デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 3. 井上馨
■綱文

第57巻 p.424-425(DK570188k) ページ画像

大正4年4月18日(1915年)

是月二日、栄一、関西ヘ赴ク途次、興津ノ別邸ニ井上馨ヲ訪ヒ、次イデ是日、同邸ニ開カレタル園遊会ニ出席シ、来賓ヲ代表シテ祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK570188k-0001)
第57巻 p.424 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年      (渋沢子爵家所蔵)
四月二日 半晴
午前五時起床入浴シテ朝飧ス、今日出発シテ京阪ノ旅行ヲ為スニ付朝来旅装ヲ整フ、兼子同行ス、午前六時四十分家ヲ発シ七時二十分東京駅ノ汽車ニ搭ス、多数ノ人来リテ行ヲ送ル、沼津駅ニテ午飧シ、午後二時過興津駅ニテ下車シテ井上侯爵ヲ訪問ス、種々ノ談話ニ時ヲ移シ四時六分興津発ノ汽車ニ搭シテ名古屋ニ向フ ○下略


竜門雑誌 第三二三号・第四三頁 大正四年四月 ○青淵先生の関西旅行(DK570188k-0002)
第57巻 p.424 ページ画像

竜門雑誌  第三二三号・第四三頁 大正四年四月
    ○青淵先生の関西旅行
青淵先生には令夫人同伴にて四月二日午前七時二十分東京駅発汽車にて関西地方に向はれ、途中興津駅に下車して井上侯を見舞ひて、再び乗車名古屋に向はれしが ○下略


渋沢栄一 日記 大正四年(DK570188k-0003)
第57巻 p.424 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年      (渋沢子爵家所蔵)
四月十八日 雨
今日ハ興津ナル井上侯邸ニ園遊会ノ催シアリテ、曾テ案内ヲ得タレハ午前五時半起床洗面シテ朝飧ヲ食シ、六時半家ヲ出テ、七時十分東京駅発ノ汽車ニ搭ス、同行者頗ル多シ、汽車ハ井上侯ヨリ特別ニ仕立タルモノナリ、大浦内相・尾崎法相抔モ同車ス、車中雨降リテ箱根ヲ超ユルモ富岳ヲ見ス、十一時半興津ニ達ス、直ニ下車シテ一同侯爵邸ニ抵ル、此時雨歇ミテ庭園ノ散歩ヲ得ル、一時前午飧ノ為メ一同食堂ニ入ル、卓上一場ノ祝詞ヲ演フ、畢テ種々ノ余興ヲ一覧シ、四時興津発ノ汽車ニテ静岡ニ抵ル、安川敬一郎氏・団琢磨夫妻同行ス ○下略


世外井上公伝 井上馨侯伝記編纂会編 第五巻・第四三一頁 昭和九年九月刊(DK570188k-0004)
第57巻 p.424-425 ページ画像

世外井上公伝 井上馨侯伝記編纂会編  第五巻・第四三一頁 昭和九年九月刊
 ○第十二編 第一章 薨去
   第一節 発病と薨去
 四月十八日 ○大正四年に、興津の別荘で例年の園遊会が催された。 ○中略 
 - 第57巻 p.425 -ページ画像 
この日渋沢栄一が、
 里の名のよこすなならですむ君はこぬかのやまに友を待つらむ
これは里名横沙と別邸内の米糠山とを詠み込んで、公の昨今友なつかしき心情を述べたものである。 ○下略


竜門雑誌 第三二四号・第六三―六四頁 大正四年五月 ○井上侯の園遊会(DK570188k-0005)
第57巻 p.425 ページ画像

竜門雑誌  第三二四号・第六三―六四頁 大正四年五月
○井上侯の園遊会 興津井上侯別邸に於ける園遊会は四月十八日正午より開催せられたり、当日は夜来の降雨頻りなりしに拘はらず、午前十一時五十五分来賓を乗せたる列車の邸前の仮プラットホームに着するや、数発の煙花空中に轟き、来賓は正門より葉桜の隧道を潜り庭園の仮会堂に着す、来賓の重なる者は
 大浦・尾崎・八代・若槻の各大臣、寺内朝鮮総督・露国大使・三井都筑両男・前田侯・青淵先生・大倉喜八郎・大隈信常・高橋是清・大谷嘉兵衛・土居通夫・貝島太助
其他朝野の紳士・夫人・令嬢等を併せて三百余名にて、軈て大食堂を開き、主人侯爵先づ起ちて遠来の好意を謝すれば、露国大使マレウヰッチ氏起ちて侯の健康を祝し、侯は之に対し、日露両国の親善は愈深からしめざる可からずと説き、青淵先生は来賓を代表して侯の国家に対する功労を表頌し、大浦内相の発声にて侯の健康を祝し、立食の宴に移れり、食事の合間には静岡芸妓が興津八景花傘等を踊りて興を添へ、三井男又一家を率ゐて本館広間の仮舞台にて熊阪岩船を演じて喝采を博し、一同歓を尽して午後五時発の臨時列車にて帰京の途に就きたる由 ○下略