デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
2節 蚕糸・絹織業
2款 帝国蚕糸株式会社(大正四年設立)
■綱文

第52巻 p.361-376(DK520037k) ページ画像

大正4年3月20日(1915年)

是ヨリ先、本邦蚕糸業ハ欧洲大戦勃発ノ影響ニヨリ極度ノ不況ニ陥ル。栄一、之ガ救済ニ努力ヲ続ケ、官民共同出資ニヨル当会社設立ニ就イテモ、政府当局及ビ其他各方面ニ斡旋尽力ス。是日、横浜銀行集会所ニ於テ当会社創立総会開カル。栄一出席シテ相談役ニ推挙セラレ、一場ノ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK520037k-0001)
第52巻 p.361-362 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
二月十六日 晴
○上略 午後一時第一銀行ニ於テ午飧ス、吉池・今井二氏来リ蚕糸業救済ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
二月十八日 曇
○上略 十一時浜口大蔵次官ヲ大蔵省ニ訪フテ、蚕糸救済法ニ関シテ談話スル処アリ○下略
(欄外記事)
[午後三時枢密院ニ抵リ、清浦・金子二氏ト蚕糸救済ノ事ニ付種々ノ談話ヲ為ス
二月十九日 朝来雪降リテ寒威強シ
午前七時起床入浴シテ後食事ヲ為ス○中略 吉池慶正・川崎克氏来話ス
○下略
二月二十日 半晴
○上略
午前十時事務所ニ抵リ、益田孝・原富太郎・吉池慶正・今井五助等《(今井五介)》ノ諸氏来リ、蚕糸救済方法ニ付種々ノ談話ヲ為ス○下略
   ○中略。
二月廿四日 晴
○上略 十二時半加藤外相邸ニ抵リ、米国人招宴ノ午飧会ニ出席ス、畢テ金子子爵ト蚕糸救済ノ事ヲ談ス、午後三時大蔵省及日本銀行ヲ訪問シ四時第一銀行ニ抵リ、更ニ事務所ニ於テ庶務ヲ処理ス○下略
   ○中略。
三月三日 晴
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ畢リ、工藤善助・吉池慶正二氏ノ来訪アリ、蚕糸救済ノ事ヲ談話ス○下略
三月四日 晴
○上略 益田孝氏来リ、蚕糸救済ノ事ヲ協議ス○下略
(欄外記事)
[午後四時頃益田孝氏来リ、蚕糸救済ニ付種々ノ談話アリ
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三月五日 曇
○上略 午前十時農商務省ニ抵リ、上山次官・道家局長及益田・原・茂木氏等ト蚕糸救済方法ニ付種々ノ協議ヲ為ス○中略 午飧後事務所ニ抵リ、渋沢義一氏ノ来訪ニ接ス、午後原富太郎・茂木惣兵衛・吉池慶正氏等来リテ蚕糸救済方法ヲ協議ス○下略
三月六日 晴
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、後尾沢琢郎氏来リ蚕糸救済方法ニ付種々ノ意見ヲ述ヘラル○中略
午後五時農商務省ニ抵リ、次官及横浜売込問屋ノ人々ト協議ス○下略
   ○中略。
三月八日 曇又雨
   ○本文略ス。
(欄外記事)
○上略
[午後五時頃農商務省ニ抵リ次官及原・茂木氏等ト蚕糸救済方法ニ付会社設立ノ事ヲ談ス
   ○中略。
三月十日 晴
午前六時半起床入浴シテ朝飧ス○中略 吉池慶正氏来リ、蚕糸救済ニ関スル方法ヲ協議ス○中略 午後二時過日本銀行ニ抵リ、三島・水町二氏ニ面会シテ蚕糸救済会社設立ノ件ニ付種々ノ協議ヲ為ス○下略
   ○中略。
三月十三日 朝来雪降リテ寒威強シ
○上略 十二時築地精養軒ニ抵リ、上山次官ノ招宴ニ出席ス、蚕糸救済ノ件ニ関シテ日本銀行以来重立《(下カ)》タル銀行者会同シテ本案ニ関スル経過ヲ報告セラレ、各自意見ヲ交換シ午飧ヲ共ニス○下略
   ○中略。
三月十五日 晴
午前七時起床入浴シテ朝飧ヲ食シ、後吉池慶正氏来訪ス、蚕糸救済会社ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
三月十七日 晴
○上略 農商務省ニ抵リ、蚕糸救済会社ノ事ヲ協議ス○下略
   ○中略。
三月二十日 晴
○上略 十二時第一銀行ニ抵リテ午飧シ、直ニ中央停車場ニ抵リ横浜ニ赴キ、蚕糸救済ニ付設立セル帝国蚕糸会社株主総会ニ出席ス、相談役ニ推薦セラレタルニヨリ承諾ノ後、一場ノ意見ヲ述フ、会畢リテ午後五時帰京○下略
   ○中略。
三月廿六日 雨
○上略 午後二時農商務省ニ抵リ、蚕糸株式会社ノ事ヲ談ス、上山次官及横浜人多人数来会ス○下略

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中外商業新報 第一〇三五六号 大正四年二月一九日 ○蚕糸案の凝議 枢府事務所の会合 渋沢男爵も参加す(DK520037k-0002)
第52巻 p.363 ページ画像

中外商業新報 第一〇三五六号 大正四年二月一九日
    ○蚕糸案の凝議
      枢府事務所の会合
      渋沢男爵も参加す
蚕糸救済案の成行は世上の一問題となり居れるが、十八日午後芳川枢密院副議長並に清浦子爵を始め枢府に於ける救済案特別委員中の数氏は、永田町なる枢密院事務所に会合し、之に渋沢栄一男も参加して救済案に関する協議を凝し、午後四時五分芳川伯の退出を先頭として順次退散せり、之に就き渋沢男は往訪の記者に対し、蚕糸救済案の成否は産業及貿易関係上重大なる事なるを以て、予は窃に憂慮し、本日も四・五の枢密院顧問官に面接を求め聊か所感を開陳せり、但し該案が同院に於て如何に決せらる可きやは全然予の与り知らざる処なりと語れり、更に芳川副議長・江木翰長を訪れしも、両氏共全く此件に関し口を噤みて何事をも語らざりき


中外商業新報 第一〇三七四号 大正四年三月九日 ○蚕糸救済会社 渋沢男と次官会見(DK520037k-0003)
第52巻 p.363 ページ画像

中外商業新報 第一〇三七四号 大正四年三月九日
    ○蚕糸救済会社
      渋沢男と次官会見
農商務省の上山次官は八日午後渋沢男爵並に横浜の同業者と会見し、蚕糸救済会社の件に関し協議する所ありたり、而して同日午後四時半より次官と会見したる渋沢男は曩きに会社々長就任の内交渉を受けしが固辞して、益田孝氏と共に単に相談役たるを承諾し、社長には他の人を薦むる事とし、八日上山次官との会見も此事に関聯せしのみならず、他重立てる重役の選定をも依託せられしやに伝ふるものあれど、聞く所によれば当日男爵は社長並に重役の選定依託を辞し単に相談的の協議に与りし由なるが、兎に角男と次官の協議によりて、蚕糸救済会社の設立は先づ具体的に人選の一歩を進めたりと見るべき筋ありと


中外商業新報 第一〇三八一号 大正四年三月一六日 ○救済会社々長 結局原富太郎氏(DK520037k-0004)
第52巻 p.363-364 ページ画像

中外商業新報 第一〇三八一号 大正四年三月一六日
    ○救済会社々長
      結局原富太郎氏
蚕糸救済会社の社長は、最初其筋より渋沢男に交渉ありたれど、男は他に適当の人材を挙ぐるを可とし好意的に適材を物色する所あり、最近朝吹英二氏に交渉せしが、十五日朝吹氏就任を辞退したれば、結局原富太郎氏に決定すべき模様也、右に就き渋沢男の談話左の如し
 従来心当りに交渉を重ねたれど、種々の事情ありて未だ決定する迄に至らず、然れども近く決定の見込にして、詰り原富太郎氏を煩はす事となるべく、原氏も多分潔く承諾せらるべきを信ず、仄かに聞く所によれば、原氏にありては持荷の多き自分が進んで判断の地位に立つを心苦しく感ずるものゝ如く、実務に膺るは敢て辞せずとの事なれど、要するに国家的事業たる蚕糸救済の任務を完ふすべき人物としては実際に通暁し居らざる可らずして、此通暁し居れる人物として重大なる会社の目的を達せしむるには、社長たるも将た社長の下に実務に任ずるも別に差違あるに非ず、結局同氏を煩はして其
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就任を見る事となるべし


中外商業新報 第一〇三八三号 大正四年三月一八日 ○蚕糸会社創立協議 準備愈々成る(DK520037k-0005)
第52巻 p.364 ページ画像

中外商業新報 第一〇三八三号 大正四年三月一八日
    ○蚕糸会社創立協議
      準備愈々成る
帝国蚕糸会社創立準備協議は十七日午前十一時より農商務省内に開かれ、当局側よりは上山次官・道家局長其他、又一方の横浜当業者側よりは原・茂木・渋沢(義)・渡辺の四氏出席、種々懇談を重ぬる所あり、午後に至り渋沢男並に矢島栄助・今井五介・尾沢福太郎・長谷川平内の四製糸業者亦参加し、午後五時散会し、横浜当業者のみ更に某所に会合、持株に就き協議せり
△総会開催日取 右の会合を以て命令事項並に定款は愈々全く成案と決定し、今は単に法律上の手続順序に就き講究を要するのみとなりたれば、発起人総会は既報の如く二十日前後横浜に(東京を変更す)開催の段取となるべく、其期日は十八日正午迄に決定さるべし
△製糸家の加入 上記の如く四製糸業者も会合の上種々凝議せる結果急速の成立を必要とするの関係より、兎に角も差当り長谷川平内氏の名義を以て千株(一株五十円)を引受くる旨申込ましめ、成立後の申込あるに於ては横浜当業者の持分より分割譲渡することとして満株に達せしめたり
△役員略ぼ決定 而して愈々成立せしむるに就き、横浜側当業者二十四名に製糸家の長谷川平内氏加はり総計二十五名発起人たる筈なるが更に会社の役員として三名の相談役、六名の取締役、二名の監査役、二十名の評議員を設け、営業に従事せしむる筈にて、相談役には渋沢男・吉川男(或は朝吹氏)・益田孝氏、取締役・監査役は総て横浜当業者より選定し、前者には原・茂木・渋沢・小野・渡辺・若尾の六氏後者には伊藤長次郎・木村庫之助の両氏就任と決すべき模様なり、又評議員は全部株主たると否とに拘らず、全国製糸家より選定すべしといふ


中外商業新報 第一〇三八四号 大正四年三月一九日 ○帝国蚕糸会社成立 株式引受の決了(DK520037k-0006)
第52巻 p.364-365 ページ画像

中外商業新報 第一〇三八四号 大正四年三月一九日
    ○帝国蚕糸会社成立
      株式引受の決了
帝国蚕糸会社創立に関する諸般の準備完成したるを以て、其発起人たるべき横浜蚕糸売込商二十四名は十八日午後六時より組合事務所に会し協議会を開く、先づ代表委員より其後
△政府側と交渉 せる顛末並に会社創立後の営業方針即ち生糸の買入及び之が輸出を為す場合に於ては、現在の輸出取引上の組織と其機関とを尊重して、総て内外輸出商に依頼することを明かにすると共に、所謂政府の命令事項の内容に就て亦或る程度迄報告を為し、愈々発起人の持株に関し凝議する所あり、結局直輸側の三井物産・生糸合名の両会社に対しても、均しく売込商を兼営し居たるの事由よりして相当株式の引受を交渉する筈なりしも、かくては一部の誤解を招ぐ惧ありとして、此予定を変更の上両社の出資を請はず、過般略ぼ内定せる組
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合員の引受総数(八日本紙参照)を控除せる残余の二千五百株は、中千株を前日申込める製糸家に割当て、更に其残余の千五百株を此際売込商側にて一応引受くることに決し、同時に迅速に
△会社の創立を 期する為めに、二十日正午迄横浜正金・三井・第一・第三・第百・住友の六銀行に各自一株に就き半額の二十五円を払込み同日午後一時より横浜銀行集会所に於て発起人総会・創立総会を併せ開き、役員の選挙を行ふこととして同八時散会せり、因みに二十日の総会には、農商務省より上山次官臨場し政府の命令事項を明示し、渋沢男亦出席して役員の指名を行ふ由なるが、其指名を受くる役員は左の諸氏に内定せるやに伝へらる、尤も相談役の小野氏の就否は未だ明かならず
△相談役(四名) 渋沢栄一男・吉川重吉男・益田孝・小野光景
△取締役(六名) 社長原富太郎・副社長茂木惣兵衛・専務渋沢義一・同渡辺文七・常務木村利右衛門・同若尾幾造
△監査役(二名) 伊藤長次郎・大谷幸之助


中外商業新報 第一〇三八六号 大正四年三月二一日 ○蚕糸会社成立 上山農商次官演説 社長は原富太郎氏(DK520037k-0007)
第52巻 p.365-371 ページ画像

中外商業新報 第一〇三八六号 大正四年三月二一日
    ○蚕糸会社成立
      上山農商次官演説
      社長は原富太郎氏
帝国蚕糸株式会社株式は別項の如く全部発起人に於て引受け、其払込を結了したるに依り、二十日午後二時より横浜銀行集会所に於て創立総会を開きたり、上山農商務次官・河合同書記官及び同社の創立に尽力したる渋沢男爵等臨席、上山次官概要左の如き演説をなせり
一、社長詮衡問題 会社々長に就て直接此事業に関係なき人を当てたしとは当業者の熱心なる希望にして、政府亦其事由の至当なるを認めて各方面に適任者を物色することとなり、渋沢男爵の特別なる援助を仰ぎたれども、遂に能はず、而も会社設立は一日を緩ふすべからざる者あり、結局当業者中より社長の推薦するの余儀なきに至れるは気の毒に堪へず
二、会社株主の範囲 会社の成立に就ては、政府は横浜の蚕糸売込商及び全国蚕糸家の多数が関与せんことを希望せしが、今株主の顔触を見るに此の両者を網羅せるに似たり、是れ政府の最も満足する所也、但だ製糸家の株主多からざる観あれども、是れは会社の速成を期し、不取敢東京に滞在せる製糸家の引受を得たるに止まりたるに由る、去れば向後地方製糸家にして株式を引受けんとするものあらば、如何様にも為し得べきことゝ信ず
三、利益配当の件 会社は形式に於て株式会社にして、而も営業会社の形態たりと云へど、其目的は時局の影響を蒙むれる糸価の調節を計り、蚕糸業者を救済せんと云ふに在りて、公共事業なるの故に、政府は五百万円を出金することに決したり、又当業者の株式引受も全然義侠的なり、されば会社の成績が幸に好良にして利益ありたる場合は、其配当額を八分以下に決定せんことを期す
四、会社と横浜の関係 会社の事業に関して一部人士に疑惑を懐きた
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る様なれども、自体会社の目的は公の利益を計るに在るが故に、縦令生糸の売買を為すとするも横浜今日の商習慣を尊重すべきは勿論充分在来の取引機関を利用して、飽までも設立の目的を遂行するを以て根本の主義とせざるべからず
五、定期を利用せず 会社は時に定期市場の買煽を為すにあらざるかとの疑惑を抱くものなきにあらざれど、会社生糸の買入れは総て現物の取引に止むと限定せり、何となれば会社設立の趣旨は、相場をして徒らに高からしむるのみを以て目的とするに非ず、要は蚕糸業者が事業遂行の上に於て耐え得る丈けの相場に高めて、而も海外に対する売行を助長するに在れば也
六、政府監督の理由 政府が会社の事業に対して最も厳重なる監督を為す所以のものは、会社の資本が株式の払込に依りて成立すとは云へ、政府は之れに対して巨額の補助を為す者なれば、政府は恰も大株主の地位に在りて業務執行を看過すべからざる者あり、即ち買入れの数量乃至価格其他に関し監視督励の必要上、今西生糸検査所技師及び河合書記官をして会社の監理官たらしむることとせり
七、製糸家への希望 特に製糸家に向つて此際政府として望まんと欲する所は、会社の目的既に上述の如くにして、而も生糸の買入を敢てする所以も亦此意に外ならず、地方製糸家は此の旨を体せられんことを要す、今後の生糸は会社にて続々買入る者なりとの単純なる見解より、毫も製品の優秀を期することを怠るが如きことあらば、夫は大なる誤なり、最近伝ふる所に拠れば或地方の如きは昨今夜業繰糸を為しつゝありとの事なり、夜業必ずしも絶対に排すべきにあらざれど、若し其動機が唯単に会社の成立を気構へ横浜に対する出荷を急ぐにありとすれば、夫は此際に於て少しく手控へられんことを望む、此点に関し既に横浜側より勧告ありたる筈なり、蓋し是れ当然なり、会社は生糸を買入るゝも、充分其品位の優秀を確保せん為めに、総て生糸検査所の検査を経由せざるべからざることとなるべし、否斯くするを至当と考ふ云々
同次官は更に河野農相が遥に新潟より寄せたる左の電報を朗読せり
 帝国蚕糸株式会社の成立を祝し、切に其事業の成功せんことを祈る斯くて渡辺文七氏の発議にて小野光景氏会長席に就き、別項の定款を議了したる後ち、井上定吉氏の動議に基き、会長は予記の如く左の諸氏を指名す
 △取締役 原富太郎・茂木惣兵衛・渋沢義一・渡辺文七・若尾幾造・木村庫之助
 △監査役 伊藤長次郎・大谷幸之助
於是乎、原富太郎氏より当選役員を代表し、微力其任にあらずと雖も株主諸氏の援助に信頼して承諾すべき旨の挨拶ありて、一先休憩の上再開、原富太郎氏より定款の規定に基き重役会にて左の諸氏を相談役及び評議員に推挙するに決せりとて其承認を求め、満場一致可決せり
 △相談役 渋沢栄一男・吉川重吉男・益田孝・小野光景
 △評議員 森田退蔵(東京)波多野鶴吉(京都)山田巳太郎(新潟)網野豊次郎(埼玉)萩原鐐太郎(群馬)中山武平(三重)前
 - 第52巻 p.367 -ページ画像 
田健次(愛知)田口百三(愛知)依田佐二平(静岡)矢島栄助(山梨)武藤互三(岐阜)今井五介(長野)工藤善助(長野)尾沢琢郎(長野)佐野市造(宮城)山田一(福島)長谷川平内(山形)西谷金蔵(鳥取)河野駒次郎(愛媛)長野関吉(熊本)
渋沢男は起つて左の挨拶を為したり
 予の本務銀行家たる所より、時局勃発以来蚕糸業が甚大の打撃を蒙むりたるに就ては、当業者と等しく今日まで其憂慮を共にしたり、殊に貿易の大宗たる生糸が戦前好望の夢破れて俄かに三割以上の暴落を来せる以上は、急遽策なかるべからずと信じ、当時大日本蚕糸会等に対し所見を開陳したることありしが、爾来大日本蚕糸会及び当業各位の熱心は政府の決意と相待つて、一たびは成案を得たれど或は議会の解散に遭ひ、或は憲法上の支障に依りて容易に実行を見るに至らざりしも、既に非常の場合何等かの方法を講ずるは素より当然也、之れが為めには先づ当業者をして深く気挫けを為さしめざらんことを期すること最も肝要なりと信じたれば、旧臘も既に有力家と熟議して差当り金融上緩和の方法を講じたることありしが、今日会社成立の所以も亦此意に類するものあり、只夫れ斯の如きは嘗て例なき所なれば、幾多の異論を挟むに足るものあらんも、既に今日の場合是れ以上他に策なしとすれば、当業者各位にして見る所あらば、忌憚なく重役若くは相談役に伝へて、協力以て会社設立の趣旨を貫徹せんことを望まざるを得ず云々
次で小野光景氏も亦相談役を承諾すべき旨の挨拶を述べ、此に蚕糸会社は全く成りて四時散会したり、因に当日取締役互選の結果、社長に原氏、副社長に茂木氏、専務に渋沢・渡辺の両氏夫々就任することとなりたるが、尚本社は位置の便宜上横浜本町通りの衛生試検所内に置かるゝこととなるべきか
    ○蚕糸会社方針
      原富太郎氏談
帝国蚕糸会社の成立と共に其社長に就任することとなれる原富太郎氏が総会後会社将来の方針に就き語れる所左の如し
 会社将来の事業進行に就ては、向後主として相談役・評議員の諸氏並に輸出商・売込問屋・銀行家等各方面の意見を聞知し、重役に於ても慎重協議の上決定せんとするを以て、未だ何等具体的に語る能はずと云へど、政府の命令書等に依りて既に定まれる所のものに就て概括的に之を云へば
 一、会社の目的は市場現在の糸価を維持せんと欲するにあり、是れ一面に於て市場の買方に安心を与へ、延て一般の売行をして円滑ならしめんが為め也
 一、会社の為すべき売買に就ては、必ず内外輸出商及び売込問屋等市場現在の機関を尊重して充分之れを利用し、会社は果《(決)》して直接売買を為さゞる方針なるも、是等に就ては尚ほ充分の審議を凝らすの要ありと信ぜり
 一、会社の受くべき政府の補助金は云ふ迄もなく会社資金の主なるものなれど、素と是れ国民租税の一部より出でたるものなれば、
 - 第52巻 p.368 -ページ画像 
其運用に就ては最善の考慮を尽して、仮令厘毫の微と雖も之れを濫りにせず、出来得る限りの効果を挙げ、努めて其損失を少なからしむる決意たり
尚ほ実行方法に就ては内規を制定して認可を要すべく、而も其以前に於て評議員会の協議を経るの要ありと云へども、今総選挙に差懸り居れば今俄かに地方より評議員諸氏の来浜を請ふことも成り難きを以て、評議員会の開会は結局廿九日前後のことならんか云々
    ○蚕糸会社命令
      五百万円の条件
政府は帝国蚕糸会社に対し不日五百万円を交付すると共に左の命令書を発すべしと
      命令書
                     帝国蚕糸株式会社
政府は其の社の事業を助成する為五百万円を出金するに付左の事項を命令す
                 農商務大臣 河野広中
第一条 帝国蚕糸株式会社は左に掲ぐる事項を遵守すべし
 一、取締役・監査役及支配人の選任は予め本大臣の承認を受くること
 二、生糸の買入及其の売渡は現物の即時取引に限ること、但し海外輸出の為にする売渡は即時取引たることを要せず
 三、生糸の買入又は其の売渡に関し特に本大臣に於て指揮したるときは之を拒まざること
 四、買入及其の売渡に関する大体方針に付ては内規を設け、予め本大臣の承認を受くること、其の之を変更せむとするとき亦同じ
 五、会社の利益配当額は年八分を超えざること
 六、会社が定款の規定に依り株式譲渡の承諾を与へむとするときは予め本大臣の承認を受くること
 七、総会に提出する議案及給料・報酬・贈与等は予め本大臣の承認を受くること
 八、会社の業務執行に関する組織及其の人名は予め本大臣の承認を受くること
 九、財産保管の方法及其取引銀行は予め本大臣の承認を受くること
 十、本大臣に於て会社存立の必要なしと認めるときは、本大臣の指定する期間内に解散すること
 十一、会社解散の場合に於ては、政府以外の者に対する債務を弁済したる後の会社財産中より、払込株金額(但解散せざりしものと仮定し、其の解散当時の財産状況が利益を配当し得べかりしときは、年八分の割合を超えざる限度に於て其の配当し得べかりし金額を之に附加す)を控除したる残額は、本大臣の指定する期間内に之を政府に納付すること
 十二、会社は本大臣に於て其の業務及財産に関する報告を徴し、又は官吏をして書類・帳簿其の他一切の物件を検査せしめ、若は会議に臨席せしむる場合に於ては、之を拒まざること
 十三、本大臣に於て必要ありと認め定款・内規又は本大臣の承認を
 - 第52巻 p.369 -ページ画像 
受けたる事項の変更を命じたるときは、之を拒まざること
 十四、会社の目的を達する為本大臣に於て必要ありと認め会社に命じたる事項を為すことを拒まざること
第二条 政府は会社解散の場合に於て残余財産が払込株金額に達せざるときは、其の額に達する迄其の出金中より之を補給す、但し第三条の場合は此の限に在らず
第三条 会社に於て第一条の事項を遵守せざるとき、又は法令・定款若は本大臣の承認を経たる事項に違反したるとき、又は公益を害する虞ありと認むるときは、本大臣は直に其の出金の還付を命ずることあるべし
第四条 本命令は本大臣に於て必要ありと認むるときは、之を変更することあるべし
    ○蚕糸定款・株主
廿日の創立総会にて決定したる帝国蚕糸会社の定款は左の如し
      △定款
第一条 本社は生糸の買入及其の売渡を為すを以て目的とす
第二条 本社は帝国蚕糸株式会社と称す
第三条 本店は之を横浜市に置く
第四条 公告は所轄登記所の公告する新聞紙に掲載するものとす
第五条 資本は二百万円とし、之を四万株に分ち、一株の金額を五十円とす
第六条 株式は発起人に於て其の総数を引受くるものとす
第七条 株券は一株券・十株券及百株券とす、株者は記名式とす
第八条 株金の第一回払込は二分の一とし、第二回以後の払込は必要に応じ之を為さしむ
第九条 株式の譲渡を為さむとする者は、当事者連署して予め本社の承諾を受くることを要す
第十条 株券の分合の為又は其の汚損に因り新券の交付を求むる者は請求書に株券を添へ之を差出すべし、株券亡失の為新券の交付を求むる者は、本社の承認する証人二名以上の連署を以て請求書を差出すべし、此の場合に於ては本人の費用を以て其の旨を公告し、異議の申出なくして三十日を経過したる後新券を交付す
 新券交付の手数料は一枚に付二十銭とす
第十一条 株券の名義書換を求むる者は、請求書に株券を添へ之を差出すべし
 前項の請求書には株式譲渡の場合の外移転の原因を証するに足る書類を添附すべし、名義書換手数料は一枚に付五銭とす
第十二条 株主は其の住所及印章を本社に届出づるものとす
 株主が代理人又は代表者に依りて代表せらるゝ場合に於ては、其の代理人又は代表者の氏名・住所及印章を届出づるものとす、株主、其の代理人又は代表者が其の氏名・住所又は印章を変更したるときは之を届出づるものとす
第十三条 定時総会は毎年六月及十二月の二回之を開く
第十四条 株主総会の議長は社長を以て之に充つ、社長事故あるとき
 - 第52巻 p.370 -ページ画像 
は他の取締役の互選したる者之に代る
 商法第百六十条及第百八十二条に依り招集したる総会の議長は、出席株主中より総会之を選任す
第十五条 総会の議決に際し可否同数なるときは、議長之を決す
第十六条 総会の議事録には議案、決議の要旨、議事の経過及出席株主の氏名、株数を記載し、議長及出席したる株主二名以上記名捺印するものとす
第十七条 本社に取締役六名、監査役二名を置く
第十八条 本社は重要なる事項を協議する為相談役及評議員若干名を嘱託す
 取締役及監査役は百株以上を有する者たることを要す
第十九条 取締役及監査役の選任は株主議決権の多数を得たる者を以て当選者とす
 但し得票同数なるときは年長者を採る
第二十条 取締役は在任中其の所有する本社の株式百株を監査役に供託すべし
第二十一条 取締役は社長一名、副社長一名、専務取締役二名を互選す
 社長は社務を統轄し会社を代表す、社長事故あるときは副社長之に代る
第二十二条 営業年度は一年を二期に分ち、十二月より五月迄を上半期とし、六月より十一月迄を下半期とす
第二十三条 利益金の其の百分の五以上を法定準備金に、百分の五以内を役員賞与金に充て、残額は之を株主に配当す、但し配当し得べき額が年八分の割合を超ゆる時は、別途積立金として之を積立つるものとす
第二十四条 設立費用は千円以内とし、初年度に於て之を償却するものとす
尚ほ同社の株主は左記三十名にして其引受株左の如し

  株数   払込額 氏名
 一万株  二十五万円  横浜  原富太郎
 一万株  二十五万円  同   茂木惣兵衛
 四千株  十万円    同   小野光景
 四千株  十万円    同   渋沢義一
 四千株  十万円    兵庫  伊藤長次郎
 千二百株 三万円    横浜  若尾幾造
 千二百株 三万円    同   渡辺文七
 千二百株 三万円    同   木村庫之助
 千二百株 三万円    同   大谷幸之助
 四百株  一万円    山形 △長谷川平内
 二百株  五千円    横浜  矢島善七
 二百株  五千円    同   小川勝三郎
 二百株  五千円    同   小島周
 二百株  五千円    甲府 △矢島栄助
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 二百株  五千円    長野 △尾沢福太郎
 二百株  五千円    同  △今井五介
 二百株  五千円    同  △小口房吉
 二百株  五千円    同  △小口今朝吉
 二百株  五千円    同  △小口金三郎
 二百株  五千円    横浜 ×上甲信弘
 百廿株  三千円    同   伊藤金兵衛
 百株   二千五百円  同   山田駒吉
 百株   二千五百円  同   阿部太市
 百株   二千五百円  同   金子常太郎
 百株   二千五百円  同  ×野々垣弥納
 七十株  千七百五十円 同   井上定吉
 六十株  千五百円   同   中沢五三郎
 五十株  千二百五十円 同   岩倉実
 五十株  千二百五十円 同   市原又七
 五十株  千二百五十円 同   星野正三郎
 合計四万株   百万円   三十名

 備考 表中△印は製糸家、×印は屑糸商


大正三、四年蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第七四―七五頁 大正六年七月刊(DK520037k-0008)
第52巻 p.371-372 ページ画像

大正三、四年蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第七四―七五頁 大正六年七月刊
 ○第四 帝国蚕糸株式会社の創立
    帝国蚕糸株式会社内規
第一 生糸売買は時価に依るものとす。
 但し特別の事由ある時は、農商務大臣の承認を受け、此制限に依らさることを得。
第二 買入る可き生糸は横浜在荷に限るものとし、其買入価格は信州上一番格八百円未満とす。
 但し上一番格以外の格合にありては、本内規実施以前三ケ月の格合を平均して標準と為す事。
第三 生糸の買入及売渡の価格は重役会に於て定むる所に従ひ、総務部に於て協議の上之を決す。
第四 生糸の買入は内外輸出商に托して之を行ふ。
 買入手続は従来の商習慣に依り、其受渡は買入後二週間以内に之を結了す。
 買入る可き生糸は生糸検査所の検査を経ることを要す。
第五 買入れたる生糸の売渡は蚕糸売込問屋に委托して之を行ふ。
第六 買入たる生糸は、重役会の決議に依り内外輸出商に委托し海外に出荷売却することあるへし。
 但し売渡値段は会社之を指定す。
第七 前項の規定に依り海外に荷物を委托したるときは、監督者を派出することあるへし。
第八 使用人の雇入解雇は重役会の決議を要す。
第九 取引銀行は重役会に於て之を定め、農商務大臣の承認を受くるものとす。
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第十 当社は株券・債券及不動産の買入又は金銭の貸付を為さゝるものとす。
第十一 現金は預金と為し置くものとす。
 但し壱千円以下は此限に非す。
第十二 本内規は政府の承認を経て之を施行す。


竜門雑誌 第三二三号・第四五頁 大正四年四月 ○帝国蚕糸株式会社成立(DK520037k-0009)
第52巻 p.372-373 ページ画像

竜門雑誌 第三二三号・第四五頁 大正四年四月
○帝国蚕糸株式会社成立 帝国蚕糸株式会社に於ては三月二十日午後二時半より横浜銀行集会所に於て発起人会を開きたり、席上、上山農商務次官は会社成立の経過報告に次いで、会社の目的及び事業経営に就て一場の挨拶を為し、了りて後、小野光景氏座長席に着きて先づ発起人の承諾記名捺印、株式引受額及び株金(一株に付二十五円)払込結了等を報告して発起人会を閉ぢ、引続き創立総会を開きて、定款を附議したるに、全部原案通り決定し、重役及評議員は座長指名にて左の如く決定したり
 △取締役(六名)原富太郎・茂木惣兵衛・渋沢義一・渡辺文七・若尾幾造・木村庫之助
 △監査役(二名)伊藤長次郎・大谷幸之助
 △相談役(四名)渋沢栄一男・吉川重吉男・益田孝・小野光景
 △評議員(二十名)森田退蔵(東京)○外一九名氏名略ス
玆に於て青淵先生は起ちて相談役承諾の挨拶を為し、且つ会社の目的遂行に就て希望を述べられたる由なるが、大要左の如しと
 余は銀行業者として常に生糸貿易に就て多大の注意を払ひ居たり、欧洲戦乱に依りて蚕糸業が至大の打撃を被り、国家の産業政策上之を放置す可からざるを認め、当業者の懇請ありしを幸ひ之が救済に尽力し、今日蚕糸会社の成立を見るに至りたる次第にして、此会社が救済方法として最良最適のものなりやは固より疑問たる可きも、先づ比較的適当なるものと云ふを得可し、而かも其の実際的方法実行手段にして宜しきを得ざるに於ては、救済の効果を挙げ得ず、会社の目的に反する結果を見るなきを保す可からず、本会社の如きは其目的に於て前古未曾有のものにして、従つて之が業務の遂行には多大の困難ある可しと雖も、重役諸君の熱心にして無私公平なる態度は会社の目的を達するに庶幾らんか云々
小野氏亦一場の挨拶を為して、会社は玆に首尾克成立を告げ、役員は重役互選の結果左の如く決定したりといふ
 △社長 原富太郎 副社長 茂木惣兵衛 △専務取締役 渋沢義一 渡辺文七
○帝国蚕糸会社と銀行家 農商務省にては、帝国蚕糸会社設立に付て蚕糸業者と密接の関係を有する銀行業者と意志疏通を計る為めなるべく、三月十三日午後一時より築地精養軒に都下重なる銀行業者を招待せり。農商務省側よりは上山次官・道家農務局長、銀行者側よりは青淵先生其他の諸氏出席、午餐後上山次官より、政府が蚕糸救済を実行するに至りたる顛末及其後の経過に就ての報告あり、続いて最初より会社の設立に尽力したる青淵先生より株式の割当及役員詮衡に就ての
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報告あり、満座何れも該会社の設立に対して賛意を表したるも、只其実効の挙否は資金の運用如何に在るを以て、買入価格・買入時期・数量・方法等に就ては十分の注意を払はれんことを望む旨を述べ、之に対し上山次官の挨拶ありて午後三時半散会せりとなり
○帝国蚕糸会社創立に就て 帝国蚕糸会社創立及社長詮衡に就て、東京日々新聞記者が青淵先生談話の要領なりとして其の紙上に掲げたるは即ち左の如し
 予は詮衡委員と云ふ次第にあらざるも、官民双方より、自ら就任する能はざるに於ては他の適任者を選抜せよとの注文ありしが為め、爾来物色中にて、現今或る方面の某氏に対し交渉中なるが、同氏の諾否は玆一両日中に決定すべく、若し同氏が就任を承諾せざれば最早原富太郎氏の就任を求むる外なく、同氏も此場合に至りては多分就任を承諾せらるゝ事ならんと信じつゝあり。斯くて社長の候補者決定せば、更に社長以下の重役選定の順序なるが、這は社長たるべき候補者と予等並に政府側とも協議の上にて選定すべく、其決定は左まで困難ならざるべし。尚同会社設立に対し、既報の製糸家側の運動並に横浜屑物業者の救済割込運動等に対する意見として曰く、前者は会社が利益ある場合と雖も出資額に対し年八朱の利益配当を受くるのみに甘んじ、万一損失の場合政府の補助金にても猶不足を告ぐる場合損害を分担するの覚悟あるに於ては製糸家も無論株主たるを得べく、开は株式分配の場合の協議にて希望者には相当割当らるゝ次第なるが、思ふに製糸家側の所謂運動の本旨は、単に株券の引受を希望するにあらずして、該会社が生糸問屋の独占とならんか勢ひ偏頗の行動に出で救済の実を全からざらしむべしとの懸念より生ぜしならんも、這は思はざるの甚だしきものにて、現に当局官庁より厳重なる取締を励行する次第なれば、断じて斯かる不都合を為し得べき余地を存せざるなり。而して後者にありては、生糸の副産物とは云へ其性質を異にし、且市価の低落に依る国家損害も比較的軽微なる以上、殊に生糸の救済資金も決して十分と称するに足らざる事情なるを以て、屑物をも共に救済するが如きは到底不可能なるべし云々


大日本蚕糸会報 第二七九号 大正四年四月 時局に対する経過報告(第五)(DK520037k-0010)
第52巻 p.373-376 ページ画像

大日本蚕糸会報 第二七九号 大正四年四月
    時局に対する経過報告(第五)
○上略
三月三日○大正四年 吉池理事は渋沢男爵邸に至り、従来蚕糸救済の件に関し多大の力を尽されたる労を感謝し、尚今後も相当の援助を請ひたき旨希望したり。
 益田委員長重要の方面に至り、帰途立寄り協議せらるゝ所ありたり此日午後四時益田委員長及び原・茂木・今井・尾沢の各委員大蔵省に若槻同大臣・浜口同次官と協議し、愈政府は本会より最近に提出せる案を採用することに閣議にて決定し、其所管は自今農商務省に移ることゝなるべしと言明されたり、そは次項全国蚕糸業大会開会半ばの出来事なり。
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 客年第二回全国蚕糸業大会に於て決議したる蚕糸業救済は爾来四閲月未だ実現するに至らず、若し夫れ此儘に推移せんか春挽糸は横浜埠頭に堆積して糸価の変動洵に恐るべきものありとなし、左記の有志諸氏発起人となり、築地精養軒に全国蚕糸業大会を開催したり。
  今井五介  五十嵐荘太郎 波多野鶴吉 萩原鐐太郎
  長谷川平内 富田勘之丞  尾沢琢郎  勝野又三郎
  吉池慶正  依田佐二平  長野関吉  中山武平
  工藤善助  谷口新平   山田一   山田巳太郎
  矢島栄助  前田健次   町田菊次郎 河野駒次郎
  越寿三郎  新井高四郎  網野豊次郎 坂口平兵衛
  森田退蔵
 此日参集せる当業者は東京・神奈川・新潟・栃木・三重・愛知・静岡・山梨・埼玉・群馬・長野・宮城・福島・山形・石川・鳥取・岡山・山口・和歌山・愛媛・高知・熊本等より弐百余名に達せり、来賓として道家農務局長参列せらる、午後一時尾沢琢郎氏発起人を代表して開会の挨拶を述べ、尋で議長として工藤善助氏を推すことを図り、満場の同意を得て同氏は議長席に着き、益田実行委員長登壇蚕糸救済の為に採りたる今日までの行動を演述し、吉池本会理事は更に之に関する詳細の報告を演述したる後、矢崎源蔵・前田健次・山田巳太郎・長野関吉・依田佐二平・新井高四郎・佐野市造・大井富太・白井勝次の諸氏交々起て救済の急を説き、工藤会長は決議文及実行方法等を諮りて四時二十分一先休憩し、別室に於て発起人の協議起草せる案成るや、再び開会し、左の決議文を衆議に附せり。
      決議
  時局発生以来本邦蚕糸業の蒙りたる打撃頗る峻酷なるものあり、今にして之を救済するにあらずんば、輸出貿易の大宗たる蚕糸業をして廃頽の苦境に沈淪せしめ、海外正貨の輸入を激減せしむるを以て、吾人は全国蚕糸業大会に於て之が救済を絶叫したり、然れども爾来荏苒四閲月未だ其実現を見るに至らず、寔に寒心の至りに禁へざるなり、仍て吾人は政府に対し、急速に之が施設を実行せしむることを期す
 満場異議なく拍手を以て之を可決し、次で之が実行方法を協議し、陳情委員長として総理大臣に佐野市造氏、大蔵大臣に前田健次氏、農商務大臣に矢崎源蔵氏を挙げ、来会者を三分して各委員長に隷属せしめ、翌四日本会事務所に参集の上、三大臣を訪問して飽迄蚕糸救済案の貫徹に努むること、尚長谷川平内氏外二十三名を常務委員とし、前の大日本蚕糸会実行委員と協力することに満場一致可決したり、此時矢崎源蔵氏は実行委員長益田孝氏の努力に対し、本会の名を以て感謝の意を表せんと動議し、飯島信明氏亦貿易商田中商店の不穏当なる行為を指摘して、之に相当制裁を加ふ可しとの建議をなし、何れも拍手喝采裡に可決し、終るや飯島信明・大場恒次郎・永松達吾の諸氏相亜で演壇に顕はれ、各熱弁を振ひたる後無事閉会し、直に食堂を開きたり、宴酣なる頃、前に一時退席せられたる道家農務局長は再び来会、工藤会長の紹介に依り起立して、本席に上
 - 第52巻 p.375 -ページ画像 
山農商務次官出席の上諸君に御報告する筈の処、止むを得ざる差支の為め代りて述ぶる処あるべしと前提し
  諸君の渇望して歇まざりし枢密院に廻付せる蚕糸救済案は、本日政府に於て撤回せり、然れども安んぜよ、之に替ふるに官民協同組織の下に相当資金を支出し、生糸の買入れを為して救済するの一案を作成し之を実行せんとす
 と述ぶるや満場拍手喝采をなせり、玆に於て工藤会長は一席の挨拶を為し、大会開催に就ては御繁忙の央非常の御熱誠を以て遠近より上京出席せられたるは、発起人一同の感謝する処にして、唯今道家局長より吾々の絶叫せる問題の実行を宣言せらるゝに至りたるは、洵に慶賀の至に禁へざる処なり、従て先刻決議となりたる三大臣大挙訪問は之を中止することゝ諒せられたしとの意味を述べ、飯島信明氏は蚕糸業救済の曙光を見るに至りたるは、偏に大日本蚕糸会並実行委員諸君が、数ケ月間の永きに亘り専心誠意尽力せられたる結果と云はざるべからず、依て玆に満場の諸君を代表して感謝の意を表する旨を陳べ、次で尾沢琢郎・加藤知正諸氏の演説あり、痛心裡の会食は端なくも政府の言明を得て光景一変歓喜の祝宴となり、和気靄々裡に午後九時散会したり。
自三月四日至二十日 前項記載の如く、政府は官民協同組織の下に一の会社を組織し、之に依りて蚕糸業救済を実行せんことを決定せられたるが、爾来上山農商務次官は屡々原・茂木等会社発起者側の諸氏と会見して協議を重ね、其間渋沢男爵・益田委員長等種々に斡旋する処あり、本日を以て横浜銀行集会所に創立総会を開き、玆に帝国蚕糸株式会社の成立を見るに至りたり、今設立の経路及内容を明にせんが為め、上山農商務次官及渋沢男爵創立総会に臨て演説せられたる大要を左に掲ぐ。
 上山農商務次官の演説○前掲ニツキ略ス
 渋沢男爵の演説○前掲ニツキ略ス
 政府より帝国蚕糸株式会社に対する命令書並同会社定款及役員氏名左の如し。
○中略
 時局に対する本会の行動以上記するが如し、抑も欧洲大動乱は本邦の蚕糸業に深酷なる影響を与へ、之を根蔕的に破壊し去らんとす、焉ぞ国家経済に志ある者の袖手傍観を為を許さんや、況や蚕糸業の発達に依り国家の富源を増加するを以て本領となす本会に於ておや、之を以て数々朝野に対し蚕糸業救済の緊要なる所以を呼号したり、然るに政府及金融業者に於ても頗る同情を表し、種々の方法を講じ救済の資に供せられたるは巻頭に列挙せる所の如し、此等は深く謝意を表する所なれども、然れども何も未だ其肯綮に当らず、蚕糸業界の窮状愈々甚しく、各地の製糸家倒産相踵ぐの悲境に陥れり、仍て本会実行委員は更に剴切に政府に対し悃請する所ありしが、幸にして今回建議せる蚕糸救済団体設立案は政府の容るゝ所となり、玆に帝国蚕糸株式会社の名称を以て創立せられ、既記の資本を以て蚕糸価格の暴落を防ぐ為買収をなし、蚕糸市場の気配をして堅実ならしめ、輸出高を促進すべ
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き機関を出現するに至れり、之を以て自今当事者能く之を運用せば、蚕糸業者をして辛ふじて此難境を切抜くるを得せしむべし、是れ特り蚕糸業界の幸慶なるのみならず、実に国家経済上の福祉と謂はざるべからず。
 顧るに、本会が時局に対する要求として唱道せる事項は、殆ど全く容認せられ解決の運に達せり、唯特り生糸定期取引廃止の件は、実行委員及理事者より数々当局大臣に其実行を迫り、之に加ふるに京都・神奈川・前橋・長野・福井・宮城・岡山・高知・大分・埼玉・山梨・福島の生糸組合又は商業会議所等より幾多の建議書提出せられたるを聞けども、政府は之に関して断然たる処置を採られざりしは洵に遺憾とする所なり、然れども現行取引所法は法理上の解釈、政府は行政処分として一大鉄槌を下すの権能を有せずとすれば、又何をか言はん、今後寧別個の行動を採るより外途あらざるべし。
 終に臨み、特に渋沢男爵其他朝野有力家の援助と、益田実行委員長及実行委員各位の数閲月寝食を忘れ尽瘁せられたる功労を感謝すると同時に、帝国蚕糸株式会社の当事者各位は公平に忠実に蚕糸業界の輿望に背かず、真に本邦蚕糸業の救済の為に貢献せられんことを望む。



〔参考〕中外商業新報 第一〇三九〇号 大正四年三月二五日 同社重役の歴訪同社重役の歴訪(DK520037k-0011)
第52巻 p.376 ページ画像

中外商業新報 第一〇三九〇号 大正四年三月二五日
    ○帝国蚕糸開業準備
      同社重役の歴訪
帝国蚕糸会社は愈々二十九日の評議員会に於て内規制定の上主務省の認可と共に事業開始の予定なれば、二十四日原・茂木・渋沢○義一・渡辺の正副社長及び専務取締役の四氏は、横浜正金・三井等生糸関係ある銀行を歴訪すると同時に、外人蚕糸貿易商組合を訪ふてビー・ヱスベント及びヰ・ボツシヤートの正副社長と会見し、更に三井物産及生糸合名の直輸会社を訪問し、夫れ夫れ会社の成立の事情と向後の方針等を明にして意見の交換を遂げたる後重役会を開き、各評議員に向ひ二十九日出浜方を電報を以て通告したり、猶会社の事業遂行上直接事務担当の為支配人一名選定の予定なりしも、大綱は正副社長及び専務取締役に於て統轄の筈なれば、支配人を常置する必要なしと為し、単に書記長以下書記若干をして常務を分掌せしむる事に決し、書記長には原合名会社製糸部長河杉信勇氏就任する事に内定したるやの噂あり