デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 2. 伊藤博文
■綱文

第57巻 p.417-419(DK570183k) ページ画像

明治42年10月26日(1909年)


 - 第57巻 p.418 -ページ画像 

是日栄一、渡米実業団ノ団長トシテ、アメリカ合衆国内ヲ旅行中、スプリング・フィールドニ於テ、伊藤博文遭難逝去ノ報ニ接ス。


■資料

渡米実業団誌 同団残務整理委員編 第二九五―三〇〇頁 明治四三年一〇月刊(DK570183k-0001)
第57巻 p.418-419 ページ画像

渡米実業団誌 同団残務整理委員編  第二九五―三〇〇頁 明治四三年一〇月刊
 ○第一編 第六章 回覧日誌 東部の下
    第八節 ウースター及スプリングフィールド
十月二十六日 (火) 晴
 午前八時ウースター市に着、一同市役所を訪ひ、行政部室に於て、市長代理ロガム氏の歓迎を受け ○中略
 是より先、今朝我が特別列車のウースター停車場に着するや、報ずるものあり、伊藤公哈爾賓に於て韓人数名の為めに暗殺されたりと ○中略 又スプリングフィールド市の「デーリー・レパブリカン」新聞は今朝直に記者を列車に送り越し、慇懃に悼詞を陳べ、尚ほ団長の之に対する感慨を叩いて去りしが、帰後其紙上に左の一文を掲げたり。以て米国人側に於ても、如何に同情を寄せしかを知るべし。
     △日本実業団の哀悼
     (実業団ウースターに於て伊藤公爵暗殺の報を聞く)
 昨朝ボストン市よりウースター市に来れる名誉ある日本実業団は、伊藤公爵薨去の報に接し、半信半疑を以て、只管公爵の政治上に於ける功績を賞揚せしが、其よりスプリングフィールドに到着し、又此日本の政治家が暗殺せられたるの報が不幸にして正確なる事を聞くや、実業団の団長にして、日本に於て最も卓越したる財政家渋沢男爵は、暫時深き感動に打たれ痛く流涕せられたり。而して団員は何れも新日本の創設者、伊藤公爵の功績を賛称して止まざりし。
 団長渋沢男爵、先づ口を開き語つて曰く
  『伊藤公爵暗殺の報は甚だ突然にして、余は之を信ずるを躊躇する程なり。然れども今や之を疑うの余地なきが如し。果して事実なりとせば、我国の損失は之れに超るものなし。公爵は個人として甚だ寛大に、且つ仁愛の人なり。故に公爵に接近する人は、皆公爵を敬愛せり。然れども公爵は新日本第一の創設者たるを以て其五十年間に於ける政治生涯中には、暗殺の危険に遭遇せられたること一再にして止まらず。然れども天恵に依り常に強壮の健康を保ち、尚ほ将来に於ても、日本の為めに多く尽さるゝ所あるべしと期待せられたるなり。
  公爵政治上の活動は多方面に渉れるが、殊に最も顕著なるものは憲法の制定是なり。憲法は 天皇陛下之を与へ賜へり。而して之れ我日本の政治上に於ける偉大なる変遷にして、此偉大の変遷は大に伊藤公爵先見の明に基くものなり。我国民は殆ど一斉に、伊藤公爵は 陛下の御信任最も深き元勲にして公爵の薨去は 陛下の一大損失なるべきを認めん。
  公爵は、如何なる困難に遭遇するも屈せずして進める最も忠節の臣なりし。五回総理大臣となり、公務の繁忙なる中に、多少動乱の状態にある朝鮮の国務を整理することを考へ、之を以て公爵が
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国家の為めに尽す最上の途なりとし、政友の熱心なる忠告あるにも拘らず、進んで之に赴き、其余生を之に捧げんとせられたり。朝鮮に関する公爵の政策は朝鮮国王及其人民を指導して、日本に対する信頼を深くし、且つ極端なる暴挙に出で、徒らに其国運を危険に陥らしめざらんことを期せしに在りしなり。
  公爵の採れる朝鮮政策に対しては、外国に於て烈しく批難するものもありき。就中朝鮮の事務を処理する上に於て余りに穏和的なりとの批評少からざりき、然れども公爵の政策は 陛下に於て、日本及朝鮮に取り、最良のものと御信認あらせられたるなり。
  余が公爵との友情は、千八百六十九年、余が大蔵省の大丞にして公爵は其時一の「ミストル伊藤」なりし時に始まれり。其後公爵は同省の大輔となり(余の長官なり)爾来四十年間は、余の最も親密なる友人なりき。余は公爵の朝鮮政策を以て最良のものと信ず。又何人も公爵の個人的温情に富める人なることを知る。殊に公爵が 陛下に忠節なるは、天下挙つて賞揚する所なり。日本人は誰にても 陛下に忠を尽さんことを願ふ。而も伊藤公爵の如きは、最も忠節の臣と云うべし。故に 陛下と国の為めに其生命を擲つは、公爵の満足する所ならんも、余は今や国人と共に、深く公爵の死を痛惜す」云々。
 此処に至り、渋沢男爵は悲哀の感極まり、哀哭して又一語を発する能はざりき。
○下略


青淵詩存 渋沢栄一遺著 孫敬三輯 第二四丁 昭和八年刊(DK570183k-0002)
第57巻 p.419 ページ画像

青淵詩存 渋沢栄一遺著 孫敬三輯  第二四丁 昭和八年刊
    哭伊藤公
異域先驚凶報伝。霊壇今日涙潸然。温容在目恍如夢。花落水流四十年。


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK570183k-0003)
第57巻 p.419 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
七月三十一日 晴 大暑
午前六時起床入浴シ畢テ日記ヲ編成ス ○中略 麻布内田山ニ抵リ井上侯爵ニ面会シ要務ヲ談ス、後霊南阪ニ伊藤公爵ヲ訪ヒ談話ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治四三年(DK570183k-0004)
第57巻 p.419 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四三年     (渋沢子爵家所蔵)
一月二十六日 雪 寒甚
○上略 大井村ニ抵リテ故伊藤公爵ノ墳墓ニ詣ス、又同地ニ新公爵ノ家ヲ訪ヒ弔詞ヲ述フ、談話十数分ニシテ辞シテ ○下略
   ○中略。
三月九日 曇 寒
午前八時半起床入浴シ畢テ読書ス、十時朝飧ヲ食ス、十一時過伊藤公爵夫人ヲ滄浪閣ニ訪ヒ、弔詞ヲ述フ、午後大磯ヲ発シ片瀬ニテ曾禰総監ヲ訪ヒ、種々ノ談話ヲ為ス、四時藤沢発ノ汽車ニテ帰京ス ○下略
   ○其他ノ資料ハ本資料第三十二巻所収「渡米実業団」明治四十二年十月二十二日ノ条参照。