デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.53-56(DK560018k) ページ画像

大正7年12月9日(1918年)

是日、当会議所ニ於テ、第一次世界大戦講和使節随員近藤廉平・深井英五・福井菊三郎ノ渡欧送別会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK560018k-0001)
第56巻 p.53 ページ画像

集会日時通知表  大正七年        (渋沢子爵家所蔵)
十二月九日 月 午後三時 講和大使随員レセプシヨン(商業会議所)


東京商業会議所報 第九号・第四―七頁 大正八年一月 講和使随員招待(DK560018k-0002)
第56巻 p.53-55 ページ画像

東京商業会議所報  第九号・第四―七頁 大正八年一月
    ○講和使随員招待
今回欧洲へ出張せらるゝ講和使随員近藤男爵・深井英五・福井菊三郎喜多又蔵の諸氏並講和使節牧野男爵に対し送別の意を表する為め、十二月九日 ○大正七年午後三時当会議所に於て招待会を開催したり、正賓の出席者は近藤男爵・深井英五・福井菊三郎の三氏、陪賓の出席者は大塚農商務次官・岡警視総監、渋沢・阪谷・郷の各男爵、水町日本銀行副総裁・井上正金銀行頭取其他の主なる実業家四十余名及主催側の当所議員等を併せ総員七十九名にして、席上藤山会頭の挨拶辞に次て、渋沢・阪谷両男爵の希望演説、近藤男爵より代表的謝辞あり、主客相互に健康を祝して午後四時二十分散会したり
藤山会頭演説
 - 第56巻 p.54 -ページ画像 
 閣下並に諸君、私は東京商業会議所を代表しまして一言御挨拶を申上げたいと思ひます。今回欧洲の戦争が休戦条約を結びまして、次いで講和の会議が開かれると云ふことになりました為め、我帝国政府は講和特使を派遣せらるゝ其中に我実業家を随行せらるゝと云ふことになりましたことは、是は寔に我実業家として実に欣快に堪へぬ次第であります。今度の戦争は諸君の御承知の通り前後曾て無い大戦争であつて、今度の講和会議は随つて世界的の問題が其席上に於て会議せらるゝことゝ思ふのであります。而して若し斯る場合に於て我帝国より派遣せらるゝ此の人々が武装的人許りであつたならば、我々は世界に対しても甚だ恥しいことであると考へて居りました所が、最も平和を愛すべき所の実業家よりして今度特使の一行の中に加へられて、平和会議の委員として我政府がお出しになつたと云ふことは、実に愉快なることで、斯くありてこそ実業と云ふものが重きを為すやうになると私は信ずるのであります。 ○中略 併ながら考へて見ますれば、我帝国は寧ろ今日の世界環視の、実に注目の焦点になつて居ないかと思ひます。独逸滅亡後の日本帝国に対しては世界列国は日本を非常に注目して居ると云ふことでありまするが、今度派せらるゝ実業家諸君に、我々は平和の国民であると云ふことを十分に発揚して貰ふことは、我々は第一に希望する次第であります。其他局部々々の問題に就きましては十分なる御経験のあることでありますから、其貢献せらるゝ所のものは頗る大なるものがあると信じます。此日は御出発も甚だ迫つて参りまして我々実業家としては盛んなる宴を開いて熾んに其行を送りたいと思ひますが、時日を得ませぬ為めに銀行家の諸君、工業家の諸君、又東京商業会議所議員の諸君と此一堂に集つて、此三君の今度の御出張の壮図を我々盛んにしたいと考へた次第であります。寔に粗宴の催しでありますが、十分に御自愛あつて国家の為め十分に貢献せられんことを深く御願ひ致します、玆に謹んで三君の御健康を祝します。(乾盃)
渋沢男爵演説
 満場の諸君、今回の欧洲の戦乱は有史以来未曾有の事と云ふ申し伝へは何れの場所でも言ひ居りまするが、我帝国に於きましても固より有史以来初めての事を見たのであります。而して其戦乱の終熄に際して、玆に講和の問題が起り、此講和会議に使節を派せらるゝと云ふことに就て、我々実業界から委員か派遣せらるゝと云ふことも即ち有史以来の事柄と申して宜からうと思ひます。斯る重任を帯ばれたる近藤男爵・福井菊三郎君・深井英五君等の御苦労に対しては我々は深甚の感謝を致します。而して此三君の御名誉は勿論でありますが、是は此一堂の諸君の名誉と申しても私は宜しからうと思ふのであります。唯今藤山会頭も段々述べられました通り、戦争終熄以後に於て我帝国が世界より環視せらるゝ所のものは如何であるかと云ふことは、独り我々の癖見でなくして、殆ど或る点からは憂慮すべき程までに考へなければならぬと思ふのであります。過日も当会議所に於て祝賀会が開かれました際、藤山会頭より御述べにもなりましたが、又其席上に於て我原総理大臣は、今度の世界の戦乱は
 - 第56巻 p.55 -ページ画像 
詰り武力に於ては決して敵方が敗けて居ないけれども、全体の国の力に依て遂に急転直下の敗を取るやうになつたのであるから、今後はどうしても唯だ武力に依るものでない、国力と云ふものに依らなければならない。而して夫は国富力の伸張に従事して居らるゝ実業家の努力奮励に依ること大なりと、我々に対して鼓舞激励の言葉がありました。是は寔に尤もなることゝ私は感佩して、私は之に附言して望むらくば更に国力の伸張に就ては正しいものにありたいと述べたことは、私も今尚記憶して居ります。蓋し唯今申された此世界環視の焦点たる我日本帝国の将来に対しては、私も御同様懸念に堪へぬのであります。玆に於て斯やうなる講和の委員の中に我実業界から選ばれて講和使節に随伴し、而して我実業界の観念を強く世界に表白すると云ふことは、寔に欣ぶ次第であります。而して斯の如き大任を荷はれた諸君に対しては十分なる盛宴を催して、其行を盛んにしたいことは、吾人共に御同様でありますが、如何せん時日も切迫して居りまして、如何ともすることなく、恰も藤山会頭の御心配で今日此席でお目に掛ることの出来たことは寔に欣ばしい次第であります。併ながら三君に対して盛んに御送別申すと云ふことの、其心あつて、其事の足らぬことは甚だ残念千万の至りであります。我々の意志は恰も会頭の屡々述られました通り、決して是から先日本は真に道理正しい平和主義を以て世界に立つと云ふ観念を飽迄も世界万国の人々に徹底せしむるやうに、特に三君に対して御願ひして置きたいと思ふのであります。玆に一言を呈し蛇足を添へて、私共の希望して居る所を会頭の御指図に依て一言添へて置く次第であります。(拍手起る)
近藤男爵演説
 本日は追々歳末に向ふ時として取分け諸君の御多忙の時に拘らず、特に私共に対して斯る盛大なる送別の宴を催されまして、会頭より縷々諸君の御志望の御言葉を伺ひ、又重ねて渋沢男爵より御同様の御言葉を得ましたるに付ては、寔に私共の汗顔の至に堪へぬ次第であります。玆に謹んで御礼を申します。
 私は我国の海運界の同業者なる有志より推されまして講和特使随員の席末を汚す恩命を忝ふしたのであります、顧ふに今度の講和会議は、今会頭並に渋沢男爵が述べられました通り、空前未曾有の世界的講和会議であります。斯る世界的晴れの場所に私が其大任を負ふて参ると云ふことは、甚だ自分としては汗顔の至に堪へず、只管恐懼の至に堪へぬ次第であります。然ながら一度恩命を忝ふ致しました以上は、及ばずながら至誠を以て万分の一でも報ひ奉ると共に、諸君の御希望に添ひたいと云ふ自分は精神を有して居ります ○中略 何分宜しく願ひます。(拍手起る)
阪谷男爵演説
○下略



〔参考〕近藤廉平伝並遺稿 末広一雄著 第二五七―二六〇頁 大正一五年二月刊(DK560018k-0003)
第56巻 p.55-56 ページ画像

近藤廉平伝並遺稿 末広一雄著  第二五七―二六〇頁 大正一五年二月刊
    第二十二章 巴里講和会議参列
 - 第56巻 p.56 -ページ画像 
 休戦及講和  異常の好運を君に齎らした欧洲大戦も、年を閲すること五たび、人を殺すこと八百万、人を傷くること二千二百万、財を費すこと三千七百億円、実に有史以来の大惨害を逞うし、大正七年十一月十一日を以て休戦となつた。
 是に於て日本は五大国の一員として、相手の独逸と平和条約を締結することとなり、侯爵西園寺公望・子爵牧野伸顕・子爵珍田捨巳・松井慶四郎・伊集院彦吉の五人を全権委員に任ぜられ、男爵近藤廉平・福井菊三郎(三井物産会社)・深井英五(日本銀行)・喜多又蔵(日本棉花会社)の四人に其随員を命ぜられ、何れも仏京巴里へ出張することとなつた。
 随員は何れも我邦実業界の利益を保護せんが為め、全権の諮詢に応ずるの目的を以て命ぜられたもので、君は全国海運業者から一致の推挙に依つて其任に当ることとなつた。
○中略
 希望陳情  君は又、岡実・福井菊三郎・深井英五・喜多又蔵の四名と共に、講和会議に対する日本実業家の希望七箇条を日本全権に提出し、之が実現に勉むる所があつた。
○下略