デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会
5款 財団法人国産奨励会
■綱文

第56巻 p.293-295(DK560077k) ページ画像

大正3年11月12日(1914年)

是日当会、築地精養軒ニ都下ノ新聞通信社員ヲ招キテ披露会ヲ催ス。栄一出席シテ、設立ノ経過ヲ述ブ。


■資料

中外商業新報 第一〇二六〇号 大正三年一一月一三日 ○国産奨励会披露 農相の産業演説(DK560077k-0001)
第56巻 p.293-294 ページ画像

中外商業新報  第一〇二六〇号 大正三年一一月一三日
    ○国産奨励会披露
      農相の産業演説
国産奨励会は十二日夜築地精養軒に都下の重なる新聞通信社員を招きて同会の披露会を開けり、流石に国産の奨励を標榜する集会の事とて食卓に上る処のものも皆内国産のものゝみにて、席上また国産奨励に関する談論湧くが如かりしが、軈てデザート・コースに入るや武井男起ちて鄭重なる挨拶あり
△渋沢男の演説 次で渋沢男は国産奨励会の設立に関する経過を述べて曰く
 国産を奨励すべしてふ議論は今日に始まりたる事にあらずして、其の由来する所は甚はだ以前にあれど、今年に至り始めて一個の問題となりしのみ、吾人が本会を起すに至りし精神は、外品防遏の弊に陥らずして、国産の奨励を重んじ、外国品と雖も必要なる物は飽迄も輸入し、只だ外国品を是れ尊しとして自国品を卑む弊風を矯正せんとするにあり、吾人を以て徒らに外国品を防遏し、内国産業の競争進歩を妨ぐる者と見做すが如きは甚しき誤解也、将来本会の取らんとする手段は、差当りて内国製品を自尊するの機運を覚醒し、更に進んでは一般国民の注意を喚起すべき展覧会を開き、或は雑誌を発行し、講演会を開き、或は調査研究の策を講じて、当業者の諮問機関ともなるべき施設をもなさん予定なり云々
△大浦農相演説 次で大浦農商務大臣も一場の演説を試みて曰く
 凡そ一国の富力は其国の貿易額に依りて之を知るを得可し、而も自ら我国の現状を顧れば、日本帝国に商工業なしといふ可し、何となれば我国は一等国の班にあり乍ら貿易額は他の二・三等国の辺にあり、我貿易額は一ケ年僅々十三億円にして、一等国中の最貧乏国たる伊太利すら我が二倍の貿易額を有し、白耳義・和蘭は四十億乃至三十七億の貿易額を有す、若し之を英・独等に比せんか、余りに其
 - 第56巻 p.294 -ページ画像 
の優劣の差甚しきに驚かざるを得ざるべし、然らば日本は斯くの如き境地より進んで国力を増進するに如何なる策を執れば可なるべきか、开は商工業の改良発達を計るを以て急務となす、明治卅七・八年の戦役に於て我帝国の名は世界に轟き、日本の製品は世界各国民に賞玩されたりしも、当時粗製濫造の弊に陥りたる為め、忽ち海外市場の信用を失ひ、明治四十二・三年頃よりは輸出額漸次に減退するに至れり、嗚呼是れ皆不信用の結果也、今や東洋及び南洋に向て欧洲より輸出されつゝある商品は年々五億円以上に達せるが、商工業者が之に取つて代るべきは正に刻下の欧洲動乱の際を以て絶好の機会とす、欧洲の動乱平和に帰せば、欧洲各国は戦後の疲弊を医すべく海外貿易に力を尽すべく、此の戦後の商工業戦に勝利を制せんとするには、先づ我商品の信用を高めざるべからず、我農商務省は此処に鑑る所ありて、近日露領亜細亜・南北支那・印度・濠洲・加奈陀に向ひ商業視察員を派遣するに決し、東京・大阪・京都・名古屋其他国内重要地の商業会議所とも交渉して、商業会議所よりも視察員を出さしめ、共に其途に上らしめ、以て商戦の準備に資せんとす、而して他の一面に於て信用を高むる為には、輸出品の検査を行ふに如くはなく、之は各同業組合の自治警察によりて励行するを可とす、世間或は之を以て干渉政策なりと非難するものあれど、英・米の如き自由を尊ぶ国に於てすら、商品に対し厳重なる検査を行ひ輸出品に検印を施し居る有様にて、之により信用を維持せる也、貿易を振興し一国の幸福を増進する為めに商品の検査を行ふに、何の不可かあらん、余は先般各地を巡視して、世間にも斯の如き検査の必要を感じて漸く之を実施せんとするの趨勢あるを知れり、是れ実に国富増進の基にして、国民の自覚を促すの策也、内地の製品すら外形を徒らに外国品に模擬して能事終れりとする如き有様にては、我国の工業界は独立権なしといふべし、機械類及び原料品等は大に輸入して、之に加工したる上再び之を輸出するの策を講ずると共に贅沢品の輸入を少くし、化学の研究を奨め、発明の奨励に努め、以て国家の実力富力を増進せざるべからざる也
と農相の演説終るや、黒岩周六氏来賓を代表して挨拶をなし午後八時散会したり


竜門雑誌 第三一八号・第六五頁 大正三年一一月 ○国産奨励会披露会(DK560077k-0002)
第56巻 p.294-295 ページ画像

竜門雑誌  第三一八号・第六五頁 大正三年一一月
○国産奨励会披露会 国産奨励会にては十一月十二日夜築地精養軒に都下の重なる新聞通信社員を招きて、同会の披露会を開けり ○中略 軈てデザート・コースに入るや武井男起ちて鄭重なる挨拶をなし、次いで顧問青淵先生には国産奨励会の設立に関する経過を述べて曰く
 国産を奨励すべしてふ議論は今日に始まりたる事にあらずして、其の由来遠く、今年に至り始めて一個の問題となりしのみ ○中略 将来本会の取らんとする手段は、差当りて内国製品を自尊するの機運を覚醒し、更に進んでは一般国民の注意を喚起すべき展覧会を開き、或は雑誌を発行し、講演会を開き、或は調査研究の策を講じて当業者の諮問機関ともなるべき施設をもなさん予定なり云々
 - 第56巻 p.295 -ページ画像 
次に大浦農相の演説ありて散会したりといふ。


中外商業新報 第一〇二九四号 大正三年一二月一七日 ○奨励会維持費募集(DK560077k-0003)
第56巻 p.295 ページ画像

中外商業新報  第一〇二九四号 大正三年一二月一七日
    ○奨励会維持費募集
国産奨励会は創設後第一着の事業として先づ国産展覧会を開催したるが、大正四年よりは愈々一大活動を為すことに決し、此程同会規則に基き維持費の募集に着手せるが、最初は武井会長以下幹事十一人及び評議員八十余名を百口以上五百口(一口五円)以内に於て勧誘し、次で全国に於ける発企人に及ぼし、最後に一般より募集する手順にして、来年初めに於て少くも二十万円を醵金し、其の利子及政府の補助五千円を以て事業の歩を進める筈也と


中外商業新報 第一〇二九五号 大正三年一二月一八日 ○奨励会へ下賜金 金額三万円(DK560077k-0004)
第56巻 p.295 ページ画像

中外商業新報  第一〇二九五号 大正三年一二月一八日
    ○奨励会へ下賜金
      金額三万円
天皇皇后両陛下には国産奨励会設立の趣聞召され、十七日左の如く御下賜の御沙汰ありたるより、同会長武井守正男は午前十時宮内省に出頭、波多野宮相より恩賜金を拝受せり
一、金参万円  国産奨励会へ