デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会
11款 博覧会 2. 中外商業新報社創立五十週年紀念産業文化博覧会
■綱文

第56巻 p.356-359(DK560102k) ページ画像

大正15年9月15日(1926年)

是日、上野公園ニ於テ、当博覧会開会式挙行セラル。栄一、副総裁トシテ出席シ、挨拶ヲ述ブ。


■資料

青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第二三頁 昭和六年一二月刊(DK560102k-0001)
第56巻 p.356 ページ画像

青淵先生職任年表 (未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
                竜門雑誌第五一九号別刷・第二三頁 昭和六年一二月刊
    大正年代
 年  月
一五  五 中外商業新報社創立五十週年記念産業文化博覧会副総裁


集会日時通知表 大正一五年(DK560102k-0002)
第56巻 p.356 ページ画像

集会日時通知表  大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
九月十五日 水 午前九・五〇時迄ニ 産業文化博覧会開場式(上野同会場)
          十二時頃    修了ノ予定 シルクハット


中外商業新報 第一四五七〇号 大正一五年九月一六日 産業文化博覧会けふ開会式挙行(DK560102k-0003)
第56巻 p.356-358 ページ画像

中外商業新報  第一四五七〇号 大正一五年九月一六日
  産業文化博覧会けふ開会式挙行
    伏見総裁宮殿下台臨
      優渥なる令旨を賜ふ
        開場第一日の盛儀
秋晴万里、日は輝かに照り、風もさわやかに澄んで、今日ぞ九月十五日、産業十五日、産業文化博覧会開会の日である、上野の山の森をどよもし、不忍の蓮の葉の露をころがして、こゝに早朝より祝ひの煙火はとゞろとゞろと鳴り渡つて、早くもそゝられる博覧会気分に、秋は東都の人気をこゝに集めて上野へ上野へ――広小路界隈、池の端界隈の町内の装飾と賑ひはいはずもがな、池の向ふに見渡さるゝ会場の全景はさながら燦爛の贅と華をつくせる城廓の如し、金色の矢羽を麗日に輝かして、雲をつく経済館の高塔を中心として発揮さるゝ建築の美、色彩の妙――そこに朝野貴顕の紳士たちは自動車をつらねてぞくぞくと会場に詰めかけて行く折から、中空には祝賀飛行の海軍飛行機の機翼入り乱れて花の如く、地には陸軍軍楽隊の楽の音に歓喜のメロヂーを織なして空も地も一つとなつて造り出す祝賀の一大雰囲気、そのなかに徐々に厳かに産業文化博覧会開場の幕はあげられて行く
  総裁宮殿下御着
    諸員に謁を賜ふ
午前九時五十五分、総裁宮伏見宮博恭王殿下御着――池の端の煙火は 皇礼砲 に準じて十一発をどゞと打ちあげ、五百の伝書鳩は翼に笛をつけて会場の空に旋回飛行をやつて宛らの空中オーケストラ、殿下には佐藤宮務監督・亥角武官・田中事務官を従へさせられる、門内両側には村上副会長・佐藤理事長・永田事務総長以下の各理事整列して
 - 第56巻 p.357 -ページ画像 
お出迎へ申上げ、つづいて迎賓館入口まで両側に堵列して評議員諸氏の御出迎へ申上ぐるなかを、殿下には御会釈を賜はりつゝ迎賓館に御進みになる
 館の前 には簗田会長・渋沢副総裁・清浦奎吾子以下の各顧問・各大臣整列して御出迎へ申上げ、会長・副総裁の御案内にて宮は御休憩室に入らせらる、御休憩室は画壇大家の新作を以て飾られてある、ここに於て殿下には石塚日本産業協会長の御案内にて渋沢副総裁・簗田会長・村上副会長・佐藤理事長・清浦子以下の各顧問各大臣に対して拝謁を賜うた。
  厳かなる開会式
    終つて殿下御退場
午前十時振鈴が鳴り、奏楽の音さわやかに、来賓諸員会場に着席、同十分会長・副総裁の
 御誘導 によつて諸員起立のうちに殿下には経済館まへの式場に成らせられた。君ケ代の奏楽を以て式は始まる、会長は会場図面の出品目録とを総裁の宮に捧呈し、佐藤式典委員長は開会を宣する、こゝに簗田会長は壇上に上つて本会開催の趣旨と成立の経過を舒したる左記の式辞を朗読する
  式辞 ○略ス
右終つて伏見総裁宮は親しく
 令旨を 賜はり、諸員は敬礼のうちに優渥なる御言葉を拝聴する、会長恭々しく左の答辞を朗読す
  奉答文 ○略ス
右終つて、ベルジューム大使バッソヌ・ヒエル氏は本邦駐在首席使臣として各国
 使臣を 代表し左の祝辞を述べた ○祝辞略ス
次いで若槻内閣総理大臣は左の祝詞を朗読した
  祝辞 ○略ス
それより浜口内務大臣・片岡大蔵大臣・町田農林大臣・藤沢商工大臣平塚東京府知事・伊沢東京市長・藤田東京商業会議所会頭・星野東京実業組合聯合会長・石塚日本産業協会長諸氏こもこも立つて
 祝意が 述べられた、つづいて出品人総代として日本石油株式会社長橋本圭三郎氏から左の挨拶がある
  答辞 ○略ス
次いで渋沢副総裁から左の如き挨拶 ○次掲があつた
これを以て式を終り、簗田会長は総裁宮の
 御前に 進んで閉会を言上し謝意を述べ、君ケ代奏楽、殿下には十一時二十分を以て諸員敬礼のうちに退場あらせられ、こゝに開会の式を終つたのである
  会場内を御巡覧
式場を出られた総裁宮殿下にはそれより簗田会長の御先導にて会場内を御一巡あらせられた、渋沢副総裁 各顧問扈従、会場第一の精彩を放つ
 経済館 を始め、新聞館その他特設館、更に本館内の優秀なる会社
 - 第56巻 p.358 -ページ画像 
商店の出品物を産業館・文化館の順序で一々御興深けに御巡覧あらせられ ○下略


中外商業新報 第一四五七〇号 大正一五年九月一六日 回顧六十年 博覧会の三要素 産業文化博覧会開会式にて渋沢副総裁の挨拶(DK560102k-0004)
第56巻 p.358-359 ページ画像

中外商業新報  第一四五七〇号 大正一五年九月一六日
  回顧六十年
    博覧会の三要素
      産業文化博覧会開会式にて
        渋沢副総裁の挨拶
あやまつてこの博覧会の責任の地位に立つ名を受けましたが、私は名誉よりは迷惑の方でございます、博覧会に就いては、その施設において、その経営に於て、何等心得のないものでございますけれども、中外商業新報とは深い縁故を持つて居りますので、この度の博覧会開催については、その趣旨は頗る諒として居ります、只今各方面から御懇切なる祝辞を下さいました御趣旨も、即ち私と同様の御心に依るものと考へます、この社として又、時代として頗るもつともなる経営と思ひましたに依つて、その名を挙げて置きました次第であります。
右様な訳で、本博覧会に対し好い考へを添へたとか、何とか云ふ事はありませぬけれども、併し一つ申し上げますると、長く生きた効には博覧会といふものについては満場の諸君以外に心得て居ることがございます、それ丈けを簡単に申上げて、私が斯かる位置に立つた御申訳を致さうと思ひます。
維新以前の事を申すはの、筋違ひの嫌ひでございますけれども、私は慶応三年徳川幕府の時に、民部大輔がフランスに留学し、一八六七年にフランスに開かれた第二博覧会に参列されたが、その随従員として参りました、回顧しますと、恰度六十年昔ですから、中外商業新報が五十年を御自慢なさるけれども、なほそれより十年前に、渋沢はもう博覧会に出るだけの……たとへ資格はございませぬけれども、身体は持つて居つたといふ事を御承認を願ひたいのであります。この時の日本は、将軍に依つて統一されて居つたが、フランスは三世ナポレオンの帝政の時代でございました、この一八六七年のフランス大博覧会は三世ナポレオンが或る場合には国威を欧羅巴は勿論全世界に示すといふ観念を以て経営されたやうに想像致しました、斯かる席で政治問題は無用の弁でございますが、六十年の昔フランス博覧会において見た眼、感じた心を述べることは、御聴きなさる方は御迷惑か知りませぬが、私自身は興味あることなのでございます。
恰度六月の何日でしたか、開会式を挙げた時に、三世ナポレオンが祝辞を述べましたが、その言は今尚ほ概要を記憶して居ります、その趣旨は、即ち「多数の人が新文明に浴するには、種種なる方法があるけれども、視覚から感触するのが一番近道である、即ち博覧会は最も我我を奮励興起せしむるに近いと思ふから、之を選んだのである」と演説されるのであります。而してその言の内に「博覧会は三つの要素に依つて成立つ、時の古今、地域の遠近、其の施設の分野、この三つが完備されると皆が見て強い感じを受ける、即ちその感触が人々をして感奮興起せしむる材料になる、例へば極く古い時代の有様に新しい設
 - 第56巻 p.359 -ページ画像 
備を添えて、斯くの如く違ふといふことを見せ、又欧羅巴の有様と遠く隔つた東洋の有様を並べて見せて、その差違を見せる、尚ほ又文明式即ち文化と、まだ其処まで行かない野蛮の仕組みとを凡て一目の下に感触することが出来るから、我々は博覧会を選んだのであると述べられた、そうして最後に斯くの如き有様を見せて、国の進歩に強い感激を受けない国民は、云はば未来のない人であるから、よく考へて呉れよ」と云はれた。
或はこの言葉は誇張の言と聞えるか知れませぬがこの言は今も尚ほ私の耳を離れず、博覧会を観る者は斯様な感じを以て見るのが甚だ必要だといふ観念が失せませぬ。
中外商業新報の博覧会は、斯様な意味を含む訳でございませぬが、併し、技術の進歩、産業の発展を希望し、それが唯単に多くあれば好い盛なれば好いといふのでなく、文化的に進歩させるといふのが主眼でありまして、産業文化博覧会を開催して中外商業新報の起つた五十年を記念するといふ事は、決して前に申しましたやうな野心の関係とは全くその趣きを異にするといふ事は、諸君においても御諒承下さると私は思ふのでございます。
果して然らば、この経営は必ず大いに効果を奏するだらうとは思ひますけれども、兎角物事は云ふに易くして行ふに難い、即ち云ふ事は大変偉い事を云ひますけれども、事実の運びが乏しいといふ事は世間によくある有様でございます、どうぞ中外商業新報社をして、云ふに易く行ふに難くないやうに、云ふに易く行ふにも亦易く、而して非常な効果を挙げさせるやう諸君に希望して止まない次第でございます。