デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
6款 日華実業協会
■綱文

第55巻 p.186-187(DK550035k) ページ画像

大正10年9月9日(1921年)

是日、当協会幹事会開カル。栄一、会長トシテ出席シ、当協会ノ文化施設トシテ、中華民国ニ大学設置ノ件ニ関シ協議ス。翌十一年二月二日、臨時評議員会ヲ開キテ、更ニ協議ス。栄一出席ス。


■資料

集会日時通知表 大正一〇年(DK550035k-0001)
第55巻 p.186-187 ページ画像

集会日時通知表  大正一〇年      (渋沢子爵家所蔵)
八月十六日 火 正午  日華実業協会幹部会(同会)
  ○中略。
八月廿三日 火 正午  日華実業協会幹事会(同会)
  ○中略。
 - 第55巻 p.187 -ページ画像 
九月九日 金 午後三時 日華実業協会臨時幹事会(同会)
  ○中略。
九月廿七日 火 正午  日華実業協会幹部会(同会)


竜門雑誌 第四〇〇号・第七六頁 大正一〇年九月 ○日華実業協会幹事会(DK550035k-0002)
第55巻 p.187 ページ画像

竜門雑誌  第四〇〇号・第七六頁 大正一〇年九月
○日華実業協会幹事会 日華実業協会にては、九月九日午後三時より丸之内同会事務所に於て幹事会を開き、会長青淵先生・副会長和田豊治氏以下各幹事出席の上、最近帰国せる工藤鉄男氏より北支那饑饉救済事業終了に関する報告あり、次で同会第二年度の事業たる支那文化施設に就き種々協議する所あり、其第一着手として山東・直隷二省の中適当の地を選定し、来年四月開校の予定にて、大学程度の学校を設置する事に決したる由なるが、尚ほ右設置に関しては、工藤氏渡支の際既に支那側との間に了解を得来れるも、今般和田氏が同会を代表して北京・青島・済南・上海に赴き、同会の趣旨を宣伝して日支親善に努むると共に、右学校設立に関し支那当局との諒解を得る事とし、午後六時半散会せりと云ふ。


集会日時通知表 大正一一年(DK550035k-0003)
第55巻 p.187 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年      (渋沢子爵家所蔵)
二月二日 木 午後三時 日華実業協会評議員会(日本工業クラブ)


竜門雑誌 第四〇五号・第六一頁 大正一一年二月 日華実業協会評議員会(DK550035k-0004)
第55巻 p.187 ページ画像

竜門雑誌  第四〇五号・第六一頁 大正一一年二月
○日華実業協会評議員会 日華実業協会にては二月二日午後三時より日本工業倶楽部に於て評議員会を開き、青淵先生・和田豊治の正副会長以下評議員出席の上、予て計画中の対支文化事業に付協議する所ありしが、先づ最初青島に商科大学、済州に医科大学を設置する事とし之に要する経費は会員たる銀行・会社より寄附を募る事、又其実行方法は幹事会に一任する事等を協議して、五時散会せりと云ふ。