デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

6章 対外事業
3節 其他ノ外国
3款 日新護謨株式会社
■綱文

第55巻 p.584-601(DK550119k) ページ画像

大正2年6月(1913年)

是月、当会社設立セラル。栄一、株主トナリ、増田明六、取締役ニ就任ス。

大正四年六月二十六日、栄一、当会社株主総会ニ出席ス。

大正十四年十一月二十日、栄一、飛鳥山邸ニ於テ、増田明六ヨリ、当会社シンガポール護謨園売却ニ関シ報告ヲ受ク。

当会社ハ、昭和六年七月二十三日開催ノ臨時株主総会ニ於テ、解散決議ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正二年(DK550119k-0001)
第55巻 p.584 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正二年         (渋沢子爵家所蔵)
一月二十五日 曇 寒
○上略 午後二時事務所ニ抵リ、南洋護謨園買収ノ事ニ付協議会ヲ開キ、中島・諸井・本多・滝沢・磯野氏来会ス、価格ヲ定メ電報スル事ニ決ス○下略
   ○中略。
一月二十九日 雨 寒
○上略 午後四時事務所ニ抵リ○中略 井上雅二氏南洋護謨談アリ○下略


(日新護謨株式会社) 第弐回報告書 第一―九頁刊(DK550119k-0002)
第55巻 p.584-587 ページ画像

(日新護謨株式会社) 第弐回報告書 第一―九頁刊
  日新護謨株式会社第弐回報告書
大正二年十一月一日ヨリ同三年四月三十日ニ至ル、当会社事業報告書ヲ調製シ、財産目録・貸借対照表及株主名簿ヲ添ヘ報告スルコト左ノ如シ
    事業報告
      総会
一、大正二年十二月十五日、日本橋区兜町二番地渋沢事務所ニ於テ第壱回定時株主総会ヲ開催ス、出席株主委任状分共弐拾五人(総株主卅五名)此ノ株数五百弐拾七株(総株式六百株)ニシテ、取締役会長男爵中島久万吉欠席ノ為メ取締役滝沢吉三郎議長席ニ就キ、創立総会ヨリ期末ニ至ル諸事項、護謨園及其作業並ニ護謨市価等ニ関シ概要ヲ報告シ、尚ホ当期間ノ勘定ニ関スル要領ヲ説明シ○中略
      庶務
一、大正二年十一月、安茂郷園内ニ介在セル土地約弐噎弱ノ借地権ヲ買収ス
○中略
一、当園ハ曩ニ便宜上男爵渋沢栄一及滝沢吉三郎両人ノ名義ヲ以テ取得シ置キタル処、大正三年一月二十日、其全部ヲ当会社ノ名義ニ移
 - 第55巻 p.585 -ページ画像 
転ノ登記ヲ了シタリ
      護謨園
園ハ故障ナク又病虫害等モ僅少ニシテ順調ニ発達セリ、期末ノ調査ニ依レハ現在総樹数十八万六千本ニシテ、其内
 地上三呎ニ於テ周囲十七吋以上 約一万七千本
 同        十六吋以上 約二万四千本
其他ハ十六吋未満ナレハ、次年度ヨリ採液シ得ヘキモノハ右ノ四万本ナリトス、然レトモ来ル上半期ニ於テハ凡二万本ヲ採液スルニ止ムル見込ナリ
      作業ノ経過
本多顧問カ実地ヲ調査シテ立案セラレタル水平溝ハ全園ニ渉リ殆ト七拾四万呎ヲ掘設セリ、要ハ是ニヨリテ表土ノ流失ヲ防キ、護謨樹ヲ養フヘキ諸成分ヲ地中ニ吸収セシムルニアリ、其他除草ニ案外困難ナル場所アリ、又排水溝並ニ道路ノ開設等彼是意外ノ出費ヲ要セシモ、保護手入トシテ間然スヘキナク、従ツテ園ノ実質価値ノ大ニ増進セルヲ信スル処ナリ
本期ヨリ手操機械ヲ以テ徐々ニ製造ヲ開始シ、一方工場ノ建設、機械ノ据付等ヲ進行セシムル都合ナリシカ、護謨値段ノ下落ハ其ノ製造ヲ遅延セシメタリ、何トナレハ一木ノ出液量多カラサルトキハ収支差引シテ残益ヲ見ル能ハス、故ニ樹幹ノ成長、出液量ノ増加ヲ待チ、又製出品ノ性質ヲモ好良ナラシメサル可カラサレハナリ、左レハ新設ノ工場機械ハ新式最良ノモノヲ撰択シ、製法ヲ充分研究スルノ必要更ニ大ナルヲ感シ、其ノ調査講究ニ時日ヲ要シタルニヨリ、遂ニ当期中ノ製造ハ予定ノ如ク実行スル能ハス、只管製造工場建設其ノ他ノ準備事務ニ従事シテ経過セリ
試験的製造ハ其以来継続シテ良品製出ニ苦心研究シツヽアリ、而シテ其ノ製品ヲ横浜電線会社ニ託シテ各種ノ試験及ヒ試用ヲ請ヒタル結果ニヨレハ、弾力強ク其ノ質優良ナリ
      原料護謨ノ市価
当期中ニ於ケル護謨ノ市価ハ弐志ヨリ弐志拾片間ヲ往来セリ、蓋シ世界ノ需用供給ハ共ニ増進スルコト疑ナシト雖モ、彼ノ暴騰以来再製或ハ代用品ノ次第ニ採用セラレタルヲ以テ、純粋生護謨ノ需用ハ割合ニ増加セス、然ルニ供給ハ年々増進スルヲ以テ、一昨年七月ヨリ昨年ノ六月ニ渉ル統計ニヨレハ、世界ノ生産高十二万六千三百噸ニ対シ其ノ需用ハ十二万千三百噸、差引五千噸ノ供給超過ナレハ、値段ノ進マサル止ムヲ得サルモノヽ如シ、然レトモ純護謨ノ市価カ弐志前後ナレハ再製・代用共ニ漸次擯斥セラレ、純粋生護謨ノ歓迎セラルヽコト自然ノ理勢ナルヘク、且ツ需要方面モ亦年ト共ニ拡大セラルヘク、玆ニ需要ノ高潮ヲ見ルニ至ルヘキハ蓋シ空想ニアラサルヘシ
天然護謨ハ其ノ品質栽培品ニ優ルトシテ其値開キ大ナリシカ、錫倫ニ於テ試験セル結果ニヨレハ、十年木以上ハ敢テ差異ヲ認メスト云フ、要スルニ樹齢ニモ関スヘケレトモ、酸ノ使用ト製造ノ方法等ヨリ来ルモノ多カルヘシト察セラル、而シテ昨今両者ノ値段ハ次第ニ接近シ来レリ、蓋シ遠カラス栽培品ノ製法一致シ、品質稍ヤ等シキニ至ルト共
 - 第55巻 p.586 -ページ画像 
ニ市価ニ差違ヲ見サルニ至ルヘシト信ス
世界ノ当業者並ニ統計的研究家カ将来ノ市価ニ対シ楽悲其観ヲ異ニシ各々其説アリト雖モ、要スルニ経営者ハ作業ノ費ヲ節約シ、其経営ヲ質実ナラシメ、以テ利益ヲ万全ナラシムルコトヲ期セサルヘカラサルナリ
○中略
      役員及職員

一、本期末ニ於ケル当会社ノ役員及職員左ノ通リ
     取締役 五名
     監査役 壱名
     顧問  壱名
     社員  六名
     雇員  参名

      財産目録 (大正三年四月三十日)
一、護謨園  面積千四拾二噎○二拾一ポール護謨樹十八万六千本平均四年半弱生(旧工場及人夫舎含有)
                金六拾六万八千六百拾九円九拾六銭
一、建物   事務所一棟寄宿寮二棟及附属建物、本建物ハ階上住宅用階下事務所及倉庫物置用トタン葺三棟百二拾三坪半寄宿寮其他五十九坪七合五夕
                金壱万七百九拾壱円参銭
一、営業用什器及家具 (本社)社印・役印・机・書棚・椅子・革鞄(園)事務所用具・寄宿寮用具・諸器具
                金千六百参円四拾八銭
一、創業費 金七千五百円
一、銀行預金 新嘉坡台湾銀行支店預金銀千四百九拾九弗五仙
                金千七百弐拾七円六拾五銭
一、現在金  新嘉坡安茂郷園 銀百五拾壱弗五拾九仙
                金百七拾四円七拾壱銭
一、仮渡金           金弐拾参円六拾壱銭
  合計            金六拾九万四百四拾円四拾四銭
       貸借対照表(大正三年四月三十日)

         負債之部
一、株金            金参拾万円
一、借入金 株主ヨリ参拾万円銀行ヨリ約手八万円 金参拾八万円
一、銀行当座借越        金七千百参拾壱円九拾四銭
一、仮受金           金参百八円五拾銭
一、支払未済金         金参千円
  合計            金六拾九万四百四拾円四拾四銭
         資産之部
一、護謨園           金六拾六万八千六百拾九円九拾六銭
一、建物            金壱万七百九拾壱円参銭
一、営業用什器及家具      金千六百参円四拾八銭
一、創業費           金七千五百円
一、銀行当座預金        金千七百弐拾七円六拾五銭
一、現在金           金百七拾四円七拾壱銭
一、仮渡金           金弐拾参円六拾壱銭
  合計            金六拾九万四百四拾円四拾四銭

 - 第55巻 p.587 -ページ画像 
  (備考) 本表護謨園勘定ノ内ニハ本期間ノ経営費四万四千九拾六円四拾六銭ヲ包含セリ、其内訳左ノ如シ
   (本社)報酬俸給其他一般経費千八百五拾七円七拾銭、利息壱万八千参百六拾五円八銭、合計弐万弐百弐拾弐円七拾八銭
   (園) 地権買収金四百弐拾六円四拾参銭
       造林費壱万六千九百弐拾壱円参銭 合計弐万参千九百七拾七円六拾五銭内百参円九拾七銭雑収入差引
       監理費五千五百参拾五円参拾壱銭
       公租千九拾四円八拾八銭
右ノ通相違無之候也
  大正三年六月
            日新護謨株式会社
              取締役会長 男爵中島久万吉
              専務取締役 滝沢吉三郎
              取締役   諸井恒平
              同     磯野敬
              同     増田明六
右監査スルニ適法且正確ナルモノニ御座候也
              監査役   尾高幸五郎


(日新護謨株式会社) 第弐回報告書 付・第一―二頁刊(DK550119k-0003)
第55巻 p.587 ページ画像

(日新護謨株式会社) 第弐回報告書 付・第一―二頁刊
      株主名簿 大正三年四月三十日現在

  株数     氏名   住所  株数  氏名    住所
                   合資会社諸井家代表社員
 弐〇〇    古河虎之助 東京  壱壱 諸井スマ   埼玉
  六弐 男爵 渋沢栄一  同   壱〇 石井健吾   東京
  四五    本多晋   同   壱〇 尾高幸五郎  同
  四五 男爵 中島久万吉 同   壱〇 中島伊平   同
  参〇    諸井恒平  同   壱〇 青木五兵衛  同
  弐五    磯野敬   同   壱〇 明石照男   同
  弐五    滝沢吉三郎 同   壱〇 佐々木勇之助 同
  弐〇    清水満之助 同   壱〇 諸井三知   同
  壱五    八十島親徳 同 ○中略
  壱参    増田明六  同  六〇〇 合計 参拾壱人

   ○第一回報告書ハ大正十二年九月一日関東大震火災ノ際焼失シ、補充シ得ザリシヲ以テ今ハ無シ。商業興信所編「日本全国諸会社役員録」(大正六年改正)ニヨレバ、当会社設立ハ大正二年六月ナリ。


渋沢栄一 日記 大正四年(DK550119k-0004)
第55巻 p.587 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
六月廿六日 晴
○上略 午飧後事務所ニ抵リ、日進護謨会社総会《(新)》ニ出席ス○下略


(増田明六) 日誌 大正九年(DK550119k-0005)
第55巻 p.587-589 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正九年        (増田正純氏所蔵)
十三日○一月 火 晴
午前九時、滝沢吉三郎氏ヲ訪問ス、日新護謨会社ヲ南洋殖産会社ニ合
 - 第55巻 p.588 -ページ画像 
併シテハ如何トノ本多博士ノ提案ニ関シテナリ、氏ハ右ニ関シ先キニ本多博士ヨリ電話ニテ其必要(南洋ハ面積多ケレトモ働クベキ人ノ無キニ窮ス、日新ハ働ク人アレトモ面積少ク、今ヤ拡張セント目論目《(見)》ツツアル折柄ナルヲ以テ、双方合併セハ大ニ都合良カラントノ説)ナル談話ヲ聞キシカ、日新ニ於テ重役一同合併ニ同意ナラハ南洋ノ方ニ交渉ヲ試ミルベキモ、単ニ本多博士箇人ノ説ニテハ直ニ其交渉ヲナスコト能ハサルニ付、至急重役会ヲ聞《(開)》キ、其賛否ヲ決シテハ如何トノ意見ナリシ、小生モ之ニ同意シタリ
夕刻諸井氏事務処ニ来ラレシカハ、右ノ趣談話シタルニ、先ニ本多博士ヨリ右ノ説ヲ聴キ賛意ヲ表シタル次第ナルカ、重役会開催ノ上ハ出席スベシトノコトナリシカ、同氏及中島男爵ノ都合ヲ聴取シ、十四日午前九時半兜町事務処ニ於テ開会スルコトヽ決シ、他重役一同ヘ右ノ開催ヲ電話シ出席ヲ求メ置キタリ
十四日 水 晴
午前九時半、兜町事務処ニ於テ日新護謨会社ノ重役会アリ、出席者中島男・諸井・滝沢・磯野・和田ノ諸氏及小生ナリ
議題
一南洋植産会社ト合併ノ件
 右ハ本多博士ノ提唱ニ依リ議題トナシタルモノナルガ、植産会社ニ於テハ目下種々ノ問題アリテ、直ニ合併ノ可否ヲ答フルコト能ハサル状態ニアル由ニテ、合併ノ意思ハ可ナルモ、今直ニ合併ヲ決議シ之ヲ先方ニ申込ムハ時機早カルベシト一決シタリ
一スマトラ島アチヱ州所在パヤランボンエステートヲ四十八万循ニテ買収スル件
 右ハ同価格以内ニテ買収スルコトヽシテ、先方ニ交渉ヲ試ミルコト其取扱ハ増田ニ一任スルコトニ決シタリ
依テ本日直ニメダン在住池田覚次郎氏ニ弁護士料・名義書替登記料・仲介手数料ヲ合セ四十八万ギルダー以内ニテ買収ヲ希望スル旨電報シタリ
右買収及経営ノ資金ハ、新会社ヲ設立ノ上株主ヲ募集スルコトヽシ、而シテ時機ヲ見テ日新護謨会社ニ合併スルコト決ス、但シ買収代金ノ支払期カ株金払込前ナルトキハ、一時重役個人ノ連帯責任ニテ銀行ヨリ借入金ヲ為スコト○下略
   ○中略。
四日○二月 水 晴
○上略
此日小生ハ中島久万吉男邸ニ於テ催サレタル日新護謨会社重役会ニ出席シタルガ、実ハ尾高氏逝去ノコトモアリ御断スル意念ナリシモ、恰モ本日ノ重役会ニ於テ、スマトラ島ニ新護謨園経営ノ為メ同会社増資案ヲ協議スベキ筈ニテ、是非小生ノ出席立案ノ説明ヲ必要トセルヲ以テ特ニ出席シタル次第ニテ、幸ニ此増資ハ総テ原案ニ賛成ヲ得テ決定シ、続テ鄭重ナル晩餐ノ饗ヲ受ケ、終リテ円右ノ落語アリシモ、尾高氏ヲ迎フル時刻ニ近ツケルヲ以テ、中途辞シテ直ニ根岸ナル尾高氏邸
 - 第55巻 p.589 -ページ画像 
ニ赴キタリ、此晩餐ニハ中島男令夫人ヲ始メ、岩倉具広氏(日新護謨園在勤)ノ御母堂・同氏令兄ノ夫人及同氏令弟具光氏夫妻等出席セラレタリ
○下略


日新護謨株式会社株主書類(DK550119k-0006)
第55巻 p.589 ページ画像

日新護謨株式会社株主書類       (渋沢子爵家所蔵)
            (欄外書入レ)
            大正拾参年五月拾七日入手
    日新護謨株式会社定款
      第壱章 総則
第壱条 当会社ハ日新護謨株式会社ト称ス
第弐条 当会社ハ本店ヲ東京市ニ置ク、但必要ニ応シ支店若クハ出張所ヲ便宜ノ地ニ設置スルコトヲ得
第参条 当会社ハ左ノ業務ヲ営ムヲ以テ目的トス
    一、護謨樹其他熱帯植物ノ栽培、護謨ノ製造及製品ノ売買
    二、木材ノ採出及売買
    三、前各項ニ附帯シタル業務
    四、前各項ト同種類ノ事業並附帯事業ニ対スル投資
第四条 当会社ハ新嘉坡其他必要ト認ムル場所ニ於テ土地ヲ所有及租借スルコトヲ得
第五条 当会社ノ資本金ハ百弐拾万円トス
○中略
      第五章 計算
第参拾弐条 当会社ハ壱年ヲ弐期ニ分チ、毎年四月末日及拾月末日ヲ以テ決算期トス
第参拾参条 毎期ノ総収入金ヨリ総損失金及諸償却金ヲ控除シタル残額ヲ純益金トシ、左ノ如ク之ヲ分配ス
    一法定積立金  純益金ノ百分ノ五以上
    一社員恩給基金 純益金ノ百分ノ五以下
    一役員賞与金  純益金ノ百分ノ拾以下
    一配当金
    一後期繰越金
    前項ノ外株主総会ノ決議ヲ以テ必要ナル処分ヲ為スコトヲ得
第参拾四条 毎期配当金ハ五月末日及拾壱月末日ノ現在株主ニ配賦ス
以上大正九年六月廿八日株主総会ニ於テ決議


竜門雑誌 第三九一号・第五七頁大正九年一二月 青淵先生八十寿並陞爵祝賀会録事(DK550119k-0007)
第55巻 p.589 ページ画像

竜門雑誌 第三九一号・第五七頁大正九年一二月
    青淵先生八十寿並陞爵祝賀会録事
○上略
      三 醵金
本月十一日迄ニ醵金申込ありたる分左の如し。
○中略
一金参百円宛○中略 日新護謨株式会社○下略


竜門雑誌 第三九三号・第四四頁大正一〇年二月 ○海外飛躍者の覚悟 青淵先生(DK550119k-0008)
第55巻 p.589-590 ページ画像

竜門雑誌 第三九三号・第四四頁大正一〇年二月
 - 第55巻 p.590 -ページ画像 
    ○海外飛躍者の覚悟
                      青淵先生
 本篇は青淵先生が其邸内に海外殖民学校第二回卒業生を引見して教訓せられし要領なりとして、雑誌「植民」四月号に掲載せるものなり。(編者識)
○中略
 さて皆様は愈々早きは今月、おそくも来月、更来月頃までには殆ど悉く海外に渡航せらるゝ事でございませうが、其の行く処は仮令どこでもよい、南洋はフイリツピンからボルネオ、スマトラ、セレベスと各地に散在する日本人の根拠地に向はるゝことであらう。私も此の地方のゴム其他の事業に関係した事もあり――関係と申しても人にやらせたのですが、兎に角没交渉ではない。○下略


(増田明六) 日誌 大正一一年(DK550119k-0009)
第55巻 p.590 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正一一年      (増田正純氏所蔵)
十月二十一日 土 晴
○上略 和田義正君が日新護謨会社次期予算ニ付き協議を申込む○下略
   ○中略
大正十一年十二月二十八日 木 雨
定刻出勤
午前十時、日新護謨会社重役会を兜町事務所ニて開き、引続き同社定時総会ニ移る予定であつたが、出席者ハ和田義正・竹崎清楊の両氏と小生とのミ、重役会も出来す、又総会も変なものであつたが、不参重役中在京者にハ出席を得た事として双方の会を無滞催うし、孰れも原案可決となつた次第である。○中略 十二時全部終了
○下略


(増田明六) 日誌 大正一二年(DK550119k-0010)
第55巻 p.590-591 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正一二年 (増田正純氏所蔵)
三月十三日 火 曇
定刻出勤
本日の来訪者如左
一井上雅二氏 南洋護謨合同計画ハ森村男病気にて賛成を請ふ事不可能の為め、自然進捗不能となりし事、但向後も機分《(会)》あらハ合同ニ勉むる意向なる事、海外投資団とも可申機関設置の義如何なと之談話あり
○下略
   ○中略。
五月四日 金 晴
○上略
正午、工業倶楽部に於て日清護謨会社《(新)》の重役会を開く、中島・諸井・滝沢・磯野・和田の諸氏及小生出席、次期経営予算及慰労金(勤続五年)支給及給与規則改正等ニ付協議したるか、孰れも原案可決したり
   ○中略。
六月廿八日 木 晴
定刻出勤
 - 第55巻 p.591 -ページ画像 
午前十時、兜町事務処ニ於て日新護謨総会開催、出席者ハ中島・諸井滝沢・和田及小生の取締役のミにて磯野監査其他株主の出席壱人も無し、総て原案可決、監査役改撰の件ハ磯野氏重任となり故竹崎氏補欠を為すの件ハ当分の内監査役を一名として補欠を為さゝる事となれり
   ○中略。
十一月十五日 木 晴
出勤
午前十一時、古河電気工業会社々長室ニ於て日新護謨会社重役会開催滝沢・磯野・和田及小生、本年下半季本社及新架波・スマトラ営業所収支予算ニ付評議シ、原案ヲ可決ス
○下略
   ○中略。
十二月廿八日 金 晴
○上略
同十一時半、日本工業倶楽部に於ける日新護謨会社株主総会ニ出席、中島取締役会長不参に付代ハりて議長と為り、議案の説明を為す、凡て原案可決、了りて一同同処にて午餐を共にす、出席者は重役外株主ハ酒井直経氏壱人のミなり
○下略


(増田明六) 日誌 大正一三年(DK550119k-0011)
第55巻 p.591-593 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正一三年     (増田正純氏所蔵)
大正十三年一月一日 火 晴
○上略
渋沢事務処は震災後丸の内古河合名会社の階上四室を借り、其一室を子爵ニ、一室を応接用、一室を事務室ニ、残一室を竜門社・日新護謨会社及タイピスト及応接用ニ供用し居れるが、古河にてハ来四日御用始までハ閉鎖の由、然るニ子爵は例年の如く元旦の賀式を行はんとの御希望なりしが、第一銀行に於ても旧同行本店新館ニて行ハるゝに付き、同式場に隣接したる一室を借受け、之を子爵の年賀受場と為したる次第なり○下略
   ○中略。
五月一日 木 晴
○上略
新架波護謨生産制限本日より向三ケ月間四割と決定布告せられたり
   ○中略。
五月四日 日 晴
前十時、深井五郎君来訪、新架坡及スマトラ両営業所作業及事務の報告を為す、スマトラ営業所所属護謨園ハ、大正十年より資金の供給不能なりし為め、手入を全く中止して自然ニ放擲したる結果、鹿害頗る多く(鹿は樹の皮を好んで食ひ周囲を剥き取るを以て遂ニ枯死す)六百余英加の内完全なる部分は約百四十英加にして、残余ハ殆と其害を受けざるハ無き有様なりと云ふ、ラランの繁茂は全山を通じ、之が除却にハ莫大の費用を要し、仮りニ着手しても継続するニ非らされば何之傚無《(効)》きを以て、今日の場合之を放任する之外無き況情なれハ、差当
 - 第55巻 p.592 -ページ画像 
り採液を為し得べき地域を除草し、又鉄条網を以て鹿の進入を防止するの策を取らしむべく書通する事としたり、同君と午食を共にし、尚引続き其報告を聴取し、午後二時終了
○下略
   ○中略。
五月廿二日 木 晴
出勤
午前十時、日本工業倶楽部に於て日新護謨会社の重役会を催し、先般来帰朝の深井五郎君の新嘉波及スマトラ両営業所の現状報告を聴取し尚向後経営の方針としてハ前期の方針を継承する事を決し、午餐の後世界に於ける護謨の生産及需要の状況なと談話して午後三時散会
○下略
   ○中略。
六月十八日 水 雨
午前九時、和田義正君と共に古河鉱業会社ニ湯河兼吉・小泉の両氏を訪問して日新護謨会社の近況を詳述し、可成ハ古河家ニ於て同社の業務を監督せられたしと希望を述べ、調査書類を両氏ニ交付して退出した○下略
   ○中略。
六月廿六日 木 晴
後一、工業倶楽部ニ於ける日新護謨会社総会に出席す、重役のミにて株主の出席者無し
   ○中略。
七月七日 月 晴
午後四時、古河家鈴木・湯川両氏日新護謨事業経営の件ニ付き来訪
○下略
   ○中略。
九月十七日 水
第一銀行ニ対し、日新護謨会社債務無利息貸附の件を懇願して願書を提出す
○下略
   ○中略。
十一月一日 土
午前堀江とスマトラ営業所作業上の打合ハセを為す
○下略
○中略。
十一月四日 火
日本工業倶楽部ニ於て、中島久万吉男と日新護謨会社の第一銀行借入金無利息懇願を同銀行ニ為す件ニ付き協議す
   ○中略。
十一月八日 土
午前十時、日新護謨会社重役会を工業倶楽部ニ於て開催す、中島会長和田・磯野両氏と共ニ議案ニ就き協議す、目下帰朝中の堀江スマトラ営業所副所長より同護謨園の現況を報告せしむ
 - 第55巻 p.593 -ページ画像 
右了り、会食の後散会
○下略


(増田明六) 日誌 大正一四年(DK550119k-0012)
第55巻 p.593-594 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正一四年      (増田正純氏所蔵)
一月廿八日 水 晴
正午、工業倶楽部ニ於て日新護謨会社重役会開催、引続き株主総会を午後二時より開催したるが、株主の出席壱人も無し○下略
   ○中略。
三月廿六日 木 晴
○上略
正午、工業倶楽部ニ開催されたる日新護謨会社重役会ニ出席す
○下略
   ○中略。
六日○十月 火 小雨 出勤
午後二時、脇田勇氏と兜町事務所ニ会談す、同氏ハ去七月中南洋旅行の途ニ就き過日帰朝、其旅行中日新護謨園を視察したるを以て其近状を聴かん為めなり、又同氏の此旅行を機とし新嘉坡園売却の事を依頼し置きたるを以て、其該地ニ於ける模様をも聴取したるなり
○下略
   ○中略。
二十六日 月 晴 出勤
○上略
午前十時、日本工業倶楽部に於ける日新護謨会社株主臨時総会に出席議案監査役壱名増員選挙の件は湯川兼吉当選就任を承承諾《(衍)》す、終つて重役会開催、次季予算外一件を可決し、午食の後事務所ニ出勤
○下略
   ○中略。
十六日○一一月 月 晴 出勤
新嘉坡日新護謨会社より電報あり
 努力セハ六十万弗ニ行クカモ知レヌ、夫レニテ手付取リ差支ナキヤ不取敢諸井恒平氏及大株主たる古河合名会社昆田氏訪問意見を聞く、両氏とも大体売却の意志なり
   ○中略。
十八日 水 雨 出勤
正午、工業倶楽部ニ於て日新護謨重役会開会、出席者中島男爵・和田義正・湯川兼吉及小生
議案 新嘉坡所在護謨園売却ニ関する件 目下の時価を以てすれハ半季拾弐万円位の純益を得る事格別困難にもあらさるなり、一年弐拾五万円位を得る見込ある以上は六十万弗、邦貨換算八十万円は三年半ニて収入し、併かも約八十万円の護謨円《(園)》を保有する事となるを以て、此際急き売却するにも及ハさるべしとの考も生し、特ニ之を売却したる後ハ往年の不況ニ依り荒廃になしたるスマトラ園のミを残し、当分利益配当を生むべき財源亡くなるなる《(衍)》を以て、是等も予め重役諸氏ニ承知を請ハさるべからすとの慮もあり、急き本会を開催するニ至りし理
 - 第55巻 p.594 -ページ画像 
由を述へて篤と考慮を請ふと挨拶し、夫れより種々意見を交換したるが、此時価果して永続すべき哉頗る疑問なり、過去の状況より推せは決して楽観を許さゝるべし、寧ろ此際新嘉坡園を売却して、スマトラ園に全力を注くを得策と認むとの意見に一決したり、但本日ハ滝沢氏も欠席ニ付き同氏の意見も一応聴取する事とし、午餐の後解散
   ○中略。
二十日 金 晴
午前中飛鳥山邸拝訪、子爵並同令夫人御病気御見舞の上、子爵ニ左記ノ件御話申上けたり
一日新護謨会社新嘉坡所在園売却の件
○中略
二時半、同処○工業倶楽部ニ於て滝沢吉三郎と会し、日新護謨会社新架坡園売却の件ニ付き協議、同氏は売却の議ニ同意す
○中略
晩餐会に移る、滝沢・和田両君と席を列し、今夕新架坡よりの電報ニ就き返電案を協議す、案成り之を列席の深井五郎君ニ託し発電す
   ○中略。
十日○一二月 木 晴 出勤
○上略
後三時、古河合名会社ニ湯川兼吉・小泉浩両氏を訪問して日清護謨園売却《(新)》ニ関する談話を為す
○下略
   ○中略。
十二日 土 晴 出勤
○上略
来訪者氏名及要談
○中略
6、和田義正氏 日新護謨会社の件
○下略
   ○中略。
十七日 木 出勤
正午、工業倶楽部ニて日新護謨重役会開催、在新架坡護謨園売却の件を決議す
○下略


(増田明六) 日誌 大正一五年(DK550119k-0013)
第55巻 p.594-597 ページ画像

(増田明六) 日誌 大正一五年 (増田正純氏所蔵)
九日○一月 土 晴 静養
○上略
前十、工業倶楽部ニ於ける日新護謨会社総会に出席す、本日の総会は同会社の主要財産たる新嘉坡所在護謨園売却ニ関する議案を附議するを以て、此説明の任ニ当る必要あり、病を押して出席、詳細の説明を為し、満場一致を以て原案可決となれし《(りカ)》、折角出席の効ありしを衷心より悦ひ、引続き重役会を開き、馬来護謨公司ニスマトラ護謨園売却の件を附議したるが、一致の議決を見るに至らす
 - 第55巻 p.595 -ページ画像 
正午々餐を同所にて執り、自動車を駆りて帰宅す
○下略
   ○中略。
十八日 月 晴 出勤
前十、和田義正氏来訪、新架坡出張ニ関する事務の打合ハセを為す
○下略
十九日 火 晴 出勤
○上略
正午、工業倶楽部ニて日新護謨会社重役会開催、来廿七日提出の同社株主総会議案並馬来護謨会社の申込スマトラ園売却の件ニ付き凝議したり
中島男爵・和田義正両氏と共ニ英国総領事館ニ至り、和田氏渡新ニ関する委任状ニ領事の面前ニて証人として署名す
二十日 水 晴 出勤
後七時、和田義正氏東京駅出発新嘉坡渡航ニ付、見送ニ赴く
   ○中略。
二十七日 水 晴 出勤
○上略
後二時、工業倶楽部ニ於ける日新護謨会社株主総会ニ出席し、提出議案の説明ニ当る
○下略
   ○中略。
十六日○二月 火 晴 出勤
○上略
正午、中島久万吉男を東京商業会議所に訪ね、日新護謨会社附属園売却ニ関し経過を報告す
午後三時、中島男と共ニ深井五郎氏同伴英国領事館ニ至る、用件大略如左
一日新護謨会社ニて去一月八日の臨時総会ニて決議したる同社所属新架坡所在護謨園売却の件ニ関し、先きニ和田義正氏及鈴木旭氏ニ交付したる委任状ニ社印押捺無きハ、財産売渡委任状として不完全なれハ、之を押捺したるものを再製せよと同地弁護士の希望なる由、出張中の右二氏より電報あり、此電報ハ去十三日接手、夫れより社印の作成、委任状の再製等ニ全力を尽し、本日出来ニ付、之を携へ英領事の面前ニて委任状ニ署名し、又社印を押捺し、之ニ同領事を《(の)》証明を得、完全なる委任状を作成したる上、領事ニ委任状ニ証明を為したる旨の電報を新架坡Sisson&Delayニ発送を請ひ、其承諾を得て事務処ニ帰る
一同園売却の事ハ昨年十二月鈴木旭氏ニ於て新架坡支那人陳  《(原本欠字)》氏ト仮契約ヲ締結し、之が取引の為め和田氏委任状を携帯出張したる次第なり
○下略
   ○中略。
二十七日 土 雨 出勤
 - 第55巻 p.596 -ページ画像 
正午、工業倶楽部ニ於て日新護謨会社重役会開催す、中島・諸井・湯川の三氏及小生会合
小生より新嘉坡園売却ニ関する爾来の経過を報告して承認を受く
   ○中略。
四月一日 木 晴 出勤
○上略
正午、日本工業倶楽部ニ於ケル日新護謨会社重役会ニ出席
○下略
   ○中略。
七月三日 土 晴 出勤
○上略
午後、日新護謨会社第二十六期決算ニ付、監査役湯川・白石両氏の監査を受く、総て相違無き事を認めらる
○下略
   ○中略。
七月九日 金 晴 出勤
正午、工業倶楽部ニ於ける日新護謨会社重役会ニ出席、来廿四日開会の同会社株主総会ニ提出する議案ニ付協議、総て原案を可決す
○下略
   ○中略。
七月十五日 木 晴 出勤
早朝第一銀行ニ至り、同頭取・副頭取其他ニ面会し、日新護謨会社ニ於て多年御援護を受けたるし《(を)》謝し、近時漸く前途之方針も確立したるニ付き、此機会ニ於て聊拝謝の意を表する為め粗餐を差上け度しと懇談し、来廿四日夕よりと約したり
○下略
   ○中略。
七月廿四日 土 晴 出勤
前十、日新護謨会社総会ニ出席、本日の議案ハ前季決算の外資本金減少の件あり、予て株主の出席を求めしも、重役の外深井・鈴木の二株主の列席ありしのミなり、小生より提案の説明を為し、凡て原案を決したり
○中略
後六、築地新喜楽ニ於て、日新護謨会社主催第一銀行重役ニ対する感謝の宴会を催ふす、佐々木頭取・石井副頭取、杉田・明石両重役出席主人側は中島取締役会長外全部列席、中島氏より同銀行重役各位が往年日新護謨営業困難の際特ニ同情を以て多年間資金を融通せられ、今日漸く前途の方針を確立するニ至りし次第を陳へて深く感謝の意を表し、佐々木頭取ハ之ニ対する謝辞を述へ、典山の講談、新橋芸者の常磐津あり、一同歓を尽し十時散会
   ○中略。
七月廿七日 火 晴 出勤
○上略
湯川兼吉氏来訪、予て日新護謨会社の経営を古河家ニ於て引受けられ
 - 第55巻 p.597 -ページ画像 
たしとの小生の申出ニ対し、同家ニてハ適当の経営者も無く又他ニ経営せる園と区別する事不可能ニ付、乍遺憾難引受ニ付従前の通請ふとの事なりし、小生ハ然らハ中島氏ニ協議の上決定すべしと答置きたり○下略
   ○中略。
十二月二十日 月 晴
午前九時半出勤、日新護謨会社減資株金払戻の為小切手に署名捺印を為す
同社の資本金百弐拾万円を三分の一減資して金八拾万円と為すニ付き右減資金四拾万円を株主に返却する次第なり
○下略


(増田明六) 日誌 昭和二年(DK550119k-0014)
第55巻 p.597-598 ページ画像

(増田明六) 日誌 昭和二年      (増田正純氏所蔵)
一月廿二日 土 晴 出席
○上略
正午、湯川兼吉・白石喜太郎両監査役の日新護謨会社会計の監査を受けた、各項凡て正確なるを認められたとの証印を受けた
○下略
   ○中略。
一月廿八日 金 晴 出勤
日新護謨会社定時株主総会に出席
午前十時、日本工業倶楽部にて開会、重役中和田・湯川及小生出席、株主中本多静六・鈴木旭両氏来会、小生議長席ニ就き事業報告を為し決算書類の説明の後損益金処分案を附議したる《(が脱)》、孰れも原案を可決せられた
○下略
   ○中略。
三月廿四日 木 晴 出勤
今日ハ朝来日新護謨会社の五年計画ニ関する事務取扱で終日を送つて仕舞つた、午前十一時頃から丁度和田君が来合ハせたので、同君ニ手伝つて貰つて兎に角案が出来つ《(たカ)》、不日スマトラ出張所へ送附するのである
○下略
   ○中略。
五月廿八日 土 晴 出勤
○上略
本日の来訪者
1若井庄三郎氏 スマトラ護謨栽培地ニ於て蘭人カ石油の試掘を為すニ付き其土地の損害賠償を請求するニ付き、石油試掘の場合ニ於ける土地及植物等ニ及ほす被害の状況を聴取せんが為ニ、特ニ同氏ニ請ふて来話を得たるなり
○下略
   ○中略。
七月廿六日 火 晴 出勤
 - 第55巻 p.598 -ページ画像 
前十時、工業倶楽部ニ於て日新護謨会社株主総会開催、出席株主ハ重役の外深井五郎君一人のミ、増田議長《(席脱カ)》ニ着席、業務の状況、各計算書の説明を為す、各計算及損益分処分案総《(金カ)》て原案を可決し、続て白石喜太郎監査役任期満了ニ付改選の件ハ重任と決したり
○下略
   ○中略。
十二月十六日 金 晴 出勤
午後二時、和田義正君と共ニ丸ビル八階のスマトラ護謨会社ニ山地土佐太郎氏を訪ふて、氏のスマトラ島視察談、特ニ日新護謨会社の石油坑の事及林状に就き聴取した、石油の現状は堀江支配人報告と異なる処無きも、其護謨樹ニ及ほす害は極めて僅少との観察を聴き大ニ安堵した
○下略


(増田明六) 日誌 昭和三年(DK550119k-0015)
第55巻 p.598-599 ページ画像

(増田明六) 日誌 昭和三年       (増田正純氏所蔵)
昭和三年一月一日 晴 日 廻礼
○上略
小生等事務処員一同は午前九時飛鳥山邸ニ集合して、御客間ニ整列して(此整列には竜門社・日新護謨・雨夜譚会の各掛員も加ハつた、又飛鳥山邸執事以下従業員も)子爵並同令夫人の来臨を得て年賀を申述へた
子爵ニハ今年八十九の寿を迎へられたのである、益御壮健で在らせらる、寔に芽出度至りである
○下略
   ○中略。
一月廿三日 月 夕より降雪 出勤
○上略
午後三時より、日新護謨会社半季決算ニ関し湯川・白石両監査役の監査を受けた、各項共ニ相違の点無く孰れも正確なるを認められた
○下略
   ○中略。
一月廿八日 土 雨 出勤
前十、日本工業倶楽部ニ於て日新護謨会社の株主総会を開催した、重役外以ニハ深井五郎君株主として出席したのみであつた
増田議長となり、営業の状態ニ付き説明を為し、又諸計算書も原案可決となつて、損益金処分も原案を決議し、最後ニ監査役任期満了ニ付てハ湯川兼吉氏重任と決した
○下略
   ○中略。
五月九日 水 晴 出勤
○上略
正午、工業倶楽部ニ於て日新護謨会社重役会を開いた、同社の六年計画予算が出来たので之が承認を得るのであつた、小生の外和田・堀江両君の説明があつて凡て原案を可決した、午食の後散会
 - 第55巻 p.599 -ページ画像 
○下略
   ○中略。
七月十九日 木 晴 出勤
午後二時、日新護謨会社会計監査があるので説明の衝に当つた
○下略
   ○中略。
七月廿七日 金 晴 出勤
午前十時、工業倶楽部ニ於ける日新護謨会社の総会に出席、中島取締役会長不参の為め小生代つて議長席ニ着き、会議の目的たる事項の説明を為して各号共原案の通可決、次きて目下の業態を談話した
出席者は重役のみで、至て平穏之総会であつた
右終了後午餐を共にして解会
○下略


竜門雑誌 第四八二号・第二―七頁昭和三年一一月 御大典を祝し奉る 青淵先生(DK550119k-0016)
第55巻 p.599 ページ画像

竜門雑誌 第四八二号・第二―七頁昭和三年一一月
    御大典を祝し奉る
                      青淵先生
○上略
 大正十一年三月の某日、珍田伯爵が来訪せられ「摂政宮殿下は海外よりお帰りになつてから外国の事情に深甚の注意を払つて居られる。就ては貴下は早くから日米の関係を心配せられ、華盛頓会議へも公にでなく赴かれた程であるから、平素からのお考へなり、また外部から見た華盛頓会議の事情を詳しく殿下に申上げてくれるように―」との御言葉がありました。私としましては、御聴取願へるならば有難い幸と存じ、御受け致しました。其処で同八日東宮御所へ伺候したのであります。お席には摂政宮及び珍田伯爵・御附武官など僅かな人数で、ごく内輪のやうに拝察されました。
○中略
 それから二日後再び御召を拝受し賜餐の光栄に浴しましたが、誠に御親しく「老人であるが疲れはしないか」とか、「渋沢はシンガポールにゴム園を持つて居るね、欧洲から帰る時珍田等とシンガポールに上陸したが、和田と云ふ者が色々世話をしてくれた」などと仰せられましたので、「ゴム園は私個人のものではなく株式会社であります。仰せの和田と云ふ者は引続いて働いて居ります」などと御答へした次第で、畏多くも有難い極みでありました。
○中略(十一月十四日談話)


日新護謨株式会社株主書類(DK550119k-0017)
第55巻 p.599-600 ページ画像

日新護謨株式会社株主書類        (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    「スマトラ」護謨園ノ処分ニ就テ
昭和四年十二月十八日ノ臨時株主総会ニ於テ、満場一致ヲ以テ「当会社所有パヤラムボン護謨園処分ノ為メ其代価・時期・方法及ヒ之ニ附帯スル一切ノ行為ヲ取締役ニ委任スル事」ト決議セラレタルニ依リ、爾来鋭意各方面ニソノ交渉ヲ為シタルニ、七月中旬ニ至リ熱帯産業株
 - 第55巻 p.600 -ページ画像 
式会社トノ間ニ協議ヲ開クコトヽナリ、遂ニ十月末日ヲ以テ両会社代表者間ニ譲渡ニ関スル契約書ヲ取交シ、目下蘭領政府ニ許可ノ申請中ナリ 渡辺
  昭和六年一月二十七日
                            (鈴木)
                   白石 (印)
                   日新護謨株式会社


日新護謨株式会社株主書類(DK550119k-0018)
第55巻 p.600 ページ画像

日新護謨株式会社株主書類      (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
                   渡辺
                            (鈴木)
                   白石 (印)
拝啓 時下愈々御清適奉賀候、然者本日開催ノ臨時株主総会ニ於ケル決議事項ハ左ノ通リ相成候ニ付御承知被成下度、此段御通知申上候也
                           敬具
 一、日新護謨株式会社解散決議ノ件ハ原案ノ通リ可決
 二、清算人選任ノ件ハ議長ニ一任セラレ、清算人ニハ取締役全部之ニ当リ、会社ヲ代表スル清算人ハ、男爵中島久万吉トスルコトニ決定
          以上
  昭和六年七月二十三日
            日新護謨株式会社
              取締役会長 男爵中島久万吉
  株主       殿


日新護謨株式会社株主書類(DK550119k-0019)
第55巻 p.600-601 ページ画像

日新護謨株式会社株主書類       (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
            (ゴム印)
            本原案ノ通リ承認セラル
                   渡辺
                            (鈴木)
                   白石 (印)
    決算報告書
昭和六年七月二十四日ヨリ同年十二月三日ニ至ル清算事務ノ要領ヲ録シテ報告スルコト左ノ如シ
      一、株主総会
昭和六年十月二日、東京市麹町区丸ノ内一丁目二番地日本工業倶楽部於テ、臨時株主総会ヲ開催ス、出席株主委任状共三十二名(総株主五十名)此株式数一万四千四百九十株(総株式数一万六千株)ニシテ、全会一致左記議案ヲ承認可決確定セリ
第壱号議案 第参拾七回(自昭和六年五月一日至同 年七月二十三日)営業報告・財産目録・貸借対照表・損益計算書ノ承認及ヒ損益金処分決議ノ件ハ原案ノ通リ承認可決
第弐号議案 商法第二百二十七条ノ規定ニ依リ財産目録及ヒ貸借対照表ノ承認ヲ求ムル件ハ原案ノ通リ承認
○中略
      二、庶務事項
一、昭和六年七月二十三日、臨時株主総会ニ於テ会社解散ノ決議ヲ為
 - 第55巻 p.601 -ページ画像 
シ、翌二十四日ヨリ清算事務ヲ開始セリ
○中略
一、昭和六年十月十二日ヨリ、各株主ニ対シ残余財産分配金ノ払渡ヲ開始シ、十一月十七日終了セリ
一、昭和六年十二月三日、清算事務完了セリ
      三、収支計算
     収入ノ部
一、金六万五千四百九円弐拾四銭 清算開始前現在ノ銀行預金及ヒ現金
一、金拾四円 器具売却代
一、金弐千八拾七円参拾八銭 仮払金受入
一、金七拾七円弐拾弐銭 未収金受入
一、金参百九拾六円九拾銭 銀行預金利息
一、金参百円 雑益
 合計金六万八千弐百八拾四円七拾四銭
     支出ノ部
一、金弐千六百五拾弐円弐拾五銭 身元保証金支払
一、金四拾四円八拾五銭 未払金支払
一、金壱万四千参百八拾七円六拾四銭 清算費
   内訳○略ス
一、金五万千弐百円(壱株ニ付金参円弐拾銭ノ割)残余財産分配金
 合計金六万八千弐百八拾四円七拾四銭
右之通相違無之候也
  昭和六年十二月十八日
           日新護謨株式会社
             代表清算人 男爵 中島久万吉
             清算人      諸井恒平
             同        滝沢吉三郎
             同        和田義正
             同        白石喜太郎
前記ノ事項ヲ監査スルニ総テ相違無之候也
  昭和六年十二月十八日
             監査役      湯川兼吉