デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.117-120(DK560036k) ページ画像

大正11年7月15日(1922年)

是日、当会議所ニ於テ、南米視察実業団一行ノ送別午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK560036k-0001)
第56巻 p.117 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
七月十五日 土 正午 商業会議所催南米視察実業団送別会(同所)


東京商業会議所報 第五巻第八号・第三四―三六頁 大正一一年八月 ○南米視察実業団送別会(DK560036k-0002)
第56巻 p.117-119 ページ画像

東京商業会議所報  第五巻第八号・第三四―三六頁 大正一一年八月
    ○南米視察実業団送別会
大正十一年七月十五日正午当所に於て、南米視察実業団一行の為め送別午餐会を開催したり、出席者は主賓山科団長の外団員山本(直良)青柳・片倉・土橋・八巻・野守・神谷・川口・谷川・間部・山本(直忠)・有賀、随員古川・鈴木の諸氏、陪賓内田外務大臣・鶴見農商務省商務局長・田島同商事課長・堀田警視総監・宇佐美東京府知事並渋沢子爵・松方(巌)・志村・石塚・小野・木村(清)・福井・根津・成瀬・加藤(正)・堀越・緒明・植村・木村(久寿)・白石の諸氏、松岡井上・塩沢・添田の各法学博士其他の主なる実業家、大阪・京都・神戸・名古屋の各商業会議所会頭・副会頭、新聞通信社員、主催側当所議員・特別議員等総員九十三名にして、正午一同食卓に着き、デザート・コースに入り、杉原副会頭は藤山会頭病気欠席に付代りて挨拶を為し、山科氏を始め団員諸君が国家の進運を期する為め奮て其任に膺り遥々渡航せらるゝは感謝する所なりと述べ、山科団長は此団の成立に就て各方面より声援を与へられ、二十五名の団員に上りたることを謝し、一行は九月七日の伯剌西爾独立百年祭に参列し、兼て記念博覧会を参観し、夫れより各州を視察、更に十月十二日に亜爾然丁国大統領の就任式に参列、玆に東海岸の視察を了り解散する筈なるが、其以後は各自由行動を採り適宜の方面を視察するものにて、要は我国と南米二大共和国間の通商を一層増進し、友誼を鞏固にし、出来得る限り各方面を視察し、可及的御委託に副ふことに努力する旨を述べて、本日送別会開催に対する謝辞とし、次で渋沢子爵は世界大戦以後我国は勿論各国の情勢が変化して居る、随て実業家が欧米其他の諸国に到り彼国の真相を視察調査し、彼我相互に長を採り短を補ふ必要あり、山科君は既に足蹟洽き方にて、他の一行の諸君も夫れ夫れ御経験ある方方なるを以て、必らず福音を齎さるゝ事を敬服し、此壮途に就かるゝを祝福し、併せて此送別会に招待を受けたるの謝辞あり、歓酔款話午後二時三十分散会したり。各演説速記左の如し
杉原副会頭挨拶
○中略
 此度山科君を団長として南米視察団の御一行が最近に御出発せられるに方りまして、聊か送別の意を表したく、本日玆に此会を主催致したる次第であります、主賓たる御一行の各位は勿論、内田外務大臣・
 - 第56巻 p.118 -ページ画像 
渋沢子爵、朝野顕要の諸君の多数御来臨を得ましたことは、当会議所の光栄として深く感謝する所であります ○中略
 南米、其土地広袤に致しまして約百二十万方哩、我国の五十倍であります、殊にブラジル、此面積は五十五万方哩でありまして、人口僅に二千四百万に過ぎないのであります、之を一平方哩で比較致しますると、丁度我国の四分の一に該当するのであります、而かも天然の資源は頗る豊富であります、農業に、牧畜に、漁業に、果た又鉱山に、殆んど天然の資源は無尽蔵と申して宜からうと思ひます、殊に同国人の我邦人を待ちますこと、迎へますこと殆んど箪食壷漿して歓迎是れ啻ならざる状態であります、山科君御一行は玆に着眼せられまして、国家の進運を期する為め身を挺して此任に当られたと云ふことは、我我国民として感謝致すのみならず、国家の慶事といたしまして大いに祝す可き次第であります、我々は諸君と共に一路平安、能く使命を完うせられんことを切に希望して止まぬのであります、
○中略 玆に杯を挙げまして山科君並に御一行の健康を祝します。
山科団長演説
○中略
 今回団の成立致しましたに付きましては、各方面より多大の御同情御援助を得、幸に二十五名の一行を得ました次第であります、来る二十二日横浜を出帆致しまして、北米を経由して、夫れよりリオ・デ・ヂヤネイロに八月三十一日に到着致しまする予定であります、さう致しまして丁度九月七日にブラジル独立百年祭に参列致しまして、合せて記念博覧会を見、それより各州を視察致しまして、更に十月十二日にアルゼンチンの大統領就任式に参列致しまして、玆に東海岸の視察を終りまするが故に、団は是で解散を致します、是れから後は自由行動を取りまして各自に帰朝致しまする順序になつて居ります、要は南米に於ける二大共和国の商工業の状態を十分に視察研究すると云ふこと、それからして我国と此二大共和国との従来の通商上に於ける提携を改善し、猶且今後に於ける双方の友誼を鞏固ならしめると云ふのが目的でありまして、其他何等深い意味はないのであります ○中略
渋沢子爵演説
 斯様な勇ましい盛会に参列致したのを先づ以て司会者に御礼を申します、御送別の為めには内田外務大臣も御臨場になつて居りますけれども、別に御言葉がないと云ふことでございますから、私より僭越ながら皆様に代つて御旅行者へ御送別を申し、且つ此企てに対して会議所へ御礼を申上げたう存じます。
 第一に実に愉快に感じますることが幾つもあるのでございます、私は実業界を脱退致した身体でございますけれども、大戦争以後我国の位地が自から知るのみならず、他と比較して如何に変つて居るかと云ふ有様を共に知ると云ふことが甚だ必要であらうと思ふ為めに、数年前から是非欧羅巴其他に実業界の方々が旅行して、真相を御調べなさることが必要であらうと云ふことを自分の一の希望として屡々申し居りましたが、昨年団君の一行が英米訪問の為めに旅行されて、当春帰られて模様を承はりますると、大分得る所が多いやうでございます、
 - 第56巻 p.119 -ページ画像 
然るに今又玆に南米の視察団を組織されて、山科君が団長として二十有余の方々が一行となつて南米の方へ御越になると云ふことは、前に申す意味と同じく、私は頗る之を希望するのでございます、世界を知ると云ふことは、長を採ると云ふことも知らねばならぬが、短を補うと云ふことも又同時に知らなければならぬのであつて、己れの長ずる所を採つて己れの短を補うと云ふにも、矢張り事実を知らなければならぬのであります、果して南米の御旅行が総て彼の短を補ひ我の長を施すのみに終るか知れませぬけれども、兎に角それは我国の進歩を増し、我国の発達を計る上に最も必要にして、且つ其長を採るよりも尚ほ難しと申しても過言ではなからうと思ふのであります、殊に海外発達の事に付きましては、是は今日の帝国は段々に人は増す、国は小さい、原料は少ないと云ふことは、之は我々が言ふばかりではない、他所の経済に注意するものは皆言ふて居る、亜米利加人が来ても、英吉利人が来ても、必らず之を言はぬことのないのは、もう世界の公論と言ふても宜い、然るに夫れに対して我々はどれ程の設備をし、どれ程の力を振ふ丈けの方法を取つて居るかと云ふと、蓋し甚だ少ないのではないかと思ふのであります、ブラジルに対して何か事業を企てたら宜からうと云ふことで、数年前私は聊か御仲間入をしてやつて見ましたが、蓋し其功微々たると云ふも、恐らく夫れが時機に適せず、其方法宜しきを得ぬ為めではなかつたらうかと思ふのであります、殊に斯る御席で喋々と申す可きではございませぬけれども、元来移民と云ふ事柄に付いては、我国には何の制度もなければ、教育もないと言つても宜くはないかと思ふのであります、此の如くして、段々に殖へる人を如何にするかと云ふことに想ひ到つたならば、御互に此儘に過すことは出来ないのでございます、尚ほ山科君の御一行が果して私が前述べたる所に応じ得られるや、否や、は分りませぬけれども、蓋し長を施し、短を補うと云ふ方の場所に対して、自から働き掛けると云ふことが必要である、働き掛けると同時に、其人々に相当なる素養を与へてやると云ふことも又必らず為さなければならぬことではないかと思ふのであります、是等のことに付いても既に経験あり、其知識のある山科君及び御一行が十分の御視察をして下されたならば、即ち今司会者の御希望の通り齎らし来る所の御土産は、我々をして蓋し十分に満足せしめられることが出来るだらうと思ふのであります、殊に団長たる山科君は既に已に世界に足跡の洽ねき御方であります、一昨年でありましたか、二ケ年の長時日を以て世界を漫遊なされたと云ふことである、それが又此度長途の御旅行の御企てと云ふは、何ぞ其の勇気の盛んなるや、実に我々は敬服に堪へない、玆に其行を盛んにし、十分な目的を遂げて御帰りになることを深く御待ち申さなければならぬと思ひます、私は玆に此行を壮なりとして、希望の一端を述べて御一行の御参考に供する次第でございます。


竜門雑誌 第四一一号・第五一頁 大正一一年八月 ○南米視察実業団送別会(DK560036k-0003)
第56巻 p.119-120 ページ画像

竜門雑誌  第四一一号・第五一頁 大正一一年八月
○南米視察実業団送別会 東京商業会議所にては、七月十五日正午より、今般南米各地商工業視察の為め七月廿一日横浜解纜の榛名丸にて
 - 第56巻 p.120 -ページ画像 
出発すべき山科礼蔵氏を団長とせる南米視察実業団一行の送別会を同所楼上に開き、杉原副会頭の送別辞、山科氏の答辞に次ぎ、青淵先生は海外視察の必要を高唱せられて其行を盛にせられたる由なるが、主客百余名、極めて盛会裡に午後二時半散会せりと云ふ。