【実業・経済】
人造肥料業〔商工業:化学〕

2019年3月29日作成 / 2020年7月30日改訂

食料生産増加のため化学肥料の国内製造を目指した渋沢栄一は農商務省技師高峰譲吉らと協議を重ね、1887年東京人造肥料会社を設立しました。また栄一は山口県小野田で化学薬品を製造する日本舎密製造の発起人に名を連ねました。

変遷図

鉱業:石油へ

※図に記載している名称や変遷等は、予告なく修正・変更および他の図へ移転する場合があります。

会社名・団体名一覧

は渋沢栄一が直接かかわった会社・団体、はその後身会社・団体を表わします。

会社名・団体名 名称使用年 渋沢栄一の関わり
東京人造肥料会社 1887〜1893 創立委員、委員長
日本舎密製造(株) 1889〜1919 発起人
大阪硫曹(株) 1892〜1910 (合併協議)
東京人造肥料(株) 1893〜1910 取締役会長
関東酸曹(株) 1896〜1923 (合併裁定)
大日本人造肥料(株) 1910〜1937 助言、合併裁定
(株)日本人造肥料 1912〜1920
大阪化学肥料(株) 1916〜1920
日本舎密肥料(株) 1919〜1920
日本化学肥料(株) 1920〜1923 (合併裁定)
日本鉱業(株) 1929〜1992
日本炭砿(株) 1934〜1937
日本化学工業(株) 1937〜1937
日産化学工業(株) 1937〜1943
日本油脂(株) 1937〜1945
日産化学工業(株) 1945〜2018
日産化学(株) 2018~