デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
9款 農・牧・林業関係諸資料 1. ジェームズ・ヒルノ演説筆記「国富ト農業」ノ翻訳刊行
■綱文

第54巻 p.271-277(DK540057k) ページ画像

明治43年2月(1910年)

是月栄一、アメリカ合衆国大北鉄道会社社長ジェームズ・ヒルノ「国富ト農業」ト題スル演説筆記ヲ翻訳刊行シテ、知人ニ頒ツ。尚、爾後栄一、ソノ講演・談話等ニヒルニ就キテノ意見ヲ述ブ。


■資料

国富ト農業 ジェームズ・ヒル演説 緒言明治四三年二月刊(DK540057k-0001)
第54巻 p.271 ページ画像

国富ト農業 ジェームズ・ヒル演説  緒言明治四三年二月刊
(表紙)

  米国大北鉄道会社長
   ジェームス・ヒル氏演説
    国富ト農業{千九百九年九月十四日市俄古ニ於テ開会ノ米国銀行集会所第三十五回年会席上ニ於ケル演説}
   同氏      所説
    合衆国ノ将来

  ○緒言本文略ス。
  明治四十三年二月 曖依村荘に於て
                     青淵老生識
  ○右緒言ハ、栄一ノ撰書セルモノヲ石版印刷ニ付シタルモノナリ。本資料第四十八巻所収「栄一ノ序文・跋文」中「一般図書」ノ項ニ於テ「ジェームズ・ヒル著、一九〇九年刊」トセルハ誤リ。


渋沢栄一 日記 明治四三年(DK540057k-0002)
第54巻 p.271 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年         (渋沢子爵家所蔵)
四月七日 晴 軽寒
○上略 麻布ニ井上侯ヲ訪フテ、米国ヨリ携帯セルヒル氏ノ農政論ヲ送呈ス○下略


竜門雑誌 第二六四号・第五―一八頁明治四三年五月 ○八基村教育会に於て 青淵先生(DK540057k-0003)
第54巻 p.271-272 ページ画像

竜門雑誌  第二六四号・第五―一八頁明治四三年五月
    ○八基村教育会に於て
                      青淵先生
 本篇は本年四月四日、青淵先生が其郷里八基村教育会の招請に応して臨席せられ、同日開会の同会第二回総会に於て演説せられたるものなり
○中略
殊に農業に就て亜米利加人の最も力を入れて居ることを玆に申添へて此地方などで十分御注意を請ひたいと思ひます。セントポールと云ふ所にゼームス・ヒルと云ふ人がある、此人の演説筆記は今日学校の図
 - 第54巻 p.272 -ページ画像 
書館に二・三冊差出して置きましたから、其中どうぞ皆様が御覧下さつたら私は仕合せに存じますが、此ゼームス・ヒルと云ふ人は、其履歴を申すと、元と鉄道工夫的の人であつた、果して工夫であつたかどうか知りませぬが、今年七十三で、私より二つ上です、今度セントポールで面会をして色々話をして見ましたが、至つて実着な、今申すやうな唯率直粗暴な亜米利加人とは頗る趣を異にして居る人です、併し労働的生活から段々に成上つて遂に亜米利加大富豪の一人となり、殊に今日七十以上の人でありますから、余程人にも推尊され、自らも自負して居る人です、身柄はどうだといふと、鉄道会社の社長である、所が此人は頗る農業学者で、亜米利加の未来はどうしても此農業を盛にせねばいかぬ、近頃亜米利加人が兎角農を去つて工に就く、田舎を出て都会に行くことは甚だ国の為めに憂へべきことだといふことを、頻に例を挙げて論じて居ります、此人の議論に依ると、千九百五十年には亜米利加の人口は二億六千三百万人になる、其場合に斯る鉱山若くは工業といふやうなもののみを主眼として国の経済を図つて行つたならば、亜米利加人は今に食ふことが出来ないやうになる、満足に之が希望を充たし需用に応ずると云ふには、どうしても農業たらざるを得ぬ、然るに亜米利加は土地は相応にある、而も悪くはない、けれども農業の仕方が甚だ粗雑である、又地力の尽し方が甚だ手薄である、斯る有様では亜米利加の富を永久に保持する訳にいかぬ、殊に田舎の人が都会に行き農業が工業に移り変るのは、実に国家の此上もない憂であると云ふ趣意を、それこそ喋々百千言を費して論じて居ります、又其文章に中には日本の農業なども批評して一噎《エーカー》(日本の四段)に対する亜米利加の収穫は此位であるが、日本では其三層倍取れる、――吾々は日本の耕作の仕方が小農法で不利益であるとばかり思うて居つたが、亜米利加へ行つてヒルの説を聴くと、亜米利加の大農法といふものは、どうも地力を尽さぬからいかぬと云うて、却てヒルは反対に日本を羨んで居る、これはヒルの説が十分尤もだとばかりは申せぬ、あゝいふ大きな地面を持つて居る国は、果して日本の通の小農耕作法が宜いかどうか、是は疑問である、私は寧ろ亜米利加の仕方が宜からうと思ふけれども、ヒルの如き意見を持つて亜米利加の農業家を戒めるといふことは、亦一の大なる議論と思ふので、甚だ面白く感じましたから、私はそれに一の序文を書いて、さうしてヒルの説をば東京にも地方にも成るべくたけ紹介して、亜米利加にさへ斯ういふ説を為す者があるといふことを、日本の農業に力を入れる人に能く知らしめたいと思ふのでございます。
○下略


竜門雑誌 第三五三号・第六〇―六六頁大正六年一〇月 ○米国気質と其代表的人物 青淵先生(DK540057k-0004)
第54巻 p.272-273 ページ画像

竜門雑誌  第三五三号・第六〇―六六頁大正六年一〇月
    ○米国気質と其代表的人物
                      青淵先生
 本篇は七月十日及八月十日発行の雑誌「実業公論」誌上に掲載せられたる青淵先生の談話なりとす(編者識)
○中略
 - 第54巻 p.273 -ページ画像 
      △実業界の卓見家ヒル氏
 四十二年我国の実業団長として渡米した時には、以前に比して更に多くの米人と見ゆる事が出来たが、グレートノーザンの鉄道会社の社長ゼームス・ヒル氏の如きは尤も偉大なる人物の一人であると思はれた。氏は鍛冶屋から立身して斯の如き大事業家となり、現在では大北鉄道会社の社長を其子に譲つて居る。其性質は極めて質朴で、其論ずる所は大経済家たる資格を備へて居る。氏は米国に於ける農業が大農組織で遣つて居る為めに、充分地力を尽さぬといふ説を唱へた人である。世界に於ける人口は年々増加し、之に伴ひて、食料の需用がますます盛になつて来る、其結果として農業は人類生存上洵に重要なる事は論を俟たぬが、米国に於ける大農法は充分に地力を尽すことは出来ないから、我米国の農業家は大に之を改良せねばならぬ、と云ふ説を合衆国の将来とか云へる冊子として印行されてゐたが、故井上侯が之を見て、之は有益なる説であると褒られて、遂に之を翻訳された事がある。私は井上侯から其事を聞いて居たし、又其本を知つてゐるのでセントポールに於てヒル氏に面会した時に、話を其事に及ぼした所がヒル氏は大いに驚いて、あれは私の国の農業家に見せる為めに書いたもので、貴国の人々に見せる積りではなかつた、どうして貴下はそれを知つて居られるかと、尋ねられたので、私は井上侯は兄同様に懇意にしてゐる人で、我々の先輩として何時も有益なる注意を受けるので貴下の著書に就て甚く嘆賞されてあつたのであると答へると、さういふ方の御目に留まつたのは誠に恥ぢ入る次第でありますが、併し私は早くから土地には着眼して居りますと云つて大変喜ばれた事がある。其後ち同氏は市俄古の銀行に於て此事に就て講演をした事があつて、親切にも其筆記を私に贈つて呉れられた、で、参考になると思ひながら、前に発行された井上侯の翻訳書を同時に修正し、一緒に印刷して方々の人々に配つた事がある位で、ヒル氏は主として農業に就て説を立てたのであつた。○下略


竜門雑誌 第三七二号・第一二―一四頁大正八年五月 ○食糧問題の解決 青淵先生(DK540057k-0005)
第54巻 p.273-274 ページ画像

竜門雑誌  第三七二号・第一二―一四頁大正八年五月
    ○食糧問題の解決
                      青淵先生
 本篇は青淵先生が会長として経営せられつゝある東北振興会機関雑誌「東北日本」第三巻第三号に掲載せるものなり。(編者識)
○中略
△農産物の増収と大農小農の耕作組織の優劣 国民の食糧問題の解決は究極する所、農業者に対して比較的多額の利益を得せしめ、益々農業の殷盛を図るより外に道なしと云ふべきか、然らば何を以て第一に利益多しとするか、吾人の考ふる所は、農業者に対し最も優良なる方法を授け、生産物の増収を為さしむるを以て最も適当の事となさゞるべからず。而して農業生産の増収方法は施肥・選種等数へ来れば種々多岐なるべしと雖も、大体其方法の優劣に依り生産額に多大の増減ある者は、耕作に於ける組織なりと為す。余は先年米国を漫遊したる際自己の好む所より彼国の農業に多大の注意を払ふて視察を為せり。其
 - 第54巻 p.274 -ページ画像 
際彼国農業篤志家「ゼヱムス・ヒル」と云ふ人に会見して農業上の意見を交換せり。而して余は「ゼヱムス・ヒル」氏の経営に係る「グランドホール」の大農場を視察して、其大農組織の小農組織に比し優良なる事を賞揚し、我国も米国の大農組織に学ばん事を以てせり。然るに「ゼヱムス・ヒル」氏は却て吾人の観察の誤りたる事を指摘せられ吾等をして我国従来の小農組織の特質を益々発達せしむべき事を以てせり。余は此親切なる篤農家の言を聞きて以来、大に農業上の耕作方法に注意し、自ら開墾事業を行ふて研究の資料と為したるに、幾多経験の結果、今日に於ては、往年「ゼヱムス・ヒル」氏の言を肯定せざるべからざるに至れり。今後は独り北海道・東北地方のみならず、全国至る所に開墾事業の殷盛を見るに至るべきを以て、吾人は今より耕作の方法に就て遺憾なき研究を為し、其施設方法の誤らざる事を期せざるべからず。若し一朝之が方法を誤るに於ては、延て農業の不振となり、更に再び今日の如き食糧問題に逢着するの時ある事を予め覚悟せざる可らざる也。


竜門雑誌 第四〇四号・第一四―二一頁大正一一年一月 ○予の渡米の目的と米国大実業家の印象 青淵先生(DK540057k-0006)
第54巻 p.274-275 ページ画像

竜門雑誌  第四〇四号・第一四―二一頁大正一一年一月
    ○予の渡米の目的と米国大実業家の印象
                      青淵先生
 本篇は「実業之世界」十年十一月号に掲載せる青淵先生の談話なりとす。(編者識)
○中略
△一工夫から鉄道界の大立物となつたゼームス・ヒル氏 ゼームス・ヒル氏は一介の鉄道工夫から築き上げて大北鉄道の首脳者となり、米国鉄道界に於ける権威として知られる人で、実業家であり又富豪である。至つて公共的観念の強い人で、世人の垂涎措かざるヒビング鉄鉱の如きも、当然ヒ氏個人の所有となる可きものであつたが、私すべきでないといふ意見で之を大北鉄道の所有とした如き例もある。蓋し米国実業界に於ける大人物で、今のサミユール・ヒル氏は其後継者であるが、労働者から成り上つた人ではあるけれども、相当に学問上の知識にも富んで居り、殊に農業に対しては独自の意見を有して居つた。
 私は曾て『合衆国の将来』といふのを読んだ事があるが、それは井上氏の翻訳で、ヒル氏の著述したものであつた。其中に『米国の如き大農法は地力を損ずる虞れがある。然るに日本の如き小農式は地力を損ずることが少ない。大農法によれば一反歩十五より取れぬが、日本式の小農法によれば五十とれる。即ち三倍の効果がある。されば米国の農業も将来は日本式にしなければならぬ』といふ意見が書いてあつた。此の著者はゼームス・ヒル氏と同名異人かも知れぬと思つてゐたが、丁度セントポールでヒ氏と隣席であつたから種々談話を交換し、食後此の話をすると『夫れは私の従来の持説である』と語られ、初めて同氏の著述である事が分つた。
 其後、ヒル氏がシカゴに於て銀行家の会合があつた際、銀行家等の依頼により演説をしたが、『銀行家に取りて農業は非常に密接の関係があり、且つ大なる得意である。然して農業の根本は土地である、さ
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れば諸君に向つて農業の事を説くのは聊か迂遠のやうではあるが、土地利用に対する意見を述べるのである』と前提して、氏の持説たる農業の改正法に就て演説されたさうで、其時の意見書を私の手許まで送つて来られた。それで私は参考の為めにもと思ひ、翻訳したものを各県知事に送つた事があつたやうな次第である。
○下略


竜門雑誌 第四六七号・第一一八―一二二頁昭和二年八月 ○青淵先生記事 電気技師メトカーフ氏来邸(DK540057k-0007)
第54巻 p.275 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

竜門雑誌 第四七一号・第一二六―一二九頁昭和二年一二月 渋沢子爵の農村振興談 内容 科学的経営=農業教育の根本は実地訓練=集約農業か大農法か 荒川五郎(DK540057k-0008)
第54巻 p.275-277 ページ画像

竜門雑誌  第四七一号・第一二六―一二九頁昭和二年一二月
   渋沢子爵の農村振興談
    内容 科学的経営=農業教育の根本は実地訓練=集約農業か大農法か
                     荒川五郎
 陸軍糧秣廠の諸氏を中心に中央の有力者を集めた糧友会では、此程其晩餐会が東京工業倶楽部に開かれ、数氏の講演があつた。中に子爵渋沢栄一氏の講演は農業教育の根本実地訓練にあること、機械の利用、学術の応用等科学的経営の発達を強調すること、デンマーク流の高等農民学校の普及を奨励すること、農業を理解する教育に力を入れること等断片的であつたが、中にもゼームス・ヒル氏の日本は集約主義であるから立つてゆけるが、若し大農法にしたらつぶれて仕舞ふ等の談は、簡単であつたが大に聴者の注意を惹いた、左に該講演の大要を報ず。
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 私は本会の顧問として何か話せとのお勧めに従ひ、糧食といふ問題に対して特に意見を有つてゐないのでありますが、聊か顧問として御挨拶を兼ね、玆に愚見を陳べる次第で御座います。
 私は元来百姓の生れで御座いまして、農業といふ事を心得てゐる関係上、只今理事長から本会が消費経済から糧食問題に尽したいといふお話に対して、生産経済の上から農業に関する平常の素懐を申し上げます。糧食は消費経済も固より大切で御座りまするが、生産がより必要で、たんと出来ますれば、少く無駄にせねばならぬ心配も入らぬ筈でありますし、勿論今日その心配は必要な秋であるが、少い土地から割合多く生産する様にする事も無用の勤めではないと存じまする。
 そこでその糧食を生産する農業は如何で御座いませうか、我国の学問は各方面とも進歩が著しく、私共老人が若い時分から見ると隔世の感がありますが、農村は旧態依然たるものゝ様であります。進んだ学術を観察して農村を顧る時、果して農に適切な教育が施されてゐるか頗る疑問に思ふ処であつて、村の普通義務教育を受けて農業に適する人が尠くなる、学問をすると青年は都会へ飛び出して仕舞ふて、老人が残つて耕作するか、学問の無い者が百姓をする。そこで進歩した学問は都会にあつて、田の作り方や畑の耕し振りは昔より退歩してゐるではないかと思ひます。尠くも他の工業等と農業に比べて格段の相異を見るのであります。私は明治二十五年に此処にお出になる益田男等と共に、人造肥料会社を設立いたしました、その人造肥料の為めに地方で陸稲の発達と畑作の進歩を来したのであります。之は学術応用の一例であるが、概して百般の進歩したる我国に、独り農業にのみ学問の応用が乏しいのは甚だ遺憾とする処で御座います。
 幸ひ近頃科学的農業経営と、真に農を愛し土に親む丁抹の方法を採用して農業教育を施してゐる処があります。かの石黒前農務局長の後援してゐる友部の日本国民高等学校の如き、この意味に於て大に普及すべきではないかと思ひます。私も自分の郷里……私は埼玉県八基村で御座いますが……には小学校卒業後農民補習教育に力を注いでゐます。未だ思ふ程の効果も御座いませんが、貧村乍ら大に農業を理解する教育に力を入れる為に、先年、こゝにお見えになつて居る矢作博士を煩はしまして、農村健康診断を致しました、戸数が幾戸で生活費がいくら、耕作地がいくら、労働能力が幾ら、いくら生産され、幾ら暇があり、何が不足してといふ様に調査して、それに対応する公民教育をしたいと思ひ、普通教育を了つた者に一種の教育を講じつゝあります。年月浅くて、かう迄になつたと未だ申上られません。
 とかく消費経済も頗る急であるが、百姓には生産教育が最も必要で肥料とか経済とかに学理を応用し、即ち農業上の工業化・電化が進まなければならない。之等が出来ぬから農村は甚だ貧しいので、この点工業は彼の十に対して、農の此は三程しか応用発達して居ないと思ひます。如何に面積が狭く小さい土地とは云へ、まだ開発の余地があると存じます。
 実は曾て、日本の耕作法は集約農業だから発達せぬ、之は大農法にせねばならぬと思ひまして、矢張益田男などと共に仙石原に大農法を
 - 第54巻 p.277 -ページ画像 
試みました。それから明治四十三年かに渡米致しました時に、彼の有名なゼームス・ヒル氏に会つてこの事に就て相談致し度いと思つて問ひ合せますと、ミネアポリスで会ふとのことで、早速大北鉄道に乗つて其地に会ひまして、『我国の農業は大に改良せねばならないが、集約農法であるから、一つ貴国の様な大農法を採用して見たいと思ふ』と申しますと、氏は大に反対されまして『日本は集約農業であるから立つて行けるので、そんな考へであつたならば、御国はつぶれて仕舞ふ、殊に米を大農法にする様なれば、到底現在だけ穫れずに米は少くなる、御国は粗雑な大農法よりも集約農法に努めねばならない』との事でありました。今日そんな誤つた考へを抱く人もありますまいが、とかく農業に対してそんな事すら考へてゐたのであります。
 要するに糧食生産より見て農村振興の大切な事は云ふ迄もないが、その農村振興の根本たる農業教育に、実地訓練が足りない、それに対する熱と力が尠い、奮闘努力する気概が段々欠けて来た、そこへ以て来て科学的経営法即ち機械の利用、学問の応用が遅れてゐる、また種子の選び方、作り方、耕し方にも、もつと学術の応用を強調したいのであります。
 糧食の生産といふ処から百姓の地金を現しましたが、本会に於きまして、この点にも御努力下さいまして、且つまた私共にも及ばず乍ら糧食の為めに本会の仕事を負担いたしたい考へで御座います。(斯民十一月号所載)
  因に右談話中の日本国民高等学校のある友部は茨城県で、学校はまだ新しいが、加藤校長が中々熱心に努力して其特色を発揮して居る。要は主智的学術学校に対して、此処は精神的人間学校と云ふて可からう。或は時を得て其大要を記報しませう。(終)