デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会
11款 博覧会 1. 平和記念東京博覧会協賛会
■綱文

第56巻 p.350-353(DK560097k) ページ画像

大正11年3月10日(1922年)

是日、平和記念東京博覧会開会式挙行セラル。栄一、病気ノタメ出席セズ、当会副会長桐島像一、祝辞ヲ代読ス。


■資料

竜門雑誌 第四〇六号・第五九頁 大正一一年三月 ○平和記念東京博覧会開会式(DK560097k-0001)
第56巻 p.350 ページ画像

竜門雑誌  第四〇六号・第五九頁 大正一一年三月
○平和記念東京博覧会開会式 約一年の歳月と努力とを費し、六百万円の経費を投じたる平和記念東京博覧会は、三月十日午前九時より上野公園第一会館平和館前広場に於て開会式を挙行したるが、当日は朝野の来賓六千余名及び出品人一万余名総数一万六千余名に達し、参列者一同着席後、総裁閑院宮殿下には諸員敬礼裡に台臨あり、依りて宇佐美会長は殿下に開会式挙行を言上し、会場図及出品目録の捧呈畢るや、殿下は親しく一同に令旨を賜ふ所あり、次で高橋首相(三土内閣書記官長代読)・山本農相・賛同地方長官総代水野朝鮮政務総監・後藤市長・花井東京府会議長・桐島東京市会議長・藤山東京商業会議所会頭(杉原副会頭代読)・星野東京実業組合聯合会長(山崎副会長代読)の祝辞朗読後、青淵先生には協賛会長として祝辞を述べらるべきの所、病気の為め桐島副会長代つて朗読する所あり
○中略
 最後に出品人総代として和田豊治氏の答辞ありて十時半式を閉ぢ、総裁宮殿下には会長の御先導にて各館を御巡視あらせられ、又来賓其他に対しては直に園遊会を催し、尚来会者一同に記念品を贈呈する所ありしと云ふ。

 - 第56巻 p.351 -ページ画像 

平和記念東京博覧会協賛会事務報告書 同協賛会編 第一〇六―一〇七頁 大正一二年二月刊(DK560097k-0002)
第56巻 p.351 ページ画像

平和記念東京博覧会協賛会事務報告書 同協賛会編  第一〇六―一〇七頁 大正一二年二月刊
 ○開会中の事業
    式典
○上略
開会式 大正十一年三月十日予定の如く開会式を挙行せらる、右に関し開会式典儀の分は博覧会長名、園遊会の分は博覧会長・協賛会長連名として各方面に招待状を発送し、其総数弐万弐千余に及びしが、本会に於ては会員優遇の趣意を以て開会前日即ち九日附迄の寄附申込者五千参百余名に対しては全部招待状発送方を博覧会当局に一任せり。(招待状発送に関しては事務分担の都合上一切を博覧会事務局招待状発送係に一任せり)斯くて開会式は定刻午前九時十分開始、午前十時三十分予定の如く式を閉づ。本会に於ては桐島副会長祝辞を代読す。即ち左の如し。
      祝辞
 平和記念東京博覧会は諸般の施設悉く成り玆に本日の佳辰を卜し 総裁宮殿下の台臨を仰きて開会の式を挙げらる。惟ふに本博覧会は世界大戦後の平和を祝福し、併せて産業の発達、文化の進展を図らむとするに在り。邦家の為め誠に慶賀に堪えさるなり
 吾協賛会は博覧会の趣旨を体し、聊か斯業の翼賛に任せんとするもの、爰に本日の盛典を祝し、更に精励以て協賛の実を挙けんことを期す。一言蕪辞を陳へて祝辞とす
  大正十一年三月十日
       平和記念東京博覧会協賛会々長 子爵 渋沢栄一



〔参考〕内外博覧会総説並に我国に於ける万国博覧会の問題 永山定富著 第四四七―四五五頁 昭和八年九月刊(DK560097k-0003)
第56巻 p.351-353 ページ画像

内外博覧会総説並に我国に於ける万国博覧会の問題 永山定富著
                      第四四七―四五五頁 昭和八年九月刊
 ○第六編 第二章 万国博覧会の前駆としての主なる内国博覧会
    三、平和記念東京博覧会
 本博覧会は、欧洲大戦の終媳と共に世界平和の再来を記念し、及び大戦中に勃興したる我国産業の一般状勢を展示し、兼ねて将来の発展に資せんとするの主旨に基き計画せられたものであつて、均しく東京府を主催者として開設せられた。但し前二回の博覧会に於て、充分の経験と成効とを収めたる東京府は、世界平和の克復を機会として、万国大博覧会を開設すべしとの声四方に唱出せらるゝに鑑み、一躍其大計画に当らんとしたのであるが、諸般の準備施設に於て、未だ熟せざるものがあり、不止得之を将来に期することゝし、其中間的意味に於て本博覧会を開設するに至つたものである。けれども万国博覧会開設に対する民間の翹望期待は漸次濃厚となり、只待機の姿勢に置かるゝ状態となつたことは、特に注目せらるべきであつた。従つて以上の意味に於て計画せられたる本博覧会が、我国博覧会の開設ありて以来、其規模に於て、計画に於て、出品に於て、将た観覧に於て、凡て新しき記録を作り上げたことは言ふ迄もない。
 本会は前回と均しく、総裁に閑院宮載仁親王殿下を奉戴し、会長には初じめ府知事阿部浩之に当り、後宇佐美勝夫之に代つた。事務局職
 - 第56巻 p.352 -ページ画像 
員は凡て東京府吏員を以て之に充て、更に民間有力者を顧問・評議員等に委嘱して其賛助後援を仰ぎたることまた前二回と同様であつた。斯くて大正十年一月二十六日の府会に於ける開設決議以来、準備事務を開始し、会期は翌十一年三月十日より七月三十一日に至る百四十四日間と定められた。
 会場は東京市上野公園竹之台及不忍池畔を以てすることゝし、大正博覧会の如く両飛行場を置くことなくして、而かも十一万六千六百五十一坪の地域を会場敷地と定め、之を第一・第二の会場に分ち、第一会場には
 平和館(二階)  二四五坪   衛生館      二五〇坪
 製作工業館  一、一〇七坪   美術館    一、〇〇〇坪
 染織館    一、一四八坪   食料水産館    五九五坪
 化学工業館    七三五坪   農業館      六一一坪
 染織別館     二九九坪   蔬菜園芸館    一〇二坪
 電気館      四一二坪   教育社会館    五〇〇坪
 動物舎(十一棟) 四八〇坪   蚕糸館      五〇〇坪
等を主なるものとし、第二会場には
 平和塔      三三九坪   外国本館     九一一坪
 電気工業館    六六五坪   動力機械館    七〇二坪
 航空交通館    七〇二坪   林業鉱産館    四九九坪
等を主なるものとし、其他一切の設備に関する造営物を併せ、総建坪一五、一三二坪に対し、総工事費二、一四七、五一四円余を投じた。
 本会出品の節囲は一道庁・三府四十三県の外、朝鮮・台湾の二総督府・関東州、樺太庁・南洋統治領・諸外国等に及び、官庁出品を除きたる出品人員は、七万五千七十四人、出品総点数は拾四万一千十六点の多数に上つたが、之を次の十七部二百五類に部類別して、統制按排を計つた。
 第一部  教育及学芸 第一―十八類
 第二部  美術    第十九―二十三類
 第三部  社会事業  第二十四―三十一類
 第四部  保健衛生  第三十二―四十四類
 第五部  食料    第四十五―五十八類
 第六部  農業    第五十九―七十九類
 第七部  林業    第八十―八十五類
 第八部  水産業   第八十六―九十一類
 第九部  鉱業    第九十二―百〇二類
 第十部  機械工業  第百〇三―第百十一類
 第十一部 電気工業  第百十二―百二十一類
 第十二部 化学工業  第百二十二―百四十五類
 第十三部 染織工業  第百四十六―百五十八類
 第十四部 製作工業  第百五十九―百七十二類
 第十五部 建築    第百七十三―百八十八類
 第十六部 土木及交通 第百八十九―百九十二類
 第十七部 航空及運輸 第百九十三―二百〇五類
 - 第56巻 p.353 -ページ画像 
審査は審査総長平山成信の下に、第一部より第十七部に至る部長を置き、三月十一日之を開始し、七月三日結了し、同月十日褒賞授与式を挙行したが、褒賞成績は次の如くである。
 名誉大賞      八二
 金牌       九七六
 銀牌     三、五一七
 銅牌     七、二四八
 褒賞    一四、六四九  計 二六、四七二
出品の売約は、会期中各府県を通じて
 人員    二六、〇五三人
 点数    五〇、六〇九点
 金額   六六〇、一七四円余
に達し、即売店は東京府即売店及び、地方即売店を合せ売上高三百七十一万九百九十四円余の多額を算した。
○下略