デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
2節 蚕糸・絹織業
3款 帝国蚕糸株式会社(大正九年設立)
■綱文

第52巻 p.390-397(DK520042k) ページ画像

大正10年11月25日(1921年)

是ヨリ先栄一、日米関係委員会ヲ代表シテ、渡米ス。是日、ニュー・ヨーク絹業協会副会頭ステリー主催ノ午餐会ニ出席シ、同協会会頭ゴールドスミス及ビ其他有力ナル絹業者ト、当会社持荷ノ生糸売却方ニツキ意見ヲ交換ス。是月二十七日、栄一、同地ヨリ当会社専務取締役今井五介ニ打電シ、市場ニ動揺ヲ与ヘザル程度ニ於テ当会社持荷ヲ漸次売却スベキ旨勧告ス。


■資料

大日本蚕糸会報 第三一巻第三六〇号・第六四頁 大正一一年一月 蚕界の人事並往来(DK520042k-0001)
第52巻 p.390 ページ画像

大日本蚕糸会報 第三一巻第三六〇号・第六四頁 大正一一年一月
    蚕界の人事並往来
△十月十三日○大正一〇年 子爵渋沢栄一氏・法学博士添田寿一氏・掘越善重郎氏渡米。
   ○本資料第三十三巻所収「第四回米国行」参照。


渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK520042k-0002)
第52巻 p.390 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一〇年         (渋沢子爵家所蔵)
十一月二十五日 曇 寒
○上略 十二時半当地○紐育絹糸業者ノ案内ニ応シテ、ステリー氏主催ノ午餐会ニ出席ス、ゴールドスミス、チニー及スキンナー、其他有力ナル絹糸業者十数名来会シ鄭重ナル宴会アリ、食卓上ステリー氏ノ挨拶ニ対シテ、生糸ニ関スル従来ノ経験ヲ述ヘ、更ニ日米両国ニ於ケル本事業ノ需要供給ニ付テ両者間ニ注意スヘキ要件ヲ演説ス、更ニチニー氏ノ華盛頓会議ニ於ル企望ニ答ヘテ、余ノ日米両国ノ国光親善《(交)》ニ関スル苦衷ヲ陳述ス 午後三時過散会帰宿○下略
   ○中略。
十一月二十七日 雨 寒
   ○本文略ス。
(欄外記事)
 ○上略
 昨年帝国蚕糸会社ニ於テ買取リタル生糸ヲ、目下ノ好況ヲ機トシテ徐々売却セラルル様忠告ノ電報ヲ今井五介氏ニ発ス、但横浜ノ原氏ト協議スヘキ事ヲモ申添ヘタリ
   ○中略。
十一月三十日 曇 寒
○上略
当地○紐育ニ於ル生糸業者ノ案内ニテ〔  〕《(原本欠字)》旅館ニ開催スル午餐会ニ出席ス、食卓上生糸業ノ発展歴史ヲ講演ス、午後三時帰宿○下略


竜門雑誌 第四〇七号・第三六―三七頁 大正一一年四月 ○渡米日誌 青淵先生(DK520042k-0003)
第52巻 p.390-391 ページ画像

竜門雑誌 第四〇七号・第三六―三七頁 大正一一年四月
 - 第52巻 p.391 -ページ画像 
    ○渡米日誌 青淵先生
○上略
 十一月○大正一〇年二十五日(金) 正午子爵及堀越氏は紐育絹業副協会長ステリー氏主催の午餐会に出席、日本生糸に関し来会の生糸業者と意見を交換したり
○中略
 十一月三十日(水) 正午子爵には堀越氏同伴、在紐邦人生糸業者の午餐会に出席し、一場の演説を試みられ○下略


大日本蚕糸会報 第三一巻第三六〇号・第七四頁 大正一一年一月 帝蚕売出に対する紐育市場の反響(DK520042k-0004)
第52巻 p.391 ページ画像

大日本蚕糸会報 第三一巻第三六〇号・第七四頁 大正一一年一月
    △帝蚕売出に対する紐育市場の反響
 在荷二万俵、消費二万五千俵、機屋持荷相当、帝蚕売出好評、市場に影響少く手堅きも、貴地の変化傍観の態度で取引減、日本維持せばつくならん。
 物価は年末と輸入品で下向の傾向(十二月十七日蚕糸中央会着)


大日本蚕糸会報 第三一巻第三六二号・第六九頁 大正一一年三月 人事彙報(DK520042k-0005)
第52巻 p.391 ページ画像

大日本蚕糸会報 第三一巻第三六二号・第六九頁 大正一一年三月
    人事彙報
○子爵渋沢栄一氏 米国より一月三十日帰朝。


竜門雑誌 第四一一号・第三九頁 大正一一年八月 ○側面より見たる青淵先生の米国旅行(三) 増田明六(DK520042k-0006)
第52巻 p.391 ページ画像

竜門雑誌 第四一一号・第三九頁 大正一一年八月
    ○側面より見たる青淵先生の米国旅行(三)
                      増田明六
○上略
 子爵の米国人に日本人の厚意を示さんとする御行動は、有らゆる方法に因りて顕はれて居りますが、紐育で絹業協会の会長《(マヽ)》のステリー氏に面会されました、紐育は御承知の通り日本の生糸界の大得意様でありまするが、主として日本の生糸を輸入致して居ります絹業協会会長ステリー氏に会談されまして、種々日本の生糸に関する談話を致しましたが、同氏は目下生糸が他の商品に比し著るしく高価なるは、横浜の帝蚕会社が其所蔵品を売出さゞるにあるを以て、此際子爵に之を売出す事を勧告せられたいとの意見を出しました、子爵は之を道理ある希望と賛成して、遥に電報を同社に寄せて勧告致しました、帝蚕も子爵の勧告に同意して之を売出しまして、相当の利益を収められましたが、此子爵の御行為は絹業協会員に将来の日本生糸取引に関して、非常の好感を与へた次第であります。


大正九、十年第二次蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編 第四五四―四六一頁 大正一三年一二月刊(DK520042k-0007)
第52巻 p.391-393 ページ画像

大正九、十年第二次蚕糸業救済の顛末 河杉信勇編
                      第四五四―四六一頁
                      大正一三年一二月刊
 ○後編 第七章 会社の持荷処分
    一、持荷処分の準備及び第一回持荷売却
○上略
十二日○大正一〇年一二月午前山本農相の私邸に於て会社の総務会を開き、既に知り得たる輸出商の引受け内意に付き報告し、左の決議を為せり。
 - 第52巻 p.392 -ページ画像 
      決議
一、市況の現状は当社持荷の内約二百万斤程度を此の際売却するを以て適当とし、其の実行に就ては之れを原・尾沢・渡辺三専務に一任する事に決議せり
  但し売却値段は大体時価を標準として約五・七十円方を割引することを得、又た其の荷渡は本年十二月より明年二月に亘る事を得
一、右の実行に就ては本来内規に基き重役会を開会すべき筈なれども、此の際其の暇なきを以て、本会臨席の農商務大臣内示の下に総務会に於て決定する事とす
    以上
 同日午後始めて本社に於て之れを発表し、左記の通知を一斉に内外輸出商に向け送付したり。
 拝啓 貴社益御繁栄奉賀候、陳者最近弊社持荷買受け御希望の旨申出され候向き甚だ少なからず、其取引数量を内示せられたる分にても既に相当多量に上り候次第に有之、就而は乍唐突此の際第一回売却を実行致候事に決定、別紙の要領により各位の御申込に応ずる様仕候間、何卒御承知置き被下、期日迄に御所要の数量御示し被下候様仕度、此段得貴意候 敬具
  大正十年十二月十二日         帝国蚕糸株式会社
    各輸出商宛
  追而売買御契約成立致候時迄は御同様便宜の為め内々にて取扱ひ候様仕度、併而御願致候
      第一回売却要領
 一、売却数量   二百万斤
 一、品種     当社持荷ノ内各種
 一、売却値段   別紙値段附ノ通リ
 一、受渡     本年十二月ヨリ明年二月ニ至ル間ニ於テ、買方ノ希望ニヨリ随時分割荷渡シスルコトヲ得
           但シ品位検査ハ買方ノ希望アル場合ニ限リ之ヲ行フコトヲ得ルモ、顕著ナル変質品ノ外ハ一切不合格トナサヾル事
           看貫ハ市場ノ習慣ニヨル
一、支払      代金ハ看貫後三日目ニ支払ヲ受クベキコト
一、買受申込ノ締切 本月十三日午前八時限リ希望ノ品種及ビ数量ヲ当社支配人宛親展書ヲ以テ申込マレタキ事
           但シ申込斤量ガ予定ヲ超過シタル時ハ其ノ割当ニ就テハ当社ノ任意タルベキ事
一、品目ノ選択   品目ノ選択ニ就テハ可成買方ノ希望ニ添フ様努ムベシト雖ドモ、大体当社ノ任意ト承知サレタキ事
一、買約ノ決定   買約決定シタル上ハ売買契約書ノ交換ヲ為スベキ事
    以上
 - 第52巻 p.393 -ページ画像 
  大正十年十二月十二日 帝国蚕糸株式会社
 備考
  第二回以後ノ売却ハ今後相当ノ時期ヲ置キ、且ツ其ノ数量モ少量宛ニ限リ残荷ヲ一時ニ売出サヾル予定ナリ
○中略
 之れより先き、米国に於ても当時在米中の渋沢子爵と絹業協会との間に、帝蚕会社持荷の処分に付き屡意見の交換行はれたり、即ち当時同協会々頭ヂエームス・エー・ゴールドスミス氏より同子爵宛書翰の抜萃左の如し。
 拝啓
 先以拝顔ノ栄ヲ得タルコトヲ無上ノ喜悦ト存居候、陳者予テ貴下ノ御提言ハ大ナル興味ヲ以テ拝聴致シ、且ツ深甚ナル尊敬ヲ払フモノニ御座候、尚大木氏ヨリ受取リ候貴翰難有拝見仕候、拙者ハ絹業協会ノポスト、ステーリ、スユワルツエンバツハ、三副会頭トモ会談仕リ候処、貴方ニ於テ帝蚕会社ガ其持荷ヲ徐々ニ処分致サルヽニ就テ最善ノ努力ヲ払ハレ、延イテハ米国絹業界ニ好影響ヲ齎ス様ノ御尽力被下候事ト当方一様ニ信ジ居リ候
 現時ノ紐育市場ニ於テ蒙リ居リ候投機的影響ヲ軽減スルニ足ルベキ手段ハ、何事ト雖モ斯界ノ為メニ直接且ツ永久ノ利益ヲ齎スノミナラズ、永久両国間ノ最上ノ利益ト相成可申候
 筆者ノ私見ヲ以テスレバ、帝蚕会社持荷ノ処分ノ如キハ徐々ニ行ハレザルベカラザルモノト存候、且ツ此意見ハ絹業協会員ニ在テモ亦タ同様ニ抱懐致居候 云々
  大正十年十一月二十八日
             ヂエームス・エー・ゴールドスミス
尚ほ此の売却と前後して子爵渋沢栄一氏より今井専務宛に
 「紐育絹業協会々員諸君ハ帝蚕ノ持荷ヲ此ノ際徐々ニ売却セラレンコトヲ希望シ居レリ、小生モ同意見ニテ、市場ニ動揺ヲ与ヘザル程度ニ於テ漸次売却スルヲ賢明ナル取扱ト思フ、浅田社長ト協議セラレタシ」(大正十年十一月廿九日紐育発電《(マヽ)》)
の旨十二月一日着電し、尚ほ十二月十三日着電を以て原専務宛に「今井氏ニ電報セシガ、此ノ際徐々ニ帝蚕ノ糸ヲ売出スヲ穏当ト思フ」旨の忠告に接し、又た十二月十四日着電を以て米国絹業協会のCheney. Goldsmith. Post.三氏連名を以て「徐々ニ帝蚕持荷ノ処分ヲ促ス」旨の忠告あり、会社は之れに対し翌十五日其の助言を感謝し且つ
 「今回ハ持荷ノ約半数ヲ二月末日迄ニ買方ノ希望ニヨル分割荷渡トシテ売却セリ、残荷ハ相当ノ期日ヲ経ルニアラザレバ売出サレズ、且ツ其ノ売却ハ市場ヲ害セザル適当ナル機会ニ於テ成ルベク幾度ニモ分割サルヽ筈ナリ」
と返電し、渋沢子爵へも亦た厚意を謝して答電する所ありたり。


日本蚕糸業史 第一巻 大日本蚕糸会編 生糸貿易史・第三八六―三八七頁 昭和一〇年二月刊(DK520042k-0008)
第52巻 p.393-394 ページ画像

日本蚕糸業史 第一巻 大日本蚕糸会編
               生糸貿易史・第三八六―三八七頁
               昭和一〇年二月刊
 ○第六章 第六期 波瀾重畳時代 第七節 第二次帝国蚕糸株式会社
 - 第52巻 p.394 -ページ画像 
    第五項 会社ノ持荷処分
 会社持荷の処分に関しては追々世人の注意を喚起し、株主及関係当業者より屡々問題とさるゝに至つた。延いて米国市場に於ても種々の取沙汰あるを以て、会社武藤専務の渡米を好機とし会社の実状及方針を説明すべきことを依嘱した。米国機業界も恢復著しく、消費旺盛となり在荷減少し、横浜市場も逐日売行を増し、在荷減少と共に糸価昂騰し、十二月七日には最優二千五十円、武州格二千円に達した。十二月一日着電在米中渋沢子爵より、絹業協会々員の意向を告ぐと共に、持荷漸次売却の忠言があつた。会社幹部は意を決し第一回売却を断行せんとし、山本農相を訪ひ内諾を求めたるに、農相も亦既に同一意見を蔵し居たるを以て直ちに承認を与へたれば、其の私邸に於て九・十両日間喜多日本綿花会社長・新井横浜生糸株式会社重役・井上三井物産支店長の来会を求め、売却の実を告げ協議を遂げた。十二日山本農相の私邸に於て会社の総務会を開き、持荷内二百万斤程度を売却することを決議し同日発表した。
 第一回売却品値段附は最優二、〇〇〇円より準八王子まで五円下り武州格一、九五五円、信州上一番一、九五〇円(白十四中及十五中)細糸白十止〆二、一五〇円、十中二、一三〇円、十半二、一〇〇円、十一中二、〇七〇円、十一半二、〇三〇円、十二中一、九九〇円の振合、特太は羽子板格以上のもの十四中より二〇円、其以下は四〇円値下げ、黄糸は白糸より一〇円値下げのことゝし、而して此の標準値段より各種共特に百斤に付五〇円宛の割戻を為すことゝした。翌十三日全部売行済となつた。即ち十二月二十三日より受渡に着手し、十一年三月二十三日を以て全く結了した。会社は横浜市場の規約に従ひ蚕糸貿易商同業組合の全部に受渡の仲介を委託し、売上手数料は特に軽減して代金の千分の三を支払ふことゝなつた。
 十一年三月に至り市場不振を極め相場続々下落し、二十日には武州格千六百円以下に落ち込みたるを以て、横浜売込問屋は左記の決議を為した。
 一、最優等格千七百二十円、信州上一番格千五百八十円以下売止の事
 二、定期市場へ実物を売繋ぐことを厳禁する事
 三、前記二項に違反する者に対しては生糸千斤に付二千円の違約金を徴する事
 四月に入り糸況漸次恢復し来れるを以て五月一日総務会を聞き、残荷の内輸出向き適品は大正十一年五月より始め一月平均二十万斤を成行値段極め、又は一定の値段極め、若しくは入札等の機宜の方法により漸次売却することを決議した。
 斯くて持荷第二回は大正十一年五月三日の月割売却を始め、九月二十六日の入札に終る二百二十三万余斤を以て全部結了を見た。○下略



〔参考〕大日本蚕糸会報 第三一巻第三六〇号・第六〇頁 大正一一年一月 大正十年蚕界回顧録 沈静より活躍へ蚕糸業界(DK520042k-0009)
第52巻 p.394-395 ページ画像

大日本蚕糸会報 第三一巻第三六〇号・第六〇頁 大正一一年一月
    大正十年蚕界回顧録
      沈静より活躍へ蚕糸業界
 - 第52巻 p.395 -ページ画像 
 本年の生糸貿易の情勢を見るに、前年よりの持越生糸は七万余梱の多きに達し、帝蚕の第三次買付ありしも依然沈静を呈して、定期市場は常に空廻りを続けしが、此大不況に鑑み、斯界に又々帝蚕事業助成金交付を政府に請願し、以て帝蚕の威力を益々発揮せしめて糸価維持に努めんと企画し、当局に要請する所あり、迂余曲折を経て漸く帝蚕損失補償三千万円契約の形となりて無事両院を通過したると、上海生糸損失の入電が好材料となりて糸況多少活気付けり、一方農商務省は内外財界形勢に鑑み、全国各府県に対し養蚕家の採るべき途に関し通牒を発する所ありたり、四月に入り八日定期市場漸く再開し一寸活況を呈せしも、忽ち不振に陥り、帝蚕第四次買付も市場を引立たしむるに至らず、五月末日限り帝蚕維持相場撤廃、六月より自由取引相場となれり、一面繭価の取引は当時の糸価に比し割高の値を告げたり、以後糸価は一高一低の状態なりしが、九月下旬より米国の買気付ける為漸次上向き、十月に入るや定期高に刺戟され現物愈高価を呈し、一時行閊へたるが直ちに恢復し、以後益々活躍を続けたり、十二月十二日には糸界に於ける大障礙物と迄唱へられたる帝蚕持荷半数売出の旨発表されたるも、別に悪影響なく底堅き成行を持続して越年したり。今横浜市場に於ける信州上一番・武州格の毎月の最高最低を左に掲ぐ。
(七月迄信州上一番=八月より標準糸は武州格に改めらる)

 月次  取引日    最高    取引日   最低
 一月より五月迄千五百円売上
               円           円
 六月  二十四日  一、四九〇  二十九日 一、四五〇
 七月  二日    一、四九〇  二十二日 一、四六〇
 八月  一日    一、四六〇  三十日  一、三九〇
 九月  三十日   一、五八〇  一日   一、三九〇
 十月  四日    一、六二〇  十九日  一、五三〇
 十一月 二十八日  一、八九〇  一日   一、五八〇
 十二月          ――          ――




〔参考〕大日本蚕糸会報 第三一巻第三六一号・第六三頁 大正一一年二月 蚕人冗語(DK520042k-0010)
第52巻 p.395-396 ページ画像

大日本蚕糸会報 第三一巻第三六一号・第六三頁 大正一一年二月
    蚕人冗語
 □帝蚕の第二回売出しが弗々紐育で行はれて居ると云ふやうな風説が市場に伝はり出した、帝蚕側は勿論否定して居るが、否定によつて事実が完全に打ち消さるゝならば否定程便利なものはない。爾し垣を隔てて角を見れば牛の居る証拠だ。噂はこれを産み出すに足る丈けの何等かの根拠がなくてはならない。殊に収獲の減少すべき筈の昨十年の本邦産繭額は、予想より三十万石も増加し、伊太利も些少乍ら増収であると、支那も江浙地方の不作は広東で取返して居る。故に不作の筈の十年度の世界蚕作は九年度の作柄よりも増収であつたと報ぜられて居る。加ふるに最近に至つて米国の生糸消費量が昨年の七・八月頃より一万俵に近い減少をして居る。これでは帝蚕が心細がるのも無理もないことで、従つて紐育へ弗々持出すと云ふことも万更ウソらしくも思はれない。
 □帝蚕の利益金が相変らず問題になつて居る。第二回の売上げが第
 - 第52巻 p.396 -ページ画像 
一回と同様の率としたならば、利益金丸一千万円にならう。この内で払込資本に対し一割の利益配当を行ふと、二ケ年で百六十万円だ。これを一千万円から差引くと八百四十万円になる。然るに帝蚕の定款に拠ると利潤の一割を重役の所得にすることが出来るやうになつて居るさうであるから、八十四万円は十人計りの重役に割振られることになるさうだ。帝蚕の設立は我蚕糸救済の為めに設けられたもので、単純の営利会社のやうに、ブルジヨアに土持をする目的でない。従つて株主配当にも一割以下と限定されて居るのだ、それを独り重役のみが多額の賞与を受けんとするが如きは理不尽の次第である。恐らく道理の解つた人達だから、一片の定款を楯に斯る行を演ずるものでもあるまい。若し法文の上から一旦は受けねばならぬことになつても、必ずやその全部を斯界公益の為めに提供することであらう。後藤東京市長はその当然受くべき二万五千円の俸給さへ公共の為めに提供して居るではないか、況や甘酸共に嘗め尽した帝蚕の重役だもの、必ず立派に辻褄を合せることを忘れぬであらう。



〔参考〕大日本蚕糸会報 第三一巻第三六二号・第五七頁 大正一一年三月 蚕人冗語(DK520042k-0011)
第52巻 p.396 ページ画像

大日本蚕糸会報 第三一巻第三六二号・第五七頁 大正一一年三月
    蚕人冗語
□帝蚕の寿命も余す所もはや六ケ月に過ぎない今日、残りの持荷を何と所分するであらう。若し定款を改めて更に継続するとなると一大物議を捲き起して、場合によれば会社の寿命より内閣の寿命にも関係するかも知れぬから、ウツカリした真似は出来さうでない。さうするとやはり糸況の恢復した所で、端境期の品払底を名として売出すのが予定の段取りであらう。第一回で八百万円をせしめて居る。最も先頃の総会で三百万円計の欠損を計上して居るが、八百万円は営業費を引き去つた純益だから、後の残品は千二百円位迄の安値に売応じても、猶出資額に対する一割の配当と、少なからぬ重役の慰労金とを計上することが出来るのだ。且その副産物としては、一ケ年を通じて必要である原料繭の安仕入が出来るのだから、願つたり叶つたりと云ふ寸法になる。恐らく第二回の売出しに於ける糸価が第一回同様であつたら、迷惑だと云はぬ製糸家は一人もあるまい。
□然し帝蚕創立の目的は独り製糸家救済のみではなかつたので養蚕家の救済も亦其の大目的の一つであつたのだ。殊に昨春議会を通過した三千万円損失補償の如きも、全国養蚕組合聯合会の後援がなかつたなら殆んど問題として成立せなんだのである。故に帝蚕は斯る恩義ある養蚕家を裏切り製糸家本位の売崩しを行らうとするならば、尾崎咢堂の演説集の表題ではないが「人間か禽獣か」と云つてやりたくなる。



〔参考〕日本蚕糸業史 第一巻 大日本蚕糸会編 生糸貿易史・第三八八―三九〇頁 昭和一〇年二月刊(DK520042k-0012)
第52巻 p.396-397 ページ画像

日本蚕糸業史 第一巻 大日本蚕糸会編
                生糸貿易史・第三八八―三九〇頁
                昭和一〇年二月刊
 ○第六章 第六期 波瀾重畳時代 第七節 第二次帝国蚕糸株式会社
    第六項 会社の解散
 会社は持荷全部の売了と共に興業銀行への借入金を返済することとし、最後期限の十二年十月十四日に先ち十一年一月十七日より同年八
 - 第52巻 p.397 -ページ画像 
月十九日までの間に三十二回に分ち全く返金し終つた。而して解散の上清算に就ての重役会を九月二十七日に開会し、利益金処分案を協議した。十二月一日株主総会を開き、決算報告・残余財産処分の件及会社解散の件を附議し原案通可決し、清算人として浅田・原・今井・若尾・武藤・渡辺の重役と河杉支配人の七名を挙げた。斯くて大正十二年三月二十一日清算事務結了を以て株主総会を開き、決算報告を為し玆に全く事務所を閉鎖した。大正九年九月二十五日の創立より丁度二ケ年半を以て終つた。左に会社創立以来収支の総決算を掲ぐれば

     収入の部                 支出の部
  種目      金額         種目          金額
                  円                       円
 売上代金 七八、六七六、八四一・〇〇 買入代金      六四、九八一、〇四一・三一
 (運送中の損害保険金を含む)
 収入利息    六四一、六八五・四八 支払利息       三、六三九、一七四・六九
 雑収入     一〇三、九一四・六三 買入手数料及販売諸掛費  五三三、七九三・四二
  合計  七九、四二二、四四一・一一 倉敷料及保険料      五七二、三一四・九二
                    荷造費及運送費      二五八、四一三・三七
                    常傭人夫賃         六五、〇〇七・九二
                    諸税           一八一、二二〇・九七
                    給料報酬及手当      三五八、三〇四・八〇
                    通信費旅費雑費       九五、九七六・五八
                    収益金        八、七三七、一九三・一三
                     合計       七九、四二二、四四一・一一

 而して会社の純益金八百七十三万七千百九十三円十三銭は、決議により左記の通り処分された。
           円
  一、六七一、二三一・五三 株主配当金
    四五〇、〇〇〇・〇〇 重役並に評議員慰労金
    五五〇、〇〇〇・〇〇 蚕糸業同業組合中央会寄附金
    二〇〇、〇〇〇・〇〇 横浜取引所及取引員組合寄附金
  二、一八六、一五九・六九 所得税総額
    六七七、七〇九・五〇 附加市税
      二、〇九二・四一 清算期間の経費中に組入
  一、二〇〇、〇〇〇・〇〇 生糸検査所拡張費として農商務省へ寄附金
  一、八〇〇、〇〇〇・〇〇 横浜に生糸絹物専用倉庫建築資金として農商務省へ寄附金
○中略
 会社解散当時現在株主名簿中を一覧するに、最大株主は今井五介一万四千百六十株を筆頭とし、此外片倉組一家の関係者七千三百株を加ふれば二万一千四百六十株に達す、其次ぎは原富太郎・小口今朝吉の各一万株とす、而して第一回帝蚕会社の株主とを比較すれば、今回は輸出商側も加入せることと製糸家の持株著しく増加せることである。
 以上縷述せる如く、第二次帝蚕会社は生糸貿易の波瀾曲折を極めたる時代に当り辛苦惨憺能く窮地に陥りたる蚕糸業者を九死の内より一生を得せしめ、意外の好成績を挙げ、玆に終りを全ふして生糸貿易史上に陸離たる光彩を放ちたるは特筆に価すべき空前の偉績と謂ふべきである。○下略