デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.68-72(DK560021k) ページ画像

大正8年10月2日(1919年)

是日、当会議所ニ於テ、フランス共和国陸軍航空団フォール大佐一行ノ送別会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正八年(DK560021k-0001)
第56巻 p.68 ページ画像

集会日時通知表  大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
十月二日 木 午後三時 東京商業会議所主催フオル大佐一行送別会(東京商業会議所)


東京商業会議所報 第一八号 大正八年一〇月 仏国陸軍航空団送別会(DK560021k-0002)
第56巻 p.68 ページ画像

東京商業会議所報  第一八号 大正八年一〇月
    ○仏国陸軍航空団送別会
大正八年十月二日午後三時、当所に於て仏国陸国軍航空団《(衍)》フオール大佐以下の団員を招待し、送別会を開催したり、出席者は該団員の外陪賓田中陸軍大臣・山梨陸軍次官・臨時航空術練習委員井上陸軍少将其他の航空委員、帝国飛行協会長岡・阪谷両副会長、渋沢男爵・阿部東京府知事・田尻東京市長・井上日本銀行総裁等主なる実業家、各新聞社員、当所議員を併せ九十余名にして、席上藤山会頭の挨拶に次てフオール氏の謝辞、渋沢男爵等の祝詞《(マヽ)》あり、茶菓を提饗し、主客歓を尽して午後四時三十分散会せり


東京商業会議所報 第一九号・第二―五頁 大正八年一一月 仏国陸軍航空団送別会(DK560021k-0003)
第56巻 p.68-71 ページ画像

東京商業会議所報  第一九号・第二―五頁 大正八年一一月
    ○仏国陸軍航空団送別会
大正八年十月二日当会議所に於て、仏国陸軍航空団フオール大佐一行招待席上藤山会頭の挨拶、フオール大佐の謝辞及び来賓渋沢男爵の演説筆記左の如し
□藤山会頭演説
  閣下並に諸君、本日は本年一月に仏蘭西より我飛行界へ御苦労になる為めにお出になりました仏蘭西将校の御一隊、殊にフオール大佐を始め御一行の近く御帰りになります為めに御送別の微意を表すべく当商業会議所で此小宴を設けました所が、皆さん打揃うて御出
 - 第56巻 p.69 -ページ画像 
下さいまして、洵に有難く感謝の意を表します。仏蘭西の国は世界文明の先進国でありまして、学問の上に於きましても、芸術の上に於きましても吾々が常に推称致して居る次第でございます、随つて此飛行機の如きも仏蘭西に於て最初に発明されまして、さうして其完成も仏蘭西が最も完全に完成したやうに承知致して居ります、今回の大戦争に於きましても、其仏蘭西に於て完全に成功された所の飛行機が、如何に此戦争に於て功蹟を現したかと云ふことは皆さん御承知の通りであります ○中略 然るに近く皆さんは其総ての技術、総ての経験を飛行界の為めに御残し下さつて御帰りになると云ふ為めに、是は一言国民的に御礼を申したいと考へまして、今日此処に出席致して居りますのは東京府知事・東京市長を始めとして、我実業界の最も有力なる渋沢男爵を始めとしまして、各方面の実業家が一堂に集つて此微意を表する次第でございます、承りますれば、御一行の御親切なる指導に依りまして、我飛行界も一真面目を改めて非常に覚醒の域に達して、実に前日の飛行界とは非常に違ふ、僅に一年、半年の内に斯くも相違をしたかと云ふ時期に達しませうと考へます、今後御帰りになりましても、どうぞ此聯絡は十分に取つて益益諸君の技術経験、斯う云ふ技術は日々に新になるものと考へますから、我飛行界の為めに更に一層の御尽力を希望する次第でございます、併ながら、今日迄の飛行機は吾々から考へて見ますと、重に軍事上に用ゐられて居るやうでございますが、将来を考へて見ますると、此五箇年の戦争は実に人生の悲惨なる歴史を残したものでありまして、どうかして此人類は平和を保たしめなければならぬ次第でありますが、御承知の通りに国際聯盟と云ふものも築かれて、我国も率先其議に賛して、今日以後は成るべく世界は平和を楽まなければならぬと云ふ時代になつて来ました、我商業会議所の立場から見ましても、平和と云ふものは最も商工業者の喜ぶ所で、どうか此世界は平和に満ちたいと考へます、さうなりますれば、此飛行機の如きも啻に軍事上の必要に止まらず、之を商業の上に、即ち平和の上に十分に利用さるゝ域に至らなければならぬと思ふのでございます、即ち今日以後と云ふものは飛行機を利用しまして、運送運輸の上に、交通の上に及ぼし、其他此文明の幸福を増進する為めに飛行機を普く用ゆる域に至るのも決して遠くはないだらうと考へます、是等も恐らくは仏蘭西の如き先進文明国が最も技術に堪能にる幾多《(な)》の名士を有せられる上から考へまして、必ず其成功を得られることであらうと考へますから、どうか夫等の技術も合せて日本と此結付を十分にして、共に其享楽を受けることを私は今日より希望する次第でございます、一行の諸君は一月以来今日迄殆ど八箇月の歳月を日本に送られまして、各方面に於て日本の習慣も御調べになり、又日本人の気性も御承知になつたことゝ存じますが、我国と仏蘭西の国とは其国民の性質に於ても相似たるものありと私は信じて居ります、又文明の輸入に於きましても、我国が仏蘭西に負ふ所は甚だ多いのであつて、且国際上の紛擾も起らなく、実に平和に今日迄国際的交際を重ねて参りました、又国としても今日は同盟も結ばれて居
 - 第56巻 p.70 -ページ画像 
るやうな次第でありますから、益々仏蘭西と日本との親交を結付ける為めにも、此御一行の諸君が八箇月間御苦労を下さつたことは、如何に両国に好影響を与へたか、私は深く其点からも喜ぶ次第でございます。甚だ粗末なる送別の宴をを張《(衍)》りました次第でございますが、御帰国になりましたならば、吾々日本国民の真意のある所を御伝へ下さいまして、益々両国の交際を親密にするやうに御努め下さることを深く希望致します、玆に謹んでフオール大佐一行の御健康を祝します(拍手喝采)
□フオール大佐演説
  本日は近々に其大部分の隊員か帰国致します所の仏国航空隊員を此席に御招き下さいまして、特に日本に於ても商工業界の皆卓越遊ばして居らしやる所の方々の御面前に於て、斯の如き迄御鄭重なる御歓待に預りましたのは、私は仏国航空団の名前のみならず、個人としても心より厚く感激致す所でございます、唯今藤山会頭殿の御言葉にございました通り、過去五年間の戦役は此航空界を全く一新致しました趣きがございますが、尚ほ之を軍事用の用途以外に商工業の目的に向つて利用致しますと云ふことは、洵に仰せの如く適切と存じますのみならず、此航空工業と云ふものは現在鉄道・自働車と云ふやうな色々な交通機機《(関)》がそれ相応に発達致して居りますが、恰かも是が交通機関の如くに平素より発達しなければならないものだと自分は存して居ります ○中略
 玆に商業会議所の皆様に向つて御礼を申上げ且御健康を祝し上げます。(拍手喝采)
□男爵渋沢栄一君演説
 フオール大佐一行の諸君及満場の閣下、諸君、当商業会議所に於てフオール大佐御一行の中御帰りのある方々を御送別する為めに此処に此宴を御開き下さつて私共も此席に参列したのは、未来に記念すべき愉快な会合と深く感謝致します、伺ひますると、一月以来御一行のお越しになつてから熱心に航空事業に就て我日本の其向きの人人に指導誘掖を下すつたことは容易ならぬ趣きでございます、此事に就きましては御列席の長岡中将より書物に依つて配達されて私共拝見致して其概況を承知して居ります、七箇所に隔たりたる各所に皆夫々我物の如く御心配なすつて、細かい事に迄御教育を下さつたことを承知して、唯今藤山会頭の御一行に謝辞を申上げる通り、我航空界に一つの新面目を開かれて下さつたのは諸君の御力と私も深く感佩致します、此点に於ては独り此処に集つた者共の喜びでございませぬ、日本の国民が押並べて此仏蘭西政府のフオール大佐御一行を送つて下さつて、吾々まだ此航空事業に就て幼稚な人々に斯く親切なる御教育を下さつたことは、永久の記念とし得ることゝ思ふのでございます、玆に或部分の御方々が御帰国になるのは、或は若し未来の日本の航空界が為めに大に勉励を怠るやうなことがあつてはならぬとまで私は懸念しますが、是は此処に陸軍大臣も居らつしやいます、又飛行界の事に就ては従来熱心に世話される所の長岡中将も御列席になつて居ります、私共も其一部の関係者でございます
 - 第56巻 p.71 -ページ画像 
れば、仮令其実務には何等貢献することは出来ませぬでも、或方面に於ては御力を添へて折角御与へ下さつた鼓舞刷興を尚ほ継続致さす積りでございます、蓋しフオール大佐の今の御答辞中に尚ほ追々に此仕事を進めて行くには、或は学校等に此熟練なる国から教師を移すと云ふやうなことは進歩の段階として必要でなからうかと云ふ御意味は甚だ御親切なる御考へと私は拝承致します、私は老人でございます為めに、古い事を心得て居りますので、此古い事を短く一言申添へて皆さんの余興に致しますが、仏蘭西の国もまだ政治の以前の有様、我日本も明治政府とならぬ以前でございます、即ち五十二年前に私は仏蘭西へ参りまして、軈て一年間許り巴里に滞在致したものでございますから、仏蘭西の御方に御目に懸ると、事情も知らず言葉も出来ませぬけれども、何やら第二の故郷の人に会ふやうな心地がして至つて愉快な感を致します、而して其当時覚えて居りますのはアルベル・フエモンテーの間に飛行船のやうな物がございまして、是時一種の興行法で、日曜日には色々楽隊を奏して綱を付けて飛行船に人を乗せました、其時私はツイそれに乗ることを能く致しませぬでした、同行のミンブコーシは十四歳《(民部公子)》の年であつたが、喜んでそれに乗りまして、大層愉快であつたと云ふて降りて来てから頻に之を誇つたのを、私は能く乗り得なんだ為めに酷く軽蔑されて残念に思つたと云ふ位の笑話がございます、是が昔の飛行機の有様で、今此処に五十年の昔を思出しまして皆さんに御話するので、蓋しフオール大佐其他の諸君も其時の仏蘭西は見たことが御座らぬ方々許りであるから、其時の仏蘭西は私より外に見た者はないと申しても決して過言でなからうと思ふのであります、物が変り、星も遷つて、今日の有様になつて、今商業会議所の会頭の仰しやる通り唯々単に是が或は一つの娯楽とか、若くは進んで軍隊の戦時に必要な物であると云ふ許りでなしに、是か商工業に用ゐ、国家の経済上の用具となる、即ち明後日から長岡君の支配で東京・大阪間の郵便飛行を開くと云ふことは其端緒とも申して宜しい、蓋し此事の出来ると云ふのもフオール大佐の御出下さつた事が即ち吾々の航空界を鼓舞刷興したと云ふて宜いと思ふのでございます、果して商業会議所会頭の言はれる通り、唯々軍事にのみ是が必要でない、国の進歩に必要だと云ふことはフオール大佐も十分に之を御是認下さいまして、左様だと仰しやつて下さつたのは、私共も深く喜ぶのでございます、此処に古い昔を添へて大佐及一行諸君の我航空界の為めに深く御力を尽して下すつたことを私共感謝に堪へませぬ、国民一同に代つた心持を以て、此一言を述べたのでございます。(拍手喝采)


竜門雑誌 第三七七号・第五八頁 大正八年一〇月 仏国飛行団送別会(DK560021k-0004)
第56巻 p.71-72 ページ画像

竜門雑誌  第三七七号・第五八頁 大正八年一〇月
○仏国飛行団送別会 東京商業会議所にては、飛行術教授の為め去一月渡来せる仏国飛行大佐フオール氏以下三十余名の諸氏を、十月二日午後同所楼上に招待して送別の宴を催したるが、陪賓としては青淵先生・阪谷男・星野錫・福原有信・阿部府知事・田尻市長其他の諸氏出席し、席上藤山会頭の挨拶に次ぎ、フオール氏の謝辞、及び青淵先生
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阿部府知事の両氏感想談等ありて極めて盛会なりしと云ふ。
   ○本資料第五十一巻所収「財団法人帝国飛行協会」大正八年一月三十日ノ条参照。