デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
10節 化学工業
1款 大日本人造肥料株式会社
■綱文

第53巻 p.136-150(DK530026k) ページ画像

大正12年1月12日(1923年)

是ヨリ先、当会社及ビ関東酸曹株式会社・日本化学肥料株式会社ノ三会社合併ノ議アリ、大正十一年十二月二十二日、栄一、三会社代表者ヨリ合併比率・合併ノ方法・新会社ノ資本金及ビ重役員数ノ四綱目ニ関シ裁定ヲ請ハル。是日栄一、渋沢事務所ニ三会社ノ代表者ヲ招致シテ、裁定書ヲ手交ス。

尚、五月二十三日、栄一、当会社重役中ヨリ合併後ノ新会社重役ニ選任セラルベキモノ七名ヲ推薦ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一〇年(DK530026k-0001)
第53巻 p.136 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一〇年       (渋沢子爵家所蔵)
三月二十三日 晴 寒
午前七時起床、入浴朝飧ヲ畢リ、堀内明三郎氏来リ人造肥料会社ノ事ヲ談ス○下略


(増田明六)日誌 大正一一年(DK530026k-0002)
第53巻 p.136-137 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一一年      (増田正純氏所蔵)
十一月二日 木 雨午後晴 定刻出勤
午前中○中略大日本人造肥料会社の営業状態の件ニ付古田中正彦氏の来訪ありて○下略
   ○中略。
十二月廿七日 水 晴
午前十時古田中正彦氏事務処ニ来訪す、昨夜大日本人造肥料の課長級のもの数名会し、三社合同談ニ付き協議したるが、合同の上ハ社員の減員を行ふべきも、大日本ニ於ける苫米地支配人ハ依估の扱を為す人なるニ付、彼の言のミを容るゝハ将来の為め職員の不平不一統を来す根原なれハ、此旨渋沢子爵ニ申上けんと思ふが書面ニ依るべき哉、又ハ増田を通して申通すべき哉、孰レが可なる哉と之問なりしかば、小
 - 第53巻 p.137 -ページ画像 
生ハ諸君の進言が苫米地又ハ二神専務の耳ニ入りても聊か差支無しと之決心なれハ、其孰れニ依るも可ならん、渋沢子爵ハ公平無私の方にて諸君より何なりと提案あれバ之を直ニ先方ニ移し、其正しきを取り悪しきを去る事を命セらるべし、斯る場合ニ諸君の希望が万一当を得さるときハ、勢ひ其職を去る《(ら)》さるべからさるニ至らんも難斗、特ニ子爵ハ現時孰れの会社の重役にもあらす、人事の問題なと持込まれても親ら決定する位置ニあらされハ、兎ニ角小生ニ於て参考として聴く事とし、其子爵ニ取次くべき事ハ取次くべし、取次くべからさる事ハ諸君ニ於ても諦められたしと談話し置きたり
○下略
   ○中略。
十二月三十一日 日 晴
○上略
午後五時半、田中栄八郎・二神駿吉諸氏子爵を来訪、先般来三肥料会社合同の件ニ付至急子爵の合併案を定められたしと之懇請あり、子爵ハ渡辺得男氏を自己の助手として之ニ参列を命セられた○下略


集会日時通知表 大正一一年(DK530026k-0003)
第53巻 p.137 ページ画像

集会日時通知表 大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
十二月廿四日 日 午前十時 田中栄八郎其他来約(飛鳥山邸)
   ○中略。
十二月三十日 土 午後三時 田中栄八郎氏ト御会見ノ約(兜町)


中外商業新報 第一三二三〇号 大正一二年一月五日 肥料会社合同の計算書 渋沢子の手許に(DK530026k-0004)
第53巻 p.137 ページ画像

中外商業新報 第一三二三〇号 大正一二年一月五日
    肥料会社合同の計算書
      渋沢子の手許に
大日本人造肥料・関東酸曹及び日本化学肥料会社の合同談は其後順調に進捗し、既に三社の計算書は渋沢子爵の手許に提出されたさうであるが、同子が最近微恙の為め未だ裁定には取掛らないが、何れ一両日中には関係者一同同子を訪問懇談する筈であると云へば、今後突発的な故障の起らない限り、同問題は近く何とか解決を見るであらう、尚ほ各社は総会時期が近づいたので、四日田中・二神両氏会見し、総会期日を如何にすべきかについて協議をしたが、関東酸曹は例年の通り来る二十日開催の事に決定したと


渋沢栄一 日記 大正一二年(DK530026k-0005)
第53巻 p.137-138 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一二年        (渋沢子爵家所蔵)
一月一日 快晴 寒
○上略 第一銀行ニ於テ行員年始ノ式に列ス○中略佐々木氏ト人造肥料会社合同ノ事ヲ内話ス○下略
   ○中略。
一月四日 晴 寒 終日無風ナルモ寒威ハ昨日ニ異ナラサリキ
   ○本文略ス。
(欄外記事)
[渡辺得男氏来リ、人造肥料会社合同ノ事ニ付種々談話ス○下略
   ○中略。
 - 第53巻 p.138 -ページ画像 
一月七日 晴 寒
午前八時起床○中略渡辺得男来リ、肥料会社併合ニ関スル調査ノ順序ヲ報告ス○下略
一月八日 曇 寒
午前八時起床○中略渡辺得男氏来リ、肥料会社合同ノ件ニ関シ調査ノ次第ヲ報告ス○中略渡辺氏ノ手ニテ調査セシ肥料会社合同案ヲ一覧ス○下略
   ○中略。
一月十一日 曇 寒
○上略 午前九時過、兜町事務所ニ抵リ、佐々木勇之助・池田成彬二氏ノ来訪ニ接シテ、人造肥料三会社併合ノ方法ニ付協議ス、渡辺得男参席ス○中略四時再ヒ事務所ニ抵リテ、肥料会社併合ノ事ニ付、三会社ノ当局者ト会見ス○中略六時過帰宅、夜飧後三会社併合ニ関スル手続書ノ原稿ヲ調成ス、蓋シ明日清書シテ各会社ニ交付スヘキモノナリ、夜一時過ニ至リ脱稿○下略
一月十二日 曇 寒
午前七時起床、入浴シテ朝飧ス、後白石来リテ、今日人造肥料会社ノ併合ニ付三会社ニ交付スヘキ裁定書ノ清書ニ従事ス○中略裁定書ノ浄書畢リテ、十二時頃急遽事務所ニ出勤シテ、大日本人造肥料会社以下三会社ノ代表者ニ接見シテ、併合ニ付テノ調査要件ヲ陳述シテ裁定書ヲ交付ス、田中栄八郎・二神駿吉・松村某氏等各裁定ノ趣旨ヲ服膺シテ成功ニ努力スヘキ事ヲ明言ス○下略


大日本人造肥料株式会社株主書類(DK530026k-0006)
第53巻 p.138-139 ページ画像

大日本人造肥料株式会社株主書類 (渋沢子爵家所蔵)
(写)
    裁定書
欧洲ノ大戦乱ハ其余勢遠ク東洋ノ経済界ヲ風靡シ、我カ肥料製造業ニモ影響シテ、各当業者ノ経営其宜ヲ失ヒ、供給常ニ適度ヲ得スシテ需要者ノ疑懼心ヲ惹起シ、其極農業界ニ波及シテ農産ノ衰微ヲ見ルニ至ラントス、実ニ寒心ニ堪ヘサルナリ、是ヲ以テ斯業界ノ木鐸タル大日本人造肥料株式会社・日本化学肥料株式会社・関東酸曹株式会社ノ三者ハ、此頽勢ヲ挽回スルハ勉メテ斯業ノ統一ヲ図ルニ在リトシテ、先ツ三会社併合ノ議ヲ提唱シ、爾来互譲相恕、屡々其議ヲ重ヌト雖モ、細目ノ協定ヲ見ルヲ得スシテ終ニ老生ノ裁定ヲ求メラルルニ至レリ、老生従来三会社ト其憂ヲ共ニシ、之レカ解決ノ方案モ亦三会社ト意見ヲ同フスルヲ以テ、其提唱ノ議ノ時機ニ適スルヲ喜テ、敢テ自己ノ無能其器ニアラサルヲ顧ルニ遑アラス、直ニ其来請ヲ欽諾シ、三会社ヨリ寄セ来レル各種ノ調査書類及統計表ヲ点検シテ種々比較考量シ、更ニ第一銀行頭取佐々木勇之助・三井銀行常務取締役池田成彬ノ二氏ニ請フテ再三ノ審議ヲ尽シ、玆ニ中正至公ト思惟スル裁定案ヲ作成シテ以テ三会社ノ需ニ応ス、老生豈敢テ自己ノ意見ヲ以テ天籟ナリト云フヲ得ンヤ、然リト云トモ不偏不党、自ラ顧テ毫末モ他ニ拘束セラルル所ナキハ堅ク信シテ疑ハサル所ナリ、況ヤ佐々木・池田二氏ノ至誠至公ノ助言アルニ於テオヤ、冀クハ三会社ノ当局諸君、左記各項ヲ以テ条陳スル併合方案ヲ採用シテ、当初ノ目的ヲ達成セラレ、以テ斯業ノ
 - 第53巻 p.139 -ページ画像 
回復ニ努メ、之レカ拡張隆盛ヲ期セラレン事ヲ
  大正十二年一月十二日 渋沢栄一
      裁定項目
第一 併合ノ方法
 大日本人造肥料株式会社ヲ保存シ、日本化学肥料株式会社・関東酸曹株式会社ヲ解散シ、前者ニ併合シテ一会社トスル事
第二 新会社資本金ノ総額ヲ金弐千弐百四拾五万円ト定ムル事
第三 新会社重役ノ員数及各会社割当数ヲ左ノ如ク定ムル事
 一重役ノ総員数ヲ拾五名トス
 一各会社割当数ヲ左ノ通トス
  一大日本人造肥料株式会社   七名
  一日本化学肥料株式会社    四名
  一関東酸曹株式会社      四名
 附言
  田中栄八郎・二神駿吉ノ二氏ハ併合事務ノ中心位地ニ立チ、新会社設立後モ主要ナル任務ヲ担当スルヲ最良至当ナリト思惟ス
第四 併合ノ比率
 一大日本人造肥料株式会社 壱・〇〇
 一日本化学肥料株式会社 〇・八参
 一関東酸曹株式会社 壱・七〇
  但計算書ハ別紙ニ附録ス
    以上
  注意
 一併合ノ為メ生スヘキ各会社個々ノ処置ハ努メテ均衡ヲ失セサルコトヲ希望ス
 一若シ三会社ニ従来負帯ノ義務アリシトキハ、累ヲ新会社ニ及ボササル相当ノ申合ハセアリタシ
      計算書
一大日本人造肥料株式会社 金壱千万円
一日本化学肥料株式会社 金六百五拾万円
一関東酸曹株式会社 金五百九拾五万円
 合計金弐千弐百四拾五万円也
 但右ハ裁定比率ニ拠リテ算出シタル実数ヨリ万位以下ヲ切捨テタルモノナリ


(大日本人造肥料株式会社) 第七拾回営業報告書 大正拾弐年上半期(自大正拾弐年壱月壱日至同年六月参拾日) 第一―二頁(DK530026k-0007)
第53巻 p.139-140 ページ画像

(大日本人造肥料株式会社) 第七拾回営業報告書
      大正拾弐年上半期(自大正拾弐年壱月壱日至同年六月参拾日) 第一―二頁
    第七拾回(自大正拾弐年壱月壱日至同年六月参拾日)営業報告
      株主総会
一、大正拾弐年壱月参拾壱日東京市日本橋区北新堀町出張所ニ於テ、第六拾九回定時株主総会ヲ開キ、第壱議案大正拾壱年七月壱日ヨリ同年拾弐月参拾壱日ニ至ル下半期間ノ営業報告書・貸借対照表・財産目録・損益計算書ノ承認ヲ経、利益金分配(年六朱)ノ決議ヲナシ、第弐議案合併(関東酸曹株式会社及日本化学肥料株式会社ヲ合
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併)遂行ノ為メ資本減少ノ件、第参議案資本減少ニ伴フ定款改正ノ件、第四議案合併契約承認ノ件、第五議案合併ニ伴フ定款改正ノ件ハ、第四議案中合併成立ノ時期五月壱日トアルヲ五月拾壱日ニ修正其他原案ノ通リ可決セラレタリ
一、大正拾弐年五月参拾日日本工業倶楽部ニ於テ、臨時株主総会ヲ開キ、第壱議案関東酸曹株式会社及日本化学肥料株式会社合併ニヨル増加資本金壱千弐百参拾九万円也ニ対スル新株弐拾四万七千八百株ノ割当及引受ニ関スル事項ニ付、取締役ノ報告並ニ監査役調査報告ノ件ハ、取締役ヨリ合併ノ経過ヲ報告シ、監査役ヨリ割当及引受アリタル旨報告アリ、第二議案取締役拾弐名、監査役参名選挙ノ件ハ取締役ニ田中栄八郎氏・二神駿吉氏・室田義文氏・竹原友三郎氏・益田太郎氏・福原有信氏・村井貞之助氏・山岡倭氏・千葉清氏・石川一郎氏・苫米地義三氏・吉田浩三氏、監査役ニ松岡修造氏・小西喜兵衛氏・松村光三氏当選就任セラレ、第三議案会社ヲ代表スヘキ取締役二名選定ノ件ハ、取締役社長田中栄八郎氏・専務取締役二神駿吉氏代表取締役ニ決定、第四議案取締役及監査役報酬改定ノ件ハ報酬年額金参万五千円以内ニ決定、第五議案退任取締役及監査役ニ慰労金贈呈ノ件ハ、合併契約書ノ主旨ニヨリ、取締役会ノ協議一任ノ事ニ決定セラレタリ


大日本人造肥料株式会社関東酸曹株式会社日本化学肥料株式会社 三会社併合に関する説明 二神駿吉演述 第一―二一頁刊(DK530026k-0008)
第53巻 p.140-148 ページ画像

大日本人造肥料株式会社関東酸曹株式会社日本化学肥料株式会社 三会社併合に関する説明 二神駿吉演述
                     第一―二一頁刊

  大日本人造肥料株式会社関東酸曹株式会社日本化学肥料株式会社 三会社併合に関する説明
                大日本人造肥料株式会社
                専務取締役 二神駿吉
    (大正十二年一月三十一日第六十九回定時株主総会席上演述筆記)
 議長の御指命に依り、私は此機会に於て三社合併の事柄に関し、其経過を有の儘極めて卒直に説明を申上ぐる事と致します。順序として先づ第一に三社合併の経緯――即ち動機、経路、結末――次に三社契約の要領、其次に減資増資の事柄、続いて三社合併後新会社の肥料界に於ける位置、計画並に希望と言ふ様な順序で申述べ、其外の細目は各議案々々に就き必要に応じ説明を加へる事と致します。
 扨て私一昨年此人造肥料界専門の人となつて以来、日はまだ浅いけれども篤と此肥料界の現状を観察するに、過燐酸肥料の製造事業を行つてゐる会社は全国に十四会社二十九工場、此資本金額現在に於て七千百六十五万円、此内払込額五千五百九十五万円、社債其他の固定的借入金二千三百八十万円、而して此過燐酸製造能力一ケ年三千六百三十八万叺、即ち払込額と借入金とで約八千万円の資金を以て、三千六百万叺の製造が出来るといふ事になつてゐます。此資本金の内には住友肥料部の資本は判らないので除いてあります。又製造能力の方は三千六百万叺とは申すものゝ、これは所謂各社の最高能力で、この内には鉛室の修繕其外原料関係等もあつて、少くとも一割位は割引をしなければなりませんから、先づ実際の製造可能力は一ケ年三千二百万叺と見るが至当と思ひます。而して一方需要方面を見れば、大正八年の
 - 第53巻 p.141 -ページ画像 
仮需要も加はつてゐる最盛期ですら二千万叺に足るか足らないと言ふ位で、最近四・五ケ年の振合から見ましても、現在の需要は一ケ年一千六百万叺しかないのであります。此内には台湾・朝鮮・北海道は勿論含まれてゐるのです。輸出の方面を見渡しましても、南洋方面・爪哇が先づ一万噸、濠洲方面三万噸、其他大正六・七年頃の戦時中に三井物産の取扱で「ケープタウン」へ一万噸の輸出がありましたが、これ等が日本の輸出区域であります。御承知の通り南洋・南阿は平和克復後海外品に圧倒せられ、又濠洲は英国の保護政策の下に極めて安い原料を供給し、彼の地には多くの製造会社を設け、殖民地として自給自足の施設をしたと同時に、一方には輸入品に対し二割五分の輸入税を課すると言ふ様な始末で、全く本邦品の輸出の途は杜絶しました。それから支那はどうかと言ふに、当社としては早くより肥料開拓の目的を以ていろいろ劃策を致しましたが、何分支那は天然肥料とでも申しませうか、従来の耕作方法に満足して更に此人造肥料を使用すると言ふ事になつてまゐりません。然し私共は此支那といふものに向つては今一層の研究をして見たいと思つてゐます。此外南洋・印度あらゆる方面へ、今以て三井物産と提携して輸出の回復と商区の拡張に努力してゐます。斯様な有様で今の処先づ一ケ年の需要一千六百万叺、これでも米価其の他の農村経済の関係に依つては幾分減るとも増すといふ事は見込がないのであります。これに対して製造力三千二百万叺、即ち需給の関係に於て丁度倍以上の供給過剰となり、需給関係から見て非常の変態であります。各社全体借入金共八千万円の資本に対し、千六百万叺の供給から資本に対する利益を得やうと言ふには、一叺五十銭の利益を要する訳合で迚もお話になつたものでなく、斯かる状態から各社が競つて株主に配当を焦せる為めに、此間に優勝劣敗、猛烈な競争が行はれると言ふのも無理はありません。当社の如き相当持こたへて居るものゝ、他に落伍者の出来るのは是非もない状態であります。而して此需給の変態は、其原因として戦争好況時代に各社が競つて製造力を増加し、或は新会社を作り、謂はゞ盲進した結果であつてこれは独り肥料界に限らずあらゆる事業界には有り振れた現象で、謂はゞ時に罪あり人に罪なしで、必しも当局者を責むべき事ではありませんが、出来た暁の今日に於ては、何とかして此変態の跡始末をせねばならないと言ふ立場にあるのであります。
 欧洲戦乱の好況時代に手を拡げた祟りとして、一昨年の上期より下期に掛けては各社が財政の整理に没頭して居つたのですが、当社も遺憾ながら其の仲間入りをして、私就任の当時相当の整理を要する時代でありました。当時減資整理の方法に拠るべきが至当かと一応は考へましたが、丁度一昨年の下期に掛けて、米価の回復と同時に多少肥料界の回復を認め、収支の算盤も取れるといふやうな次第でありましたから、昨年一月の総会には御承知の通り積立金と資産の評価益を加へ手一杯の総勘定を致した訳であります。然るに其の時の中間景気は却つて斯業界に禍ひする事となつて、各社は肥料好況を見越し更に製造を殖やすといふ事になつた為め、既に昨年の二・三月頃には需給の調節が必要であるといふ事がありありと見えて参りました。此際に於て
 - 第53巻 p.142 -ページ画像 
各社の値段協定と言ふ事も劃策せられましたが、根本の需給関係を失つて居つた為めに矢張実行が出来ず、結局各社も悟るところがありまして、第一の方法としては生産制限と言ふ事になつたのであります。即ち第一次の生産制限としては、三月から六月に至る三・四ケ月の間関東・関西を通じ約三割、――これは製造能力の三千二百万叺からでなく、一月・二月の実績より推して一ケ年二千二百万叺から三割減に当る数字を標準として第一次の生産制限、――肥料界あつて始めて一致歩調の協定が成立つたのであります。これにて需給の関係は略ぼ整ひ、製品の値下りも幾分喰ひ止めは致しましたが、従来の手持荷の関係もある為めにまだ充分の好果を挙げる事は出来ず、各社の不安を一掃する事が出来ませんので、何とかよき方法はないものかといろいろ相談の結果、共同販売会社と言ふ様なものを新設して販売を統一しやうと言ふ事も劃策されたのです。理想に於ては誠に結構な案であつても各社の財政並に販売機関の立場からこれも沙汰止みとなりました。その際米価並に生糸の関係から、五・六月の頃市況が幾分回復をしたと同時に、第二回の生産制限、即ち七月より十一月中旬迄に至る相談が纏まりまして、今度は更に需給の関係を委しく調べて、制限率を三割五分、即ち製造能力より五割五分見当の大制限を実行したのです。然るに期の半になつて豊作気構へから米価は次第に下り、殊に麦の値は地方に依つては一石五円と言ふやうな有様で、農村経済は段々行詰り、肥料の需要が減退すると言ふ事になつたと同時に、一方金融界は漸次梗塞すると共に、金融界から見る我肥料界は次第に警戒の度が増して参り、又各社の財政状態も段々行詰まると言ふ事になつた為めにそれこれ四囲の関係から売り喰ひをしなければ遣り切れないといふやうな処も出来、所謂濫売と謂ふ形勢になつて参りました。当社の如きも矢張その巻き添へに遇ひ、製品の市価は下る一方で、生産原価を割る事一叺三十銭以上、実際遣り切れたものでなく、各社の困難は弥やが上にも増して来たと言ふ実状でありました。玆に於て重だつたものは、寄り寄り相談を致して、投げ売を防ぐ方法としては「シンジケート」でも作つて、各社の成立つ方法を講じたいものといろいろ劃策しましたが、これ亦財政の立場から実行に至りません。いづれにしても生産制限と言ふ事は数の上からやらねばならぬ当然の途でありますから、昨年の十一月頃から第三回の生産制限が今以て懸案中になつて居るのであります。斯かる肥料界の困難時代に処し、当社としては幸に古い歴史を持ち、製品の銘柄も販売機関も他社に優越してゐる関係から、他に一歩も譲らないだけの確信を持つて居るものゝ、斯かる状態で成行に放任して置いては将来業績の上にも大いに考慮を要するものがあり、玆に積極方針としては肥料以外の化学薬品を製造して、大に他社に優るの成績を挙げたいといふ計画も樹て、終始和戦両様の準備をして居りました。然るにその頃世間では事業合同の声が段々起つて来るやうになり、又同業者間にも肥料大合同と言ふ議が持ち出されるやうな事になつて参り、世間からも同業者間からも何か此間の展開策は無いものかと、企を促がされるやうな気がするので、丁度此時此際十一月の始めに関東酸曹の田中社長と私、先方から求められるでもな
 - 第53巻 p.143 -ページ画像 
く、こちらから主張するでもなく、是等展開策の事に就いて話題となりましたのが、即ちそもそもこの事業合同談の持ち上がる動機でありました。爾来互に両社の実状を明かし合ひ、互に真面目に研究といふ事になりましてから、両社間の当局者も集り、互に工場をも取調べ、互に財政状態なども示し合つて色々研究を進めて見ました処が、二社だけでも合併すればそれだけ有力なものが出来ると言ふ確信もつきましたので、一層こんな事なら数年前計画されて沙汰止みとなつた日本化学肥料をも加へ、三社合併といふ事にするならば関西方面の括りも出来、更に一層有意義のものになるだらうといふ見解から、先月の上旬に田中氏と私と同道して、先方竹原社長の意嚮を聴いて見ましたところ、先方でも双手を挙げて賛意を表され、玆に三社合併といふ事が始まつたのであります。爾来頻繁に協議会を開き色々折衝を致しましたが、何に致せ三社共負けず劣らずの有力な会社であるだけに、最も折衝に骨の折れます事は資産の対比即ち株の歩合問題で、酸曹側では一株に対し二株を要求し、日本化学では一株対一株などの要求も出るといふやうな次第で、段々煎じ詰めた結果は酸曹一株七分五厘、日本化学八分五厘といふやうな所迄参りました。当社の譲歩点酸曹一株五分七厘、日本化学八分三厘、といふところと僅かな差ではありますが話は此処で全く行詰りました。尤も是等歩合対比の上には酸曹の二月十五日払込となるべき八十七万五千円、日本化学の二月一日払込となるべき百八十万円を算入し、酸曹は資本金五百万円全額払込済、日化は右払込を加へ千百二十万円を合併の条件とすると同時に、酸曹の下期配当一割二分、当社六分の社外支出を認めた計算から右の歩合は割出されたものです。歩合の外としては合併の形式、即ち新会社の名称新会社の資本額、重役の員数、此四大綱目に就きいろいろ折衝を重ねた訳でありますが、名称は減資が行はれるといふ事であれば、最も古き歴史を持ち名前も格別不適当でないから、当社の名前を存するといふ事は略ぼ同意を得ましたが、新会社の資本金に就きましては、将来最も鞏固なるものにしなければならぬと言ふ見地から、酸曹側からは資本額を二千万円に限定する、即ち当社の資産は九百万円見当、他の二社も同じ比率に評価格下げをするといふ事は、殆絶対的条件の一つとして申出られたので、是れも亦談の行詰りとなりました。次に重役問題は各社々々の立場からいろいろ希望は出ましたが、大体今回の談は事業本位即ち経済方面から出発せられた合併なので、各社当局者に於ても互に赤心を披瀝し謙譲を旨とし、最も真面目に研究しました事でありますから、面目といふ問題は余り多くの議論もなく話は進んだが、矢張此重役員数問題も多少の間隔があつた訳であります。然し大体に於て談は余程接近して居りますから、最早玆に至つて論議は尽され、是以上協議を重ぬるは徒に紛糾を来し、感情の上にも面白くないと思ひましたので、結局これには相当の裁定者を仰ぐのが必要であるといふ事に一致しました。先年三社合同談の時、渋沢子爵の御配慮を仰ぐといふ様な希望もあり、又今回酸曹・当社二社合併の談の際にも同子爵の御内意に訴へ置いた事もある因縁から、裁定者として同子爵を煩はすといふ事は何等の異議もなく即決致し、彼方の御都合も伺ひ
 - 第53巻 p.144 -ページ画像 
三社当局者相携へ飛鳥山の御邸へ参りましたのは十二月の二十二日であります。渋沢子爵へ御面会の上三社当局者から合併協議の経過を申上げると同時に、以上四大綱目に就いて御裁定を煩はしたいと言ふ事柄を只管御願申した処、同子爵は一々御聴聞の上、是が裁定の衝に当るといふ事を快く御引請下さつたのであります。其際に、御自身の外誰か財界有力なる人々をも裁定者の列に加へたらどうであるかと御垂問もありましたが、最早当局者間には相当論議も尽されて居るし、又一日も早く実現するといふ事柄が此場合必要でもあり、一日遅ければ一日の損があるといふ各社の立場でありました関係から、吾々としては何処迄も渋沢子爵の御裁定を以て満足するといふ意志を表明して、其外の方々に就いては総て先方の御計ひに御一任する事にして引取りました。当社としては若し此合併談が成立つとすれば、此一月の定時総会に提案したいといふ考を持つて居りましたから、御裁定は総会の間に合ふ期間に御願申したいといふ事を、強き意味を以て御願したのであります。同子爵は私の立場にも御同情を寄せられ、其結果として八十有余の高齢而かも年末年首御多忙の折柄、大晦日の夜も吾々三社代表者の為め兜町の事務所で会見の時間を与へられ、春三日も此問題の為めにいろいろの御取調などに御心配を煩はした様な次第と他から承りました。裁定の御願と同時に三社は肥料界の現状と三社の事情を摘録し、更に此四大綱目に関し其裁定材料として一通の要領書を差上げ、更に各社は各の主張に対し詳細なる説明書を差出した訳であります。大体形にある資産に就いては各当業当局の者が互に調べ合つた事でありますから、左まで大した喰ひ違ひはないのでありますが、資力の問題になりますと力の問題といふ事になる丈に、形に見えない丈それ丈何処が至当か、なかなか断定の出来にくい問題であります。例へば資産が有つても製造が伴はないとか、同形の鉛室であつても生産能力に優劣があるとか、又同じ面積の土地であつても、所に依つて値段の違ふ事は申す迄もないが、其の土地を利用して製造をする場合に於て、土地の利用率がどういふ風に対照せられるか、又製造力は優つても販売の力が之れに伴はないとか、販売が出来ても売掛が多いとか、資金の運用率、金融力の優劣、資本に対する利益率の比較、市場に於ける株価の対比などゝ言ふ事柄は、各社銘々有力なる主張を持つてゐる訳で、早い話が酸曹は肥料で儲からないでも薬品で利益が挙がる。日化も多少薬品の利益がある。然し当社は薬品では二社に一歩を譲るけれ共、肥料では当社は優秀の位置に居る。就中販売機関が充実して製品の銘柄が通つてゐる丈に、よしんば少々市価が下つたとしても肥料だけで他の二社に優つた所がある。といふ様な事柄は互に負けず劣らずの主張があり、是等の事に関しては各社の主張が極めて根拠のあるもの丈けに、裁定者に立たれた方は此裁断に御苦心された御様子です。その結果として財界で最も公平と認められ、且つ数字に明らかな方々をも物色して御相談相手とせられて評議の結果、これなら至当であるといふ裁断が鉄案となつて現はれたのです。愈々此の鉄案を下される前には、それそれ三社の当局者を御呼寄せになつて是等の事情をも洩らされたと同時に、断案に就いては結論は示すが一々その理由を
 - 第53巻 p.145 -ページ画像 
反問せられては困る。又自分としてはこれが至当であるとは認めるが三社の背後には各々株主が控へて居つて一々株主総会に諮らねばならぬ、其場合にこれを通過さすと言ふ覚悟が無からねば此断案も意味の無い事であるが、其の辺の所存はどうかと言つた様な事迄念を押された訳であります。三社当局者はこれに向つて、理由書は無くとも主文があればそれで結構。又閣下の御裁定に対して聊かたりとも反問は致しません。又総会には責任を以て是に臨み、其承認を求める為には懸命の努力を致しますといふ事の誓ひを立てゝ、こゝに裁定書を頂いた訳であります。この裁定書は実に厳正中立最も公平なる見地より裁断を下されたものであります。此処に裁定書がありますから只今読み上げる事に致します。此裁定書は一月の十二日の午前御手渡しになつたもので、文章も筆蹟も御自身直々に筆を下ろされたものです。十一日の夜分吾々を御呼出しになつて後、其の夜遅く迄かゝつて親しく筆を採られたといふ事であります。是等は皆当社が此総会に出す為めの御同情の賜と思はれる丈、私は大なる敬意を以て読み上げたいと思ひます。尤も序文の中に御相談相手の人々の御名前も載せてありますが、此方は先方へ御断りがしてない丈けに読み上げます際に某氏々々と読代へ、お名前は態と包んで置きます。只財界有力な方々と言ふ事に御承知を願ひます。
      裁定書○前掲ニツキ略ス
 只此裁定書の中に御希望条件と申すものゝ、私の名前を御書込になつたといふ事は、如何になります事やら私としては只々恐懼何とも申すべき言葉もない次第です。此議案に基きまして即時其の日から十五日に亘つて三社共重役会を開き、一方には仮契約書の作成其他総会に提出すべき諸々の打合せを致しまして、昼夜兼行の体にて漸く大体の手順が出来たので、十五日に三社共株主各位に通知を発しました次第であります。即ち本日同刻に三社共合併案に就て総会を開きつゝある次第です。後刻他の二社からも総会通過の報告を得る事と信じます。
 是から三社契約の要領を申上げますが、既に裁定書にある通り名称は大日本人造肥料株式会社を存続して二社を解散する事、而して歩合は酸曹に対しては百株に対し百七十株、日化に対しては八十三株、資本金額は二千二百四十万円、――これは裁定書には二千二百四十五万円になつてをりますが、二社に対する株の振当上割切れない数字も出来たので、五万円を削つて当社の持分一千万円を一千一万円とし、これから生ずる六万余円を現金にて日本化学の株主に割当てる事になりました。新資本額二千二百四十万円を内訳すれば当社が一千一万円、関東酸曹が五百九十五万円、日本化学が六百四十四万円、即ち酸曹に対しては新株式一株一分九厘、日化の全額払込のものに対しては五分七厘五毛余の割当となりまして、これが他の二社の本年四月三十日現在の株主に割当られる事となつた訳であります。此端数の処理に就きましては裁定者の当初よりの御諒解を得て居つた次第であります。重役の員数は裁定の通り当社七人、他社四人宛、これも限定資本の割当から見ても各社共一言も無い所であります。合併の時期は五月一日とありますがこれは法律上の手続等もあるので、其後十一日といふ事に
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修正してあるのです。十の字が一字落ちたものとして御承認を願ひたう存じます。何れ此修正は第四号議案の節に御承認を得る事と致します。其外重役退任慰労金、これは合併と同時に三社全体退任の事となりますが、酸曹は創立以来重役の交代が余り無かつた為めに、金額に於て比較的多いやうであるがこれは当然な事であります。即ち酸曹二十五万円、日化十万円と最高限度を認めた訳です。此外当社の分は但書に示す通りであります。次に計算の事は十二月三十一日現在を以て締切りまして、本年上半期の収支損益は各社株主に対し均等の配当をする、これが契約の骨子であります。此外に使用人待遇上の事並に各社取引関係などは総て現状の儘引継ぐ事にして、場合に依れば使用人の退職慰労金など、将来を均一にする為めに相当の方法を講ずる事に打合せてあります。仮契約書交換の後、別けて本日の総会に承認を経ました以上、業務の執行上重要なるものは三社協議の上即時執行を為し、又事務の取纏をする機関も作る事に打合せてあります。此外は仮契約書の全文が議案に附してありますから就いて御参照を願ひます。
 次に資本減少並に増加の事に就いて一言御説明を申上げて置きたいのであります。今回の減資は普通の減資とは多少其の趣が違つて居りまして、三社合併の前提としてはどうしても之をやらなければならぬ一つの道程であります。三社合併其のものが時機に適したる良案としますれば、当社が減資の形式を採らない限りは、関東酸曹の名称の下に合併して当社が解散するか、或は全く新らしき会社を作つて三社がそれに合併し当社も解散の仲間入をするか、其の外に方法はないのです。而して三社の資本金を其の儘合併したのでは徒に尨大な資本となつて、将来新会社として立つて行く上には基礎が脆く無意味な訳であります。減資とは申すものゝ謂はゞ資産の評価格下げであつて、而かも当社のみが格下げをするのではなく、他の二社も当社と同率に評価を切下げて持込んで来るといふ事になり、其の結果として当社は更に千二百三十九万円を増加して二千二百四十万円の会社となる訳であります。即ち三社を通じて貸附金・放資並に受取手形等にも不健全なるものを見受けますし、此外固定資産中にも工場整理等から起る差損も有る訳ですから、是等は今後三社協議の上互に相対照して切下を実行する段取であります。当社創立以来の歴史が保留され、而して社名の残るといふ事柄が、或る意味に於ては光輝ある事と思ひます丈に、此問題は忍んでも進まなければならない事であらうと心得ます。当社の一千一万円になります事は、第二号議案にある通り十株が七株となる結果であつて、これは四月一日現在の株主に割当られる事に案が出来て居ります。どうか此点は十分御諒承を願ひたう存じます。
 最後に三社合併後新会社の肥料界に於ける位置、計画、希望等に就いて一言申上げます。現在の処にて払込資本額、大日本人造肥料一千四百三十万円払込済、関東酸曹二月の払込を含みて五百万円、日本化学肥料同じく一千百二十万円、併せて三千五十万円。工場の数は大日肥十ケ所、酸曹三ケ所、日化六ケ所、都合工場は十九ケ所。鉛室の数二十四組、五組、十七組、合計四十六組。是等三社の過燐酸製造能力一ケ年二千百万叺。此販売高最近一ケ年配合肥料を含みて一千三百七
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十万叺。土地坪数約四十万坪。以上色々の材料から観察しても三社合併後の新会社の位置は、他の十一社を加へた全体から見て六割乃至七割の勢力は立派に貯へられて居る訳であります。勢力が集中されたと申して徒に肥料の値段を釣上げる事は、道理の上にも実際の上にも行はれべきもので無いと確信してゐます。然し近頃の様に生産原価を切つて売らねばならぬと言ふ義務はない事と思はれます。是等に就ては将来農村経済其外周囲関係をも考慮し、比較的割安の値段を以て製品の普及を計り、所謂多肥多収の実を挙げ以て事業上相当の成績を収め得られる事と信じます。即ち合併後は内部の関係からは工場経済を整理して経費の節減を計り、原料製品の有無共通等より金利も助け得る方法もあり、又一方には各工場の改廃より得られる利益もあるでせう又他面製品の普及即ち販路の拡張にも精々努力を加へ、現在よりも多く造り、所謂多産多売の方法にて利益を挙げる事も出来やうと思ひます。合併後薬品事業の研究も必要であると同時に、将来時世の変遷に伴つて肥料の新計画も必要な事と思ひます。
 今日此合併案を提案致します迄には、三社折衝の際当局者としては千葉常務・苫米地支配人の非常なる努力も加はつて居りますし、又背面には当社各重役の非常なる援護も受けまして、玆に此提案を見るに至つたのであります。合併の事が世間に洩れ、尚此仮契約が出来たといふ事が世間に発表されますと同時に、製品の市価は今日では一円三十銭を唱へ、尚買進んで来るといふ様な有様で、これは関東・関西共殆ど同様な状況であります。又株式市場の方面から見ても、当社の株式は最早三十円以上になつて居り、他の二社の株価も段々底強く相場が建つてゐます。是れを見ても如何に合併其ものが有利なものであるかといふ一斑を、無言の裡に語つて居るものではありますまいか。若し合併が行はれないとすれば、製品の市価は何処迄下落したでせうか一叺一円以下と言ふ相場は最近迄繰返された事実であります。三社の合併は相当権威のあるものではありますが、私共は同業者相共に栄える方針の下に、更に進んで大合同と謂ふ大理想の目標に進まねばならぬ事と考へてゐます。二社三社の合併すら迂余曲折中々容易なものでない丈に、全体の大合同などゝ言ふ事は只理想に終る事かも知れません。然しそれには相当の用意と覚悟とを以て、少くとも合併後の新会社は、他社に優越した鞏固なる地盤の上に、超然として立つてゐるものにしなければ何等の意味も無く、裁定者たる渋沢子爵へ対しても何共申訳無いのであります。私一昨年の六月十日当社専務の大任を負ふてから玆に一年有半、事業の為め考慮劃策之が実行には苟くも努力を惜まなかつたのでありますが、時に利ならず、事進まず、誠に慚愧の至であります。幸に株主各位を始め内外有力なる後援に依り其間大過も無く、六朱程度の配当を行ひ来たといふ事はまだしもの事、先々の事はいづれ合併成立後五・六月頃の株主総会の節決定する事と考へますが、私は株主の一員とし将来の希望として斯くありたいものと考へて居ります。以前計画された三社合併の事が、漸く此度実現したといふ事は全く時機の到来に接したもので、若し今日此時を失し各々分立して競争するとしたならば、一年後の三社は勿論、斯界の有様といふ
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ものは更に惨憺たるものがありませう。其の時に合併が出来るとしても時は既に遅く、自他共徒に資源が枯渇して謂はゞ骨と皮、拾ふても味のないのが落ではありますまいか。今日此場合に於ける合併は時から申しても最も適当な事と考へ、又当社に取つても最善の方法と確信するところがあつて、玆に提案した次第であります。殊に渋沢子爵の熱誠を込められた裁定もあります事ですから、本日の諸案に就きましては満場一致を以て可決あらん事を切に希望致します。(拍手)


渋沢栄一書翰 渋沢事務所宛(大正一一年)五月一〇日(DK530026k-0009)
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渋沢栄一書翰 渋沢事務所宛(大正一一年)五月一〇日 (増田正純氏所蔵)
    (別筆)
    「大正十二年五月十日大磯より中野時之君に託し遣ハされたるものなり」
○上略
一渡辺氏ヘ申進候義ハ、大日本人造肥料会社より室田氏昨日来訪ニて人撰之義依頼有之候、又同日例之石崎氏も来訪、自己推薦之申出有之候事
○下略
  五月十日                    栄一
    事務所御中


渋沢栄一書翰 室田義文宛 大正一二年五月二三日(DK530026k-0010)
第53巻 p.148 ページ画像

渋沢栄一書翰 室田義文宛 大正一二年五月二三日
              (大日本人造肥料株式会社所蔵)
旧大日本人造肥料会社役員中ヨリ、新会社重役ニ選任セラルヘキ氏名ヲ左記ノ通推薦致シ侯也
  大正十二年五月二十三日        渋沢栄一
                     (イロハ順)
 苫米地義三  千葉清
 室田義文   村井貞之助
 松岡修造   益田太郎
 二神駿吉   以上
室田義文様 親展 渋沢栄一


大日本人造肥料株式会社五十年史 同社編 第一〇一―一〇四頁 昭和一一年一一月刊(DK530026k-0011)
第53巻 p.148-150 ページ画像

大日本人造肥料株式会社五十年史 同社編
                   第一〇一―一〇四頁
                   昭和一一年一一月刊
 ○第一編 当社の沿革
    第七章 三社合同及其以後
 世界大戦後の事業界の爆発的発展は、恰も砂上の塔の如く忽ちにして崩壊し、人造肥料界に於ても、各社は一斉に減資其他による財政の整理に没頭しなければならなかつた。而して同業各社が生産制限により辛うじて現状を維持してゐる内に、大正十一年は豊作気構へから米価は次第に下落し、農村経済の行詰りは肥料の需要減退を来し、肥料界は金融界からも警戒視されたため、各社の経済状態は極度に逼迫を
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告げ、四囲の環境は濫売を余儀なくするの状勢となつたのである。不幸当社に於てもその捲き添へに遭ひ、製品の市価は下落の一途を辿つて原価を割ること甚しきものがあつた。こゝに於て同業者間に濫売防止の方法として「シンヂケート」の結成を協議したが、これ亦財政の立場から実行に至らず、第三回の生産制限を行つて、僅かに難局を糊塗するに過ぎなかつたのである。
 斯かる肥料界の苦難時代に処し当社は幸に古き歴史を持ち、製品銘柄に於ても将又販売機関に於ても、他社に優越して居つたため大過なく推移してゐたものの、此の難局を成行のまゝに放任して置くことは将来の業績上憂慮されたので、肥料以外の化学薬品をも製造して社業の健全なる発達を期すべく、和戦両様の準備を以て進んだのである。
 然るに当時一般事業界に於ては、事業合同の声が漸く盛となつたが肥料界に於ても難局打開策として同業者の大合同が考へられ、漸次それが真剣に研究されて来た。偶々大正十一年十一月四日、時の関東酸曹株式会社々長田中栄八郎氏と当社二神専務取締役との会見の機会があつた際、何れからともなく事業合同談となり、互に胸襟を開き談話の間に、合同に対する意見の一致を見たのである。こゝに於て互に両社の実状を明かし合ひ、真摯に研究することゝなつて両者間に合併の議が進められたが、更に一歩を進めて、日本化学肥料株式会社を加へ三社合同と云ふことが協議さるゝに至つた。日本化学肥料とは嘗て数年前合併の議が起り遂に不調に終つたのであるが、今回の関東酸曹との合併が確実となるや、これに日本化学肥料を加へることは更に有意義であるとの見地から、大正十一年十二月上旬田中関東酸曹社長及二神専務は同伴関西に向ひ、日本化学肥料株式会社々長竹原友三郎氏と会見した。その結果、同氏も双手を挙げて賛成の意を表されたので、こゝに三社合同に向つて進行することになつたのである。爾来頻繁に協議会を開催し種々折衝を重ねたのであるが、合同の条件に就ては容易に事が捗らなかつた。先づ資産の対比即ち株の歩合問題に於て異議を生じ、迂余曲折遂に酸曹一・七五、当社一・〇〇、日本化学〇・八五と云ふ処まで漕ぎ付けたものゝ、僅少の処で行詰つた。更に又払込及配当の諸問題が絡む等、其他合併の形式即ち新会社の名称、資本額重役の員数等の四大綱目に難点を生じ、名称は最も古き歴史を持つ大日本人造肥料株式会社として格別不適当でもないから、之を採用することに同意は成つたが、資本金に於ては弐千万円に限定の議等起り、重役問題も亦各社の立場より種々希望が提示さるゝ状態であつた。然し今回の合同の目的は事業の確立と斯界の健全なる発達を図るにあつて、初より合同の絶対必要を認めての上であるから、各社当局者に於ても互に赤心を披瀝し、謙譲を旨とし、会社の面目と云ふ事等には余り拘泥せず、最も真面目に研究を続けた。その結果遂に最後の一点に到達し、最早之れ以上の論議の余地を存せざる状態となつた。依つて当事者としては、此上は権威ある第三者の裁定を仰ぐの外は無いと云ふことゝなつたが、渋沢子は、嘗ての合同談に際しても配慮を仰いだことがあり、此の困難なる産婆役として同子を煩すことに何等異議なく即決したので、同年十二月二十二日、三社当局者は相携へて飛鳥山
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の子爵邸を訪問したのである。
 顧れば渋沢子は、当社の生みの親であり、我邦人造肥料界に尽力された功績は多大なるものがあるのであるが、今又この大合同に尽力を仰ぐことゝなつたのは、寔に感慨に堪へざるものがあつたのである。さて子爵は合併協議の経過より各社の希望を一々聴取され、四大綱目の裁定に関する一同の懇願を快く引受けられ、国家産業上の見地より一身解決の任に当ることを約束されたのであつた。時に子爵八十有三歳、然も年末年首多忙の折柄、或は大晦日の夜まで兜町の事務所に三社代表を招集され、或は新春三日間をこの問題のための諸調査に従事される等、多大の配慮を煩はしたのであつた。而して資産と生産力、土地の利用率、販売及売掛、金融力、利益率及株価等の諸問題に加ふるに、関東酸曹は薬品方面に於ける強味、日本化学は肥料・薬品の按配、当社は肥料に於ける優秀なる位置を有する等、これ等諸般の事情を参酌しての処理裁断は中々容易なる業ではなかつたが、この国家的産業の将来を考慮されての子爵の挺身的努力により、更に第一銀行頭取佐々木勇之助氏及三井銀行常務取締役池田成彬氏等の意見をも徴されて大正十二年一月十一日、こゝに中正至公の裁定書が完成された。この裁定書は親しく筆を執つて認められ、一月十二日午前、三社当局者を招き手交せられたのである。而して「此処に断案を得たから其の結論を発表するが、理由に付き一々反問されることは御断りしたい。尚自分としては絶対至当と認めての断案であるから、当事者諸君に於ても株主総会に於ては通過さすの信念を以て望まれたい。」と希望を述べられた。○下略