デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.18-21(DK560006k) ページ画像

大正4年7月27日(1915年)

是ヨリ先、日中協約ノ締結成ル。当会議所ニ於テハ、関係当局者ノ労ヲ慰スルト共ニ、両国ノ親善ヲ図ランガタメ、是日、内閣総理大臣大隈重信以下各大臣、駐日中華民国公使陸宗輿・参事官劉崇傑等、及ビ栄一・近藤廉平・大倉喜八郎等ノ実業家ヲ上野精養軒ニ招待シテ、晩餐会ヲ開ク。栄一、
 - 第56巻 p.19 -ページ画像 
実業家ヲ代表シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK560006k-0001)
第56巻 p.19 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年      (渋沢子爵家所蔵)
七月廿七日 曇
○上略 午後六時上野精養軒ニ抵リ、商業会議所ニ於テ開催スル日支交勧《(歓)》ノ宴会ニ出席ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス、夜十時散会 ○下略


集会日時通知表 大正四年(DK560006k-0002)
第56巻 p.19 ページ画像

集会日時通知表  大正四年      (渋沢子爵家所蔵)
七月廿七日 火 午後七時 中野氏より招待(上の精養軒)


東京商業会議所月報 第八巻第八号 大正四年八月 本邦内閣諸大臣並支那公使招待会(DK560006k-0003)
第56巻 p.19 ページ画像

東京商業会議所月報  第八巻第八号 大正四年八月
    本邦内閣諸大臣並支那公使招待会
本商業会議所は日支両国協約新ニ締結せられたるにつき関係当局者の労を慰すると共に両国民の親交を図る為め、七月二十七日午後七時上野精養軒に於て晩餐会を開会し、日支両国の関係当局者並支那に関係を有する本邦実業家を招待したり、招に応じ出席せられたるものは
 本邦政府当局者
 内閣総理大臣伯爵大隈重信君・内務大臣子爵大浦兼武君・外務大臣男爵加藤高明君、海軍大臣八代六郎君・大蔵大臣若槻礼次郎君・文部大臣一木喜徳郎君・逓信大臣武富時敏君・農商務大臣河野広中君 ○外五名略ス
 支那政府当局者其他
 支那公使陸宗輿君・参事官劉崇傑君・横浜総領事王守喜君・一等秘官孫潤宇君・二等秘書官周啓濂君・横浜副領事江洪〓君・随員郭左淇君・中華商務総会々員劉杏村君・同郭外峯君
 本邦実業家
 男爵渋沢栄一君・男爵近藤廉平君・大倉喜八郎君・倉知鉄吉君・井上準之助君
等にして、本会議所より中野会頭、藤山・杉原両副会頭を始め議員・特別議員五十名出席、午後七時食堂を開き主客卓を囲みて晩餐を共にし、宴酣に及び中野会頭招待の辞を述べ、支那公使陸宗輿君・総理大臣大隈重信君・男爵渋沢栄一君の演説あり、主客歓談時を移し午後十時散会したり(中野会頭の挨拶、陸公使・大隈総理大臣・渋沢男爵の演説は本号論説欄に掲ぐ)


東京商業会議所月報 第八巻第八号・第二―四頁 大正四年八月 渋沢男爵演説(DK560006k-0004)
第56巻 p.19-21 ページ画像

東京商業会議所月報  第八巻第八号・第二―四頁 大正四年八月
    渋沢男爵演説
 閣下、諸君、本夕は実業家を御招き下さいましたと云ふ唯今東京商業会議所会頭の仰せがございましたに就いて、私は其一人として、此所へ実業家として参上致した諸君の代表の心得で、一言の謝辞を述べたいと存じます、東京商業会議所が此宴会を御開きなさつたのは余程御心したことであらうと私は想像します、蓋し日支の関係が都合宜く局を結びましたに就いての喜びは、独り東京商業会議所と云ふものゝ議員諸君ばかりでない、中華民国・我帝国両国民は共に喜んで居るの
 - 第56巻 p.20 -ページ画像 
である、併し其喜びの中に、殊に東京商業会議所に於ては其喜びを深くしたらうと思ひます、如何となれば、此平和は我事業の発展に最関係の深いものである、夫れが如何になるかと気遣つたのが、幸に無事に結了したと云ふことは、是は平和を重んずる我々の最も喜ぶべきことであつて、東京商業会議所は其代表の位地に立つものとして最も深く其喜びを感ぜられたと思ふ、而して此会を催すに就いて其時を選んだことに就いて、私は会頭及び議員諸君の御苦心を深く御察し申し、且つ謝意を表する次第であります、例へば其当時速かに開くと云ふ御説もありましたらう、併しある場合に於ては両国間の盛情《(感)》を融和せしめんとして、却つて其融和を失はせる嫌なきにあらず、さらば之を延ばすか、好い季節にと言ふたならば或は時機を失ふと云ふ恐れもありませう、それで此炎暑にも拘らず、丁度此機会に当会を開かれることになつた、此暑い最中に会を開かれた其あつい御考は非常にあつい親切を含蓄して居ると解釈するのであります、私は本夕此会を御開き下されたことを深く感謝いたすのであります、此日支の関係に付いては一時の感情の衝突は間々あることであるけれども、之を融和して其親善を致すのは実業家の力に依ると云ふ唯今総理大臣の御言葉がありました、洵に仰せ御尤もで、我々共深く自から期する所なければならぬと思ひます、殊に陸公使閣下が唯今会頭の御挨拶に対するの御言葉にも、将来の両国の親善は有力なる実業家に依頼すると云ふことがございました、我々有力ならざるも、自から有力の意志を以て之れに御答しなければならぬと考へます、此点からしますると、此場合斯る宴会の如きは最も其融和を早く進めるの一機会にならうと思ひますけれども、併し暫らくの間多少不円満の聞へのあつたことは、寧ろ我々は恐縮に堪へぬ、皆己れ等の力足らぬ故と自から慚愧を致さんければならぬのであります、但し此円満を得なかつたと云ふことに付ては、総理大臣の御言葉の如く、両方の感情の衝突もございませんで情意の疏通を失つた故でもありませうが、若し我々実業家が強い力を以て今日迄に情意の結合が成立つて居りましたならば、必らず左様な場合はなからしめたであらうと考へまする、之れは独り私が申上ぐるではございませぬ、此所に本夕御招きを受けた所の実業家一同は、尤も我責任として将来に注意を加へて、斯る事の再び起ることの無からしめることを期さねばならぬと思ふのであります、又果して其事は期して待つべきものと私は信じて疑ひませぬのであります、自分等は更に進んで、此両国の現在の実業の進歩を図るのみならず、尚ほ両国の有力の人々と情意を交換し、知識を進捗するやうに迄種々の方法を講じたい。此間には或は事物に付いての接触を致し、取引をして往くと云ふことは論を俟ちませぬけれども、独り其取引を進めるのみならず、意志の交換をするやうな手段を大いに求めると云ふことを今に現に講じつゝあるのであります、幸に是等の希望にして若し功を奏するやうになりましたならば、今総理大臣の実業家に依頼するぞよと云ふ御言葉は、畏まりました、御引受致しましたと或は申し上げることも出来やうかと深く自から期して居ります訳であります、去ながら兎角物事はどうも思ふやうに往かぬ恐れがありますから、独り我々帝国の実業家ばかり
 - 第56巻 p.21 -ページ画像 
でなく、中華民国の実業家諸君にも此心を共にして、将来相結んで親好を増すことを願ひたい、此事は公使閣下及び今夕此席に御同様参列せられた中華民国の実業家諸君には、深く御留意下さることを私は希望して止まぬのであります、支那の言葉に宮中千里、一宮殿の中に千里の遠きをなすと云ふ言葉があります、蓋し之れは或は宮中の美人が君寵が衰へて離隔した所を憂へて言ふたことでありませう、決して我我実業界に用ゆべき言葉ではありませぬ、併し感情の齟齬は美人たらざるも尚ほ宮中の千里を来すものである、故に我々はどうぞ此中華民国即ち四百余州と、我々八十州であるか百州であるか、我帝国をして千里は偖て措き、一里よりも尚ほ近からしめやうと希望して止まぬのであります、我々は之れに依つて我々の本分を尽さうと思ひますから之を以て総理大臣閣下・陸公使閣下にも宜しく御諒承あらんことを希望致します。
   ○本資料第五十五巻所収「日華実業協会」大正四年七月二十七日ノ条参照。