デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会
4款 日本実業協会
■綱文

第56巻 p.273-278(DK560073k) ページ画像

大正4年1月8日(1915年)

是ヨリ先、栄一、当協会ノ総意ニ基キ、総理大臣大隈重信及ビ政友会総裁原敬ヲソレゾレ訪問シテ、政府及ビ在野党間ノ政争調停ニ尽力セシモ成ラズ、遂ニ衆議院ノ解散ヲ見ルニ至ル。是日、東京商業会議所ニ於テ、当協会幹事会開カル。栄一出席シ、右顛末ヲ報告ス。


■資料

集会日時通知表 大正三年(DK560073k-0001)
第56巻 p.273-274 ページ画像

集会日時通知表  大正三年       (渋沢子爵家所蔵)
十一月十一日 水 午後三時半 大隈伯ヲ早稲田ニ御訪問
十一月十二日 木 午後二時  中野氏同伴、農商務大臣ト御会見(農商務省)
   ○中略。
 - 第56巻 p.274 -ページ画像 
十一月二十日 金 午后一時半 総理大臣官舎ニテ大蔵大臣・農商ム大臣ト会見ノ約
   ○中略。
十二月十七日 木 午前十時  実業協会幹事会(商業会議所)
十二月十八日 金 午〇時半  商業会議所ヘ御出向
   ○中略。
十二月二十日 日 朝《(朱書)》ノウチニ、原敬氏ニ電話ニテ都合ヲキク約束アリ
         午後三時頃迄ニ原氏ヲ御訪問ノ約(但シ時間ガオクレレバ明日ニノバス)
十二月廿一日 月 午前十時  中野武営氏来約(兜町)
   ○中略。
十二月廿三日 水 午前八時  大隈伯御訪問(同伯邸)
         午後三時  原敬氏ヘ電話ニカケル約(芝六八番)
   ○中略。
十二月廿九日 火 午前十一時より正午の間 大隈伯邸御訪問


渋沢栄一 日記 大正四年(DK560073k-0002)
第56巻 p.274 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年      (渋沢子爵家所蔵)
一月八日 昨夜ヨリ雪降リテ寒威一層強シ
○上略 午前十一時半商業会議所ニ抵リ、実業協会幹事会ヲ開キ、去年政界ニ忠告セシ顛末ヲ報告シ、更ニ本会ノ将来ニ付テ種々ノ協議ヲ為ス午飧後尚談話ヲ継続ス ○下略


集会日時通知表 大正四年(DK560073k-0003)
第56巻 p.274 ページ画像

集会日時通知表  大正四年       (渋沢子爵家所蔵)
一月八日 金 午前十一時  実業協会午餐会(商業会議所)


中外商業新報 第一〇三一五号 大正四年一月九日 ○実業協会幹事会(DK560073k-0004)
第56巻 p.274 ページ画像

中外商業新報  第一〇三一五号 大正四年一月九日
    ○実業協会幹事会
日本実業協会は八日午前十一時より東京商業会議所に幹事会を開き、渋沢会長・中野副会長、郷・和田・大橋・藤山・小野の各幹事出席し渋沢会長より昨年末に於ける政局に関し朝野両方面に交渉したる顛末を報告し、尚今後は毎月二回幹事会を開催して諸般の研究を遂げ、会の発展を図るに決し、一同午餐を共にし散会せり


竜門雑誌 第三二〇号・第八五―八九頁 大正四年一月 ○政争調停の経過(DK560073k-0005)
第56巻 p.274-278 ページ画像

竜門雑誌  第三二〇号・第八五―八九頁 大正四年一月
    ○政争調停の経過
△日本実業協会幹事会の決議 日本実業協会々長青淵先生・副会長中野武営・幹事郷誠之助・大橋新太郎・和田豊治・小野金六・藤山雷太諸氏は、昨年十二月十七日午前十時より東京商業会議所内に於て幹事会を開き、時事問題に就て協議の結果、目下欧洲の戦乱中挙国一致を要するの秋に際し、政界の雲行甚だ不穏にして、或は遂に議会の解散を見るやも測らざる風あるが、もし如此ことあらんには、対外関係に於ても不利益なるのみならず、又しても予算は不成立となるの結果、さなきだに不況なる我経済界に及ぼす影響亦た容易ならざるものあるを以て、此際協会は率先して政府並に政党に対して経済界の現状を具
 - 第56巻 p.275 -ページ画像 
陳して反省を求むることに決し、翌十八日更に評議員会を召集して之れが同意を求むるに決したり。
△日本実業協会評議員会 前記幹事会の決議に基き十八日午後零時半より商業会議所に於て評議員会を開きたり、当日の来会の重なる者は左の諸氏なり。
 青淵先生・中野武営・大橋新太郎・小野金六・若尾幾造・藤山雷太郷誠之助男・伊藤幹一・岩崎清七・稲茂登三郎・服部金太郎・星野錫・大谷嘉兵衛・左右田金作・村井吉兵衛・和田豊治・内田直吉・久米良作・安田善三郎・馬越恭平・福原有信・小池国三・佐竹作太郎・志村源太郎・日比谷平左衛門・佐々木勇之助
軈て青淵先生は起ちて述べて曰く
 昨今の政界は甚だ危険状態に陥りつゝあり、我等実業家としては衝突問題が果して那辺にありとするも、本年若し議会の解散を来すか或は内閣の更迭を見るが如きことあらんには、玆に三箇年連続して予算の不成立を来す次第なれば、国家の事業は果して如何に成り行く可きや甚だ心元なき事なり、実業家として今日の戦時中及び戦後経営の両方面になす可き事は甚だ多し、然るに此際政事上徒らに混乱を重ぬるに於ては、其禍する所僅少と云ふべからず、国家の為めに最も憂ふ可し、而して今回の政争に就ては実業家各自意見を異にする所もある可しと雖も、去る八月政府が独逸に対して最後通牒を発せし時、政府は我等実業家を招きて種々懇談する所ありしが、其折我等は総て一致の行動を取り、多少の利害関係は之を省みず、軍国の事に従ふ可きを決せり、故に当時の覚悟を以てすれば、此際多少の不平、多少の不利益の如きは之を忍び、以て一致共同、実業界の将来の為めに尽す可きは至当なりと信ず、而して我等は敢て今回の政争の仲裁を為さんと欲する者に非ずと雖も、今は誠に国家大事の秋なるを以て、政府及び政党に対して其旨を陳述し度きものと思ふ次第なり。
と述べ、続いて中野武営氏の演説了るや志村氏賛成の意を表し、尚ほ藤山氏も同様其旨意に賛して、青淵先生及び中野武営氏に全権を委す可しと提議し、大谷嘉兵衛氏亦之に賛し全会一致を以て両氏に全権を委する事となり、必要あらば幹事と相議し場合によりては評議員の助力をも借る事とし、実行法としては至急青淵先生・中野武営両氏にて総理大臣及び各政党の首領を歴訪する事に決し午後二時半散会せり。
△青淵先生の首相訪問 青淵先生には右評議員会散会後、午後三時半大隈首相を貴族院大臣室に訪問し
 政界の形勢益々険悪となりつゝあるが、自然解散に伴ひ予算不成立ともならば、さらぬだに悲境にある我経済界は益々惨状を呈すべく此の際何んとか局面展開の途無かるべきか、勿論政友会に向つても相当の忠告を試むべきが、先づ以て政府の意嚮のある処を承り度し云々。
と申述べたるに、大隈首相は答へて曰く
 刻下有史以来の欧洲大変乱に際し、挙国一致以て時局に処することは万々熱望する処なるも、現在政府の立場は寧ろ受動的地位にあれ
 - 第56巻 p.276 -ページ画像 
ば、政友会の態度次第に依つては何とかならぬ事もあるまじきが、目下の処にては如何ともなし難かるべし。
と答へたりと云ふ。
△青淵先生と原総裁会見 青淵先生には二十日午後三時半、政友会総裁原敬氏を芝公園の邸に訪ひて、政争調停に関する実業協会の希望を詳述して其の熟考を求めたり、右の会見に関し、青淵先生が各新聞記者の問ひに答へたる概要は左の如くなりと云ふ。
 原氏とは従来懇意の間柄なれば、当日は自分も原氏も十分打解けて会談したり、元来自分等実業家側の希望は、決して自ら政争の渦中に投ぜんとするにあらず、又何人の依頼を受けたるにもあらず、自分等は目下の政争を以て内外の状勢に照し面白からざる現象なりとし、衷心国家の為に之を憂ふるが故に、何とか緩和の道もがなと思ひ、大隈首相及び政友会総裁なる原氏に衷情を吐露したるまでの事なり、左れば原氏の自分に語りし処も極めて打明けての談にして、要するに原氏も自分の陳述せる処を深く諒としたれども、何分行懸や感情衝突のある事とて事情極めて困難なり、併し玆に何等か融和の方法のあるありて政治家の面目を保ち得るに至らば云々との意味なりき、尚自分等が今回実業協会の希望を大隈首相及原総裁に致したるに就て、世上種々の説をなすものあり、或は大隈首相の依頼を受けたりとか、政友会の為に図るものなりとか、種々の臆説行はれ中には文書を以て自分等の行動を攻撃し来るものあれども、自分等は前にも申す通り、何人にも頼まれたるに非ず、唯目下の政争及び之に伴ふ各方面の影響を憂ふるがために外ならざれば、種々の説を流布さるゝは拠なしとはいへ、自分等に取つては遺憾にもあり、不快にも感ずる次第なり。
△中野武営氏と大浦農相 青淵先生と大隈首相、並に原総裁との会見に因りて表面正式の交渉は一段落を告げたるも、中野武営氏は二十一日午前十時青淵先生を第一銀行に訪問して協議の上、午後二時貴族院大臣室に大浦農相を訪問し、時局調停策に就て陳情せしに、農相は政友会が既に大会を開催して結束以て政府に迫らんと決議せし今日、最早政友会の面目としても妥協を諾せざるべく、閣員等如何に実業家の調停を多とし、挙国一致を期せんと欲するも、今や時期既に遅きの感ありと語りたる由、尚中野氏は大隈首相とも廊下に会見して熟考を希望せり、中野氏は退出後午後四時商業会議所に青淵先生の訪問を受け更に密議を凝したりと。
△青淵先生の再訪問 右協議の結果なるべく、青淵先生には同日午後五時三十分大隈首相を早稲田の私邸に訪ひたり、折柄大隈伯は脚部の患部に熱を発し、松田主治医の注意により、同日議会より帰邸するや一切の訪問客を避けて臥床中なりしかば、青淵先生は病床にても差支なければ面会したしと申込みしに、伯は大元気にて直ちに服を改めて応接室に出で、青淵先生を見るや破顔一笑し『我輩を病人扱ひにして呉れては困る、此通りの元気ぢやから』と冒頭し、先づ其の来意を訊したり、こゝに於て先生は赤誠を披瀝して現下の政局難を訴へ、此際多少主張を枉げても国家の為め円満に政局を収拾せられたしと述べら
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れたる由なるが、伯は先づ実業家側の過般来執れる好意に対し衷心より感謝の意を表する旨を告げ、男の提出せる妥協案に対して、慇懃に政府の意の在る所を披瀝したる後
 折角の好意なれども政府としては最善の政策と信じ、より以上譲歩する点を発見せざるを悲しむ、と拒絶し、尚ほ従来政治の堕落は多く妥協に在り、苟しくも吾輩が朝に起ちて政を執る以上、妥協は絶対に排せざる可からず、政戦は須らく公明正大ならざる可からず、依つて好意は感謝するも、政友会にして政府の政策に同意せざる以上止むを得ず。
と答へたる由にて、青淵先生には尚ほ伯の再考を希望し、同六時五十五分同邸を辞したりと。
右の会見に関し、青淵先生には各新聞記者の訪問に対し左の如く語られたりとなり。
 刻下の情況にては、果して如何に成行くかは殆ど予想付かざるも、兎に角今回の紛糾の原因たる大部分は感情の衝突にありと云ふべく勿論増師案其他政府に対する政友会の反対は自ら相当の理由を存し而して国家観よりして夫れ夫れ非難すべき所あらんも、而も之を我国の此際に於ける政界紛糾、之に伴ふ政変等は、対外関係並に内治の上に及ぼす国家の至大なる不利に比すれば、到底同日の談に非ず左れば双方の感情はさる事ならんも、真に国家を憂ふるの誠意あらんには、是非共是等の私的感情を一擲して、邦家の安泰を期せざるべからず、余は思ふに、一方は偉大なる老政治家として国民の仰望し、而も資性の磊々たる大隈伯にして、其対手は大政党の首領にして、而も政海に多年の経歴を有し、従来政海の紛糾起るに及びては常に事態の軽重緩急に考量し、臨機応変以て大禍なからん事を念とせる原敬氏なるが故に、両者が真に国家を憂ふるの念を有せらるゝならんには、此際一時の反感の如き之を一擲するの雅量は十分に有せらるゝならんと信ずるものなり、余は斯く信ずるが故に、両者緩和の方法としても未だ世上に伝へられたるが如き増師の撤回其他互譲等の条件を提出したる事なく、又余の立場として斯の如き条件を提出するが如きは決して当を得たるものにあらざるを信ぜり云々。
△調停断念 斯くして二十二日、二十三日に亘り、尚青淵先生は熱心斡旋せられたるも、遂に其甲斐なく、且刻々に切迫せる大勢は最早如何ともす可からざるものあるを以て、余儀なく調停運動を断念する事となり、廿三日午後大隈首相並に原総裁を訪ひ、右の旨を言明して爰に全く手を引くに至れりとなり。
△青淵先生中野両氏の報告 越えて本年一月八日午前十一時より東京商業会議所内に実業協会幹事会を開き、青淵先生には、同会総代として中野副会長と共に旧臘政争調停の為斡旋したる経過を報告する所ありたりと云ふ。
○衆議院解散に就て 旧臘衆議院の解散せらるゝや、東京日々新聞記者は青淵先生を訪ひて、其財界に及ぼす影響に就て先生の意見を求めたるに、左の如く語られたる由
 議会は遂に解散となれり、其結果の我財界に及ぼす影響如何は言ふ
 - 第56巻 p.278 -ページ画像 
迄もなく寔に寒心に堪へざるものあり、欧洲戦乱の影響にて既に大打撃を被りたる事業界は、刻苦艱難と闘ひつゝ辛くも経営を維持し来りたるに、今又政府の予算案不成立となりて、一般の施設就中時局救済を目的とする施設等は今や全く画餅に帰したるのみならず、予算不成立に依る人気の沮喪は従来の不景気を一層甚だしからしむるは争ふべからず、之を以て吾人は曩に政府と政友会の衝突に対し極力緩和に努めたるも、遂に力及ばず事是に到りては如何とも是非なし、唯互に自重警戒して今後の障害を成るべく軽微ならしめん事に努むるの外あらず云々。
○衆議院解散と党弊 左の一篇は東京朝日新聞記者が旧臘青淵先生を訪ふて聴き得たる談話の要領なりとて、其の当時の同紙上に掲載せるものなり。
 元来余は減債基金の減額にも反対なれば、増師案にも不同意なり、然れども外に在りては、青島は陥落せりと雖も、戦局は未だ終結を告げず、外交は漸く多端ならんとして挙国一致の要極めて切なり、内にありては、財界引続き銷沈せるに、今や三度予算の不成立を繰返さんとす、仍て余は此際自己の主張を悉く之を放擲して顧みず、能ふべくんば政争を防止し得て、一意国家の安泰と福利の増進否少くとも之が維持を冀ひ、朝野双方に向つて頗る斡旋に努めたる訳なるが、朝野相方共に偉才を網羅せるに拘らず、余が懇請は容れられずして議会は終に解散となれり、是れ畢竟余の徳と力との及ばざりし結果と諦むるの外なきが、夫にしても差当り今や成立せんとせる蚕糸業の救済、さては米価の調節、又は航路補助は如何に成行くものぞ、徒らに些々たる感情に囚はれ、区々たる事情に拘泥し、以て単に自ら政争に勝たんとのみ焦りて国家の大事を忘るゝは、党弊其極に達せるものといふべし。