【実業・経済】
損害保険B〔金融〕

2019年3月29日作成

海上、火災、生命保険に続き、身体の損傷に対する傷害保険の重要性を研究した粟津清亮は、渋沢栄一らの援助を仰ぎ1911年日本傷害保険を設立しました。栄一は1917年の第一火災海上再保険の設立にも、賛成人として関わりました。

変遷図

会社名・団体名一覧

は渋沢栄一が直接かかわった会社・団体、はその後身会社・団体を表わします。

会社名・団体名 名称使用年 渋沢栄一の関わり
東京火災保険会社 1887〜1893
帝国海上保険(株) 1893〜1900
東京火災保険(株) 1893〜1907
帝国海上運送保険(株) 1900〜1902
帝国海上運送火災保険(株) 1902〜1926
東京火災海上運送保険(株) 1907〜1913
第一機関汽缶保険(株) 1908〜1930
日本傷害保険(株) 1911〜1919 株主
東京火災保険(株) 1913〜1942
第一火災海上再保険(株) 1917〜1922 賛成人
日本傷害火災海上保険(株) 1919〜1922
中央火災傷害保険(株) 1922〜1936
第一火災海上保険(株) 1922〜1943
帝国海上火災保険(株) 1926〜1944
第一機缶保険(株) 1930〜1944
中央火災海上傷害保険(株) 1936〜1937
日産火災海上保険(株) 1937〜2002
東京火災海上保険(株) 1942〜1944
安田火災海上保険(株) 1944〜2002
(株)損害保険ジャパン 2002〜