公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2023.3.3
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大正5年2月19日(1916年)
是日栄一、東北六県在京代表者ノ来訪ニ接シ、東北振興ニツキ助力ヲ請ハレタルニ対シ、応諾ノ旨挨拶ス。
五月二十二日、大日本蚕糸会館ニ於テ、東北六県知事発起ノ東北振興ニ関スル懇談会開カレ、栄一、当会委員益田孝等ト共ニ出席ス。
竜門雑誌 第三三四号・第一〇七―一〇八頁 大正五年三月 ○東北振興問題(DK560056k-0001)
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竜門雑誌 第三三四号・第一〇七―一〇八頁 大正五年三月
○東北振興問題 東北六県の在京代表者諸氏は、二月十九日午後五時より同会事務所に会合して、左記事項を協議決定せり
△振興の一部分たる林野交付案(委員附託)及振興案の眼目たる村上(亀)氏提出建議案に付、其目的貫徹の為め渋沢男爵の助力を請ふ事
院内に於ては各代議士の特に注意を請ふ事
△畜産(軍馬購入方法)に就ては各県代議士中より一名宛の委員を選出し其衝に当らしむる事
右協定の後六県委員総代諸氏は青淵先生を訪うて、従来青淵先生が東北振興問題に就て尽力せられたる労を謝し、更に将来の希望を述べたるに対し、青淵先生には熱誠罩めたる態度を以て
東北振興策は国家問題なれば、予は諸君の依頼なくとも、飽くまで尽力する積りなり、数日前まで感冒にて臥床中なりしを以て帝国ホテルの会合にも出席する能はず、且つ疾くに提出す可かりし建議案も夫れが為めに遅延せるを遺憾とし、漸く数日前自身之を校訂の上提出せる次第なり、此上とも一層研究を重ね、国家の為め一日も早く東北の振興を実現したきものなり云々
と慇勲に挨拶せられたるより、総代諸氏は殊の外満足して引取られたりとなり。
東北振興史 浅野源吾編 上巻・第五〇七―五〇八頁 昭和一三年八月刊(DK560056k-0002)
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東北振興史 浅野源吾編 上巻・第五〇七―五〇八頁 昭和一三年八月刊
○第七章 東北振興会最後の施設
東北振興問題協議
東北六県の在京代表者諸氏は、大正五年二月十九日午後五時より東北振興会事務所に会合して、左記事項を協議決定せり。
○協定事項前掲ニツキ略ス。
右協定の後、六県委員総代諸氏は渋沢男爵を訪ふて、従来渋沢男爵が
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東北振興問題に就て尽力せられたる労を謝し、更に将来の希望を述べたるに対し、渋沢男爵には熱誠罩めたる態度を以て
○栄一挨拶前掲ニツキ略ス。
集会日時通知表 大正五年(DK560056k-0003)
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集会日時通知表 大正五年 (渋沢子爵家所蔵)
五月廿二日 月 午前十時 東北振興会ノ件(大日本蚕糸会)
竜門雑誌 第三三七号・第九七頁 大正五年六月 東北振興懇談会(DK560056k-0004)
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竜門雑誌 第三三七号・第九七頁 大正五年六月
○東北振興懇談会 去月二十二日、折柄出京中なりし東北六県知事の発企に依り、大隈首相の臨席を請ひ、神田錦町大日本蚕糸会事務所に於て東北振興に関する懇談会を開きたり、青淵先生には益田孝氏以下東北振興会会員諸氏と共に出席せられたり、先づ東北振興会当事者より東北振興策に関する調査報告あり、次に大隈首相の東北振興所感談あり、尚将来官民協力して振興の目的を貫徹すべしとの申合を為し散会せりといふ。
東北振興史 浅野源吾編 上巻・第五〇八―五〇九頁 昭和一三年八月刊(DK560056k-0005)
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東北振興史 浅野源吾編 上巻・第五〇八―五〇九頁 昭和一三年八月刊
○第七章 東北振興会最後の施設
東北振興懇談会
大正四年五月二十二日折柄出京中《(五年)》なりし東北六県知事の発企に依り大隈首相の臨席を請ひ、神田錦町大日本蚕糸会事務所に於て東北振興に関する懇談会を開きたり、渋沢男爵には益田孝氏以下東北振興会々員諸氏と共に出席せられたり ○下略