デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
6款 日華実業協会
■綱文

第55巻 p.143-146(DK550028k) ページ画像

大正6年2月19日(1917年)

是日、中華民国公使館ニ於テ、来日中ノ陸宗輿及ビ駐日公使章宗祥主催ノ晩餐会開カル。次イデ三月二十五日、栄一等我国有力実業家ノ発起ニヨリ、帝国劇場ニ於テ、中華民国特派大使汪大燮歓迎会開カル。更ニ四月十四日、上野精養軒ニ於テ、内務大臣兼鉄道院総裁後藤新平主催ニヨル、中華民国政府王交通次長一行歓迎園遊会開カル。栄一ソレゾレ出席ス。


■資料

中外商業新報 第一一〇八九号 大正六年二月二〇日 ○支那公使館晩餐会(DK550028k-0001)
第55巻 p.143 ページ画像

中外商業新報 第一一〇八九号 大正六年二月二〇日
    ○支那公使館晩餐会
目下滞京中なる陸宗輿氏及章支那公使主催の下に、陸氏の入京以来受けたる各方面の歓迎に対し謝意を表せん為め、十九日午後六時より永田町同国公使館に都下の有力なる銀行家其他の実業家を招待して晩餐会を催したるが、出席者の主なる者は左記諸氏にして、同公使館二等官鄭通訳官も主人側として列席斡旋したりと
 三島(日銀) 山成(台銀) 志村(勧銀) 志立(興銀) 美濃部(鮮銀)井上(正金) 安田(安田) の各銀行家、近藤・渋沢・大倉・郷各男大橋・中野・倉知・星野・白岩・藤山諸氏


中外商業新報 第一一一二三号 大正六年三月二六日 ○汪特使の歓び 帝劇にて実業家主催の歓迎会(DK550028k-0002)
第55巻 p.143-145 ページ画像

中外商業新報 第一一一二三号 大正六年三月二六日
    ○汪特使の歓び
      帝劇にて実業家主催の歓迎会
 - 第55巻 p.144 -ページ画像 
  ▽善美を尽したる其夜の盛観△
最も光栄ある使命を帯びて来京したる中華民国特派大使汪大燮氏の歓迎会は、渋沢男・住友男・岩崎男・三井男を始め
◇我実業界を 代表せる中村満鉄総裁・和田富士瓦斯紡績社長・古河男・久原鉱業の小池氏・桜井台銀頭取・高田慎蔵氏・藤山大日本製糖社長・馬越大日本麦酒社長・井上横浜正金頭取・日比谷鐘淵紡績取締役会長・大倉男・倉知中日実業副総裁・美濃部朝鮮銀行総裁・古市東亜興業社長・浅野東洋汽船社長・近藤男・志立興業銀行総裁等諸氏の発企により、廿五日午後五時より帝国劇場に於て開催されたり、定刻前より馬車・自働車を駆つて来集する
◇朝野の貴紳 雲の如く、盛装せる夫人・令嬢を伴へる向も尠からず会場は発企人諸氏の尽力に依りて万端の準備遺憾なく整ひ、主賓の来着を待つ程もなく、汪大使は章支那公使を始め北京よりの随行員及び在京公使館員等二十五名を随へて来着し、直ちに導かれて、予て階上正面に設けし席に着すれば、歓迎劇一番目時代世話劇佐倉義民伝の幕は颯と排かれて、吉右衛門の木内宗五郎以下何れも畢生の
◇妙技を振ひ 次で中幕所作事棒しばり一幕となれば、大使は勘弥の松兵衛、三津五郎の太郎冠者、菊五郎の次郎冠者を興ありげに打眺め軈て親譲御所五郎蔵二幕の内最初の一幕を終るや、階上の食堂を開き日本郵船及び日清汽船の社長たる近藤廉平男発企人を代表し、汪特使に対し、今夜の歓迎会を快く饗けて来臨の光栄を得たるを喜び、之を好機として将来益々両国及び両国民の親善を増進せんことを希望する旨の挨拶を述ぶるや、汪特使は真に
◇感謝の情に 堪えざるものゝ如く、余の為め斯かる盛大なる歓迎会を開かれたるは光栄の至りなりとの謝辞あり、主客の間に歓談湧くが如く、一同三鞭酒の杯を挙げて健康を祝しつゝ食堂を閉ぢ、再び五郎蔵の残る一幕に次で大切日吉山皇祭礼の勢獅子の舞あり、汪特使には支那文に翻訳したるプログラムを手にしつゝ、各幕に就て一々其説明を聞きては頷き、俳優が軽妙なる演技を称へ居たり、聞く所に依れば特使は大の日本通なるだけに、我邦の演劇にも充分なる
◇趣味と理解 とを有せりとの事なるが、最後に花よりも美くしき十二人の少女が、揃ひの衣裳に日章旗と民国旗とを両面に描きたる扇を持つて舞台に現はれ、蝶の舞ふらん如く踊り出でたる艶麗の趣譬へむやうも無く、特使も深く興を催せしものゝ如く見受けられぬ、斯くて万歳を三唱して幕を閉づるや、惚然たりし汪特使以下の主賓は満足と感謝の意を表しつゝ発企人諸氏に送られて午後九時頃会場を辞し去りぬ、尚当夜の来会者は左の諸氏を始め総数六百五十余人に達したり
 徳川公・寺内首相・仲小路農相・田逓相・大島陸相・松室法相・岡田文相・波多野宮相・金子氏・牧野子・清浦子・曾我子・三島子・菊地男・三井男・岩崎男・島村海軍大将・一戸陸軍大将・中野武営大谷嘉兵衛・三井元之助・団琢磨・串田万蔵・松方巌・池田成彬・藤瀬政次郎・小田柿捨次郎・木村清次郎・土方久徴・野崎広太・室田義文・磯村豊太郎・安田善次郎・安田善三郎・日置前支那公使・井上東京府知事・奥田東京市長・岡田警視総監・各省次官・府市各
 - 第55巻 p.145 -ページ画像 
名誉職等
   ○本資料第三十九巻所収「其他ノ外国人接待」大正六年三月二十五日ノ条参照。


中外商業新報 第一一一四三号 大正六年四月一五日 ○歓興花と耀く 後藤内相が主人の園遊会 王次長を主賓に主客乾盃(DK550028k-0003)
第55巻 p.145 ページ画像

中外商業新報 第一一一四三号 大正六年四月一五日
    ○歓興花と耀く
      ▽後藤内相が主人の園遊会
        ▽王次長を主賓に主客乾盃
満山の桜花今を盛りと咲き乱れたる上野公園の十四日は、午後一時を過る頃より馬車や自動車人波を分けて精養軒へ繰込むもの幾十百台なるを知らず、之ぞ内務大臣兼鉄道院総裁後藤新平男が
   目下来京中なる
王交通次長一行を始め内外朝野の貴紳淑女数百を集めたる園遊会とぞ知らる、会場入口の緑門より玄関まで両側には幔幕を張詰め、美々しき装ひを凝らしたる夫人令嬢の絹帽に礼服の紳士に伴はれて来会するを迎ふ、定刻午後二時、振鈴を合図に来賓一同前庭なる余興場に向へば、近衛軍楽隊の奏曲に続いて、藤間連中の踊
   帝劇俳優の演劇
「五条橋」あり、演技の半に、直ぐ後なる鐘楼より撞き出したる鐘の音花を散らして興を添ふるも可笑し、喝采の裡に幕を閉ぢ、三時半より食堂を開く、一千人を容れて余りある大広間は、隈なく食卓を並べて装飾の花香ばしく、主人なる後藤男を中央に、王交通次長の一行と相対して、歓将に酣なるの時、後藤男は起つて一同を促し交通次長一行の為めに乾杯すれば
   交通次長代つて
感謝の辞に次ぐに乾杯を以てす、斯くて堂内歓喜に満ち、興趣自ら湧き、日支親善は遺憾なく此会合に現はるゝを覚えしめたり、斯くて歓声の裡に一同散会したるは午後四時三十分なりしが、当日は折柄の花日和にして、庭内より近く不忍池畔を眼下に見、遠く本郷台に満開の桜花を眺めわたしたる景色得もいはれず、且冊子に添へて来賓に配布したる日支聯絡運輸記念の絵端書は
   切手を要せずし
て郵送の取扱ひをなす可き旨を掲示し、赤塗の郵便函を設けたるなど大いに興を添えたり、来賓の主なる人々は、左記の諸氏を始め其の数七百名に達し、非常の盛会なりき
 寺内首相・田逓相・仲小路農相・岡田文相・大島陸相・清浦枢密院副議長、末松・菊池・穂積等各枢密顧問官、各国大公使及館員等、有松法制局長官、水町・山上・内田・山田等各省次官、各局長等、渋沢男・三井男・目賀田男・阪谷男、古市・平井・金井・添田等各博士、中村満鉄総裁・三島日銀総裁、朝吹・中野・団・早川・馬越原・加藤・池田・串田・志立・小野・和田・藤山・大橋・藤瀬・小田柿・山田・山下・白岩等実業家諸氏


集会日時通知表 大正六年(DK550028k-0004)
第55巻 p.145-146 ページ画像

集会日時通知表 大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
 - 第55巻 p.146 -ページ画像 
二月十九日 月 午後六半時 章公使御案内(支那公使館)
   ○中略。
三月廿五日 日 午後四時  汪大使歓迎会(帝劇)
   ○中略。
四月十四日 土 午後二時  後藤男ヨリ御案内(上野精養軒)