デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
5節 製糖業
1款 大日本製糖株式会社
■綱文

第52巻 p.511-512(DK520061k) ページ画像

明治42年7月13日(1909年)

是月十一日、当会社前社長酒匂常明死去ス。是日栄一、遺族ヲ弔問シ、且葬儀ニ参列ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK520061k-0001)
第52巻 p.511 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年       (渋沢子爵家所蔵)
七月十一日 晴 暑
○上略 午飧後○中略新聞記者数人来リテ、酒匂氏死去ノ事ニ関シテ談話アリタリ○下略
  ○中略。
七月十三日 曇 暑
○上略 午前十一時麻布霞町ニ酒匂氏ヲ訪ヒ、弔詞ヲ述ヘ○中略午後三時酒匂常明氏ノ葬儀ニ会ス○下略
  ○中略。
七月十九日 晴 大暑
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、押川農商務次官ノ来訪ニ接シ、故酒匂氏ノ遺族ニ学資ノ募集ニ関スル事ヲ協議ス○中略夜十一時王子ニ帰宿ス、後馬越恭平氏ト電話ニテ酒匂氏遺族ニ学資寄附ノ事ヲ談ス
○下略


東京経済雑誌 第六〇巻第一四九九号・第三―四頁明治四二年七月一七日 酒匂農学博士の自殺を悼む(DK520061k-0002)
第52巻 p.511-512 ページ画像

東京経済雑誌  第六〇巻第一四九九号・第三―四頁明治四二年七月一七日
    酒匂農学博士の自殺を悼む
農学博士酒匂常明君は、故乗竹粛堂君同郷の友人にして、我が東京経済学協会員なり、余輩は博士とは大に経済論を異にせりと雖、其の人物の正直にして、人格の高潔なることは、之を認めて私に畏敬せるものなり、日糖会社の破綻は内外の株主中に幾多の損失破産者を生ぜしめたるのみならず、債権者にも損失と憂慮とを与へたるを以て、怨恨は元重役たりし被告人等に集まり、知ると知らざるとを問はず、之を
 - 第52巻 p.512 -ページ画像 
憎悪せざるものなし、独り酒匂博士に対しては、日糖会社の社長たるに拘らず、其の犯罪に関係ありと信ずるものなく、裁判所亦博士を拘禁せんと企てたることなし、博士の性質人格が一世に認識せらるゝにあらざるよりは、奚ぞ斯の如くなるを得んや、而して博士は日糖会社との関係は不明を以て始まり、不明を以て終りしものと為し、其の不明の全責任を一身に負ふて自殺を遂げたり、是に於て世を挙げて博士の境遇に同情し、其の高潔なる処決に対して嘆賞と尊敬とを払はざるはなし、余輩亦世人と感を同うせずんばあらざるなり、
抑々会社に重役たる者の如きは、多くは利益を是れ事とするものにして、渋沢男爵が仮令耳順の齢に達したるにもせよ、老ひて益々钁鑠たるの身を以て、多数重役の地位を辞したるか如きは、到底普通の重役には得て望むべからず、見よ世間重役の兼任を攻撃するものは多しと雖、其の攻撃に従ひて辞任したる者は果してあるか、恐くは攻撃を逞うせるものと雖、重役兼任の地位に立たしむれば、忽ち心機一転すべきなり、今夫れ磯村・秋山等の如き日糖旧重役は、利益を図るの点に於ては尤物と謂はざるべからず、然るに社長の椅子を空しくして、酒匂博士を迎へたるものは何ぞや、是れ之に依りて会社の紊乱を蔽はんとしたるに過ぎず、而して彼等に欺かれたる者は独り博士のみならず博士を推薦したる阪谷蔵相も、日糖に放資したる株主も、日糖に金融を与へたる銀行者も、将た日糖の納税を猶予したる大蔵省も、凡て彼等の為に欺かれたるものなり、故に博士の不明は博士特有の不明にあらずして、天下共通の不明なり、然るに独り不明の責任を負はざるべからざるは、単に当局者たるが為のみ、而して磯村・秋山等をして大胆にも一世を欺かざるを得ざるに至らしめたるものは、前期の桂内閣及び西園寺内閣の増税政策と、台湾総督府の糖業保護政策なりとす、夫れ我が邦は糖業に於て天賚を有するものにあらず、粗糖を海外より輸入して精糖を製造し、以て差利を益せんとするが如きは、実に憫むべきの工業なり、然るに此の工業に向ひて苛重なる戦時税を課したるを以て足れりとせず、更に戦後に至りても之に増税し、而して台湾総督府は其の増税を軽課して、内地に於ける砂糖の販路を蚕食したるものなれば、日糖は立つこと能はざるの窮境に沈淪せり、是に於てか或は戻税法の継続に於て、或は糖業の官営に於て、議員に運動を開始したるは、実に会社の運命之に係りたるが為なり、如何なる窮境に立つも犯罪を敢てせざるべからざるの理由はなかるべし、故に犯罪は其の制裁を免かるべからずと雖、彼等は順境に在りて犯罪したるにあらず窮境に立ちて犯罪したるなり、司法上の問題としては、犯罪を糺さゞるべからず、然れども経済上・政治上の問題としては砂糖消費税の苛重と台湾糖業の保護とを攻撃せざるべからず、而して余輩は、酒匂博士が非常なる保護論者にして、而して之が為に窮境に立ち、不知案内なる事業に関係して、他の欺く所となり、終に自殺せざるを得ざるに至りたるを遺憾とし、深く博士の境遇に同情を表せざるを得ざるなり