デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
4款 インド国綿糸布輸入関税引上問題
■綱文

第52巻 p.243-261(DK520019k) ページ画像

昭和2年8月23日(1927年)

是月二十二日、インド国議会ニ綿糸輸入関税引上法案上程セラル。是日栄一、日印協会会頭トシテ副会頭大隈信常トノ連名ヲ以テ、同国政府当局・上下両院議長・各政党首領・各新聞等ニ対シテ該案反対ノ電報ヲ発ス。同法案ハ同国上下両院ニ於テ可決セラレ、是年九月二十二日ヨリ実施セラル。


■資料

日印協会書類(一)(DK520019k-0001)
第52巻 p.244-245 ページ画像

日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 残暑之候愈御清栄奉賀候、陳者印度政府は目下シムラに再会中の印度議会に綿糸輸入税改正案を附議する事に相成り、日印貿易関係上事態等閑に附す可らざるもの有之候に付き、本会は外務省当局及当業者側と協議之上、右改正案の通過を阻止する目的を以て、本日印度政府当局、両院議長、各政党首領、甲谷陀ホアワード紙、孟買タイムス・オブ・インデイア紙、サー・ドラツブ・ゼ・タータ、サー・パーシヨタマダス・サツカーダス及甲谷陀日本商品館長宛に頭本理事を煩はし電文作製別紙電報を発し申候、右は貴意御伺ひ御許諾を得べき筈ニ候ひしも、事急を要する次第に有之臨機主なる在京理事に於て取計ひ申候次第に御座候間不悪御諒承被成下度奉願上候、先は右得貴意候
                           敬具
  昭和弐年八月廿三日
                    日印協会
    子爵 渋沢会頭殿
 追白、別紙通信文は当地各新聞社に通信致したるものに有之候間高覧に供申候
(別紙一、謄写版)
  SECRETARY, COMMERCE DEPARTMENT. SIMLA.
DEEPLY PAINED TO LEARN INDIAN GOVERNMENT PROPOSES CHANGE IN TARIFF AIMED AT IMPORTATION OF JAPANESE COTTON YARNS ON GROUND OF OBVIOUSLY EXAGGERATED AND UNFAIR ESTIMATE OF LABOUR CONDITIONS HERE (STOP) CONVINCED THAT PROPOSED MEASURE CONSTITUTES UNFAIR DISCRIMINATION CONTRARY TO SPIRIT OF INDO-JAPANESE COMMERCIAL TREATY AND APPREHENSIVE THAT CONSEQUENCE WILL BE SERIOUS BLOW TO CORDIAL ECONOMIC RELATIONS NOW UNITING TWO NATIONS UNDERSIGNED RESPECTFULLY APPEAL TO INDIAN AUTHORITIES FOR RECONSIDERATION (STOP) VISCOUNT SHIBUSAWA PRESIDENT MARQUIS OKUMA VICE-PRESIDNET INDO-JAPANESE ASSOCIATION.

(別紙二、謄写版)
  Sir Dorab J. Tata, Bombay.
  Sir Purshotamdas, Thackurdas, Bombay.
  "Forward", Calcutta.
  "Times of India", Bombay.
  Indo-Japanese Commercial Museum, Calcutta.
DEEPLY PAINED TO LEARN INDIAN GOVERNMENT PROPOSES CHANGING TARIFF AIMED AT IMPORTATION OF JAPANESE COTTON YARNS ON GROUND OF OBVIOUSLY EXAGGERATED AND UNFAIR ESTIMATE OF LABOUR CONDITIONS HERE (STOP) CONVINCED THAT THIS CONSTITUTES UNFAIR DISCRIMINATION CONTRARY TO SPIRIT OF INDO-JAPANESE COMMERCIAL TREATY AND DEALS GREAT BLOW TO CORDIAL ECONOMIC RELATIONSHIP NOW UNITING TWO NATIONS UNDERSIGNED
 - 第52巻 p.245 -ページ画像 
RESPECTFULLY BESPEAK YOUR POWERFUL EFFORTS FOR WITHDRAWAL OF THIS MOST UNFORTUNATE PLAN (STOP) VISCOUNT SHIBUSAWA PRESIDENT MARQUIS OKUMA VICEPRESIDENT INDO-JAPANESE ASSOCIATION.
   ○右二通ノ電文控ニハ和文添附ナシ。
(別紙三、謄写版)
 左記緊急御通信申上候
                         日印協会
  八月廿三日○昭和二年
           御中
    日印貿易の危機
      日印協会の策動
印度政府に於ては国内紡績業者と英本国機業者側の猛烈なる運動に誤まられ、軽卒にも此程日本品排斥を目的とする綿糸輸入関税改正案を目下シムラに開会中の印度議会に附議するに至つたが、之は実に日印通商条約の精神に背反し、両国の国交を阻害する事頗る大であり、特に改正案の趣旨たるや第二印度関税調査会の報告に立脚し、日本労働条件を不良とし、二交代機業の利益を過大に見積りあり、何れも不合理且つ不公明なる主張である、若し印度議会が本案を其儘通過せしむる場合は、折角印度に於て地盤を開拓した我が綿糸市場は、殆ど全滅の悲運に陥るべく、事態甚だ危機に瀕して居る、尚昨今頻々入電の情報に由ると、シムラ議会及印度国内の形勢は非常に険悪で片時も油断が出来ないから、日印協会に於ては日印親善の根本義に基き、同国の公明なる輿論に訴へ極力之が防止策を講ずべく、印度政府始め両院議長、各政党首領、其他民間の要所々々に渋沢会頭・大隈副会頭の名を以て長文の電報を発した


日印協会書類(一)(DK520019k-0002)
第52巻 p.245-246 ページ画像

日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
前略 今回印度綿糸関税改正案通過阻止の目的を以て印度各有力筋へ打電仕候次第は既に得貴意置候処、サー・ドラブ・ゼ・タータ宛電報に対し、タータソンス会社より左記の返電に接し申候、又大日本紡績聯合会委員長阿部房次郎氏より今回本会の斡旋に対し非常に叮嚀なる謝状を寄せられ候間、此際併而不取敢御通知申上候 敬具
 「サー・ドラツブ・ゼ・タータ宛貴電落掌、同氏は目下英国に於て病気保養中、増税は全輸入綿糸に課するものにて日本綿糸のみに限らず紡績業不況の為紡績者は保護を要請するより他に途なく、今回提案の保護程度にては不満足なるが如し、貴電に対しては個人的敬意を表するも、全印度紡績業の輿論に対して運動するはサー・ドラツブも亦当方とても不可能なれば此点宜しく諒承を乞ふ、但し貴電及弊電ノ写は直にサー・ドラツブに移牒すべし
  八月廿七日○昭和二年       タータソンス会社」
                     日印協会
    (宛名手書)
    子爵 渋沢会頭殿
 - 第52巻 p.246 -ページ画像 
   ○阿部房次郎謝状写ハ欠ク。


日印協会書類(一)(DK520019k-0003)
第52巻 p.246 ページ画像

日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
拝啓
前信得貴意置候在シムラ西館長より、本日左記二信迄入電有之候間不取敢御通報申上候 敬具
第一信(廿九日午後四時四十五分発)
 『二十六日着、課税問題ハ委員会ニテ今日中ニ極マル筈ナルガ、大勢吾ニ有利ニテ、否決若クハ延期ノ模様、委細後報 西』
第二信(卅日午前一時十五分発)
 『委員会ノ形勢逆転シ、僅ニ二票ノ差ニテ原案通過セリ、九月一日本会議ニ上程ノ筈』
  八月卅日○昭和二年
                    日印協会
    (宛名手書)
    子爵 渋沢会頭殿


日印協会書類(一)(DK520019k-0004)
第52巻 p.246 ページ画像

日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
前略 今朝西商品館長より左の通入電有之候に付不取敢御通知申上候
                           敬具
 『本会議永ビク、万事総領事ニ信頼シ今日帰甲ス』(九月一日午後五時卅分発)
  九月二日○昭和二年
                    日印協会
    (宛名手書)
    子爵 渋沢会頭殿


日印協会書類(一)(DK520019k-0005)
第52巻 p.246 ページ画像

日印協会書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
拝啓 印度綿糸関税改正法案が不幸同国下院通過之次第は、既に新聞紙上にて御承知之御事と奉察候へども、今朝西商品館長より左の通り入電有之候に付き不取敢此段御通知申上候 敬具
 『綿糸問題ハ昨日ノ下院ヘ本会議ニ於テ六十八対三十七ノ大多数ニテ通過シタリ、将来更ニ綿布問題擡頭スベキ情勢ナルニ付キ之ガ対策ヲ講ジ置クノ要アリ』(九月八日午后二時発)
  昭和二年九月九日
                    日印協会
    (宛名手書)
    子爵 渋沢会頭殿


日印協会会報 第四二号・第一八〇―一八一頁昭和二年一一月 印度綿糸関税問題(DK520019k-0006)
第52巻 p.246-247 ページ画像

日印協会会報 第四二号・第一八〇―一八一頁昭和二年一一月
    ○印度綿糸関税問題
 印度孟買紡績業の日本綿糸排斥運動は久しいものであるが、昨年初には愈之が悪化し、二月印度首都デリーに印度商工業者大会の開催を見るに至つたけれども、当時日印協会其他の緩和運動が幸に意外の効
 - 第52巻 p.247 -ページ画像 
を奏し、同大会に於ては何等具体的決議を見なかつた。
 然るに孟買紡績業者は昨年の失敗に鑑みてか、今度は綿布と綿糸とを切離し、先づ輸入綿糸排斥を目的として、之が関税引上を劃策し、運動其効を奏して、遂に今年八月二十二日シムラに開催中の印度立法議会に対し、政府案の上程を見るに至つた。該問題の経過に関しては本会報の論説及び雑纂欄に詳述してあるから、玆には重複を避けて省略する
 さて八月二十二日印度立法議会に綿糸関税引上案が上程せらるゝの報道に接するや、本会は渋沢会頭及び大隈副会頭の名を以て印度商務長官・上下両院議長・有力なる政党首領・諸新聞並に民間有力者に宛て左記電報を架した。
    ○電文ハ前掲ニ付キ略ス。
又甲谷陀日本商館西館長は本会の意を体し、同二十四日シムラに急行した。
 斯くの如く日印協会は日印両国の親善関係の見地より該法案の通過阻止に努めたけれども、不幸同案は九月七日下院本会議に於て六十八票対三十七票の差にて可決され、次で九月十七日上院を通過し、直に総督の承認を経て九月二十二日実施さるゝに至つたのは本会の遺憾に堪へぬ次第である。


日印協会会報 第四二号・第五―九頁昭和二年一一月 印度綿糸関税引上事情 大日本紡績聯合会会長 阿部房次郎(DK520019k-0007)
第52巻 p.247-250 ページ画像

日印協会会報 第四二号・第五―九頁昭和二年一一月
    印度綿糸関税引上事情
           大日本紡績聯合会会長 阿部房次郎
○上略
三、調査会成立及報告 一九二六年二月十九日デリーに於て開かれたる大会は、孟買紡績側の期待に外れ全然不成功に終り、問題は其後一時立消えの状態を呈した如くであつたが、其実印度紡績側は決して是により目的を放棄したものでなく、三月上旬孟買紡績聯合会総会席上会長ワジア氏は日本紡績の所謂不正競争に対し攻撃を加へ、仮令国産税は廃止せられても日本の不正競争の存在する限り印度紡績の不振は救済せられずと論じた。次いで三月九日には同聯合会より印度政府に対し陳述書を提出して、日本の不良なる労働条件より受くる不正競争に対し特別関税を賦課して印度紡績業を保護せられんことを要求する所があつた。是に対し政府は、日本の不正競争云々は根拠なきも、印度紡績業が困難せることは事実と認むる故、目下之が対策を研究中なることを回答し、尚綿糸布関税調査会を設置して本問題を徹底的に研究する意向を洩した。調査会設置云々は固より印度紡績の望む所であつたが、その調査事項及調査範囲に就ては相当憂慮し、調査の結果却てその主張の覆されんことを恐れ、其範囲及内容に就き屡々政府と折衝を重ねた。
 六月十一日印度政府は兼ての声明の如く綿糸布関税調査会を設置し委員長ノイスを初め五名の委員を任命して七月一日より調査を開始せしめた。調査会の目的は大略
 一、印度特に孟買及アーメダバツド紡績の現状如何
 - 第52巻 p.248 -ページ画像 
 二、現不況は一時的現象なるか又は永久的性質のものなるか
 三、不況は印度紡績間の競争に依るか又は外国紡績の競争によるか
 四 保護を必要とするか、若し必要とすればその形式及期間如何
等にして、委員会は本目的に従ひ広大なる質問書を作製し、八月二日印刷公布し、各方面に向うて書面又は口頭に依る意見を徴することとした。
 調査会は右質問書に従ひ八月二十四日孟買紡績聯合会に対する調査を始とし、各紡績聯合会・労働団体・商業会議所等印度紡績業に関係あるものは凡て口頭陳述書又は実地に就き研究を進めた。大日本紡績聯合会に於ては十月調査会に対し陳述書を提出して、日本紡績の所謂不正競争の事実無根なることを精密に指摘し、又同孟買出張所よりは前後二回に渡り陳述書を致して日本の立場に就き詳細説明する所があつた。
 大阪駐在英国領事カンニンガム氏は、英国政府の命を受け大日本紡績聯合会に対し日印紡績競争に関し日本内地紡績工場の視察を要求し本会の好意により普く調査を遂げ、日本紡績業の実況に関し精細なる報告書を発表した。
 調査委員会は十一月末実地調査を終了し、其後は蒐集せる材料に就き精密なる研究を遂げ、同年末に於て是を完成したと報ぜられたが容易に之を発表せず、翌年六月六日に至つて初めて公表した。調査会報告発表の斯く遅延したるは、一九二六年末発表せられたる印度幣制委員会の報告と関連する所少くなかつた為であると評せられた。蓋し幣制委員会の報告に就ては玆に記載する限りでないが、同報告中本問題に最も関係あるは英印為替比率の決定問題であつた。即ち印度紡績業者は輸入防圧・輸出増進の目的を以て英印為替一志四片説を主張したのであるが、調査会は印度為替相場の当時の状況よりして一志六片を以て妥当なりと答申し、政府亦之に同意したのである。然るに本比率に不同意なる紡績業者は所謂『通貨聯盟』に加はり、本案実施に対し反対の気勢を挙げたのである。蓋し為替比率を一志六片に決定すると一志四片に決定するとは、関税率を一割二分五厘引上ぐるや否やと同一効果あるもの故、印度紡績業者が本案に対し不同意を表したのは無理からぬ所であつた。而して此の通貨聯盟の反対が綿糸布関税調査報告発表を遅延ならしめた最大の原因であると云はれてゐる。
 調査会報告の内容に就ては後段記載するが、本邦紡績に関しては要するに労働時間及女子幼年工使用点に於て日本紡績の不正競争の存在を認め、之に対しては綿糸布共に四分の一般関税引上により保護するを妥当とすると報告したのである。
 印度政府は右調査会報告発表の翌六月七日政府の決定を発表し、調査会の報告したる一般関税四分の増徴案を拒絶し、其代りとし紡績機械及工場設備品に対する輸入税を三年間免除することを公表した。而して其理由とする所は要するに委員会報告の如く日本紡績が労働条件の不良により利益する所ありとするも、これは現行綿布関税率により保護充分であり、尚綿糸に対しては現行税率を以てしては聊か不充分とするも、右関税率引上は印度手機業者に対する打撃大なるにより許
 - 第52巻 p.249 -ページ画像 
容し難しと云ふにあつた。
四、新綿糸関税率の成立 調査会は多数派及少数派共に日本紡績業の労働条件の不良より生ずる不正競争を認むる旨報告し、政府亦是を是認するが如き態度を示しつゝ関税引上を峻拒せることは、痛く印度紡績業者を憤慨せしめ、六月二十二日孟買紡績聯合会主催にて印度全国紡績業代表者大会を開催し政府の矛盾を攻撃したる後、
『調査会の内容貧弱且保護主張不適当なるは、印度紡績業の苦境に対し調査会が充分の考慮を与へざりし結果にして失望を禁じ能はぬ処なるに、政府は右調査会の勧告をも容認せず日本の不正競争に対し何等の保護を与へざることに決定せるは、印度の経済的利益を犠牲にし印度綿業の繁栄を阻害するものと認むるを以て、政府をして曩に発表したる決定を再考詮議し、以て適当の保護を与へしむる様努力すべきである』との決議を為し、更に長文の陳述書を草し『政府が調査会の報告を拒絶した理由は極めて薄弱にして、仮令政府の主張する如く日本の不正競争に基く日本綿布の利益が一割に過ぎずして現行関税に依り保護せられ居るとするも、是が対抗策たる調査会の勧告を拒否することは、結局日本に対し一割の特典を与へるものと云はざるを得ない。而も最近日本の為替相場は再び下落し印度紡績の蒙むる打撃甚大になるに付、政府は速に其決定を再審議し適当の保護を与へられ度い』と述べた。
 越えて八月初旬には孟買紡績聯合会代表は印度総督其他政府要路者をシムラに訪ひ、曩の政府の決定の再審議及関税引上に就き種々懇請する所があつた。
 斯くて印度紡績業者は切に印度政府並に議員に向ひ運動すると共に他方新聞・雑誌等の言論機関を借りて旺に関税引上の気勢を挙げ、印度の輿論を動かすことに努めた。
 大日本紡績聯合会に於ては、調査会報告中日本紡績業に関する事項並に政府決定中日本紡績の利益計算に関する事項に就いては多くの不満を有したが、印度政府の公平なる措置に信頼し、如何に印度紡績の運動あるも印度政府は事実無根の謬論に基きその主張を採用するが如きこと万無かるべきを確信し、調査会の報告に就ても何等の反駁を加へずして暫く形勢を観望しつゝあつた。
 然るに印度政府は八月十五日突如として綿糸の関税引上法案を示して、之を八月十八日より開会せらるべき印度立法議会に提案する旨発表した。其内容は大体『(イ)一封度の価格三〇安(一留一四安)以下の綿糸に対しては一安半の従量税を課す、(ロ)一封度の価格三〇安以上の綿糸に対しては従価五分を課す、(ハ)右実施期間は日本の女子夜業禁止後なる一九三〇年三月迄とす』等であるが、印度政府は曩の声明に於て綿糸関税引上は手機業に対する打撃重大なるに鑑み之を許容すること困難なる旨発表したる手前、之に対し何等かの弁明を要する為、
『本税率に於ては手機業者に対する打撃は著しくないが手機業に対する負担を軽減する為、人造絹糸の輸入税を従価一割五分より七分に引下げ尚若干の織機附属品の輸入税を免除する』旨附言したのである。
 - 第52巻 p.250 -ページ画像 
六月七日の関税引上拒否の声明後数旬を出でずして斯くの如き法案の発表せらるゝさへ印度政府の信義を疑はしむるに、本法案の内容は明に中太糸の輸出を主とする本邦品を排斥せんとする実質的差別関税にして、日印通商条約の精神に戻るものにして、本法案にして通過すれば、デリー大会に於て辛うじて阻止し得たる孟買紡績業者の日印通商条約破棄は、印度政府自ら之を敢てせる結果に陥るものと言はざるを得ない。従て本法案の通過を阻止することは、啻に本邦綿糸貿易の為のみならず日印通商条約維持の上にも必要なりと観じ、大日本紡績聯合会は曩に控へ置きたる調査会報告の非理を正し、本報告に基きて作成せられたる印度政府案に就き再考を促す為、八月二十日声明書を発表し、又日印協会を始め本邦有力実業団体よりも印度政府並に印度有力者に飛電して本法案通過阻止方を依頼したのである。然るに本法案は同二十二日印度立法議会に上程せられ、第一回討議の結果十六名より成る特別委員会附託となり、特別委員会に於ては日本紡績競争云々に就ては殆ど討議せられず、専ら支那綿糸輸入防止を高調し、僅々二票の差を以て本法案は九月一日特別委員会を通過し、次いで九月六日本会議に上程せられ討議の結果、玆に於ても支那綿糸輸入防圧を理由とし、六十八票対三十七票の大差を以て九月七日遂に下院を通過し、次で九月十五日上院に上程、九月十七日上院を通過し、直に総督の承認を経て二十二日より実施せられるに至つた次第である。
   ○右ハ「大日本紡績聯合会月報」第四二一号(昭和二年九月)ニ署名ヲ欠キテ掲載シアリ。



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第四一七号・第二―三頁昭和二年五月 ○第四十回定期総会 当会総会に於ける阿部委員長演説(DK520019k-0008)
第52巻 p.250-251 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第四一七号・第二―三頁昭和二年五月
    ○第四十回定期総会
○上略
      ○当会総会に於ける阿部委員長演説
過去一ケ年間の重要なる二・三の事柄に就て御報告申上げ度いと思ひます
第一に申上げ度いと思ひますのは、印度の綿糸布関税問題に就てで御座ゐます、印度に於て綿糸布綿製品の日本の不正競争と云ふ事に就ては、近時表面上稍下火になりました感がありますが、孟買紡績聯合会一派の人々は今日迄機会ある度毎に執念深く種々なる問題を持ち出しまして、之れを高唱して居るのであります、此迄左様な機会があります毎に、当会としまして種々それに対して抗弁書・陳述書を差出しましたのであります、それにも懲りずして、相変らず此の問題は継続されて居るのであります、昨年六月に於きまして第二関税調査委員会と云ふものが彼の地の紡績業者の提案に依りまして組織せられたのであります、本会に於ても此迄度々陳述書を出して居りますけれども、なかなか承認せられませぬので、又更に、種々情理を尽くして従来よりは一層弁明を密にした処の陳述書を第二関税調査委員会に提出したのであります
其の後調査委員は、本会より提出しました処の其の弁明書に依りまして能く日本の事情が了解出来たのであります、又彼の地の識者は能く
 - 第52巻 p.251 -ページ画像 
日本の立場を能く了解されて居るのであります、けれども今尚孟買紡績業者は其の非を覚ることをせずして、日本の競争は不正なりと云つて居る事は甚だ遺憾に存じますのであります
第二関税調査委員会の調査は、昨年十一月に終了しまして、本年一月の二十一日に其の報告書が出来て居る様であります、併し乍ら其の内容は極く秘密に附せられて居りますので、未だ何等其の正確なる報道に接しないのでありますから、詳しいことは此では報告する事は出来ませぬが、一般の憶測する処に依りますと、印度紡績業者の立場を考慮して綿糸布共に現行率より四分宛引上げると云ふ様な事になつて居るらしいのであります
此くしますと、綿糸は従来五分でありまするのが九分、綿布は一割一分が一割五分となり、又一律に此を適用せらるゝと云ふとの説が有力であります、調査会の経過の表面観察に依りますと、委員は日本品に対して例外的に課税すると云ふ事は不適当であると云ふ事になつて居るらしい、それと又本年度の印度の予算は三千万留比の輸入超過になつて居りますので、財政上の見地から強いて課税する必要がないと云ふ事になつて居りますので、我々にとつて多少楽観すべきものであると思ふのであります、印度紡績も其の不振の現況、所謂印度紡績の不景気であると云ふ事は其の儘であると云ふ事、又た印度紡績業者が極力反対して居ります処の幣制改革案が留比の為替比率一志六片に決つたと云ふことである、又一方に御承知の通り印度鋼鉄業の保護法案が発表されまして、輸入品に対して附加税を課すると云ふ英印の特恵関税が此の鋼鉄保護法案に依つて条文となつて現れたのであります、又先程申します様に綿糸布に対する関税を四分宛引上げると云ふ問題は日本だけに採用せずして一般に適用されると云ふ事に、マンチエスター当業者は大反対をして居るのであります。斯様な事実を考へますと此の印度の問題は、どうも表面上過去は穏でありましたけれども前途はなかなか油断のならないことであると信ずるのでありまして、余程本邦にとりまして注意を要する事と思ひます、第二関税調査委員会の内容を見ませぬと詳しいことは申上げ兼ねますけれども、私の聴いて居る処では斯う云ふ様なわけであります
印度の傾向は斯くの如き有様でありますが、此の日本の競争は不正なりとして日本に特恵関税を課すると云ふ事は、通商の大障害であると云ふ事を昨年万国商業会議所に提案しまして此を攻撃したのであります、又近くゼネバの国際経済会議に於て此の問題を提出して、日本の代表者は適当なる対策を講ずると云ふ事になつて居るのであります
○下略



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第四一九号・第三―一五頁昭和二年七月 ○印度綿糸布関税調査報告要領と政府決議(DK520019k-0009)
第52巻 p.251-255 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第四一九号・第三―一五頁昭和二年七月
    ○印度綿糸布関税調査報告要領と政府決議
  △調査会報告要領
第一章 序言。調査箇条、委員氏名、調査経過
第二章 印度紡績業の沿革
 (一)一八九九年より一九二二年に至る印度紡績業の沿革に於て、
 - 第52巻 p.252 -ページ画像 
最も顕著なる現象は同工業の凡ゆる方面、就中織布の発展である。
 (二)右期間の沿革中他の特に注目すべき事項は、印度の綿糸輸出貿易の失墜、孟買紡績の勢力減退、印度の輸入貿易に於ける日本品の漸増等である。
第三章 現不況の性質及程度
 (三)印度紡織業の不況は、印度の他の何れの地方よりも孟買に於て最も痛切に感ぜられ、又現に感ぜられつゝある。
 (四)紡績専門の工場の受けたる打撃は、紡績及織布兼営の工場よりも其程度大である。
 (五)紡績保護の要望は、孟買・「アーメダバツド」以外の地方に於ては右両地方程力説せられて居ない。
第四章 紡績不振の世界的原因
 (六)一九二〇年以降の農産物価と一般物価との関係の変動は紡績不振の一因を為して居る。
   (註)一般物価の騰貴した割合に農産物価が騰貴しなかつた為に、農民の購買力が減殺せられたことを意味す。
 (七)印度に於ける景気・不景気は「景気循環」Trade Cycleの凡ての性質を具備して居る。
 (八)米棉相場変動の径路は印度紡績不振の一因である。
第五章 外国の競争に因る不振原因
 (九)日本綿糸の競争は印度綿糸相場の上に悪影響を及ぼして居る
 (十)三二番手の日本綿糸は、印度に於ける同番手の生産費(利潤及原価消却を除く)と全く同一の値段で販売せられて居る。
 (一一)太番手糸を原料とする綿布、即ドリル及シーテイングに於ては、印度品は日本品に対抗し得る。故に、此種日本輸入綿布が、印度に於ける相場を左右せるや否やは疑問である。
 (一二)三〇番手及それ以上の綿糸を原料とする綿布に於ては、印度生産費は事実上日本品の販売価格に等しいか、又は夫以上である。故に日本の競争は、印度品の価格に不利益なる影響を及ぼして居る。
 (一三)日本の為替相場の変動は、其下落中に於ては、日本より印度に対する輸出を刺戟したが、現在に於ては、日本は為替相場上何等特殊の利益を享けて居らぬ。
 (一四)日本に於ける二部操業制度の利益は、綿糸・綿布とも其製造原価の四分に相当する。若し資本に対する相等利潤を生産費中に加算するときは、二部操業制度の利益は更に増加する。
 (一五)通常の場合、日本綿糸布の内地相場は輸出相場より高くは無い。故に「ダンピング」と云ふ非難は当らぬ。
 (一六)日本に於ける労働条件は、労働時間及婦人・幼年工夜業使用の点に於て、印度に劣つて居る。
 (一七)故に日本と印度との間には不正競争があると見做さねばならぬ、而して此競争は印度紡績現不況の重大原因である。
第六章 其他の不振原因
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 (一八)留比貨一志六片の決定は、物価下落の際であつた為、物価と賃銀の不権衡より生ずる紡績の採算難を一層顕著なものとした。
 (一九)資本過大は孟買紡績の不振を強めた一因である。
 (二〇)孟買紡績の好況時代の配当は多きに過ぎた。
 (二一)「マネージング・エゼント」制度は極端なる消極退嬰主義なる為、現不況の一因たるには相違ないが、夫以上の責を負つてゐない。
 (二二)孟買紡績が能率の低い機械の使用に依り受けて居る打撃は著しくない。
 (二三)工場及綿布商の金融難は現不況を加重してゐる。
   ○第七章・第八章略ス。
第九章 救済手段の一、対内的経済
 (三六)印度紡績の不振は、景気循環の一現象たるの点に於て恒久的性質のものではない。
 (三七)外国よりの競争が、如何なる程度迄恒久的性質のものなりやに就き決定的意見を述べることは不可能である。
 (三八)対支綿糸輸出の失墜は不振の恒久的原因と見做さねばならぬ。
○中略
 (四五)孟買紡績に於て労銀の節約を為す唯一の方法は、労働能率の増進を計るに在る。而して真の進歩は斯る方面に存在する。
   ○第九章(四六)以下及ビ第十章略ス。
第十一章 税率変更
 (九六)孟買並に「アーメダバツド」紡績の主張するが如き形式の高率保護関税は是認出来ない。
 (九七)印度紡績は設備品及機械に対する原価消却を為す為四分五厘の保護関税を要求せるも、之は承認するを得ない。
 (九八)為替下落を理由とし日本に対し差別関税を賦課することは正当でない。
 (九九)留比貨を一志六片に決定せし為、孟買紡績は疑もなく一時的「ハンデイキヤツプ」を蒙つた、而してこれが為め綿糸以外凡ての綿製品に対する一般的少率の関税引上を可とする主張が有力なものとなつた。
 (一〇〇)日本の労働条件は印度に比し劣等なる状態にある間は、綿糸・綿布両者に対し適度な保護の方法を講ずることは正当である。
 (一〇一)綿糸に対する輸入税を引上げることは、手機業者に打撃を与へる故望ましくない。
 (一〇二)日本に対する差別関税は宜しくない。
 (一〇三)日本の不正競争に対し、綿布の種類に応じ特定税率を賦課する保護策は、実行上種々困難ある為支持し難い、紡績業に対する保護は、綿糸以外凡ての綿製品に対する現行税率引上の方法に依る可きである。
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 (一〇四)棉花輸出税設定は其理由が無い。
 (一〇五)一九二一年以前の工場設備品及機械に対する輸入税免除を再び容認す可きである。
   ○第十一章(一〇六)及ビ第十二章以下略ス。
   △報告書に対する印度政府決議
                 (一九二七年六月七日付発表)
   調査会に就て
 孟買紡績聯合会の請願に依り、印度政府は一九二六年六月特別関税調査会を任命し、印度綿織物業の状態を調査し、不況の原因を尋ね、特に現不況が外国の競争に基くものなりや否やを研究せしめた。
 調査会は、印度紡績が果して保護を必要とするや否や、若し必要とするならば、其の形式及其期間如何に付報告し、併せて本問題に関係ある事項は凡て政府に建議すべきことを命ぜられた。
   調査要領○略ス
   調査会提案
 印度紡績の内部的組織の改善に関する数多の詳細なる提案は、玆には省略するが、生産種類の増加並に高級品の生産奨励に関し、調査会は二つの重要なる提案を為して居る○中略
 又調査会多数派は綿布の輸入税を向ふ三年間、現行一割一分より一割五分に引上げることを建議した。此の増徴の第一の目的は、上述細糸生産奨励其他に要する費用に充てる為であるが、右は一方孟買紡績の困難せる日本よりの競争を緩和する効果も亦存してゐる。綿糸の関税増徴に就て多数派も何等提案を為して居らぬのは、斯る方法は内地手機業に打撃を与へるからである。委員長は綿布に対する一般的関税増徴は正当ならずとし、日本より輸入せられるものに限り向ふ三年間綿糸布共に関税四分を増徴すべきことを建議した。
 調査会は政府の紡績業保護に付き、此他数多の方法を建議した、而して、是は皆個々別々の立案であるが尚一つ述べて置く事がある。即ち調査会は全委員一致して、綿織物機械及其他工場用品の輸入税を三年間免除し、三年後之を継続するや否やは其の時の事情に依り考慮すべき事を建議した、而して調査会の予算では此の免税に依る歳入減は一ケ年五百万留比である。
 最後に調査会は調査会の提議する政府補助及税率変更は共に一時的手段に過ぎぬもので、若し印度紡績業者にして自ら其の組織を改善し該報告書に指示せられし如き方法に従つて経営をしなかつたならば、提案本来の目的は失はれるものなる事を強調した。
   政府の決定
 印度政府は、補助金を給付して細糸の生産を奨励すべしとなす調査会多数派の意見は承認し得ない。○中略
 政府は、調査会の結論たる労働条件の劣等より生ずる日本紡績の利益は、日本改正工場法の規定全部の実施せられる迄、綿糸布共に其製造原価の四分に当ると云ふ意見を承認する。此計算に当り、調査会は次の如き事実を認めてゐる。即ち二部操業制度は日本の紡績業に於ては全般的に行はれて居るが、織布業に於ては事情を異にし、平均一日
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労働時間一四時四五であると、併し多数派は「資本に対し妥当なる利潤を加算せる場合」の利潤を概算するに際し、右の如き事実に相当する控除をして居らぬ。依て若し右の根拠に基いて計算するならば、日本紡績の利益は、調査会の報告するが如く一割二分で無く、一割である。故に日本紡績の利益に対しては仮令資本に対し妥当なる利益を加算するものとしても、尚現行の綿布一割一分の関税率により充分保護されて居る。従て之を理由とする関税増率は正当でない。又現行綿糸関税は僅々五分にして、調査会の計算にして正確なるものとすれば、日本紡績の利益に対しては充分保護せられて居らぬが、綿糸に対する関税増徴は、徒に手機業者に打撃を与へるのみである故増徴すべきでない。
 紡績業の機械及原料に対する輸入関税の免除は、以前財政委員会により提議せられて居る、現在に於ては一九二三年二月十六日立法議会に於て採用せられたる決議の主旨即ち「印度政府の財政々策は合法的に印度産業保護を目的とすべきである」と云ふ主旨に従つてゐる、而して財政の許す限り此の主旨に効果あらしむべく、印度政府は現在不況にある産業に依り主として使用せられる所の物品に特典を与ふる用意をなしてゐる。併し政府は産業により区別を設け、或産業には免除し他の産業には課税するが如き積りはないが、印度政府は調査会の提案の如き手段に依り向ふ三年間綿織物機械及工場用品の輸入関税を免除することに決定した。
○中略
 其他調査会の報告中印度政府に関係ある事項に就ては目下考慮中である。



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第四二〇号・第二―四頁昭和二年八月 ○印度の綿糸関税引上法案と吾反対声明書(DK520019k-0010)
第52巻 p.255-257 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第四二〇号・第二―四頁昭和二年八月
    ○印度の綿糸関税引上法案と吾反対声明書
 今般印度政府が左の如き綿糸輸入関税引上法案を今期議会に提案するを聞き、当会は八月二十日左記声明書を発表せり
      印度政府綿糸関税引上法案
 (イ)一封度の価格三十安以下の綿糸に対しては一安半の従量税を課す
 (ロ)一封度の価格三十安以上の綿糸には従価五分を課す
 (ハ)右実施期間は日本の婦人夜業禁止後なる一九三〇年三月末日迄とす
      吾反対声明書
印度政府が曩に第二関税調査会の勧告にかかる関税引上の提議を峻拒したる公正なる措置に敬意を表し、吾人は調査会報告の内容に関し暫らく論議を差控へ居たる次第なるが、最近印度政府は同国紡績業者の強要により其態度を一変し、六月七日附を以て公布せる声明を裏切り突如として綿糸関税引上案を提出せんとするは頗る意外とするところなり、該案は表面各国品一率適用を標榜するも、一封度三十アンナ以下の綿糸に限り従来の従価税制を従量税制に改め、中糸及太糸に対し過重の税金を負担せしめんとするは、明に日本品排斥を目的とする実
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質的差別待遇にして、吾人当業者の到底黙過し能はざるところなり、而して該案は其根拠を調査会の報告に於く以上、吾人は該報告書の誤謬を摘発し、一面其非理を鳴らすと共に、他面印度政府の反省を促さんとす
第一 日本の労働条件が印度に比して不良なりと見做し、其範囲に於て不正競争存在を定義したることは事実を無視したる謬見なり
 (イ)印度工場法中、男工十時間制の規定を以て日本に優れりと称するも、事実上日本紡績業は十時間労働制を実施するものにして、此批難は当らず
 (ロ)印度工場法が幼年工の労働時間を六時間に限定せるも、年齢識別の困難及六時間労働以外更に他の工場に就業するの実情等に想到せば、実効甚だ疑はしきものなり
 (ハ)女子深夜業は日本に於ても改正工場法に依り禁止せられ居れり、唯過渡施設の為め昭和四年六月三十日まで猶予期間を存するのみなり
    而も前記猶予期間中と雖も、印度紡績は日本に比し決して不利益なる地位に立つものに非ず、何となれば印度紡績は男工を主要労力とし、現行工場法規は男工の夜業制限なきにより二交代作業を実行し得ればなり
 (ニ)日本の労働賃銀は印度に比し割高にして、日本女工の賃銀を印度男工の賃銀に比較するも其平均に於て日本の方遥かに多額なり
 (ホ)我国に於ける事業主側の積極的福利施設と、改正工場法及附属諸法規、並に健康保険法等の実施は著しく我労働者の生活状態を改善したり、之れに反し印度労働状態の不良なることは、本年七月国際労働会議に於ける印度代表M.GIRI.氏の演説を俟つまでもなく周知の事実にして、調査会が福利施設其他に関し幾多の改善策を提議してゐるに徴しても明なり
 以上の事実を無視し我国の労働状態を非難し、日本綿糸の不正競争を云為するが如きは、決して公明なる態度と云ふ可からず
第二 調査会が日本に於ける二交代操業の利益を製品市価の四分と見積り、之れを以て関税引上提案の基礎としたるは甚だ不合理なる主張なり
 (イ)調査会が日本に於ける二交代制の利益を過大に見積り、工費比較の際二交代制採用上必須の費目を無視せるのみならず、租税其他の諸経費を過少に見積り、而も変動常なき製品市価に対し、常に四分の利益ありと断定したるは極めて杜撰なる計算なり
 (ロ)二交代制採用の可否は、事業組織及市場関係等全般的打算により決定せらるべきものにして生産費の多少は勿論計算に入るべきも決定的要素には非ざるなり
 (ハ)印度工場は男工を主要労力とし、現行工場法上夜業制限を存せざるに付、二交代制にして調査会の云ふ如く有利なりとせば当然実行せらるべき筈なるに、現に印度に於て一・二工場
 - 第52巻 p.257 -ページ画像 
を除き一般に一交代制を採用せることは、事実に於て調査会の計算を裏切るものなり
以上縷述する如く、本邦綿糸は何等不正競争の事実なきに係らず、孟買紡績業者は殊更に其声を大にし不正競争を高調するは、吾人の解する能はざるところなり
吾人は日印通商条約の精神と両国親善の関係に鑑み、かかる不条理極まる理由の下に我紡績業を圧迫せんとする印度政府今次の綿糸関税引上の提議に対し、極力之れに反対するのみならず、国際正義の見地に於て厳重抗議すべきものなりと思考す



〔参考〕大日本紡績聯合会月報 第四二八号・第一六―三三頁昭和三年五月 ○印度関税問題の経過 神坂静太郎(DK520019k-0011)
第52巻 p.257-261 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第四二八号・第一六―三三頁昭和三年五月
    ○印度関税問題の経過
                      神坂静太郎
  左は三月十四日全国経済調査機関聯盟関西支部会に於ける講演である
○上略
 此の日印間の関税問題なるものは、御承知の通り日本の綿糸布を諸外国に比して関税上特殊扱にすると云ふ問題であります、従て殊に紡績業者が重大に考へて居るのでありますが、是は最近まで印度の紡績業者の謂はゞ宣伝に止まる位のことであつたのであります、所が二・三年前から稍具体的の問題になり、遂に昨年の秋の印度議会に於て、綿布は問題にならなかつたのでありますが、綿糸の方が、形式はさうでもありませぬけれども、事実上主として日本品だけ関税率を高くすると云ふことに決つたのでありまして、今後其の成行に依ては綿布の方にも問題が移つて来るだらうと云ふ想像も付きますし、少くともさう云ふ宣伝は続いて行はれることゝ思ひます、尚ほ此の綿布の問題でも愈々議会を通過すると云ふやうな風になれば、印度人の性格から見て、まだまだ他の方面に問題が移りはしないかと云ふやうな傾向があるのでありまして、日本としても相当考へなければならぬ問題だらうと思つて居ります。
○中略
 然らば、それが如何にして今日までになつたか、其の経路はどうであつたかと云ふと、其の経路に付て、こゝに一々年代記を述べても、却て煩雑でもありますし、言ひ悪くもありますから、先づ其の原因とか動機とかになつたものは是々であらう、と云ふものを列べて見る方が却て事情を知るに早道であらうかと考へます、夫れで其原因又は動機となつたものを列挙しますと、第一は今申した通り、戦争中に日本品が印度に輸入せられ始めたと云ふことに外ならぬのであります、第二は印度紡績の不振であります○中略 第三は関税の改正であります○中略第四は妙なことでありますが、国際労働会議が此の問題に余程影響を及ぼして居る、少くとも比の労働会議が印度の言分に花を咲かせ、問題を国際化すると云ふやうなことで、少からず此の問題を大きなものにしました、第五としてもう一つ数へ挙げますれば、今お話し致しました通り、度々の関税引上で、英国と印度との関税問題が稍々落着し
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てしまつて、最早それに対する言分が無くなつたから日本の問題に移つて来たと云ふやうな傾向もあります、其の他想像いたしますれば、色々なことがありますが想像論は別として眼に見えたものを列べれば先づさう云ふやうなものであらうと思ひます。
○中略
 元来、印度人は宣伝の上手な人間でありますが、著々方法を立て、盛に宣伝をして、此の問題を非常に喧ましいものにしてしまつて、遂に昨年○昭和二年秋の印度議会で、綿糸関税の引上を決定する迄になつたのであります、而も印度政府が今少し深く考へたならば、昨年の議会でもあすこまでにはならなかつただらうと思ひますが、その少し以前迄、腹の中は兎に角、表面は日印通商条約を廃棄するなどゝ云ふことは出来ないとか、或は日英の関係を顧慮するとか云つて、此の問題に耳を傾けないと云ふ有様であつた、印度政府が急に耳を傾けることになつたから、昨年決議されたのでありますが、其の辺のことは後で申述べるとして、先づさう云ふ風な経路を取つて、此の問題が段々喧しくなつて来たのであります、紡績の不振と云ふ所は、此の位にして置きます。
 次は関税改正の問題でありますが、此の問題は先程申します通りに直接の原因とは申されませんが、兎に角一般の空気が度々の関税引上によつて関税問題に集中することになつたのでありまして、此の関税改正のことはどつちにしても申上げなければならぬのであるから、ここで一寸概略を申して置きますが○中略 其の後一九二一年に一般税率を一割一分に引上げて、綿布も矢張り一割一分に引上げ、更に翌年に一般税率を一割五分まで引上げ、綿布は其の儘にして、其代り従来無税であつた綿糸は五分の課税をした、斯う云ふ順序で、こゝ十年ばかりの間に非常に関税を上げたのであります。関税問題の最近の経過は大体さう云ふ風でありますが、是が今言ふ通り日本品に対する問題の動機を与へたのであります、と云ふのは、一般に保護の空気を増張させたのと、又関税を上げると云ふやうなことから、特恵関税の問題が起り、財政調査会及び関税調査会を設けると云ふやうなことから、段々此の問題を複雑にするやうなことになつたのであります。
 次に国際労働会議のことは日印関税問題と意想外に密接なる関係があるのみならず、之に依て印度人の主張が大体お解りになるだらうと思ひますから、話は此会議の決議事項以外に出るかも知れませんが、大体印度人の主張を主として申上ますが○中略
 議論の可否は別として、兎も角さう云ふ風に関税問題を成るべく労働問題(其の他租税問題や低利資金等の問題もありますが)にくつ付けて印度では色々議論をするのであります、事情を知らぬ者から見れば、印度人の言ふことが尤もだと云ふことになつたことも大分あつたのでありますが、彼等の議論には前述の通り根本に於て余程事実相違の点があり、且つ華盛頓条約案の内容に不案内の点が多かつたのであります、所がさう云ふことを言つて居る中に、段々自分等の言ふ通りでもなさゝうだと云ふことが分つて来るに従て、最近では日本はアンヂヤストであると云ふ代りに、スペツシヤル・アドヴァンテーヂ(特
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殊利益)があると云ふ風な、算盤珠の方に議論を持て来たのであります○中略
 そこで最近の問題になるのでありますが、第二関税調査会の決議と云ふものは日本でも之を余程重大に視て、其の結果を待つて居りましたし、又向ふでも重大に考へて居りましたが、其の報告が昨年の六月に発表せられました○中略 印度政府はそれに対してどうであつたかと云ふと、其報告書によりますと、日本の特殊利益は一割二分ぢやない一割である、こゝまで云ふて居ります、併し綿糸に之を課すると云ふことは印度の手織業者の利益を殺ぐから可けない、又綿布の方は現行の関税は一割一分であるから、是は保護の目的の関税ではないが、之に依て自からカヴアーされるから其の必要はない、即ちどちらも可けないが、唯紡績諸機械及工場用品の輸入税免除位ひの方法で、多少の保護は可からうと云ふ位の意見でありました、斯う云ふ訳で、我々は関税調査会と云ふものに対しては半ば危惧の感を抱きつゝも、マア差当りは好い傾向にあるのだと思ひ、之に反して印度の紡績業者は非常に失望して居つたのでありまますが、それが急転直下して昨年秋の議会で、綿糸に特別関税を課せられると云ふことになつたのであります。
 そこで最後に申述べるのでありますが、然らば政府の態度は近年どうであつたかと云ひますと、腹の中はどうか分りませぬが、少くとも表面から見ると、昨年六月頃までは、印度の紡績の主張に対しては全然反対の態度を執つて居つたのであります、尤も特恵関税の問題に付ては印度政府も相当に考へて居つたであらうと思はれる筋があるのでありますが、併し少くも日印通商条約の廃棄までしなければ、やれないと云ふやうな筋道の日本品排斥の関税には、全然反対であると云ふ態度を執つて居た、所が印度の方ではどうかと云ふと、恰度其の反対で、日本品に対して特殊の関税を課する為に日印通商条約を廃棄しなければならぬものなら廃棄しても可しい、併しながら特恵関税の方から来る日本品の排斥ならば余り気乗りがしない、是が先づ多数の意見であります○中略 即ち印度政府と一般輿論とは同じ保護論にしましても根本の趣意に於て一致して居ない、従て此の間の事情が日本に取つては或る程度まで便利な訳になつて、自然日本に対する問題も之に依て長びかすと云ふことになつて居つたかも知れませぬが、前述の通り、英吉利側の云ふ特恵関税と云ふものと、印度人の云ふ日印条約の廃棄と云ふものとは、筋途から云つて全く違つたものになりますけれども唯こゝで考慮すべきは、印度の場合には偶ま此筋途の違つた二つの主義が互に相一致することにもなるのであります、と云ふのは、英吉利が英印間特恵関税によつて、英吉利の商品の中で他国よりも優越な位置に立たしたいものがありとすれば、それは第一に綿製品でありますし、印度から云ふても、畢竟望む所は綿製品に対する関税の引上でありますから、筋途は違ふけれども、関税の方法如何によつては其処で一致する点がある、此の一致点が来なければ可しいがと云ふことを、我々は暗々裡に心配して居つたのでありますが、不幸にして昨年終にそれが来たものとも云ひ得るのであります。
 大体筋途はさう云ふことになつて居つたのでありますが、事実の問
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題として、先程申しました通り、昨年の六月六日に関税調査会の報告が発表され、次いで続いて翌七日政府の意見が発表された時には、綿布の関税に付て日本を排斥すると云ふことも可かぬし、綿糸の問題も可かぬと云ふことをハツキリ言ふて居つた政府が、八月頃になつて俄に模様が変つて来た、其の少し以前に私は欧羅巴に居つたのでありますが、政府の態度は斯うだと云ふことを知つて、マア是なら結構だと思うて居りました、所が十日ばかり経ちますと、印度の輿論が大分喧しいから一つ印度へ行つたらどうか、と云ふ電報に接しました、何だらう、喧しいと云へば又紡績が何か喧しい宣伝をして居るのだらう、行つた所が仕様の無い話であるけれども、行つた方が可いかも知れぬと云ふやうなことで、亜米利加の方を経由して帰る積りでありましたのを方向転換をして、印度に廻ることにしまして、八月二十日にコロンボに着いて見ると、議会で綿糸関税が討論せられて居るといふ事を承知しまして、此処で少し休む積りであつたのを直ぐシムラに行つて見ました、シムラでは日本の総領事を初め其他にも種々熱心に日本の為に尽力してくれられて居りましたが、大勢は既に去つた後でありました、即ち印度政府の腹の中はどうであつたか知らぬが、一箇月程前には兎に角綿糸布関税は可かぬと云ふ意見を発表し、過去殆んど十年間謂はゞ日本の主張を尤もであるとして、印度紡績の言ふやうなことは可けないと一図に言つて居つた印度政府が俄に変化して、八月には一定種類の綿糸に対する関税(従量税)五分増徴の提案をすることになつたのであります、顧みればそれが詰り例の特恵関税と、印度人の謂ふ日印通商条約破棄と云ふ筋途の議論の接触点になつた訳であります、其通過した法律案は、一ポンドにつき一ルーピー十四アンナ以下の綿糸に対しては、一アンナ半(約五分)の附加税を(一九三〇年三月迄)課すと云ふことで、形式に於ては英吉利から輸入する綿糸も此の通りになるし、その他の国から輸入せられるものも若しありとすれば、矢張りその通りになるのでありますが、実際に於ては日英両国の外印度に綿糸布を輸入するものは殆んどなく、又一ポンド一留比十四アンナと云ふものは六十番手以下のものでありまして、六十番手以下のものは日本が其の大部分を輸入するので、英吉利よりの輸入は極めて少ない、即ち日本から行くものは四十番手位のものが多数でありますから、実際上日本のものだけを選つて、それに特別税を課することになつたのであります、其の特別税の約五分と云ふのは何処から来たかと云ふと、例の第二関税調査会の凡そ四分と云ふ所から来て居るので、即ち其以前の税率五分と右の五分を合せて一割としたのであります、印度政府は六月頃には此税はハンド・ルームの為に可くないから可けないと明に言ふて居つたものを、全然引繰返してしまつたのであります。
○中略
 綿糸関税は前に申しました通り、関税政策に関する二つの主義の接合点を実行したものと見られますが、吾々の恐るゝ綿布の問題になると左様な訳には容易に出来兼ねるのである、即ち綿糸ならば、番手で分けて英吉利品だけを良くし、日本品だけを悪くして、特恵関税とも
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見えるし、又印度流の日本品だけを排斥するやうにも見える、どつちつかずのものにすることも出来るが、綿布になると、さう云ふ風な区別は付かない、仮令付くとしても綿糸程には容易でない、そこで之をやるとなると、特恵関税になるのか、或は印度流の日本品だけを排斥すると云ふことだけになるのか、其処らの色彩が或はもう少し明になるかも知れない○中略
 要するに此の綿布の関税問題は、我日本の紡績に取つては非常に重大な問題であつて、今年は議会の問題にはならぬやうでありますが、印度紡績の宣伝は決して止まないのであります、就ては是が防止に付ては我々も出来るだけ力を致しますし、政府も余程注意して居られる様でありますが、若し何等かの機会がありましたならば、皆さんもどうぞ御尽力を願ひたいと思ひます、尚ほ今日は説明に重きを置いた所から、印度の言ひ分を余り言ひ過ぎて、此方の言ひ分は言はなかつたこともありますが、其の点はどうぞ其御積りに御含みを願ひたいのであります。