デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
1節 朝鮮
10款 朝鮮鉄道促進期成会
■綱文

第54巻 p.456-479(DK540088k) ページ画像

昭和2年3月29日(1927年)

是日、帝国ホテルニ於テ、朝野ノ有力者百余名ヲ招キ、当会晩餐会開カル。栄一出席シ、当会名誉会長トシテ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 昭和二年(DK540088k-0001)
第54巻 p.456 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和二年        (渋沢子爵家所蔵)
二月一日 快晴 寒気強シ
午前八時起床洗面ノ後朝飧ヲ食ス、同時ニ各新聞紙ヲ朗読セシム、朝鮮鉄道促進会小松会長・渡辺理事来訪アリシモ、直ニ辞去ス○下略
  ○中略。
三月七日 晴 寒気昨ト同シ
午前八時起床洗面シテ朝飧ス、畢テ○中略 朝鮮鉄道ノ事ニ付渡辺定一郎・賀田直治二氏来訪、爾後ノ経過ヲ報告ス○下略


朝鮮鉄道促進期成会書類(DK540088k-0002)
第54巻 p.456 ページ画像

朝鮮鉄道促進期成会書類           (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
粛啓 愈々御清穆の段欽慶に奉存候、陳者朝鮮に於ける鉄道普及に関する法律案も貴衆両院を通過致候は、偏へに諸賢の御配慮の腸ものと奉感謝候、就ては此機会に於て、更に朝鮮の産業発展に付御高教仰度奉存候間、御多忙の折柄恐縮に存候へ共、来る廿九日午後五時帝国ホテルへ御賁臨被成下度、此段御案内旁得貴意候 敬具
  昭和二年三月廿二日
              朝鮮鉄道促進期成会
               名誉会長 子爵 渋沢栄一
               会長      小松謙次郎
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿


竜門雑誌 第四六三号・第七五頁昭和二年四月 青淵先生動静大要(DK540088k-0003)
第54巻 p.456 ページ画像

竜門雑誌  第四六三号・第七五頁昭和二年四月
    青淵先生動静大要
      三月中
廿九日 ○上略 朝鮮鉄道促進期成会(帝国ホテル)

 - 第54巻 p.457 -ページ画像 

朝鮮鉄道促進期成会々報 同会編 第一―一九頁昭和二年三月刊 報告(DK540088k-0004)
第54巻 p.457-465 ページ画像

朝鮮鉄道促進期成会々報 同会編  第一―一九頁昭和二年三月刊
    報告
○客年七月十二日帝国ホテルに於て、内地及朝鮮在住の名士多数の参集を請ひ、朝鮮鉄道促進期成会を設くるの御賛成を得、超へて同月二十三日帝国鉄道協会に於て発会式を挙行し、主義綱領を天下に声明を為せり、之が目的達成の為め恒に常務委員会を開き、之が対策を研究考覈し、又随時顧問・相談役会を開き、意見を交換し一致協力以て朝野の輿論を喚起し、鉄道の普及促進に努力し来れり。朝鮮総督府に於ても、本会の趣意を諒とせられ、『朝鮮の開発は、鉄道の普及を前提とせざるべからず、即ち朝鮮に於ける鉄道の普及促進を図るは、単り朝鮮内に於ける緊急の施設たるのみならず、実に帝国に於ける国策上喫緊の要務なりとし、昭和二年以降十二年間に八百六十哩建設の鉄道計画を樹立せられたり、洵に機宜を得たりと謂ふべし、此の計画たるや、本会の主張する国有線二千百余哩に比すれば、その懸隔著しきものありと雖、其の主眼とする所は、帝国財政の現状に鑑み最低限度に止め、国運の進展に伴ひ更に本計画を拡張するの意を声明する所ありたり。』蓋し此の計画は本会主張の道程に属するものなるを以て、本会は本計画を支持し、是が実現に対して最善の努力を尽し、幾多の難関を横へたる第五十二帝国議会に於て、之が予算案の無事通過を見たるは、朝鮮の開発上のみならず、帝国々策として、朝野の大旆とする人口食糧及燃料問題解決上に曙光を認めたるは、洵に国家の幸慶に堪へざる所なり、然りと雖、隣邦支那・露西亜の現状に照らし、国交並国防警備上、鉄道の整備は最も急を要する秋に方り、帝国財政にのみ鑑み緊急の施設を荏苒するは、本会の洵に遺憾とする処なり。
 本会は国有線の普及を以て主義とするも、要するに鉄道の普及促進にあるを以て、若し夫れ財政上の拘束に在りとせば、民間の資力に依る私設鉄道を以て国有線に代行せしむるは、緩急宜しきを得たるものと謂はざるべからず、北海道に在りては、夙に意を是に致す、今や北海道第二期拓殖計画施行に際し、地方鉄道及軌道に対して、拓殖費よりの補助金を更に加給するの外、従来の補助年限十年を十五年に延長するの法案は第五十二議会を通過し、将に施行せられんとするあり、北海道の如き多くの国有線の延長を有するに拘らず、開拓上鉄道の普及を必要とし、私設鉄道の保護奨励を為すこと斯の如し、朝鮮に於ても、私設鉄道に対し更に一段の指導と保護助長の途を講ずるに於ては私設鉄道の普及促進は期して待つべきものあらむ。
 本会は総督府今回の計画を以て満足するものにあらざるを以て、将来一層朝野協力以て国有線の普及促進に努むるの外、叙上の見地に基き、私設鉄道の普及発達の方策に就て調査研究を行ひ、目的貫徹の為に更に一段の御助力に俟つべきものあり。
 玆に、従来に於ける経過御披露旁御尽力に対し謝意を表するため、三月二十九日午後六時帝国ホテルに渋沢名誉会長・小松会長司会の下に、顧問・相談役・評議員其他朝野の名士百余名参集を請ひ、席上渋沢名誉会長並小松会長の挨拶に対し、水野顧問より謝辞あり、午後九
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時散会せり。
 右経過報告の大要並其の演説をこゝに録す
  昭和二年三月二十九日
                    朝鮮鉄道促進期成会
    渋沢子爵の挨拶
 閣下並諸君、今夕は朝鮮鉄道の促進期成会が御案内申上げました処御忙しい中を御繰合せ御来臨下さいまして洵に有難うございます。此の促進期成会に御同情下さる皆様に一層の御援助を願ひたいので、今夕の筵を設けた次第であります。私は唯名ばかりの会長で、其の真相を心得ませぬ次第でありまして、誠に恐縮に存じますが、併し小松君は実際の事を御存じでありますから、其の方は小松君に願ひまして、私は聊か朝鮮鉄道の起源に付て、こんなことがあつたと云ふやうな過去のことに付て一言申上げます。尚鉄道網の将来に対しましての希望は、小松君から申上げることに致します。甚だ妙な御話のやうでありまするが、朝鮮に関する過去の御話で、何等御参考になるまいかと思ふ、唯そんな事もあつたと云ふやうなことを想ひ出されるに過ぎまいかと思ふのであります。
 皆様も多分御存じのやうに、私は今日世の中をボツボツと暮らして従来の惰力に依つて多少の社会事業でも致して居ると云ふに過ぎませぬが、併し朝鮮に対しては金融若くは運輸に付て微力ながら多少力を尽したと云ふことを、斯かる場合に申上げることが出来る。昔執つた杵柄と申しませうか、之を自己の業として見て行くのであります。私が金融界に力を入れましたのは明治六年であります。それから朝鮮に銀行を置きましたのが十一年で、数年の間に斯う云ふことになつたのであります。当時運輸に付て何か着手して見ようかと云ふ企はあつたかも知れませぬが、其の場合に朝鮮に於て何等計画基礎のあつた訳ではありませぬ。丁度引続いて支那あたりにも銀行の支店を出さうかと思つたが、其の点に付ては英吉利の「ランス」《(「シャンド」カ)》と云ふ人が左様な為替銀行などをすることは宜しくないと云ふので朝鮮だけでやめました。さうして朝鮮だけは維持して居つた。後から考へて見ると、維持して居つたのが良かつたやうに思ふのであります。初めの間は条約改正で何の効果もありませんだが、十七・八年頃から海関の取扱方を第一銀行に命じて貰ふやうにした。「ブラウン」と云ふ英吉利の銀行が朝鮮の海関の取扱をして居つたので、それから端緒を得てやるやうになつた、併しそれは単に金融の扱方としては誠に微々たるものでありました、それから明治二十七・八年日清戦争以後に於て、追々朝鮮に於て仕事が見付かるやうになりました。それを以て関係銀行は何十万円の金融をするやうになりました。玆に端緒を開いて地方に対する仕事としては海関の取扱が、朝鮮の貿易が進むに従つて進み増加すると云ふ傾向がありました。
 進んで其の以後、鉄道に対しては多分明治三十年と記憶しますが、亜米利加のモーリスと云ふ人が王様と約束して京城・仁川間の鉄道を建設することゝなつた。玆に於て私も銀行を十一年から維持したと云
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ふことは多少効果あるやうに思つた。既に政府は条約して居る亜米利加人が何んだと云ふやうな感じを持つて、種々な思ひを起したのであります。明治三十年は多分外務大臣は大隈さんだと思ひます。私は頻りに大隈さんに御願ひしたり、御勧めして、其のモーリスと云ふ亜米利加人が約束した京仁鉄道、之は内部は種々不円満で工事が進捗しないと云ふ事実があつたので、モーリスも大に手古ずつて困り切つて居つた所であるから、丁度好い塩梅と、日本人十二人でシンヂゲートを組織して、日本人の手に安く買取つて、それが出来上つたのは三十二年の十月頃であつた。価格は百二十万円であつたと思ひます。当時心細い話で、調べたことは間違があるかも知れませぬが、兎に角仁川から京城迄の鉄道、丁度東京から横浜より一寸遠い位でありませうか、それを大胆にも吾々の一の組合でやると云ふことに付ては、相当なる経営が出来るか、期し難いものであるから、百二十万円であつたが、政府の貸下げ金を使用することを願つた。大隈さんも「宜からう、出さう」と云ふことで貸下げを受けた。当時京釜鉄道を敷設しようと云ふ問題が起つて居たので、直ぐ様その方も願出ました。其の願出も速に許可になつたのが明治三十一年と記憶致しましす。伊藤さんも朝鮮に居られて幾らか心配して下すつて、日本人の団体が許可を得たのは京釜鉄道であります。之は明治三十二年から着手して向ふ五ケ年間と云ふ契約でありました。前に申した京仁は、遅くも三十一年には出来上ると云ふ訳でモーリスがやつて居つたのを引受けたのでありますが其の後大に着手が進んだのでありますが、併し之も見込通りにはなりませぬで、工事を仕上げた後に引渡す訳で売買を極めたのであるが、中々思ふやうにいかぬ、其の当時余儀なく工事半ばにしてこちらから安達太郎《(足立太郎)》と云ふ人を附けました。此の人が専ら鉄道工事の衝に当つたのであります。此の鉄道が落成して開通したのは明治三十二年の暮であります。其の時私は勿論参つたのであります。其の頃に前に申上げました京釜鉄道愈々起工すると云ふことになつた。併ながらこの起工と云ふことはどう云ふものであるか、果して利益ありや否と云ふことも期し難いのであつた。政府に於ても一方からは「そんなことをしてはいかぬ」と言つて大変小言があり、一方からは「やれ」と云ふ方もあり、同じ政府部内に於て、或お方は非常に小言を云ひ、或お方は大変に勧められると云ふ有様であつたのであります。而して明治三十二年に一応着手しようとしたが金が無い、之に付ては大変に苦みましたが、大倉組と共に着手をする金を色々工面して、先づ兎に角着手をし始めて経費を節約してしたと云ふこともありました。今日考へても何だか危険なことをしたものである、之は三十二年のことであります。京仁鉄道は三十二年の冬すつかり出来上りまして開通を致すことに相成りました。それから引続いて其の事業は先づ継続しまして、朝鮮の人々なども鉄道の便利を多少ながら認めると云ふことになりました。所が引続いて生じて参つたのは京釜鉄道で、之は思ふやうに参りませぬで、内地の資本が出来ても十分思ふやうにいかぬ、それで三十五年に海外に出て資金に付て心配しましたが、とても私共の微力では出来ませぬでした。余程苦んで居つた所が、三十六年の暮に愈々例の日露
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の問題が段々近付いて参つたのであります。今此処で其の噂ばなしをしましたが、之も或筋が其の際になると反対に「何故早く京釜鉄道を落成せぬか」と云ふやうな小言を云はれた、其の小言を云はれたお方は私の先輩として敬意を払つた人であるが、其の時私は「あなた方は従前どう言つたか、今日に於て能くさう云ふことを云はれたものだ」と云つた。兎に角資本金がいるので結局日本銀行から五百万円を出して貰つて此の鉄道を早く起工すると云ふことになり、大体三十六年の暮に出来上ることになつた。之に付ては古市公威君が関係せられた。之は私が鉄道に関係するに至つた大体の話であります。それから追々日清戦争・日露戦争があつて朝鮮に対する鉄道関係が進んで参りまして、故目賀田男爵は既に顧問として立たれるやうになりましたので、其の指揮の下に朝鮮の金融方法は、稍々一の形作りが出来ました。それは三十六・七年後の仕事でありまして、四十年に掛つた時であります。併し朝鮮の銀行の問題の成立つたのは、四十年に統監府の官制が出来て、伊藤公爵が統監時代であります。故に十一年に企てた銀行が三十九年、四十年頃に成立つたのであります。其の後京仁鉄道・京釜鉄道は民営でなく官営に変つて参りました。
 金融若くは運輸に付て、私が朝鮮に対して力を尽したことは誠に聊かなことでありますが、今申上げたやうなことであります。殆ど十数年の間の企は今申すと一笑話に過ぎませぬが、此の間に容易ならぬ苦心があつたと申上げて決して過言でない、私は朝鮮に対しては金融と運輸とがなければならぬと思ひました。運輸が必要であると云ふことは経済思想の観念から注意したのでありませぬが、目前の不便を感じて自ら考へた次第であります。
 以上は過去の御話だけで、現在に何等効果ありませぬけれども、日常の便を図る為に朝鮮の金融に微力を致したことを御話したのであります。その微力を致した為であるか、是非私の名前を出せと云ふことを渡辺君なども云はれる、私は「もうそんな事はいらぬぢやないか」と云つたのであるが、さう云ふ関係がありまして、金融に付て今尚顧問になつて居るのであります。鉄道促進期成会の未来に対することとか、現在のことであるとか云ふことは、小松君から申上げることゝして、私は過去のことだけに付て申上げたのであります。どうぞ鉄道促進期成会に対する将来に付ては、十分の御援助御指導の程を御願ひ致します――玆に杯を挙げて皆様の御健康を祝したいと思ひます。(一同起立――乾杯)
    小松会長の挨拶
 閣下並諸君、実は渋沢子爵に御挨拶を願ひまして私は差控へて居る積りでありましたが、只今御聞きの如き御命令でありますので、一言期成会の事に就きまして申上げたいと思ひます、期成会は其の初め、一昨年頃でありましたか、帝国鉄道協会に於て朝鮮鉄道の普及の為に特に調査委員を設けて詳細なる調査を遂げられましたが、其の調査の結果協会に於て発表せられました項目は五ケ条でありまして、第一は国有鉄道の方針を採ること、第二は鉄道敷設に関する法律を制定すること、第三は今後十八年間に二千百余哩の鉄道を敷設すること、第四
 - 第54巻 p.461 -ページ画像 
は漸次枢要なる私設鉄道を買収すること、第五は私設鉄道に対して補給利子を改正すると云ふ事でありました、此の鉄道協会の調査に基く五項目は貴族院に於きましても、亦衆議院に於きましても、大体この意見を賛同せられたのであります、現に貴族院に於きましては昨年満場一致を以て『朝鮮鉄道の普及促進に関する建議案』も通過致したのであります、又衆議院に於きましては『各派聯合百六十余名の賛成』を以て予て鉄道協会が主張せられた通りの項目を建議案として提出せられたのでありますが、他の問題の紛糾の為に議決に至らなかつたのであります、かくて昨年の夏の頃より朝鮮鉄道の状態を一層改善し、且普及せしめなければならぬと云ふ事よりして、朝鮮に関係のある方方其の他朝野の有力の方々が集られて、当朝鮮鉄道促進期成会を設けらるゝに至つたのであります、而して私は甚だ不肖な者でありますが当時会長になれと云ふ御推薦を蒙り、遂に御引受することに相成つたのであります、其の当時只今渋沢閣下の御演説の如く、朝鮮に於ける金融及運輸の関係は、子爵年来の御主張であつたに拘はらず、今日尚促進会の創立を必要とする現状を遺憾とせられ、吾々の懇請を容れて名誉会長たる事を御承諾下すつた次第であります、この会が出来まして以来、如何にして、この促進を実現することが出来るかと云ふ事に付ては、段々顧問・相談役等の方々に御相談申上げたのでありますが丁度総督府に於きましても満鉄の管理委託を解いて、自から鉄道政策を立てらるゝことゝなり、依て以て貴衆両院の希望に添ふことを努められたのであります、而して此度の鉄道計画は固より我々の期待を満足せしむるには足りないのでありますが、而かも総督府としては財政上の都合もあり、他の各般の施設との関係もあり、其の最善を尽されたるものなることは之を認めねばなりませぬ、殊に我々の期待する所と同一の方向に向ふものでありますがゆゑに、当促進期成会は此の計画を支持して極力其の実現を期せんことを努めたのであります、先づ第一運動の初めに当りまして、渋沢子爵を煩はしまして首相に此の計画の承認を懇請し、又大蔵大臣にも其の計画の必要なることを力説致しました、幸に両大臣とも主義として『朝鮮鉄道の普及促進』に賛成せられましたが、現内閣には既定の財政計画あるがゆゑに、如何にして此の計画を容認すべきやが最も難関とする所でありました、何を申すにも十二年計画三億二千万円と云ふ大計画でありまするので、公債募集額に制限を置く現時の政策に対して、如何に之を調和せしむるかと云ふ事は頗る心配致した点であります、所が幸にも復興計画其の他公債財源に依る事業中多少年限を繰り延べたるものあり、政府が予定して居る所の公債募集額の範囲内に於て此の計画が成立すると云ふ事に相成つた次第であります、幸ひ此の計画を包含する所の予算は貴衆両院を間もなく通過致す事に相成りましたが、私設鉄道買収費を包含する朝鮮鉄道事業公債法案に付ては、御承知の如く衆議院に於て相当論議を戦はされて容易に決定致しません、一時は如何なる事になり行くかと云ふ事を心配致したのでありますが、図們鉄道の買収年限を多少早めると云ふ条件の外には何等の修正なくして可決せられました。
 斯の如く十二年計画三億二千万円の鉄道政策が確立することに相成
 - 第54巻 p.462 -ページ画像 
りましたのは、政府当局の御尽力は申す迄もなきことでありますが、全く貴衆両院の関係各位を始めとしまして、皆様方の御援助の結果に外ならぬのであります、本夕は皆様方の御集りを願ひ、此の事の御披露を申上げ、兼ねて段々御尽力の御礼を申上ぐることに致した様な次第であります、併しながら前来申述べましたる如く、此度の鉄道計画なるものは、吾々の主張に較べますれば、決して其の全部ではないのであります、又朝鮮の現状から観ましても、之を以て足れりとする訳には参らんのであります、御承知の如く昨年は林政の統一、水害其の他の治水方針、又産米増殖の計画等を樹てられたのであります、併し此の度の鉄道計画なるものは、必しも是等の施設と歩調を一にして居るものではありません、申さばこれ迄と同様先づ第一期の計画とも申すべきものでありまして、地図の上に於て是非なければならぬ大綱の一部丈けを敷設せらるゝのであります、その産米増殖の計画に伴ふ交通路線の如きは、総て後事に残されて居るのであります、何れ一般産業政策の進行上必要なる自動車道路網であるとか、地方鉄道であるとか云ふ様なものは、漸次普及せしめねばならぬ事は申す迄もないことであります、此の度の計画は鉄道協会の調査したものに比較しましても、その半に当つて居らぬのであります、殊に私設鉄道の助長発達に付ては、今日尚その儘になつて居るのであります、産米増殖の計画その他の関係上、是等交通路線は国有鉄道に待つよりは私設鉄道の普及に期待する所が多いのであります、政府の鉄道計画要綱に依りましても、私設鉄道六百哩、其経費六千六百万円を要すると云ふことであります、然るに其発達助長に関して何等適切有効なる方法を講ぜずしてこれ等の資金を内地より得ることが出来るかどうかと云ふ事は、余程難問題であります、此の点に付ては特に総督府の御考慮を願ひ、尚皆様方にも此上共充分の御後援を御願ひ致す次第であります。
単に鉄道に就いて申述べましても斯様な問題が今日尚残つて居るのみならず、朝鮮に於ける一般産業の奨励と云ふ事に就きましては幾多の問題が未解決に存して居るのであります、鉄道其物は元と産業政策の一部であります、従つて鉄道は申すに及ばず、産業の発達に就て皆様方の御同情御後援を御願ひ致す場合が多々存するのであります、玆に列席せらるゝ所の渡辺定一郎君は、朝鮮の産業発展に就ては是迄非常な尽力をして居らるゝのでありますが、朝鮮聯合商業会議所会頭の資格を以て此の機会に於て各位の御尽力を感謝し、将来一層の御同情御後援を御願ひする様にと云ふ事であります、私から特にこの事を申添へて皆様に御願ひを致します、一言子爵の御言葉に従ひまして御挨拶を申述べた次第であります。(拍手)
    水野錬太郎氏の謝辞
 今夕の御招待に対しまして私に一言の御礼申述べよと云ふ御交渉がありました、甚だ僭越でありまするが、一言御礼を申述べたいと思ふのであります。
 本夕は朝鮮鉄道促進期成会の御招待に依りまして、玆に鄭重なる御饗応に預り、且又渋沢子爵並小松会長から朝鮮の過去並朝鮮に関する将来の御話を承はりまして、私共洵に欣快に堪へないのであります、
 - 第54巻 p.463 -ページ画像 
今事新しく申す必要もないのでありまするが、朝鮮の開発に最も緊切なるものは、申す迄もなく交通機関の普及であるのであります、産業の発展と云ひ、又他の向上と云ひ、警備の上から申しましても、交通機関の発展を図らなければ此の目的を達し得ないと云ふことは申す迄もないのであります、現に私が朝鮮に在職致しました際に於きましても、交通機関の不備の為に幾多の苦痛を感じたと云ふことは自分も実際に体験したことであります。産業文化のことは申す迄もないことであります、現に大正八年の所謂独立騒擾の際に於て交通機関が無かつた為に、国境の防備、馬賊の防禦、不遑鮮人の討伐に於て幾多の困難を感じた、之は警察の方面から感じたことであるが、更に文化の方面から言ひますと、朝鮮に於ける鉄道の沿線は発達して居りますが、一歩奥地に這入りますと、吾々の想像し得られざる状態にあるのであります、それでありまするから、何んと言つても朝鮮に於ては先づ第一に鉄道網の普及を図らなければならぬと云ふことは、私共のみならず朝鮮に関係せらるゝ方々の異口同音に唱へられることであります、唯経費が十分でありませぬが為に、今日未だ十分なる目的を達することが出来ないことは遺憾とする所であります、然るに朝鮮鉄道促進期成会の御努力と総督府当局の御努力に依りまして、未だ十分とは申せませぬが、兎に角朝鮮鉄道の或一部に付て実行し得ることが出来るやうになつたことは、私共は朝鮮の為に喜ぶべきことゝ思ひます、朝鮮ばかりでありませぬ、内地の産業の上に於ても、内地と朝鮮との関係に於きましても亦喜ぶべきことゝ考へます、此の事に付きまして、此の朝鮮鉄道促進期成会の諸君の御努力に対しましては、私共深甚の謝意を払はなければならぬと思ふのであります、尚又之に関しまして唯今渋沢子爵から朝鮮に於ける過去の状況を御述べになりました、私等朝鮮に関係する者は洵に感慨に堪へざるものがあるのであります、今日は朝鮮も帝国の領土と替り、朝鮮人は吾々内地人と同様に新附の同胞と相成つたのであります、此の間に於きまして、朝鮮の開発は遅々として居るとは申しますけれども、私は総ての上に於て大なる発展を為したと思ふのであります、教育の点に於きましても、産業の点に於きましても、交通の点に於きましても、過去のことを考へますれば、朝鮮の発展は或意味に於て私は偉大なりと謂つて差支ないと思ひます、現に私の在職中亜米利加人のゲレーと云ふ人が申しますには『朝鮮に三度来たのであるが、三度来る度毎に朝鮮の発達は目に見えて居る、山は十分なりとは言へぬが青きを加へ、道は段々良くなつた、鉄道の幹線は兎に角普及されて居る、此の状態を見ると、西洋諸国に於ける殖民地の状勢に比して譲らざると云ふよりは、寧ろ驚くべき進歩であると言つて差支ない、之は日本人殊に日本人当事者の智能・才力・気力に感じた』と云ふやうなことを言ひまして、朝鮮を去つて支那に参る途中、鴨緑江を渡る際に、朝鮮の国境に於て『日本人の朝鮮に於ける発展に対して多大の感渉《(マヽ)》の意を表する』と云ふやうな意味の大変に長い電報を発した、兎に角此の長い間に於て進歩は相当にして居る、此の進歩を為したのは吾々局に当つて居つた者、若くは現在の人のみではない、過去に遡つて見ると、先程渋沢子爵の御述べになりました
 - 第54巻 p.464 -ページ画像 
明治十一年其の後に於ても朝鮮の状態は実に憐むべき状態に在つた、渋沢子爵は金融並交通の方面に着眼されて多大の御努力を為さつたと云ふことを御述べになつたが、それには幾多の苦心があつた、幾多の支障邪魔があつたらうと思ひます、之等の故障を排し、之等の困難に打勝つて今日を致した、兎に角日本帝国の領土となり、今日の開発を為したと云ふことは、之等先輩諸君の苦心と艱難に対して多大の感謝の意を表さなければならぬと思ひます、当時の事情を御承知になつて居る人は、今日の朝鮮の事情を見ては必ず感慨無量の感があると思ふのであります、之は或る政治界の方面或は経済界の方面の人其の他の御方々が、国家の為に朝鮮の開発を図られ、帝国の為に幾多の犠牲を御払ひになりました結果と思ひまして、今日の状勢を見るに付きましても、渋沢子爵は勿論其の他の先輩諸公に対して感謝の意を表するのは吾々の責務であらうと思ひます、尚又将来を考へますれば、朝鮮は今日相当の発達を為したが、今後発達を為すべき事は幾多あるのであります、鉄道の如きも其の一つでありまして、鉄道網も稍々其の緒に就いたと申しますけれども、唯今小松会長の御話の如く其の一端であつて、決して之を以て満足すべきでない、産業の方の食糧問題、水利問題と云ひ相当の計画は樹つて居るが、今後当開拓すべき方面もあります、今日千五百万石の産米はあるが、更に努力を加へまして二千八百万石、約三千万石になり得ると云ふ計算であると云ふことで、之等に付ても相当に考へなければならぬ、更に又教育の方面に付きましても、或は道路のことに付きましても、殊に治水・山治・港湾の問題の如きは相当の考慮を加へなければならぬ、之等のことが相当出来ませねば、鉄道のことだけでは朝鮮の開発は出来ぬ、之等のことを綜合して計画を樹て考慮することは必要であります、朝鮮の開発を云ふことは取りも直さず帝国の発展に相成るのであります、同時に朝鮮人をして内地人と同様に一視同仁の恵沢に浴せしむると云ふことは、産業計画と相俟たなければならぬ、斯く観じますれば、朝鮮に於て今後為すべきことは幾多あるのであります、冀くは鉄道促進に御尽力になつて居る諸君、並朝鮮に関係ある方は、共に倶に朝鮮の開発の為に心を致すことは必要であるまいかと考へるのであります、而して今日は朝鮮には帝国議会に代議士を送つて居らないのであります、それであるから朝鮮の問題に付ては朝鮮に関係ある者が努力しなければならぬ、之は政府並総督府当局者が相当に努力して下さることは申す迄もないのであります、之と同時に民間にある方々と一緒に此の事に当ると云ふことを考へなければなりませぬ、鉄道網の如きは此の鉄道促進期成会の如きものが極めて必要である。併し此の会のみが鉄道網の促進を為したと云ふことは言へませぬが、此の会が此の度の鉄道網の計画に与つて力あることが多々あると云ふことは申す迄もないのであります、朝鮮各般の問題に対しまして、何卒交通機関の速成を期すると同時に他の方面にも御力添へ下さることを御願ひ致します、私は嘗つて朝鮮に在職致しました関係上、朝鮮の山河風物は常に胸中に往来して居りまするが為に、今日御招ぎを受けました機会に於て此の事を申上げ、渋沢子爵の如き過去に於て御尽力下さいました方に感謝の意を表し、
 - 第54巻 p.465 -ページ画像 
将来吾々はいつ迄も努力すると云ふことを誓ひたいと思ふのであります、今日は誠に御鄭重なる御招ぎに預り洵に有難うございます。
                          (拍手)


朝鮮鉄道促進期成会書類(DK540088k-0005)
第54巻 p.465 ページ画像

朝鮮鉄道促進期成会書類          (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 朝鮮鉄道網計画も無事議会を通過致候は偏に 閣下並に諸賢の御後援の賜と奉感謝候、小□《(生カ)》帰鮮後全鮮に報告仕候、尚五月には全鮮商業会議所聯合会を開催し、産米増殖、鉄道網の二大産業施設と不可分の拓殖計画即ち治山・治水・港湾の施設、鉱工業の奨励促進、電力問題、漁業の奨励等計画を定め度、更に 閣下並に諸賢の御後援のもとに此の朝鮮拓殖上の計画を完成仕度、併て御援助の程奉願候
先は議会通過の御礼を兼ね如斯御座候 敬具
  昭和二年四月 日    全鮮商業会議所聯合会代表
                     渡辺定一郎
    (宛名手書)
    渋沢栄一閣下



〔参考〕朝鮮鉄道促進期成会書類(DK540088k-0006)
第54巻 p.465 ページ画像

朝鮮鉄道促進期成会書類          (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 益御多祥奉賀候、扨朝鮮之鉄道問題に付緊急重要事項相生じ、折柄上京中之渡辺定一郎氏と共に篤と御相談申上度件有之、暑中御多用之際乍恐縮来る十六日正午丸ノ内帝国鉄道協会まで御賁臨被成下度此段得貴意候 敬具
  昭和四年七月十三日     朝鮮鉄道促進期成会
                 会長 小松謙次郎
    子爵 渋沢栄一殿
            侍史
 追而別紙を以て御来否御回答煩度候



〔参考〕会長小松謙次郎氏の遺図を語る 【朝鮮鉄道促進期成会常務委員 谷口守雄】(DK540088k-0007)
第54巻 p.465-470 ページ画像

会長小松謙次郎氏の遺図を語る      (財団法人竜門社所蔵)
    朝鮮鉄道促進期成会長小松謙次郎氏の遺図を語る
               朝鮮鉄道促進期成会常務委員
                      谷口守雄
                    昭和七年十月二十二日
                    京城朝鮮鉄道協会に於て
 お話が前後致しますが、帝国鉄道協会に於て調査研究したる朝鮮鉄道網計画に本づいて、大正十五年三月帝国議会に建議案として提出致さるゝことゝなるや、関係者一同大努力を致しまして、天下の注目を集め、各方面の賛意を得たのであります。
 衆議院には党派に関係なく全部が賛成して提出されたのでありますが、不幸にして此建議案は最終の日に出されました為めに、最終の日に於ける非常の議会騒ぎの為めに、審議未了に終つて居りまするが、殆んど通過したも同様であります。
 貴族院の方はその構成の性質上建議案の提出は容易ならざる事に属するに拘はらず、建議案として上程せられ、しかも問題なしに賛成されまして、其折の提案説明者は佐竹三吾君で誠に熱心に且つ具体的に
 - 第54巻 p.466 -ページ画像 
説明されて、全会一致を以て通過致したのであります。以来朝鮮総督府に於かれましても、吾々の主張を重視し種々御調査があつたものと見へまして、しかも鉄道界の権威大村卓一氏が鉄道局長として朝鮮鉄道普及促進に対する十二年計画をお樹てになつて、其の予算案が無事五十二議会を通過し、昭和二年度より実施し現に実行しつゝあるのであります。多少吾々の調査と線路に入替りはありますが、大体に於て意見が一致しまして吾々の主張が容れられましたことは、まことに喜ばしいことであつたのであります。処が民政党内閣になりまして御承知の緊縮政策といふことになりまして、折角努力して一ケ年二千五百万円といふ予算を取りまして、更にこの十二年計画は十年計画位にして一ケ年三千万円位宛も取り度い位に思つて居りましたのが、反つて半減されることになりましたのであります。抑も朝鮮の開発、産業の発達といふ見地から見れば朝鮮は決して、内地と同一に見るべきものではない、当時の財政事情は兎に角として、内地と同様に予算を削減されたといふことは、今日猶頗る遺憾に思つて居る次第であります。
 爾来我が期成会は怠らず、国有鉄道並に私設鉄道の双方に就て調査研究し、之に対しては問題の起る度に、当局者を訪問して種々と主張を申上げ、議会方面に対しても微力乍らも御手伝したといふことは続けて居りますが、之等のことに対して小松会長の終始指導し且つ尽力されたことは、筆舌には尽されませぬ。しかも貴族院の重要位地に立ちて御主張になつて居られました。
 今度私が出発します前に馬場鍈一君に御目に掛つて聞きましたのですが、『自分は小松さんから朝鮮の鉄道問題に就き色々聞いた、実に熱心に研究されて居つた。』とその要点をお話になりましたが、私が聞いた通りと一致して居りました。結局この鉄道促進期成会は、如斯に貢献をなしまして有識者より相当に認められることになつて居つたものが、今会長を失つた為めに頓挫の儘に置くやうなことがあつては実に小松会長の霊に対しても相済まぬ。之は何処迄も小松会長の御意図を尊重して主張の貫徹に努めなければならぬと思ふのであります。
 之から先きは小松さんの御遺図の一班であります。即ち小松会長が今年十月十一日に東京を御出発になります前、即ち先月の末に私に逢ひ度いといふ電話がありましたので、私が参りましたら、『朝鮮の鉄道といふことに就て自分は少し考がある。それは曾て今井田政務総監には親しく申上げて置いたが、何とか方針を決めなければなるまい、つまり十二年計画は満洲国独立以前に出来たが、今日は独立した為めに、満洲の形勢は一変して居る、朝鮮の鉄道政策は十二年計画で満足し得るか、之が国有鉄道に対する方針上一考を要する点である。次に私鉄に対しては補助問題、即ち今後二・三年で満期に相成る補助問題をどういふ風に解決するのが宜いか、之に就ては私鉄は合併するがよからう、尤も合併するといふても、前に六社合併の如く、各地に飛々に線路があつて、咸北線があるかと思へば、数百哩を隔て、忠北線があるといふのでは、十分に合同上の効果を発揮することが出来ない、それより何か脈絡統一のある方法で以て、私鉄会社を一つにするか二つにするか、何れにしても或程度の統一をさせる方がよからう、而し
 - 第54巻 p.467 -ページ画像 
て将来は買収すれば宜しい、それに就て私鉄の現在計画中のもの、及将来の希望がある線路は如何に、同時に国有鉄道の方針に就ても聞き度い、さう云ふ調べを大体で宜いから、大急ぎでやつて呉れ』といふお話がありまして、幸に東条君が御在鮮中でありましたから、私鉄各社へは東条君から御伝言を願ひ、朝鮮鉄道会社には新田君に電報を打つて計画又た希望の図面を作つて貰つて是等大体のものを小松さんに見せて、共に朝鮮鉄道の大体の方針を決めるべく協議したのでありました。小松さんの御主張としては、『満洲国が独立をした現在に於ては、朝鮮の国有鉄道は十二年計画で甘んじて居ることはどうであらう、今少しく研究して見るべきではないか、しかも十二年計画が予算関係に妨げられて遅れて居るが世界の趨勢は時々刻々進んで居る。十年二十年といふ永いことをして居つては、一朝事があつたら間に合はない、又事無しとは云へない、就中現在総督府の着手して居る満浦鎮線・恵山鎮線は最も枢要なものである、斯様な線路に全力を注ぐことが一番よいのではないか、又大村前局長計画の国境鉄道の如きも促進すべきではないか』といふ御意見でありました。
 一寸お話が外れますが、総督府の御方針も同様と思ひますが、満浦鎮線や恵山鎮線は独り朝鮮の産業開発の為めばかりでなく、軍事上最も必要な線である、私共は朝鮮鉄道網を調べた当時、参謀本部の木原少将(現東京衛戌司令官中将)其他の係の方にも、鉄道協会にお出を願ひ、又私共も参謀本部へも出まして、或程度の秘密書類のお示も受けまして、御相談致したのであります。最も其時分の参謀本部の計画と今日とどう変つて居るか、又方針も変つた点もありませうが、大体は変りが無いと思ひますが、兎も角其当時の参謀本部の希望は、陸軍の動員計画の上から見ますと支那海方面に於ける防禦は絶対に保証するといふ訳にはゆかない、唯対馬海峡だけは如何なることがあつても防ぐことが出来る。従つて日本海は露西亜との戦でなければ安全を期することが出来る。さうすると一朝有事の際に大連の方からと、日本の勢力範囲の上海方面の航路が塞がれたらどうするか、是に対しては日本海方面の航路、即ち吉会線を完成せしめて羅津なりから北日本への航路が枢要な海上線である、然しそれだけでは輸送量が足りない、其処で朝鮮の陸上動脈線を利用する、然るに今の京釜・京義線ではとても足りない、朝鮮の実情から考へて見て、今の京釜・京義の幹線を複線にするより、満浦鎮線を造つたら複線の代用をする。又中央山脈を通過する中央線でも敷いて、願はくば馬山に持つて来て貰ひ度い、さうすると釜山と相俟つて利用出来る、それには中央線を利用するがよいではないかといふやうな計画になつて居りました。それでは安奉線はどうするか、京釜・京義の両線が複線を有つて居つても、安奉線が単線では輸送力が足り無い、それで満浦鎮から通化を経て朝陽鎮を経て奉天に出る一線が出来れば、之が安奉線の複線ともなり南満の動脈線となる、さうすると陸軍としては稍々理想に近いものが出来るではないか―といふやうな計画であつたと記憶して居ります。之が其当時の如く支那の領土であるといふと満浦鎮から奉天に敷設するなどいふことは、外交問題もむつかしくて、其為めに十数年を空費致すので
 - 第54巻 p.468 -ページ画像 
ありましたが、既に満洲国の独立した今日であるから、楽に行きはせぬかと思ひます。昨日も八田満鉄副総裁に、之に対する意見はどうかと伺つたら、枢要な線であるから早晩やらなければならぬといふ話もありました。
 私共の考としても、小松さんの御考と同じく十二年計画の年度割を速成すると同時に、唯今申上げたやうな枢要な線が未だ国有線にもありはせぬか、自動車が発達した時には鉄道を敷設する必要が無いといふ説もありますが、朝鮮の産業の上から考へますると、唯自動車だけで満足し得る物資ばかりではない、工業原料・農産品・木材・鉱石といふやうな物は、鉄道に依らなければ、自動車では輸送が出来ない、殊に国家万一の場合には、到底自動車では補ふことは出来ないのであります。それで今日に於ては差当り今申上げたやうな線だけは国有として敷設しなければならぬ。十二年計画を繰上げることゝ、新に何本かの線を計上しなければならぬではないか、さうすると鉄道局の仕事としては一層重荷になつて来るが、其以外に他にもう私設鉄道の延長せしめる線は一つもないかと云ふと、小松会長の意見では『現に南鮮方面でも国有鉄道の計画着手の線もあるが、此方面では既設線の一部を私鉄に払下げて、新線を私設鉄道に敷設させるといふことも一つの方法ではないか、又江原道方面の炭鉱に対する鉄道とか、或は北の方の金鉱を開発する鉄道とかは私鉄に委任しても差支ないものではないか、国有鉄道が年度を繰上げると同時に、新たなる線を早晩着手をしなければならぬとすれば、今云ふやうな経済線とでも云ふものは、是非自らが力を費やさずに、民間をして敷設させることは反つて普及の目的達成になりはせぬか、之が一つの良い方針といふものではなからうか、斯様に考ふると、同時に私鉄の合同といふことも、何とかやらなければならぬ、そして何とかして脈絡のある線、例へば甲の線と乙の線とを幾分宛延長して之を聯いで合同しなければ、切れ切れでは何にもならぬではないか』といふ如き御意見でありましたが、之に就ては私より進言しました結果、既設線を結び付けるといふことは工事が困難で経済上価値がないやうな所ではいけない、政府が犠牲線を敷いて結ぶといふならば格別であるが、私設鉄道としては採算上到底不可能のことである。それで只理想的な脈絡を付けたものを合併するといふ考は止めて、線路の形勢の上から何等かの間接にでも聯絡のあるものを一緒にしやうではないか、現在のやうに五つも六つもに分れて居ることは不利益である、それでどうにかして之を纏めるといふ考と同時に、私設鉄道の一部の線路を延長せしめる、又場合によつて国有鉄道の一部の線路を払ひ下げて、その延長線があるならそれを私設鉄道にやらせるといふ会長のお考になつたのであります。
 『朝鮮の鉄道は十年経つても十五年経つても余り収入が増加しないが、斯様な鉄道をいくら敷設しても何もならぬと云ふ説もあるが、朝鮮の鉄道を内地と比較することは所謂認識不足の甚しいもので、斯様な議論は一顧の値もないもので、朝鮮の鉄道は経済上の収益をのみ見ては不可である、朝鮮の鉄道は朝鮮の産業で見なければならぬ、産業の開発に就てどれだけの効果があつたといふことを考へて見て、始め
 - 第54巻 p.469 -ページ画像 
て其価値の有無を判断すべきで、其他に国防・文化に貢献すること多大である。鉄道其ものの利益があるとか無いとかは暫く問題外にして研究しなければならぬ、内地と同様に儲かるからやるが、儲からぬからやらないといふ性質のものではない、此鉄道を敷設すると何れだけの産業上の利益があるかといふことを考へて敷設すべきである、随つて之に補助をするのは国策上当然の措置である、それで最後に行つたら、何でも無い、紙で買へば宜しい、即ち公債で買へばよいのである朝鮮全体の産業が其所迄興つて来たら、公債の利息位何でもない、故に此過渡期に於ては官民両者相俟つて此鉄道網を完成せしめ度い、当局として此方針を如何にお樹てになるか、それに就て政務総監、鉄道当局に会つて意見を闘はし、自分の蒙は改め、他人の蒙は啓ひて貰つて、一日も早く完成せしめ度い』といふことが会長の御希望であつたやうであります。
 次に私設鉄道の補助問題でありますが、最初は六分でありましたが此が幾何もなく七分になり、現在は八分の補助を頂いて居る、国庫の負担も今日では実に尠からざるものであります。之が期限が来たらどうするか、当初私鉄を奨励された目的から考へても、朝鮮の開発といふ問題から考へても、何とかしてやらなければならぬが、期成会の主張は第五十二議会で、現在の八分では不可ない、多少でも当事者が勉強したら八分の上に幾らかでも配当出来るやうにしなければならぬ。その株の値段が出ない最大原因は、八分の補助が欠損をすると八分が切れる、又十五年経つたら無くなつて終ふ、といふ杞憂の念を抱いて居る為めである。其処で之は弾力性のある補助にして、八分の補助を与へて会社の利益が二分あつたら、一割の配当をするなり、政府と会社と折半して九分の配当をするなりしなければ発達をしない。近頃は内地でも成績が悪くて鉄道に投資することを好まない、況んや事情の分らない朝鮮で敷設する鉄道に、内地から投資せしむるには、今のやうな方法を何とかしなければならぬといふ説が、当時の期成会の主張でありまして、此事は当時貴族院に於て説明せられた佐竹君の速記録にも明かに書いてある。然るに此両三年は何分にも国庫が赤字公債を発行して居り、内地では窮民救済の為めの匡救公債を発行して、僅かに辻褄を合せなければならぬ現状であるから、依然として八分の補助を主張するといふことは、少しく虫が良過ぎるといふ誹を受けるから何とか改正しても宜いではないか、八分の補助を六分とか七分とかに下げるといふ種々な説がありますが、当局では如何なる御考を有つて居られるか知れぬが、会長は、『余りに急激に変化をしては不可ない、先づ七分程度が穏かではないか、そして配当は弾力性を加味して或程度の率で押へて置けばよいではないか』つまり会長の御主張では『私鉄は国有鉄道が為すべき任務を担ふて朝鮮に於ける鉄道の敷設の為めに努力して居るのであるから、何等かの好餌を与へなければ、不況の際には新たに払込でも徴収して国有鉄道の延長のお手伝をすることは出来ない』之が即ち会長の苦心された点であつたと推察致されます。
 結局現下の朝鮮の鉄道の使命といふことに考を及ぼして、少しく考へて貰はなければなりませぬ、我々は朝鮮の鉄道を促進せしめる為め
 - 第54巻 p.470 -ページ画像 
に其説を出すのである、朝鮮鉄道促進期成会は朝鮮の鉄道を官私共に進めることが目的である、官私鉄道は車の両輪である、其の車が出来て将に進まんとして居る時に、片側の車に一大打撃を受けて、即ち国有鉄道が半減された、大村前局長其他の御努力によつて今日では三百万円か五百万円かの予算が殖へて居りますが、もう一段増加せしめたいといふのが期成会の主張であります。従来は国有鉄道の予算獲得の為めに非常な苦心をして居つたが為めに、私設鉄道の方は声が出せなかつた、車の一方は幾らか前進しましたが、残りの一方は未だ其儘に残つて居る、之を二つ共に並ばせるといふのでありますから、当然私鉄の方も何とかしなければならぬ必要が興つて来る。幸にして朝鮮の私鉄が独り歩きが出来るなら経営さしても宜いが、今後尚十年十五年経つて未だ独り歩きが出来ないといふなら、朝鮮全体の統治上から見て、政府に買収することが一番宜い、さういふ点を考へても私鉄の合同といふことを此際考へて、出来るだけ経費を詰めさせ、一方に弾力性を有たせた補助をする、現在の私鉄は必ずしも怠慢といふことはないが、人には幾分緩みがあります。働けば働く程儲かるといふことになると良い智恵も出て来まます。それには弾力性の補助に改めることが必要であると思ひます。同時に又補助率は八分其儘では不可ない、最初に六分から七分になり、八分になりして居りますから、先づ一段下げた七分に留めて、大勢を見て更によければ六分にし、五分にするといふ風に、ステツプ・バイ、ステツプで行くことが順序ではありますまいかと考ふるのであります。
○下略



〔参考〕朝鮮鉄道促進期成会々報 同会編 第一九―二三頁昭和二年三月刊 【参考 第五十二議会を…】(DK540088k-0008)
第54巻 p.470-472 ページ画像

朝鮮鉄道促進期成会々報 同会編  第一九―二三頁昭和二年三月刊
  参考 第五十二議会を通過したる総督府の鉄道計画左の如し
 新線路の建設は比較的少額の経費を以て其の効果の大なるものを選び次の五線を予定したり。

                      哩
  図們線  雄基    潼関鎮間    九七
  恵山線  城津    恵山鎮間    八八
  満浦線  順川    満浦鎮間   一七八
  東海線  元山蔚山  浦項釜山間  三四一
  慶全線  晋村院州  全州潭陽間  一五六
   合計               八六〇

 就中図們線・恵山線及満浦線は主として石炭・木材の搬出に便し、隣接地帯と経済上の接触を為し、国防・警備上貢献する所あらしめむとするものなり
 東海線は主として脊絡山脈の石炭・木材・礦物及東海の海産物の開発搬出に便し、以て東海岸未発の地帯を拓き、咸鏡線と連絡して東部縦貫線を形成せしむとするものなり
 慶全線は釜山方面と湖南方面とを連絡して、慶南と全南及全北の宝庫の交通に便し、南鮮に於ける横断線を形成せしむとするものなり
 新線の建設、拓殖鉄道の使命を果たすを第一義とし、地方の状況に応じ多少の小曲線急勾配を使用して可成隧道等の難工事を避け、木材
 - 第54巻 p.471 -ページ画像 
の豊富なる地方に在りては橋梁其の他の建造物を仮構造とし、務めて建費の低減を図りたり
 私鉄買収==新線建設に伴ひ其の間に介在する現在の私設鉄道線左記二百十哩を買収し、国有の下に経営せむとす

                              哩
  朝鮮鉄道会社所属 慶南線  馬山晋州間       四三・五
  同        全南線  松汀里潭陽間      二二・七
  同        慶東線  大邱鶴山 西岳蔚山間  九二・〇
  全北鉄道会社線       裡里全州間       一五・五
  図們鉄道会社線       会寧潼関鎮間      三六・一
   計                       二〇九・八

 上記買収線中、朝鮮鉄道会社所属慶東線、全北及図們鉄道会社線一四三哩六分は狭軌なるを以て、広軌に改築せむとす、而して右買収は各線の事情及政府財政の都合を斟酌し、弐年度以降五ケ年間に於て之を 《(原本欠字)》とす
 既設線路及車輛改良==既設線は概して開業当時の運輸状態に適応せしめ、之が速成を期したるものなるを以て、運輸の発展に伴ひ、之が改良を要するもの頗る多しと雖、今回の計画中には、 既設線に於ける車輛の増備・改良並軌条の更換、船車連絡、各駅拡張等にして真に緊急止を得ざるもののみを計上したり
建設及改良費==本計画に属する建設改良費は既定計画に属するもの八九、九〇六、一六〇円の外新規計画に属するもの二三〇、〇九一、八四〇円、総計三二〇、〇〇〇、〇〇〇円にして、其の内訳を示せば
  建設費            二五一、五七一、二六六
   既定建設費          七七、四二八、九三二
   新規建設費         一七四、一四二、三三四
    図們線           一七、〇八三、三五八
    恵山線           一九、二七四、二九五
    満浦線           四六、六三九、三七九
    東海線           六三、〇〇〇、一七四
    慶全線           二八、一四五、一二八
  改良費             六八、四二八、七三四
   既定諸改良費         一二、四七九、二二八
   新規改良費          五五、九四九、五〇六
    買収線改良         一五、七五四、一五七
    既設線改良         二二、一九五、三四九
    既設線車輛増備並改良    一八、〇〇〇、〇〇〇
 建設改良費総額三二〇、〇〇〇千円は年額一千九百万円乃至三千万円として、昭和弐年度以降十三年度に至る十二ケ年間に支出す
 買収後の私鉄建設見込==買収後の私設鉄道は朝鮮鉄道会社・京南鉄道会社及金剛山電気鉄道会社にして、朝鮮鉄道会社は同社所属線一部の買収により相当の余裕資金を得、之により約二百哩を建設し、各線共経済地点に到達せしむることを得べし、其の他京南鉄道・金剛山電鉄の未設線及今後設立さるべき私設鉄道を合し、十二ケ年間に約六百哩を建設する見込にして、之に要する資金六千六百万円の見込なり
 - 第54巻 p.472 -ページ画像 
 新計画完成後の鉄道延長==新計画完成後の国私鉄道は三千五百一哩となり、昭和元年度末迄の営業哩千八百二十九哩に比し九割一分を増加することゝなる



〔参考〕朝鮮私設鉄道補助満期並ニ同法中改正ニ関スル本会ノ意見 昭和五年三月(DK540088k-0009)
第54巻 p.472-473 ページ画像

朝鮮私設鉄道補助満期並ニ同法中改正ニ関スル本会ノ意見  昭和五年三月
    朝鮮私設鉄道補助満期並ニ同法中改正ニ関スル本会ノ意見
朝鮮ニ於ケル事業公債半減ノ結果、国有線ノ延長ハ殆ント中止ノ状態トナリ、私設鉄道ハ補助金不足ノ結果其延長ヲ阻止セラレ、従テ失業問題亦之ニ伴ヒ、啻ニ朝鮮開発上一大影響ヲ蒙ルノミナラズ、延テ同地経済界ノ不振其極ニ達セントスルハ頗ル寒心ニ勝ヘス
一、朝鮮ニ於ケル国有鉄道ノ延長カ非募債主義ノ下ニ阻マルヽハ、国家財政上寔ニ止ムナキモノトセハ、此際進ンテ私設鉄道ノ延長ニ依リ、之カ補充ヲ為サシムルハ機宜ノ処置ト謂ハサルヘカラス、然ルニ朝鮮ニ於ケル被補助会社ヤ、金剛山電気鉄道・朝鮮京南鉄道・朝鮮鉄道等有力会社ハ、左記ノ如ク早キハ今後四年ニシテ補助期限満了ニ至ルカ為メ、株主ハ不安ノ念ニ駆ラレ、今後ノ払込ニ躊躇スルハ勿論、株式界亦甚シク此点ヲ悲観シ市価ニ影響スルトコロ尠ナカラス、而カモ朝鮮ニ於ケル私設鉄道カ今後数年ニシテ能ク自力相当ノ配当ヲ為シ能ハサルハ、既往ノ実績ニ徴シテ瞭カナルトコロナリ、若シ夫レ之ヲ今日ニ放置センカ、啻ニ其存立ヲ危カラシムルノミナラス、朝鮮開発上、将タ経済上、軽々看過シ能ハサル重大ナル結果ヲ招徠スルノ虞ナシトセズ
   金剛山電気鉄道株式会社  明和九年十二月限リ満期
   朝鮮京南鉄道株式会社   昭和十年二月限リ満期
   朝鮮鉄道株式会社     昭和十三年八月限リ満期
   (但同社ハ大正十二年九月六社合併登記ノ日ヲ起算トス)
二、現行朝鮮私設鉄道補助法第五条ニ於テ補助ノ総額ヲ年額四百五拾万円ヲ最高限度ト制限シタルタメ、現在ニ於テ既ニ殆ント全額ヲ支出シ、今後新線ニ対シテハ補助金支出ノ途ナキ窮境ニ到達セリ故ニ須ク第五十二回帝国議会衆議院特別委員会ノ修正通リ、本条ヲ刪除シ支出ノ途ヲ啓クコト刻下ノ急務ナリ
三、抑モ朝鮮ニ於ケル私設鉄道補助法中改正ニ関シテハ、大正十四年第五十議会以来毎回貴衆両院ニ於テ希望又ハ建議シタルコトハ、別紙摘要書等三項ニ記載ノ通リナリトス、仍テ政府ハ如上積年ノ輿論ニ鑑ミ、今回ノ改正ヲ期トシ、補助方法改正ニ就キ相当ノ考慮ヲ払ハレンコトヲ望ム、而シテ該改正案ハ第五十二議会ニ於ケル衆議院各派聯合提出ノ改正案即チ左案ヲ採択セラルヽコトヲ以テ最モ公正ナル方法ト信ス
    改正案(衆議院提出案)
   第一条ニ左ノ一項ヲ加フ(内地地方鉄道法第一条第二項参照)前項ノ場合ニ於テ払込資本金ニ対スル益金ノ百分ノ二ヲ限度トシ、会社ノ毎営業年度ニ於ケル益金ノ二分ノ一ハ之ヲ益金ヨリ控除ス「但株主配当ハ両者ヲ通シテ一割ヲ超ユルコトヲ
 - 第54巻 p.473 -ページ画像 
得ス」
     但書ハ本会主張ニシテ今回新ニ之ヲ附託シタルモノナリ
 右案ニ依ル益金ノ二分ノ一ヲ限度トシ、益金ヨリ控除スルハ、会社ヲシテ自己ノ努力如何ニ依リ政府補助金ニ多少ノ増額ヲ為シ得ル方法ヲ採リ、所謂弾力性ヲ有セシメントスルニ外ナラスシテ、範ヲ内地私鉄補助法第一条第二項(別冊摘要書第一項末文参照)ニ則リタルモノナリ、然シテ本会カ特ニ両者ヲ通シテ一割ヲ超ユルコトヲ禁シタルハ、政府ノ補助ヲ受ケツヽ一割以上ノ配当ヲ為スハ穏当ナラスト認メタルニ依ル
以上ハ積年本会ノ主張スルトコロニ有之、帝国議会亦屡々建議又ハ決議致居候次第ニ付、政府ニ於テモ相当考慮ヲ加ヘラレ、適当ノ御処置有之度切望ニ勝ヘス候
  昭和五年三月
                 朝鮮鉄道促進期成会
                  会長 小松謙次郎
    内閣総理大臣   浜口雄幸閣下
    大蔵大臣     井上準之助閣下
    拓務大臣     松田源治閣下
    朝鮮総督  子爵 斎藤実閣下


〔参考〕朝鮮の鉄道に対する本会の意見摘要 朝鮮鉄道促進期成会編 第一―七頁 昭和七年一〇月刊(DK540088k-0010)
第54巻 p.473-475 ページ画像

朝鮮の鉄道に対する本会の意見摘要 朝鮮鉄道促進期成会編 第一―七頁 昭和七年一〇月刊
    朝鮮の鉄道に対する本会の意見摘要
一、現在の朝鮮国有鉄道十二年計画は帝国鉄道協会の調査研究に基き之か実現は我朝鮮鉄道促進期成会の努力に負ふ所極めて大なるものあり
一、然るに幾何もなく浜口内閣の緊縮政策の結果予算二千五百万円は半額千二百五十万円に刪減せられ、十二年計画は廿四年計画と変更せられ、其後参百万円を増額せられたるも、十二年計画は十八年乃至廿年計画に延長せられたる結果と為れり
一、期成会は朝鮮に於ける必要なる線路の普及促進を主張するものにして、其間官私の別あるなく、第五十二議会に於ける建議案は全然本会の主張と合致するものにして、即ち堂々たる国論と云ふへきものにして其主張の大要は左の如し
 一、朝鮮に於ける主要なる鉄道は之を国有とし、少くも十八年間に既定計画の外約二千哩の鉄道を延長すへし(十二年計画以外数線を含む)
 二、現行私設鉄道の補助法を改正し未成線の速成を図るへし
一、然るに前記の如く中央政府の政策の為め国有線の延長も半は阻止せられたるを以て、本会は微力なから予算の復活、国境線の新設等終始国鉄延長の為めに全力を傾注するの止むなきに至れり
一、国鉄と謂ひ私鉄と云ふも要は朝鮮開発の重大使命を帯へるものにして、両者は車の両輪、鳥の両翼の如く根幹枝葉の関係を有するを以て、彼此軽重を論すへきものにあらす
一、翻て如上の十二年計画は数年前満洲国の未た支那領土たりし当時
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の計画なるを以て、最近満洲国の独立したる以上、多少の追加又は変更を要すへきは素より論なきところなり
一、満洲国独立の結果は、既定計画の満浦鎮線・恵山鎮線の両者は最も急施を要すると共に、国境鉄道亦之に伴はさるへからさるは勿論更に世界の大勢東洋に於ける国際間の推移形勢より鑑みて、更に追加を要すへきもの中央線其他一・二に止まらさるへし
一、即ち満浦鎮線は京義線の複線を代行すべく、将来敷設せらるへき満浦鎮より通化を経て朝陽鎮に至る線は安奉線の複線の代行となるへきに、朝鮮の動脈たる京釜線の複線代行たるへき予定線なきか如きは余りに不用意ならすや
一、然るに今日の予算を以てしては、今後尚廿有余年を要すへし、故に須く予算を復活の上更に増額して其促進を期せさるへからす
一、本年九月の臨時議会に於て決議せられたる臨時匡救事業は、低利資金を加へて本年度七ケ月間に約六億円を支出し、尚ほ八年度・九年度の三ケ年間を通して約十八億の巨資を投入するものなり
一、将して然らは、人口六千五百万に対する六億円の割合は我二千万の朝鮮に対しては二億円の割合となり、少くも一億円以上を投せされは、徒に内地に厚く、朝鮮に薄き不公平の結果を招来すへし、然るに我朝鮮に対しては両者を通して僅かに五千万円内外の割当なるか如き果して公平と謂ひ得へきか
一、之を今日の儘に放任せは、他日噛臍の憾なきを期し難きを以て、玆に一の便法として期成会の既往の主張を活用し、国防上・産業上国策上必要なる幹線は政府をして之を施行せしめ、比較的地方的又は経済的の路線は之を私鉄に一任し、私鉄をして代行せしむへし
一、此の必要上、或は国に於て枢要と認むる線路は之を買収すると同時、一時私鉄の経営に移すも差支なき線路は之を私鉄に売却又は委任し、私鉄の延長をして脈絡統制ある線路たらしめ、他日適当の時期に於て交付公債を以て之を買収し、国有鉄道の本能を発揮せしむへし
一、以上の国策より私鉄をして更に国有線の代行を為さしむるには、其補助に就ては大に考慮せさるへからす、即ち現行補助法に依る期限満期となるものに対しては、能ふへくんは第五十二議会に於ける両院の決議を尊重し、現行法に比し更に幾分有利且有意義なる補助を為すを至当とするも、一般の財政、時代の変遷等を考慮して幾分変更するは亦洵に止むを得さる措置なるへし
一、右の主趣に依り現在の補助率を幾分軽減すると共に、弾力性ある配当方法を採らしむるは頗る機宜を得たる方法なるへきも、或説の如く八分を直に六分に低下せしむる如きは、余りに急激の変化にして、如斯せは某社を除きては現在の五私鉄中自力を加へて能く六分以上の配当の為し得る会社なかるへく、延ては折角利用し来りし内地資本をして徒に逃避せしむるの原因となり、且つ朝鮮に於ける鉄道促進の根本を阻止するものと云はさるへからす
一、朝鮮私鉄の補助は当初六分より七分となり、次て八分となりしものなるを以て、低下に際しても、此点を考慮し、先つ之を七分に低
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下すると共に、自力に依る弾力性配当を可能ならしめ、適当の時期に於て更に低下すると共に、漸次買収に至らしむるは、一は国庫の負担を少なからしめ、一は国有の根本を貫徹する最善の方法と謂はさるへからす



〔参考〕朝鮮私設鉄道の特異性と其対策 第七―一〇頁昭和七年一一月刊(DK540088k-0011)
第54巻 p.475-476 ページ画像

朝鮮私設鉄道の特異性と其対策  第七―一〇頁昭和七年一一月刊
    朝鮮私設鉄道の特異性と其対策
○上略
翻て補助及び補助法規の沿革を案ずるに、政府は大正三年以降私鉄に対し必要に応じ一定条件の下に補助を与へ、之が助長発達を図りたるが、元来企業地に遠隔せる内地資本を誘致するに当り、従来の如く年六分の補助率を以てしては資本の流入容易ならざるに依り、大正七年度に至り七分に引上げ、更に大に資本の誘致に資せん為め同八年九月に至り八分に増加したるが、時偶々欧洲戦後の活況時に際し、内地資本家の好感を迎へて、以来同年度内二・三箇月間に七社の成立を見るに至れり、而して私鉄補助は企業主体たる会社の払込株金額に対する年々の益金が、一定の割合に達せざる時は、その不足額を補給することゝなし、其率は六分に始まり、年を追ふて七分乃至八分と順次増率せり、即ちこの事実は補助の必然性と恒久性を含み、遂に大正十年四月私鉄補助法の制定となり、而して八分の補助率と十箇年の補助年限を確定するに至れり、更に十二年四月に至り補助年限を十五箇年に延長し、同時に補助年総額に関しても最高二百五十万円を三百万円に増額し、次て十四年四月に至り最高四百五十万円に増額したるが、線路の延長に伴ひ昭和五年五月に至り更に之を五百万円に増額せり
惟ふに大正三年補助を起して以来、数次に亘り時勢に即して補助及び補助法の改正を施し来りたる沿革的事実は、終始一貫私鉄の助長発達を促したる国家的交通政策の表徴たると共に、正に朝鮮私鉄の半島交通界に於ける特殊的地位と其特異性を物語るものなり、即ち曰く私鉄補助法は私鉄の生みの親にして育ての親たり、而して其起源と沿革は互に因となり果となりて、半島交通史を飾るに足れり、今試に私鉄の面貌を表記せば左の如し

図表を画像で表示--

 経営者      種別  主タル事務所所在地  営業線    資本金又ハ建設費  払込資本、借入及社債  補助期限                        粁        千円         千円 朝鮮鉄道会社   京城         五四四・〇   五四、五〇〇   払込一七、六五〇    昭和九年十一月                                      社債一七、五〇〇    乃至同十年六月                                      借入 五、〇〇〇 朝鮮京南鉄道会社 天安          二三・三   一〇、〇〇〇   〃 一〇、〇〇〇    同十年二月                                      〃  六、五〇〇                                      〃  三、八〇〇 金剛山鉄道会社  鉄原         一一六・六   一二、〇〇〇   〃  七、八〇〇    同九年十二月                                      〃  三、〇〇〇                                      〃  二、五三〇 价川鉄道会社   軍隅里         三六・六    一、〇〇〇   〃  一、〇〇〇        ― 南朝鮮鉄道会社  東京         一六〇・〇   二〇、〇〇〇   〃  八、〇〇〇    同十八年一月                                      〃  三、〇〇〇 朝鮮京東鉄道会社 水原          七三・四    三、〇〇〇   〃  一、二九〇    同十九年一月                                      〃  一、三〇〇 新興鉄道会社   興南          一九・〇      八〇〇   〃    六四〇    同二十年一月                                      〃    五七二 以上補助会社 計          一、一六三・二  一〇一、三〇〇   〃 四六、三八〇                                      〃 二七、〇〇〇                                      〃 一六、二〇二 



 - 第54巻 p.476 -ページ画像 
右表の示す如く、現在私鉄資本総額の約八割五分は近く補助期限を終らむとするに当り、之が延長に伴ひ補助法改正の議ありと、要は朝鮮私鉄の特異性を認め、内地地方鉄道との区別観念に基き、適正なる補助条件を定めらるゝと共に、現行法に対し一段合理的進歩的改正を望まざるを得ず
○下略



〔参考〕朝鮮私設鉄道補助問題(DK540088k-0012)
第54巻 p.476-479 ページ画像

朝鮮私設鉄道補助問題            (財団法人竜門社所蔵)
(秘)
    朝鮮私設鉄道補助問題
      (一)沿革大要
朝鮮に於ける私鉄補助は、大正四年全北鉄道株式会社に対し壱万円の補助金を交附したるを以て創めとす、其後大正五年(寺内総督時代)朝鮮軽便鉄道会社(後大正十二年六社合併して朝鮮鉄道と改称)に対し払込資本金に対し命令を以て六分の補助金を交附す
大正七年補助額を払込資本金に対し七分に増額し、更に大正八年之を八分に増額し、大正十年四月法律第三十四号を以て朝鮮私設鉄道補助法を発表し、払込資本金に対し十五箇年間毎年八分の補助を交附することゝし以て現在に至る
      (二)内地私鉄との特異点
朝鮮に於ける鉄道は、故渋沢子爵等の斡旋に依り韓国政府時代特許を得て京城仁川間の鉄道を敷設したるに創まり、其後日露戦役当時、釜山京城間及京城新義州間を敷設し、爾来国有主義を以て進行し来りしが、大正六年一度び之を満鉄の委任経営に移し、更に大正十四年再び政府経営に戻すと共に根本方針を国有とし、便宜一部を私鉄に代行せしむることゝし、特殊の保護を与へて代行せしむると共に、政府は必要に応じ交附公債を以て買収することゝし、既に今日までに二・三の線路を買収し、今後も漸次買収の方針なり
      (三)帝国議会と朝鮮鉄道との関係
帝国議会に於ては、大正十四年第五十議会に於て貴族院は下記の如き希望決議を為し、次で大正十五年第五十一議会に於て貴族院は満場一致を以て下記建議案を通過し、衆議院に於ても同議会に於て各派聯合を以て下記建議案を提出し(委員会満場一致可決、本会議審議未了)更に昭和二年第五十二議会に於て衆議院政友会民政党各別に下記の如き同文の朝鮮私設鉄道補助法中改正案を提出し(委員会満場一致可決本会議は議場混乱の為め審議未了)たるが如く、終始格別の注意と努力とを重ねたり
  第五十議会に於ける貴族院希望決議
一、私設鉄道ノ発達普及ヲ図ルハ朝鮮開発ノ為メ極メテ緊要ナリ、而シテ現行法ニ依ル補助ノ方法ヲ以テシテハ予期ノ目的ヲ達スルコト困難ナリト認メラルヽヲ以テ、政府ハ更ニ調査ノ上適切ナル方法ヲ講セラレムコトヲ望ム
  大正十五年第五十一議会に於ける貴族院建議案
一、朝鮮ニ於ケル鉄道ノ普及促進ニ関スル建議
 - 第54巻 p.477 -ページ画像 
  朝鮮ニ於ケル産業ノ振興、文化ノ開発、並ニ国防警備ノ為メ、更ニ一層鉄道ノ普及促進ヲ図ルハ頗ル緊要ノ事ナリ、依テ政府ハ速カニ鉄道網ノ調査ヲ完了シ、之カ敷設ノ計画ヲ樹立スルト共ニ私設鉄道ノ助長発達ニ付適切有効ナル方策ヲ講セラレムコトヲ望ム
右建議ス
発議者
   浅田徳則  男爵 福原俊丸  山之内一次  西久保弘道  佐竹三吾
賛成者
 公爵 近衛文麿  外三十七名
  大正十五年第五十一議会に於ける衆議院建議案
一、朝鮮ニ於ケル鉄道ノ普及促進ニ関スル建議
  東洋現下ノ情勢ニ鑑ミ、朝鮮ノ統治国防警備、産業ノ振興、文化ノ開発上、朝鮮ニ於ケル鉄道ヲ普及促進セシムルノ要アリ、政府ハ速カニ左記数項ヲ実行セラレムコトヲ望ム
 一、朝鮮ニ於ケル枢要ナル鉄道ハ国有ト為スノ根本方針ヲ樹立シ、枢要ナル鉄道ハ漸次之ヲ買収スルコト
 二、朝鮮ニ於ケル鉄道敷設ニ関スル法律ヲ制定シ、予算ノ確定セル既定計画ノ外、略弐千哩ノ鉄道敷設ヲ今後十八年以内ニ完成スヘキ計画ヲ確立スルコト
 三、現行朝鮮私設鉄道補助法ノ八分補給ヲ改善シ、未成線ノ速成ヲ図ルコト
提出者
 牧山耕蔵   箕浦勝人   川原茂輔   山本条太郎
 松田源治   松山常次郎  横山金太郎  西英太郎
 本多貞次郎  高木益太郎  野田俊作   湯浅凡平
 佐藤潤象   河崎助太郎  田中譲
賛成者
 元田肇 外百四十五名
  衆議院ニ於ケル朝鮮私設鉄道補助法中改正法律案
一、第一条ニ左ノ一項ヲ加フ
  前項ノ場合ニ於テ払込資本金ニ対スル益金ノ百分ノニヲ限度トシ会社ノ毎営業年度ニ於ケル益金ノ二分ノ一ハ之ヲ益金ヨリ控除ス
提出者
 本田義成  秋田寅之介  松山常次郎
賛成者
 志賀和多利  外四十七名
  前同文
提出者
 荒川五郎   高木益太郎  服部英明  大島要三
 大津淳一郎  鷲野米太郎  牧山耕蔵  大園栄三郎
 寺田市正   佐藤潤象   湯浅凡平
賛成者
 斯波貞吉   外百四十九名
 - 第54巻 p.478 -ページ画像 
      (四)私鉄の買収に就て
如斯朝鮮に於ける私設鉄道は内地私鉄とは全然其趣を異にし、国有線代行の使命を有するものなるを以て、政府は適当の時機に於て之を買収すべきは既定の方針にして、蓋し此結果は年々八分の補助は五分若くは夫以下の低利なる交附公債を以て買収し得べく、政府は其間三分若くは夫以上の支出減を為し得るのみならず、産業上よりすれば、私鉄運賃は国有線の倍額以上にして、之を国有に移すことに於て運賃は半減せらるゝのみならず、更に国有線の遠距離低減法により一層低減して産業の開発に貢献すること偉大なるべく、更に又年々不足を告ぐる虞ある法定の補助金不足の補充ともなるべく、所謂一挙三得の利あり、然るに政府部内に於て交附公債の発行を否認するものありと、将して然らば之れ現実の利益を放棄して、徒に理論に捕はるゝものと云ふべく、既に昭和七・八両年度に於て約十七億円の公債を発行する際僅に二・三千万円の而も交附公債を惧るゝ如きは、余りに日満の首尾に専にして、肝要なる中部を無視するものと謂ふべく、之を人口割合するも、内地六千万の民衆に対し数億円の巨額を支出し、二千万の在鮮民に対して其一割に過ぎざる支出を吝むと云ふが如きは、余りに偏倚的処置と謂はざるべからず
      (五)朝鮮私鉄の重大使命
今や満洲国は我日本の承認を得て完全に独立したりと雖も、国際聯盟は認識不足の下に之を認めず、若夫れ仮に聯盟にして強力なるか、支那が強大を加ふるか、或は強国が或る野心の下に之を援助するものありとせば、満洲国の前途果して今日に渝るなきか疑問とせざる能はず万一不幸如上の変化ありとせば、帝国の威信擁護は一に朝鮮を足場とする外なし、斯の如く重大なる使命を有する朝鮮の防備を現在の不完全下に放置して、果して能く其使命を全ふし得べきか、玆に於てか、必要なる国有鉄道の予定線、若くは懸案中の国境線の如きは、一日も速かに敷設せざるべからず、然るに現在の国庫財政を以てしては、到底急速其目的を達成し能はざるが故に、其一部は私鉄をして代行せしむるこそ唯一の捷径と謂はざるべからず、然るに私鉄をして今日の如く無為偸安の儘に置くは本来の使命を没却せしむるものと謂ふべし、須く此際私鉄補助の期限を延長し、補助亦内地資本の誘致に妨げなき程度に於て国私相俟て帝国の鎖鑰を厳守するの途に出でざるべからず
      (六)朝鮮私鉄の投資関係○略ス
      (七)内地補助と朝鮮との相違点○略ス
      (八)期間延長に伴ふ補助率の改正
朝鮮私鉄の補助は大正七年従来六分なりしものを漸次八分に改正したると、国有線の代行を為さしむることは既述の如くにして、補助法が内地の夫と異る所以のもの蓋し故なきにあらず、抑も朝鮮の如き枢要にして且未開なる地方の鉄道を内地の夫と同一視し、単に其収支状況のみを以て云々する如きありとせば、認識の不足も亦甚しきものにして、鉄道に依る未墾地の開拓、産業の発達、生産の増加、軍事上の要否等々を参酌して考査せざるべからざるは言を俟たざるところなり
此見地よりして、朝鮮の私鉄補助の如きは大に考慮を加へざるべから
 - 第54巻 p.479 -ページ画像 
ざるところなり、然るに仄に聞くところに依れば、朝鮮当局内に於て現行の八分補助を一挙六分に低下せんとの議ありと、若し真なりとせば、私鉄設立の主趣も資本系統も顧慮せざる暴挙にして、仮に近き将来に於て低金利時代到来のことありとするも、八分の補助を一挙に六分乃至五分に低下するが如きことあらんか、株式の市価は忽ちに暴落し、補助を信頼して投資せる内地人をして一大損失を蒙らしむるのみならず、第六項中既述したる如く、社債借入金合計四千二百余万円は借替不能に陥らしめ、内地経済界に一大衝動を惹起せしむる虞尠なからず、故に補助率は現在の八分を其儘、期限のみの延長を以てするを機宜の措置と認むるも、若し政府にして強て補助率変更の意志ありとせば、深く此点を考慮し、少くも八分を七分とし、将来金融界の状勢に応じ漸次改正するの途に出でざるべからず
独り之のみならず、屡々貴衆両院の決議又は建議あり、故に補助率の変更に当りては須く之を改善して弾力性ある配当可能の途に出でざるべからず、即ち内地の補助法と同様、一定の歩合を限り会社の益金は補助金に加へて配当を為し得ることゝするは、一は会社をして益々収益の増加、経費の節約に努力せしむる一助ともなり、一挙両得の措置なりと信ず
 昭和八年二月            朝鮮鉄道促進期成会