デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
2節 蚕糸・絹織業
1款 社団法人大日本蚕糸会
■綱文

第52巻 p.359-360(DK520036k) ページ画像

昭和6年11月15日(1931年)

是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会会頭牧野忠篤ヨリ弔詞ヲ贈ル。


■資料

蚕糸界報 第四〇巻第四七八号・第一二一頁 昭和六年一二月 渋沢顧問薨去(DK520036k-0001)
第52巻 p.359 ページ画像

蚕糸界報 第四〇巻第四七八号・第一二一頁 昭和六年一二月
    ○渋沢顧問薨去
 吾国実業界の建設者たり且其指導者たりし巨人渋沢子爵は、先般来病漸次篤く百方療養に尽されしが、天寿如何ともするに由なく、九十二歳の高齢を以て十一月十一日遂に永眠せらる、内外共に多事なる今日国家の損失洵に多大なりと謂ふべく、殊に子爵は明治四十五年以来本会の評議員並に顧問として熱心援助を与へられ、縁由浅からず、痛惜の情更に切なり、牧野会頭は薨去当日子爵邸に至り厚く敬弔の意を述べ、又十一月十五日青山斎場に於ける告別式に参列して恭しく霊前に弔詞を捧げられたり。
      弔詞
 本会顧問正二位勲一等子爵渋沢栄一翁溘焉として薨去せらる、嗚呼哀哉
翁資性篤実にして識見高邁、明治維新の際夙に海外の文物制度を視察し、後太政官の要職に歴任して令名あり、明治六年官を辞して第一国立銀行を創設し、爾来諸方面に亘りて国家的事業の建設に尽瘁し、殊に経済界の進展に貢献して国運の興隆に寄与せられたる偉績は、世の斉しく欽仰する所たり、就中蚕糸業の開発に対しては直接又間接に多大の力を傾けられ、斯業に関する重要問題に関して常に董督支援を蒙りたるは、当業者の厚く徳とする所にして、洵に感謝に堪へざる所なり、今や蚕糸業は素より一般財界の不況深刻を極め、国事益々多端の秋一代の耆宿たる翁の嚮導支持に俟つべきもの愈々切なるものあるに際し、卒然として溘亡に遇ふ、痛惜爰ぞ禁へん、玆に本会を代表して謹て弔詞を呈し哀悼の誠を表す
英霊尚くは饗けよ
  昭和六年十一月十五日
        大日本蚕糸会々頭 正三位勲二等 子爵
                       牧野忠篤


蚕糸界報 第四〇巻第四七八号・第一三五頁 昭和六年一二月 【関東が産んだ日本否世界…】(DK520036k-0002)
第52巻 p.359-360 ページ画像

蚕糸界報 第四〇巻第四七八号・第一三五頁 昭和六年一二月
▽関東が産んだ日本否世界にまで福徳円満なる偉人と尊敬された渋沢翁は九十二歳の高齢を以て天寿を完ふせられた。今更玆に下手な讚美の辞を奉る必要はないが、純真なる人、熱誠の人、福徳の人、円満の人として名を一世にとゞろかし、国民が挙げて敬慕されたるは最もの
 - 第52巻 p.360 -ページ画像 
事だ、吾々は今後翁の如き大人物の産れ出すことの覚束なきを心寂しく感ずる。


竜門雑誌 第五一八号・第二〇―二五頁 昭和六年一一月 葬儀○渋沢栄一(DK520036k-0003)
第52巻 p.360 ページ画像

竜門雑誌 第五一八号・第二〇―二五頁 昭和六年一一月
    葬儀○渋沢栄一
十五日○一一月
○中略
 一、青山斎場着棺 午前九時四十分。
 一、葬儀開始 午前十時。
 一、葬儀終了 午前十一時三十分。
 一、告別式 午後一時開始三時終了。
○中略
また東京市民を代表した永田市長の弔詞、実業界を代表した郷誠之助男の弔詞朗読があり、他の数百に達する弔詞を霊前に供へ、十一時半予定の如く葬儀を終了した。
○中略
    弔詞○前掲ニツキ略ス