デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

3章 商工業
15節 倉庫
1款 渋沢倉庫株式会社
■綱文

第53巻 p.509-517(DK530094k) ページ画像

大正11年3月30日(1922年)

是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当会社創業満二十五年祝賀会開カル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK530094k-0001)
第53巻 p.509-510 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年         (渋沢子爵家所蔵)
 - 第53巻 p.510 -ページ画像 
三月三十日 木 午後五半時 渋沢倉庫会社創立二十五週年記念祝賀会(工業クラブ)


竜門雑誌 第四〇七号・第六三―六六頁大正一一年四月 ○渋沢倉庫会社創業満廿五年祝宴(DK530094k-0002)
第53巻 p.510-512 ページ画像

竜門雑誌  第四〇七号・第六三―六六頁大正一一年四月
○渋沢倉庫会社創業満廿五年祝宴 渋沢倉庫株式会社にては、其前身たる旧倉庫部の創設より通算すれば、本年は創業満廿五年に相当するより、三月卅日午後五時半より青淵先生を始め渋沢家一門、第一銀行渋沢商店等の同会社と直接関係深き主なる人々を丸内日本工業倶楽部に招待して、祝宴を催す所ありたるが、当日の来会者六十余名、宴デザートコースに移るや、佐々木取締役会長の挨拶及び青淵先生の祝辞あり、最後に取締役兼営業部長利倉久吉君の謝辞ありて、同九時半盛会裡に散会せる由なるが、当夜前記三氏の演説要領は左の如しと
    佐々木会長の挨拶
  本夕は渋沢倉庫株式会社が渋沢倉庫部と申す時から通算して満廿五年になりますので、些か祝意を表したいと存じました処、渋沢子爵始め皆様が万障御繰合になつて御来会下さいましたことを非常に光栄に存じます。実は此際に当りまして、其起りをかい摘むで申しますると、深川福住町の子爵家御邸内にありました倉庫に付て、青淵先生から此倉庫を以て、倉庫事業をやつて見たらばどうか、一方社会的奉仕ともなり又相当の利益も見らるゝことであるからと云ふ御話もあり、当時私も其御話に預りました一人で、渋沢商店と山崎商店の倉庫も一処で、明治卅年三月三十日に開業することになりました。
  其後営業は一進一退でしたが、倉庫貨物の漸増機運は動いてをるので、明治四十一年末には鉄筋コンクリート造倉庫を増築し、且四十二年には日本橋茅場町の郵船会社の荷捌所を売却すると云ふことになつて、之を競売と云ふことになつたので、之は是非手に入れねばならぬと云ふ事になり、殊に只今営業部長をしてをられる利倉君の如きは非常に熱心に御奔走になり、其目的を達することが出来ました。
  勿論之が開業は其当時会社の組織を変更して進む方が時代に適合してをることに、話が進むでをつたものですから、四十二年七月五十万円の株式会社となし、内四十万円の払込をして、子爵家からは殆ど無料に近い程度に於て此等土地建物を株式会社に御提供を御願出来た事は誠に忘るべからざることです、之によつて新会社も出来其と同時に茅場町の今の郵船会社から買収した所を出張所として開業することゝなりました。
  其後世界大戦により在荷は非常に多くなりまして、大正九年六月末には評価金額三千二百万円の在庫品となり、成績も非常に挙つて参りました、勿論今日は金額一千一百万円となりましたが、之は貨物の減少よりも物価の下落の為めで、個数を見ますると最高時代の約三割減になつてをる程度の様でございます、猶現在は二百万円の資本金中払込は八十七万五千円ですが、三井・三菱の各有力倉庫と対抗して少くも東京丈ではひけを取らないことになり、又小樽や近
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く五月一日から開業することになつてをる門司にも支店を出して、営業も駸々と進むでをると云ふ次第でございます。此等の事業がかく隆盛に赴くに付て思ひ起し且つ忘れることの出来ないのは、故八十島君が此間に着実な営業方針と周到なる用意を以て努力せられたことであります。又現営業部長利倉君の御尽力及其他現在社員諸君の御勉強の結果が、今日の着実なる成績を挙ぐるに至つたことゝ存じます。
  先づ以上の様な有様で、本日は恰度満廿五年に当りますので、只此会社に最も御関係のある御方丈で幾分の祝意を表したく思ひましたに、幸に皆様の御来臨を得、殊に青淵先生には御多用中を御出を願まして、誠に光栄に存ずる次第でございます、今祝意を表する為めに乾盃したいと存じます。
    青淵先生の祝辞
  今日此お目出度い御席に出て一言致しますことは、私にとり此上もなく愉快なことで、実に喜に堪へませぬ。只今会長より当会社成立の事情から、其後如何に進歩発展して参つたかと云ふことゝ、並に現在如何なる有様であるかと云ふことまで、事細かに御話しがあり、且抑の起りが私の倉庫部経営から其端緒を開いたからと云ふので、私に対し御礼を云はれ、更に従事する利倉君其他の諸君が永い間精励したのは賞讚に値するから、之を表彰する為め今日夫々記念品を授与されたと云ふ御話がありました、誠に御目出度いことで至極結構なことゝ存じます。
  私の倉庫業との関係は大分古いことで、第一銀行の経営に関聯して居ります、多分明治十五年であつたかと思ひますが、瀬川安五郎との取引から土崎米を担保にとりました、処が倉庫がないので其儘に置き縄もかけなかつたのでありますが、果して苦情百出、遂に銀行は大分損をしました、之から銀行の経営に付ては倉庫と云ふことが是非必要であると考へました動機で御座います、尤も今申した瀬川関係丈が其原因と申すのでありませんが、どうも倉庫は必要のものである、居倉取引程恐しいものはない、申さば盗賊に鍵を渡して置く様なもので、之は是非更めねばならんと思つたのであります、其後三井・岩崎で倉庫の経営を始めましたが、第一銀行で経営すると云ふ訳にも参りませんので、遂に私の宅を移転したのを機会に、渋沢商店の関係から倉庫を置くことになりました、然るに其経営が道理に叶ひましたか、二十五年の間にかくの如く発展して参り、東京に於ける三大倉庫の一になつたので御座います、之は従事して居る諸君の喜び許りでなく、私共株主としても大に喜んで居りますし又東京の商業界の喜と申して差支ないと思ひます。
  先刻も申した通り、倉庫と云ふものは金融業者に対し寧ろ重きをなすと云へるけれども、其経営は左程刻苦精励しなくともやつて行ける、と申しても従事する諸君が怠けていゝとか、力がないとか云ふ意味ではない、大体の観察を過らなければ失敗することはないと云ふ意味である、故に注意と云ふことは最肝腎のことで之を怠てはならぬ、而して論語雍也篇に夫仁者己欲立而立人、己慾達而達人と
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云ふことがありますが、倉庫を経営するに付ても之を心掛けねばならぬと考へます、カーネギーの富の福音に、倉庫のことではない、相続税に付て云ふたことであるが、或富豪が二人の息子を持つて居て之に百万弗宛を譲つた、処が甲は其譲受けた百万弗で地面を求め乙は之によりて機械製造会社を起した、かくて十年経過した、其間甲は何もせずに遊で居た、恐くは碁でも打つて居たのでせう、之に反し乙は実に刻苦奮励した、而して其結果は甲の持つて居る地面は三倍の値を持つことになり、乙の会社は漸く三割の利廻りとなつたに過ぎなかつた、勉強したものゝ得る所少なく、遊で居たものゝ得る所が多い、天は何故にかくの如き結果を与へるであらう、須く甲からは多額の税を取つた方がよいと云つた、倉庫の仕事は甲に似た所が多い、即ち倉庫夫自身で働くと云ふでなく、一般の商業が盛になり、荷物の出入が頻繁にならねばならぬ、銀行なり、工業なり、商業なりが盛にならねば倉庫は繁昌しない、と申しても倉庫の人々は朝から遊で居てよいとは申しませぬ、勤勉は必要で、刻苦精励しなければなりませぬ、只自己丈の勉強ではいかぬ、倉庫の今日になつたのも、各種の方面が栄えて玆に至つたのであると云ふことを申したいのであります、而して其最も重を置くべきは金融であります即ち第一銀行の御蔭であります、先刻頭取は他人を讚められましたが、実は自分を讚められたので、之は誰も異存は御座いません、否大に喜ぶことで、私も心から御悦びを申上げたいと思ひます。
    利倉営業部長の謝辞
  私は職員一同に代りまして一言御挨拶を申上ます、佐々木会長より功労表彰のような御言葉を承はり、又渋沢子爵よりは難有き御訓諭を頂きましたが、唯々恐縮汗背の外御座りませぬ。
  今日は旧倉庫部を通じて会社の創業満廿五年の記念祝日に当りましたから、会長には態々御出社下さいまして、記念銀盃授与式を行はれ、一同難有頂戴致しました、厚く御礼を申上ます。
  今夕は玆に盛宴を御開き下さいまして、子爵閣下を初め御一門の方々と銀行・商店の主なる方々が御臨席下さいまして、此盛宴に一層の光輝を与へられましたことは、誠に望外の光栄と存じますと同時に、感激に堪へざる処で御座います。
  唯今会長の御言葉の如く、幸に会社今日の基礎強固に立到りましたことは、全く会社が組織変更の場合の財産評価が格外の安価で有りましたにも拘はらず、其頃から起りました同業者間の激烈なる競争時代に、自重して軽挙盲動を謹みたる結果、永き株主無配当時代を御辛棒を下さいましたことゝ、時の進運が与へて呉れました所の賜と、銀行の有力なる御後援と、玆に御列席下さいました方々の御指導御援助の然らしむる所で有りまして、永年の勤続は事実でありますが、功績云々に至りましては全く当たらざる所で御座いす。
  又近日に門司支店の開業と同時に、小樽も支店に昇格の喜びを見る次第で有りますが、尚続々支店増設の機運に向ひまするよう、御臨席の方々の御指導御援助を希ふ所で御座います、謹で御礼を申上ます。

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(増田明六)日誌 大正一一年(DK530094k-0003)
第53巻 p.513 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一一年       (増田正純氏所蔵)
十二月九日 土 晴
定刻出勤
午後五時、渋沢倉庫会社重役会を兜町事務処ニ開催セらる、佐々木会長、渋沢専務、明石・利倉の両取締役及小生会合し、荷役方規程ニ付協議す
午後五時半、渋沢専務就任披露の意味を以て、前記重役の外第一銀行石井・杉田の両氏、倉庫の松平・村松・西村の三氏、事務処渡辺・白石・小畑の三氏を招待して晩餐会を催ふされ、終りて一時間程会談し十時帰宅す


(増田明六)日誌 大正一二年(DK530094k-0004)
第53巻 p.513-514 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一二年       (増田正純氏所蔵)
一月十七日
定刻出勤
午後六時東京会館ニ於て渋沢倉庫新年宴会あり、事務所より小生以下中野迄案内を受く、中野は子爵ニ随行湯河原ニ在るを以て其他一同打揃ふて出席す、鄭重なる饗応ありて、同社専務渋沢篤二氏挨拶を述へ明石照男氏来賓総代として謝辞を述ふ、其辞中に昨年同社には三つの喜ふ事ありたり、創立満廿五年祝賀会、門司支店設置並ニ渋沢倉庫部当時経営の任ニ当られたる渋沢篤二氏の専務就任是なりと、実ニ当を得たる挨拶をせられたり
○下略
  ○中略。
一月廿四日 水 雨後雪
○上略
午後四時より渋沢倉庫の定時総会があるので、監査役として総会提出の計算書を検査の為め午後一時出張、松平検査役の援助を得て、総て検査し其精確なるを認めたから、総会ニ於て之を報告した
今日の来会株主は佐々木・渋沢・明石・利倉・松平(以上会社の重役又ハ職員)山口荘吉(株主)及小生とである、総て原案を可決した
○下略
  ○中略。
三月廿二日 木 秋季皇霊祭《(春)》 晴
午前七時半起床したるニ眩暉《(暈)》を催ふし、布団ニ卒倒す○中略 今日は午後二時より故日下義雄氏の告別式を本郷麟祥院ニ於て行ハるゝニ付、小生ハ渋沢倉庫・東京貯蓄両会社ニ於て同役たるの関係あり、早朝より同所ニ出てゝ斡旋セんと予て期したるニ、斯く気分頗る悪しく之を推して若し同処ニ於て不体裁之事ありてはと、遂ニ意を決して不参旨渋沢篤二様・明石照男様ニ電話し、直ニ再臥床す○下略
  ○中略。
四月九日
○上略
午後六時東京会館ニ於て渋沢篤二氏の饗を受く、渋沢倉庫小樽支店長
 - 第53巻 p.514 -ページ画像 
笠原厚吉氏上京に付き、之か饗応の為め同社係長以上の人を招かれたるなり、明石氏も参加す
  ○中略。
四月十九日 木 降雨
定刻出勤
後四時半渋沢倉庫会社臨時総会を第一銀行ニ於て開催セられ、渋沢義一氏監査役辞任、日下取締役逝去補欠撰挙ニ渋沢義一氏当撰、渋沢義一監査役の後任にハ松平隼太郎氏当撰したり
○下略
  ○中略。
五月七日 月 雨
○上略
午後六時赤阪錦水《(坂)》に於て、渋沢倉庫会社本支店の常に厚意を蒙る第一銀行本支店之重なる人を招待して、饗宴を設く、主人側ハ渋沢専務、明石・利倉両取締役、増田・松平両監査役、賓客は本店広瀬・井上・後藤・大河原、支店西条・大沢・大西・尾上・内山・長谷川・原・小平・西村の諸氏にして、円子の余興ありて一同歓を尽し午後十時散会す
  ○中略。
六月二日 土 曇
定刻出勤
午後六時渋沢篤二様の案内を受け帝国ホテルに於ける晩餐会ニ出席、渋沢倉庫会社門司支店支配人林弥一郎氏上京ニ付、其歓迎の為め催されたるなり、食後階上大食堂ニ於ける舞踏を観て帰宅
○下略
  ○中略。
七月廿四日 火 晴
○上略
午後一時渋沢倉庫会社ニ赴《(到)》リ監査ヲ為シ、引続キ午後四時株主総会開催、凡テ原案可決○下略
  ○中略。
十二月廿八日 金 晴
○上略
午後三時南茅場町支店ニて催されたる渋沢倉庫会社重役会ニ出席、議事凡て原案可決となれり○下略


(増田明六)日誌 大正一三年(DK530094k-0005)
第53巻 p.514-515 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一三年      (増田正純氏所蔵)
一月廿八日 月 晴
○上略
午後四時渋沢倉庫会社株主総会に出席す、来会者ハ重役のミ、総て原案可決
  ○中略。
四月一日 火 晴
○上略
 - 第53巻 p.515 -ページ画像 
渋沢倉庫新株弐百株、明治製糖新株六五株の払込を為す
○下略
  ○中略。
五月一日 木 晴
出勤
利倉久吉氏、名古屋ニ於ける全国倉庫業者聯合大会ニ出席の為め本日出発す
○下略
  ○中略。
七月廿四日 木
○上略
午後四時渋沢倉庫会社総会同社ニ於て開催、昨年九月の震災ニて大損害を蒙りしも、其後建物の復旧と共ニ保管貨物相当ニありて、上季決算ハ 《(原本欠字)》分の株主配当を為す事を得たり


(増田明六)日誌 大正一四年(DK530094k-0006)
第53巻 p.515-516 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一四年       (増田正純氏所蔵)
一月廿二日 木 晴
○上略
午後四時渋沢倉庫会社総会(同社)に出席す、専務取締役渋沢篤二氏其専務を辞し、利倉久吉氏(現営業部長)常務ニ互選、又松平隼太郎氏常任監査役ニ互選し、重役報酬を年壱万五千円と決定し、計算書ハ総て原案を可決す
右終つて社員ニ昇級辞令及特別慰労金を支給す
湯河原御滞在の子爵ニ呈書を認む
○下略
  ○中略。
四月十三日 月 曇
○上略
午後六時伝通院前偕楽園ニ於ける、渋沢倉庫の新年宴会兼門司・小樽両支店長歓迎及営業部長紹介の饗宴ニ出席す、利倉氏の挨拶ニ次て事務処を代表して謝辞を陳ふ
  ○中略。
二十八日○一一月 土 雨              出勤
○上略
渋沢敬三氏より同氏将来の方針に付き「将来ハ第一銀行の重役に加ハるべしとの事ハ、予て佐々木頭取より内議ありし次第なるが、現在の正金銀行の勤務を継続して尚相当期間を経たる上願度と答へ置きたるが、其理由ハ、正金の一書記より直ニ重役後補者《(マヽ)》ニ立つハ、第一の重役たる職を軽んする事となり、又叔父上明石氏の同行営業部支配人を超へて就職するハ敬意を失する事となり、之等の点を自省し、頭取の厚意を拝謝し、当分現状ニ置かれたしと懇談したる次第なりしが、其後自己の境遇等を考慮する時ハ、此際正金を辞して同族会社々長の職務を専行し、同時ニ渋沢倉庫会社の取締役の一人ニ加ハり其業務を研究し、一年有余の後第一銀行ニ推薦を受くる様為さんと思ふが、貴見
 - 第53巻 p.516 -ページ画像 
如何」との御話あり、小生ハ右ニ対し、先きニ現状を持続し適当の時期を見て第一銀行ニ入らんとせられしハ、誠ニ当を得たる御考慮と賛同したる次第なりしが、其後の四囲の事情と世話好きなる貴意とハ到底正金の書記として格勤する事能ハさるべきニ付、同行を辞任するハ止を得ざる事なるべし、併し同族会社又ハ渋沢倉庫の業務を見て第一銀行ニ入らんとするハ、如何にも策を弄するが如き感ありて甚た面白からす、寧ろ此際頭取ニ宜敷御願すと出られたる方可ならすヤと御勧したるも、同意の模様見受けられざりし、右敬三氏の談は既ニ穂積男爵並明石照男氏ニ内談したるニ孰れも同意せられたれハ、之より阪谷男爵の御意見を聞き、然る後頭取ニ御協議する積なりと語られたり
  ○中略。
十一日○一二月 金 晴              出勤
午後二時兜町事務処て臨時同族会社重役会が開催せられた、子爵より来会者ニ敬三殿の将来の方針ニ就き報告せられて意見を求められたが孰れも子爵の御意見ニ賛成の意を表された
要領を記せは敬三殿の現任正金銀行々員たるを辞職し、同族会社々長に専任し、機を見て渋沢倉庫会社取締役ニ就任して其業務を取り、又必要の場合ハ第一銀行の取締役ニ就任せしめんとの御意見である
  ○大正十五年一月二十五日、渋沢敬三当会社取締役ニ就任ス。


(増田明六)日誌 大正一五年(DK530094k-0007)
第53巻 p.516-517 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一五年     (増田正純氏所蔵)
十八日○一月 月 晴              出勤
○上略
後六時赤坂三王台星ケ岡茶寮《(山)》ニ於ける明石氏の饗宴に招かれ出席す、渋沢篤二氏も列席ニて渋沢倉庫会社利倉氏以下十氏と、事務所ニて小生と白石・井田両氏列席す(井田氏ハ渋沢敬三氏不参の為め急ニ加ハる事となりしなり)
○下略
  ○中略。
二十五日○一月 月 晴             出勤
○上略
後四時同本社ニ於ける渋沢倉庫会社株主総会ニ出席す
○下略
  ○中略。
十七日○二月 水 晴              出勤
○上略
午後一時渋沢倉庫会社重役会を兜町事務処ニ於て開催す、爾今毎月同事務処ニて開会する事となれり
○下略
  ○中略。
七月七日 水 晴                出勤
午後一時第一銀行会議室ニ於テ渋沢倉庫会社重役会開催せられたるニ列席す
  ○中略。
 - 第53巻 p.517 -ページ画像 
七月廿三日 金 晴               出勤
○上略
午後四時渋沢倉庫会社株主総会ニ出席、監査役改選の処再選を受け重任したり
  ○中略。
九月廿二日 水 晴               出席
○上略
後一、渋沢倉庫重役会ニ出席す
  ○中略。
十月廿日 水 晴                 出勤
○上略
夕築地錦水ニ於ける、渋沢敬三氏の渋沢倉庫会社支店長会議列席者一同招待ニ出席す
余興に宝井馬琴の伊達評定の長講談あり
  ○中略。
十月廿九日 金 晴                出勤
○上略
午後一時第一銀行ニ於て渋沢倉庫会社重役会開催せられたるが、来訪者絶間無く、遂ニ出席の時刻を失したれば、此次第松平監査役ニ電話して欠席したり
○下略
  ○中略。
十一月廿四日 水 晴               出勤
○上略
後一時第一銀行会議室ニて開催せられたる、渋沢倉庫会社重役会ニ出席し
○下略
  ○中略。
十二月廿二日 水 曇夜雪
○上略
渋沢倉庫重役会に列席
午後一時兜町第一銀行会議室に開催せらる、総て原案を可決せられたり
○下略