デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.62-68(DK560020k) ページ画像

大正8年7月1日(1919年)

是日、当会議所会議室ニ於テ、当会議所主催、東京市内銀行・会社・商店満二十五年以上勤続者表彰式挙行セラル。栄一、来賓トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK560020k-0001)
第56巻 p.62 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年      (渋沢子爵家所蔵)
七月一日 曇 暑
○上略 食後商業会議所ニ抵リ、二十五年以上勤続者ノ表彰会ニ出席シテ一場ノ祝詞ヲ述フ ○下略


集会日時通知表 大正八年(DK560020k-0002)
第56巻 p.62 ページ画像

集会日時通知表  大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
七月一日 火 午後一時 市内銀行・会社・商店勤続満廿五年以上社員・店員・職工表彰式(東京商業会議所)
 - 第56巻 p.63 -ページ画像 


東京商業会議所報 第一六号・第五―一三頁 大正八年八月 廿五年以上勤続表彰式(DK560020k-0003)
第56巻 p.63-68 ページ画像

東京商業会議所報  第一六号・第五―一三頁 大正八年八月
    ○廿五年以上勤続表彰式
東京商業会議所主催にかゝる東京市内銀行・会社及個人商店に満廿五年以上勤続し、成績優良、一般の模範たるべき社員・店員・職工等に対する勤続表彰式は、七月一日午後一時より同所会議室に於て開会、来賓・社主・店主・被表彰者七百余名参会、杉原副会頭開会の辞を述べ、次て藤山会頭の式辞、来賓原総理大臣・高橋大蔵大臣・山本農商務大臣・床次内務大臣・中橋文部大臣・野田逓信大臣・岡警視総監・阿部東京府知事・田尻東京市長・渋沢男爵等の祝辞及演説あり、藤山会頭より各総代に対し表彰状及紀念品を贈呈し、被表彰者総代として六十年以上の勤続者たる吉野伝兵衛氏の答辞あり、杉原副会頭の閉会の辞ありて午後三時卅分散会、夫れより来賓及社主・店主退席後、被表彰者銘々に表彰状及紀念メタルの分配をなし、午後五時終了せり
当日藤山・杉原正副会頭の式辞挨拶及来賓の祝辞演説左の如し
      □開会の辞
                  副会頭 杉原栄三郎
○中略
 本年五月十日を期しまして、二十五年以上勤続の方はお申出である事を各会社銀行各商店に申上げたのであります、然るに其数は五百七十三、其間六十年以上勤続の御方が二人、五十年以上のお方が十一人四十年以上勤続のお方が三十人、四十年以上勤続《(三十年)》のお方が二百二十二人であります、更に二十五年以上勤続のお方が三百八人、合計五百七十三を計上することを得ましたのであります、是より此順に依りまして式を挙行いたします、恰度今日は皆様御承知の如く世界大戦の平和克復されました而も記念日に相当するのであります、惟ふに各位多年熱誠の志、天に通じまして、事玆に発露されたのであらうと思ふのであります ○中略 是より式を行ひます。(拍手)
      □式辞
                  会頭 藤山雷太
 閣下並に諸君、世界の大戦が五年に亘つて、長い間実に非常に惨憺たる状態を呈して居りましたが、其戦争も終了いたして、世界的に祝意を表すると云ふ目出度い今日に於て、商業会議所が東京市内会社銀行並に個人の店に御従事になつて二十五年以上の勤続者を玆に表彰するの機会を得ましたのは、当商業会議所の最も誇りなりとする所でありまして、諸君も亦今日の如き目出度い日に於て、此目出度い栄誉を荷はれると云ふ事は一層の光彩を添へられた事と私は深く信ずるのであります、惟ふに二十五年の歳月と云ふものは非常に長い年月でありまして、殆ど諸君は、人生五十年と申しますると半生である、半分である ○中略 故に二十五年以上一つの事業、一つの会社、一つの店に捧げなすつたと云ふ事は、縦令其事柄が目立つて見えませぬとも、其事自身が既に偉大なる事であつて、会社の為に、又其仕事の為に、其仕事と云ふものに間接直接に非常な効果を生じて居るものと云はなければなりませぬ、それ故当商業会議所に於て総会の決議を以て、皆さんの
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其功労に報ゆる為に模範たる人として玆に表彰することを決定した次第であります ○中略 当商業会議所が斯る企をなしましたのは、いろいろの考へがありまするが、其中に最も吾々が重きを措いたのは何であるかと申しますると、今度の大戦争は今申上げた通り幸ひに平和克復いたしました、干戈の戦争は止みましたが、干戈の戦争が止んで跡はどうであるかと云へば、是は経済的戦争が必ず盛んに起るであらうと信ずるので有ます ○中略 而して此平和の戦争に於て、最も吾々が痛心をし苦労をせなければならない責任を有つて居る、是は実業家が即ち今日以後の責任を持たなければならぬ、今日以後の平和の戦争に於ても、貿易戦に於ても、商売戦に於ても其他経済上の幾多の戦争に於ても、総て是は吾々実業家の責任である、此点に於きまして諸君は即ち二十五年以上一つの事業に従事し、又一つの会社に従事いたされまして、幾多の経験とを従つて有して居られる所の人である、即ち平和の戦争に於ては講師である、是から幾多の部下を卒ゐて実戦に従事さるべき所の責任を有つて居られる諸君である、今日以後の戦争に今迄の日本の陸海軍以上の偉勲を奏すべき即ち諸君である、吾々は諸君と共に此平和克復後の戦争に於て大勝利を得る準備をしなければならぬ今日であると考へます、故に此機会に於て大に此事を希望する次第で、第一に吾々は此企をなした所以であるのであります
 次は何であるかと申しますると、此度の戦争に於て国民の思想上に大動乱を来たしたと云ふ事は諸君の見られる所であります、所謂今日能く新聞に出まする所のデモクラシー、民本主義と云ひ或は労働問題と云ひ、なかなか喧しくなつた次第であるので有ます、此思想の変化の時代に於て熟々考へて見ますると、余程極端に走りはしないかと云ふ虞があると考へます、我邦に於ては民本主義とか或は労働問題と称して真意を究めずして、デモクラシーを濫りに用ゆる人が随分多いやうに私は考へる、デモクラシーを所謂濫用する人が多いやうに考へるのであります、それ故此労働問題などに付ては最も適切なる解決を期せなければ、我が此日本の社会に夥しき害毒を流しはしないかと云ふ私などは心配を持つて居る一人である、諸君は、勤続二十五年も一つの事業、一つの会社、或は一つの店に従事なすつた経験智識を有せられる所の諸君にして、其地位に多少の違ひはありますが、兎に角勤労と労力に依つて今日の地位を贏ち得られた所の諸君と云はなければならぬと考へる ○中略 然らば即ち諸君は此労働問題を解決するには全く生きて居る所の標本であると称して私は差支ないと考へます、蓋し我邦に於て学者・識者が大に労働問題を論ずる者がありまするが、まだ其論調は蹄一《(帰)》する所がない ○中略 皆さん御承知の通り、今日の欧羅巴・亜米利加の有様を見ますれば、資本家と労働者の間は常に相衝突して、相衝突を致して、資本家は云ふまでもなく労働者も其弊を受け、社会も尠からざる害悪を受けて、今日は誠に非常に惨憺たる状態を欧米に来たして居ると考へて居るので有ます、併ながら、我邦はどうであるかと云ひますると、社会組織の根柢は何かと云へば、家族制度で、家族を以て社会組織の土台としてありますから、此根が堅い、根蔕が磐石の如く堅くして、到底此権利義務の思想のみを以て動揺することは
 - 第56巻 p.65 -ページ画像 
ない、其精神は労働者資本家と云ひますけれども、此労働者と資本家との間の精神は相愛、互ひに相愛する、互ひに相愛し、互に相寄り相助けて、渾然と一つの社会をなして居る、どちらからも相寄つて社会組織をなして居ると考へて居ります ○中略 それ故私などは労働問題に付ても我邦の特有なる精神、即ち言葉を換へて云ひますれば家族制度と云ひますか、同胞主義と云ふか、或は相愛主義と云ふか、互ひに相愛する、労働者は資本家を愛し、資本家は労働者を愛する、相互に相親しみ相寄り、即ち此主義が家族制度・社会制度の根柢と云ふやうに私は成立つて居ると考へます、それで労働問題は今や其解決をせられむとするに際して、我邦は今日の現状に於て此精神に鑑みて此労働問題を平和に解決しなければ、非常な不幸を私は生じやしないかと言ふ事を虞れる一人であるのであります
 今私が述べたやうな事を申しますると、或る人は誤解を致して、如何にも古い思想を申すやうに聞く人があるかも知れませぬがさうではない、私ならば決して唯々所謂温情主義、恩恵主義と云ふやうなものに依つて労働問題を解決しやうと言ふ訳ではない、資本家は労働者の幸福を図り、さうして其幸福を増進する事を考へなければならぬのは勿論の事、欧羅巴が今度の労働問題に付て第一に唱へて居る所の労働を単に品物と考へるやうな事は吾々の頭には固よりない、そこで労働を機械のやうに見るとか、商品と見るやうな事が欧羅巴の今度の労働問題には掲げてありますが、恐らく日本は古来此資本労働の考へに付てさう云ふ考へはない、そこで私はさう云ふ考へをする者は恐らく資本家には一人もあるまいと考へる、又此資本家と労働関係は昔の封建時代の主従関係のやうに論ずる人がありますが、私などは決して主従関係を以て、此資本家と労働の関係を律すべきものではない、さう云ふ議論を有つて居るのであります、 ○中略 其経済上の理窟から言つて見ますれば、労働と資本と云ふものは共同の地位に立つて居ると私は考へなければならぬ、又考ふべき道理と私は信じて居ります、而して其点から行きますると、物を拵へるには資本と労働と相寄り相集つて生産した物が出来る、即ち生産する物の上から申しますると、労働も資本も更に其間に軒輊はない、互ひに相寄り相助けて所謂協調して行かなければならぬ、能く相談をして、巧く生産をして、如何にして広く造られるか、如何にして便利を得やうか、どうして皆の幸福を増すかと云ふ事に付て協調すべきものである、そこで資本家も労働者に対しては常に公正なる態度を執ると同時に、労働者も亦穏健なる自覚を有つて居らなければならぬと考へるのであります、それ故資本と労働との関係を申しますれば、互ひに嫉視する事なく、憎んだり喧嘩をしたりと云ふはどうしても出来ない、資本と労働との関係は嫉視せずして互ひに協調してやらなければ、国力の増進を止め、労働者・資本家共に害を受ける事になるのであります、それ故労働者は自分を自覚して能率を増進して、生産の上に多大なる利益を生ずる事を図らなければならぬと私は考へて居ります、惟ふに此労働問題は今日非常に喧ましくなつて居るが、吾々実業家は此問題に付て余程研究をしなければならぬと考へて居りますが、労働問題の心髄は何かと云へば労働者のパ
 - 第56巻 p.66 -ページ画像 
アソナリチーを認める、労働者の人格を認める、労働者の品位を認める、是はどうしても認めなけれはならぬ、又労働者も自分の位置は卑しいものであると考へるが如きは間違ひで、資本家から云つて見ます時は労働者の人格は認めなければならぬ、労働の品位と云ふ事も認めなければならぬと私は考へて居ります、此点から観て見ますると働労組合《(労働)》の如き之を阻止して其反感を助長せんよりは、寧ろ其成立の途を開くがよい。そうして労働者の自覚を促し能率を増進せしむる事が、今日最も必要なる時期に達して居りはしないかと思ふのであります
 是を要するに、其根柢に於て資本と労働と云ふものは共同的の関係を有するものである ○中略 故に諸君はばうぞ《(ど)》吾々の微意のある所を養《(マヽ)》して、我邦産業発達の為に十分今後を尽し下さる事を希望する次第でございます
○中略
      □原総理大臣祝辞 ○略ス
      □高橋大蔵大臣祝辞 ○略ス
      □山本農商務大臣祝辞 ○略ス
      □中橋文部大臣祝辞 ○略ス
      □床次内務大臣祝辞 ○略ス
      □野田逓信大臣祝辞 ○略ス
      □岡警視総監祝辞 ○略ス
      □阿部東京府知事祝辞 ○略ス
      □田尻東京市長祝辞 ○略ス
      □渋沢男爵祝辞
 会頭閣下、満場の諸君、斯るお目出度いお席に一言を述べる事を誠に光栄と存じまする。併ながら私は官職を有つて居るものでもございませず、又事業界からは退隠いたして居るので一実業家でもないので斯る身体で斯う云ふお席に祝詞を申述べるのは甚だ資格のない行動のやうでございますけれども、会頭藤山君とは別して御懇意に致して居る、況んや此商業会議所には永年私も罷り出てた会員の一人でございます、さう云ふ古い縁故なるのみならず、私も実は永年或る事業に勤続して居つて、今日迄も継続して居つたならば、必ず藤山君は私を今日の御席に列れて下さつたに違ひない、二十五年どころぢやない、四十三年も第一銀行に御奉行《(公)》いたして矢張り同じに勤めて居つた一人で今日は退隠を致して居るのでございます、併し唯今拝見いたしますると、六十年勤続と云ふお方がございます、大抵私は四十三年が長く勤続して居る方であらうと思つた所、六十年と云ふお方から見ればまだ十六・七年も永が《(マヽ)》少いのであります、少し早く辞退いたしたと今心付きましたけれども、後悔先に立たすで化方《(仕)》がございませぬ。(拍手)
 私は変つた事を申上げるやうでありますけれども、世の中の事は三日見ぬ間に桜哉と云ふ言葉があります、世の中は変化して行く、新陳代謝、新規の事に進んで行くと云ふ有様を言ふた事だらうと思ひます又支那の言葉に、士分三日即当刮目相待、どちらも三日の間にも世の中は段々変つて来ると云ふ有様を歎息した言葉であります、又相変らずと云ふ事を能く云ふ、是は少し可笑しいではないかと云ふ疑を生じ
 - 第56巻 p.67 -ページ画像 
ますが、此所をもう一層考へて見ると、お互ひに正月元日に遇ふと何と挨拶をするか、必ず誰も相変らずと云ふ事を仰しやる、私も申すから諸君も仰しやるに違ひない、新年はお目出度う相変らず、何れも遇ふ人は相変らずと云ふ、相変らずと云ふ事を求めるのは人間自然の情と申して宜からうと思ふのでございます、詰り前の三日見ぬ間の桜哉士分三日即当刮目相待と云ふのと或は衝突するかと云ふ事を考へますが、私は深く是を詮鑿いたした訳ではありませぬけれども、決して衝突はせぬので、両者共に宜しきを得て居ると予てから思つて居るのでございます、如何となれば、眼に現はれる事に付ては即ち能く事物を了解して知悉して申す事になるのであります、眼の変ると云ふ事は自然の勢ひで変る、ふ変《(マヽ)》り移るのは新陳代謝して行くと云ふ事に過ぎぬ故に人に対して相変らず云其事《(マヽ)》の御挨拶は、極く古来から申来つた言葉で、単純の頭では斯うなければならぬ、是も真理を得て居ると考へるのでございます、況んや同じ職務、同じ会社、同じ経営の下に始終其事に進んで来て、更に二十五年の歳月を終ると云ふのは、実に容易ならぬ事と考へます、果して然らば、当商業会議所が今日に於て此銀行会社其他各商店に永年間相変らず御勤続なすつて、意思の堅固な実験に富んだお方に対して表彰すると云ふ事は、実に尤も千万な御計画であると思ふのでございます、殊に今日此行動は誠に此時代に取つて最も適当と思ふのでございます、何となれば、即ち三日見ぬ間に桜哉今日は独り日本ばかりではない、世界的時代が玆に襲ひ来つて居るのであります、唯今会頭のデモクラシーの御解決、又資本と労働との関係を事細かに御述べになりました、私は閑地に着きませぬ時から、此資本労働に付ては将来大に心を用ひなければならぬと考へて居つたので、今閑地に居る私すら思ふ位ゐでございます、蓋し新らしい方面のみに移ると云ふ事は、事に依ると大なる過ちを惹起す事は、是までの例として往々見る事でございます、欧羅巴・亜米利加の風俗・政体、或る点は益する事もございまやうけれども《(せ)》、或る点は大に異なる所がある、其異なる所があるにも拘らず、日本に直ぐ直訳して是を実行すると云ふ事は、是は危険と申さなければならない、此場合に於て相変らずと云ふ御挨拶は余程翫味して考へなければならぬ事ではなからうかと思ふのでございます、此資本労働問題は会頭より今お述べの通り何等かの方法を此問に発生して、日本は日本に於て一つの新機関を立てなけれはならぬ、又出来たであらうと思ひます、若しさういふ事があつて必要なのは、是は人に依つて行はれるのである、決して唯其手段、其会とか組合それ自身で働らくものではございませぬ、其人を得なければ其事は挙りませぬ、而して其人を入れて三日見ぬ間に桜哉、下なし《(マヽ)》に相変でなと云ふ人が此間に自から任じて其方の経験に依つて是を処理して行く外なからうと思ふのでございます、果して然らば今日二十五年の表彰を受けなかつたお方はまだ是のみで決して御満足遊ばす事ではなくして、更に尚大に尽す所あると云ふ御抱負は、私が申上げるまでもなくお持ちなさる事と云ひますから《(マヽ)》、殊にお持ち下さる事を希望いたしましますので《(マヽ)》、玆に祝詞を述べると共に、簡単に所感を陳述いたしたのでございます。(拍手)
 - 第56巻 p.68 -ページ画像 
      □吉野受賞者総代答辞
 欧洲戦乱の天地漸く治まりて目出度祝捷会を開催せられむとする吉日をとし《(ト)》、本日爰に都下に於ける二十五年他上勤続店員五百七十二名《(以)》に対し、東京商業会議所頭藤山雷太閣下《(会脱)》の推挙に依り其表彰式を挙行せらる、不肖固より他の範たるべき徳なく、今更慚愧の念禁する能はさるなり、されと斯く我等をして今日此の盛儀に列するを得せしめ給ひしものは、是れ全く慈愛深き御主人の賜に外すらず《(な)》、不肖等何を以て是れに答へ、何を以て此の喜びに譬ふるを得ん ○中略
爰に一同に代り謹んで答へ奉る
  大正八年七月一日     東京酒類問屋
                平野太郎兵衛店員
                      吉野伝兵衛
○下略