デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.94-98(DK560028k) ページ画像

大正9年12月23日(1920年)

是日、当会議所ニ於テ、新東京市長後藤新平歓迎午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正九年(DK560028k-0001)
第56巻 p.94 ページ画像

集会日時通知表  大正九年       (渋沢子爵家所蔵)
十二月廿三日 木 正午 東京商業会議所主催東京市長招待会(同所)


東京商業会議所報 第四巻第一号・第三頁 大正一〇年一月 東京市長後藤男爵歓迎会(DK560028k-0002)
第56巻 p.94 ページ画像

東京商業会議所報  第四巻第一号・第三頁 大正一〇年一月
    ○東京市長後藤男爵歓迎会
大正九年十二月二十三日正午、当所に於て新任東京市長男爵後藤新平氏の為め歓迎会を開催したり、出席者は正賓後藤男爵、陪賓永田・池田・前田の各助役、桐島市会議長・井上市電気局長・窪田同社会局長渋沢子爵・埴原外務次官・松平同欧米局長・鶴見農商務省商務局長・小坂同秘書官・伊藤同商事課長、井上・木村の日本銀行正副総裁、大倉・近藤・中島の各男爵、野村・石塚・池田謙・松方・団・有賀・福井・池田成・藤瀬・小田柿・土方・浅野・串田・和田・服部・大橋・高田其他主なる実業家諸氏、新聞通信社員及主催側藤山会頭、杉原・山科両副会頭、議員・特別議員等総員百十三名にして、正午一同食卓に着き「デザート・コース」に入り、先づ藤山会頭歓迎の辞を述べ、之に対して後藤市長及び永田・池田・前田の各助役の答辞及渋沢子爵の挨拶あり、主客歓を竭し午後二時三十分散会せり(各演説の速記は一一頁以下に掲ぐ)


東京商業会議所報 第四巻第一号・第一一―一六頁 大正一〇年一月 後藤市長歓迎午餐会演説速記(DK560028k-0003)
第56巻 p.94-98 ページ画像

東京商業会議所報  第四巻第一号・第一一―一六頁 大正一〇年一月
    ○後藤市長歓迎午餐会演説速記
 藤山会頭  閣下並に諸君、本日は東京市二百万市民の歓呼の裡に市長の栄職に就かれました所の後藤男爵並に永田助役、又助役たるべき池田宏君・前田多門君、此三君を御招待申上げまして祝賀の宴を開いた次第でございます ○中略
 - 第56巻 p.95 -ページ画像 
 そこで私が考へまするのに、我東京市の現状は市民二百万の決して満足致して居る所ではないと考へます、何とかして此の帝国の大首都たるべき都市にしたいと云ふ希望は皆な有つて居ることゝ存じます、決して欧米の大都市に劣らない立派な大都市としたいと云ふ希望は皆な有つて居ります、然るに今日迄此市民が期待する事が十分に満足をすることが出来なかつたと云ふことは、其因縁する所は果して那辺に在るか存じませぬが、或人は言ふ、東京市民二百万は自治の精神に欠けて居る、此市民の自覚を促さなければ東京市は十分な活動が出来ないと云ふことを多くの人が言つて居られる、私は其説に甚だ感服を致して、東京市民は自ら覚つて此自治の精神を発揮しなけれでならぬと考へる、併ながら東京市民の精神は必ずしも自覚がないとは私は考へない、我日本帝国の七千万の国民は国を愛する熱情は決して他国に劣らない、それと同様に二百万の市民は東京市を愛する情に於て、又何とか立派な大都市になさうと云ふ精神に於て決してそんなに自覚のない市民ぢやないと私は考へます、併し此東京市の現状が斯の如くなつたと云ふことに就ては、又一つの原因がなければならぬと私は考へるそれは何かと云へば今日の組織、市政の組織制度に於て十分でないと考へる、自治を許すならば自治の精神を発揮するだけの組織を与へなければならぬ、然るに此市も行政機関の一ではありまするが、行政機関の最下級のものとして頗る一の仕事をしようと云ふのにも中々に多数の手数を要する、市が自ら好む所を直に行ふことが出来ない、市民の希望を実行することが出来ない、所謂自治の組織に於て十分でないと思ふ、最高監督機関たる内務省は勿論のこと、東京府も随分色々の事に世話をして下さるけれども、自治を許すならば先づ矢張之を大にさせると云ふことの第一土台を与へなければならぬ ○中略 今日はどうしても巨人を要する、大なる人を要する、内外の上に重きを為す人を擁して、自治の精神を十分発揮させる方法を講じなければならぬ、それはどうしても人である、人を得なければいけない、今の制度を改善するなり、又市民の総てを自覚せしめるなり、其他仕事をやるとしましても、勇往邁進必ず自分の所信を遂行するの勇気ある人でなければならぬ、斯う云ふ総ての点を完備したる巨人を東京市民二百万の人が等しく希望して居つた所であらうと考へる、幸に今度満場一致を以て市会に於ける、是迄の歴史を破つて後藤男爵を迎へたのであります ○中略 で私は其点から見ますると、東京市の前途は大に洋洋の春の海の如きものがあると存じます、勿論後藤男爵も御一人では出来ない、然るに今度出られた三助役と云ふものは、是亦殆ど総ての市民が非常に適材なりとして謳歌して居ることだらうと存じます、私は必ずそれは断言しても宜からうと思ふ、後藤男爵に副へるに此三助役を以てしましたならば、是が中心となり、而してやられたならば、必ず此東京市は今後は面目を一新することゝ信ずるのであります ○中略 併ながら東京市は為すべき事が非常に多いと考へる、而して為されて居ない、即ち吾々が一番希望する所は、先づ道路を一つどうかして貰ひたい、又下水をどうかして貰ひたい、其他有ゆる方面に幾多の事業が蝟集して居つてまだそれが中途になつて居るものもありませう、まだ手を付けぬで居
 - 第56巻 p.96 -ページ画像 
るものもある、是等を御やりになるのは随分御骨が折れる、又市民も覚悟をしなければならぬ、それには金が掛かると云ふことも、覚悟しなければならぬ、何事も金が無ければ出来ない、私抔は後藤男爵を薦るに当つて、自覚をせよと云ふことは後藤男爵が常に言はれる通り、吾々には自覚して大に貴方の後押しをする、失礼ながら後押しをしませうから大にやつて下さい、斯る御願ひをしたやうな次第でありますが、其点から言つても是は金を造つて一つ後藤男爵に遣らなければならぬと云ふことは、市民の考ふべき私は問題だらうと思ふ、で本年もサミユル・ヒルが写真迄持つて来て道路の造り方を教へられたが、東京には道路が無いと云ふことを言はれて、吾々は一寸赤面した一人であるが、道路を拵へるには大変金が掛かると思ふのであります、私は玆に私案として申上げますが、此場合に東京市民の自覚を促す為に愛市公債と云ふものを御起しになつてはどうか、而も少額の愛市公債を御起しになつて、さうして自分等の市だから自分等の金でやると云ふことは非常に宜い事と思ふ ○中略 是は唯だ私案を申上げたに過ぎないのでありますが、要するに市を改善するには色々金が要るであらうと思ふのであります、それは本当は市会と云ふものがありますから、色々研究もされますが、吾々市民も自覚して、何とかさう云ふことに就ては研究すべきではないかと私は考へます、要するに巨人後藤男爵の如き方を私が市長として得、之に副えるに三助役の有力なる適任者を得たと云ふことは、吾々市民が実に満腔の祝賀を表して宜からうと私は考へます。後藤男爵並に三助役の御健在を祈ると共に、どうぞ市民の為めに御尽し下さらむことを謹んで御願ひ申上げます、玆に其盃を挙げます。
 後藤市長  私は図らずも此度市長に選挙せられまして、又此処に斯様なる盛宴を張つて市内の名流中の名流各位の御招待を蒙むると云ふことは、或は私の一生に於て再び見べからざる光栄であるかも知れぬと私は確信するのであります、同時に甚だ責任の大なることを感ずる次第であります。
 自身に取りましては市会全体の望み、市民の望みに添ふことを期しまする次第でありますけれども、是れ甚だ容易の事に非らず、実に至難の事に属して居ります、又唯今此席に御集まり下さつた各位の御厚志に対しましても、之に背かないやうにしようと云ふことを考へますと、甚だ憂慮に堪へないものが前途にあると考へるのであります、併ながら之をして当初の目的に背かないやうにする、せぬのことの責は勿論私にあると思ひます、幸に私は従来の友人中に此処に御招待になつて居ります三人の助役を得て居ります、是は聊か私の意を強うする所のもので、市民の意に添ひ、又今日御寄合の御招待を蒙むりました各位に対して、其御希望に添ふやうに努力を致し得るかと考へる所の一であります。自身に取りましては中々重大な責任だと感じて居ります、一体東京市の自治制を至難だと云ふことは、賢者と書はず愚者と云はず、共に言ふ所であります、併ながら此至難と云ふことは東京市民の名誉であるか、東京市民の不名誉であるか、善き意味で言ふのであるか、悪い意味で云ふのであるか、至難と云ふ字には種々なる意味
 - 第56巻 p.97 -ページ画像 
が含まれて居ると予ねて考へて居つたことであります、而して此自治の事に就きましては私は多年希望がありまして、種々な点に於て自治の健全なる組織を造る道を講ずる為に、或は自治団体を造ると云ふことに就きましては或一方から種々な誤解を蒙つたことがありますが、興るものを待つて居りました、文王無しと雖も猶ほ興るで、私は唯だ其意見を公布して興る人を待つのであります、それは現代的に非らず旧式であつて甚だ薄弱であると云ふ謗も受けたのでありますけれども是は全く各人の自覚に俟たざるを得ないと云ふ考を私は有つて、所謂興る文王を待つて居つた訳であります、併ながら唯だ人に意見を立てて見せる許りで、自ら努めないではいかぬと思ふ、私は努めたいと考へます、私は意見を立てんが為に意見を立てたり、反対せんが為に反対したり、賛成せんが為に賛成したことはない、唯だ私の信ずる所を諸君に申上げて、諸君の御参考に供して、此自治の効果を見ることが本懐であると云ふに過ぎない、併し要するにそれは即ち、自らも人も信じた場合で、唯だ私の初一念であるのであります、それに紳士税は如何なるものであるかと云ふことを云ひますれば、玆に其釈明を申上げるに及ばぬことでありますが、必ずしも富豪の寄附を募ることが紳士税に非らずして、心の上形の上いずれにしましても尽して而して報ひを取らざるもの、尽して而して報ひを目的としない、報ひを目的として尽すに非らざるものを紳士税として希望して居つたのであります是即ち自治制の根本であると云ふことを期して居つたのであります、今日此処に御寄合ひ下さつた方々も何の報ひを取る為に時間を費して此処に御出でになつたのであらうか、此時間を費した為に何の報ひを御取りになつたか、即ち諸君が予ねて払はれたる所の紳士税の一部を此処に御出席になつたものであると私は信ずるのであります、かるが故に深く感謝致す次第であります。私の諸友人は一人として私に此市長の職に就くことを薦めた人はありませぬ、世には説を為す者があつて、総理大臣が薦めたとか、山県公が薦めた抔と言ひますけれども、決して自分に責任を以て薦めた人は無いのであります、斯うなつては已むを得ないかも知れぬからやるがよい、一身の為にはやらないことが結構であるが、市の為にはやつたら宜からうなんと云ふ人はありました、而して段々日を経るに随ひまして、市政の現状に鑑みて、私は自由意思を以て決定致しました、併ながら此顛末に就て何等か官僚的であるとか、其経過が大芝居であるとか云ふことを言はれますが、此市の重大なる責任に就くに付きまして、仮令大なる関係なしと雖も一夕にして之を確定することは出来ぬと思ふ、又何等か多少の事に当つて居る所の者は、其関係を処理するに多少の時日あることは已むを得ない事であります ○中略 そこで抱負如何と云ふことを問はれますけれども、私自ら候補に立つて抱負を抱き、而してやつたのではありませぬから、唯今申上げることは何もありませぬ、是から幾分の調査を経て申上げる事があつた時に、諸君がハハア是は案外、どうか御失望のないやうに願ひたいと思ひます、其時になつて御失望のないやうに御尽力願ひたい、諺に言ふ「害ふが敏」と云ふことがある、中々以て私のやうな脱線の常に無謀な者でなければ此局に当ることが出来ぬ、是即
 - 第56巻 p.98 -ページ画像 
ち私の脱線たる所であります、それで諸友人皆な之を冷笑はしませぬが、哀れむで呉れて居る所であります、今日も多数の御方から御祝ひを言はうか、御悔みを言はうか、マサカ御悔みぢやなかつたけれども少し斯う躊躇せられるやうな御挨拶があつたのであります、併し私は唯今申したやうに之を以て無上の光栄としまして、是れ以上の事は私の一生の中になしと信じて居ります、欣んで之に従事致します、多言致しませぬ、今日は洵に有難うございました ○中略 (拍手喝采)
 永田助役 ○略ス
 池田助役 ○略ス
 前田助役 ○略ス
 渋沢子爵 ○略ス
   ○栄一演説ニツイテハ本資料第四十八巻所収「東京市長銓衡」大正九年十二月十二日ノ条参照。


竜門雑誌 第三九二号・第七六―七七頁 大正一〇年一月 ○東京新市長後藤男歓迎会(DK560028k-0004)
第56巻 p.98 ページ画像

竜門雑誌  第三九二号・第七六―七七頁 大正一〇年一月
○東京新市長後藤男歓迎会 東京商業会議所主催に係る東京新市長後藤男歓迎会は十二月 ○大正九年廿三日正午より同所楼上に於て開会せられ正賓後藤男を始め、永田・池田・前田の三助役、陪賓青淵先生・大倉男、井上・木村日銀正副総裁其他、主人側藤山会頭・中島男等主客約百五十余名出席し、宴半ばにして藤山会頭の挨拶あり、終つて後藤男の答辞あり、三助役亦順次挨拶を為し、最後に青淵先生起つて後藤男就任の祝辞を述べられ、午後三時盛会裡に散会せりと云ふ