デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.52-53(DK560017k) ページ画像

大正7年10月12日(1918年)

是日、当会議所前会頭中野武営ノ葬儀行ハル。栄一、葬儀委員長トナリ、斎場ニ於テ告別ノ辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK560017k-0001)
第56巻 p.52 ページ画像

集会日時通知表  大正七年       (渋沢子爵家所蔵)
十月十二日 土 午後二時 故中野武営氏葬儀(青山斎場)


竜門雑誌 第三六五号・第七九―八〇頁 大正七年一〇月 ○中野武営氏薨去(DK560017k-0002)
第56巻 p.52-53 ページ画像

竜門雑誌  第三六五号・第七九―八〇頁 大正七年一〇月
○中野武営氏薨去  青淵先生と与に多年一日の如く社会国家の為めに尽力せられたる前東京商業会議所会頭、現東京市会議長中野武営氏は、本月初旬以来腎臓炎の大患に罹り療養中の処、薬石竟に効なく、八日午後一時五十五分溘然として逝去せられたり。享年七十一、葬儀は十二日午後二時青山斎場に於て仏式を以て執行することゝなり、其の葬儀委員は左の如く決定せり。
 - 第56巻 p.53 -ページ画像 
 葬儀委員長 渋沢栄一
 伊藤幹一・池田竜一・磯部保次・鳩山一郎・星野錫・大橋新太郎・加藤正義・柿沼谷雄・団琢磨・高橋要治郎・玉井幸太・添田寿一・角田真平・中島久万吉・山口憲・藤山雷太・郷誠之助・浅野総一郎有賀長文・安藤保太郎・平沼淑郎・杉原栄三郎
 葬儀当日、本郷元町の自邸に於ては午前十時出棺前読経を行ひ、喪主以下近親者の焼香あり。午後零時二十分、遺骸は花環に包まれたる柩車に納め、同四十分自邸出発、喪主岩太氏・未亡人せん子初近親一同及び葬儀委員長青淵先生以下の自働車・馬車を聯ねて順路を経て青山なる斎場に向ひたり。一方斎場に於ては東京市会議員七十余名主となり諸般の準備を整え、大隈侯・大木伯・牧野男・山本農相等朝野の諸名士二千余名の会葬者は広場に埋りて柩車の到るを待つ間に午後一時四十分霊柩の到着するや、儀仗兵は哀の喇叭を吹奏し、一斉に捧げ銃の礼を以て之を迎え、会葬者亦粛々として今更に故人の生前を偲びて悲涙に咽ぶ者もあり。軈て霊柩は徐に正面に安置せられ、墨痕鮮に「入庵随卿居士」と記されたる白木の霊位を供へられ、夫より霊雲寺住職福田法麟師は十数名の役僧を随へて霊前に進み、以て厳かなる仏式を修し、次に東京市長田尻稲次郎子・東京商業会議所会頭藤山雷太氏及び早稲田大学々長平沼淑郎博士の弔詞朗読ありて後、各方面より寄せられたる弔詞を供へ、右終つて葬儀委員長青淵先生には、斎場の中央に起ち霊柩に向て感慨無量なる告別辞を述べられ、続いて喪主以下一同の焼香ありて式を終りたるは午後四時なりき。終始一貫公共の為めに尽痒せる国士今や亡し、嗚呼悲哉。