問題解決を挙げて一任し、一方社員側の態度は今日迄共同動作であるから、其旨を内地並びに海外の支店にも夫々電報を以て通告する事とし、結局
 伊東社長の進退問題と、勝山支店長以下書記十一名の十九日付馘首問題は此際之れを除外し、他の解決全部を四重役に一任し、七百十五名の辞表提出社員は九月三十日午後辞表を撤回し、十月一日より業務に復帰する事
として、卅日午前十時より郵船本社に重役会議を開き、四重役より此の解決案を提議する事となり、之れにて一先づ紛擾は解決する端緒を見るに至つた
    辞表撤回は無条件
      永田氏語る
紛擾調停の大役を果した社外重役永田仁助氏は東京ステイシヨンホテルの本坊に打寛いで語つた
 サア之からが腹芸なんだよ、実は午前中の同交会幹事の態度では一時雲行きが案ぜられたが、まあまあ我々四人を信頼して白紙で委せて貰つて良かつた、辞表撤回は勿論無条件さ、まさか伊東社長に対し正面から辞めよとは地位体面上云へぬ事では無いか
と言外に以心伝心的な処を匂はせた後
 『十一名の犠牲者は絶対に復職の見込ないか』
との記者の問に対し、絶対に見込無いとは思はぬと腹芸の一端を洩らした
    本日決定する争議解決条件
      社員団体は解散=新職制は現
      状維持=陸海社員の平等待遇
郵船の紛擾は別項の如く社外四重役の斡旋により漸く解決の端緒を見出すに至つたが、四重役の肚裡では伊東社長を、本年下半期又は明年上半期迄に円満辞職せしむる意嚮であるが、後任社長難の事情もあり今後と雖も社長問題は一朝一夕に
 解決さ るゝとは思はれない、併し其他の問題に就ては大体左の方法を骨子として解決する事となるであらうと
    解決条件
 一、会社は社員の希望の真底を尊重す
 二、社内に於ける学術的会合以外一切の集会結社を解散す
 三、今年九月の職制の大綱は当分変更せず
 四、海陸社員の俸給の平衡を計る事、技術者には技術手当(航海手当を含む)を支給する事
右の外勝山支店長以下十一名の馘首者は其三・四を除く外は情状に於
 - 第51巻 p.404 -ページ画像 
て酌量すべき点もあるが、伊東社長が現職に留まる以上馘首者全部を復活せしむる事は困難であるのみならず、今後の事務執行上に於ても不都合であるから、之の復活に対しては四重役と雖も
 容喙す る事は出来ぬ状態で、出来得可くんは恩給又は手当の点に於て十分考慮し、将来尚進んで就職等にも努力せしむる意嚮であるが具体的方針は三十日の重役会議以後に漸次決定されるであらうと


集会日時通知表 大正一三年(DK510101k-0013)
第51巻 p.404 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年      (渋沢子爵家所蔵)
十月一日 水 午後四時 黒川郵船会社副社長来約(渋沢事務所)
  ○中略。
十月十二日 日 午前九時 伊東米治郎氏来約(飛鳥山邸)
  ○中略。
十月廿一日 火 午後三時 郷誠之助男来約(渋沢事務所)
十月廿二日 水 午後二時 郷男・岩崎男両氏ト御会見ノ約(銀行クラブ)


東京朝日新聞 第一三七七〇号大正一三年一〇月一日 郵船騒動劇大団円の幕下る 重役会議五分間で解決条件を承認 同交会側も同意の旨公表(DK510101k-0014)
第51巻 p.404-405 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七七〇号大正一三年一〇月一日
    郵船騒動劇大団円の幕下る
      重役会議五分間で解決条件を承認
        同交会側も同意の旨公表

    颱風一過の正式重役会議
事件勃発以来旬日余に亘つた郵船会社紛擾の解決案を附議すべき重役会は、既報の如く三十日午前十時より開会
 相談役郷誠之助氏・取締役湯川元臣氏・監査役島徳蔵氏を除いた他の十四名の重役全部出席
劈頭伊東社長より事件発生以来重役一同の労を謝し、約五分余にして重役会を終了し、同十一時大谷専務より左の如く重役会の結果を一般に発表した
 先日来重役の熱誠にして好意ある勧告の結果、無条件にて社員の辞表は全部速に撤回することゝなれり
而して本日(三十日)青池文書課長より辞表撤回の手続に出でる筈である
    同交会でも解決の発表
大谷専務より重役会の結果を発表すると共に同交会に於ても
 先日来社外四重役の熱誠にして好意ある勧告の結果、無条件にて社員の辞表は全部撤回することゝなれり
と発表した
○中略
    残るは十一名の首
      同交会はまだ旗を捲かぬ
〔大阪電話〕郵船の内紛に関して同交会の闘士勝山・田上両氏は一先づ鉾を収めて、三十日朝神戸と大阪に帰つた、其車中談に曰く
 あれだけ大きな波紋を社会に起し乍らどたん場に掴み所もないやう
 - 第51巻 p.405 -ページ画像 
で世間でも狐に憑まれたやうに思はれやう、併し吾々は決して旗を捲いて引上げたのではなく、東京では犬養逓相を始め渋沢子・藤山氏其他大株主たる宮内省や両岩崎男等にも親しく其運動を起すに至つた径路を詳述し諒解を得た、殊に渋沢子の如きは一時間半に亘り熱心に聴いて下さつた、斯て過去四十年間に一億五千万円と云ふ巨額の補助を政府から仰いだ郵船会社も、此儘に放つて置けば軈て東洋汽船のやうな運命に逢着する事を痛く感じられたらしい、偖て解決の問題だが、社外四重役は斯くなる上は一時の弥縫策ではとてもいかぬ、真剣になつて徹底的な解決が必要であると説かれたことが判つたので、吾々も最後の破壊は真の目的ではないのだから鉾を収めて、それで双方の間には別に具体案を示したのでもなく、覚書を取交はしたのでもない、全く以心伝心の裡に御任せするといふことになつたのである、それで全員の辞表も撤回とはいふものゝ、一時同交会に引込めるに過ぎない、残るは十一名の馘首問題だが、社長が馘首をやつて置きながら平然として居られるかどうか、如何なる豪腹な男でもそれは出来なからう、四重役もそれは肚にあるからといふので全然これには触れなかつた、要するに一先づ運動を打切るものゝ、今後は厳重に監視をしなければならぬと云ふ覚悟を持つて居る


(伊東米治郎)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一〇月一五日(DK510101k-0015)
第51巻 p.405 ページ画像

(伊東米治郎)書翰  渋沢栄一宛 大正一三年一〇月一五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
粛啓                   十月十五日后七時半
本日の重役会ハ予定通り午后六時開会同三十分終了、小生ハ予而申上置候通り席上辞表提出致し申候、他重役一同も同様辞表提出致候へ共斯くてハ社務執行上差支候ニ付、来る十一月下旬の定時総会迄留任の事と相成り候間、不取敢御報申上候、今夜早速拝趨仕り候筈ニ有之候処、御差支の御模様ニ付明十六日更ニ御都合御伺ひの上参堂万申上候事ニ致し可申候間、何卒不悪御諒承被成下度奉願上候
右取急き要用迄如此御座候 匆々敬具
    渋沢子爵閣下           伊東米治郎


東京朝日新聞 第一三七八五号大正一三年一〇月一六日 紛擾の責を負うて郵船社長辞表提出 取締役一同も辞表、但し総会迄保留 後任社長選定の為め臨時総会招集 昨夜重役会議後の公表(DK510101k-0016)
第51巻 p.405-407 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七八五号大正一三年一〇月一六日
    紛擾の責を負うて郵船社長辞表提出
      取締役一同も辞表、但し総会迄保留
      後任社長選定の為め臨時総会招集
        =昨夜重役会議後の公表
去月十九日突発した郵船会社陸上社員の辞表に件ふ伊東社長の進退問題に就いては、去月三十日社外重役成瀬正恭・福井菊三郎・江口定条・永田仁助の四氏に、辞表を提出した社員側より全部一任する事となり問題は一段落を告げ、社員側は一先づ辞表を撤回した事は既報の通りである、而して此の懸案解決及び今後の方針、並に其の時馘首された勝山神戸支店長以下十一名社員の処置等に就き、同社重役は事件以来寄々協議しつゝあつたが、十五日午後六時半から一時間に亘り社長室
 - 第51巻 p.406 -ページ画像 
で重役会を開き、相談役郷誠之助氏・取締役湯川元臣氏・監査役島徳蔵氏を除く外取締役・監査役全部出席、重役会終了と共に大谷専務より左の如く発表した
 本日(十五日)の日本郵船会社取締役会に於て、伊東社長は今回の紛擾に関し、其会社の大会社にして殊に国家的関係より内外に影響する所大なりしが故に、自ら之に対して全責任を負ひ、又将来の方策遂行上先づ一身を処決するの適当なるを思ひ、其決意を宣明し、直に辞表を提出した、他取締役一同又各自の責任に対し同様の主旨に於て同時に辞表を提出したるも、社務執行上支障あるを以て、何れも来る十一月の通常総会当日を以て辞任の事となつた、社長の後継者に就ては、会社に歴史的関係ある渋沢子爵を始め相談役及有力なる株主等の斡旋にて適当の候補者を推薦、近く臨時総会に諮り決定を見る事となるべく、尚他辞任取締役の後継者は十一月の通常総会に於て選挙せらるゝ筈である
    後任社長は誰か
      郷男説が有力だが
        一般株主の反対が強い
郵船臨時総会は来月上旬開かるゝ事になり、重役全部の辞表に対し補欠選挙を執行する為め監査役より総会招集の段取となるのであるが、総会に於て重役が推薦され、更に社長・副社長・専務が互選される順序となるのである、社長の後任に就いては伊東前社長・岩崎小弥太男・井上準之助・郷男の外渋沢子が之に加はり五名にて下相談をなす事に内定したが、従来郷男に就ては男は現相談役でもあるし、之れ迄数回社長候補に噂された事があつたが、右は兜町の株主一部が頻りに主張して居るのであるが、一般株主は極力之に反対して居る、其理由は郷男は兜町辺に関係あり、若し社長となる場合には郵船の機微は直に株式方面に筒抜けする恐れがあるので、斯くては郵船の株式価格が兜町に左右せらるゝ憂ひがあるから、飽く迄排斥せねばならぬと云ふのである、更に岩崎小弥太男の説あるも、郵船の重役中には三井を代表する福井菊三郎氏あるので、三菱系が此際郵船に乗り込むと云ふ事は、或る意味に於て三井に挑戦するものであるから、岩崎男も之に対しては相当顧慮して居る模様であるが、何れにせよ玆数日中に内定する事となるであらうと
    成るべく早く決めたい
      渋沢栄一氏談
伊東郵船社長辞職の報を齎して飛鳥山に渋沢子を訪へば、左の如く語つた
 伊東社長が辞職した事は只今郵船本社よりの報知に依つて承知した然し之は予定の行動である、実は私は明治二十九年同社重役として関係し、其後今日に至り重要なる事件に対しては微力ながら相談相手になつて居る、去月二十日紛擾を惹起したが、幸ひに同月三十日一先解決を告ぐるに至つた、其間私は社内重役とも数回会合し、善後策に就いて談合する処あつたが、要するに曩に馘首された十一名の社員に対しては、之は社規紊乱と云ふ事であつて、私共が何等容
 - 第51巻 p.407 -ページ画像 
喙する権能がないのみならず、社外重役と雖も如何ともする事が出来ぬ、只今回伊東社長の辞職は、兎に角斯くの如き問題を惹起して世間に迷惑をかけたのは申訳ないと云ふ事情の下に、徳義を重んじて円満辞職と云ふ事になつたので、此の点は伊東氏の態度が尤も紳士的である点は大いに認めなければならぬ、殊に多年郵船会社の為めには、社員として又支店長・専務・副社長・社長としての連続的努力に対しては、之亦他の重役は勿論、株主も大いに認めて居る事であるから、後任社長に就ては伊東氏の意のある処を明かにし、私共も及ばずながら相談相手になる積りであるが、成るべく早く選定したいと思ふ、尚重役全部辞表を提出したが、現副社長・専務等社の実務の最高機関に携はる重役が一時に辞する事は、単に営業上のみならず、対外的にも穏当でないから保留してあるが、之れは当然である


東京朝日新聞 第一三七八六号大正一三年一〇月一七日 郵船社長の後釜は先例を破り社外から 重役も半数は新人物を 罷免社員には特別の考慮(DK510101k-0017)
第51巻 p.407-408 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七八六号大正一三年一〇月一七日
    郵船社長の後釜は先例を破り社外から
      重役も半数は新人物を
        罷免社員には特別の考慮
十五日午後六時開催された郵船重役会議の席上、伊東社長は這般の紛擾の責任を一身に負ふて、互選された社長の椅子は勿論取締役も辞職する事となり、他の十二名の全部重役は三十九下半期定時総会(十一月二十九日)と共に是亦辞職する事となつて居る
 其理由は取締役が互選した社長であつて、其社《(長脱カ)》が今回の紛擾に対して責任を負ひ円満辞職すると云ふ以上、選挙した取締役も当然責任を分担すべき性質のものであると云ふ意見に一致したのであるが、其結果来月初旬の臨時総会には取締役一名の補欠選挙のみを行ふので、十一月末の通常総会迄は黒川副社長が社長代理事務を取扱ふ事となつた
 後任 社長は今日迄の経過に徴すれば外部より物色する模様で、渋沢子・郷男等が秘密裡に交渉中であるから、数日中には内定の運びにならう、元来郵船社長は、同社が三菱の共同運輸と合併し日本郵船として創立されたのが明治十八年であつて、当時の社長森岡昌純及び其後吉川泰次郎等何れも三菱系であつて、運輸事務に精通して居つた、二十八年近藤廉平男社長の如きは神戸郵船支店長の実務に携はり、普通の書記から叩き上げたので、更に今回の伊東社長も社員重役と順を追ふて進級したのであるが、若し今回外部より社長を移入するとなると郵船に嘗てない記録を残すと同時に、従来社員から社長になり得る慣例が一頓挫する訳である、更に通常総会に於て現黒川副社長・大谷専務も辞職するとなれば、社内幹部は全部新顔となるのであるが、新社長が外部から来るとすれば郵船に対しては全然勝手を知らないものであるから
 一旦 副社長・専務は辞職しても結局再選される事になるとは、渋沢子は勿論他の重役も之を認めて居るが、十二名重役中半数は新人物を入れる模様である
 - 第51巻 p.408 -ページ画像 
 何れにせよ、同交会が、社外の四重役に全部を一任し一先辞表を撤回し、四重役が然るべく取計ふ事を期待して居つたに拘はらず、四重役たる江口・成瀬・福井・永田氏迄も他の重役と一蓮托生で総辞職したと云ふ事は、同交会にとりては実に意外とする処であると同時に、今回同交会の取つた態度が如何に波紋の大なるものであつたかを知る事が出来るので、社員側でも今後更に責任を自覚して自重する必要ありとて、四重役中某氏の如き十五日上京した馘首社員の幹部を某所に招致し、態々其旨を含めたと云ふ事であるから、社員側でも新社長となるべきは何人であるを問はず、鳴を静めて傍観の態度に出でて居ると云ふ
尚十五日の重役会議に於て、勝山神戸支店長以下十名の免職社員は已に伊東社長が辞職したる以上、社員の復活は勿論不可能であるが、其情状に依りては特に考慮して相当の手当賞与を支給する事になつたと云ふ
    海員側
      態度監視
〔横浜電話〕郵船紛擾の責を負つて伊東社長以下現重役が引退することになつたので、同交会側では過般運動の目的の半は達せりと見て居るが、一方海員側では今度重役の改選に就ては厳重な監視を要すると為し、青年同窓会横浜支部では神戸其他と連絡を執り、且横浜碇泊中の筑前・筑後・筑波・鹿島丸の各乗組高等海員とも議を纏めて、陸員側の態度を監視することになつた


東京朝日新聞 第一三七八七号大正一三年一〇月一八日 郵船新社長は白仁武氏に決定 製鉄所の整理を見越して老後の一花を咲かす決心 郷男の推薦で農相も賛成(DK510101k-0018)
第51巻 p.408-410 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七八七号大正一三年一〇月一八日
    郵船新社長は白仁武氏に決定
      製鉄所の整理を見越して
      老後の一花を咲かす決心
        郷男の推薦で農相も賛成
郵船会社長伊東米治郎氏辞職と共に、後任社長に就ては渋沢子・郷男・岩崎小弥太男・井上準之助氏等主として適当なる人物推薦に就て協議した結果、郷男の発議により第一候補として現八幡製鉄所長官白仁武氏、第二候補者前勧業銀行総裁志村源太郎の二氏を推薦した、尤も
 白仁氏 に対しては郷男の推薦であるが志村氏に対しては渋沢子の発議に基いたのである、其結果先頃上京中の白仁氏を郷男が私宅に招き大体の諒解を得る事に努めたが、郵船の現状が海員・陸員共に親密を欠き兎角紛擾の中心は海陸の軋轢が其因をなして来たので、今回の如きも直接の原因としては陸上社員対伊東社長であるが、数年来の
 暗闘が 介在して居るので、白仁氏は頻に固辞し
 自分は明治二十三年大学卒業後、司法省参事官を振り出しに北海道参事官・大連民政長官等一貫して官吏生活を以て今回に至り七十六歳の高齢に達して居るから、今更民間会社に飛込み、殊に郵船の如き兎角紛擾の多き会社の社長となる事は、其任でないから辞退するを至当とする、殊に郵船の如きは対外的に重大関係ある会社の社長となるべきものは外国の事情に精通し、且つ少壮覇気あるものを以
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て其難局に当らしめねばならぬ
と一応は固辞したが、六日午後三時渋沢氏・岩崎男・郷男と白仁氏との会見に依り、白仁氏も周囲の事情に否み難く一応
 内諾を 与へ、同日一先八幡に帰任する事となつたが、帰任に先だち白仁氏は高橋農相を私邸に訪問し、郵船社長就任問題を持ち出した処、農相も八幡製鉄所が行財政整理の結果、半官半民又は全然民間に払下ぐる意嚮がないでもないから、此際白仁長官の辞職は各種の事情製鉄所として支障を来すも
 製鉄所 が整理されるとすれば白仁長官が郵船に転ずる事は、或は氏の為めに此の転換期を利用するも一策であるとの深き考慮から、農相も白仁氏の堅き決心に反対せず、寧ろ「最後の花を咲かせるに一寸面白いだらう」との言葉が農相の口から洩れたので、白仁氏は帰任に先だち十六日午後八時、久邇宮邸の晩餐会に招待されて居た
 渋沢子 に、態々電話を以て大体承諾の旨を通知し、尚帰任早々製鉄所の各局長・課長を始め高等官連を集め大体の内意を得て改めて電報する旨を伝へたので、十七日早朝岩崎小弥太男は飛鳥山に渋沢子を訪問し、子より岩崎男に対し、白仁氏と会見及び電話の内容を逐一報告し
 岩崎男 も之に賛意を表した次第で、農商務省の諒解も得て居るし且白仁氏自身も老後の一花と云ふ野心があるので、結局第二候補の志村源太郎氏迄お鉢が廻らずに解決する模様である
○中略
    白仁氏とは余りに老人
      馘首支店長等渋沢子を訪問
十七日午前十一時馘首された勝山神戸支店長以下田上大阪・小栗横浜の二支店長は飛鳥山に渋沢子爵を訪問した、その内客は社長問題と取締役問題で、三支店長は子爵に対し
 白仁氏の社長推薦は事実であるか、若し事実とすれば余りに老境に入つて元気を失なつて居る模様であるし、且副社長・専務の問題、及び十一月二十九日通常総会に於ける取締役選挙等の場合に於て如何なる人々を選挙する模様か、又は現取締役再選となるや
との質問に対し渋沢子は
 白仁氏に大体内定したが、取締役の問題は私の関する処でない、私は只社長を産ませる産婆役に過ぎない、取締役の問題に至つては私も相当意見があるが、今は申上げる場合でない、副社長・専務の問題に就いても自ら此れに関係すべき人があるから私の容喙する権能はないが、白仁君が決定しても郵船問題は之で解決とは申されぬ
と答へたので、支店長連は十二時退去し、渋沢子は午後一時より阪谷男母堂逝去の為め小石川の同男邸に赴いた
    人格者で至誠の人
      白仁君は適任
        渋沢子爵談
◇……白仁長官の郵船社長推薦は、本人も農商務省の諒解を得たらしいから、先づ内定と見てよからう、白仁氏は船舶海運等の問題に対
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する知識は全然持たないが、真面目な人格者で何事にも至誠を以てやる人だから、仮令海運に対する知識が無くとも、至誠の二字に対して社会は認める事と思ふ、此の点に於て私共も推薦したのである
◇……白仁氏が既に斯の如き人であるから、副社長等は十分郵船の内容に通じ且相当の経験ある人でなければならぬから、其人迄全部辞表を聞き届けて交代する事は一寸困難と信ずるが、所謂他の平取締役は此際大いに詮衡を要する事と思ふ
◇……重役社長一同心を合せて会社の為に尽さなければ、如何に社長の首を取り更へても社員を免職しても、紛擾は決して解決するものではない、此の意味に於て取締役も大部分顔触を新たにせねばならぬ事になりはせぬかと思ふが、人事問題に就いては明言が出来ぬ


東京朝日新聞 第一三七八八号 大正一三年一〇月一九日 郵船大株主間に反白仁熱高まる 天降り的選任は心得ぬと 只では納まりさうもない来月七日の臨時総会(DK510101k-0019)
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東京朝日新聞  第一三七八八号 大正一三年一〇月一九日
    郵船大株主間に反白仁熱高まる
      天降り的選任は心得ぬと
      只では納まりさうもない
        来月七日の臨時総会
郵船社長が白仁武氏に内定した事に就いて兜町方面の大株主連は、氏の前半生の事業が船舶事業と何等関係なく、只至誠の人、温厚篤実の人と云ふのみで、果して郵船の難局に当つて善処し得るや否や疑問である、殊に渋沢子等の推薦だと云ふ事であるが、紛擾の仲裁役とか又は社員に対する意見でもなす事なら、如何にも
 財界 巨頭の子爵を煩はす事は尤も適当であるが、社長推薦の一事に至つては、単に財界巨頭に一任すると云ふのみでは聊か物足らない感じがする、東京市の市長産婆役と異り、郵船の如き営利会社に於ては利害の関係が最も深い株主の意嚮を考慮して貰ひたい、殊に従来会社の重大案件に対して必ず先づ株主の意嚮を参酌して、十分其意のある処を了解の上凡て取計らつて居つた、然るに白仁社長推薦に至つては、何等大株主に諮らないと云ふ事は大いに片手落の感があると云ふので、織田昇次郎氏の如きは極力之れに反対して居る、勿論一昨年三月郵船本社より近海郵船分離当時の如きも、大株主に向つて重役会議の結果を事後承諾にて通牒を発し、夫れが為めに大株主たる織田・沼間・南波・徳田・穴水等の諸氏より分離反対の意見出で、遂に予定を変更して臨時総会を開催した例もあるから、今回の如きも白仁氏推薦に先だち一応大株主に諮らなかつたと云ふのは、白仁氏推薦の臨時
 総会 に於て自然満場一致を欠くの虞がある、尤も織田氏は十八日朝京都より帰京したのみであるし、尚南波・徳田・沼間の三氏も二・三日前名古屋方面に旅行中であるから、十九日夕刻帰京の上、是等大株主は談合し何等かの方法を講ずる模様であるから、来月七日の臨時総会に於て、白仁氏選挙は異議なく通過するも、多少の反対は免れぬ模様であると云ふ
    社外重役は全部入替
      社内重役は一・二名居据
郵船会社総辞職に後任重役は渋沢・岩崎・伊東・井上・郷の諸氏にて
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詮衡する模様で、社内重役には社内事務精通の必要上、現重役の一・二が残る模様であるが、社外重役は従来の弊害を根本的に除去する意味から、全然入れ換へる方針で、人員は之れを五名とすべく、渋沢子最初の私案は社会的代表人物で、理想としては三井の団氏、三菱の木村氏の如きを推挙したく、以上の外に大阪からも財界の重鎮を一名拉し来る意嚮であると、又一説には従来の行掛りを切り離す方針の下に副社長・専務を全然置かずして、社長が十分呑み込んで居れば実際事務を部長級に委すべしとも云はれてゐる、而して前伊東社長は相談役等になれば氏自身も行掛り上困る事であれば、氏は全然関係を断つ事になるべしと云ふ、尚井上準之助氏は十八日午後二時五十分渋沢事務所に渋沢子を訪問し、郵船会社重役の詮衡に関し相当尽力すべき旨打合すところがあつた
    社長問題は本日確定する
      渋沢子談
◇……郵船社長は事務政務の双方に任じなければならぬから、経済界の有力者を以て之れに当ねばならぬ、先づ現製鉄所長官白仁武氏に見当をつけてゐるが、株主総会で選挙せねばならぬので、其結果どうなるかわからぬ
◇……十六日に私の事務所で白仁氏に遭つた時も、氏は頻と私に出来るだらうかと危んで居られたから、貴方の様な此方面を知らない人が却てよいではないかと云つて置いた程で、氏も絶対にいやとは云はれぬ様であつた
◇……明日(十九日)郷さんと遇つたら確定的の話が出来ると思ふ、今回の総辞職に対して後任重役の詮衡もほゞ自分の胸にあるが、もう少し当つて見なければ誰々と指名する事は出来ぬ


東京日日新聞 第一七二七七号大正一三年一〇月一九日 郵船今後の始末 白仁氏推薦に郷氏反対 重役選定につき種々苦心 渋沢子談(DK510101k-0020)
第51巻 p.411-412 ページ画像

東京日日新聞  第一七二七七号大正一三年一〇月一九日
    郵船今後の始末
      白仁氏推薦に郷氏反対
        重役選定につき種々苦心
          渋沢子談
郵船総重役辞任の後始末を主として引受けた渋沢子は、後任社長推薦の実情、重役選定の方法順序につき左の通り語つた
 総べて未確定 後任社長も重役の顔触れもまだ最後の確定を見てゐるわけではなく申し上げる程の途は決定してゐない、第一の問題たる後任社長は白仁氏に頼みたいと考へてゐる位で、十六日事務所に来られた節、一つ成つて見てはとすゝめたら「私に出来るだらうかどんなものだらう」との御返事で、あなたにお鉢が廻つて来たのだからと云つたら「郵船会社も困つたものですね」と挨拶され其儘別れたが、其口吻では絶対にいやでもなかつたやうである、同氏を推薦したのは私ではなく伊東社長と岩崎小弥太男であつた、ところが困つてゐるのは
 郷相談役反対 此白仁氏には郷さんが反対で、実は京都へ行かれるに前伊東社長からちよつと話をしただけなので、推薦の事情もよく
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承知されてゐない、郷氏反対の趣きは同氏に属する某氏から昨十七日晩、私の忰に話があり、今朝直接に私に通ぜられて分つたので、不賛成でも丁寧にお話をすれば承知してくれると思ふ、旅行先きよりなるべく早く帰つてもらふやうに電報を打つて置いたが、十九日着京される筈で其上納得のいくやうに話すことにしてゐる、郷氏が白仁氏を推薦したといふ噂はちようどあべこべで、更に渋沢が志村源太郎氏を推したとは驚いた風説! どうして話はさう飛ぶものかねエ、今回の産婆役三人のうち岩崎氏と私とには白仁氏推薦は異議はないのだから、郷氏さへ納得してくれると、白仁氏当人も嫌でないらしいから話が纏ると思ふ
 重役選定問題 今までの重役は全部重任せず、新重役は悉く新顔の方がよからうとの説も話に上つてゐる、之までの経緯を一掃するには或はこれもいゝ方法かも知れない、又副社長・専務は当分置かず仕事は従来通り営業部長・船舶部長にやらして、社長・重役は之を督励することにしたらどうだとの話も起つてゐる、なほ重役は財界の名士五名を選定したい考へで三菱から岩崎小弥太男、三井から団琢磨氏、大阪方面から重鎮の実業家一名等を理想とし、井上準之助氏なども之に加へたい考へで本日も勧誘したが、ちよつと動きさうにない、此重役は海運には無経験でも、信望あり株主側も心服する人物が欲しく、社業の諮問・監督に任ずる社会的有力者を求むる考へである


時事新報 第一四八二八号大正一三年一〇月二一日 郵船社長後任の白仁氏反対運動起る 銓衡は総て伊東氏の計画 郷男並に株主の反対(DK510101k-0021)
第51巻 p.412-413 ページ画像

時事新報  第一四八二八号大正一三年一〇月二一日
  郵船社長後任の
    白仁氏反対運動起る
      銓衡は総て伊東氏の計画
        郷男並に株主の反対
    伊東氏暗中飛躍
 郵船社長の後任として白仁製鉄所長官を推すことに内定したことは本紙の逸早く報道した所であるが、其内定の事情が全然伊東氏の方寸から出たものであることが明かとなると共に、早くも同問題は再び一紛糾を免れない形勢を惹起するに到つた。当初十五日の重役会に於て
 辞任の声明 を為さざるを得なくなつた形勢を見て取つた伊東社長は、其数日前から早くも後任社長の人選に腐心し、屡々岩崎小弥太男を訪問して種々密議を重ねた結果、遂に白仁氏を推す事に定め、岩崎男以外には渋沢子にも郷男にも何等の了解を求めずして、其儘これを白仁氏に計りて予め其承認を求め、更に手廻しよく農商務省の内諾をも贏ち得たのであつた。かくて一切の膳立を終つた上で十四日始めて伊東氏は渋沢子を訪問して
 事後承諾的 に白仁氏を後任に推したき旨を申出でた。渋沢子は一切の事情を聴取した所、既に手続きを終つてこゝ形式的の了解を求めつゝある形ちなので、止むを得ず之に内諾を与へるに到つたものである。次で翌十五日渋沢子は岩崎小弥太男と会見した所、岩崎男も亦同様の事を申出でたので、翌十六日更に白仁氏と会見して、こゝに初め
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て渋沢子は関係人士の総てと了解の上白仁氏の後任を
 内諾の段取 となつたのであつた。それ故これを実情から云へば白仁氏は表面上渋沢子の推薦の形をとつては居るが、実は伊東氏の方寸の下に岩崎男と協議の上、独断的に決定されたる候補者に外ならなかつたのである
    郷男の反対
 以上の如き 内定事情の下に定まつたことであつて、渋沢子は伊東氏は既に郷男の内諾をも得つゝあつたものと信じてゐたのであるが、事実は郷男とは常にかけ違つて一回も会見することを得ず、郷男は十六日正式には何等
 後任の問題 の交渉を受けずに京都に出発してしまつたのであつたそこで郵船の相談役として相談を受けなかつた郷男は、此善後策について慎重に考慮もし、心配もし来つゝあつただけに心中甚だ面白からず、白仁氏を適任者とも認めて居らなかつたので、十七日京都から渋沢子にあてゝ白仁氏を適任とは認めない旨の電報を発し、明かに伊東氏の
 専断に反対 の態度を表明し来つたのである、そこで十八日渋沢子は一切の事情が判明すると共に、内定の段取に非常な手違ひのあつたことを悟り、直に電報を郷男に発して帰京を促し、同男の帰京の上更に慎重に其後の方策を定むることゝなつたのである、事情斯の如くであるから白仁氏は正表面上社長後任として内定したことは事実ではあるが、果して此儘円満に伊東氏の画策通りに事が運ぶかどうかは大なる疑問とせねばならなくなつて来てゐる
    株主の反対
 一方伊東社長の辞任声明以来、事後の成行に注目しつゝあつた大株主は愈々白仁氏に内定した模様であることを知るや、玆に奮然として反対の態度を表面に現はし来り、十八日太刀川又八郎氏は先づ反対株主の糾合を画策し、穴水要七・織田昇次郎・神田鐳蔵氏等と計つて株主に反対勧誘の文書を発し、近く大株主会を開催して其態度を明白にすることゝなつた。かくて折角伊東氏の暗中飛躍によつて内定の段取りとなつた社長後任も、渋沢・郷両氏との完全なる了解を得ても居らず、社内重役も関知せず、黒川・大谷両氏も賛成せざるやに伝へられ更に大株主の反対にあつては同問題は果して円満に来月七日の重役会に纏まりを見得るや否や逆睹することを得ない状態に陥つてゐる


東京朝日新聞 第一三七九〇号 大正一三年一〇月二一日 重役問題を絡ませて正面からは反対せぬ郷男 けふ郵船社長問題で渋沢子と会見(DK510101k-0022)
第51巻 p.413-414 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七九〇号 大正一三年一〇月二一日
    重役問題を絡ませて
      正面からは反対せぬ郷男
        けふ郵船社長問題で渋沢子と会見
郵船問題に付き郷相談役は、二十日午前九時東京駅着同十時半飛鳥山に渋沢子を訪問十一時半辞去したが、白仁武氏郵船社長推薦の件に就ては郷氏も白仁氏と多年親交あるし、本件の発生前三菱の某幹部に対し白仁氏を郵船社長にしてはなどと云つたこともあるので、仮令正式に相談役として渋沢子が相談を持ちかけなくとも正面から反対する理
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由は無いが、只兜町の大株主一派は多年郵船社長に郷氏を据えんとの野心があるので、同氏は渋沢子と兜町との間に介在して板挟みとなつて居るのである、而して郷氏としては白仁氏に対し正面反対する事は如何にも自分の肚の裡を見すかせられる様なので、表面白仁氏の社長たることには異論はないらしく、たゞ白仁氏は温厚篤実と云ふ事だけで営利会社に於ける手腕に至つては未知数であるから、社長を補佐し又は互に協調を保つて行ける実務に当るべき重役及び社外重役の選定につき考慮すべく、単に社長一人のみを内定して他の重役に重きをおかないのは考へものだといふのが郷氏の意見である、この意味で郷氏は伊東前社長、三菱系の幹部とも談合し、二十一日更に渋沢子と会見し社長問題及び重役問題に関し決定する事となつた


中外商業新報 第一三八七六号大正一三年一〇月二一日 もつれ出した郵船社長の後任 渋沢子との会見に郷男 一ひねりひねつて問題は未解決(DK510101k-0023)
第51巻 p.414-416 ページ画像

中外商業新報  第一三八七六号大正一三年一〇月二一日
  もつれ出した
    郵船社長の後任
      渋沢子との会見に郷男
        一ひねりひねつて問題は未解決
日本郵船会社後任社長に擬せられた製鉄所長官白仁武氏に対し、同社相談役郷誠之助男が反対の意嚮を有して居るので、渋沢子は京都に滞在中の郷男に帰京を促した、郷男は二十日午前九時東京駅著、直に十時半滝の川に渋沢子を訪問し約一時間に亘り懇談した、両氏会見の席上渋沢子は白仁氏を推薦せる事情並びに経過を詳述して賛成を求めたこれに対し郷男は郵船重役問題について渋沢子等が国家的見地から斡旋せられ居る労を謝した後
    郷男の意見
 白仁氏を郵船社長に推薦するに相談役たる自分を抜いたからと云つて殊更らに反対するものでない、殊に白仁氏は余は多年懇親の間柄であり、氏の性質も手腕も知つてゐる、併し郵船会社は殆んど混乱状態に陥つてゐる上に財政上からも面白からぬ現状にある、加ふるに将来会社業務の刷新、太平洋優秀船問題其他幾多の難問題が横はつて居る、これに善処するには容易でないと同時に社長の椅子を引受くる人は全く貧乏籤を引いたものと言ふべきである、この意味において白仁氏の社長就任は同氏の晩年を完ふせしむるに対し気の毒に思ふと共に、同氏を以てこの難局に当らしむるには決して適任でないと信ずるが故に、余としては賛成することが出来ない、併し切角白仁氏を推薦したからには、何とかそれで行ける途があれば好いと思ふ、尚自分は着京匆々で深く考へてもゐないし、有力者の意向をも徴し、よく熟考した上でお答へする
    再会見を約す
右に対し渋沢子は同日浦和に開かれる埼玉県商工業者表彰式に列席するので、時間の都合上一両日中に重ねて会見することゝし会見を終つた、従つて目下の所郵船社長問題は依然未解決に置かれ、形勢混沌としてゐるが、郷男は更に渋沢子の熟考を促したと同時に、渋沢子もまた重ねて財界有力者の意向を徴さんとの口吻であるから、多分郷男と
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の再会見の席上団・井上・大橋の諸氏も参列し、その上で具体的決定を見る模様である、右会合の日取りは未定であるが、二十一日午後、二十二日正午開かれるであらうと
    白仁氏には反対だが
      善処案を考へる
        すべて筋道が違うと郷男語る
郷誠之助男は渋沢子との会見後郵船社長問題に就て某有力方面を訪問し、下二番町の自邸に引取りおもむろに善後処置に就て熟考中であるが、同日午後五時郵船会社前専務安田柾氏を自邸に招致し、社長推薦事情に就いて伊東氏が執つた行動並びに善後策に就て懇談し、午後七時築地新喜楽東株取引員招待の晩餐会に臨んだ、郷男は郵船社長問題に就て往訪の記者を引見し大要左の如く語つた
 今朝渋沢子との会見の節にも意見を開陳して置いたが、郵船会社が今日の如く会社内部の紛擾も未だ全然納つて居らないのに加へ、財政的にも甚だ難局に遭遇してゐる場合、社長に白仁氏を迎ふることは決して適任でないと思ふと共に、自分は最初声明した通り不賛成である、第一今日迄の推薦事情と云ひ、伊東氏の行動と云ひ、総て筋道を誤つてゐる、自分は今更この点を怎うこうと詮議立てするものでない、故に渋沢子等が既に白仁氏を推薦せる以上、この下に何んとか行ける途を講ずべく努力する考へである、併し一方郵船社外重役に財界有力者の団・井上・佐々木・岩崎の諸氏を推薦してゐるがこれ等有力者が重役就任を快諾せらるゝや否や大に疑問である、若しこれ等有力者が就任されないとすれば、白仁氏の社長では重役会そのものが甚だ力弱いものとなる、自分はこの場合郵船問題には成るべく関知し度くないと思つてゐるが、相談役として責任があるから充分考慮するつもりで、兎に角これに対し一・二の私案を持つてゐるが、着京匆々でもあるから明日でも関係有力筋の意見を徴した上で、善処する方法を講ずる考へである、自分に対し社長に就任しろなどゝ友人や関係方面から電報やら交渉もあつたが全然問題にもせず、またそんな考へは毛頭ない、安田前専務に会つたが、それは別に意味のあるものでなく、社長後任問題に対し伊東氏が執つた行動に就て、伊東氏からの釈明的代弁を聴取したに過ぎなかつたのである、まあ明日は午前中緩る緩る静養し、午後からでも出掛け度いと思つてゐる
    郷男の言ひ分
      渋沢子爵の談
 白仁氏の後任社長に就ては、氏は人格者であるが大会社を背負つて立つ腕の人ではないと云ふ非難もあり、郷男の意見もそれと同様であつた、即ち郵船会社は有数の船会社で、然も年来人事上の軋轢が仲々激しいやうだが、尠くも後任社長となるものはこれを鎮圧して行くだけの人物でなくてはならぬ事、又今や経済界はだんだん不況に向つてをり、郵船会社内部の財政状態も却々苦しい状態にあるので、従てこれが経営は非常に困難なるを覚悟せねばならない、かゝる際に当つて白仁氏の如き人を社長に据えると云ふ事は、仮令氏は
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君子人であり人格者であつても、自分は氏の長所も短所もよく知つて居るだけ、斯かる経験の乏しい白仁氏を推す事が気遣はれると云ふのが郷男の言分である、自分としても郷男を説いて見たが何分郷男は、後任社長として適当な者でなければ、兎も角白仁氏では甚だ懸念に堪へないと憂慮してゐた
    社外重役に
      有力者は
        就任しまい
郵船会社新重役に対し、産婆役の渋沢子等が財界有力者の岩崎・郷両男団・井上・佐々木の諸氏並びに大阪方面代表者として関西財界の大立者を推薦せんとの意志を持ち、既に一部の人に交渉せること既報の如くであるが、右に就て某有力筋の観測に依れば、国家的事業会社の重役として有力者の就任を望むは勿論のことであるが、郵船今日の実情からいつて、仮令渋沢子等が斡旋に努めらるゝとするも容易に前記有力候補者が重役就任を快諾するか甚だ疑問で、恐らく出来ない相談であると思ふ、既に井上準之助氏の如き渋沢子の慫慂に対し態好く逃げを張つた如き、また団・佐々木両氏の如き絶対に就任の意志を有しないのに見て、到底これ等有力者の就任を不可能とする模様である、されば来月七日の臨時総会までに兎も角後任社長の椅子が極まるといつても、社外重役及び副社長・専務等の事務重役が決する迄にはなほ幾多の曲折を免れまいと


東京朝日新聞 第一三七九一号大正一三年一〇月二二日 岩崎男専ら白仁氏推薦 本日渋沢子との会見で 最後の決定は一両日中(DK510101k-0024)
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東京朝日新聞  第一三七九一号大正一三年一〇月二二日
    岩崎男専ら白仁氏推薦
      本日渋沢子との会見で
        最後の決定は一両日中
郵船会社社長問題に付き廿一日午前九時半岩崎小弥太男は、飛鳥山に渋沢子を訪問し一時間に亘り談合する処あつたが、岩崎男は
 已に白仁氏も大体内諾を与へてあるし、高橋農相も賛意を表して居るし、社員及現重役中にも大した異論を挟むものが無いから、兎に角白仁氏社長推薦に対し更に一歩の努力を仰ぎたき旨
申し出た、渋沢子としても敢て白仁氏を適任と思つて居る訳でもなく只偶非公式には承知して居るも公式に相談役としての郷男に問題の発端に当つて相談しなかつたと云ふのが、白仁氏推薦に頓挫を来したので、殊に郷男の背後に兜町の一派が横はつて反対を声明して居ると云ふので、同男の立場が兎角複雑となつて来たのであるが、渋沢子の面目上結局白仁氏を推薦するより外なかるべく、凡ての決定は本日午後三時渋沢子と郷男とが兜町渋沢事務所に会合する筈で、其結果如何によりては二十二日渋沢子・郷男・岩崎男の外他に二・三関係者を交へて最後の決定をなす模様である、渋沢子、岩崎男との会談の後で曰く
 郷男の云ふ如く吾々も凡ての方面に傑出した大人物を郵船社長に据えることには敢て人後に落ちないが、理想の人物は得難く求め難い今は現実の問題で此の点を冷静に考慮したならば、白仁氏を以て不適任と見る事は不穏当であるから、岩崎男の主張する如く今日尚白
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仁氏を推薦して居るのである


東京朝日新聞 第一三七九一号 大正一三年一〇月二二日 よい膳立が出来れば白仁氏で我慢する 渋沢子と会見した郷男の意嚮 万事は本日三巨頭会見で(DK510101k-0025)
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東京朝日新聞  第一三七九一号 大正一三年一〇月二二日
  よい膳立が出来れば
  白仁氏で我慢する
    渋沢子と会見した郷男の意嚮
      万事は本日三巨頭会見で
郵船社長問題に関して同社相談役郷誠之助男は二十一日午後三時兜町渋沢事務所に渋沢子と会見し、白仁氏推薦に就き協議するところあつたが、白仁氏を郵船新社長とする事に関しては郷男は大体左の
 二点に就き懸念して居る、即ち
一、白仁氏は人格者としては申分なきも、手腕の点に於て十分信頼する事が出来ない
二、郵船会社の将来は、現在よりも骨の折れる仕事が沢山あるのだから、同氏では従来よりの改革が円満に運ばない嫌がある
と云ふのであるが、郷男としても既に白仁氏が推薦せられてゐる以上同氏を中心として良い組立が出来れば現在の儘で進んで行きたいと云ふ岩崎男・渋沢子の意嚮に変りはない次第で、今後の問題は白仁氏を社長として怎う云ふ補助法を採用するか、即ち平重役は如何なる人を選ぶかと云ふ点に存する、而して郷男は渋沢事務所を辞去すると共に織田昇次郎氏等
 大株主 の意嚮を十分確かめ其上にて二十二日午後二時より銀行集会所に於て渋沢子、岩崎・郷両男の財界三巨頭の会見となり、社長問題のみならず新郵船組織の具体的相談をも遂ぐる模様である
    大橋・渋沢・郷
      三氏の懇談
二十一日午後二時半大橋新太郎氏は、兜町渋沢事務所に渋沢子を訪問し、郵船社長後任及新重役組織問題に就て同三時に来訪した郷男と鼎坐、約三十分に亘つて懇談する処あつた
    是以上に事は
    大きくならぬ
      渋沢子談
郵船社長問題に就て岩崎男と私とは大体同意見であるが、郷男の説は一寸目の着け所が違つてゐるが、同氏の懸念されるところ勿論道理がある、併し郵船問題に関して岩崎・郷両男が是れ迄一度も会つて居られないので、斯う話が切れ切れになるのも無理はない、これで二十二日は銀行集会所で三人が会つて、社長問題ばかりでなく新重役を何うするかと云ふ事も懇談したいと思ふが、問題の中心は白仁氏を社長に推挙して、其補助法を如何にするかと云ふ事にあるから、是れ以上事を大きくせないでも済むと思ふ、又大橋氏との会見は同氏とは懇意の間柄であるから、間接に同問題の批判を承つたに過ぎない


東京朝日新聞 第一三七九二号大正一三年一〇月二三日 郵船社長は白仁氏に確定 重役は全部社外新顔で改選 政務事務に分けて更始一新 きのふ三巨頭会見(DK510101k-0026)
第51巻 p.417-418 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七九二号大正一三年一〇月二三日
  郵船社長は白仁氏に確定
 - 第51巻 p.418 -ページ画像 
    重役は全部社外新顔で改選
    政務事務に分けて更始一新
      きのふ三巨頭会見
郵船会社新社長として現八幡製鉄所長官白仁武氏詮衡問題、並に新重役の組立に関し、詮衡委員たる渋沢子・岩崎男及郷男の三氏は、二十二日午後二時より三時四十五分に亘り約二時間銀行倶楽部に於て会見し、新社長として愈白仁氏を推薦する事に三詮衡委員の協定が成立した、而して此日の会見に於て事玆に至る迄の経緯に就ては郷男の意嚮として
 白仁氏は海運業に対して経験がないのであるから、将来優秀船建造問題、業務刷新等に対する幾多の難問題に処し得るや其手腕に信頼が置き兼ねる
と云ふのであるが、之に対して岩崎男の意見は
 同氏は勿論斯業に対する経験は無いが、常に波瀾の多い製鉄所を統率して行く位の才能を有する人であるから、仮令事業に於て異るとも同氏過去の経歴に徴し其手腕は十分発揮せられる事と思ふ、殊に其人格に至つては殆んど完璧に近いのであるから、新社長として信頼するに足る
と云ふのである、斯て岩崎男の保証により白仁氏を推薦する事に一決するや、其条件として最も有力なる重役会を新たに組織する事となつたが、之に関する三詮衡委員の協定案は左の如きものである
一、新重役は之を九名とする事、而して従来平重役は閑散であるから常に重役会で規定した事柄が実行の運びに至らない、之を新たに働きのあるものに改善する事
一、可及的副社長は之を置かず、実際の業務は各部長で行ふ事
一、古い分子を残さず、更始一新の意味で重役全部は現重役及前重役よりは全然推薦せざる事、
一、当分現社員よりの重役登用は之を見合せる事
而して大体政務重役(社外重役)五名、事務重役(社内重役)四名を置く事に決したが、当日三詮衡委員の間に於て推挙に決定し、近く承諾を求むる運びとなつたのは左の二氏である
                    木村久寿弥太氏
                    大橋新太郎氏
以上の三菱系・三井傍系の外に、更に大阪財界より日本棉花の喜多又蔵氏か三十四銀行頭取菊池恭三氏の承諾を求むる事に決し、尚井上準之助氏をも推薦する事として承諾を求むる筈であると、要するに従来の弊害を根本的に除去する方策として更始一新の主旨に基き、郵船会社を重みあるものとしたいと云ふのであるが、其他の重役の詮衡に関しては一両日中再び三詮衡委員の会見により推薦方を決定する筈であると、尚郵船本社にては社長選挙の臨時総会を十一月七日午後一時本社に於て開催の旨二十二日附株主に通牒を発した


後藤国彦談話筆記(DK510101k-0027)
第51巻 p.418-419 ページ画像

後藤国彦談話筆記            (財団法人竜門社所蔵)
                   昭和十七年十月三十日
                   於郷男爵伝記編纂所
 - 第51巻 p.419 -ページ画像 
 その頃郷は京都に行つてをつた。その間に岩崎男や渋沢さんの推薦で八幡製鉄所々長の白仁武氏が伊東社長の後任になるといふ話を聞いた。私はをかしいと思つた。直ぐに京都に電話をかけて郷に訊いてみると、郷はそのことを知らぬと云ふことだ。そこで、私は渋沢さんをお訪ねして、郵船社長に白仁氏が推薦されたさうであるが、郷はそのことを知らぬと云ふ。株主総会で株主から選ばれた相談役に何んの話もなく、後任社長を決められたのは、少し筋道が違つてはゐませんかと、私は渋沢さんを責めた。渋沢さんは私の話を凝つと聴いてをられた。癖だつたのか噯をしながら聞いてをられたが、私が悪かつた、郷さんが帰られたらよくお話しようと、私に詫びたのだ。私は驚いたねその頃私は郷の秘書をしてをつて、年齢は三十一・二だつた。血気旺んな頃なので渋沢さんに撚ぢ込んだのだが、むろん私は渋沢さんからお前のでしやばる所ではないと云はれると予期してゐた。さう云はれたら私にも言分があると考へてゐた。ところがだね、渋沢さんは一言私が悪かつたと云はれた。それで私はすつかり感服して了つた。私は恥かしくなつたな。
 郷が京都から帰つてくる朝、私は国府津まで迎へに行つて、渋沢さんに会つた話をすると、郷に余計な事をすると叱られた。そして郷もまた渋沢さんには自分も感服してをると云つてゐました。御承知のやうに郷は誰れにも頭を下げなかつた人だ。だが、渋沢さんだけは尊敬してゐた。恐らく郷の一生で尊敬してゐた者は渋沢さん一人だけだつたらう。
 郷は別に白仁氏の推薦に反対だつたと云ふ訳ではない。もともと白仁氏を推薦したのは実は三菱の木村久寿弥太なんだ。木村氏は白仁氏と同級で親しかつたから、岩崎男に話したんだらう。岩崎男が推薦する、渋沢さんも賛成する。たゞ相談役の郷だけが白仁氏の推薦を知らなかつた。白仁氏に郷は不満だつたといふやうなことはなかつたやうだね。だから、後任社長は左程問題なく決つた。
 兜町(取引所会員、郵船大株主)から郷が推されて板挟みになつてゐたかつて? いや、郷には社長にならうといふそんな野心は毫もなかつた。むしろ頭を突込みたくなかつた。尤も郷がゐない間に白仁氏を推薦したには或は岩崎男に考へがあつたかもしれぬ。けれどもその頃はもう郵船も大きくなつて岩崎一人のものではなくなり、他にも大株主はゐたからな。郷が伊東社長の行動が面白くないと、新聞は書いてゐたが、伊東米治郎は近藤廉平の後で社長になつた時分から快くは思つてゐなかつた。兎も角郷は白仁氏に反対といふわけではない、郷には白仁氏に代る推薦候補者はなかつた。


集会日時通知表 大正一三年(DK510101k-0028)
第51巻 p.419-420 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年     (渋沢子爵家所蔵)
十月廿四日 金 午後二半時 日本郵船会社ノ件(銀行クラブ)
十月廿五日 土 午後二半時 団琢磨・井上準之助両氏来約(事務所)
  ○中略。
十月廿九日 水 午前十時 井上準之助氏来約(事務所)
 - 第51巻 p.420 -ページ画像 
        午前十一半時 岩崎小弥太男来約(事務所)
十月三十日 木 午後三時 岩崎・郷両男爵来約(事ム所)
  ○中略。
十一月一日 金 午前十一時 井上準之助氏来約(事務所)
  ○中略。
十一月三日 日 午後四時 木村久寿弥太氏来約(事務所)
  ○中略。
十一月六日 木 午後五時 郵船問題ニ付木村久寿弥太氏来話ノ件(築地瓢屋)
  ○中略。
十一月十一日 火 午後三時 白仁武氏来約(事ム所)
  ○中略。
十一月十三日 木 午後三時ヨリ四時マデ 郷・岩崎其他郵船重役懇談ノ件(三菱本社)
  ○中略。
十一月十五日 土 午前十時 郵船会社ノ件(三菱本社)
  ○中略。
十一月十九日 水 午後四半時 菊地恭三氏来約《(菊池恭三)》(事務所)
  ○栄一ノ日記大正十三年一年間ノ記事ヲ欠ク。


東京朝日新聞 第一三七九三号大正一三年一〇月二四日 木村・大橋両氏郵船重役を承諾 残余の五重役は明日の銓衡会議で決める(DK510101k-0029)
第51巻 p.420 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七九三号大正一三年一〇月二四日
  木村・大橋両氏
    郵船重役を承諾
      残余の五重役は
        明日の銓衡会議で決める
郵船問題に関し二十二日渋沢・岩崎・郷三人者の会見に依り白仁武氏を推薦する事に一致し、新重役として木村久寿弥太氏は岩崎男より、大橋新太郎氏は渋沢子より承諾を求むる事に決した次第は既報したが渋沢子は二十三日午前九時半本郷の大橋氏邸を訪れ、約四十分に亘り同氏の承諾を求めたるに、大橋氏も事重大であるから暫く考慮の余地を与へられたしと返答したさうであるが、大体
 内諾 したる模様である、一方岩崎男は本日午後三菱合資会社にて木村氏を説いたが、同氏は白仁氏とは明治二十三年大学出の同窓でもあり、是亦岩崎男の慫慂に応ずる模様で、本日午後三時より木村氏と大橋氏は某所に会見して万事打合せをなすべく、其上にて二十四日銀行倶楽部に於て、渋沢子、岩崎・郷両男の外に木村・大橋の両氏が新たに銓衡委員となり、以上の五氏にて残余の重役の銓衡をなすと共に玆迄運んで来た郵船問題を再び蹉跌せしむる如き事なき様、其進行方針に関し具体的協議を遂ぐる筈であると、尚二十二日の三巨頭会見席上、渋沢子より極力岩崎・郷両男の
 重役 就任を慫慂するところあつたが、両男は堅く固辞し、又井上準之助・原富太郎・池田成彬の三氏を郷男より推薦したるに、渋沢子岩崎男は是等の人が果して承諾するや否や不明であるから、兎も角二十四日の銓衡会議の際に譲つたと云ふ

 - 第51巻 p.421 -ページ画像 

東京朝日新聞 第一三七九四号大正一三年一〇月二五日 郵船五重役の銓衡無事に終る 昨日の委員会で意見一致し愈口説き落しに着手(DK510101k-0030)
第51巻 p.421 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七九四号大正一三年一〇月二五日
  郵船五重役の
    銓衡無事に終る
      昨日の委員会で意見一致し
        愈口説き落しに着手
郵船新社長として製鉄所長官白仁武氏の推薦問題が確定を見たので之れが補佐機関であり諮問機関である有力なる重役会の組織に関し、来月二十九日の定時総会の重役選挙準備として之れが顔触れを決定すべく、渋沢子、岩崎・郷両男の外に重役就任を内諾した木村・大橋両氏を加へた
 五氏の 会見は、既報の如く二十四日午後二時半より四時過ぎに亘り約一時間半銀行倶楽部に於て行はれた、而して此日の評議にて残余の五重役の銓衡を終り、愈被推薦者の口説き落しに掛る段取となつたが、大体左の諸氏が推薦せられる事に一致した
 東京 各務鎌吉、団琢磨、土方久徴
 横浜 原富太郎
 大阪 菊池恭三
右の内若し団氏が受諾せない時は、同氏に依頼して三井系代表者として池田成彬氏か有賀長文氏を説き落すべく同氏に依頼する筈であるが右の諸氏が果して受諾するや否やは今後渋沢子其他の尽力如何によると見られてゐる、而して社長と共に八名の政務重役の外に
 二名の 事務重役を設ける事に就ては、社長共八名の重役が確定してから更に銓衡する事とし、此日の議題には之が銓衡はなかつたと


中外商業新報 第一三八八〇号大正一三年一〇月二五日 佐々木氏は推薦謝絶 本日渋沢子と会見(DK510101k-0031)
第51巻 p.421 ページ画像

中外商業新報  第一三八八〇号大正一三年一〇月二五日
  佐々木氏は
    推薦謝絶
      本日渋沢子と会見
日本郵船会社の取締役候補として推薦を受けた第一銀行頭取佐々木勇之助氏は、廿四日午前十時渋沢子爵の招きに応じ渋沢事務所に於て同子と会見した、渋沢子から佐々木氏が郵船取締役候補者の一員たるべく承諾方を懇談するところあつたが、佐々木氏は
 子爵の好意は謝するが、海運業に対して経験がないから他に適任者を物色されるが至当であると云ふ意味を以て、渋沢子の懇願を謝絶した


渋沢栄一書翰 控 菊池恭三・原富太郎宛大正一三年一〇月二六日(DK510101k-0032)
第51巻 p.421-422 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  菊池恭三・原富太郎宛大正一三年一〇月二六日 (渋沢子爵家所蔵)
(別筆朱書)
大正十三年十月廿六日付、菊池恭三・原富太郎両氏各通書状写
拝啓 爾来御疎情に打過候得共賢台益御清適御座可被成欣慰の至に候然は近頃唐突ながら特に申上候義は、過日来在東京各新聞紙に散見致居候日本郵船会社重役交迭に付、其後継重役の一人に賢台を御推挙申上度と希望仕候事に御座候、斯の如き重要事項を書中拝願致候は頗る卒爾の取扱にて恐縮至極に御座候得共、事態差迫り候為め不得已斯る略議の取計致候義、呉々も御諒恕被下度候、日本郵船会社の現社長は
 - 第51巻 p.422 -ページ画像 
本月既に辞任せられ、他の取締役一同も十一月の総会に於て退任致候筈に有之、玆に従来の紛紜を一掃し全然更始革新を期し候に付ては、後継重役詮衡を老生、岩崎・郷両男爵と共に引受くることゝ相成、爾後相共に種々考慮協議の結果、社長には現製鉄所長官白仁武氏を推し他の取締役としては東京・大阪・横浜の最有力なる諸氏を御願致候事と相成、即ち貴地(大阪・横浜)に於ては御迷惑ながら賢台に御願致度と決定致候義に御座候、右に付ては御別懇の井上準之助氏とも内々御談合致し候処、悉く御同案相成、別に一書を以て御勧誘被下候都合に御座候、就ては当方切望の事情御諒察被下、是非とも御承諾被成下度只管悃願仕候、而して其御承諾の旨は御手数ながら至急御一報被下度、且又其撰挙の事は来月開催の同社総会に於て挙行の筈に候間、其御含にて御準備可然御高配被下度候
右書中拝願如此御座候 敬具
  大正十三年十月廿六日
                      渋沢栄一
    菊池恭三様
          各通
    原富太郎様
 尚々右は取急ぎ候為め老生一人記名致候得共岩崎・郷両男爵と共に御願申上候義に付、何卒左様御承知被下度候


東京朝日新聞 第一三七九七号大正一三年一〇月二八日 郵船新重役は予定通り纏らう 定時総会も無事通過せん 社長問題は八分通り解決(DK510101k-0033)
第51巻 p.422-423 ページ画像

東京朝日新聞  第一三七九七号大正一三年一〇月二八日
  郵船新重役は
    予定通り纏らう
      定時総会も無事通過せん
        社長問題は八分通り解決
郵船会社後任社長も白仁武氏愈承諾の旨を表明し、来月七日の臨時総会に於ける選挙も無事通過すべしと見られてゐるから、社長問題は既に八分通り解決したものと見て誤りなく、新重役七名に就ても木村氏大橋氏が既に承諾し、三井系よりは渋沢子・郷男の意嚮として三菱の木村氏との対抗上是非共団氏の出馬を促したく、既に大橋氏等より再三交渉したが未だ確答を得てゐない、団氏も自身出馬せぬまでも、三井系より有力者を推薦する事は渋沢子に対して引受けたとの事であるから、氏の就任不可能とすれば有賀長文氏か池田成彬氏の承諾により兎に角
 三井系 代表者の問題は解決すべく、各務氏も内諾を与へた模様で土方氏又最近郷男との会見により異議なき模様であり、残るは原富太郎・菊池恭三の二氏であるが、両氏に対しては井上準之助氏より口説き落す段取となつてゐる、而して平重役八名の就任が確定すれば、既に大株主に対しては大体郷男より諒解を得てゐるので、来月二十九日の定時総会も無事通過すべしと予測せられる、此問題に関して
 郷男は 左の如く語つた
 郵船問題も漸く玆迄進捗して来たが再び之れを覆す様な事はない、新重役推薦も大阪の菊池氏の起否が危ふまれるが、氏に対する交渉は井上氏に十分依頼して置いた、其他の人に就ては一両日中確定す
 - 第51巻 p.423 -ページ画像 
る自信がある、而して此問題に就ては大株主は既に承知した、過般の重役銓衡会議に於て、取締役は人の顔を並べた丈では仕方がない(一)同会での決議事項は具体的に実行させる(二)此趣旨で現重役の重任はしないで、更始一新全然新たな重役をあげる、又此等の重役と部長の間に事務重役の如きものを置くか、然らずして当分部長制度にするかは、社長以下八名の重役で極める事で、事務重役を定めるにしても現社員或は前社員から登用して、今の重役からは断じて就任させたくない


(原富太郎)書翰 渋沢栄一宛大正一三年一〇月二九日(DK510101k-0034)
第51巻 p.423 ページ画像

(原富太郎)書翰  渋沢栄一宛大正一三年一〇月二九日
                      (渋沢子爵家所蔵)
                   (別筆朱書)
                   大正十三年十月廿九日
                        原富太郎氏
恭啓仕候
御来示之趣委曲拝承仕候、御垂示之趣ハ小生としては光栄の至に存候得共、何等経験なき門外漢ニ有之、御辞退可申上候ハ勿論のぎと存候得共、昨日井上準之助様態々御来浜下され、縷々御垂示被下候ニ付、一切を挙けて井上様ニ御一任申上候間、何卒井上様より御聴取奉願上候、本日小生参上拝顔を得て可申上候処、本日は終日当地絹業協会の総会有之参上仕兼候間、玆ニ失礼を顧ず書面を以て申上候、何れ不日参上可得拝顔候、尚乍恐岩崎様・郷様へも宜敷御執成奉願候
                        草々敬具
  大正十三年十月二十九日
                       原富太郎
    渋沢栄一様
        硯北


東京朝日新聞 第一三八〇〇号大正一三年一〇月三一日 郵船会社重役問題 三井系の一人が残る問題(DK510101k-0035)
第51巻 p.423 ページ画像

東京朝日新聞  第一三八〇〇号大正一三年一〇月三一日
    郵船会社重役問題
      三井系の一人が残る問題
郵船会社後任重役として木村・大橋・土方・各務・原の五氏が承諾の旨を与へた事は既報の如くであるが、大阪の菊池氏は渋沢子の談片よりすれば内諾を与へた模様で、同氏は郵船株三百五十株を持つてゐるから本月末迄の名義書換の必要がない、而して玆に問題となるのは三井系代表者で、過般団氏より有賀長文氏に対し慫慂するところあつたが、三十日午前十時団氏は兜町の事務所に渋沢子を訪問し、有賀氏が種々の事情より引受け出来ないから、三井直系ではないが某関係者を改めて推薦して来たので、之に就て渋沢子、岩崎・郷両男の三巨頭が三度会見する必要を生じ、三十日午後二時半より銀行倶楽部に会合、渋沢子より岩崎・郷両男の承諾を求むる筈である


東京朝日新聞 第一三八〇〇号大正一三年一〇月三一日 漸く確定した郵船の新陣立 三井系代表者は結局保留 新ボード愈々成立(DK510101k-0036)
第51巻 p.423-424 ページ画像

東京朝日新聞  第一三八〇〇号大正一三年一〇月三一日
  漸く確定した郵船の新陣立
    三井系代表者は結局保留
 - 第51巻 p.424 -ページ画像 
        新ボード愈々成立
郵船会社後任重役問題に就て、社長以下八名の銓衡も三井系の一名を残して他は全部承諾し、玆に確定を見る事となつたが、三井系代表者に関しては有賀長文氏拒絶の結果、渋沢子は卅日午後二時半兜町事務所に岩崎男・郷男を招致して種々協議を重ね、三井系より新たに北海炭礦専務磯村豊太郎氏の推選説が出たが、銓衡に銓衡を重ねて
 遅延 してゐては再び郵船問題も行悩みとなる怖れがあるので、結局新たなるボードは左の如く社長以下七名にて組織する事とし、三井系代表者問題は当分留保する事とし、玆に来月七日の臨時総会及び二十九日の定時株主総会の準備に関する陣立を終了した
 取締役社長白仁武・取締役木村久寿弥太・同土方久徴・同原富太郎・同菊池恭三・同各務鎌吉・同大橋新太郎
而して諸氏は午後四時から団氏を訪問して右の旨を報告すると共に、尚将来の尽力方を依頼するところがあつた


(菊池恭三)電報 渋沢栄一宛大正一三年一〇月三一日(DK510101k-0037)
第51巻 p.424 ページ画像

(菊池恭三)電報  渋沢栄一宛大正一三年一〇月三一日
                    (渋沢子爵家所蔵)

図表を画像で表示(菊池恭三)電報  渋沢栄一宛大正一三年一〇月三一日

  ニホンバシカブトチヨ     「午前八時十五分京都発信」  シブザワジムシヨニテ       (日付印・一三・一〇・三一)   シブザワエイチ         [img 図]〓 オテガ ミハイケンユウセンジ ウヤクヤムナキコトアリオウケシガ タシイサイフミビ ヨウキチウゴ ヘンジ エンニテゴ ヨウシヤア レキチク《(クチ)》 




渋沢栄一電報 控 菊池恭三宛大正一三年一一月一日(DK510101k-0038)
第51巻 p.424 ページ画像

渋沢栄一電報 控  菊池恭三宛大正一三年一一月一日   (渋沢子爵家所蔵)
 大阪、東、上本八ノ二三二           渋沢
    菊池恭三
電見タ、御申越ノ趣ハ井上氏ヨリモ承知シタルモ、同氏トモ相談シ是非一時ナリトモ、御引受願フ外ナキニ付、再応御承諾ヲ懇願ス、委細文
  大正十三年十一月一日発信済


渋沢栄一書翰 控 菊池恭三宛大正一三年一一月一日(DK510101k-0039)
第51巻 p.424-425 ページ画像

渋沢栄一書翰 控  菊池恭三宛大正一三年一一月一日  (渋沢子爵家所蔵)
(朱書)
大正十三年十一月一日付菊池恭三氏宛総長親書写
拝啓 益御清適奉賀候、然者過日一書を以て賢台を日本郵船会社取締役ニ御推薦之義ニ付、押付ケ間敷拝願いたし、同時ニ井上君ニも事情詳細ニ開陳して御同情相成、特ニ御勧誘之書状も差出呉候処、今日同君より承及候ニハ、賢台にハ目下御所労中にも有之、何分御引受被成兼候旨御回答有之候趣伝承仕候、折柄小生過日之呈書に対する御回示も只今貴電拝受、同しく御辞退之義了承致候、右様之場合にも拘はらす強而拝願致候も如何にも恐縮之至ニ候へとも、只今井上君とも種々協議之上此際ハ一時たりとも枉而御引受相願度と申事ニ打合せ、同君より特ニ其事情詳述いたし呉候筈ニ候間、玆ニ小生も拙書を呈して再
 - 第51巻 p.425 -ページ画像 
願致候義に御座候、何卒御迷惑之程万々御察申上候得共、御応諾之程偏ニ御依頼申上候、事至急を要し候為め匆々之執筆文意不徹底之事共可有之候も、呉々も御宥恕被下、小生之苦衷御諒察被下度候 敬具
  十一月一日
                      渋沢栄一
    菊池恭三様
       玉案下
 尚々目下少しく御所労中之趣折角御摂養之程祈上候也


(菊池恭三)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月一日(DK510101k-0040)
第51巻 p.425 ページ画像

(菊池恭三)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月一日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                  (別筆朱書)
                  大正十三年十一月一日
                      菊池恭三氏来状
          (栄一墨書)
          十一月三日入手、即日電報を以て曩ニ書状と電信とにて、一時なりとも此際是非応諾致呉候様返信せし事を、繰返して再応発電致候事
拝復 時下秋冷之候御座候処閣下益々御健勝御精励之段乍憚奉慶賀候陳者此程ハ御懇篤なる御書状を賜はり、拙者を日本郵船会社新重役之一員に御推薦被成下御厚情難有謹而御礼申上候、尚同件ニ付井上準之助氏よりも同様之御勧誘状に接し申候ニ付、直ちに御高志に従ひ御請可致筈ニ御座候得共、元来拙者ハ過去数十年間紡績業而已に従事仕り此れを終生之事業として他方面には一切関係致さゝる方針にて御座候ニ、本年御承知之如く三十四銀行頭取故小山氏之後を周囲の事情已むなく相引受け未た間も無之、且つ近来大ニ健康を害し困入居候折柄折角之御勧誘を御請申上候も責任上心苦敷存候間、御厚意之御推薦に預り寔に千万感謝に不堪次第ニ御座候得共、以上申述候如き事情ニ有之且又大日本紡及三十四銀行之株主始め世間ニ対し候ても如何哉と懸念致候ニ付、折角之御思召に背き誠ニ恐縮之至りニ存候得共、此度ハ平ニ御辞退申上度、何卒不悪御海容被成下度候、尚拙者儀先月初旬以来病臥中に御座候処、目下追々恢復罷在候ニ付近日上京之予定ニ有之、其節ハ是非拝趨御挨拶可申述候も、先ハ乍略儀以拙筆御礼旁右申進候
                           敬白
  十一月初一
                      菊池恭三
    子爵渋沢栄一殿閣下


東京朝日新聞 第一三八〇二号 大正一三年一一月二日 海員の意志を代表する重役を就任せしめようと今度は海員側代表続々入京(DK510101k-0041)
第51巻 p.425-426 ページ画像

東京朝日新聞 第一三八〇二号 大正一三年一一月二日
  海員の意志を
    代表する重役を
      就任せしめようと今度は
       海員側代表続々入京
〔横浜電話〕郵船事務重役選任問題に関し、海員側たる青年同窓会では海員の意志を代表する重役の就任を希望し、神戸の鳥居監督は過般
 - 第51巻 p.426 -ページ画像 
上京したが、横浜に於ても目下碇泊中の箱根・伊予及一日入港の諏訪丸船長等は、横浜支店渡辺監督と協議した結果、同監督も今明日中に上京、神戸の鳥居監督と打合はせ、何等かの
 運動を起 す模様である、右に就て渡辺監督は語る
 『先般同交会の社長排斥の運動は、其動機に於て又其結果に於て甚だ遺憾の点多かつたが、今更彼是いつても追つかぬことで唯問題は今後如何にして郵船の陣立を立直し、国際的海運界の競争舞台に当るかといふにある、此際シツピングビジネスに未知数の後任重役の顔ぶれ以外に、社内より事務に精通せる所謂事務重役を選任することは、郵船会社の為めに必要と認めるものである、併し其事務重役の選任に当つて、海陸両社員が暗闘するが如きは恥の上塗りで、郵船の為めにも悲しむべき結果を齎らす惧れがあるから、此際海陸両社員は忌憚なき意見を交換し妥協点を見出して、協力一致会社の為めに万全の策を講ぜねばならぬ、現在の如き状態では社内の統制なく、数箇月間の航海を為す社員も働き甲斐がないと称し、之れが事務能率に影響することになれば一大事である、例へば火夫の手加減一つで、欧洲航路に於て石炭千噸を節約するか否かゞ分れる有様である、此際社内の空気を一掃する為、先づ海陸両社員代表者が胸襟を披いて協議し、陣立の立直しを断行しなければ、郵船の将来は内部的に崩壊を免れまい』云々


渋沢栄一電報 控 菊池恭三宛 大正一三年一一月三日(DK510101k-0042)
第51巻 p.426 ページ画像

渋沢栄一電報 控 菊池恭三宛 大正一三年一一月三日 (渋沢子爵家所蔵)
  大正十三年十一月三日発電
  大阪市東区上本町八ノ二三二
    菊池恭三殿             東京 渋沢
一日付の貴書拝見したるも、一昨日貴電に対し電報及手紙にて申上たる通り、此際枉けて御引受あり度、再応懇願す


渋沢栄一書翰 控 原富太郎宛 大正一三年一一月三日(DK510101k-0043)
第51巻 p.426 ページ画像

渋沢栄一書翰 控 原富太郎宛 大正一三年一一月三日 (渋沢子爵家所蔵)
(朱書)
大正十三年十一月三日付原富太郎氏宛総長親書写
拝読 爾来益御清適之条奉賀候、就ハ過日ハ突然御無理なる事件御願申上候処、事情御諒察被下、且同時ニ井上君之御助力も有之候ニ付、枉而御応諾被下候旨御回示ニ接し難有拝承仕候、右に付而ハ尚引続き苦配罷在候得共、何れ近日爾来之成行詳細御報告いたし、一段之御高配御尽力相願可申と存候、不取敢来示拝答旁匆々如此御座候 敬具
  十一月三日
                     渋沢栄一
    原富太郎様
        玉案下


(菊池恭三)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月四日(DK510101k-0044)
第51巻 p.426-427 ページ画像

(菊池恭三)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月四日
                          (渋沢子爵家所蔵)
          (栄一墨書)
          十一月六日落手
                (別筆朱書)
                大正十三年十一月四日 菊池恭三氏
 - 第51巻 p.427 -ページ画像 
謹啓 去る一日御差出尊翰並ニ電報弐通共敬受難有拝見仕候、陳者郵船重役就任之件ニ付閣下並ニ井上氏之御懇篤なる御勧説ニ就而ハ寔に光栄之至りニ有之、殊ニ御老体之御手書を辱くし恐縮之至りニ奉存候本来直様御指図ニ任せ乍不及犬馬之労を執るへき旨御請可申上之処、先便にも申出候通り拙者元来大日本紡績及三十四銀行ニ対し責任を帯ひ居候事とて、折角之御厚志ニ対し徒らに勝手を主張する義には毛頭無之、只々両会社ニ対する重責を惟ふ点より申述候次第ニ御座候間、何卒不悪御諒察被遊度候、然るニ一面には郵船之御内情も万々量察仕り、又閣下御始め有力なる各位之御推薦を無にするハ誠ニ忍ひざる事と考慮致候ニ付、此上ハ近日之内ニ右両社之重役会を開催仕、十分協議相遂げ其承諾を得る様相努め申度、其上にて異議も無之候はゞ御指図ニ従ひ可申候
然るニ不肖折悪しく先般来不快にて引籠中ニ御坐候処、最早余程快気ニ向ひ申候間、来る十三・四日頃には右重役会開催之予定ニ御坐候間何卒本件ハ其迄のところ御手許ニ御保留置被成下度、誠ニ勝手之願意恐縮千万奉存候得共、右事情御洞察之上宜敷御猶予悃願此事御座候、先右不取敢貴酬如此御坐候 敬具
  十一月初四於京都
                      菊池恭三
    渋沢子爵閣下


渋沢栄一電報 控 菊池恭三宛 大正一三年一一月四日(DK510101k-0045)
第51巻 p.427 ページ画像

渋沢栄一電報 控 菊池恭三宛 大正一三年一一月四日 (渋沢子爵家所蔵)
   大正十三年十一月四日発電
  大阪市東区上本町八ノ二三二
    菊池恭三殿
貴電拝承、御無理拝願したるに御承諾を得たるを感謝す
                          渋沢
   ○菊池恭三承諾ノ電報ヲ欠ク。


(木村久寿弥太)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月四日(DK510101k-0046)
第51巻 p.427-428 ページ画像

(木村久寿弥太)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月四日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                   (別筆朱書)
                   大正十三年十月四日
                    木村久寿弥太氏来状
拝啓
昨日御打合申上候六日夕白仁武氏紹介之会席は瓢屋(築地)ニ取極メ別紙写之通御三方御連名ニテ、郵船現取締役宛ニ案内書差出し置申候間左様御承知置奉願上候 拝具
  大正十三年十月四日《(十一)》
                      木村久寿弥太
    渋沢子爵
        閣下
(別紙)
拝啓 秋冷之候益御清栄奉大賀候、陳者来六日白仁武君御紹介旁麁餐差上申度候間、御多用中御迷惑トハ被存候ヘ共、当日午後五時築地瓢
 - 第51巻 p.428 -ページ画像 
家ヘ御光来被下度御案内申上候 敬具
  大正十三年十一月四日
                      渋沢栄一
                      郷誠之助
                      岩崎小弥太
          殿


日本郵船株式会社営業報告書 第三九期後半年度 刊(DK510101k-0047)
第51巻 p.428 ページ画像

日本郵船株式会社営業報告書 第三九期後半年度 刊
一大正十三年十一月七日、東京市麹町区永楽町一丁目一番地郵船「ビルデイング」ニ於テ臨時株主総会ヲ開ク、出席ノ株主壱万壱千壱百八拾七人此株数壱百弐拾弐万四千参百拾五株ニシテ、副社長黒川新次郎氏会長席ニ着キ左ノ件ヲ議了セリ
 一大正十三年十月十五日取締役社長伊東米治郎氏辞任ニ付、取締役一名補欠選挙ノ結果、白仁武氏当選ス


東京朝日新聞 第一三八一三号 大正一三年一一月一三日 郵船の新陣容 部長を廃して事務重役二名(DK510101k-0048)
第51巻 p.428 ページ画像

東京朝日新聞 第一三八一三号 大正一三年一一月一三日
    郵船の新陣容
      部長を廃して
      事務重役二名
郵船会社では白仁武氏の社長就任が決定し、後任重役には木村・土方各務・原・菊池及び大橋の六氏既に内定し、残るは事務重役設置問題であるが、最近白仁社長と産婆役渋沢子等との会見に於ても、社内実務の統率は部長制度では統一上困難であるから、事務重役二名を置き全然更始一新の趣旨に於て現重役の再選は之れを認めざるものゝ如く事務重役二名も之れを専務取締役とし、之が銓衡に就ては白仁氏と社内幹部の事情に明るい郷男との間に談合ひが行はれてゐるものゝ如く来る二十八日の定時総会迄に是非共決定して置きたい意嚮で、近日中白仁社長は渋沢子、岩崎・郷両男にて銓衡する筈である
 然して目下のところ二名の事務重役として松平参事・小松原船舶部長等が噂に上つてゐる


日本郵船会社紛議ノ件書類(DK510101k-0049)
第51巻 p.428-429 ページ画像

日本郵船会社紛議ノ件書類        (渋沢子爵家所蔵)
       (別筆朱書)
       大正十三年十一月十四日
          日本郵舶会社
                船長総代四宮源三郎 機関長総代坂本鍵造 両氏来状
粛啓
時下秋冷ノ候貴台益々御清穆慶賀ノ至リニ存候、陳バ今回偶我社内部ニ不祥事発生シ紛糾ヲ極ムルヤ、朝野ノ名望ヲ担フ貴台ニハ時局収拾ノ任ニ膺ラレ候事大慶不過之候、抑モ我社従来ノ紛擾ノ禍根ヲ絶チ以テ百年ノ大計ヲ樹ツルハ方ニ此秋ニ如クハナク、其重任ニ膺ラルヽハ貴台ヲ措テ他ニ之ヲ求ム可ラズト存候、玆ニ於テ小職等貴台ノ御斡旋ニ信頼シ、節制アル態度ヲ以テ其推移ヲ観望致居候、然ル処局面ノ進展ニ伴ナヒ目下ノ情勢ハ最早小職等黙止スル事能ハザルニ立到リ候間僭越ナガラ敢テ一書ヲ呈シ貴台ノ御高覧ヲ仰グ次第ニ御座候
 - 第51巻 p.429 -ページ画像 
曩ニ一部社員ノ非違行為ヲ処断セラレタル現重役ノ辞任ニシテ其儘容認セラルヽガ如キコトアラバ、小職等ノ甚ダ諒解ニ苦ム処ニ御座候、勿論這般ノ消息ニ至リテハ窺知シ能ハザル複雑ナル事情有之候ハンモ小職等ノ職責上部下統御ノ重大ナル任務ヲ有スル立場ヨリ観レバ、斯ノ如キハ船務遂行上ノ一大脅威ニシテ、非常ナル悪例ヲ貽スモノト断言シテ憚ラザル次第ニ御座候、例ヘバ部下海員中其本分ヲ忘レ妄ニ徒党ヲ組ミテ秩序ヲ紊リ上長ニ反抗スルモノニ対シ適法ノ処分ヲ加ヘタル場合ニ於テ、処分者自身モ亦一々自決セザル可ラザルコトヽ相成リ斯クテハ所謂下剋上ノ甚シキモノニシテ、為メニ人心ノ安定ヲ欠キ、国家海運ノ健全ナル発達ハ到底之ヲ望ム可ラズ、其影響スル処大ナルヲ想ヘバ現重役ノ進退ニ就キ深甚ノ考慮ヲ要スル事ト存候
我社重役中ニハ社務ニ通暁スル社内重役数名ヲ挙ゲラレン事ヲ希望致候、蓋シ社内重役ノ必要ナルハ自明ノ理ニシテ、特ニ海運業ニ於テハ業務ノ性質上海上事務ノ実際ニ精通スルモノナクンバ、社務ノ円滑ナル運用ハ期ス可ラザル次第ト存候、今若シ時代ノ趨勢ヲ無視シ、社員ノ過半数ヲ占ムル海上社員ノ立場ヲ考慮スル処ナカランカ、営業ノ第一線ニ立ツ幾多海員ノ所期ニ反シ、能率増進ヲ阻碍シ思想ノ悪化ヲ招来セン事ヲ衷心憂慮罷在候、小職等ハ新聞紙上ニ伝フルガ如ク陸上社員ニ対シ毫モ敵意ヲ挟ムモノニアラズ、又好ンデ事ヲ搆フルモノニアラズ、誠心誠意会社ノ利益ヲ念トシ、海陸協調以テ社礎ノ鞏固ト社運ノ隆昌トヲ図ラントスルニ他ナラズ候
今ヤ我社ハ万目注視ノ焦点トナリ、時局収拾ノ結果如何ハ独リ我社ノ安危ニ関スルノミナラズ、延テハ社会ノ思想問題ニ影響スル所必ズ大ナルモノアルベシト存候、此間ニ処シ貴台ノ御配慮洵ニ恐察ノ至リニ御座候得共、小職等モ亦一片耿々愛社ノ念黙止シ難ク爰ニ敢テ卑見ヲ陳ブル所以ニ御座候 恐惶謹言
  大正十三年十一月十四日
               日本郵船株式会社
                船長総代  四宮源三郎
                機関長総代 坂本鍵造
    子爵渋沢栄一殿
 追而同文岩崎男爵及郷男爵宛発送致置候間御含置被成下度候


東京朝日新聞 第一三八一四号 大正一三年一一月一四日 郵船の事務重役銓衡協議 二名とし従来の慣習打破(DK510101k-0050)
第51巻 p.429-430 ページ画像

東京朝日新聞 第一三八一四号 大正一三年一一月一四日
    郵船の事務重役銓衡協議
      二名とし従来の慣習打破
郵船会社にては社内実務統率に関する社長補佐機関として事務重役設置問題に関し、十五日午後三時半より白仁社長を初め渋沢子、岩崎・郷両男及木村・土方・各務・大橋の八氏は、三菱商事会社に会合して約一時間半に亘つて協議したが、同問題に関して、意見の一致した点は
一、社内実際業務の統率に関して事務重役は之れを二名とする事
一、事務重役の銓衡に関しては海員・陸員と云ふ如き従来の行掛りを離れ、海陸員問題を超越して人選をなす事
 - 第51巻 p.430 -ページ画像 
となりたるものゝ如く、渋沢子等の意嚮としては
 事務重役の決定は事重大であるから、兎も角二十八日の定時総会で社外重役が就任してから慎重協議するを穏当とし、当分部長制度の儘とする
と云ふのであるが、之れに対して事務重役銓衡を遅延せしむる事を不可とする議論も出で、要するに当日の会合では何等決定を見ず、更に十五日午後以上の諸氏再び会合し同問題を協議する事となつたと


東京朝日新聞 第一三八一六号 大正一三年一一月一六日 郵船社内重役 一部重役再選説(DK510101k-0051)
第51巻 p.430 ページ画像

東京朝日新聞 第一三八一六号 大正一三年一一月一六日
    郵船社内重役
      一部重役再選説
既報の如く郵船会社事務重役問題に関して、先般来白仁社長と郷相談役主として之が銓衡の任に当つてゐたが、大体銓衡の内交渉一段落を告げたので、十五日午前十時より午後二時に亘り白仁社長初め
 渋沢栄一・岩崎小弥太・郷誠之助・土方久徴・木村久寿弥太・各務鎌吉・大橋新太郎
の八氏は三菱本館会議室に第二回会合を催し、前回未決の事務重役の選挙期日及之れが顔触れ決定に就て協議したが、選挙期日は二十八日の定時総会当日を以てする事に決定したが、顔触れ問題に関しては決定に至らず、更に白仁社長と郷相談役にて銓衡を続くる事とし、其上にて近日前記八氏再び会合して之が内定を見る段取となる筈であるが同問題に対して渋沢子・岩崎男の意嚮は
 従来の行掛りを離れて文字通り更始一新の意味にて、現重役の再選は之れを認めず
となすものゝ如く、之に対して白仁氏及び郷男は事務重役としては会社の事務に熟達した者を以てする事とし、之に対して全然現重役の再選を認めずとする事になれば、社長自身も頼りなき次第であるから、此際抽象的な更始一新と云ふ事を去り、一部現重役の再選を認むる事が必要であるとの意嚮らしく、大体衆議も是れに傾いた模様であると之れに就て郷男は語る
 先達からの会合で、社内実務統率に対して部長の三部制では到底むづかしいから、社内事務に熟達した人を定時総会で選挙する事に意見一致したが、之れに就ては抽象的な更始一新と云ふ意味を避け、現重役よりの再選必ずしも不可ならずと云ふ議論も出た、之に就ては白仁君と私とが大体の銓衡をして、定時総会前に今一度内相談をしたいと思つてゐる
而して事務重役として現黒川副社長・武田常務の再選談が噂に上つてゐる


東京朝日新聞 第一三八二五号 大正一三年一一月二五日 郵船の事務重役内定す 黒川・武田両氏銓衡さる(DK510101k-0052)
第51巻 p.430-431 ページ画像

東京朝日新聞 第一三八二五号 大正一三年一一月二五日
    郵船の事務重役内定す
      黒川・武田両氏銓衡さる
来る二十八日の定時株主総会を控えた郵船会社二名の専務取締役の銓衡会議は、斡旋役の渋沢子が風邪臥床中である為め遷延されてゐたが
 - 第51巻 p.431 -ページ画像 
此程同氏より他の銓衡委員に一任する旨通知するところあり、社外重役たるべき大阪の菊池恭三氏も上京したので、二十四日午後三菱本館会議室に於て岩崎小弥太・大橋新太郎・各務鎌吉・木村久寿弥太・郷誠之助・菊池恭三(渋沢栄一・原富太郎・土方久徴三氏欠席)の六氏会合し、曩に事務重役二名の銓衡を白仁社長・郷相談役一任となつたので、両氏よりなる銓衡案を内示すると共に、之れが経過を縷々説明するところあり、同案に基いて協議の結果愈々現社内重役の再選を認むる事に決し、愈々黒川新次郎・武田良太郎両氏に内定した、されば結局取締役会は左の九氏を以て組織する事に内定し、白仁社長を除いた他の八名の選挙を定時総会にて選挙する筈
 △取締役社長白仁武△専務取締役黒川新次郎△同武田良太郎△取締役木村久寿弥太△同大橋新太郎△同土方久徴△同原富太郎△同菊池恭三△同各務鎌吉


(木村久寿弥太)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日(DK510101k-0053)
第51巻 p.431 ページ画像

(木村久寿弥太)書翰 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                 (別筆朱書)
                 大正十三年十一月廿五日
                    木村久寿弥太氏来状
拝啓仕候、陳者頃日御病床ニ被為在候趣御当座之御事とは拝察仕候も向寒之候御静養御専一ニ可被為遊候、昨日之会合ハ原・久方之御両処欠席相成候外菊池君《(土方)》も御出席被下候
問題の要点ハ
 一可居残現重役ニ前以テ(廿七日頃)更ニ推撰之意志を漏し其承諾ヲ求ムルカ、又ハ
 一総会ニ於テ指名し、其去就を任意ニスルカ
之二点ニ有之、評議之結果ハ
 総会之当日朝之内ニ其人ニ対し推挙之意を伝へ、其承諾ト否トニかゝはらす指名スル事
其結果、辞退之場合ハ元之趣意ニ立戻リ、部長制ニテ業務執行之事と相成申候、人名ハ黒川・大谷之内一名(多分大谷)、武田を加へて弐名とし、尚今後の懸引ハ社長ト相談役の協議ニ御委せ為す事ニ一決致し申候
目下陸員の反抗運動も有之、前項之事ハ暫時極秘ニ願上候 敬具
  十一月廿五日
                    木村久寿弥太
    渋沢子爵
        閣下


(日本郵船会社神戸支店社員)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日(DK510101k-0054)
第51巻 p.431-432 ページ画像

(日本郵船会社神戸支店社員)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日
                    (渋沢子爵家所蔵)
                 「午後七時二十分神戸三ノ宮発信」

図表を画像で表示(日本郵船会社神戸支店社員)電報 渋沢栄一宛 大正一三年一一月二五日

  アスカヤマ          (書入レ)    シブサワエイイチ      午後十一時五十分(日付印・一三・一一・二五)                        入手○ 


 - 第51巻 p.432 -ページ画像 
ゲ ンジ ウヤクヲコノサイジ ムジ ウヤクニサイセンスルコトハカイシヤネンライノカコンヲゼ ツメツスルユヱンニアラズ モシゼヒトモジ ムジ ウヤクセツチノヒツヨウアラバ 一パ ンシヤインノシンボ ウアルモノヲアゲ ラレンコトヲコンガ ンスコウベ シテンシヤイン一四〇メイ


東京朝日新聞 第一三八二六号 大正一三年一一月二六日 大谷・武田二氏に郵船事務重役決定 二十六日重役会に発表(DK510101k-0055)
第51巻 p.432 ページ画像

東京朝日新聞 第一三八二六号 大正一三年一一月二六日
  大谷・武田二氏に
    郵船事務重役決定
      二十六日重役会に発表
郵船事務取締役銓衡に就ては、渋沢子・白仁社長を初め他の重役と今日迄数回協議する処あり、二十四日の如きは三菱本館に於て銓衡委員会を開き、最後の決定として四時間に亘り各自の意見を徴した結果、現黒川副社長・武田常務の二氏を再選
 二専務 制となす事に内定したが、二十五日午後一時白仁社長は黒川副社長・大谷専務・武田常務の三氏を社長室に招致し二十四日に於ける銓衡の結果を齎して報告する処あつた、然るに黒川副社長は初めより就任の意志なく、仮令再選されても固辞する考へであつたから其旨を社長に伝へたので、局面は俄かに転回し、社長の岩崎・郷両男訪問となり、二十五日夕刻に至り玆に大谷専務・武田常務の二氏が再選される事に決定し、二十六日改めて之を発表する筈である、局面の転回と共に同交会はステーシヨンホテルに緊急協議会を開き、勝山・田上の二氏も出席したが、同交会では十一名の整理は大谷氏が主張した事の内容を知つて居るので飽迄大谷氏の再選を防止すべく、窃に各方面に運動を試みる事となつた、殊に武田氏が海員の出身にして今日迄海員代表として重役となつて居り、且今回の再選も陸海両方面より再選する事となつた以上、陸員側として大谷氏を再選するであらうが、陸員大多数団体である
 同交会 に同情なき大谷氏を再選せしむる事は甚だ穏当でないと云ふのが同交会の意志であるから、二十六日の決定と共に社内には再び同交会対重役問題が起りはせぬかと観測されて居る


東京朝日新聞 第一三八三六号 大正一三年一二月六日 馘首された支店長等の復職は詮議出来ぬ 昨日郵船重役会で決議し社長から高級社員へ説諭 同交会泣寝入か(DK510101k-0056)
第51巻 p.432-433 ページ画像

東京朝日新聞 第一三八三六号 大正一三年一二月六日
  馘首された支店長等の
    復職は詮議出来ぬ
      昨日郵船重役会で決議し
      社長から高級社員へ説諭
        同交会泣寝入か
郵船会社の陸員団体同交会では、前神戸支店長勝山氏以下十一名の復職に就き過般来再三白仁社長に迫るところあり、最近倫敦・シンガポール・香港其他の海外支店よりも馘首者の復職を嘆願する電報が十三通にも達したので、五日午後二時より定例重役会を開き各務・菊池両氏を除いて重役全部出席、同問題を議題とし満場一致を以て
 新ボードは旧ボードの行つた事に対して一切の行掛りを批判すべき
 - 第51巻 p.433 -ページ画像 
義務はない、従つて解職者の復職は詮議し難し
と決議し四時半散会したが、白仁社長は五時から各課主任級以上約四十人を社長室に招致し、解職者の復職実行不可能の次第を縷述し
 曩に復職方を陳述した人々は、之を以て正式の返答と思つて貰ひたい
と申渡し、尚真に会社の前途を憂慮するならば、不穏の挙に出づるが如き事なき様諭旨するところあつた、同社では重役会終了と共に一方同交会では、主任級以下の若干急進派は飽く迄玉砕主義を以て終始せんとし、青池文書課長等幹部の処置を手緩しとして、四日夜来丸之内ホテルの七階に陣取り種々画策し、五日重役会の成行によつては断然たる行動に出でん形勢であつたが、勝山・田上氏等より極力之を阻止したので、五日正午に至り同問題に対しては尚慎重なる態度を採る事を申合せ、今後の処置に就き協議した
    復職の意志がない
      罷免社員の申出に要求書撤回
郵船陸上社員団体同交会は五日の同社重役会議を前にして、過般の紛争で罷免された勝山前神戸支店長以下十一名の復職要求を社長に提出してゐたが、右十一氏から「我等には復職の意志は全くない」との申出があつた為め、右同交会の要求は撤回された、少壮会員は此不始末に対し同幹部不信任の声を挙げてゐる


日本郵船会社紛議ノ件書類(DK510101k-0057)
第51巻 p.433 ページ画像

日本郵船会社紛議ノ件書類        (渋沢子爵家所蔵)
                (別筆朱書)
                大正十三年十二月十九日
                  日本郵船会社
                    船長一同 機関長一同 ヨリ礼状
粛呈
時下向寒ノ砌貴台益々御清栄御健勝之段慶賀ノ至リニ奉存候、陳ハ吾社先般ノ紛擾ニ関シ、貴台ニ於カセラレテハ善ク大局ヲ明察セラレ、種々御斡旋ノ労ヲ執ラレ候結果、吾社今日ノ安定ヲ得タルハ誠ニ御同慶ノ至リニ有之、特ニ過般ノ時局ニ関シ憂慮ノ念黙止シ難ク、失礼ヲモ顧ミス曩ニ卑見ヲ陳情スル処アリシ小職等トシテハ、誠ニ欣快ノ至リニ御座候、今後ハ小職等モ自重以テ部下ヲ督励シ、貴台ノ御期待ニ副ハン事ヲ努力致度決心罷在次第ニ御座候、一言御挨拶申上度如斯ニ御座候 恐惶謹言
  大正十三年十二月十九日      日本郵船株式会社
                       船長一同
                       機関長一同
    子爵渋沢栄一殿


東京朝日新聞 第一三八五三号 大正一三年一二月二三日 郵船騒動又盛返す 犠牲に殉じ同交会員続々辞表(DK510101k-0058)
第51巻 p.433-434 ページ画像

東京朝日新聞 第一三八五三号 大正一三年一二月二三日
    郵船騒動又盛返す
      犠牲に殉じ同
      交会員続々辞表
〔大阪電話〕郵船会社の内紛に伴ふ犠牲者十一名の復職運動で、再燃
 - 第51巻 p.434 -ページ画像 
せんとした同交会の動揺も、犠牲者側の鎮圧によつて表面鎮まつた如く見えたが、内実大谷重役等に対する反感は容易に消えず、曩に同交会に重きをなす松平参事、菅波貨物・浅井工務両課長が辞して間もなく、今回更に横浜造船監督森理一氏は「日本郵船会社を去るの辞」とふ一小冊子を同交会員全部に配付して十一名の犠牲者に殉ずるに至つたので、之が動機となり同交会員中の硬派は何れも将来に見切りを付けて辞意を表明し、之に同ずる者本支店を通じて其の数約六・七十名に及ぶであらうと言はれ、重役側でも事務の渋滞につき恐慌を感じて居る


東京朝日新聞 第一三八五四号 大正一三年一二月二四日 紛擾再燃に対抗して海員側動き出す 郵船騒動又復悪化(DK510101k-0059)
第51巻 p.434 ページ画像

東京朝日新聞 第一三八五四号 大正一三年一二月二四日
    紛擾再燃に対抗して
      海員側動き出す
        郵船騒動又復悪化
〔横浜電話〕郵船横浜支店造船監督附技師森理一氏は去る八日辞表を提出し、同時に「郵船を去るの辞」といふ声明書を同志に配布したことは昨報の如くであるが、氏に共鳴する同交会員中技術家で、内外国支店勤務せる七十余名はその行動を共にし、辞表を纏めて提出すると共に、飽まで大谷・武田両専務を排斥せんとするに至つた、一方これに対して海員側たる青年同窓会は横浜支店航海副監督渡辺治直・神戸支店船舶監督尾崎麟太郎氏等起つて、大谷・武田両氏の擁護運動を起し、加ふるに陸員側の同交会穏和派たる櫟木上海支店長・永島船客課長・長瀬調度課長等は暗に森氏一派の強硬派に反対し、穏健なる解決をしようと運動を開始した模様があるので、郵船内部に是等三巴戦を呈する形勢がある、森氏は辞表を提出せるも重役側は各社員への影響を惧れて辞任を許さぬが、事玆に至つた以上は辞意を決し飽まで戦ふ決心をして居るやうである


日本郵船株式会社営業報告書 第四〇期前半年度 刊(DK510101k-0060)
第51巻 p.434-435 ページ画像

日本郵船株式会社営業報告書 第四〇期前半年度 刊
    第二 株主総会
一大正十三年十一月廿八日、東京市麹町区永楽町一丁目一番地日本郵船株式会社本店ニ於テ、第三十九期後半年度定時株式総会ヲ開キ、出席株主壱万壱千六百四拾七人此株数壱百弐拾八万八千参百四拾九株ニシテ、社長白仁武氏会長席ニ着キ、左ノ事項ヲ決議ス
 一大正十三年四月一日ヨリ同年九月三十日ニ至ル第三十九期後半年度ノ営業報告書・計算書類ノ承認、及利益金処分案原案ノ通リ可決ス
 一取締役補欠選挙ノ結果、永田仁助氏ノ後任トシテ菊池恭三氏、湯河元臣氏ノ後任トシテ大橋新太郎氏、水川復太氏ノ後任トシテ木村久寿弥太氏、石井徹氏ノ後任トシテ原富太郎氏、安田柾氏ノ後任トシテ各務鎌吉氏、江口定条氏ノ後任トシテ土方久徴氏、大谷登氏ノ後任トシテ大谷登氏、武田良太郎氏ノ後任トシテ武田良太郎氏当選ス
 一監査役改選ノ結果山本直良・島徳蔵ノ両氏再選重任ス
 - 第51巻 p.435 -ページ画像 
 一前取締役社長伊東米治郎氏ヘ功労金贈呈ノ件ハ取締役会ニ一任スルコトニ決ス
   前記前取締役社長伊東米次郎氏《(伊東米治郎)》ニ贈呈スヘキ功労金ハ取締役協議ノ結果金弐拾五万円ト決定シ、大正十三年十二月十三日之ヲ贈呈セリ
   ○日本郵船株式会社重役改選ニツキ其新旧役員ヲ対比スレバ左ノ如シ。
     取締役社長 伊東米治郎  同副社長    黒川新次郎
     専務取締役 大谷登
     取締役   永田仁助   湯河元臣    水川復太
           石井徹    安田柾     江口定条
           福井菊三郎  成瀬正恭    富永敏麿
           武田良太郎
     監査役   山本直良   河村金五郎   島徳蔵
     相談役   郷誠之助
                     (以上大正十三年五月)
     取締役社長 白仁武
     専務取締役 大谷登    武田良太郎
     取締役   菊池恭三   大橋新太郎   原富太郎
           木村久寿弥太 各務鎌吉    土方久徴
                     (以上大正十三年十二月)


竜門雑誌 第四三三号・第三―五頁 大正一三年一〇月 私の接した最近の二大問題 青淵先生(DK510101k-0061)
第51巻 p.435-436 ページ画像

竜門雑誌 第四三三号・第三―五頁 大正一三年一〇月
    私の接した最近の二大問題        青淵先生
○上略
      郵船会社の紛議に関して
 日本郵船会社の紛議は兎に角解決した。この問題の起つて居る間、私は双方の人は勿論第三者の訪問をも屡々受け、訪問責めに遭つたのであるが、郵船会社の今日あるのは、資本家と経営者との尽力にもよるが、国家が少なからぬ援助を与へて居る御蔭である。我が国は四面環海の国柄であるから、海運の事が諸外国より一歩進んで居ないと、事業の発展を望み得ず、国運の衰退を来たさねばならぬのである。それ故、国力進展上からも常に此点に一歩を先んずる心掛けが必要である。これは私等の昔から希望せる点で、斯う云ふ国家的の仕事に従事する者が一日も忘れてはならぬ処である。我が海運事業は欧洲大戦の当時から過大の進歩を示したかの観があり、船舶数の激増も著しかつたが徒らに古船を多く買ひ込んだが為め、量は多いが質が悪いといふ実状にある。故にこれは郵船のみに限らず、我が船舶会社としては何れも改良と整理とを速かに行はねばならぬ筈である。他方海運に対する諸外国政府の努力は実に眼醒しいものがある、中にも亜米利加の如きは最も力を致せるもので、優秀船の新造とか重油船の採用とか、船舶の数も質も急に善くなつて来た有様である。それ故我が国の如きは今日の進んだ知識を基礎としていくら努力しても尚ほ足るまいと云ひたい程である。然るに斯かる時期に際し郵船会社に於て此度の如き大紛擾を来し、重役は「社員が重役の権限に立入り、而も之を排斥するといふが如き不合理はない」と唱へ、社員側では「重役の重みが足りぬ」と云ひ合つて居たやうであるが、それでは洵に日本海運の将来の
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為め心細い限りであると云はずには居られない。この物議は社外の四重役たる江口・福井・永田・成瀬諸氏の顔と尽力とで漸く納つたのは結構であるが、真に根本まで徹底的に融和したかどうかを疑ふのである。前にも述べた様に海運は日本の実業にとつて最も重要なる地位にあるものであり、而して郵船会社は日本での大会社であるから、其会社の紛擾は各方面に影響する処が多く、我国実業の発展に取つて打撃であり得る。従つて重役も社員も共に反省して、善くなかつた点を直すやうに考へを進めて行かなければ根本的解決は至難であらう。人はよく自分のみは善いが人が悪いといふ風に考へたがるものであり、また一方を善しと見て他方を悪いとしたがるが、紛議が起るのは両者五分五分に罪があるのであつて、郵船の問題もその観があるを免れまい即ち会社内部には定つた制度があるのに、社員が社規を紊乱するに到つたのは社員側が悪いと云ひ、また他面からは重役の威信が足らぬからだと云ふ、処が両者がこの態度で相譲らず争ふたならば、結局信ずる処や見る点が違ふのであるから水掛論に終らう。斯かる場合に於ては必ずや一方が譲るとか、相互に譲り合ふとか、誤れる点を教へ合ふとかして、共々に反省しつゝ進むのでなくては、何事も円満には行かない。これは単に郵船会社に於てのみならず、政治上でも経済上でも支配者と使用人といふ様な相対峙する地位にある者のよくよく考へるべきことで、各自が自分の本分と職務とに忠実で道理をはずれないならば、此様な紛擾は起らぬであらう。郵船の紛議も先づ納つたが、私は切にこの考へがよいと思つて居るので、特に述べた訳である。
○下略


雨夜譚会談話筆記 下・第八一七―八二一頁 昭和二年一一月―五年七月(DK510101k-0062)
第51巻 p.436-437 ページ画像

雨夜譚会談話筆記 下・第八一七―八二一頁 昭和二年一一月―五年七月
                     (渋沢子爵家所蔵)
  第三十回 昭和五年六月二十四日 於渋沢事務所
    一、紛争の仲裁に立たれた時の御気持に就て
先生「此質問要項に(大正十三年十月郵船会社の紛擾の際、御調停になつた時の御気持は如何でございましたか)と書いてあるが、此十三年の郵船会社の紛擾と云ふのはどんな事だつたかネ、一寸覚えてゐないがネ。」
篤「私もよく存じませぬが、何でも内輪の紛擾ではなかつたかと思ひます。確か他会社との問題ではなかつたやうに記憶致して居りますが……」
白石「事件の内情につきましては、只今一寸記憶がございませぬが、私はあの時子爵の代理として、後任重役の事に就て、郷さんを訪問致しました事などを覚えて居ります。此処に其頃の新聞記事がございますが、此中に子爵のお話として、こんな事が載つて居ります。『私(註、青淵先生なり)も曾ては郵船に関係があつたので、今回の問題に対しては密かに事の経過を憂慮して居つたが、従来の同社の紛擾は配当問題・人事問題・金銭問題等の範囲を超えなかつたが今度の事件は、社員が多数の力を以て、社長を排斥しようとするのである。勿論多数の力を待つことは、場合によつては良いこともあ
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るが、今回の郵船問題の場合においては、最も慎まなければならぬことである。……』」
篤「成程。伊東社長の排斥運動だつたのでございませう。伊東米治郎さんがよして、その後に白仁武さんが社長になつた時の事でございますネ。」
先生「伊東米治郎氏が社長を罷める時の話だネ。あれはどう云ふ行きがかりで、あんな事になつたのだつたか、今鮮かに覚えてゐないがネ、株主側から始まつた事だつたか、それとも他の会社との経緯から起つた問題だつたか、そこの処は一寸記憶しないが、要するに伊東と云ふ人は据りの悪い人だつた。何でも近藤廉平氏あたりから引立てられて、船会社の事務に就ては、多少心得があつたやうだつたが、人格がない人で、その関係から罷めるやうになつたのだらう。そこのところははつきりわからないがネ。」
篤「その動機は社員に対する待遇とか、社員の勤務とか云つた事にあつたのではございますまいか」
先生「その、今読んだ新聞記事にはどんな事が書いてあるかい」
 (白石氏新聞切抜を読む)
篤「社員中の海員側と陸員側とに対する伊東社長の態度が不公平と云ふのが事の起りだつたのでございませう」
先生「そんな事もあつたやうに思ふが、要するにそれも伊東氏の人格による事なので、元来伊東といふ人は事務家である、それが社長となつて人の上に立つて種々な事を処理したり、多人数を動かして行く間に、無理を生じて、遂に陸員と海員の間に取扱の不公平も出来て、到頭社長を罷めねばならぬ事になつたのだと思ふ。何だか、ぼんやりしたお答になつて仕舞つたが、其当時の事情をはつきりと記憶しないから致し方ない。もつと的確な材料でも出て来たら、其上でお話する事も出来よう。○下略」
   ○此回ノ出席者ハ栄一・渋沢篤二・渡辺得男・白石喜太郎・小畑久五郎・佐治祐吉・高田利吉・岡田純夫・泉二郎