デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
2節 蚕糸・絹織業
4款 関東大震災焼失生糸問題
■綱文

第52巻 p.430-448(DK520044k) ページ画像

大正13年5月5日(1924年)

是日栄一、牧野忠篤・志村源太郎ト共ニ、東京銀行倶楽部ニ製糸家・問屋及ビ輸出商ノ各代表者ヲ招致シ、焼失生糸損害分担ニ関スル裁定書ヲ提示シテ其趣旨ヲ説明スルト同時ニ、生糸取引ノ改善ヲ期シ、且該損害ノ補塡ニ資スル為メ、製糸家及ビ問屋ノ協力ニヨル共栄蚕糸株式会社ノ設立ヲ勧告ス。


■資料

(志村源太郎)書翰 渋沢栄一宛大正一三年五月四日(DK520044k-0001)
第52巻 p.430-432 ページ画像

(志村源太郎)書翰 渋沢栄一宛大正一三年五月四日 (渋沢子爵家所蔵)
             (別筆朱書)
             大正十三年五月四日 志村源太郎氏書状
拝啓 生糸裁定発表之件明五日ニ御決定ニ付左記取計置申候
一 五日午前十一時
一 銀行倶楽部
一 午餐
就而は裁定書並ニ御説明の際御談話中ニ包括せしめ度要項別紙ニ差出候間、尚御一覧被下度願上候、書余は明日拝光を期候 草々頓首
  五月四日               志村源太郎
    渋沢子爵閣下
          侍史
(別紙)
   (別筆朱書)          (別筆朱書)
   確定              大正十三年五月五日発表
    裁定書
大正十二年九月一日ノ大震火災ニ依リ焼失シタル生糸ノ損害負担ニ関シテハ、当事者各自ノ損害ノ程度、従来ノ取引関係、平素ノ情誼等諸種ノ事情ヲ参酌シ、各自協定ヲ遂クルヲ適当ト認メ、其規準ヲ提示スルコト左ノ如シ
一、問屋又ハ銀行保管中焼失シタル生糸ノ損害ニ対シテハ、問屋ハ其二割ヲ負担シ、製糸家ハ其八割ヲ負担スルコトトシ、荷為替付ノモノハ壱梱ニ付弐百弐拾五円ヲ差引キタル残額ヲ製糸家ヨリ問屋ニ支払ヒ、無為替ノモノハ壱梱ニ付弐百弐拾五円ヲ問屋ヨリ製糸家ニ支払フコト
二、看貫済ノ後焼失シタル生糸ノ損害ニ対シテハ、輸出商ニ於テ其全部ヲ負担スルコト
三、引込中焼失シタル生糸ノ損害ニ対シテハ、輸出商及問屋ハ各其弐割ヲ負担シ、製糸家ハ其六割ヲ負担スルコト
四、焼失生糸ノ損害ニ関スル負担金ハ、看貫済ノモノハ五ケ年間ニ、其他ノモノハ八ケ年間ニ支払フコト
五、焼失生糸ハ品質ノ如何ヲ問ハス百斤ニ付弐千円トシテ評価シ、壱
 - 第52巻 p.431 -ページ画像 
梱ハ九貫目トシテ計算スルコト
六、火災保険金ノ支払ヲ受ケタルトキハ、看貫済ノ生糸ニ関シテハ輸出商ノ、其他ノモノニ関シテハ製糸家ノ損害補塡ニ充ツルコト
   ○第一項ノ計算方法ハ左ノ如シ(大日本蚕糸会ニ問合)
    生糸一斤ハ一六〇匁、百斤ニ付二、〇〇〇円ナラバ一梱九貫目ハ一、一二五円、一、一二五円ノ二割ハ二二五円。
     勧告
一、当事者就中製糸家及問屋ハ、此際生糸貿易ノ基礎ヲ鞏固ナラシムル為メ協力一致シテ共同販売組織ヲ設ケ、取引ノ改善ヲ図ルト共ニ販売上ノ経費ヲ節約シ、之ニ依テ焼失生糸ノ損害ヲ補塡スルノ途ヲ講スルコト
一、生糸検査ハ一定ノ標準ヲ定メ、且成ルヘク第三者ノ検査ニ依リ、取引ヲ為ス途ヲ講スルコト
    附言

一、本問題ノ如キ非常ノ天変地異ニ依リ起リタルモノハ、単ニ法律ノ規矩ニ依ラス、相互ノ事情ヲ斟酌シ、当事者間ノ協議ニ依テ解決スヘキモノテアルト認メ、只吾々ノ信スル所ニ拠リ其規準ヲ提示シ、当事者ニ於テ一日モ早ク相当ニ協定セラレンコトヲ望ム次第ナリ
一、一梱ニ対スル荷為替ノ金額及前資金ノコトハ、予メ相互間ニ協約モアルヘキ筈ト信シ、此点ハ相互ノ協定ニ一任セリ
一、損害負担金ノ償却年限ナトモ一応所見ヲ記シテ置キマシタカ、之ハ銀行トノ関係モアルコトナレハ、先ツ負担歩合ヲ決定シタ上テ、更ニ銀行トノ交渉ノ結果ニ依リ、利息ノ有無、期限ノ長短、支払ノ方法等一切之ニ順応スヘキモノナリト思考ス
一、銀行トノ交渉ニ就テモ、必要ノ場合ニハ吾々モ応分ノ御助力ヲ致シテ差支ナイト思フ
一、勧告ノ事項ハ将来生糸貿易ノ改善ニ就キ最モ必要ノ事ト信ス
 生糸品質ノ統一向上ヲ図ルコト、糸価ノ安定ヲ図ルコトハ之レマテ多年唱ヘラレタコトテアルカ、之ヲ実現スルニハ共同販売ノ方法ヲ設ケテ改良上一定ノ方針ヲ樹テ、格付ヲ慎重ニシ、又販売ニ付テモ無用ノ競争ヲ避ケ、且ツ経費ノ節約ヲ講スルコトカ最モ急務テアルト考ヘル、而シテ此組織ハ製糸家・問屋ヲ中心トスルハ勿論、輸出商モ亦之レニ加ハルモヨロシイ、其組織ハ大体共栄会社案ニ準拠シ然ルヘク修正シタラ宜シカラウト思フ
 幸ニ諸君ノ協力ニテ此組織カ出来レハ、政府ニ於テモ多分相当援助スル意嚮テアラウト思フ、吾々モ亦必要ノ場合ニハ及フタケ尽ス考ヘテアル、又此場合ニ於テハ、裁定ニ記載シタル問屋又ハ銀行保管中及引込中焼失シタル生糸ノ損害ニ対スル製糸家・問屋及輸出商ノ負担歩合ノ点ハ、当然此組織ニ依リ全ク別個ノ方法ヲ以テ解決セラルヽ次第テアル
 又生糸検査ノコトハ、其方法区々ニシテ一定ノ標準カナイヨウテアルカ、之レハ宜ロシク一定ノ標準ヲ極メテ、売買双方トモ之ヲ承知シ、之レニ拠テ取引スルコトカ必要テアル、而シテ之ヲ検査スル者ハ成ルヘク公正ナル第三者ヲ適当トス、即一言ニシテ言ヘハ完全ナ
 - 第52巻 p.432 -ページ画像 
ル国立又ハ組合立ノ検査所カ責任ヲ以テ検査ノ衝ニ当ルヨウニスルカ最モヨロシカラウト思フ
*欄外別筆
[渋沢子爵ヨリ御附言の要項(新聞記者ニ渡す見込)


焼失生糸問題ノ件(DK520044k-0002)
第52巻 p.432-433 ページ画像

焼失生糸問題ノ件             (渋沢子爵家所蔵)
    共栄蚕糸株式会社
      綱要
一問屋及製糸家ハ共存共栄ノ精神ヲ以テ斯業ノ発達ヲ計ランガ為メ、特ニ政府ノ援護ヲ得テ資金供給ノ途ヲ講ジ、且焼失生糸ノ損害補塡ニ資スル事
二右ノ目的ヲ達スル為メ問屋及製糸家ニ於テ株式会社ヲ組織スル事
三会社ノ資本金ハ差向キ壱千万円トシ、之レヲ拾万株ニ分チ問屋・製糸家ニ於テ適当ニ之ヲ引受クル事
  但シ資本金四分ノ一ノ払込アルトキハ直ニ開業スルヲ得ル事
四会社ハ左ノ事業ヲ営ム事
 イ、製糸家ニ対シ其産出ノ個数ニ応シ、問屋又ハ地方銀行ノ裏書ニ依リ繭買入資金ヲ貸出ス事
 ロ、生糸ヲ保管スル倉庫業
 ハ、問屋ニ対シ生糸ヲ担保トシテ貸出ヲ為ス事
五会社ノ利益配当ハ当分年八分ニ止メ、其残余金ハ焼失生糸ノ金高ニ割合問屋及製糸家ニ交付スル事
六政府ハ産業保護奨励ノ目的ヲ以テ金参千五百万円ヲ低利ヲ以テ満十ケ年間会社ニ貸下ラレ、前数項ノ目的ヲ達成セシムル事
  附一切ノ租税ハ免除セラレタキ事
      資金勘定
        入方
 金弐百五拾万円       資本金四分ノ一払込高
 金参千五百万円       低利貸下ゲ金
   合計金参千七百五拾万円
        出方
 金百五拾万円        倉庫建築費、営業所トモ
 金参千五百万円       繭買入資金トシテ製糸家ニ前貸
 金百万円          横浜ノ出荷ニ対シ問屋ヘノ貸金
   合計金参千七百五拾万円
      収支計算
        入ノ部
 金四拾五万六千弐百五拾円  倉庫料 志村氏ノ調ニ由ル
 金参百五拾万円       製糸家貸金利子 年壱割ノ割
 金拾万円          問屋貸金利子 年壱割ノ割
 金拾五万円         生糸担保再割引千五百万円ノ利鞘
                年壱分ノ割
   合計金四百弐拾万六千弐百五拾円
        出ノ部
 - 第52巻 p.433 -ページ画像 
 金参拾万円         営業費 壱ケ月弐万五千円ノ割
 金参拾参万円        倉庫経費 志村氏ノ調ニ由ル
 金百七拾五万円       政府貸下金利子 年五分ノ割
   合計金弐百参拾八万円
 差引
   金百八拾弐万六千弐百五拾円
        内
    金九万千五百円 法定準備金
    金弐拾万円 株主配当金
      〆金弐拾九万千五百円
   ○右内訳、合計ニハ誤脱アリト推セラル。(固定資本償却金五万円カ)
  差引残 金百四拾八万四千七百五拾円
 右金額ヲ焼失生糸四万弐千六百九拾梱ニ対スル損書補塡金ニ充当、即チ壱梱ニ付参拾四円七拾八銭ニ当ル


集会日時通知表 大正一三年(DK520044k-0003)
第52巻 p.433 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年     (渋沢子爵家所蔵)
五月五日 月 午前十半時 志村・牧野氏ト御会見約(銀行クラブ)


中外商業新報 第一三七〇八号大正一三年五月六日 焼失生糸損害分担額裁定提示 渋沢子其他調停者から(DK520044k-0004)
第52巻 p.433-434 ページ画像

中外商業新報 第一三七〇八号大正一三年五月六日
    焼失生糸損害分担額裁定提示
      渋沢子其他調停者から
        五日当業者の各代表を招いて
焼失生糸問題解決の仲裁者たる渋沢・牧野両子並びに志村氏は五日午前十一時丸の内銀行クラブに今井・佐野・大久保(製糸家側代表)、渡辺・原・渋沢○義一・小野・小島・井上(横浜問屋側代表)、岡田・(輸出商側代表)の諸氏を招き、焼失生糸損害分担に就て三氏が作成した別項裁定書を提示し、その諒解を求むる所あつた、しかして右会合の席上、先づ渋沢子爵は別項勧告書および附記を補足して、同日の会合の趣旨並びに焼失生糸問題解決の仲裁役を引き受けた事情、並びに今日までの経過に関し大要左の如く述べた
 自分は焼失生糸問題のみの解決を以て満足するものでなく、これを解決すると同時に、現在における横浜生糸取引の改善を計る必要があると認め、その意味の下に志村氏の手で共栄蚕糸会社設立案を作成されたのである、しかして同案は勿論政府の援助に待たねばならぬものであつて、これに就てはわれわれ仲裁者がしばしば政府当局と交渉を重ねた、今日までの交渉経過は有望で大体右案に基いて資金の融通を受くるものと信ずるが、未だ確然たるものでない、然るに時期はいよいよ新繭出廻期に接近し、資金の融通期も目前に切迫して来たから、この際これを至急解決せねばならない、あへて同案に対し関係当業者諸君の賛同を望むところである、若しこれに対し反対せらるゝにおいては、自ら問題の解決は多大の支障を伴ふが故に、諸君の決心を促すため取敢へず、裁定書を作成提示したのである、しかして余は政府との交渉を大体今日を以て打切りとするが、従来の関係上諸君が賛成せらるゝならば今後も出来得る限り尽力す
 - 第52巻 p.434 -ページ画像 
る考である
次に志村氏も今日まで関係当業者との交渉経過に就て報告あり、殊に過般銀行クラブにおいて銀行側代表者との会見の結果に就て同日において特に賛否を徴さなかつたけれど、大体異存なく諒解を得た積りであるとの旨を詳細述べ、これに対し横浜側の原富太郎氏は
 兎に角われわれ当業者はこの裁定書に対して敢て反対するものでなく、むしろ絶対に服従せねばならぬと思ふ、併し一方共栄蚕糸会社案の実行は、焼失生糸の善後のみならず、生糸取引の将来にも関係することなれば、先づ裁定書を承認するに先立ち至急共栄蚕糸会社案に就て関係当業者の態度を決する必要があると思ふ
との意味を述べた、その結果横浜問屋側は帰浜後直に組合員に報告し改めて会議を開いて態度を決することゝなり、また製糸家側は来る十三日蚕糸中央会において委員会を開催し、その上回答することゝし、午後三時散会した
○中略
    横浜問屋協議
      各個人で研究後
      組合の態度決定
別項焼失生糸問題解決に関する裁定書の提示を受けた横浜問屋側代表は帰浜し、午後四時より組合有志総会を開き、渡辺氏より詳細の説明をなし、若し疑義を生じた場合には六日午後蚕糸中央会の高島主事が来浜するから質問せられたしと報告した後、更に協議を進めた結果、右はすこぶる重大問題であつて、我々有志は一朝一夕にして決定し難いから今後各個人として十分研究することを申し合せて散会した


竜門雑誌 第四二九号・第七三―七四頁大正一三年六月 ○焼糸問題裁定書提示(DK520044k-0005)
第52巻 p.434-435 ページ画像

竜門雑誌 第四二九号・第七三―七四頁大正一三年六月
○焼糸問題裁定書提示 大震災の為め焼失せる六千余万円の生糸問題に関する善後策は、製糸家・問屋・輸出商・銀行家等纏綿せる関係より、容易に解決の曙光を見ること能はざりしが、三月二十九日、同問題に関する損害分担の裁定に就き、牧野忠篤子・志村源太郎両氏が青淵先生と会見の上、其の仲裁方を懇請せるに依り、先生も心好く之を応諾せられ、爾来其措置に就き屡々会合を催し一方ならず尽力せられつゝありしが、五月五日、先生・牧野・志村三氏は東京銀行倶楽部に今井・佐野・大久保(製糸家側代表)、渡辺・原・渋沢○義一・小野・小島・井上(横浜問屋側代表)、岡田(輸出商側代表)の諸氏を招き、三氏に於て作成したる別項裁定書を提示して其の諒解を求むる所ありたるが、右会合の席上、先生は別項勧告書及び附記を補足して、同日会合の趣旨並びに焼失生糸問題解決の仲裁役を応諾したる事情及び今日迄の経過に関し、大要左の如く述べられたる由。
 自分は焼失生糸問題のみの解決を以て満足するものでなく、これを解決すると同時に現在に於ける横浜生糸取引の改善を計る必要があると認め、その意味の下に志村氏の手で共栄蚕糸会社設立案を作成されたのである、しかして同案は勿論政府の援助に待たねばならぬものであつて、これに就てはわれわれ仲裁者がしばしば政府当局と
 - 第52巻 p.435 -ページ画像 
交渉を重ねた、今日までの交渉経過は有望で大体右案に基いて資金の融通を受くるものと信ずるが、未だ確然たるものでない、然るに時期はいよいよ新繭出廻期に接近し資金の融通期も目前に切迫して来たから、この際これを至急解決せねばならない、あへて同案に対し関係当業者諸君の賛同を望むところである、若しこれに対し反対せらるゝにおいては、自ら問題の解決は多大の支障を伴ふが故に、諸君の決心を促すため取敢へず裁定書を作成提示したのである。しかして余は政府との交渉を大体今日を以て打切りとするが、従来の関係上諸君が賛成せらるゝならば、今後も出来得る限り尽力する考である云々。
○下略


蚕糸業同業組合中央会史 同会編 第四四一―四四二頁昭和七年一二月刊(DK520044k-0006)
第52巻 p.435-436 ページ画像

蚕糸業同業組合中央会史 同会編 第四四一―四四二頁昭和七年一二月刊
 ○第三章 事業概要
    第十四節 関東大震火災の善後協議
○上略
 玆に於て志村氏は当事者は勿論法律家・学者・技術者等各方面の意見を調査参酌し、裁定案を作成し、四月一日渋沢・牧野両子と渋沢事務所に会合して大体に就き意見を交換し、四月八日再び渋沢子爵邸に於て協議の上其意見全く一致せり、然れども之に対し政府の諒解を得て援助を求むるの必要を認め、三氏は翌九日清浦首相及前田農相・勝田蔵相を首相官邸に訪問し、裁定に応じたる事情及裁定書の内容を詳説して、国家経済の消長に大関係ある蚕糸貿易に対し、政府より相当の保護あらんことを要請したり、然るに其後勝田蔵相病気の為め鎌倉に転地し、加ふるに志村氏亦九州及山陰地方に旅行せられたるを以て委員諸氏は裁定の遷延を惧れ、渋沢・牧野両子を始め当局を訪問懇請したれども、政府の方針容易に決せず、志村氏は此状況を憂ひ旅程を短縮して四月二十一日急遽帰京し、或は日銀当局を訪問し、或は主なる銀行家と会見して共栄会社案を説明し、又渋沢子と共に屡々首相・蔵相其他政府当局に対し進行を促す等大に努力せられ、政府の意嚮も略ぼ決定したるが如く認めらるゝを以て、五月三日三裁定者会合の上五月五日銀行倶楽部に於て裁定書を発表する為め特別委員を招致することに決したり、生憎総選挙の期日切迫の為め委員中上京不可能なる者多く、当日出席したるは三裁定者の外製糸家側よりは今井・大久保・佐野の三氏、問屋側よりは、原・渡辺・渋沢○義一・小野・小島・井上(定)・河杉の七氏、輸出商側よりは岡田氏等十一名に過ぎず、渋沢子より、焼失生糸の損害負担歩合等に付、吾々三人の見る所を玆に開陳すると共に、蚕糸貿易改善に関し、当業者各位の考慮を煩し度く勧告を試みたしとて其所以を述べ裁定書を交付し、志村氏は裁定を為すに付、各位の意見を尊重したるは勿論、法理関係は之を乾博士に問ひ、充分慎重審議を尽したること、及焼失生糸の損害負担歩合を決したのみにては、未だ全く之を解決したりと云ふべからざるを以て、将来生糸貿易を改善発展すると共に、損害をも補塡すべき方法を案出実行するの必要を認め、一種の勧告を為すに至れりとて詳細に之を説明し、
 - 第52巻 p.436 -ページ画像 
渋沢子は更に勧告の目的は共栄会社の設立に在る旨を告げ、且此案とても元より幾多の欠点あれども、私共には此外に案なきを以て、当業者に於て適宜に修正して実行し得るよう改善せられたく、又此勧告を為すに際し、予め政府の援助を懇請したれども、今尚ほ其確答を得ざるは深く遺憾とする所なりと附言せり、之に対し原氏より対銀行関係に付質す処ありたれば、志村氏は銀行家よりは何等の依頼を受けざるを以て、吾々は之れに容喙する能はざる旨を答ふる所あり、原氏一同に代り謝辞を述べ、今井氏は共栄会社案に対する態度を決せざれば、銀行との交渉も進捗し難きに付、之を先決問題となすべしと説き、当日は玆之にて散会し、横浜側は翌日より直に共栄会社案の調査研究に入り、製糸家側は総選挙後五月十三日会合協議することゝなせり。
○下略


中外商業新報 第一三七〇九号大正一三年五月七日 焼失生糸処分問題 その解決は焦眉の急務(DK520044k-0007)
第52巻 p.436-437 ページ画像

中外商業新報 第一三七〇九号大正一三年五月七日
    焼失生糸処分問題
      その解決は焦眉の急務
昨秋の震災以来、久しく懸案となつて難関してゐた焼失生糸の損害処分問題も、このほどやうやく具体化し来つて、損害の分担については渋沢子の裁定にまつこととなり、同子は五日その裁定書を発表した。それによると、問屋または銀行に保管中焼失した生糸の損害については、問屋がその二割、製糸家がその八割を負担することとなるのである。
右裁定案に対する当業者の賛否は尚ほ不明であるが、この問題についての斡旋奔走者であつた前記渋沢子並に志村氏が当業者の窮状について深き理解を持ち、かつ慎重な考慮を払つた苦心のほどは何人もこれを察しなければなるまい。けだし裁定案を作つて損害の分担を定めたばかりでなく、志村氏の提案した共栄蚕糸会社の計画によつて、生糸取引の改善を図ると同時に焼失生糸の損害を漸次補充せしめ、以て会社の名称通り、当業者の共栄共存の実を挙げしめんとする努力に向つては、当業者も衷心の感謝を表して然るべきであらう。われらは当業者が一たび斡旋者の誠意に思ひを致せば、損害分担に対し、よしや多少の不平があつても、それは忽ち雲散霧消する筈であり、また蚕糸会社の計画に対しても、進んで賛同する筈であると信ずるのである。
かりに蚕糸当業者の何れもが、かくの如き態度を示すものとすれば、残る問題は政府当局と銀行業者の態度であるが、計画さへ完全無欠のものであつて、しかも当業者が一致協同の誠意を以てこれに当るものとすれば、わが国主要産業の不時の災厄を救済する意味において、政府が三・四千万円の低資を融通することは必ずしも不可能ではあるまい。銀行業者もまた当業者を窮迫せしめては、資金の回収を図るに由なき事情を百も承知のことだらうと思ふのである。かく考へ来ると、今回の蚕糸救済案の如き、多少の波瀾があつても結局は解決すべき性質のものであらう。がしかし、今や春蚕季節に入つたのであるから、この際、新糸季節に対する凡ての準備施設は最も急を要する問題である。われらは各方面の関係者が自己の利害に囚はれず、わが蚕糸界と
 - 第52巻 p.437 -ページ画像 
云ふ高所大局から考へて、一日でも一刻でも早く救済案の成立せんことを望んで已まないのである。


中外商業新報 第一三七〇九号 大正一三年五月七日 共栄蚕糸会社に対し横浜問屋難色あり 態度決定に先立ち準備討議(DK520044k-0008)
第52巻 p.437-438 ページ画像

中外商業新報 第一三七〇九号 大正一三年五月七日
    共栄蚕糸会社に対し
      横浜問屋難色あり
        態度決定に先立ち準備討議
横浜蚕糸貿易商組合は、焼失生糸解決の一策として志村氏の立案せる共栄蚕糸会社の設立に対する態度を決定する準備として、六日午前十一時高鳥中央会主事を組合事務所に招き、案の内容につき詳細説明を求め、その疑点をたゞすところあつたが、問屋には極めて重大なる利害関係を存する問題とて、各問屋の代表者を始め各輸出商代表者並びに各店員等多数
 列席 した、先づ共栄会社の設立が我蚕糸取引に及ぼす影響について懇談を重ねた後、共栄蚕糸会社設立要綱に関する逐条審議に移り、論議の中心は右要綱の第六たる
 会社の利益配当を当分年八分に止めその残余金を焼失生糸の損害補償に充つること、但し一半は損害額に、他の一半は生糸出荷数に按分すること
 焼失生糸の損害補償完了したる後は、前項残余金の一半を生糸出荷数に応じて株主たる委託者に割戻し、他の一半を株主に配当すること(製糸家は本項の補償を為す外に、その焼失生糸に関する債務額に応じ出荷一コホリに付若干の積立を為すこと)
に集中したるの観があつた、即ち同項に基き製糸家は焼失生糸の
 損害 の一部を負担し補償するも、問屋の為替引受金及び前貸資金の未返済分等の残金を如何にして始末するや不明である、殊に会社が全然無力であるが故に、問屋は営業権譲渡後右残金の回収を困難とするに至るべく、また問屋は総ての債権債務を会社に譲渡するものでないから、営業権引渡し後自家に好都合なる時期において、製糸家に対し債権の強制執行をなすが如きことあらば、会社の存立を危からしめるおそれもある、更に会社は蚕糸界改善を標榜して所謂不健全なる製糸家を淘汰する方針なる以上、これ等製糸家に対する債権を
 回収 不能におちゐらしむる恐れもある、これらの点に対し会社が如何なる考へを有するかは質問の大部分であつたが、その点に対しては立案者に何等の考慮なかつたものゝ如くである、現に説明者は私案として共栄会社の姉妹会社を設立せば可ならんとの意見を提出したが共栄会社に依りて営業を継続し得る製糸家に対しては可ならんも然らざるものに対しては何等の効力なしとの反対意見も出で、うやむやに終つた、次に問屋側は廃業後における従業者失業に対する処置に関し何等条項の存せぬことを挙げて論じたが、輸出商側はほとんど
 発言 せず、唯会社の首脳者を得ることが困難で、若しその人選を誤らば、非常なる混乱を招来することを恐れて居るやうな口吻を洩らしたに過ぎなかつた、これにて大体の質問を終り、組合員は七日午前十時より更に会合し研究することゝし、午後三時半散会した
 - 第52巻 p.438 -ページ画像 
   ○右記事中ノ「要綱の第六」ハ、前掲渋沢子爵家所蔵資料「共栄蚕糸会社綱要」ニアリテハ第五。


集会日時通知表 大正一三年(DK520044k-0009)
第52巻 p.438 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年        (渋沢子爵家所蔵)
五月七日 水 午後二時 日本銀行市来・木村両氏ト御会見ノ約(日本銀行)


中外商業新報 第一三七一〇号大正一三年五月八日 共栄会社の成否と生糸金融の疏通 日銀対策に苦心す(DK520044k-0010)
第52巻 p.438-439 ページ画像

中外商業新報 第一三七一〇号大正一三年五月八日
    共栄会社の成否と
      生糸金融の疏通
        日銀対策に苦心す
本年の生糸金融疏通の前提となり、また焼失生糸善後の一策たる共栄蚕糸会社組織の大綱は既報の通りであるが、これに対する当業者側の
 態度 はまだ明白に決定せざるも、趣旨においてこれに賛成の意向を有するものゝ如くである、然れどもさて実行となれば製糸家と問屋との間は勿論、あるひは製糸家相互若しくは問屋相互の利害関係が一致せぬ点を生じはせぬかといふので、その成立に疑惑を抱くものが増加し、延いて本年の生糸金融の前途にも不安を深からしめて居る、これに対する市中有力銀行及び日銀当局者の意向を聞きて綜合するに、共栄蚕糸会社の成立は焼糸損失処分を解決し得るに止まらず、生糸取引の改善に資するところも少くない、従つて銀行としては同社の成立に固より賛成であるけれども、かやうに利害関係の錯綜せる重大問題を一挙にして解決するは容易に望み得ないのである、然るに
 眼前 に繭仕入時期を控ゆる今日漫然共栄蚕糸会社の成立を期待し問屋・製糸家間の大問題となつてゐる焼失生糸問題の解決を遷延するときは、銀行は問屋及び製糸家に対し生糸の焼失に依る資金の回収不能となれるものを如何に処理すべきやについて取りきめをなすことが出来ず、その結果本年の生糸金融を手控るのやむを得ないことゝなる恐れありとて、速かに同問題の円満解決を要望してゐる、しかして損失分担額が決定すれば、銀行は事情の許す限り昨年の生糸貸付金の回収を猶予すると共に本年の新資金貸付に対しても便宜を供する意向を有してゐる、もつとも市中銀行としては製糸家及び問屋の信用を度外視する貸付をなし得ないので、生糸の焼失に依り製糸家及び問屋の
 信用 が傷つけられ居るは、それだけ本年の生糸金融に欠陥を生ずる筈である、即ち日銀はその欠陥に付き十分の注意を払ひ、本年の生糸金融は阻害を来させぬ方策を研究中であると
    焼失生糸問題と日銀態度
      相当の尽力を渋沢子に言明
渋沢子爵は既報の如き焼失生糸問題の仲裁者として活動して居るが、七日午後二時同問題に関して日本銀行に市来総裁・木村副総裁を訪ひ共栄会社案に就て詳細説明し、現に製糸家及び横浜輸出商側の回答を待ちつゝある旨を述べ、日本銀行としての意向を徴した、然る処両氏は大体にその仲裁案に賛意を表し、資金の点に関しては相当の配慮をなすべきを答へたと
 - 第52巻 p.439 -ページ画像 
    共栄会社案に修正希望
      横浜問屋態度
横浜蚕糸業貿易商組合は前日に引続き七日午後より会合し、共栄蚕糸会社設立案について審議した、当日の協議は極秘に附して居るのでその内容を知ることが出来ないが、一般に原案の儘では賛成が出来かねるも、さりとて政府の低利資金を借出すには政府の信用を得るに足る機関を設けねばならぬのであるから、組合幹部で修正案を作成したる上にて、更に協議を進むることになつたであらうと観察せられてゐる


集会日時通知表 大正一三年(DK520044k-0011)
第52巻 p.439 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
五月八日 木 午後一時 渋沢義一氏外数氏来約(事務所)
五月九日 金 午后三時 焼生糸問題ニ付渋沢義一氏・牧野子爵ト会見ノ約(銀行クラブ)


中外商業新報 第一三七一二号大正一三年五月一〇日 新繭資金問題の解決に渋沢子動く 横浜問屋側代表と会見結果 本日市来総裁と懇談(DK520044k-0012)
第52巻 p.439-440 ページ画像

中外商業新報 第一三七一二号大正一三年五月一〇日
    新繭資金問題の
      解決に渋沢子動く
        横浜問屋側代表と会見結果
          本日市来総裁と懇談
渋沢・牧野両子及び志村氏の仲裁者に依り作成された焼失生糸損害負担裁定及び共栄蚕糸会社の設立案に対し、横浜問屋側中には既報の如く製糸家に対する前貸金及び為替立替差金の回収不能懸念や、失業者の救済方法その他種々なる点において、直に賛成し難しとの意見を有する者多く、容易に全体としての態度を決定し難いものある、さりとて同問題を未解決のまゝ
 放任 し置くにおいては、一方目せうの間に迫れる本年春繭資金の融通に多大の支障を来し、蚕糸界に重大なる波紋を描がくべきを以て他に何等かの方法なきかとの点において横浜問屋側の有志代表者渡辺渋沢○義一、河杉・井上の諸氏は九日午後三時丸の内銀行クラブで渋沢・牧野両子に会見し、種々懇談する所あつた、しかして横浜問屋側代表者は前記前貸金及び為替立替へ差金の回収不能、問屋業務の廃止について憂慮すると共に、共栄蚕糸会社の如きトラスト類似の機関を設くるに対する米国絹業家の思惑も懸念されるので、暫く共栄会社案を保留し、新繭資金融通の道を解決する前提として焼失生糸の損害負担
 裁定 には絶対に服従し、あはせて新繭資金の融通に就て別項金融会社案をほのめかし、仲裁者の援助を乞ふた模様である、これに対し渋沢子は、過般勧告通り共存共栄の精神に基いて共栄蚕糸会社案に賛成を求めたる後、従来の行き掛もあるから、問屋側の意の在る所に基いて新繭資金の融通方法に就て何等かの良策を見出だすべく、更に改めて他の仲裁者とも相談すべきことを回答し会見を終つた由である、しかして右の結果、渋沢子は目下私用にて名古屋方面に旅行中である志村氏に至急帰京方の電報を発し、また差詰め十日午前十時半市来日銀総裁を訪問し
  懇談 する手筈を定めた、右に就て渋沢子は大要左の如く語つた
 - 第52巻 p.440 -ページ画像 
横浜問屋業者諸氏は共栄蚕糸会社案に従つて、古い歴史を有する問屋業務を廃することは、問屋自身に取り重大問題で、にわかに態度を決し難いのも無理のない次第であるが、今日の現状から見て何とかこれを解決せねば、他日に悔を残すものと云ふべきである、併し差当り共栄会社案が纏まらないとせば、春繭資金の融通に多大の困難を生じ、延いてわが蚕糸界全体の重大関係をもたらすおそれがあるから、自分としては他の仲裁者とも相談し、かつ一方市来日銀総裁や児玉正金頭取その他関係各方面の有力者とも懇談して、何とか解決方法を講ずる考へである
    蚕糸金融会社を設立して
      新繭資金難解決
        銀行間にも賛意ある計画出現
焼失生糸問題を解決すると同時に、横浜の生糸取引改善を目的とする共栄蚕糸会社設立案の実行は、種々困難の事情もありて、既報の如く順調の推移を疑問とされるに及んだ、然るに新繭資金の出廻り期がここもと眼前に迫つて来て居るに拘らず、問屋並びに製糸家の資力がいちじるしく減退してゐる際とて、関係銀行側は何等かの方法を講ずるにあらざれば、従来通りの資金供給を肯ぜざる有様である、されば昨今問屋筋においては、焼糸問題とは切り離して問屋並びに製糸家を中心とする蚕糸金融会社を設立し、政府より低利の資金を仰ぐと同時に従来の蚕糸関係銀行よりも資金を吸収して、以て新繭資金を賄はんとする計画をたてつゝあるといふ、しかして同案ならば比較的機宜に適したる案であるとて、銀行家間にはこれに対し相当の考慮を払ひ賛成する者もある模様であるから、近く焼糸問題及び共栄会社とは全然別個の蚕糸金融会社の実現を見るやも測り難いと


中外商業新報 第一三七一三号大正一三年五月一一日 焼失生糸問題を切離し新に解決策を立案 渋沢子等日銀当局と会見結果(DK520044k-0013)
第52巻 p.440-441 ページ画像

中外商業新報 第一三七一三号大正一三年五月一一日
    焼失生糸問題を切離し
      新に解決策を立案
        渋沢子等日銀当局と会見結果
焼失生糸問題の調停者たる渋沢・牧野の両子爵は十日午前十一時日本銀行を訪問して、市来・木村の正副総裁に会見し
 横浜問屋側は焼失生糸の損害分担に関する裁定案を諒承したが、勧告案たる共栄蚕糸会社設立案に付ては容易に賛否の意見を決定し難い事情がある、従つてこれが決定を留保して置くが、差当り製糸資金の融通方に付いて御考慮を願ふと同時に、若し外に名案がある様なればそれも併せて御伺ひしたい
旨を述べた、これに対し市来・木村の正副総裁はこもごも
 共栄蚕糸会社の方は急速に解決することが出来ないとしても、焼失生糸の損害処分はこの際是非とも裁定案に依つて何等かの解決を付け、現在の債務の処理を済した後でなければ、新糸資金に対する相談に応じやうもない、従つて何等かの方法によつて焼失生糸の処分問題を先決すれば、銀行は相当資金貸出を為すであらう
との意向をもらしたとのことである、そこで目下名古屋地方へ旅行中
 - 第52巻 p.441 -ページ画像 
の志村氏は十一日夜帰京の筈であるから、十二日の午前中渋沢・牧野・志村の三調停者は会合協議の上、午後三時から横浜問屋側を招致し何分の返事をする予定であると


都新聞 大正一三年五月一一日 渋沢・牧野両子日銀総裁訪問 十二日横浜側と会見(DK520044k-0014)
第52巻 p.441 ページ画像

都新聞 大正一三年五月一一日
    渋沢・牧野両子
      日銀総裁訪問
        十二日横浜側と会見
焼失生糸問題の裁定者たる渋沢・牧野両子は十日午前十時半日本銀行に市来・木村の正副総裁を訪問し約一時間に亘りて会談する処あつたが、横浜側は志村氏不在の為め直に回答することを避け、十一日中には同氏も帰京するので十二日午前中王子の渋沢子邸に会合協議を遂げ同日午後三時横浜側の代表者に上京を求め蚕糸中央会に於て会見し、日銀との交渉顛末を回答する筈である、従つて日銀正副総裁との会見内容はその時まで極秘に附されてゐる、仄聞する処に依れば新糸資金の融通は焼失生糸処分問題を前提とするものであるから、焼失生糸問題に対する方策の確立を見ざる限り融通困難なる旨の会議が行はれた模様である


集会日時通知表 大正一三年(DK520044k-0015)
第52巻 p.441 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年        (渋沢子爵家所蔵)
五月十二日 月     志村・牧野両氏来約(アスカ山)
                        時間未定


中外商業新報 第一三七一五号大正一三年五月一三日 焼糸損失分担 先決勧告 新繭資金融通で渋沢子問屋側に(DK520044k-0016)
第52巻 p.441-442 ページ画像

中外商業新報 第一三七一五号大正一三年五月一三日
    焼糸損失分担
      先決勧告
        新繭資金融通で
        渋沢子問屋側に
焼失生糸問題に関する渋沢・牧野・志村の三調停者は、十二日午前九時から滝の川の渋沢邸に会合して、先日横浜問屋側から勧告案たる共栄蚕糸会社案が頗る重大な問題で、容易にこれに賛否の態度を決定し難いから暫く留保し、新繭の出廻りも目睫の間に迫つて来たことに鑑がみ、この際何とか新繭資金の供給方に付いて尽力を煩はしたいと申出たのについて如何なる回答をなすやを打合せた上、午後四時二十分から丸の内の銀行クラブで渡辺文七・渋沢義一氏等外八名の問屋側と会見して種々懇談する所あつた、右に関し渋沢子爵は語る
 先日横浜問屋側から共栄蚕糸会社案にはふれずに、此際何とか新繭資金の心配をして貰ひたいとの申出でがあつたから、日銀当局を訪問して色々相談して見た所、新繭資金の融通と云つても先決問題として焼失生糸問題を解決し、何とか旧債務の形を付けなければ、どうとも話のしやうがないとのことであつたから、今日問屋側へその話しをしたのである、それで問屋側は焼失生糸に対しては充分責任を感じて居るが、損失金に対する銀行側との交渉を吾々の手だけでは取まとめが付きさうにもないから、調停者において交渉して貰ひ
 - 第52巻 p.442 -ページ画像 
たいとのことであつた、併し此点に付いて何等の依頼も受け居ない調停者が交渉すると云ふことは、順当を欠いて居ることであるから当業者をして交渉せしめることにして別れた云々


東京朝日新聞 第一三六三一号大正一三年五月一五日 共栄会社の趣旨により製糸家が別案作製 共同販売会社設立計画(DK520044k-0017)
第52巻 p.442-443 ページ画像

東京朝日新聞 第一三六三一号大正一三年五月一五日
    共栄会社の趣旨により
      製糸家が別案作製
        共同販売会社設立計画
十四日製糸家・問屋会見後、更に製糸家側丈けで共栄会社案に対する態度を協議した、表面上は横浜問屋側が同案に対して態度を決せざる以上、製糸家側は態度を決し兼るとするのであるが、実際は関東及び東北の製糸家委員は共栄会社案で進むことに決議まで為し来つて居るのであつて、全委員が共栄会社案に賛成し、若し横浜側が斯くの如く同会社案に賛成しないならば、製糸家側は養蚕家・蚕種家と提携し単独に共栄会社案と趣旨を同じくする共同販売会社を設立し、生糸取引の改善を実現しやうと云ふに決した、而して過般長野に於ける全国蚕糸業者大会の決議を齎して、今井・工藤・網野・小口(村)・馬場・瀬黒・杉山の七氏が、当日午後一時より四時までに首相及び農相を夫々官邸に訪ひ陳情した際、首相及び農相から共栄会社案に対する話の出たに対し
 製糸家 側は明かに
 我々は共栄会社案に共鳴するものである、之れによつて新糸資金の解決を為すと共に、生糸取引の改善を実現せんと願ふものである、しかるに横浜側が態度を決せない為め、独り製糸家ばかりでなく養蚕家及び一般経済界に非常な不安を与へられるに至つてゐる、依つて出来ることなら他に何等か共栄会社に代る案を製糸家に於いて作製し、共栄会社の趣旨とする改善を期したいつもりである、その成案を得た際には共栄会社に対すると同一の援助を仰ぎたい
と陳情する処あつた、之に対し
 両大臣 とも
 生糸取引の改善は今日必要である、而してその改善は共栄会社によるを以つて最も策の得たるものと思つてゐた、諸君が何等か取引改善の案を提出されるならば、政府としては之を援助するに吝なるものではない
と答へる処あつた、斯く政府の諒解を得る処あつたるを以つて、午後四時半から裁定者たる渋沢子を訪ひ、裁定の労を謝すると共に大臣に述べたと同様の希望を述べ、共栄会社の趣旨に従つて製糸家側で別案を作製する諒解を求める処あつた、尚十五日は志村・牧野両氏を訪ひ同様の諒解を求めると共にその具体案の作製に取掛る筈である
    裁定案実行の
      通知変更
製糸家側が十三日の協議の結果、裁定案を基準として各自問屋側と協議解決することに決し、其旨地方製糸家に通知することにしたに対し同日夕方に至り横浜問屋側から、同問題に付き目下銀行側と八箇年無
 - 第52巻 p.443 -ページ画像 
利息の条件にて交渉中であるが、其点に付き製糸家の誤解を招いては不可なる故、但書を添附することを要求する処あつた為め、改めて十四日横浜問屋及び製糸家委員は蚕糸中央会に会見、左の如く但書を加へ修正して各地方製糸家に通知することに決した
 焼失生糸の損害に関する当事者間分担割合決定に付、先般常務委員より渋沢子・牧野会長・志村副会長に裁定方依頼致候処、去る六日中央会報告の通り裁定及勧告有之候、就ては勧告事項は暫く之を措き損害分担に付ては該裁定を規準とし此際各自問屋側と協議の上解決することに相成候間、至急貴組合員へ御通知相煩度此段及御依頼候、追て銀行に対しては目下横浜貿易商同業組合より金利及年限等に関し交渉中の旨申出有之候間申添候也


集会日時通知表 大正一三年(DK520044k-0018)
第52巻 p.443 ページ画像

集会日時通知表 大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
五月十六日 金 午後二半時 勝田蔵相ヲ御訪問(同官邸)
        午後三半時 清浦首相ヲ御訪問(同官邸)
五月十七日 土 午后一時  横浜生糸問屋代表ト今井五介氏等十数人来約(事ム所)
五月二十日 火 午後四時  原富太郎・渋沢義一両氏来約(事務所)


東京朝日新聞 第一三六三四号大正一三年五月一八日 製糸家の威嚇で共栄会社案蒸返し 志村氏にたしなめらる(DK520044k-0019)
第52巻 p.443-444 ページ画像

東京朝日新聞 第一三六三四号大正一三年五月一八日
    製糸家の威嚇で
      共栄会社案蒸返し
        志村氏にたしなめらる
製糸家側が強硬な態度を示し、若し横浜側が共栄会社案に賛成しないならば製糸家丈けで別案を作製し、生糸取引の改善を為すと共に新糸資金の途を講ずると暗に威嚇的態度を示すに至つた為め、態度決定を遷延してゐた横浜側は俄に態度を変へ
一、一梱に対し荷為替六百円迄保証するものを二百円増加し八百円まで増加すること
一、右の二百円は年二十五円苑八箇年間に製糸家より支払ふこと
一、前項以外の前貸金は問屋が全然営業を廃止した際取立て困難となるが、問屋に代つて会社が取立てに尽力すること
一、失業者に十分なる手当を与へること
等の条件を提出し、之さへ容れられるならば共栄会社案に大体賛成する旨提案した、之に対し製糸家側も大体諒解した、しかし裁定案に変更を加へる事であり、又政府に向けての運動は裁定者の援助を仰がねばならぬことである故、兎に角裁定者に諮ることにしやうと云ふことに決した結果、十七日午後問屋・製糸家の代表者として渋沢義一・小野哲郎・渡辺俊三・今井五介・大久保佐一・小口善十の諸氏は先づ渋沢子を訪ひ陳情したるに、渋沢子は共栄会社の内容に就ては志村氏と相談されたしと答へたる為め、次で志村氏を訪ひ以上の如き内容の変更に対して諒解を求めると共に、同修正案に基いて政府に対し低資融通の運動をされたしと重ねて依頼する処あつた、しかるに之に対し志村氏は
 - 第52巻 p.444 -ページ画像 
 共栄会社案の内容を、当業者が実際に照らして変更されるに対しては、何等異存を申すものではない、諸君の御随意である、しかしその修正案に従つて政府へ運動してくれと云ふ点に付いては、私は既に他に案なしと共栄会社案を提出してゐるので応じ兼ねる、又この問題は諸君自身の問題であつて人事ではない、諸君が切実に解決を望むならば、何時までも人に依頼せず、最後の案を確定しそれによつて諸君自身政府に当つては如何
との意味の言葉を以て政府へ交渉の点は拒否する処あつた、そこで製糸家は、しからば更に協議した上何分の態度を決しようと云ひ置いて引取つた


中外商業新報 第一三七二〇号大正一三年五月一八日 新繭資金と日銀対案 渋沢・志村両氏の意見を俟つ(DK520044k-0020)
第52巻 p.444 ページ画像

中外商業新報 第一三七二〇号大正一三年五月一八日
    新繭資金と日銀対案
      渋沢・志村両氏の意見を俟つ
焼失生糸善後の問題が漸次解決の方向に進んでゐる間に、本年の新繭資金の供給を如何にするやの問題は、また各方面の注意を惹いて居るが、製糸家側はこの際何とかして低利資金の供給を得るため、問屋側が不賛成ならば製糸家だけで共栄会社を組織せんとする運動を起してゐる、然しその成立が急速に望み難い故、日本銀行は本年の製糸金融について大に考慮を払つてゐるけれども、格別の名案もなきものゝ如く、先づ地方銀行に対する貸出しを容易にすること、また乾繭を担保とする指定倉庫を増加すること等に付き大に研究を重ぬる一方、他に何等か適当の対案を得るために、過般来製糸家と問屋の間に立ち種々あつ旋の労を採れる渋沢子及び志村氏の報告を聴取し、最善の方法を講ずる筈であると


読売新聞 大正一三年五月一八日 焼糸及び新糸 融資問題(DK520044k-0021)
第52巻 p.444-446 ページ画像

読売新聞 大正一三年五月一八日
    焼糸及び新糸
    融資問題
      一
 昨秋の震災に因る各般の損害塡補は、復興の促進を主眼とする政府の努力から、不十分ながら兎に角も各方面へ資金の融通され尚ほ引続き融通されむとしつゝある。約七千万円の焼失生糸に対しても之が損害補塡に資する為め、重要産業保護の見地から、これ亦応分の融資をなすと政府当局は言明した。一方蚕糸業者側に於ても之を機会に蚕糸取引上の制度組織を根本的に立てなほし、時勢に適応した制度を開始して在来の国内的競争の弊をため対外的に一大勢力をなさむとの趣旨から、所謂仲裁案即ち昨今問題となりつゝある共栄蚕糸会社案なるものを作成した。
      二
 然るに飽くことを知らざる問屋側では、該案の趣旨に不満足なりとして焼糸損害の単独解決を主張するに至り、製糸家側はまた該案の趣旨を是なりとして、遂に製糸家対問屋側の直接交渉となり、其結果は問屋側の譲歩となつて該案の骨子に多少の修正を加へ、兎に角も大勢
 - 第52巻 p.445 -ページ画像 
に順応して共栄会社の設立に協力するやの気運を馴致するにまでにたち至つた。蓋し問屋側が共栄会社案に反対する所以は、共栄会社の資本は製糸家・問屋を通じて夫々資力に応じて按分的に払込ましめ(実際上は政府の融資が大部分を占むる)而かも従来問屋の行ひたる売込み先約等の業務は挙げて会社一手に之に当り、之より生ずる利益の一部を以て政府融資の償還に充当しようと云ふのであるから、相当資力ある問屋に取つては融資其物はありがたけれど、従来の問屋業務をはくだつさるゝ結果となり、随つてまた従来の如く巨額な利潤を占むること不能となるので、爰に共栄会社案の快諾を躊躇するにたち至つたものと解せらるゝ。
      三
 併し吾人の見を以すれば、問屋側の反対あると否と拘らず、時代の大勢は生糸の如き生産の大部分を輸出品として仕向けらるゝ重要商品の取引を幼稚なる多数の問屋制度に委し置くことを不可能とする、其主なる理由は(イ)問屋間に如何に協定があつても、双互間に競争のある以上どうしても外商に乗ぜらるゝ機会が多い。従つて問屋の私経済的に有利な場合でも公経済的に不利な場合が尠くない。(ロ)労力に対する利益の割合から打算するに、蚕糸業全般を通じて養蚕家・製糸家・問屋の順であつて、憐むべき養蚕家の計数と比較するならば、問屋の利益は天地雲泥の差だ。依つて商取引より生ずる利潤を製糸家・養蚕家にもなるべく均霑せしむるやうにすることは、とりもなほさず蚕糸業の隆盛を招来する所以でもあり、時代の経済観念にも適順する訳である。(ハ)外国との商取引にはどうしても夫々対手国の商慣習や人情風俗を呑み込み機略を縦横に伸ばさなくてはならない。之には問屋の如き小機関が分立するよりも完全な一箇の大機関が備はるに如かない。(ニ)本来時勢の要求は生産者から消費者への直接取引を理想とする。併し現時の我が製糸家の大多数には断じて其知識を有しない。夫れ故に直接に取引上の利害に共通せしめ漸次頭の開拓にも資せしめるのである。(ホ)是と同時に問屋側も現に製糸家に資金を供給して、製糸家の死命を制して居る関係から推し、問屋も亦製糸家の繁栄を庶幾する点に於て、共栄会社の如きを中心として製糸家と同座するが得策である。何となれば問屋が自己の計算に於て製糸家に恒例の融資をなすよりは、大機関から各製糸家の生産能力に応じて公平に融資することが出来るからである。而も問屋が製糸家からの出荷を独占するの意味から従来融資が恒例になつて居つたものとすれば、今後は右様の気苦労と苦肉策は不要となる。など数へ来ればまだ幾等もある。
      四
 叙上の事由からして吾人は共栄蚕糸会社案は我が蚕糸業界に進一歩の課程を齎すものとして賛意を表する。併し細目に於て各関係者の得心のゆくまで研究することは無論必要であらう。唯だ玆に吾人の疑問とするのは、政府及金融当路者が焼糸問題を解決しなければ新糸資金を融通せぬと言明した一点にある。事務取扱の順序から云へば先の事件たる焼糸問題を片着け、然る後ちあとの事件たる新糸資金の問題に移るが当然であらう。だが焼糸問題は畢竟跡かたづけであり葬式であ
 - 第52巻 p.446 -ページ画像 
る。新糸問題は新しき建設であり出産である。葬式を済まさゞれば出産すべからずと云ふは無茶である。況や政府当局は焼糸に対する融資は産業保護の見地から之をなすと言明した。夫れ程産業の保護に熱心ならば、当に生れんとしつゝある新繭資金問題をこそ先づ急速に解決するが其目的に副ふ所以であらねばならない。然るに過去の事件たり跡かたづけたる焼糸問題を第一義とするが如きは、余りに主客顛倒の甚しきものと断ぜざるを得ない。
      五
 本来理論的に言ふならば、焼糸に関する融資そのものすらも尚ほ大に研究の余地ありとする。何となれば、生糸業者が国庫の融通を受けて、諸他の産業に比し幾多の利益を獲たことは既に一再にして止まらない。夫れ故に尚ほ此上にも厚き保護を加ふると云ふことは、我が蚕糸業をして永遠に一本立ちをなし得ざらしむることゝなるを惧るゝからである。我が産業の大宗である生糸業がいつまでも所謂インフアント・インダスツリーの境涯を脱し得ないのは、当業者が事ある毎に政府を頼りにすることが大に与つてゐると信ずるが故である。然るに今度の融通問題に就て正面から右の論拠で反対しないのは、一は震災後の我が経済界の復興に一助たらしめ、且つは共栄会社の如きを設立して蚕糸業界に一大改革をもたらし、以て根本的のたてなほしをなすの大に可なるを認むるからである。
 生糸の大敵たる人絹は量に於ても質に於ても圧倒的勢力を以て襲来してゐる。最近紐育市場に現れた人絹は光沢・伸度・強力及び価格に於ても天然生糸を凌駕した事実さへある。吾人は此機会に於て我が蚕糸業者が公私の為めに小異をすてゝ大同し、斯界の為めに一層奮起努力せんことを切に希望してやまない。


読売新聞 大正一三年五月二〇日 蚕糸業者の反省を促す(DK520044k-0022)
第52巻 p.446-447 ページ画像

読売新聞 大正一三年五月二〇日
    蚕糸業者の
    反省を促す
      一
 共栄蚕糸会社案に対する問屋側の態度は、当初仲裁者に無条件で裁定方を依頼したに似ず、益々反対の気勢を高め、今日の所では別項横浜電話の報ずる通り愈々共栄案を離れて焼糸の損害善後及新糸融資問題を解決することゝなり、製糸家また問屋側に引きずられて行くこととなつた。吾人は仲裁者の面目問題などに捉らはるゝものではないが一昨日も論じた通り経済界の大勢から観て此際生糸取引機関に大改革を加ふることは、国民経済上何よりも必要である。此見地から今度の機会を脱さず実質に於て共栄会社同様の一大取引機関を創設し、現行問屋組織の如き小機関の分立を避けたいと思ふのである。
      二
 何故に生糸取引を一大機関の下に専掌せしむるを以て、国民経済上策の得たるものとなすかと云ふに、(一)如何なる品質でも品質優良なものを出来るだけに安価に売捌くの必要なことは言ふ迄もないことだが、わけても生糸に就ては人造絹糸と云ふ恐るべき強敵が現はれて
 - 第52巻 p.447 -ページ画像 
来て居るので一層痛切に其必要を感ずる。殊に最近の人絹は織物の縦糸にも使用し得るやうになつたのであるから、従来のやうに生糸との混織を一縷の頼みとしていつ迄も楽観するを許さない状況となつた。夫れに人絹の強味は何としても価の低廉な点にあるのだから、生糸にしても今後は価格の点に就ては品質問題以上に考慮しなければならない。(二)夫れには無論養蚕家・製糸家を通じて幾多の点に生産費の低減をはかる必要はあるが、売捌きの方法に就ても亦大に之が費用を軽減する必要のあることは論ずるまでもないことである。夫れには現在の二十数軒ある生糸問屋を打つて一丸となした形とすれば、第一に経営費の上に於て若干の節約が出来る。従てまた生糸一梱に対する売買手数料も幾分軽減し得ることゝなる。其上に現在のやうに高率なコムミツシヨンを取らないで済むことゝなる(共栄会社は問屋丈けの集団ではなく製糸家も加はるのであるから、問屋側の希望するやうな売込上の高率な利潤は必然製糸家側が肯んじないと思はるゝから)。乃でまた売捌価格の上に夫れ丈け影響し安くなるのは理の当然であらう。
      三
 斯く考へ来ると、生糸の売価を低廉ならしめる上に、差当り最も明白で且つ有効な事柄は売捌き機関の改善と云ふことにあるは疑問の余地はない。是れほど明白な結果を齎らすべき共栄案に対して、問屋側が何故反対するかを推測するに、共栄会社の設立に参加し問屋としての暖簾代として五十万円宛給付を受くることは、一寸有利なやうであるけれども、結局ボロイ商売を根コソギ奪取さるゝのであるから、五十万円位ゐの目腐れ金に有りつくことは考へものだとの慾望からであると思ふ外に、如何しても他に適当な反対理由を見出すことが出来ない。素より私経済的立場を尊重することも必要であるけれども、公経済上から観れば右様な理由では殆ど問題にならない。殊に大慾は無慾に似たりで、此際蚕糸業の根本的発展策に資するところが無ければ、近き将来に於て養蚕家・製糸家等と共にとも倒れとなるやうな機会の到来に遭遇せぬとも限らぬ。
      四
 而も他の小産業ならば、仮りに右様な場合があつても尚ほ忍ぶべしとするも、我が産業界の代表的なものである丈けに、其利害の及ぶところ単に蚕糸業者だけに止まらないのであるので甚だ始末が悪るい。夫れ故に此機会を利用して問屋側も国際経済てふ立脚点にたつて是非進退を決することを勧告したい。と云つて吾人は決して共栄会社其物に膠着せよと言ふのではない。唯だ共栄案は吾人の理想とする所と甚だ相似たるものがあるから、夫れに賛意を表したるまでゝある。従て名称や形式などは如何でもよい、数日来説き来つた趣旨を体現するやうな実質に於て生糸取引を遂行するやうに力めたいと主張するのである。邦家の為めに重ねて全蚕糸業者の反省を促す所以である。


東京朝日新聞 第一三六三七号大正一三年五月二一日 焼糸始末 漸次進捗の模様(DK520044k-0023)
第52巻 p.447-448 ページ画像

東京朝日新聞 第一三六三七号大正一三年五月二一日
    焼糸始末
      漸次進捗の模様
 - 第52巻 p.448 -ページ画像 
焼失生糸の銀行対問屋の償還条件が既記の如く協定されたので、原富太郎・渋沢義一・小野哲郎の三氏は問屋側を代表して廿日午後三時先づ農商務省に長満農務局長を訪ひ、玆に至つた問題の経過及償還具体案の内容を説明し
 この上は当初の如く三千五百万円の低利資金融通に就て援助を仰ぎ度い
旨を依頼して辞去し、次いで午後四時渋沢子を訪ひ、政府当局に対すると同様の報告を為したる後
 共栄会社案は差し迫る新糸資金の問題には到底間に合ふべき見込みがないから、先づ共栄会社の設立に関する事項は後日に譲り、当面の問願としてはこの償還案により度い、而してその償還に充当すべき資金は共栄会社案と等しく低利資金の融通を受け度いから、政府及日本銀行当局の承諾を得るやう援助を仰ぎ度い
旨を陳情した、之れに対し
 渋沢子爵 は
 新糸資金の考慮も必要と思ふが、尚ほその案に就ては裁定者たる志村・牧野両氏とも協議して然るべく尽力しよう
と答へたので三氏は午後五時辞去した、而して渋沢子は二十一日午後志村・牧野両氏と会同協議を遂げ、問屋側の償還案が可能なりといふに一致すれば、政府及び日本銀行当局とも懇談し急速に解決すべきやう努力する意嚮だといふ、尚問屋側の意嚮を察するに、政府の低利資金は便宜上正金銀行に貸付を望み、之を新繭その他の蚕糸資金に運用することによつて各問屋が特に受くべき利益金を各自が償還の資源として債務を履行し度いといふにある、而して問屋側各自の融通信用を平均ならしむるの必要が起らば、シンヂケートの態様をとるかも知れぬと見られる