デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
2節 支那・満洲
8款 雑 1. 株式会社金福鉄路公司
■綱文

第55巻 p.548-549(DK550114k) ページ画像

 --


■資料

(増田明六)日誌 大正一四年(DK550114k-0001)
第55巻 p.548 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一四年      (増田正純氏所蔵)
二月六日 金 晴
早朝、飛鳥山邸ニ子爵を御見舞す、体温平常ニ復され御気分も稍常となり、明日ハ必す出勤する旨語られたり
正午、日本工業倶楽部に於ける金福鉄路公司の協議会ニ子爵代理として出席す
同鉄道ハ南満鉄道金州を起点として□《(欠字)》子河ニ至ル六十哩を敷設せんとするものなるが、資本金参百七十五万円ニて、一哩六万弐千五百円之建設費ニテ可なる次第なり、土地買収費の廉なるハ勿論なるが、労働賃銀の低廉、道路の平坦等ハ孰れも建設費を低からしむる理由なるが其中ニ就きレールを南満の不用品を廉価ニ譲受くる事、六十封度分一哩壱万五千円、客車・貨車一切の車輛ハ同社より借受くる事ハ最も有力なるものなり
右鉄道ハ本来満鉄ニて敷設する希望なりしも、満鉄にてハ目下奥地方ニ之カ敷設の必要ありて、特ニ済界《(財カ)》の有力者ニ依りて之を完成せん事を熱望する代ハリニハ、満鉄としてハ先つ同会社払込金ニ対し一割の利息を配当し得る金額を補給する事とし、尚前記物資ニ関する利便を図り、又関東庁ニ於ても出来得る限り便宜を与ふる筈なれハ、投資株としてハ確実のものなりと認むる事を得べし、特ニ同鉄道敷設沿線の地味ハ肥沃にして、将来開墾せらるべきハ勿論、其海岸の総てハ塩田を造作し得べき頗る有利の地勢にあるニ於てを哉
門野重九郎・根津嘉一郎・藤原銀次郎の三氏肝煎役となりて斡旋し、本日の来会者ハ可成発起人ニ加入せられたしとの希望談あり、代理出席者の外は承諾せられたり
○下略
  ○中略。
四月七日 火
正午日本工業倶楽部ニ於ける安福鉄路公司発起人会《(金)》ニ出席す
○下略


南満洲鉄道株式会社二十年略史 同社編 第一三〇―一三一頁 昭和二年四月刊(DK550114k-0002)
第55巻 p.548-549 ページ画像

南満洲鉄道株式会社二十年略史 同社編  第一三〇―一三一頁 昭和二年四月刊
 ○第二編 第一章 第六節 隣接鉄道
  (七) 金福鉄道
本鉄道は会社線金州駅から貔子窩を経て、城子疃に至る延長六十三哩四、軌間四呎八吋半の関東州内唯一の私設鉄道で、大正十三年三月根津嘉一郎氏外六十二名の発起を以て組織せられ、同十四年七月関東庁の許可を得た株式会社金福鉄路公司の経営にかゝるもので、大正十四年十一月測量に着手し十五年五月起工したが、昭和二年十二月全線開通の予定である。
 - 第55巻 p.549 -ページ画像 
○下略
  ○是年栄一、病気勝チニテ、特ニ三―八月ハ転地又ハ在邸シテ静養ス。