デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

補遺・追補

1章 補遺
節 [--]
款 [--] 7. 国際通信株式会社
〔第三編 第一部 第六章学術及ビ其他ノ文化事業 第五節新聞・雑誌・通信・放送〕
■綱文

第56巻 p.669-671(DK560151k) ページ画像

大正12年11月12日(1923年)

是年十月三十一日、当会社総支配人ジョン・ラッセル・ケネディー其職ヲ辞シ、是日、栄一ニ退職挨拶ノ書翰ヲ寄ス。


■資料

国際通信社関係書類(DK560151k-0001)
第56巻 p.669 ページ画像

国際通信社関係書類           (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    謹告
当社総支配人ジヨン・ラツセル・ケネデー儀今般其職を辞任し、拙者に社務一切を引継ぎ候に付、拙者は東川嘉一、ウイリアム・エドワード・ラクソン・スウイートの両人に社務一切を委任し一時当社万端の事務は両人をして処理致させ候に付、右御諒承相成度、此段謹告候也
  大正十二年十一月十二日    国際通信株式会社
                取締役社長 樺山愛輔


(ジョン・ラッセル・ケネディー)書翰 渋沢栄一宛 一九二三年一一月一二日(DK560151k-0002)
第56巻 p.669-670 ページ画像

(ジョン・ラッセル・ケネディー)書翰  渋沢栄一宛 一九二三年一一月一二日
                     (渋沢子爵家所蔵)
                The Kokusai News Agency
                         November 12th,1923.
Viscount E. Shibusawa,
 TOKYO
 - 第56巻 p.670 -ページ画像 
Dear Viscount Shibusawa:
  With no little regret and at the same time with a sense of very deep gratitude and high respect for yourself I enclose the documents closing my ten years connection witht The Kokusai Tsushin,inaugurated by you just ten years ago.
  It has been for me an era of hard and interesting work.I shall always continue to take a deep interest in the welfare of Kokusai and it will always afford me gratification to be allowed to subscribe myself.
             Your sincere friend,
             (Signed) J. Russell Kennedy
JRK/YO


国際通信社関係書類(DK560151k-0003)
第56巻 p.670 ページ画像

国際通信社関係書類            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
国際通信株式会社の総支配人として、本社創立以来十年、終始一貫本社の経営に従事し献身努力せられたるジヨン・ラツセル・ケネデー氏は、今回其職を辞任せられたり。本社重役会は、本社の今日あるは主として氏が卓抜の才幹を以て其任に衝り、誠心誠意能く艱難に堪へ、一身を犠牲にし、以て本社の為めに貢献せられたる賜なりと認め、深く満腔の謝意を表するものなり。
ケネデー氏が日夜孜々として本社の発展に全力を傾注したる結果は、本社をして今や国家的並に国際的地位を占守せしむるに至りたり。依て国際通信株式会社重役会はケネデー氏が本社に尽せる貴重の奉仕を表彰すべき最善の方法として、氏が鋭意築造せる本社の事業をして愈発展せしめ、之を国家に必要欠くべからざる機関と為し、以てケネデー氏をして永く本社創業の一人たりし事を誇りとなさしめん事を期す
  大正十二年十一月十二日  国際通信株式会社
                取締役社長 樺山愛輔


国際通信社関係書類(DK560151k-0004)
第56巻 p.670-671 ページ画像

国際通信社関係書類            (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
    国際通信社総支配人
      ジエー・ラツセル・ケネデー氏の退職挨拶
 私は今回国際通信株式会社重役との間に円満なる了解成立し、過去二ケ年以来交渉中であつた辞職問題も之にて解決し、大正十二年十月卅一日限り愈国際通信株式会社総支配人の職を辞することゝなりました。重役会に提出致しました私の正式の辞表は、重役会より正式に承認あり、且つ会社従来の経営方法及び将来の計画方針並に経営方法に就ても、重役との間に友誼的精神の下に十二分の了解を得ました。
 私は国際通信合資会社若しくは国際通信株式会社の株主でも、又重役でもなく、大正三年会社創立当時、五ケ年間絶対権能を委托さるゝ契約の下に、一介の有給使用人として総支配人の職に就き、其後更に五ケ年間職に就きましたが、此十ケ年間は重役側も私も契約を厳守し
 - 第56巻 p.671 -ページ画像 
ました。
 私は日本に於ける又日本に対する一箇の国際的通信社、即ち海外から日本の新聞及日本の国民にニユース及情報を供給する純然たる通信社としての基礎を造る任務を今漸く果しました。言葉を換へて書へばニユース及情報と称する商品を供給する一輸入商店を設立したのであります。会社の重役は、私の二十五ケ年間の経験を買て下つた訳で今や会社の基礎は既に築かれ、建築物の骨組も出来上りました。此の基礎も骨組も過去二ケ年の事業の大不振と之れに続く最近二ケ月間の非常時にも充分能く之に堪へて来ましたが、私は之を機として会社を去る事となりました。 ○中略
 国際通信社終局の成功は、私が之れを実現し得ませんでしたから、国際通信社が自分で之れを獲得せねばなりませぬ。国際通信社は私の旧友で且つ雇主である渋沢子爵が計画され設立された、性質は国際的であるが、純日本の通信社であります。同社の重役は皆私の親友であつて、十年前に私と結びました契約を厳重に履行して下さいました。私は外人であるにも拘らず、純然たる日本の会社の経営に関し、其の一切を挙げて私に委ねられ、私は総支配人として独裁的権能を行使したのでありますが、重役方は決して之れに干渉がましき事はしませんでした。私の地位も往々にして苦しいものでありましたが、重役方に取つても私の経営に対し嫌焉たらざるものがあつたらうと思ひます。然しながら重役と総支配人との間に意見の相違が已むを得ない様な場合でも、或は種々の陰謀や何も知らぬ外界の人達の所業などの為めに社が脅威を蒙つたやうな場合でも、凡て事情の如何を問はず重役方と私との間には相互の信頼と尊敬とが厳存して居りました。此の事は私が国際に関係し、且つ日本の人々と交際致して参りました以来、最も愉快な且つ得意と致す記憶で御座います。
○下略
   ○本資料第三十九巻所収「其他ノ外国人接待」大正十二年十一月二十六日ノ条参照。