デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

補遺・追補

2章 追補
(既ニ款・項目ヲ定メテ収録セルモノヘノ追加)
節 [--]
款 [--] 3. 東洋拓殖株式会社
〔第五十四巻所収〕
■綱文

第56巻 p.695-700(DK560159k) ページ画像

明治41年9月16日(1908年)

是ヨリ先、栄一、当会社設立ニツキ尽力シ来リシガ、是年八月二十六日、東洋拓殖株式会社法公布セラレ、是日、ソノ設立委員ヲ仰付ケラル。次イデ二十一日、大蔵大臣官邸ニ於テ第一回設立委員会開カレ、栄一出席シ、定款外一件ノ調査委員トナリ、更ニ同調査委員会ニ於テ委員長ニ選バル。十二月二十八日、東京商業会議所ニ於テ当会社創立総会開カル。栄一出席シテ、株主代表トシテ謝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK560159k-0001)
第56巻 p.695 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
九月二十六日 晴 冷            起床七時 就蓐十二時
○上略 午後五時東洋協会ニ抵リ、其臨時集会ニ出席シ、東洋拓殖会社設立ノ事ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
十月四日 晴 冷              起床七時三十分 就蓐十二時
○上略 九時幸倶楽部ニ抵リ、東洋拓植会社設立《(東洋拓殖会社)》ニ関スル要項ヲ協議ス、井上・桂二侯モ来会ス ○下略


東京経済雑誌 第五八巻第一四五五号・第四〇頁 明治四一年九月五日 ○東洋拓殖会社法の公布(DK560159k-0002)
第56巻 p.695 ページ画像

東京経済雑誌  第五八巻第一四五五号・第四〇頁 明治四一年九月五日
    ○東洋拓殖会社法の公布
第二十四議会の協賛を経たる東洋拓殖株式会社法は愈よ去る廿六日法律第六十三号を以て公布せられ、同時に予算外国庫の負担となるべき契約を為すを要する件、即ち東洋拓殖会社に於て発行する社債二千万円を限り政府に於て其元利支払の保証を為すことを得る旨公布せられたり


青淵先生公私履歴台帳(DK560159k-0003)
第56巻 p.695 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳           (渋沢子爵家所蔵)
    任免叙授
同 ○明治四一年九月十六日 東洋拓殖株式会社設立委員被仰付 内閣


竜門雑誌 第二四四号・第六九頁 明治四一年九月 ○青淵先生と東洋拓殖会社(DK560159k-0004)
第56巻 p.695-696 ページ画像

竜門雑誌  第二四四号・第六九頁 明治四一年九月
○青淵先生と東洋拓殖会社 青淵先生には日韓両国の共同の下に設立せらるゝ東洋拓殖会社の設立委員を九月十六日を以て仰付けられ、之
 - 第56巻 p.696 -ページ画像 
を受諾せられたり、又本月二十一日の同社第一回設立委員会に於て定款外一件の調査委員に選定せられ、引続き調査委員会に於て其委員長に互選せられたり


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK560159k-0005)
第56巻 p.696 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
九月二十一日 晴 涼
○上略 総理大臣官舎ニ抵リ、東洋拓殖会社設立ニ関スル要務ヲ協議ス、午飧後大蔵大臣官舎ニ抵リ、同会社設立委員会ヲ開ク ○下略


中外商業新報 第八〇七〇号 明治四一年九月二二日 ○拓殖会社創立委員会 第一回、桂蔵相演説(DK560159k-0006)
第56巻 p.696-697 ページ画像

中外商業新報  第八〇七〇号 明治四一年九月二二日
    ○拓殖会社創立委員会
      第一回、桂蔵相演説
東洋拓殖会社創立委員会は二十一日午後一時半より其の事務所たる永田町の大蔵大臣官邸に開会、日本側(十人欠席)及韓国側委員八十余名出席、委員長正親町伯議長席に着き開会の辞を述べ、次て蔵相及農相より委員会へ達せられたる命令書を披露し(此命令書は廿日の本紙に既載せり)終つて桂蔵相起ち、左の演説を為せり
      △桂蔵相の演説
 東洋拓殖会社の設立に付ては昨年以来話頭、新聞、其他に於て御熟知のことなるが、抑も此会社は我帝国と韓国とが公の形式に於て共同的事業を営む初めにして、日韓両国の将来に於て最も喜ふべき事なると同時に両国間に於て最も注意に注意を加へ其発達を企図せざるべからず、此ことたる本官の注意を待たざる所なるも、委員諸君に於ては殊に設立の趣旨に鑑み此点を顧みられ、大にしては日韓両国の関係、小にしては拓殖会社の将来を御熟考相成り、設立に御尽力あらん事を希望して已さる也
夫より議事に移り
 第一号議案 議事規則の件
 第二号議案 事務章程の件
両案は原案通り直に可決し、即座に政府の認可を受け、右議事規則に依り更に議事を進行し
 第三号議案 拓殖会社定款の件
 第四号議案 株式募集方法の件
は渋沢男の発議にて両案共委員長指名の特別委員に付託することに決し、之にて議事を終り、報告ありて後、午後二時半散会せり、当日選定されたる常務委員及調査委員左の如し
      常務委員
 井上友一 若槻礼次郎 勝田主計 宇佐川一正 河村譲三郎 松崎蔵之助 織田一 木内重四郎 本田幸介 李鎬成 韓相竜 尹佑炳
      幹事
 長島隆二 児玉秀雄
      定款外一件調査委員
 安広伴一郎 若槻礼次郎 勝田主計 宇佐川一正 河村譲三郎 押川則吉 木内重四郎 渋沢栄一 堀田正養 早川千吉郎 青山元 
 - 第56巻 p.697 -ページ画像 
小山健三 柴四郎 桑田熊蔵 野田卯太郎 加藤政之助 小川平吉 岩下清周 豊川良平 土居通夫 中野武営 浜口吉右衛門 李鎬成 韓相竜 尹佑炳 白完嚇 金衡玉 金泳沢 朴煕豊
尚散会後、右の定款外一件の調査委員会を開き、委員長を互選せしに渋沢男当選し、更に原案を熟読の上、廿二日午前十時より再開するに決し退散せり


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK560159k-0007)
第56巻 p.697 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
九月二十二日 曇 涼
○上略 午前十時大蔵大臣官舎ニ抵リ、韓国拓植事業開発ノ為メ曾テ桂侯爵ノ主唱セラレタル東洋拓植会社設立《(東洋拓殖会社)》ニ付特別委員会ヲ開ク、委員長トシテ議事ヲ整理シ、十二時ニ至リテ議事ヲ畢ル ○下略


中外商業新報 第八〇七二号 明治四一年九月二五日 ○拓殖定款及株募集決定 調査委員会の修正(DK560159k-0008)
第56巻 p.697 ページ画像

中外商業新報  第八〇七二号 明治四一年九月二五日
    ○拓殖定款及株募集決定
      調査委員会の修正
東洋拓殖会社創立委員会の定款及株式募集案特別調査委員会は、廿四日午後二時半蔵相官邸に開会、日韓両委員出席、渋沢男議長席に着き審議の末
      △拓殖会社定款
に付き小川平吉氏より韓国政府の出資として田畑を提供する件に関し反対説を出したるも一人の賛成者なく、韓国側委員も原案賛成なりしかば結局原案に決し、次て定款卅条に対し岩下清周氏より「総会の議長は総裁之に当る」とあるも、総裁欠員・欠席の場合に於ける規定なきは彼の満鉄の場合に於ても支障ありし例あれば「総裁の欠員又は事故あるときは副総裁議長となる」の規定を追加せんと発議し、多数の賛成ありて之に決し、他は総て原案を可決し、次に
      △株式募集法
の件に移り、岩下氏の発議にて「原案には重役の持ち株二百株を控除することと為しあるも、余り少数なれば一千株を重役分として控除し残り十三万九千株を公衆募集株と修正するに決し、又た韓国委員韓相竜氏より、株式募集期日を原案には十月十二日より同廿七日までとあるも、韓国に於て大いに募集を勧誘奨励せんと欲すれど時日切迫せる故之れを十一月一日より十五日迄と修正せんと発議し、彼是協議の末十一月一日より十日迄と修正するに決し、他は総て原案通り可決し、之にて議事終了、三時四十分散会せり、因に二十五日午前九時より同所にて創立委員総会を開き之を確定する筈なりと云ふ


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK560159k-0009)
第56巻 p.697 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
九月二十五日 雨 冷
○上略 九時永田町大蔵大臣官舎ニ抵リ、東洋拓植会社創立委員会《(東洋拓殖会社)》ニ出席ス ○中略 正午王子ニ帰宿シテ韓国ヨリ来遊セル委員三十余名ヲ招宴ス、午飧ノ食卓上一場ノ演説ヲ為ス、畢テ別室ニ於テ余興アリ、夕五時頃散会ス ○下略
 - 第56巻 p.698 -ページ画像 


(八十島親徳) 日録 明治四一年(DK560159k-0010)
第56巻 p.698 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四一年   (八十島親義氏所蔵)
九月廿五日 雨
朝兜町、夫ヨリ王子別荘ニ至ル、今日ハ第一銀行ノ催ニテ目下来朝中ノ東洋拓殖会社創立委員タル韓人三十余人ヲ午餐ニ招カルヽニ付世話方且招伴ノ為也、庭ニ天幕張ノ臨時食堂ヲ作リシ処、雨中頗閉口セリ食后広間ニテ丸一ノ太神楽ノ余興ハ大受ナリキ


各種招待会一件書類 明治四〇年一二月―四四年六月(DK560159k-0011)
第56巻 p.698 ページ画像

各種招待会一件書類  明治四〇年一二月―四四年六月
                   (東京銀行集会所所蔵)
  明治四十一年九月廿八日
    東洋拓植会社
           招待会一件書類
    韓国設立委員
拝啓仕候、陳者今般東洋拓植株式会社韓国創立委員ノ渡来ヲ機トシ別紙銀行主人側ニ相立チ同一行招待晩餐会相催候間、来ル二十八日(月曜日)午後五時日本橋区坂本町銀行倶楽部ヘ御参会被成下度、此段御案内申上候 匆々敬具
 追テ御来会相成ルヘキ御方ノ氏名折返シ御一報被下度候、宴会入費ノ儀ハ追テ精算ノ上御勘定可相願候
  明治四十一年九月二十六日      総代
                      早川千吉郎
                      豊川良平
                      松尾臣善
                      渋沢栄一
(別紙)
      主人側銀行名
  日本銀行     横浜正金銀行   日本興業銀行
  日本勧業銀行   第一銀行     十五銀行
  第百銀行     第三銀行     東海銀行
  東京銀行     豊国銀行     三井銀行
  安田銀行     村井銀行     三菱銀行部
  川崎銀行     北浜銀行     鴻池銀行
 欠山口銀行    欠京都商工銀行   横浜七十四銀行
  左右田銀行


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK560159k-0012)
第56巻 p.698 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
十二月二十八日 晴 寒
○上略 午後一時商業会議所ニ抵リ、東洋拓植会社創立総会《(東洋拓殖会社)》ニ出席ス、一場ノ謝詞ヲ述フ ○下略


中外商業新報 第八一五五号 明治四一年一二月二九日 ○拓殖創立総会(DK560159k-0013)
第56巻 p.698-699 ページ画像

中外商業新報  第八一五五号 明治四一年一二月二九日
    ○拓殖創立総会
東洋拓殖会社創立総会は予定の如く廿八日午後一時半東京商業会議所に於て開会、宮内省より吉田内蔵主事、韓国政府より河内山統監府書
 - 第56巻 p.699 -ページ画像 
記官臨席の上開会、出席株主数は三千九百二人、此株数十四万六千五十三株(委任状共)にて、正親町委員長議長席に着き開会を宣言し、田常務委員をして会社設立経過報告を朗読せしめ、次て当日正副総裁以下各理事監事の任命ありたるを披露し、監事の報酬額決議の件は原案通り年額各千円と可決し、設立事務に関し商法第百三十四条に基き調査の件は松平子・野田両監事に依托し、右調査中委員長は宇佐川総裁を紹介し、総裁は左の新任披露の辞を述べたり
 只今委員長より披露ありたるが如く、自分は本日を以て東洋拓殖会社総裁を拝命し、玆に将来会社の経営に際し株主諸君の御賛同を乞ひ併せて当初所信の一端を述べんとす
 会社設立後委員長より事務の引継を受け、諸般の準備を卒へ、一先づ渡韓の上会社事務の整頓、業務の整理、株券の配付、且つは韓国政府提供の土地の調査等に関し差当り着手の要ありと信ず、而も其間に於て将来実行せんとする諸般の調査を為し、前途の計画を立てざるべからず、是に就ては特に慎重の考慮を要する所なり
 今日尚ほ両国民間感情上面白からざるの点あるが如し、這は政変の結果、物質上の関係殊に新契約以後に於て韓国民の一部は確に日本に対し誤解を抱き、其結果は一地方に暴徒の蜂起ありしも討伐の末漸く鎮静を得たり、左れと尚ほ全然鎮定せざるは遺憾也、会社事業経営に際しては深く両国民の融和を期するを要す、即ち本会社設立の本旨は韓国殖産興業の発展、両国民の融化、相互の福利を増進せんとす、而も両国民の融化は最も度外し得ざる点なり、又委員長報告の如く、会社株式募集に当り頗る盛況を告け、今の設立を得たるが是れ一に株主たる諸君の誠意に出づ、直ほ感激に堪へず、不肖此度総裁の重職に当るに際し専心誠意事に従はんことを期す、此に就任の御挨拶を兼ね一言述ふる次第なり云々
次で委員長は吉原副総裁を紹介し、同氏の簡単なる就任挨拶あり、更に岩佐・林・井上の各理事、並に松平・野田両幹事を紹介し、夫れより監事は調査の結果を左の如く報告し、一同の承認を得たり
 一、本会社株数総数二十万株は全部適法に引受けありたり
 各株に対する第一回払込は明治四十一年十二月十四日完了せり
 二、韓国政府が本会社に出資する田五千七百町歩、畑五千七百町の価格を金三百万円と評価し、之に本会社株式六万株を与ふるは正当也と認む
 三、本会社の負担に帰すべき設立費用は金五万二千百十八円四十九銭五厘にして、正当に支出せられたるものなりと認む
之にて会社は全部滞り無く成立せるが、散会に先ち渋沢男は、株主側を代表して正親町委員長の尽力に対し謝辞を述べ、且つ就任各重役に対し会社事業経営に際しては宜しく周到なる用意を以てせられ、急がず撓まず日韓両国の厚き連鎖たらんことを期待すと述べ三時散会せり


東京経済雑誌 第五九巻第一四七二号・第三六頁 明治四二年一月九日 ○東洋拓殖株式会社総裁以下の任命(DK560159k-0014)
第56巻 p.699-700 ページ画像

東京経済雑誌  第五九巻第一四七二号・第三六頁 明治四二年一月九日
    ○東洋拓殖株式会社総裁以下の任命
東洋拓殖株式会社総裁以下の役員は、客月廿八日を以て左の通り仰付
 - 第56巻 p.700 -ページ画像 
けられたり
          従四位勲二等功二級男爵 宇佐川一正
 東洋拓殖株式会社総裁被仰付
               従四位勲二等 吉原三郎
 東洋拓殖株式会社副総裁被仰付
               正五位勲五等 井上孝哉
    各通         従五位勲五等 林市蔵
                      岩佐理蔵
 東洋拓殖株式会社理事被仰付
             従三位勲四等子爵 松平直平
    各通
                  勲四等 野田卯太郎
 東洋拓殖株式会社監事被仰付
              大蔵省理財局長 勝田主計
             統監府書記官伯爵 児玉秀雄
           度支部会計検査局次長 柳正秀
             農商工部農務局長 中村三郎
 東洋拓殖株式会社監理官被仰付
尚ほ韓国側にては、閔泳綺氏副総裁に、韓相竜氏理事に、趙鎮泰氏監事に就任したり


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK560159k-0015)
第56巻 p.700 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十日 雪 寒甚シ
○上略 安東義喬氏来リ、東洋拓植会社就職《(東洋拓殖会社)》ノ事ニ付談話アリ ○下略
   ○中略。
一月二十五日 曇 軽寒
○上略 六時帝国ホテルニ抵リ、東洋拓植会社ヨリノ招宴ニ応シ晩餐会ニ出席ス、桂総理・平田・大浦等ノ大臣其他多数会同ス、夜十時散会王子ニ帰宿ス
   ○中略。
五月二十日 曇午後雨 暖
○上略 十二時半、第一銀行ニ抵リ午飧ス、東洋拓植会社井上理事来話ス ○中略 午後六時華族会館ニ抵リ、東洋拓植会社総裁ノ催ニ係ル宴会ニ出席ス、種々ノ談話アリ、夜十時帰宿ス