デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会
6款 社団法人日本工業倶楽部
■綱文

第56巻 p.310-311(DK560084k) ページ画像

大正11年5月10日(1922年)

是ヨリ先、英米訪問実業団帰国ス。是日、栄一等発起シテ、当倶楽部ニ於テ其歓迎会ヲ開ク。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。次イデ宮中賜餐及ビ総理大臣高橋是清ノ招宴アリ、栄一、之ニ陪席ス。

尚、引続キ数次ニ及ブ歓迎会アリ、栄一出席、演説ヲ重ネ、是月三十日ニ至リ更ニ飛鳥山邸ニ歓迎午餐会ヲ催ス。


■資料

日本工業倶楽部廿五年史 同倶楽部編 上巻・第三〇三―三三四頁 昭和一八年一二月刊(DK560084k-0001)
第56巻 p.310-311 ページ画像

日本工業倶楽部廿五年史 同倶楽部編
                   上巻・第三〇三―三三四頁 昭和一八年一二月刊
 ○第弐編 戦後の反動時代
    第二十四章 英米訪問実業団 (下)
○上略
     (六)帰朝
○中略
 十日夜の歓迎会は本団成立当初より種々斡旋の労を取つた推薦者諸氏の主催に係るもので、席上渋沢子歓迎の辞に次いで団団長の謝辞があつた。翌十一日には高橋首相の歓迎午餐会があり、団団長は報告演述を試みた。同夜は丸の内銀行集会所に開かれた日米協会主催の晩餐会があり、団博士は米国滞在中に於ける米国官民の懇篤なる歓待を謝した。此の晩餐会は実業団員歓迎の外に華府会議に出席した加藤・徳川公・幣原・埴原の各全権及渋沢氏の帰朝祝賀を兼ねたる日米両国交歓の会であつた。
○中略
 尚ほ十五日の本倶楽部の歓迎会にては郷男爵の歓迎の辞に次で団長及団員の演説があり、最後に団員に対する渋沢氏の謝辞があつた。その演説の要旨を摘記すれば左の如くである。
○中略
      子爵渋沢栄一氏の演説
 会長、満場の議君、お客様に短かく願ふたのでありますから、主人側が長くなるとお客様に対して礼儀を欠きます。故に私も努めて短かい御礼を申上げやうと思ひます。
 実業団のお帰り後私は種々の機会で諸君にお目に懸つてお土産話を沢山伺ひました。嚮日来伺つた事は、多く未来に日本に於て尽さねばならぬと云ふ趣旨を御申聞け下すつて、寔に感服致し、且つ私実業界に居らぬ身体でも、どうぞ諸君に願うて十分其の事を履行致したいと希望致して居るのでございますが、今夕は又殊に欧羅巴・亜米利加の極く世界の大体に就て御論議があつたやうでございまして、吾々の知識を啓発して下さつた事を深く感謝致します。
 併し之を要するに、今まで伺つた事は、私から申上げて見ると、総て誠に結構なお土産ではあるけれども、是は竹の皮に包んだとか、折
 - 第56巻 p.311 -ページ画像 
に這入つて居るとか云ふものではない。直ぐ様出して口に入ると云ふ訳には行かないもので、是から煮るとか何とかしなければ、是は本当のお土産にならぬものであります。此のお土産を本当に吾々の滋養にしようと云ふには、持つて来られたお客様も、受けた吾々も共々に力を入れなければ、其の効能を為さぬと思ふのでございますから、只今御説のありました通り、諸君と共に此の土産を料理して、本当に吾々の滋養となるやうにせねばならぬと思ふのでございます。
 それに就て考へますと、妙な比例を申すやうでありますけれども、五十年以前の政変に於て、徳川方と薩長との間に斯う云ふ懸隔があつた。倒れる方の幕府方の多くは己れ一人で働いたつて仕様がない、今にどうかなるだらう、斯う云ふ見解であつた。攻撃方に立つた薩摩とか長州とか云ふ方は、我一人でもやつて見ようと考へた。是は同じ人間の考ではあるが大変に違ふ。己れ一人でもやつて見ようと云ふ考と己れ一人でやつたつてどうなるか、己れ一人の責任ではないと云ふ考と、此の差は実に大変なものだと云ふ事を私は能く記憶して居ります此処には老年のお方も居らつしやるから、蓋し此記憶は私ばかりではない。皆様も御心に斯う感じられるであらうと思ふのでございます。是は政変でありますから、今茲に比例するのは穏かでないけれども、凡そ物事は左様であると思ひます。既に善いと思つたら必ずやらうではありませぬか。是がどうしても必要だと思ひます。今どなたの御説でありましたか、是は土産を持つて来た人ばかりの責任ではない。諸君が共に之を料理せねばいかぬと申されたのは誠に御尤である。殊に今夕は主人方が多数で、お土産を持つて来られた方は少数である。是非此のお土産を持つて来て下すつた方々と共に、奮つて十分之を料理して、吾々の滋養に供するやうに致したいと深く考へるのでございます。数十年来お互に輸入超過を大変に憂へて居ります。物質上に於ける輸入超過は憂へるが、併し知識の輸入超過は皆様決して御憂へでなく、此輸入超過を以て吾々の大なる滋養に供さうではありませぬか。之を以て私は諸君に御礼を申上げます。(拍手)
   ○「日本工業倶楽部廿五年史」上巻ニ拠レバ、英米訪問実業団ハ五月七日神戸港着、翌八日東京駅ニ帰着セリ。
   ○其他ノ資料ハ本資料第四十巻所収「其他外国関係資料」同日ノ条及ビ第三十五巻所収「日米協会」大正十一年五月十一日ノ条ニ収ム。