デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商業会議所
■綱文

第56巻 p.166-170(DK560048k) ページ画像

昭和6年11月13日(1931年)

是月十一日栄一歿ス。是日当会議所、特ニ臨時総会ヲ開キ、満場一致ヲ以テ、弔詞及ビ香料ノ贈呈ヲ議決ス。十五日葬儀ニ際シ、全国商工会議所連合体タル日本商工会議所ヨリモ弔詞ヲ贈ル。


■資料

商工月報 第七巻第一一号・第一五〇―一五四頁 昭和六年一一月 総会(六年十一月十三日)(DK560048k-0001)
第56巻 p.166-169 ページ画像

商工月報  第七巻第一一号・第一五〇―一五四頁 昭和六年一一月
総会(六年十一月十三日)
 出席者
    議員  大山斐瑳麿君 ○外三〇名氏名略ス
  会議の開閉
      午前十一時十分開議   午前十一時二十分休憩
      午前十一時二十五分再開 午前十一時二十八分閉会
 郷会頭議長席に着き開議
    決議事項
  議案一  渋沢子爵薨去につき弔意を表する件
 本件に関し先づ郷会頭より、去る十一月十一日渋沢子爵薨去せられたるを以て、弔意を表する為め本日緊急総会を開会したる旨を述て議案を上程す、次に二番大山斐瑳麿君より、本商工会議所の創立者たる渋沢子爵薨去せられたるに就きては弔意を表すべき種種なる方法あるも、本会議所としては取敢へず弔詞並に香料を贈呈し謹で弔
 - 第56巻 p.167 -ページ画像 
意を表したき旨を提議し、香料は之を会頭に一任し、弔詞は七名の起草委員を挙げ、正副会頭之に参加して弔詞原案を慎重起草することゝし、右委員の銓衝は之を議長の指名に一任したき旨を述べたり次に二十二番松本真平君は起つて、渋沢子爵が本商工会議所の前身たる東京商法会議所を創設して其の会頭に選任せられたる以来、多年会頭として本邦商工業の発展に尽瘁せられたる功績を追憶し深く哀悼の意を表すると共に、前記大山君の提議に賛成の旨を述ぶる所ありて、満場一致之に賛成したり、仍て議長は直ちに左記七名を弔詞起草委員に指名したり
           起草委員(七名)
                     大山斐瑳麿君
                     稲茂登三郎君
                     杉野喜精君
                     日下吉平君
                     山本留次君
                     小沢信之甫君
                     松本真平君
 午前十一時十八分議長は休憩を宣し、右七名の起草委員は別室に於て正副会頭参加の上事務局に於て作成したる弔詞原案につき慎重審議の結果、原案通り可決したり
 午前十一時二十五分再開、先づ郷議長は起つて起草委員会に於て慎重審議の上決定したる左記弔詞を朗読し、敬意を表する為め一同起立し全員一致を以て之を可決したり
      弔詞
 夙に我実業界の元勲として其の指導啓発の重任に膺られ、特に我商工会議所を創設し、会頭として多年之が発達に尽瘁せられたる正二位勲一等子爵渋沢栄一閣下溘然薨去せらる、洵に哀悼の至に禁へす玆に本商工会議所は総会の決議を以て恭しく弔意を表す
  昭和六年十一月十五日
               東京商工会議所
                  会頭 男爵 郷誠之助
 附記
  渋沢子爵に対する香料は郷会頭に一任せられたる結果、正副会頭相談の上金壱千円を贈呈することゝなし、総会閉会後午後二時大塚・金光両副会頭は滝野川の渋沢子爵邸を訪ね、右弔詞並に香奠を贈呈したり、然るに子爵邸に於ては香奠は故子爵の遺志に基き如何なる団体の香奠も謝辞せられ、従て本商工会議所の香奠も固く辞退せられたるを以て、已むを得ず弔詞のみを贈呈したり
      総会議事速記録(昭和六年十一月十三日)
 ○議長(会頭男爵郷誠之助君) 今日突然臨時に総会を招集致しましたことは、御承知の如く去る十一日午前一時五十分に渋沢子爵が薨去されました、我商工会議所には浅からざる御縁故の御方でありますので、此の薨去に対して弔意を表したいと思ふのであります、即ち総会の決議を以て弔意を表したいと思ふのでありますが、それ
 - 第56巻 p.168 -ページ画像 
に就きまして御諮りを致したいと思ひまして此の臨時に総会を招集致した次第でございます、然かるべく御詮議を願ひたいと思ひます
 ○二番(大山斐瑳麿君) 御趣旨誠に結構と存じます、就きましては子爵の薨去に付きまして特に会議所としましての弔意方法も色々あるだらうと存じまするが、取敢へず弔詞並に香料を贈呈したいと考へます、香料は会頭の御手許に於て然るべく御取計ひを願ふことに致しまして、弔詞に付きましては、特に鄭重に致しまする意味に於きまして、此総会出席者中より正副会頭の外に七名の起草委員を挙げられまして、さうして此の起草委員に弔詞の御起草を願ふ、斯ふ云ふことに致したいと考へます、其起草委員の銓衡は議長の御手許に於て適宜御指名を願ふ、斯う云ふことにしたいと思ひます
   (「賛成々々」と呼ぶ者あり)
 ○二十二番(松本真平君) 唯今議長から御発議の渋沢子爵に対する弔意の方法、それに就きましての御協議に付きましては満腔の敬意を表して賛意を表するものでございます、叉此弔詞並に此等に対する方法に付きましては、唯今大山君の御提案に全然同意を致すものでございます、子爵は十七歳の時に郷里を出まして以来今日九十二歳即ち七十五年間と云ふものは、全く一日たりとも国事を離れた行動のなかつた方でありまして、明治政府時代に大蔵大丞を辞せられ、民間に下つて以来特に銀行に或は会社に、実業方面に大なる尽力を致されたこと、亦此商工会議所の前身たる商法会議所、続いて商業会議所の会頭として長く商工業の発達の為めに御尽力を下されたと云ふことは、玆に私が申す迄もないことであります、而かも此の商工業と道徳方面との調和は余程困難なる場合があるのに拘らず翁は常に之が調和を目的としまして忠孝仁義の道を説いて敢て倦まなかつたのであります、而かも七十余歳にして当時八十有余の関係事業会社と其関係を絶たれ、爾来公共慈善団体、或は教育の事業に或は商事の紛議の裁定に、或は国際親善の関係に資する為めに此国際の交際の方面に向つては全く一個の渋沢子爵として国家的観念より大なる尽力を致されたのでありまして、其崇高なる人格は誠に一世の師表とすべきものでありまして、而かも五十余年間の実業界に対する功労に更に錦上一段の花を加へるものがあるのでありまして我々誠に一世の師表として敬慕措く能はざるものが御座いますのであります、当商工会議所は先刻申上げまするやうに、其創立に於て其後の長い間の会頭としての指導の許に於て深い関係を有するものでありまして、我々此光輝ある会議所議員でありまする以上、能く翁の遺志を体して、敢て之が徳を傷けざらんことを努めることは勿論、更に此深い関係のある会議所が特に総会を開いて翁に対する弔意を表しますることは、実に相応はしい我々の当然為すべき義務でありまして、議長の御提案は実に其機宜を得たるものと信じまして玆に満腔の敬意を表して賛意を表する次第でございます
 ○議長(会頭男爵郷誠之助君) 唯今二番より御提案になりました子爵の薨去に対して弔意を表すること、並に相当なる香料を贈ること、而して其弔詞を起草する為めに正副会頭の外に七名の委員を選
 - 第56巻 p.169 -ページ画像 
んで之に起草案を御依頼する、而して其七名の委員の方は私より御指名申上げると云ふ御発議になつて居りますが、左様取計ひまして宜しうございますか
   (「異議なし」と呼ぶ者あり)
 ○議長(会頭男爵郷誠之助君) 然らば起草委員の方に、大山君・稲茂登君・杉野君・日下君・山本君・小沢君・杉本君、此御七名の御方に御願致します、之に正副会頭も加はることに致します、別室に於て御起草を願ひます間暫時休憩致します
 ○議長(会頭男爵郷誠之助君) 唯今御附託になりました起草委員に於て作られたる弔詞が出来ましたので、朗読致します
      弔辞 ○前掲ニツキ略ス
 此の通りの弔詞が出来ましたが、之が決議するに当りまして諸君の起立に依つて之を決したいと思ひます、之に御同意でございますか
   満場総起立
 ○議長(会頭男爵郷誠之助君) それでは此案の通り決定します、之を以て閉会致します


竜門雑誌 第五一八号・第二〇―六一頁 昭和六年一一月 葬儀○渋沢栄一(DK560048k-0002)
第56巻 p.169 ページ画像

竜門雑誌  第五一八号・第二〇―六一頁 昭和六年一一月
    葬儀 ○渋沢栄一
十五日 ○一一月
○中略
 一、青山斎場着棺  午前九時四十分。
 一、葬儀開始    午前十時。
 一、葬儀終了    午前十一時三十分。
 一、告別式     午後一時開始三時終了。
○中略
また東京市民を代表した永田市長の弔詞、実業界を代表した郷誠之助男の弔詞朗読があり、他の数百に達する弔詞を霊前に供へ、十一時半予定の如く葬儀を終了した。
○中略
    弔詞
○中略
 尚ほその他弔詞を寄せられたる重なるものは左の如くである。(順序不同)
○中略
 東京商工会議所
○下略
   ○昭和二年四月五日法律第四十九号ヲ以テ公布セラレタル商工会議所法付則第三項「現ニ存スル商業会議所ハ之ヲ本法ニヨリ設立シタル商工会議所ト看做ス」ノ規定ニヨリ、当会議所ノ名称ハ、本法施行日タル昭和三年一月一日ヲ以テ「東京商工会議所」ト改メラル。


竜門雑誌 第五一八号・第二五頁 昭和六年一一月 葬儀○渋沢栄一 【弔辞 郷誠之助】(DK560048k-0003)
第56巻 p.169-170 ページ画像

竜門雑誌  第五一八号・第二五頁 昭和六年一一月
    葬儀 ○渋沢栄一
○中略
 - 第56巻 p.170 -ページ画像 
      弔詞
子爵渋沢栄一閣下忽焉トシテ薨去セラル、寔ニ哀悼ノ至ニ禁ヘス、惟フニ子爵ハ我国実業界ノ大先覚ニシテ、夙ニ新式事業ノ創設扶植ニ尽瘁セラレ、或ハ商工業ノ指導啓発ニ、或ハ国利民福ノ発展増進ニ匪躬ノ誠ヲ致サレ、我国経済界今日ノ隆運ニ貢献セラレタル偉勲真ニ赫々タルモノアリ、子爵ハ又内外ノ状勢ニ鑑ミ率先商法会議所ノ創立ヲ提唱セラレテ以来多年其発達ニ鋭意セラレ、以テ各地商工会議所興隆ノ基礎ヲ築カレタル功績亦絶大ナルモノアリ、今ヤ我国経済界ハ多事多端ニシテ益々其ノ扶翼ニ待ツコト痛切ナルノ時ニ当リ、病痾ノ為メ長逝セラレタルハ痛惜真ニ措ク能ハサル所ナリ、然リト雖モ子爵ノ遺績ハ不滅ノ光明トシテ永ク我実業界ノ進路ヲ光示セラルヘキヲ疑ハス、日本商工会議所ハ玆ニ謹ンテ哀悼ノ誠意ヲ表ス
  昭和六年十一月十五日
                日本商工会議所
                  会頭 男爵 郷誠之助